日本カメラの品質向上と輸出検査 - 日本大学経済学部

日本カメラの品質向上と輸出検査
竹内
ῌ
῍
はじめに
日本カメラはῌ 戦後初期の ΐ安かろうῌ 悪かろ
῍1῎
う῔ῌ ΐ模倣῔ から脱却しῌ 高品質製品としてのブ
淳一郎
海外展開
戦後のカメラ輸出と販売網の構築
カメラ輸出 ῌ
戦前はカメラの海外への輸出は
ランドを確立した῍ 日本カメラの輸出はῌ 年代順
ほとんどなかった῍ 戦後は ΐ見返り物資῔ の一つ
にῌ駐留軍と日本政府の輸出促進ῌ ῍ドイツカメ
とされῌ これが復興への糸口となった῍ 貿易立国
ラの模倣と低価格競争ῌ ῎販路の拡大ῌ アフタ῏
の典型4ῒとしてῌ GHQ5ῒ による輸出促進令 ῑ1948
サ῏ビスを重視した海外販売網の構築ῌ ῏35 ミ
年 9 月ῒ をはじめとする占領軍と日本政府の輸出
リ一眼レフカメラ ῑ以下ῌ 一眼レフと呼ぶῒ など
促進策によってῌ カメラ産業は順調に回復した῍
独自技術による製品開発と生産合理化῎品質向
戦後初期のカメラ輸出はῌ 占領軍向けや見返り物
上ῌ ῐ電子技術などによる高品質製品の開発など
資用の特需が主力であって一過性のもであった῍
に力が注がれた῍
実質的な輸出はῌ 1956 年頃の米国向からである῍
本稿ではῌ 戦後初期から 1980 年代にかけてῌ
もともと日本のカメラメ῏カ῏はῌ 戦前からドイ
日本カメラの品質がいかに向上していったかにつ
ツを目標に立派なカメラを造ることを目指してい
いてῌ 輸出検査デ῏タ1ῒ と米国の有名な CU テス
た῍ 戦後ῌ カメラは日本の低賃金の利点を活かし
ト の結果を基に検証する῍ まずῌ 海外展開 ῑ第ῑ
てῌ 米国で西ドイツ製カメラ ῑ以下ῌ ドイツカメ
節ῒῌ カメラの輸出検査 と米国での評価 ῑ第ῒ
ラと呼ぶῒ の半値に近い値で売られῌ しかも品質
節ῒ について述べる῍ 最後の第ΐ節ではῌ 本稿の
は悪くないことからῌ 急速に売上を伸ばしていっ
主な結論を要約する῍
た῍ とくにライフ誌カメラマン D῎D ダンカンな
2ῒ
3ῒ
悪品の輸出防止が目的でありῌ 次第に国の指定検査機関
1ῒ
カメラはῌ 1954 年に指定検査機関として ῑ財ῒ 日本写
真機検査協会が設立されῌ 輸出検査がおこなわれた῍
が合格認定表示を与えたもの以外の輸出はできない仕組
みであった῍ 輸出検査制度は法目的が概ね達成されたと
JCII ῑJapan Camera Inspection Institute ῑ以下ῌ JCII
して輸出検査法 ῑ1957ῐ97 年ῒῌ 蚕糸業法 ῑ1945ῐ98
と呼ぶῒ と呼ばれていたῒ῍ JCII から輸出検査実績表とし
年ῒῌ 真珠養殖事業法 ῑ1952ῐ98 年ῒ が廃止されῌ 103
て受検会社に配布されていた῍
年 に わ た る 輸 出 検 査 の 歴 史 は 終 わ っ た῍ 竹 内 淳 一 郎
CU : Consumer Union of United States Inc., の略称῍
ῑ2001ῒ 90ῐ91 ペ῏ジによる῍ これら法律の廃止に伴い
1936 年創刊の月刊 ΐConsumer Reports῔ を発行してい
行政ῌ 検査協会ῌ 企業での検査記録類がῌ 廃棄されたり
2ῒ
る῍ 同誌は毎号 10 ぐらいの商品テスト結果をῌ 詳しい商
埋没したりする危険にさらされている῍ しかもῌ 日本独
品解説記事と一緒に載せている῍ 記事の公正さを保つ意
自といえる輸出検査制度に関する文献も少ない῍
味で広告を一切載せていない῍
3ῒ
生糸検査 ῑ1895 年ῒ から始まった輸出検査制度でῌ 粗
῕ῌ῎῍῕
4ῒ
産業学会 ῑ1995 年ῒῌ 460 ペ῏ジによる῍
5ῒ
general headquarters ῑ連合軍総司令部ῒ の略称῍
経済科学研究所
図 1.
1000
第 33 号 ΐ2003῔
紀要
日本カメラの地域別出荷額 ΐ1951ῒ2000 年῔
10 億円
輸出額 ΐ1964῔ῌ 輸出台数 ΐ1967῔
ドイツを除く
100
出
荷
額
10
1
1950
60
70
80
90
00
出所 ῐ 写真機工業会 ΐJCIA῔ 統計より作成῎
どが῍ 朝鮮戦争 ΐ1950ῒ53 年῔ の報道に使ったド
があり῍ 経営不振7῔῍ カメラ部門からの撤退8῔῍ 倒
イツカメラの交換レンズに῍ ニッコῑルレンズを
産9῔などがあいついだ῎ また῍ 米国でのカメラ需
使用するなど῍ 日本カメラや交換レンズの優秀性
要の拡大は῍ 最大手のイῑストマン῏コダック社
を評価した῎ また米国で日本カメラを扱うディス
が低価格カメラのため競合はせず῍ かえってドル
トリビュῑタῑはユダヤ人が多かったことから῍
箱のフイルムや DPE 需要の増加となった῎ しか
ドイツカメラより日本カメラに力を入れてくれた
し῍ ベル῏アンド῏ハウエル社10῔ など競合メῑ
ことも見逃せない῎
カῑから模倣と安値輸出の抗議があり῍ 1958 年
6῔
1954 年に独῏ライツ社からライカ M3 が発
から模倣防止と安値防止の規制が行われたが῍ こ
表 さ れ῍ そ の 優 秀 性 に 35 ミ リ 距 離 計 連 動 式
の点については後述する῎
フォῑカルプレῑンシャッタῑカメラ ΐ以下῍ 距
海外販売網の構築 ῌ
1960 年頃までは῍ 欧米
離計式 FP カメラと呼ぶ῔ での大きな遅れと῍ そ
では現地ディῑラῑ依存の輸出が主流であった῎
の限界も悟った῎ その後῍ 日本メῑカῑは῍ 35 ミ
1955 年頃から駐在員事務所や現地法人など海外
リ一眼レフカメラ ΐ以下῍ 一眼レフと呼ぶ῔ や 35
販売拠点の設置が進められた῎ 1960 年代には欧
ミ リ レ ン ズ シ ャ ッ タ ῑ カ メ ラ ΐ以 下῍ レ ン ズ
州῍ 1970 年代に北米῏アジアに直接販売体制11῔
シャッタῑカメラと呼ぶ῔ の開発に移行していっ
を構築されていった῎ カメラの輸出比率は῍ きわ
た῎ そして῍ 日本カメラがドイツカメラを上回っ
めて高い ΐ図 2. 参照῔῎
たのは῍ 生産では数量῏金額とも 1962 年に῍ 輸
出では金額が 1964 年῍ 数量が 1967 年である῎
7῔
1965 年に独フォクトレンデル社῍ 独ツアイス῏イコン
社と合併῎ 1974 年にライツ社はスイス῏ヴィルト社に株
1967 年は日本の輸出比率が台数で 56῏7̮῍ 金額
式 25% 譲渡など῎
8῔ ツアイス῏イコン社 ΐ1971 年῔ や独῍ ベルギῑ合弁の
53῏9̮であった ΐ図 1῎ 参照῔῎
アグファ῏ゲバルト社 ΐ1983 年῔ など῎
1965 年以降のドイツメῑカῑは῍ 日本カメラ
の進出῍ 度重なるマルク切り上げ῍ 賃金上昇など
9῔
ロῑライ῏ベルケ῏フランケ῏ウント῏ハイデッケ社
倒産 ΐ1981 年῔ など῎
10῔
当時῍ 8 ミリ撮影機῍ 8 ミリ映写機を主力で῍ 35 ミリ
カメラも生産῏販売していた῎
6῔
11῔
いまも最高傑作といわれている῎
῕ῌ῎῍῕
欧州での第 1 号は῍ ヤシカが 1961 年 8 月に西独῏ハ
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῒ竹内ΐ
工業会会員の輸出比率 ῒ1956̮2000 年ΐ
図 2.
