関東内陸における大気エアロゾル中の有機指標成分の挙動

第 39 回酸性雨問題研究会シンポジウム
関東内陸における大気エアロゾル中の有機指標成分の挙動
群馬県衛生環境研究所
熊谷貴美代
1.はじめに
微小粒子状物質(PM2.5)の主要成分の一つである有機エアロゾルは、燃焼などによって直接
大気に放出される一次有機エアロゾル(POA)と光化学反応によって生成する二次有機エア
ロゾル(SOA)に分類される。ディーゼル車排ガス対策などにより元素状炭素(EC)の濃度が低
下する中、有機成分の割合は相対的に増加しており、今後の PM2.5 低減対策を議論していく
うえで有機エアロゾルの動態や発生源を把握することは重要な課題である。
粒子中に存在する有機化合物の種類は極めて多く、網羅的に成分を定量するのは困難な
ため、有機エアロゾルを有機炭素成分(OC)として総量を把握する分析方法が一般的である。
しかし、この情報だけでは有機エアロゾルを理解するには不十分であり、この理解を深め
るためには、OC・EC の分析に加えて、発生源に特徴的な成分を分析することが有用となる。
例えば、SOA は水溶性に富むことに着目し、水溶性有機炭素成分(WSOC)を分析するアプロ
ーチなどがある。また各種発生源の指標となる有機トレーサー成分に着目すれば、有機エ
アロゾルの発生源情報が得られる。
関東平野では夏季に大規模海風の形成により南風が卓越し、都心部で排出された大気汚
染物質は内陸へと輸送され、内陸部で高濃度の光化学オキシダントがしばしば発生する。
これは二次生成を促進する要素であるため、そのような地域では SOA の寄与が大きいと予
想される。また最近ではバイオマス燃焼由来 POA が注目されており、特に郊外地域におい
ては、野焼きのようなバイオマス燃焼が地域特有の発生源となっている可能性もある。そ
こで、我々は関東内陸地域における有機エアロゾルの解明を目的として、粒子中の主要成
分の他、水溶性有機炭素成分(WSOC)、SOA およびバイオマス燃焼の有機トレーサー成分の
調査を行ってきた。本講演では、それらの観測結果について紹介する。
2.観測地点の概要および方法
観測地点は群馬県前橋市(群馬県衛生環境
研究所 )で ある(図 1)。前橋は 東京から 約
Gunma
Maebashi
100km 内陸に位置しており、観測地点周辺は
住宅地と農地となっている。春から夏にかけ
ては南東風が卓越し、冬季は「空っ風」と呼
ばれる強い北西風が卓越する。
Tokyo
大気サンプリングは、アンダーセンローボ
リュームサンプラーを用いて、石英繊維フィ
ルター上に 2.1 μm 以下の微小粒子(以下、
図 1 調査地点
第 39 回酸性雨問題研究会シンポジウム
PM2.1 と表記する)を採取した。試料フィルターを用いて、無機イオン成分、OC・EC 成分、
WSOC 成分を分析した。有機トレーサー成分は、SOA トレーサーとしてジカルボン酸(C2-C9
diacid)、バイオマス燃焼トレーサーとしてレボグルコサンを対象にした。これらは溶媒抽出
後、シリル化し GC/MS により測定した 1)。シュウ酸(C2 diacid)は、超純水抽出しイオンクロ
マトグラフにより分析した。
3.WSOC の季節変動
2007~2008年に実施した観測では、PM2.1濃度の平均値は23 μg/m3であった。各季節とも日
平均値の環境基準(35μg/m3)を超過した日があった。
WSOCは先述したようにSOAを反映する成分であるとともに、エアロゾルの吸湿特性に影
響を与えるため雲凝結核形成に関わる成分としても重要である。図2にPM2.1中の炭素成分
(OC、EC)およびWSOC濃度を示す。冬季はECとOC、WSOCの変動は比較的一致しているの
に対し、夏季はECの変動に比べてOC、WSOCは大きく変動しており、高濃度Oxが発生した
日にOC、WSOCが増加する傾向が見られた。この濃度増加は二次生成が要因と考えられる。
OCに対するWSOCの割合(WSOC/OC比)は、冬季(0.46)よりも夏(0.82)の方が高い値となっ
ていた。WSOC/OC比の季節変動は、我々が2005年に行った通年観測でも夏に高く冬に低く
なることが分かっている2)。また関東地域の自治体で実施している関東浮遊粒子状物質合同
10
8
6
4
2
えられ、これは関東内陸の特徴と言
える。
Spring 2007
図2
Summer 2008
PM2.1 中の OC,WSOC,EC 濃度
Dec 25
Dec 26
Dec 27
0
が進みWSOCの割合が高くなると考
Dec 17
Dec 18
Dec 19
Dec 20
Dec 21
れる過程で、有機物の光化学的酸化
EC
Aug 1
Aug 2-3
Aug 4
Aug 5
Aug 6
Aug 7
Aug 8
Aug 9-10
て関東沿岸から内陸へ気塊が輸送さ
WSOC
July 28
July 29
July 30
ていた。夏季では大規模海風によっ
