FT-IRによる銅表面酸化第一銅(Cu 2O)の定量解析 - 神戸製鋼所

■薄膜技術特集
FEATURE : Advanced Thin Film Technologies
(論文)
FT-IRによる銅表面酸化第一銅(Cu2O)
の定量解析
Quantitative Analysis of Cuprous Oxide (Cu2O) Films on Copper Surfaces
using Fourier Transform Infrared Spectroscopy
大脇武史(Ph. D.)
Dr. Takeshi Ohwaki
In order to quantify the cuprous oxide on copper, spectral simulation was performed in the infrared region.
Fourier transform infrared spectroscopy (FT-IR) was used to monitor changes in the copper surface over
time, and the oxide thickness was quantified. It was observed that a cuprous oxide film about 0.4 nm thick
formed on the surface of freshly cleaned copper when exposed to ambient air for 2 hours, and that the new
film thickness increased logarithmically with time.
まえがき=近年,素材の高機能化・高品質化への要求は
CuO の吸収位置が大きく異なることから,両者の判別は
強さを増し,表面機能を高めた製品の重要度が高まりつ
容易である9)。IR スペクトルの定量解析を行うにはキャ
つある。表面構造の制御が重要視される製品の開発には,
リブレーションカーブが必要となるが,
Cu2O の光学定数
表面の分析・解析技術は不可欠な要素であり,製品物性
が既知であれば,理論計算によってキャリブレーション
の高度化とともに解析技術の向上が要求されている1)。
カーブを作成することができる10),11)。また,FT-IR は非
前稿
2)
では,各種アルミニウムの自然酸化皮膜の解析
破壊であり,真空下で測定する必要もないため迅速性に
にフーリエ変換式赤外分光法(Fourier Transform Infrared
も優れている。反面,両酸化物の吸収位置は遠赤外領域
Spectroscopy:以下 FT-IR)を適用した結果について報告
に近く測定感度が低いため,銅表面自然酸化皮膜の IR 測
した。本稿では,銅の自然酸化皮膜,特に銅表面の酸化
定はデータの獲得自体が困難であり,IR による過去の研
第一銅(Cu2O)についての検討結果を報告する。
究例は加熱や湿潤環境下で酸化皮膜厚みを意図的に成長
銅表面の酸化皮膜に関する研究は古く,重量法や電気
させた場合に限られている 9),12),13)。しかしながら,現在
化 学 的 手 法,電 子 線 回 折 や X 線 光 電 子 分 光 法(X-ray
の主流である FT-IR を使用し,測定条件を最適化すれば,
Photoelectron Spectroscopy:以下 XPS),そのほか様々
自然酸化皮膜に関しても十分な情報が得られるものと期
な方法が適用されてきた。その結果,銅表面の酸化皮膜
待できる。本稿では,銅表面に存在する Cu2O の定量解
を除去して空気中に放置した場合,その表面には主とし
析を目的とし,FT-IR を適用した結果について報告する。
て Cu2O が生成し,時間とともに皮膜厚みが増加するこ
とが知られている3)∼8)。
1.実験方法
さて,前述の方法には一長一短があるが,銅表面にオ
1.
1 供試材
ングストロームオーダの Cu2O 皮膜が存在した場合,そ
純度 99.9%の銅シート(フルウチ化学株式会社製)を
の定量解析を行うことは困難である。例えば,XPS-Cu2p
実験に供した。試料を 15 % H2SO4 に 5 分間浸漬した後,
スペクトルでは,Cu と Cu2O の結合エネルギがほぼ等し
純水リンス及びアセトン洗浄を施し,表面酸化皮膜の除
いため,Cu2O の存在確認自体が困難である6)。オージェ
去を行った。酸化皮膜除去後のサンプルは空気中に所定
シグナルである CuLMM スペクトルでは,Cu2O は Cu と分
時間放置し酸化皮膜を生成させた。
離して観測されるため,自然酸化皮膜中の Cu2O の存在
1.