100̮
90̮
89̮
80̮ ῒ1986ΐ
80̮
80̮
70̮ ῒ1977ΐ
70̮
輸 60̮
出 50̮
比
率 40̮
ῌ
41̮ ῒ1954ΐ
50̮ ῒ1970ΐ
30̮
20̮
10̮
30̮ ῒ1964ΐ
21̮ ῒ1954ΐ
0̮
1950
60
70
80
90
00
出所 ῏ 写真機工業会統計より作成῍
この海外販売拠点を通じてῌ 製品本体の保守῎
の導入13ΐや製品の品質向上の努力ῌ 輸出検査の実
修理やῌ 交換レンズなど周辺商品を供給するアフ
施もありῌ 全数検査から抜取検査ῌ 官能検査から
タῐサῐビス体制が整備された῍ 海外販売拠点の
計測検査が導入された῍ このようにしてῌ 品質は
設置はῌ 家電や自動車に比べても早くから行われ
῔検査῕ でから ῔工程でつくり込む῕ という思想
ていたといえる ῒ付表 1. 参照ΐ῍
がῌ 協力工場まで定着していった῍
生産方式の合理化 ῍
῎2῏
量産方式の確立と品質ῌ性能の向上
QC 体質の構築 ῍
1950 代後半からῌ カメ
ラはスプリングカメラῌ 6̮6 判二眼レフカメラ
大手メῐカῐはῌ 戦前῎戦
ῒ以下ῌ 二眼レフと呼ぶΐῌ 距離式 FP カメラから
中の軍需品生産により培った品質第一主義の体質
レンズシャッタῐカメラや一眼レフへとカメラ需
もあった῍ 1950 年頃からῌ W῎E῎デミング博士
要が移行ῌ 増大していった῍ 1955 年頃から大手
ῒ1950 年ΐῌ J῎M῎ジュラン博士 ῒ1954 年ΐ の来
メῐカῐはῌ カメラボディやレンズの鏡胴部品に
日セミナῌ受講などῌ カメラ各社が参加し QC へ
自動旋盤などの精密工作機械や量産用にレンズ加
の関心を高めた῍ またῌ 朝鮮戦争 ῒ1950ῑ53 年ΐ
工機をドイツῌ スイスから導入や日本の工作機械
など米極東空軍の修理受注や米国との OEM 受注
メῐカῐの協力により自動化を推進した῍ カメラ
はῌ 検査規格としてアメリカ軍用規格 ῒMIL ΐ
ボディ部品やレンズ部品に自動機ῌ 専用機ῌ トラ
を強制した῍ 1957 年頃から品質管理 ῒQC 活動ΐ
ンスファῐマシンなど量産向け工作機の導入と並
12ΐ
んでῌ 機械切削に代わるプレスῌ ダイカストῌ プ
ラスティック成形品などの大幅な採用はῌ 生産能
ンブルグに現地法人ヤシカ῎ヨῐロッパを設立した῍ 北
米ではῌ ミノルタが 1970 年に現地法人ミノルタコῐポ
レῐションにより直販体制に移行した῍
率の向上ῌ コストの低減ῌ 製品の軽量化ῌ 品質の
安定にも貢献した14ΐ῍ この高精度部品の大量安定
しかしῌ 従来の代理店との訴訟 ῒ契約条項ῌ ブランド
所有権などΐ やアフタῐサῐビスῌ 数百人にのぼるセῌ
13ΐ
日 本 規 格 協 会 ῒ1945 年 設 立ΐῌ 日 本 科 学 技 術 連 盟
ルスマンの確保による新しい販売網の確立῎整備ῌ 売上
ῒ1946 年 設 立ΐῌ 日 本 能 率 協 会 ῒ1949 年 設 立ΐ が お こ
代金回収のリスクの増大ῌ 広告῎宣伝の負担ῌ 価格政策
なった QC 指導はカメラの品質の向上に大きな貢献をし
などの困難な問題を克服して行かねばならなかったとい
た῍ たとえばῌ キャノンは 1957 年に日本科学技術連盟
う῍ 大平 ῒ1994 年ΐῌ 156 ペῐジによる῍
の 講 師 派 遣 に よ り QC 教 育 を 開 始ῌ CQ 導 入 を 図 っ た῍
12ΐ
“Military Standard” の 略 称῍ MIL - STD - 105 A
ῒ1950ΐ は代表作な計数検査用の抜取規格であった῍
キャノン ῒ1957 年ΐῌ 109ῌ 385ῑ386 ペῐジによる῍
14ΐ
̮ῌ῎῍̮
日本機械工業連合会 ῒ1982 年ΐῌ 195 ペῐジによる῍
経済科学研究所
第 33 号 ῑ2003ῒ
紀要
供給はῌ 組立ラインに未熟練の若い女性によるベ
定の開発ῌ コンピュタ῏によるレンズの自動設計
ルトコンベアの導入を可能とした῍ カメラやレン
プログラムなどの開発ῌ カラ῏フィルム普及によ
ズは熟練労働者による少量生産から若年未熟練労
る写真レンズの色調再現性の研究などを行った῍
働者による大量生産が可能となった῍ またῌ それ
この産学官の共同研究はῌ カメラ῎レンズメ῏
を可能にした作業の単純化ῌ 標準化ῌ 平準化など
カ῏の複雑なズ῏ムレンズなどの光学設計が非常
の努力も見逃せない῍ 1960 年代の日本カメラはῌ
に高い精度で迅速に行われるようになった῍ ま
模倣と低賃金の依存から大量生産方式を基盤とし
たῌ 参加した中小レンズメ῏カ῏はῌ レンズ加工
た高品質ῌ 安価な商品となった῍ なおῌ 技術導入
技術および測定技術の向上が図られた῍
はῌ 旭光学工業 ῑ現῎ペンタックスῒ が米῎OCLI
社からの多層膜コ῏ト以外ῌ 殆んどない῍
カメラの自動化ῌ電子化 ῍
なおῌ 通産省大阪工業技術試験所 ῑ現῎独立行
政法人産業技術総合研究所ῒ と光学ガラスメ῏
1960 年代前半か
カ῏ 5 社の共同研究 ῑ1951ῐ53 年ῒ などを契機
ῑ自動露出ῒ や電子シャッタ῏などの
にῌ ランタンῌ トリウムなど高屈折ῌ 低分散の新
採用はῌ 普及期のレンズシャッタ῏カメラが先行
種ガラスが開発されῌ その後のカメラ用レンズの
した῍ 1970 年代後半にはストロボ内蔵ῌ ῑAFῒ
16ῒ
品質向上に大きく寄与した18ῒ῍ さらにῌ 光学ガラ
ῑ自動焦点調節ῒῌ 自動巻上げなど自動化῎電子化
スはῌ 1960 年代の連続溶解方式導入により大量
が進んだ῍ 一方ῌ 技術集約的な一眼レフはῌ 1970
生産が可能となりῌ 一眼レフ用ペンタプリズムや
年代に AEῌ 電子シャッタ῏の導入ῌ マイクロコ
交換レンズのコスト低減や品質の向上に寄与し
ンピュタ῎LSI 搭載の AEῌ 1980 年代には AF 一
た῍
らの AE
15ῒ
眼レフが実現した῍ この電子技術導入による自動
化ῌ 電子化の進展はῌ カメラ品質の信頼性の向上
῎3῏
に貢献したといえる῍ この点についてはῌ 第 3 章
1950 年代後半までのカメラや交換レンズはῌ
で 詳 述 す る῍ ま たῌ 設 計 の 大 型 技 術 用 の コ ン
欧米では ΐ安かろうῌ 悪かろう῔ といわれていた῍
ピュ῏タ῏化はῌ 1965 年頃からレンズ設計に導
輸出振興のためῌ 品質の維持῎向上やドイツカメ
入されῌ レンズ性能や品質が向上した῍
ラなどの模倣からの脱却が重要な課題とされた῍
市場秩序の維持
1956 年 2 月にῌ 写
カメラや交換レンズは輸出品取締法 ῑ1948ῐ57
真機工業会会員会社によるカメラ工業技術研究組
年ῒῌ ついで改正強化された輸出検査法19ῒ ῑ1957
合 ῑ後の光学工業技術研究組合 1962ῐ81 年ῌ 以
ῐ89 年ῒ の指定を受けた῍ またῌ デザイン模倣防
下ῌ 研究組合と呼ぶ῍ῒ が設立された ῍ 研究組合
止のため輸出品デザイン法 ῑ1952ῐ89 年ῒῌ 輸出
はῌ レンズヤケ防止法ῌ レンズ高速研削および球
秩序維持のため輸出入取引法 ῑ1959ῐ89 年ῒ な
光学工業技術研究組合 ῍
17ῒ
面創成式研磨の実験機の開発ῌ 写真レンズ性能測
18ῒ
機械工業研究会 ῑ1969 年ῒῌ 991 ペ῏ジによる῍ 上記
5 社とはῌ 日本光学工業 ῑ現῎ニコンῒῌ 富士写真フイル
15ῒ
Auto Exposure の略称῍ 1960 年代までは EE ῑElec-
ムῌ 小原光学硝子製造所 ῑ現῎オハラῒῌ 千代田光学精工
ῑ現῎ミノルタῒῌ 小西六工業 ῑ現῎コニカῒ を指しῌ ΐ特
tronic Eyeῒ と呼んでいた῍
16ῒ
Auto Focus の略称῍
殊光学恒数を有する光学ガラスの工業化試験῔ で工業化
17ῒ
通産省から企業合理化促進法に基づく鉱工業技術試験
試験補助金を受けた῍ 現在ῌ 富士写真フイルムとコニカ
研究補助金 ῑ当初 205 万円ῒ を受けῌ 物理学会光学懇談
会および官公立試験所の協力を得て設立された῍ 生産技
術専門委員会で行ってきたカメラ工業技術に関する事業
はῌ 光学ガラスの製造を行っていない῍
19ῒ
中国北京でῌ 戦後初の日本商品見本市 ῑ1956 年 10
月ῒ で ΐ書けない万年筆῔ を売ったという事件が国際問
を工業会から分離独立した῍ 1960 年にῌ 鉱工業技術研究
題となりῌ 輸出検査制度の強化が叫ばれるようになった῍
組合法に基づき改組された῍ その後各社の研究レベルも
これを踏まえῌ 輸出検査法 ῑ1957 年ῒ が制定された῍ 輸
高まりῌ 共同研究のテῌマも少なくなったこともありῌ
出者の自主責任原則からῌ 一定水準以上の品質のもので
1981 年 1 月に解散した῍
なければ輸出できない強制検査へと強化された῍
῕ῌ῍῍῕
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῐ竹内ῑ