OC
May 21
May 22
May 23
May 24
May 25
対し、内陸部では0.76と高い値となっ
12
May 14
May 15
May 16
May 17
May 18
WSOC/OC比は、関東沿岸部で0.63に
OC, WSOC , EC [μgC/m3]
調査 3)では、夏季におけるPM2.5中の
Winter 2007
1)
4 有機トレーサー成分(ジカルボン酸、レボグルコサン)の挙動
上記の結果から夏季の WSOC は SOA 生成が関係していると考えられるが、バイオマス燃
焼でも WSOC に相当する化合物が発生する。そこで WSOC の起源を明らかにするため、有
機トレーサーに着目した。
ジカルボン酸は、水溶性有機化合物のなかでも存在量の多い重要な成分であり、主とし
て光化学反応によって二次的に生成する成分である 4)。
前橋におけるジカルボン酸濃度は、夏や春に高く、WSOC や OC と同様の変動を示して
いた(図 3a)。ジカルボン酸の組成を見ると、いずれの季節もシュウ酸(C2 diacid)が最も高い
濃度で存在するが、夏季は冬季に比べて C2~C4 diacid の低級ジカルボン酸の比率が高くな
第 39 回酸性雨問題研究会シンポジウム
(a)
Diacid [μg/m3]
っていることが分かった。夏
季は光化学反応により有機物
の酸化が促進され、低級ジカ
1.0
0.6
0.4
0.2
ルボン酸が生成する 5)。Ox 平
Ox 濃度が高いほどジカルボン
Summer 2008
Dec 25
Dec 26
Dec 27
Dec 17
Dec 18
Dec 19
Dec 20
Dec 21
July 28
July 29
July 30
Spring 2007
Aug 1
Aug 2-3
Aug 4
Aug 5
Aug 6
Aug 7
Aug 8
Aug 9-10
と正相関となっており(図 4)、
May 21
May 22
May 23
May 24
May 25
May 14
May 15
May 16
May 17
May 18
0.0
均値とシュウ酸の関係を見る
Winter 2007
0.2
0.1
や稲藁などのバイオマスの燃
Spring 2007
Summer 2008
Dec 25
Dec 26
Dec 27
Dec 17
Dec 18
Dec 19
Dec 20
Dec 21
0.0
Aug 1
Aug 2-3
Aug 4
Aug 5
Aug 6
Aug 7
Aug 8
Aug 9-10
分解によって生成する。木材
0.3
July 28
July 29
July 30
有機化合物でセルロースの熱
0.4
May 21
May 22
May 23
May 24
May 25
レボグルコサンは、水溶性
0.5
May 14
May 15
May 16
May 17
May 18
Levoglucosan [μg/m 3 ]
(b)
酸が増加することが分かった。
焼粒子中に高い含有率で存在
Oxalic(C2)
Total (C2-C9)
0.8
Winter 2007
図 3 PM2.1 中のジカルボン酸(a)およびレボグルコサン(b)濃度 1)
することからバイオマス燃焼
1.0
r = 0.83
p < 0.001
6)
の有機トレーサーとして用いられる 。前橋におけるレ
0.8
Oxalic acid [μg/m 3]
ボグルコサン濃度は、春夏は低濃度で推移していたが、
3
冬は 400 ng/m を超える高い濃度が観測された(図 3b)。
2008 年冬季でも同程度の高濃度が観測された。これら
の結果は、冬にバイオマス燃焼由来の粒子が増加するこ
図 5 にシュウ酸およびレボグルコサンと WSOC の関
係を示す。シュウ酸と WSOC は季節毎に強い相関関係
係も同様であった。
これらのことから、春夏季の WSOC
0.02
0.04
0.06
Oxidants [ppm]
0.08
0.10
図 4 光化学オキシダントとシュウ
酸の関係
(a)
1.0
r = 0.89
p < 0.001
0.8
Oxalic acid [μg/m 3 ]
冬季のみ強い相関関係となっていた(図 5b)。OC との関
0.2
0.00
となっており(図 5a)、春夏の方が回帰直線の傾きは大
きかった。一方、レボグルコサンと WSOC の関係は、
0.4
0.0
とを示唆している。前橋周辺では農地で野焼きが行われ
るため、それが原因の一つとして考えられる。
0.6
は主に SOA 由来であるが、冬季の OC および WSOC
r = 0.80
p < 0.005
Spring
Summer
Winter
0.6
0.4
r = 0.95
p < 0.001
0.2
0.0
はバイオマス燃焼の影響を受けていると考えられた。
0
2
4
6
8
10
WSOC [μgC/m 3 ]
5.有機粒子の発生源寄与の推定
(b)
0.6
r = 0.93
p < 0.001