2 FT-IR 測定
有無確認には有効である。しかしながら,オージェシグ
FT-IR 測定には,Nicolet 製 Magna-750 spectrometer を
ナルは,散乱光電子と 2 次電子が混在しており異方性を
用いた。外部反射測定用アタッチメントを使用し,入射
持つことから CuLMM スペクトルから Cu2O の定量解析を
角 75 度で測定した。ワイヤグリッドタイプの偏光子を使
行うことは困難である7),8)。前述のその他の方法を用い
用し,平行偏光のみをモニタした。バックグラウンドス
ても,銅表面の自然酸化皮膜中から Cu2O のみの情報を
ペクトルの採取には金蒸着ミラーを用いた。16 cm−1 の
取出し,十分な精度で定量化することは困難である。
分解能で 5 000 回の積算を行った。
他方,銅表面酸化皮膜の IR スペクトルでは,Cu2O と
技術開発本部・化学環境研究所
神戸製鋼技報/Vol. 52 No. 2(Sep. 2002)
71
2.Cu2O が銅表面に存在する場合の理論計算結果
「空気/ Cu2O /銅」配置を想定して理論計算を行っ
た。計算式として,3 層系のフレネルの式を用いた10),11)。
スペクトルの計算には,Cu2O と銅の光学定数を用い
14), 15)
スペクトルの測定条件(偏光状態・入射角)によって変
化するため,上式は本研究における設定(平行偏光・75
度入射)での適用に限定される。
3.銅表面酸化皮膜の経時変化と Cu2O の定量化
。空気の屈折率は 1 とした。図 1 に,Cu2O と銅
硫酸を用いて表面酸化皮膜の除去を行った後,所定時
の光学定数,及び,Cu2O の横光学モード(transverse
間空気中に放置し,FT-IR を用いて銅表面の経時変化を
optical mode:以下 TO モード)と縦光学モード
(longitudinal
追跡した。測定結果を図 4 に示す。図中に示した時間は,
optical mode:以下 LO モード)を示す。図 1(c)での
酸化膜を除去してから空気中に放置した時間を示してお
た
−1
TO モード及び LO モードのピーク位置は各々 609cm ,
り,サンプルコンパートメント内での窒素パージ時間は
641cm−1 であり,実測値 9) と良好に一致している。
含んでいない。放置時間が 0 分のスペクトルでは Cu2O
キャリブレーションカーブの作成を目的に,
Cu2O の膜
の吸収は観測されなかった。120 分経過後のスペクトル
厚を変化させて理論計算を繰返し,各々の膜厚でのスペ
では明瞭に Cu2O の吸収が観測され,放置時間の増加と
クトルを作成した。図 2 に,銅表面に存在する Cu2O の
ともに吸収強度が増加した。なお,図 4 では CuO のピー
膜厚が 0 ∼ 10 nm の間で変化した場合の計算結果を示
クは観測されていないが,CuO 存在有無の判定は困難で
す。基板として銅が存在するため LO モードのみが吸収
ある。CuO の LO モードは 560 cm −1 付近にピークを持
ピークとして現われ,膜厚が 0 ∼ 10 nm の範囲ではスペ
つが,その吸光係数は Cu2O よりも小さく,また,ピー
クトルの形状やピーク位置に変化は見られずピーク強度
ク形状もよりブロードであり,かつ,吸収位置が低感度
のみが変化した。この場合のキャリブレーションカーブ
(図 3)は,
0.050
Cu2O の膜厚(nm)= 691 ×ピーク高さ……………(1)
75
Deg.
で表される。なお,キャリブレーションカーブは FT-IR
10 nm
IR beam
9 nm
8 nm
0.045
80
k
60
60
40
40
n
20
0
0
6
6
(b) Cu2O
2
1
1
k
0
0
LO function
600
400
640
620
600
580
0.014
0.013
0.012
0.011
15 000
LO
660
0.015
TO
(c) Cu2O
680
空気/ Cu2O /銅配置を想定した場合の理論計算結果(平行
偏光・入射角 75 度)
Fig. 2 Calculated FT-IR spectra assuming air/Cu2O/Cu configuration
(P-polarization, 75 deg.)