どに指定された῍ 一方ῌ カメラメ῏カ῏は政府の
1 日から 15 日間での会期でῌ 35῏000 人の入場者
輸出振興策を前向きにとらえῌ 新製品῎生産技術
があった῍ 日常業務としてはῌ 日本カメラの PRῌ
開発によるコストダウンῌ 品質向上ῌ 海外市場開
日本カメラ問合せの処理ῌ 故障カメラ修理などを
拓など自助努力により国際競争力をつけていっ
行った῍ さらに 1956 年 2 月に琉球日本カメラ事
た῍
務所を開設しῌ カメラ各社も修理要員の派遣協力
日本写真機工業会 ῍JCIA῎ῌ
戦後日本のカメ
によりῌ 米軍人が使っていた日本カメラや外国カ
ラメ῏カ῏の団体として 1946 年に発足した光学
メラの修理に応じた῍ その後 1960 年 11 月に米
精機工業会写真機部会 ῐ当初 17 社ῑ がありῌ 統計
国ドル防衛策により米軍 PX の日本カメラ買付停
の作成ῌ 官庁との連絡などにあたっていた῍ 1953
止命令が出たためῌ 1961 年 3 月末をもって閉鎖
年 4 月にカメラ業界の要望により写真工業振興
した῍
会 ῐ理事長ῌ 森山欽司 ῑ を結成することになっ
その後ῌ JCIA は 50 年近くわたりῌ 日本のカメ
た῍ この団体の事業はῌ 米軍向けカメラの納入問
ラ産業の発展とῌ 市場における写真文化の普及
題ῌ 物品税等の税制問題の解決ῌ 海外事業の講演
にῌ その中心的な役割を担ってきた῍ しかしῌ 近
会等の開催などであった῍ 1953 年末ころになる
年カメラ産業はῌ アナログからデジタルへῌ 国内
とῌ カメラの供給過剰になり値下げ競争が始まっ
生産から海外生産へと急速に変化した῍ その時代
20ῑ
た῍ 当時ῌ カメラメ῏カ῏は 100 社程度あった
的な役割を終了したとしてῌ JCIA はῌ 2000 年 6
がῌ そのうち約 30 社が倒産した῍ この事態を重
月 30 日に解散した῍ 翌 7 月 1 日にῌ 新たにカメ
視した多くのカメラメ῏カ῏はῌ カメラ産業の発
ラ映像機器工業会 ῐCIPAῑ25ῑ がῌ 新しい映像機器
展を図るためῌ 写真工業振興会の写真部会を独立
の産業の振興と新映像文化の発展の一翼を担うべ
させῌ 同 1954 年 4 月 17 日にῌ 財団法人日本写
く設立された῍
真機工業会 ῐ以下ῌ JCIA21ῑ と呼ぶῑ を設立した῍
日本写真機検査協会 (JCII῎ῌ
輸出品取締法
最初の事業はῌ 1953 年 8 月に政府よりカメラ
ῐ1948 年ῑ が制定されῌ 1949 年 1 月からカメラ
産業が重要輸出産業に指定されたこともありῌ 前
も輸出検査がおこなわれることになった῍ カメラ
記 の 写 真 工 業 振 興 会 と 協 力 しῌ 1955 年 8 月 に
の検査基準はῌ 商工省機械試験所が中心にῌ 写真
ニュ῏ヨ῏クの JETRO22ῑ トレ῏ドセンタ῏内に
機部会のメンバ῏も委員に参加し作成された῍ 正
輸出カメラのカメラセンタ῏ ῐ初代所長森山欽
式にはῌ 日本輸出規格 ῒJES 輸出 39 携帯写真機ΐ
司ῑ を開設した ῍ 同センタ῏の最初の事業は第
ῐ1948 年 10 月ῑ としてῌ 輸出カメラ῎レンズの
23ῑ
24ῑ
2 回日本カメラショ῏ の開催でῌ 1955 年 12 月
最低標準および包装条件が制定された῍ 輸出検査
1952 年ῌ 当時改進党代議士でῌ カメラ愛好家の森山欽
はこの規格によりῌ 輸出業者の責任で自己の輸出
司氏がῌ 物品税引き下げに尽力したことからカメラ業界
品に定められた等級表示を行う自主検査であっ
20ῑ
と関係を持つようになった῍
た῍ 写真部会ではῌ 所属会社の検査課員が検査員
21ῑ
Japan Camera Industry Association の略称῍
22ῑ
Japan External Trade Organization ῐ日本貿易振興
会ῑ の略称῍
23ῑ
正式名は ῒJapan Camera Information and Service
Centerΐ でῌ 1956 年 2 月公式にオ῏プン῍ 初年度の運
となってῌ 他社の輸出品の検査を実施しῌ 等級表
示ラベルを有料で交付した῍ これを ῒ部会検査ΐ
と称していた῍ 一方ῌ 商工省は機械器具検査所な
営資金は 4῏365 万円でῌ 内訳は政府の補助金 3῏000 万円
どを設けῌ 輸出検査合格ラベルの表示の励行を確
ῐ競 輪 資 金 1῏000 万 円ῑ と い う῍ 同 セ ン タ ῏ は 1963 年
保するため臨時検査ができるようにした26ῑ῍ その
10 月のニュ῏ヨ῏ク軽機械センタ῏の発足による統合ま
で続いた῍ JCIA ῐ1987 年ῑῌ 19 ペ῏ジによる῍
24ῑ
1954 年の光学機械展 ῐJETRO 主催ῑ を第 1 回展と数
えῌ 入場者は 8,000 人という῍ JCIA ῐ1987 年ῑ 20 ペ῏
ジによる῍
῔ῌ῍῎῔
25ῑ
Camera & Imaging Products Association の略称῍
有限責任中間法人῍
26ῑ
JCIA ῐ1985 年ῑῌ 21 ペ῏ジによる῍
経済科学研究所
図 3.
第 33 号 ῒ2003ΐ
紀要
輸出検査法の品目数と規制率 ῒ1958̮1998 年度ΐ
1,000
50
900
45
800
40
700
35
600
30
品
目 500
数 400
規
25 制
20
300
15
200
10
100
5
0
率
ῌ
0
1958
63
68
73
78
83
88
93
97
98
注 ῏ 規制率̮̮輸出検査指定品目額̮日本の総輸出額̮100
出所 ῏ 小宮山康二 ῒ1997ΐῌ 通産省資料などにより作成῍
後ῌ 輸出検査は自主検査῎等級表示からῌ 政府機
イブラリῐなどの文化事業と写真機関連事務所賃
関または指定検査機関による法定検査へと規制を
貸事業などを行っている῍ 輸出検査の成果につい
強めた῍ カメラの本格的な輸出検査はῌ 1954 年 6
ては後述する῍
意匠の模倣防止 ῌ
月 14 日に輸出検査取締法に基づく第三者の指定
独῎シャッタῐメῐカῐの
検査機関としてῌ ῒ財ΐ 日本写真機検査協会 ῒ理事
ゴῐティエ社からミノルタ二眼レフに使用してい
長森山欽司ῌ 当初 7 名ῌ 以下ῌ JCII27ΐ と呼ぶΐ が
たシチズン製シャッタῐが同社プロンタῐ῎
設立されῌ 同年 8 月 1 日から JCII による輸出検
シャッタῐの米国特許に侵害 ῒ1956 年ΐ すると
査が開始された῍
いう抗議やῌ 独῎ロῐライ社からヤシカ 4̮4 判
1957 年にはῌ 輸出品取締法が輸出検査法に改
二眼レフの色彩が ῔ロῐライ 44῕ を真似たとする
正されῌ 一定水準以上の品質のものでなければ輸
抗議 ῒ1958 年ΐ があった῍ 前者は大きな事件とな
出できない強制検査となった῍
らずに解決した῍ 後者は色彩が似ているだけでは
なおῌ カメラの輸出検査はῌ 1989 年 12 月 13
決め手にならずῌ 1 年ばかり後に告訴を取り下げ
日ῌ 41 年間の使命を終え指定品目から削除され
る形で解決した῍ さらにῌ スウェῐデンのハセ
た28ΐ ῒ図 3ῌ 付表 3ῑ4 参照ΐ῍ 検査協会はῌ 現在ῌ
ル῎ブラッド社からブロニカ製 6̮6 判一眼レフ
日本カメラ財団 ῒJCIIΐ
に対するデザイン盗用の抗議 ῒ1959 年ΐ もあっ
29ΐ
としてῌ 少数の職員によ
る日本カメラ博物館ῌ JCII フォトサロンῌ JCII ラ
27ΐ
たがῌ 大きな問題にならずに収まった῍
一方ῌ 米国からも 1958 年 3 月ῌ 米国映画機械
その後ῌ 検査῎試験品目の拡大や依頼検査῎試験や地
道な各種測定器の開発などに伴いῌ 1973 年 5 月に ῒ財ΐ
の主力メῐカῐあるベル῎アンド῎ハウエルの社
日 本 写 真 機 光 学 機 器 検 査 協 会 ῒJCIIΐ と 名 称 の 変 更 を
長 C῎H῎パῐシῐから経団連会長石坂泰三への
行った῍ Japan Camera & Optical Instruments Inspec-
個人的書簡が送られてきた30ΐ῍ 米国市場で日本製
tion and Testing Institute. の略称῍
28ΐ
輸出検査法での指定解除はῌ 過去数年間のロット不合
格率が概ね 1̮以下ῌ 輸出金額が僅少などであった῍
29ΐ
Japan Camera Industry Institute の略称῍ 館長 ῏ 森
山眞弓
日本カメラ財団理事長῍ 所在地 ῏ ̮102- 0082
30ΐ
パῐシῐ書簡と呼ばれῌ その骨子は ῔日本のアルペンῌ
アロῐῌ シルバῐῌ トῐアῌ フジῌ セコニックῌ エῐケ
ン等 8ミリ映写機がῌ 当社の 8ミリ映写機を模倣している῍ 政
東京都千代田区一番町 25 番地 JCII 一番町ビル῍
̮ῌ῍῎̮
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῒ竹内ΐ
図 4.
