人 権 感 覚 を 磨 く人権感覚を磨く - 藤岡市役所

思いやりとやさしさに満ちた ふじおか
人権感覚を磨く
その
中世墓に副葬された銅鏡
ることでしょう。しかしいわれ
つです。しかし約1、000年前
現在、私たちが毎日のように
使う鏡は、姿を映す日用品の一
絵が描かれ、思想は視覚化され
神々が、悪神を懲らしめる辟邪
もっともであると思えるこの
力強い文章にも、難があること
なって健康のありがたさを知る
深 刻 に 受 け 止 め ま す。 病 気 に
に作られました。当時は姿見と
よって梵鐘や鍋釜、仏具ととも
銅鏡は中世に入ると、鋳物師
と呼ばれる専門の職人集団に
想が急速に広まる中で、死者を
副葬された背景には、辟邪の思
たと考えられます。鏡が手厚く
▲矢場田中遺跡 E 区の
土葬墓から出土した銅鏡
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藤岡市役所 ☎22-1211 鬼石総合支所 ☎52-3111
度読み返してみてください。ど
うでしょうか。
目が不自由だからものの道理
が分からないとうことは決して
ありません。作者もそんなつも
のない偏見や差別を含み、視力
て人々に浸透していきます。悪
現在でも鍾馗は端午の節句のの
の平安時代から中世には、鏡はあ
ざまな役割が与えられていまし
ぼりなどに描かれています。
に障害がある人を不快にさせる
た。その当時製作された銅製の
平成 年に矢場地区から出土
した平安時代末期から中世初頭
物事の奥行きや本質を見極め
るには、一つの見方だけではと
鏡は、これまでに市内で発掘調
の墓には、カワラケと呼ばれる
次の文章は昨年度の人権啓発
指導者養成講座で使用したもの
査された遺跡から4枚出土して
素焼きのわんや鉄製品とともに
相手の立場で考える
います。これらはとても大切に
神 か ら 子 ど も を 守 る 意 味 か ら、
が大事なのであると述べていま
よほど意識しないと、気付か
ない偏見や差別は、世の中にた
埋められていました。この鏡か
八 稜 鏡と呼ばれる銅鏡がありま
りふれた日用品ではなく、さま
す。とても分かりやすく、説得力
くさんあるはずです。差別する
ら当時の人々の思いを考えてみ
した。八稜鏡は布に包まれ、さら
文章であるかもしれません。
﹁人間は目を二つ持っている。
こ の た め に 遠 近 の 判 断 が つ き、
二つの異なる視点から見ること
景色を見ても、奥行きがわかる
のある文章で す ね 。
側は無意識や軽い気持ちで言葉
ましょう。
に気付きませんか。それは人間
ように、人には鈍感な一面があ
さまざまな境遇の人の視点
のである。片方だけの目で見て
も、 あ る 程 度 は わ か る も の の、
たとえば針に糸を通したりする
ときなど、なかなか難しいもので
この事実はなかなか象徴的で、
ものごとの﹁奥行き﹂を知るた
の目を例に挙げたことです。世
に木製の入れ物に納められてい
めには、二つの異なる視点をもつ
の温かい心が込められていたこ
悪霊から守ろうとする、送る側
とでしょう。
しての実用的な使用だけでなく、
いました。悪いものを寄せ付け
ります。偏見や差別を受ける本
いと分からないかもしれません。
ない﹁辟邪﹂の意味合いで、お経
当のつらさは、実際に経験しな
しかし相手の立場に立って考え
と 一 緒 に 経 塚 に 納 め ら れ た り、
の中にはさまざまな境遇の人が
ることはできます。他人の人権
墓の副葬品として遺体の脇に埋
います。そこで﹁障害のある人の
に対する配慮は、社会生活を送
められたりしました。辟邪の思
ことが必要だと言えそうである。
こ の 文 章 の ど こ を 捜 し て も、
差別用語といわれる言葉は使わ
る上で重要なことでしょう。一
想は古墳時代には中国の道教や
ひとつの見方だけだと、平板な
れていません。しかし読み方に
人一人の人権が尊重される社会
仏教とともに日本に伝えられて
まじないの用具として使われて
よっては、目が不自由な人は物
を目指し、各人に人権感覚を磨
いました。平安時代以降、鍾馗や
人権﹂という第三の視点から、見
事の奥行きや本質が分からない
くことが求められているのです。
見方になってしまって、立体像
る。﹂
のだ、とも読めませんか。もう一
直してみまし ょ う 。
される側は、敏感に反応し、より
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が浮かびあがってこないのであ
ある。
を発します。これに対して差別
らえられないことがある。その
牛 頭 天 王、 毘 沙 門 天 と い っ た
問い合わせ
で河合隼雄さんの﹁こころの処
りで書いたのではないと主張す
文化財保護課
(☎内線2244)
ため物事は二つの目で、つまり
6888︶
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方箋﹂からの抜粋です。
問い合わせ
生涯学習課︵☎☎
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