20 000
800
1 nm
図2
−1
−1
3 nm
Wavenumbers (cm )
3
2
4 nm
-1
4
n
5 nm
0.040
2 nm
10 000
200
5 000
0
0
FT-IR peak height
3
6 nm
Cu
0.030
700
5
4
7 nm
Cu2O
0.035
TO function
5
Refractive index, n
20
Absorbance, Ap
(a) Cu
Absorption coefficient, k
Refractive index, n
80
100
Absorption coefficient, k
100
0.010
0.009
0.008
0.007
0.006
0.005
0.004
0.003
−200
750
700
650
600
550
−5 000
500
0.002
0.001
Wavenumbers (cm-1)
図 1 (a)Cu の光学定数,(b)Cu2O の光学定数,
(c)Cu2O の TO 関数と LO 関数
Fig. 1 (a)Optical constants of Cu, (b)Optical constants of Cu2O,
(c)TO and LO functions of Cu2O
72
0.000
0
1
2
3
4
5
6
7
Cu2O thickness (nm)
8
9
10
図 3 キャリブレーションカーブ(平行偏光・入射角 75 度)
Fig. 3 Calibration curve (P-polarization, 75 deg.)
KOBE STEEL ENGINEERING REPORTS/Vol. 52 No. 2(Sep. 2002)
0.0014
0.9
Cu2O
10 210 min
0.8
1 650 min
0.0010
Absorbance, Ap
1 650 min
240 min
Absorbance, Ap
10 210 min
120 min
240 min
0.7
120 min
0.6
0.0008
0.5
0.0006
0.4
0.3
0.0004
Cu2O thickness (nm)
0.0012
Cu2O
0.2
0.002
0.0002
0 min
900
800
700
600
0.1
0.0
0.0000
500
400
900
800
700
600
500
400
Wavenumbers (cm-1)
-1
Wavenumbers (cm )
図 4 銅表面自然酸化皮膜の FT-IR スペクトルと経時変化
Fig. 4 FT-IR spectra of copper native oxides showing the
changes with the passage of time
図 5 差スペクトルの結果
Fig. 5 Results of spectral subtractions
0.8
側に位置するためである 9)。
さて,放置時間が 0 分のスペクトルにおいて Cu2O の
0.7
と 0 分のスペクトルとの引算を行い,差スペクトルを作
成した。結果を図 5 に示す。縦軸の主軸に吸光度を,第
2 軸に膜厚を示した。
図 5 では,
良好とは言えないまでも,
十分な S/N が得られている。
図 5 から得られる各放置時間と膜厚の関係を図 6 に示
Thickness (nm)
吸収が観測されなかったため,各放置時間のスペクトル
0.6
0.5
す。得られた膜厚はプローブ領域(長軸が 20 mm,短軸
0.4
が 5 mm の楕円)内の平均値である。放置時間の増加に
伴ない Cu2O の膜厚は対数関数的に増加した。なお,酸
0.3
103
化皮膜を除去し数日間放置した銅の表面には Cu2O に加
え CuO が生成していると考えられるが
7)
,8)
,前述の理由
により FT-IR を用いてオングストロームオーダの CuO を
解析することは困難である。Cu2O と CuO の同時解析に
104
105
106
Exposure time (s)
図 6 Cu2O 皮膜厚の時間変化
Fig. 6 Cu2O thickness as a function of air exposure time
は FT-IR と XPS などを相補的に使用する必要がある。
以上の結果から,FT-IR が銅表面自然酸化皮膜の解析
に十分な感度を持ち,かつ,FT-IR によって Cu2O の定量
化が可能であると結論できる。
むすび= 銅表面に存在する酸化第一銅(Cu2O)の定量
解析を目的として,赤外領域での理論計算を行いキャリ
ブレーションカーブを作成した。FT-IR を用いて銅表面
酸化皮膜の経時変化を追跡した。定量解析の結果,酸化
皮膜除去後空気中に 2 時間放置した銅表面には約 0.4 nm
3)
4)
5)
6)
7)
8)
9)
10)
11)
厚の Cu2O が生成していた。皮膜厚は放置時間の増加に
伴ない対数関数的に増加した。
今後は,本研究で得られた知見を活かし,表面酸化皮
膜がより精密に制御された各種表面関連製品の開発を目
指していく。
参 考 文 献
1 ) 中山武典ほか:R&D 神戸製鋼技報 , Vol.50, No.2(2000), p.2.
2 ) 大脇武史:R&D 神戸製鋼技報 , Vol.50, No.2 (2000), p.70.
12)
13)
14)
15)
T. N. Rhodin:J. Am. Chem. Soc., Vol.72 (1950)
, p.5102.
J. A. Allen:Trans. Faraday Soc., Vol.43 (1952)
, p.273.
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