輸出カメラの出荷までの主な法手続 ῒ1988 年現在ΐ
製造業者῎輸出業者
商標登録出願
特許庁
意匠登録出願
輸
出
特許庁
内 ῒ参考ΐ
国
輸出デザイン登録
日本機械デザインセンタῐ
デザイン商標判定ῌ
日本機械デザインセンタῐ
価 格 査 定
メῐカῐ懇談会
点数化したフロῐアῐプライス設定
写真機工業会 ῒJCIAΐ
機械輸出組合
輸検῎形式検査
国内カメラ協議会
試作品の耐久試験実施
検査協会 ῒJCIIΐ
輸 出 検 査
検査協会 ῒJCIIΐ
デザイン商標認定῍
物品税の決定
検査協会 ῒJCIIΐ
合格ラベルの貼付
輸出証明書発行
デザイン認定証明書発行
物品税の処理
検査協会 ῒJCIIΐ
日本機械デザインセンタῐ ῒJMDCΐ
出
荷
ῒ輸出ΐ
税
関
輸出申告
輸出検査証明書の提出
輸
送
発
売
注 ῏ カメラ῎交換レンズなどはῌ 1989 年に輸出検査法῎輸出デザイン法の指定品目から除外された῍
またῌ 1989 年に消費税の実施により物品税がῌ 1997 年に輸出検査法ῌ 輸出デザイン法が廃止された῍
出所 ῏ 竹内淳一郎 ῔日本の軽工業と輸出検査制度῕ 産業学会第 38 回全国研究会報告ῌ 2000 年῍
8 ミリ映写機とカメラの模倣および安値で輸出さ
輸出組合に意匠審査委員会32ΐを設けῌ 輸出品のデ
れているとのクレῐムであった31ΐ῍ 1958 年 9 月ῌ
工業会は関係メῐカῐが日本機械輸出組合に参加
のカメラでアメリカ一流 8 ミリ῎カメラメῐカῐである
しῌ 輸出組合の協定として輸出価格と意匠の自主
ベル῎ハウエル社の模倣品がῌ これまでῌ 3 分の 1 の値
段で出品して大きな問題となっていることがῌ ニュῐ
規制を実施することとなった῍
ヨῐクのカメラ事務所から伝えられたという῍ 問題に
意匠の模倣῎盗用の防止策としてはῌ 日本機械
なったカメラはῌ F2.8 型レンズのものでῌ アメリカの売
値 69 ドル 95 セントに対しῌ シカゴ῎ショῐに出品され
たものは 49 ドル 95 セントで 20 ドルも安くῌ これは明
府や外交ベῐスでこの問題を解決する前にῌ 貴下の忠告
らかにダンピングだと指摘されている῍ またῌ 4̮4 のド
で解決して欲しい῍ これらの会社は基礎研究と開発に費
イ ツ ῎ カ メ ラ の 模 倣 品 も 出 品 さ れ て お りῌ 一 方ῌ 8 ミ
用を注がずῌ われわれより極めて安い価格の品物を市場
リ῎カメラはベル῎ハウエル社の 8 ミリ῎カメラの模倣
に出している῍ 問題の製品はここにあげた製品だけでは
で特許を侵害している疑いばかりでなくῌ FOB で 10 ド
なくアマチュア用のスプライサῐやカメラにもその例が
ルの値段がつけられているということからῌ アメリカ製
あるようでῌ こうした行為が続けばῌ これらに関与しな
品の 35 ドルに対し 3 分の 1 以下の安値である῍ 更に同
い日本のメῐカῐの名声にも傷をつける結果をもたらしῌ
じように出品されている撮影機の中にはῌ スイスの特許
更に日米間の貿易全体にも影響を及ぼすであろう῍῕ とい
にふれているものがある῍ このため特にῌ 8 ミリ῎カメ
うものであった῍ 日本写真機工業会 ῒ1987 年ΐῌ 30ῑ31
ラについてはῌ ベル῎ハウエル社はじめῌ アῐガス社ῌ
ペῐジによる῍
イῐストマン῎コダック社などῌ 8 ミリカメラの一流ど
31ΐ
その背景はῌ 日刊工業新聞 ῒ昭和 33 年 3 月 27 日ΐ の
つたえるところによるとῌ ῔昭和 33 年ῌ アメリカの小売
店を対象に開かれたシカゴ῎ショῐにῌ 吾が国から格安
̮ῌ῍῎̮
ころがῌ こぞって関税引き上げ運動を展開する動きがあ
る῕ とのことだ῍ 恵下 ῒ1959 年ΐῌ 26 ペῐジによる῍
32ΐ
この協定はῌ 1958 年 9 月 16 日から ῔写真機ῌ 8 ミリ映
経済科学研究所
図 5.
第 33 号 ΐ2003῔
紀要
スチルカメラの輸出検査不合格率と合格 ΐ輸出῔ 数 ΐ1954̮1989 年度῔
合
格
ῌ
輸
出
῍
数
件
数
不
合
格
率
千
台
出所 ῏ JCII ῕輸出検査実績表̮ により作成῍
ザイン審査῎認定を行うことにした῍ この輸出機
しῌ 安値輸出を防止することにあった῍ カメラ輸
械の意匠規制はῌ カメラῌ 8 ミリ撮影機などが最
出価格の自主規制に関する協定はῌ 適用品目ῌ 規
初である῍ その後 ῕輸出品デザイン法̮ ΐ1959 年῔
制内容ῌ 対象国につき数次の改正をみた῍ たとえ
が制定されῌ 財団法人日本機械デザインセンタῐ
ばῌ 機械輸出組合のカメラ等に関する輸出協定で
ΐ1959 年ῌ JMDC῔ が設立された῍ このためカメ
は ῕写真機等の輸出価格及び取引条件等に関する
ラ等の意匠審査῎認定の業務は日本機械輸出組合
組合員の遵守すべき事項に関する規約̮ を設定し
からデザインセンタῐに移管された῍ さらにῌ
ている῍ その内容は携帯写真機ῌ 8 ミリ撮影機に
1960 年 1 月から合理化のためῌ このデザイン認
ついてῌ 米国῎カナダ῎香港その他 13 ヶ国を対
定に必要な照合῎確認事務 ΐ第 2 次認定業務῔
象としてῌ 輸出最低価格ῌ 修理補償義務ῌ 取引先
はῌ デザインセンタῐから JCII が委託を受けῌ 輸
及び商標の登録ῌ 宣伝広告の制限など決めてお
出検査のときῌ 現物を確認することになった῍ 輸
りῌ 有効期限は 1 年であるがῌ 毎年更新延長され
出カメラ 1 台ごとに貼付される輸出検査合格証
てきた῍ さらにῌ 米国の一般消費者向けにメῐル
の ラ ベ ル はῌ ῑPASSEDῒ に ῑJCIIῒ と と も に
オῐダῐによる直接輸出 ΐいわゆる 1 個売り῔ が
ῑJMDCῒ の文字が入っているのはこのためであ
盛んになりῌ 価格は通常の半値以下で売られた῍
る῍ このカメラの意匠規制はῌ 1992 年まで 33 年
これは販売後のアフタῐサῐビスを行わないため
間続けられた῍ なおῌ 輸出品デザイン法は 1997
取引秩序の混乱をひき起こしῌ 日本品の信用を失
年に廃止された ΐ図 4. 参照῔῍
輸出自主規制 ῌ
わせるまでになった῍ この事態を防止するためῌ
価格自主規制の目的はῌ 製品
1964 年 12 月に ῕員外者規制命令 ΐ輸出入取引法
ごとに最低輸出価格 ΐフロワῐプライス῔ を算定
第 28 条第 2 項῔̮ が出されῌ 組合に加入していな
い員外者 ΐアウトサイダῐ῔ であっても修理補償
写機及び付属品等につき価格 ΐ米国ῌ カナダῌ スウエῐデ
義務を課しῌ 通産大臣の承認を得なければ輸出が
ンῌ 香港ῌ オランダῌ シンガポῐル向け῔ 及び意匠 ΐ世
できなくなった῍ 1972 年 12 月には協定運営の簡
界全域῔ に関する協定̮ と 1959 年 1 月 10 日から ῕8 ミ
リ撮影機の意匠 ΐ世界全域῔ に関する協定̮ の 2 本建で
実施された῍
素化を図るため規制事項をまとめ一本化された
がῌ 1958 年 9 月の協定開始から 1989 年 12 月の
̮῍῎ῌ̮
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῑ竹内ῒ
廃止まで 31 年間続いたことになる῍ カメラは機
差が影響しているものと思われる῍ 品目別に評価
械類で 1 番長い輸出協定であった῍ ῑ図 11ῌ 付表
の高い代表的な製品をῌ ῕日本のカメラ 50 年̮
2 参照ῒ῍ このようにデザイン模倣防止ῌ 市場秩序
ῑ1995 年ῒ33ῒ など基にῌ 筆者がカメラやレンズの
維持の措置がとられたことからῌ これらについて
性能῎品質の向上に影響を与えたと思われる機種
の海外からのクレῐムはなくなったという῍
を発売順に記載した῍ なおῌ 品名は海外で異なる
ῌ
῍1῎
場合がありῌ 国内名 ῑ国内発売年ῒ を使用した῍
カメラの輸出検査と米国での評価
スプリングカメラ ῍付図 1.ῌ῎ῌ
輸出検査不合格率の推移
終戦直後から
生産再開されたがῌ 先述のように受検したカメラ
輸出検査の実施を通じてῌ いかに日本カメラの
の半分が不合格であった῍ 原因はῌ 蛇腹の使用ῌ
品質が向上したかをῌ JCII による輸出検査実績表
フイルム面不安定なことなど構造上の弱点から
の受検ロット別件数不合格率 ῑ以下ῌ 不合格率と
ハῐドな使い方に向かずῌ 品質は不安定であった
呼ぶῒ を基に検証した῍ 当初ῌ カメラと交換レン