OC、EC、レボグルコサンの観測データをもとに、
OC の発生源をバイオマス燃焼・自動車・二次生成の 3
種類と仮定し、有機トレーサー法および EC-トレーサ
ー法を組み合わせて、それぞれの発生源寄与率を求め
た 1)。前橋では農地での野焼きが想定されることから、
Levoglucosan [μg/m 3 ]
0.5
0.4
Spring
Summer
Winter
0.3
0.2
0.1
0.0
0
2
4
6
8
10
WSOC [μgC/m 3 ]
図 5 WSOC とシュウ酸(a)、レボグルコ
サン(b)の関係 1)
第 39 回酸性雨問題研究会シンポジウム
藁燃焼の発生源プロファイル 7)を採用し、この組成比とレボグルコサン実測値から、バイオ
マス燃焼由来の OC および EC (OCbio、ECbio)を得た(有機トレーサー法)。さらに OC-OCbio、
EC-ECbio によって得られる非バイオマス燃焼由来成分に対して EC-トレーサー法を適用し、
二次生成 OC (OCsec)を推定した。
図 6 に発生源別 OC 推定濃度を示す。春夏は OCsec が優勢であるのに対し、冬季は OC 高
濃度日において OCbio の寄与が顕著に増加していた。OC に対する二次生成の平均寄与率は
春、夏、冬でそれぞれ 60、75、36%であり、バイオマス燃焼の平均寄与率は冬季で 47%と
推定された。本手法で得られた寄与率は、採用する発生源プロファイルに強く依存する値
であるが、ここで得られた OCsec と総ジカルボン酸濃度実測値を比較すると、有意な正の相
関関係(r = 0.79, p < 0.001)が得られたため、
る SOA は PM2.1 の約 30%、冬季におけるバ
イオマス燃焼由来 POA は PM2.1 の約 20%
となった。夏季は二次生成、冬季はバイオ
マス燃焼が有機エアロゾルの重要な発生
源であることが分かった。
6
4
2
0
Spring 2007
Summer 2008
図 6 PM2.1 中の OC 発生源寄与率
Dec 17
Dec 18
Dec 19
Dec 20
Dec 21
Dec 25
Dec 26
Dec 27
とすると、夏季におけ
8
Secondary
Biomass burning
Vehicle
July 28
July 29
July 30
Aug 1
Aug 2-3
Aug 4
Aug 5
Aug 6
Aug 7
Aug 8
Aug 9-10
量は OC の 1.6 倍
8)
10
May 14
May 15
May 16
May 17
May 18
May 21
May 22
May 23
May 24
May 25
さらに図 6 の結果から、有機エアロゾル
OC concentration [μgC/m3]
12
概ね妥当な結果と考えられた。
Winter 2007
1)
6.まとめ
以上の観測結果から、前橋における有機エアロゾルの発生源は、春夏季では二次生成の
寄与が大きく、冬季ではバイオマス燃焼も考慮すべき発生源であることが明らかとなった。
なお、最近の研究でレボグルコサンは光化学活性が高い環境下で分解する可能性が指摘さ
れている。野焼きが行われている状況を見る限りでは、バイオマス燃焼は冬特有の発生源
であると推察されるが、レボグルコサンが分解している場合、バイオマス燃焼寄与を過小
評価している可能性がある。本研究では発生源を限定して OC の発生源寄与解析を行ったが、
様々な有機トレーサー成分を調査すれば、より詳細な発生源寄与評価が可能となり、有機
エアロゾルの理解も進展すると期待される。有機トレーサーの調査と同時に発生源寄与評
価には有機成分を対象にした発生源プロファイルの整備も重要である。
参考文献
1) Kumagai, K., et al., Aerosol Air Qual. Res., 10, 282–291 (2010).
2) Kumagai, K., et al., Atmos. Environ., 43, 3345–3351 (2009).
3) 関東地方大気環境対策推進連絡会. 平成 22 年度浮遊粒子状物質合同調査報告書, p.57 (2012).
4) Kawamura, K., Ikushima, K., Environ. Sci. Technol., 27, 2227-2235 (1993).
5) Kawamura, K., et al., Atmos. Environ., 30, 1709–1722 (1996).
6) Simoneit., B.R.T., et al., Atmos. Environ., 33, 173–182 (1999).
7) Zhang, Y., et al., J. Environ. Sci., 19, 167-175 (2007).
8) Turpin, B.J., et al., Aerosol Sci. Technol., 35, 602–610 (2001).