ようだ῍ もっともῌ 品質が安定した距離計連動セ
ズの輸出検査不合格率はῌ きわ立って高く輸出ク
ミ判 ΐパῐルῐ῔ ῑ現῎コニカῌ 1951 年ῒῌ ミノル
レῐムの対象になったと思われる῍
タセミ P ῑ1952 年ῒῌ 6̮6῎セミ判兼用 ΐマミヤ
1῎
シックスῒ῔ ῑ1953 年ῒ などは人気があった῍
カメラ品目別の推移
スチルカメラ ῌ
二 眼 レ フ ῍付 図 1. ῍῎ῌ
JCII の検査が始まった 1954
当初の不合格率が
年から 5 年間の平均不合格率は 27̮と高率でῌ
50̮と高かった῍ その後の低下はῌ 輸出検査の普
そのなかでもスプリングカメラが 52̮ῌ レンズ
及もありῌ 品質を改良されῌ 一方ではῌ 対応でき
シャッタカメラが 31̮ῌ 二眼レフが 28̮と高率
なかった中小メῐカῐの退出といえよう῍ 1946
であった῍ スチルカメラ ῑ全体ῒ としてはῌ JCII
年から約 10 年間に二眼レフのブランドはῌ アル
検 査 10 年 目 ῑ1964 年ῒ の 不 合 格 率 が 10̮ にῌ
ファベットの A から Z までのが揃う ῑJ῎U῎X
1974 年には 4̮に低下した ῑ図 5. 参照ῒ῍
を除くῒ といわれῌ 86 銘柄があった ῑ付表 4. 参
輸出検査実績表には不合格項目の記載ないた
めῌ 当時の JCII の検査員やメῐカῐの検査担当
照ῒ῍ その多くが四畳半メῐカῐと呼ばれていた῍
輸出は 1956 年をピῐクに低減していった῍
者の記憶などからῌ 当初の主な不合格項目をまと
ῑ῔ ῑ1950 年ῒ34ῒῌ 海外市場でロングセラῐのヤシ
めた῍
ῌ
二眼レフブῐムの火付け役のリコῐフレックス
外観 ῏ 張り皮はがれῌ ファインダῐ内ご
カ フ レ ッ ク ス A ῑ1954 年ῒ や ミ ノ ル タ オ ῐ ト
みῌ カメラ上下カバῐの汚れおよびメッキ
コ ῐ ド ῑ1955 年ῒῌ マ ミ ヤ フ レ ッ ク ス C プ ロ
ムラῌ ビスかじりῌ レンズ内ゴミῌ 接着剤
フェッショナル ῑ1956 年ῒ などがあった῍
距離計式 FP カメラ ῍付図 1.῎῎ῌ
のガスによるファインダῐやレンズのクモ
῍
受検開始 5
リなど῍
年間の平均不合格率は 17̮であったがῌ 1965 年
構造および機能 ῏ 距離計像の合致不良 ῑ特
には 5̮台と他のカメラに比べかなり品質は安定
にレンズシャタῐカメラῒ やパララック
スῌ セルフタイマῐ途中で止まるなど῍
῎
露出計 ῏ 作動不良῍
῏
その他
33ῒ
解像力 ῏ ピント調整不良῍ シャッ
白松正 ΐ戦後 50 年の日本のカメラの歩み῔ῌ 小倉敏布
ΐ写真レンズの戦後 50 年῔ῌ ΐ戦後日本のカメラ銘記 50
選῔ῌ ΐユニῐクなカメラ 50 選῔ῌ ῕カメラレビュῐ
日本
のカメラ 50 年̮ NO35ῌ 朝日ソノラマῌ 1995 年῍
タῐ῏ 作動せずῌ 羽根油῍ 光のもれなど῍
カメラの品目別による差はῌ 品目の機構上の差
とともにῌ 大手メῐカῐと中小メῐカῐの品質の
̮ῌ῍ῌ̮
34ῒ
現῎ リコῐは他社が価格 2 万円以上をῌ 本体 5῎800
円ῌ ケῐス 1῎500 円῍ JCIA ῑ1987 年ῒῌ 17 ペῐジによ
る῍
経済科学研究所
第 33 号 ῑ2003ῒ
紀要
している῍ 1957ῐ59 年の不合格率が異常に高い
部分の減少やメ῏カ῏の開発ῌ 製造技術改善ῌ 品
理由の一つにῌ 7 社 14 機種の新製品が発売され
質管理技術の向上などにより品質は向上してい
立上がり品質の不安定さがあったようだ ῍ 1966
た῍
35ῒ
年以降の低下はῌ 大手カメラメ῏カ῏の技術向上
本格的なレンズシャッタ῏カメラはῌ 1948 年
と中小メ῏カ῏の退出とによると思われる῍ ライ
に発売された距離計連動式のコニカ῎ῌ 距離計な
カ M3 ショックからῌ 各社は一眼レフ開発へ傾斜
しのミニヨン ῑ東京光学ῒῌ オリンパス 35῎があ
していった῍
る῍ 等倍῎距離計連動式ῌ 廉価なウインザ῏ 35
キ ャ ノ ンῑ Sb ῑ1952 年ῒῌ ニ コ ン S 2 ῑ1954
ῑ東興写真ῌ 1953 年ῒῌ レバ῏巻上のペトリ 35
年ῒῌ 独῎ライカ M3 ῑ1954 年ῌ ミノルタ 35῏
ῑ粟林写真機製作所ῌ 1954 年ῒῌ 採光式ブライト
ῑ1955 年ῒῌ ニコン SP ῑ1957 年ῒῌ キャノンῒL
フレ῏ムファインダ῏内臓のアイレス 35῏ ῑア
ῑ1958 年ῒῌ ニッカῐL ῑ1958 年ῒ ῌ キャノン 7
イレス写真機製作所ῌ 1954 年ῒῌ ス῏パ῏ウエル
ῑ1961 年ῒ ῌ 水 深 50 ῌ 防 水 カ メ ラ ニ コ ノ ス
ミ῏ 35 ῑ1956 年ῒ39ῒῌ 大口径レンズ付のペトリ
ῑ1963ῒῌ 日独提携のライツ῎ミノルタ CL ῑ1973
オ῏トメイト ῑ栗林写真工業ῌ 1956 年ῒ40ῒ など低
36ῒ
37ῒ
年ῒ
38ῒ
などがあった῍
レンズシャッタ῍カメラ ῎付図 1.ῌ῏ῌ
価格῎高機能化が進んだ῍
受検開
大手メ῏カ῏ではῌ ベ῏クライトボディのミノ
始 5 年間の平均不合格率は 30̮と品質は不安定
ルタメモ ῑ1949 年ῒῌ ワイドカメラブ῏ムを起こ
であったがῌ 1964 年度に 10̮ῌ 1974 年には 5̮
したオリンパスワイド ῑ1955 年ῒῌ シャッタ῏῎
を下まわった῍ 当初の不合格率が高い要因にῌ 新
/ 2000 秒付のミノルタ V2 ῑ1958 年ῒῌ セレン露
規参入や新製品競争῎頻繁なモデルチェンジのた
出計連動式のマミヤ῎エルカ ῑ1958ῒῌ ハ῏フサ
めの品質不安定さがあったようだ῍ その後の低下
イズブ῏ムの火付け役のオリンパスペン ῑ1959
は強制検査のためῌ 前述の外観ῌ 機能῎構造の主
年ῒ などがあった῍
な不合格項目についてῌ 地道な設計῎製造上の改
1960 年代は AEῌ 電子シャッタ῏付カメラの
良ῌ 品質管理技術の向上などが進んだといえよ
時代であった῍ AE 機のベストセラ῏のキャノ
う῍ 一方ῌ 市場では乱売による価格競争の激化ῌ
ネット ῑ1961 年ῒ や宇宙カメラで有名なミノル
内外の販売体制も整備とともにῌ 限界企業の退出
タハイマチック ῑ1962 年ῒ41ῒῌ コンパクトな独῎
が進んだことも影響している῍ 1960 年以降ῌ 大
ロ῏ライ 35 ῑ1966 年ῒῌ 電子シャッタ῏ AE 式の
手メ῏カ῏はῌ AE 化ῌ ストロボ内蔵ῌ AFῌ フイ
ヤシカエレクトロ 35 ῑ1966 年ῒ42ῒ があった῍
ルム装填自動ῌ 超コンパクトなど機能向上のため
電子化などを進めた῍ 電子化による機械的な作動
39ῒ
ウエルミ῏カメラ社の F2.8 レンズ付き ῑ10῏800 円ῒ῍
ウエルミ῏ワイド ῑ1958ῒ など意欲的なカメラであっ
た῍ 写真機工業会 ῑ1971 年ῒῌ 31 ペ῏ジによる῍
40ῒ
F1.9 レンズ付き῍ 明るいレンズとῌ ブライトフレ῏ム
キャノンが 4 機種ῌ ニコン 1 機種 ῑニコン SPῒῌ レオ
ファインダ῏が売り物῍ スタイルがライカ M3 に似てい
タックス 3 機種ῌ ニッカ 3 機種ῌ その他 3 機種と合計 14
て 話 題 に な っ た῍ 神 戸 カ メ ラ ミ ュ ῏ ジ ア ム ῑ1990 年ῒ
機種の新製品が発表された῍ 日本写真機工業会 ῑ1971
ΐカメラの物語館 4 主役は 35῍カメラへ῔ 神戸市民文化
35ῒ
振興財団ῌ 14 ペ῏ジによる῍
年ῒῌ 23 ペ῏ジによる῍
36ῒ
戦時中 ῑ1944 年ῒ の旧῎光学精機の時からライカ模倣
機一筋のニッカカメラがῌ ライカ M3 模倣機ともいえる
41ῒ
アメリカ最初の有人宇宙船フレンドシップ 7 号 ῑ1962
年ῒ にῌ ハイマチックの改造品が搭載されῌ 宇宙カメラ
最高級機を造った῍ デザインをはじめ随所にコピ῏機か
として一躍有名になった ῑ注 62 参照ῒ῍ これを契機にミ
らの脱却の試みがみられるという῍
ノルタはῌ 品質管理体制の充実を進めるきっかけになっ
37ῒ
露出計内蔵の距離計連動 FP カメラ῍
38ῒ
ミノルタと独῎ライツ社とのῌ 技術相互協力契約の締
たという῍
結 ῑ1972 年 6 月ῒ による最初のカメラ ῑミノルタ製ῒ῍
42ῒ
利点は長時間露出ῌ ショックに強いῌ 無段階的露出が
可能ῌ オ῏トストロボ可能などがある῍
῕ῌ῎῍῕
日本カメラの品質向上と輸出検査 ΐ竹内῔
図 6.
標準῎交換レンズの輸出検査不合格率と合格 ΐ輸出῔ 数 ΐ1954̮1989 年度῔
合
格
ῌ
輸
出
῍
数
件
数
不
合
格
率
千
台
出所 ῏ JCII ῕輸出検査実績表̮ により作成῍
1970 年代はῌ 電子化が進みῌ ストロボ内蔵ῌ
た῍
AF ΐ焦点調節の自動化῔ῌ 自動巻上ῌ 超コンパク
一眼レフ ῍付図 1.῍῎ῌ
受検開始 5 年間の平均
ト化が進んだ῍ ストロボ内蔵式の ῑピッカリコニ
不合格率は 18̮であった῍ これはῌ 一眼レフは開
カῒ で大ヒットしたコニカ C35EF ΐ1975 年῔ῌ
発途上で設計῎生産技術面にも問題があったと思
AF 式の ῑジャスピンコニカ" で有名なコニカ 35
われる῍ 1964 年以降の低下は大手カメラメῐ
AF ΐ1977 年῔ῌ スライド῎レンズカバῐ式超コ
カῐによる量産方式の確立などの品質῎性能の向
ンパクトのオリンパス XA ΐ1979 年῔ῌ ῑオῐト
上と中小メῐカῐの退出によると思われる῍
ボῐイῒ の愛称で自動巻上げのキャノン AF35M
ΐ1979 年῔ などがあった῍
極小型カメラ ῍付図 1.ῌ῎ῌ
ペンタプリズム式 35 ミリ一眼レフはῌ 最初に
旧東独῎コンタックス S ΐ1949 年῔43῔ が発売され
受検開始 5 年間の
た῍ 日本ではῌ レフレックス式῎レンズ交換可能
平均不合格率は 18̮ながら低下傾向にあったがῌ
なアサヒフレックス῎ ΐ1952 年῔ῌ クイックリ
バラツキが大きい῍ 主に中小メῐカῐに生産委託
タῐンのアサヒペンタックス῏B ΐ1954 年῔44῔ῌ
していたものもありῌ 製造技術的に不安定な面が
ペンタプリズム式のミランダ T ΐオリオンカメ
あったと思われる῍
ラῌ 1955 年῔ῌ 完全自動絞のズノῐ ΐ1958 年῔45῔ῌ
各社独自の 16 ミリフイルムカῐトリッジ使用
のミノルタ 16 ΐ1957 年῔ῌ リコῐ 16 ΐ1957 年῔ῌ
43῔
旧῎東独῎カῐル῎ツアイス財団が発売した῍ カメラ
マミヤ 16 スῐパῐ ΐ1958 年῔ῌ ヤシカ 16 ΐ1959
のファインダῐにペンタプリズムを使うことにより天
年῔ῌ ミノルタ 16EE ΐ1962 年῔ など῍ コダック規
地῎左右とも正像でῌ しかも眼の前 ΐアイレベル῔ で見
格 110 フ イ ル ム フ イ ル ム カ ῐ ト リ ッ ジ 使 用 の
110 カメラはῌ 同社発表の半年後にセディックポ
ケット῎ケアフリῐ 110 ΐ1972 年῔ がῌ 一眼レ
フ῎ミノルタ 110 ΐ1976 年῔ など῍ ほかにミノッ
えるようになった῍ レフレックス式の左右逆向き像の欠
点を解決した῍ なおῌ 世界初の 35 ミリ一眼レフはῌ 独῎
キネエギザクタ社 ΐ1911 年῔῍
44῔
一眼レフの大きな欠点であったῌ シャッタῐを切って
もファインダῐが真っ暗なままということはなくなった῍
45῔
ズノῐ光学 ΐ旧῎帝国光学῔ 製῍ 日本最初の完全自動
クス式カῐトリッジ使用のヤシカアトロン
絞りを実現した 35 ミリ一眼レフ῍ 完全自動絞り機構によ
ΐ1965 年῔ῌ コダック規格ディスクフイルム使用
りῌ 明るいファインダῐで写真が写せるようになった῍
のミノルタティスク 7 ΐ1983 年῔ などが発売され
放のままῌ ῍シャッタῐを切るとῌ ミラῐが上ると同時
̮ῌ῎῍̮
この機構はῌ ῌピント合わせのときはレンズの絞りは開
経済科学研究所
第 33 号 ῐ2003ῑ
紀要
シャッタ῏速度連動の着脱式露出計付のニコン F
レンズメ῏カ῏にはῌ 先述の産官学による研究組
ῐ1959 年ῑ
合の成果や輸出検査を通じてへ交換レンズ設計に
46ῑ
などがあった῍
47ῑ
1960 年代はῌ TTL 開放測光式 露出計内臓の
必要なカメラ側の技術情報50ῑやレンズ性能などの
トプコン RE ス῏パ῏ ῐ1963 年ῑῌ アサヒペン
情報がフィ῏ドバックされた結果と思われる῍ さ
タ ッ ク ス SP ῐ1964 年ῑῌ ミ ノ ル タ SR - T 101
らに一眼レフの技術進歩に対応できた交換レンズ
ῐ1966 年ῑῌ 世界最初のハ῏フサイズのオリンパ
メ῏カ῏51ῑはῌ 一眼レフメ῏カ῏の交換レンズに
スペン F ῐ1963 年ῑ など῍ 1970 年代はῌ コンパ
対しῌ 低価格を武器にῌ 大口径化ῌ コンパクト化ῌ
ク ト 一 眼 レ フ の オ リ ン パ ス OM - 1 ῐ1972 年ῑῌ
高倍率ズ῏ム化などで先行した῍ 交換レンズメ῏
TTL 電子式絞り優先 AEῌ 日独提携の旧ヤシカ製
カ῏はῌ 1970 年代後半からの一眼レフの市場拡
コ ン タ ッ ク ス RTS ῐ1975 年ῑ ῌ 電 子 制 御 ῎
大に貢献するとともにῌ メ῏カ῏レンズを蚕食
シ ャ ッ タ ῏ 優 先 AE の キ ャ ノ ン AE - 1 ῐ1976
しῌ レンズ専業メ῏カ῏として成長していった῍
年ῑ ῌ 絞り῎シャッタ῏両優先῔῕のミノルタ
一方ῌ 一眼レフの技術進歩などに対応できなかっ
XD ῐ1977 年ῑ など῍ 1980 年代はῌ 本格的 AF の
た限界企業の退出もあった῍
48ῑ
49ῑ
代表的な交換レンズをῌ 距離計連動式 35 ミリ
カメラ史上最大のヒット商品ともいわれるミノル
タ̮7000 ῐ1985 年ῑ が発売された῍
2῍
カメラ用と一眼レフ用に分けῌ それぞれ単焦点レ
ンズ ῐ標準ῑ とズ῏ムレンズ ῐ標準ῌ 広角ῌ 望遠ῑ
交換レンズの推移
不合格率はῌ 受検開始 5 年間の平均不合格率は
について発売順に紹介する῍
24ΐと高率なのはῌ 交換レンズの外観不良 ῐレン
距離計式 FP カメラ用標準レンズ ῌ
1953 年
ズ内のゴミῌ 汚れῌ キズ῍ 鏡筒部の汚れῌ アルマ
頃からの高屈折光学ガラスの国産化を背景に大口
イトむらῌ キズなどῑῌ 絞り径の不揃いῌ レンズ周
径化が進んだ῍ ズノ῏ 50 ミリ F1.1 ῐ1953 年ῑῌ
辺部の解像力不足などがあったようだ ῐ図 6. 参
フジノン 50 ミリ F1.2 ῐ1954 年ῑῌ キャノン 50
照ῑ῍
ミリ F1.2 ῐ1956 年ῑῌ ニッコ῏ル 50 ミリ F1.1
レンズはῌ 戦時中からの光学技術蓄積があった
ῐ1958 年ῑῌ キャノン 50 ミリ F0.95 ῐ1960 年ῑ な
がῌ 中小のレンズメ῏カ῏が多くῌ 生産技術面で
ど῍ F1.8ῌ F2 クラスの実用的な標準レンズ52ῑはῌ
は輸出検査が高い障壁となっていた῍ 1965 年以
キャノンセレナ῏ 50 ミリ F1.8 ῐ1951 年ῑῌ ミノ
降の低下はῌ 各メ῏カ῏の自助努力ῌ とくに中小
ルタロッコ῏ル 50 ミリ F1.8 ῐ1957 年ῑ などが
あった῍
に所定の絞りまで絞られῌ シャッタ῏が開閉する῍ ῎露
一眼レフ用標準レンズ53῍ῌ
一眼レフ用標準レ
光後ῌ 直ちにミラ῏が下がり ῐ復帰ῑῌ またレンズ絞りは
開放になる῍
50ῑ
46ῑ
戦後の日本カメラを代表する銘機῍
47ῑ
レンズ絞りを開放のまま測光できῌ ファインダ῏が明
換性テストなどにはῌ 各一眼レフメ῏カ῏によって異な
るくピントが合わせやすい῍ TTL は Through The Lens
るカメラのボディ῏バック量 ῐレンズのバックフォ῏カ
の略称῍
ス量に必要ῑῌ マウントの基準値ῌ カメラ側が要求するレ
48ῑ
ヤシカ ῐ現῎京セラῑ と独῎カ῏ル῎ツアイス社との
提携 ῐ1973 年ῑ による最初のカメラ῍ なおῌ 交換レンズ
49ῑ
ンズの動的特性ῌ 絞りῌ 焦点距離などの情報が必要で
あった῍
51ῑ
はῌ カ῏ル῎ツアイス社から供給された῍
ῌLSIῌ IC モジュ῏ル化した測光ユニットῌ 一連の自
動露出機能を完全自動化した CPU を組込みなどῌ 信頼性
の向上が図られた῍ ῍自動加工に対応する部品設計ῌ 自
動組立てラインにのるユニット部品の設計῎生産の新技
術が導入された῍ ῎露光後ῌ 直ちにミラ῏が下がり ῐ復
たとえばῌ 輸出検査の解像力テストῌ ボディ部との互
一眼レフの AE 化にともなうレンズが送る情報が多く
なりῌ その対応が設計ῌ 製造とも高精度が要求された῍
52ῑ
ライツ社῎ライカ用標準レンズのズミクロン 50 ミリ F
2 ῐ1953 年ῑ が話題となりῌ 日本のレンズ開発に大きな
刺激を与えた῍
53ῑ
当初はῌ 標準レンズはカメラと一体で受検していたがῌ
レンズ専業メ῏カ῏がズ῏ムレンズなどでῌ 価格面ῌ ス
帰ῑῌ またレンズ絞りは開放になる῍
ῒῌ῎῍ῒ
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῒ竹内ΐ
図 7.
輸出検査の単年度不合格率と検査累計台数 ῒ1954̮1989 年度ΐ
100
検査累積台数 ῒ千台ΐ
100 000 0
10 000 0
1 000 0
1
100 0
10
10 0
単
年
度
不
合
格
率
ῌ
出所 ῏ JCII ῔輸出検査実績表῕ により作成῍
ン ズ は ガ ウ ス タ イ プ が 採 用 さ れ る がῌ バ ッ ク
17 ミリ F5.6 ῒ1972 年ΐῌ ニッコῐル 13 ミリ F
フォῐカス を必要としῌ 大口径比 ῒF1.4ΐ にな
5.6 ῒ1972 年ΐῌ コンパクト化したズイコῐ 21 ミ
るほど光学設計的に困難な課題があった῍ ニコン
リ F2 ῒオリンパスῌ 1976 年ΐ などがあった῍
54ΐ
一眼レフ用望遠レンズ ῌ
レンズの推移をみるとῌ ニッコῐルオῐト 58 ミ
一眼レフは距離計の
リ F1.4 ῒニコン F 用ῌ 1960 年ΐ が最初でῌ ニッ
制約がなくなりῌ 望遠レンズや超望遠レンズが開
コῐル 50 ミリ F1.4 ῒニコン F 用ῌ 1962 年ΐῌ 同
発された῍ 一眼レフの先駆者のアサヒペンタック
50 ミリ F1.4S ῒ1976 年ΐ とレンズ性能が向上し
スはῌ 当初から超望遠レンズを揃えていた῍ タク
ていった῍ 各社も同じような改良が行われた῍
マῐ 500 ミリ F5 ῒ1953 年ΐῌ 300 ミリ F4 ῒ1957
一眼レフ用広角レンズ ῌ
レトロフォῐカスタ
年ΐῌ 1000 ミリ F8 ῒ1958 年ΐ などである῍ 各社
イプ が採用され小型軽量レンズや超広角レンズ
で 135 ミ リ か ら 1200 ミ リ ま で の 望 遠 レ ン ズ
の開発に貢献した῍ ミノルタロッコῐル 35 ミリ
ῒ1960ῑ70 年ΐῌ 500 ミリから 2000 ミリまでの
F2.8 ῒ1959 年ῌ 1966 年ῌ 1975 年ΐ は 3 回の改良
屈折系超望遠レンズ ῒ1969 年ῑΐ などがあった῍
55ΐ
一眼レフ用広角ズ῍ム ῏
のたびにῌ 性能の向上ῌ 軽量コンパクト化コスト
ダウンが図られた῍ 超広角レンズはῌ ニッコῐル
独῎フォクトレン
ダῐ῎ズῐマῐ 36- 82/ F2.8 ῒ1959 年ΐ56ΐ が最初
で日本の各社に衝撃を与えた῍ 日本ではニコン
ペック面で先行した῍ そのため大手メῐカῐ標準レンズ
がカメラと一体で受検できなくなりῌ 標準レンズも単独
43ῑ86 ミリ F3.5 ῒ1963ΐ があったがῌ コンパク
で受検するようになった῍ 1980 年ころからの輸出台数が
トで高性能なキャノン 35ῑ70 ミリ F2.8ῑ3.5
急増した要因の一つになっている῍
ῒ1972 年ΐῌ 独自の複合型非球面レンズでコンパ
54ΐ
一眼レフはῌ 撮影レンズとフイルム面の間に介在する
45 度のミラῐがある῍ そのため撮影レンズはῌ レンズと
ク ト ῎ 高 性 能 な ミ ノ ル タ AF 35 - 70 ミ リ F 4
フィルム間の距離 ῒバックフォῐカスΐ をもつことが絶
ῒ1985 年ΐ などはῌ 標準ズῐムとも呼ばれてい
対 条 件 に な る῍ 小 倉 ῒ1995 年ΐ 122 ῑ 123 ペ ῐ ジ に よ
た῍ 1980 年代になるとズῐムが主流になりῌ と
る῍
55ΐ
仏῎アンジェニュῐ社は ῔レトロフォῐカス῕ という
くにレンズ専業メῐカῐがコンパクトさと性能の
商 品 名 でῌ 一 眼 レ フ 用 広 角 レ ン ズ 35 ミ リ F 2.5 ῒ1951
バランスのよさで高倍率ズῐムをリῐドしῌ 1 本
年ΐ と 28 ミリ F3.5 ῒ1954 年ΐ が発売された῍ 一眼レフ
のズῐムレンズでカバῐされる時代をつくっ
に必要なバックフォῐカスがとれῌ 各メῐカῐの手本と
なったという῍ 日本のカメラ 50 年 ῒ1995 年ΐῌ 27 ペῐ
56ΐ
旭光学工業 ῒ現῎ペンタックスΐ が米῎OCLI 社から
技術導入した多層膜コῐティングである ῒ1968 年ΐ῍
ジによる῍
̮ῌ῎῍̮
経済科学研究所
第 33 号 ΐ2003῔
紀要
た57῔῍ 3 倍ズ῏ムのトキナ῏ 35ῐ100 ミリ F3.5
どによる選別が行われたことが大きく影響してい
ῐ4.3 ΐ1980 年῔ῌ 5 倍ズ῏ムのコニカヘキサノン
ると思われる῍
28ῐ135 ミリ F4 ΐ1983 年῔ῌ 4 倍ズ῏ムῌ 異常分
輸出受検前の全数検査などによる選別はῌ 当時
散ガラス使用のシグマ 50ῐ200 ミリ F5.6̮4.5
の JCII 検査員やメ῏カ῏の検査担当者の話など
APO ΐ1984 年῔ῌ 7῏5 倍ズ῏ムのキロン 28-210
からもいえる῍ 全数検査がなされないと母集団と
ミリ F3῏8-5῏6(1985 年῔ῌ 7 倍ズ῏ムでコンパク
しては非常に高い不合格率になることを示してい
トなタムロン AF28- 200 ミリ F3.8̮5.6 ΐ1992
る῍ もちろんメ῏カ῏責任で出荷はされていない
58῔
へと進化していった῍ またῌ 超広角ズ῏ム
と思われるがῌ 輸出検査がない場合にはῌ ディ῏
としてシグマ 21ῐ35 ミリ F3.5ῐ4 ΐ1979 年῔ な
ラ῏と価格が折り合えばそれらも出荷されている
どが注目された῍
かもしれない῍ これは輸出検査による粗悪品防除
年῔
一眼レフ用望遠ズ῍ム ῌ
日本のズ῏ムレンズ
はῌ 望遠ズ῏ムレンズから始まった῍
効果といえよう῍ またῌ カメラやレンズの累積生
産数の増加による不合格率の低減はῌ 品質にも習
日本初のズ῏ムレンズのニッコ῏ル 85- 250 ミ
熟効果が現れているといえる῍
リ F4ῐ4.5 ΐ1959 年῔ῌ ミノルタロッコ῏ル 80ῐ
以上のようにカメラや交換レンズの不合格率減
160 ミリ F3.5 ΐ1961 年῔ῌ キャノン 55ῐ135 ミ
少の要因はῌ 設計品質の改善ῌ 生産技術の改良ῌ
リ F3.5 ΐ1962 年῔ῌ ミノルタ 100- 200 ミリ F5.6
生産習熟などメ῏カ῏のたゆまざる自助努力ῌ 限
ΐ1965 年῔ῌ 多層膜コ῏トを 20 面のレンズに施し
界企業の退出などと輸出検査の成果によるものと
た タ ク マ ῏ ズ ῏ ム レ ン ズ 85-210 ミ リ F 4.5
思われる῍
ΐ1976 年῔ ῌ ト キ ナ ῏ 100 ῐ 300 ミ リ F 5.6
59῔
ΐ1980 年῔ῌ 軽量小型のミノルタ 100ῐ300 ミリ
῎2῏ 米国での評価
F4.5ῐ5.6 ΐ1988 年῔ などが発売された῍
海外からみたカメラの品質についてῌ 代表的な
3῏
米国 CU ̮コンス῏マ῏レポ῏ト̮ 誌 ΐ月刊῔ の評
粗悪品排除効果
不合格率と輸出台数について習熟効果があるか
価 ΐCU テスト῔ をῌ 戦後 45 年間ῌ 約 500 冊につ
について検証した ΐ図 7. 参照῔῍ スチルカメラの
き 調 べ た῍ テ ス ト 機 種 は 1ῐ016 機 種ῌ 日 本
不 良 率 はῌ 輸 出 検 査 の 始 ま っ た 1954 年 か ら
60῏1̮ῌ ドイツ 11῏1̮ῌ 米国ῌ 香港など 28῏7̮で
1956 年までが約 25̮とῌ 1957 年以降に比べ低
あった῍ CU テストの A 評価はῌ 日本 19῏4̮ῌ ド
い῍ その間の検査基準も変わっていないのでῌ 大
イツ 3῏7̮ῌ であった῍ またῌ NA 評価 ΐNot Ac-
きな要因としてῌ カメラ輸出受検前の全数検査な
ceptable῔ はῌ 日本は 5 機種 ΐ0῏5̮῔ῌ ドイツはゼ
ロῌ 米国ῌ 香港などが 12 機種 ΐ1῏2̮῔ であった
ΐ付表 7.ῌ参照῔῍
57῔
小倉敏布 ΐ1995 年῔ῌ 217ῐ223 ぺ῏ジによる῍
58῔
1993 年 8 月にはῌ ’93ῐ’94 ヨ῏ロピアン῎レンズオ
ブザ῎イヤ῏および米国ポピュラ῏サイエンス誌 ’93 写
真部門最優秀グランプリを受賞した῍
59῔
一眼レフ用として最初に独῎ズ῏マ῏レンズ付き ῕べ
サマチック̮ ΐ米῎ズ῏マ῏ῌ 1959 年῔ が発売された῍
日本カメラ ῌ
NA 評 価 はῌ 1963 年 11 月 の
キャノネット からなくなった ΐ付表 6. 参照῔῍
60῔
奇しくも同年正月にῌ キャノンの御手洗毅῎当時
社長 ΐ創業者῔ は ῑノ῏クレ῏ムῒ を宣言してい
困難とされた広角域までカバ῏したがῌ 大型で描写性能
もよくなかった῍ そのためῌ 日本の各社は望遠ズ῏ムか
60῔
米名 “Bell&Howell Canon Canonet 2.8”῍ CU テスト
ら出発した῍ 独῎ライツ社ではῌ その性能の悪さに驚きῌ
でῌ サンプル 2 台はセイコ῏製シャッタ῏がすぐに故障
ズ῏ムレンズの投資を一切打ち切ったという῍ この意思
しῌ Not Acceptable と評価された῍ コンス῏マ῏レポ῏
決定はῌ 大きな誤りの一つだと指摘している῍ 小倉敏布
ト ΐ1963 年 11 月῔ῌ 534 ペ῏ジによる῍ なおῌ 1972 年
ΐ1995 年῔ῌ 30 ペ῏ジによる῍ ウイ῏ンでῌ 1756 年に設
の同誌にῌ
立された世界最古の光学メ῏カ῏῍
FREX” はῌ BEST BUY に輝いた ΐ付表 6 参照῔῍
̮ῌ῎῍̮
キヤノン製 “Bell&Howell AUTO 35 RE-
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῔竹内῕
図 8.
スチルカメラ
米国 CU の評価 ῔1945̮1989 年度῕
テ
ス
ト
機
種
数
と
不
合
格
率
ῌ
注 ῏ ῔1῕ CU 評価はῌ A῏ Ex+VG̮100ῑ70 点ῌ B῏ G+F̮69ῑ40 点ῌ C῏ P+V̮39 点̮0 点ῌ NA̮0 点῏ Not
Acceptable と区分した῍ Ac῏ Acceptable (Ex῏ Excellent. VG῏ Very Good. G῏ Good. F῏ Fair. P῏ Poor.
V῏ Variable).
῔2῕ 国名はῌ ブランド名及び取扱業者から推定した῍
出所 ῏ “CONSUMER REPORTS” 1945- 1989, VOL. 10- 54 より作成した῍
る῍ この宣言が品質第一主義確立へのきっかけを
出検査に通らずῌ プログラムシャッタῐの説明を
つくったという ῍
協会検査員にしてῌ やっと合格したという῍ しか
61῕
またῌ ライバルだったハイマチック の CU テ
もῌ 同行の松本三喜῎当時工場長 ῔後の常務῕ がῌ
スト結果は B 評価であった῍ ハイマチックの開発
携行したハイマティックで撮影したフイルムをῌ
者῎小林辰夫63῕氏 ῔当時平社員ῌ 後の常務῕ の話
アンスコ社で現像してもらったところῌ ῒちょと
ではῌ 生産当初ῌ シャッタῐなど問題があったと
アンダῐΐ といって返された῍ 現像されたリバῐ
いう῍ たとえばῌ 1961 年 8 月ῌ アンスコ社に最終
サルフイルムを見ると真っ黒だった῍ その原因は
62῕
スペック打合せで渡米前日ῌ サンプル出荷品が輸
定かでないがῌ シャッタῐは落ちたがῌ シャッ
タῐ羽根が開かなかったためのようだ῍ この頃
はῌ 大手メῐカῐの品質もいろいろ問題があった
61῕
カメラの種類と生産規模急拡大が進んだがῌ それに
伴って二ῌ 三の商品の信頼性に関する品質上の問題が目
ようだ῍
立つようになりῌ ユῐザῐに迷惑をかけることが重なる
図 8 のようにῌ 1965 年から A 評価の大半を日
ようになった῍ これを反省してῌ 御手洗毅社長が ῒノῐ
本が占めῌ 輸出検査の不合格率の低下とも一致す
クレῐムΐ 宣言をしたという῍ キャノン史 ῔1987 年῕ῌ
109 ペῐジによる῍
62῕
CU テストでῌ Acceptable と B 評価された῍ コンスῐ
マῐレポῐト ῔1963 年 11 月῕ῌ 534 ペῐジによる῍ 米国
ではアンスコ社がῌ “Ansco Autoset” として発売してい
る῍ 最大市場の米国で日本カメラの優秀性が認め
られたといえる῍ ついで 1967 年にはῌ 日本カメ
ラ輸出額が西独カメラ輸出を上回ったことからῌ
た῍ 1962 年 2 月 20 日ῌ 米国初の有人宇宙衛星 ̮フレン
1967 年頃にはῌ 初の通商白書 ῔1949 年῕ が指摘
ドシップ 7 号̮ に搭乗したグレン中佐がῌ 同機の改造品
した ̮良質廉価な輸出品̮ に到達したいえよう῍
で宇宙写真を撮った῍ 現在ῌ 米῎スミソニアン博物館に
永久保存されている῍
63῕
世界初のプログラムシャッタῐの発明者でῌ 同氏が開
発したミノルタユニオマット ῔1960 年῕ やハイマチック
῔1962 年῕ に使用された῍ その後ῌ カメラの堺工場長ῌ
またῌ アメリカ国民はῌ 当時のドイツカメラよりῌ
日本カメラが ̮安くてῌ いい物だから買う̮ とい
う国民性の一端が垣間見られるようだ῍
ドイツカメラ ῌ
複写機感光体῎トナῐの伊丹工場長ῌ 複写機事業部長を
歴任されたがῌ 品質にはとくに厳しい῍
1960 年から CU 掲載機種数
の急減はῌ 日本カメラに対し比較劣位になったと
̮ῌ῍῍̮
経済科学研究所
図 9.
第 33 号 ῒ2003ΐ
紀要
スチルカメラの形式検査不合格率 ῒ1965̮1989 年度ΐ
100
件
数
不
合
格
率
ῌ
100
90
90
80
80
70
70
60
60
50
50
40
40
30
30
20
20
10
10
0
0
54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89
出所 ῏ 輸出検査実績表
いえよう῍ ただῌ NA 評価が一件もないのは評価
他業界に先駆けての新しい検査基準であった65ΐ῍
できる ῒ図 8῍῍ 参照ΐ῍
これらの成果は 1976 年からῌ 検査協会の形式検
日本カメラの信頼性 ῌ
ドイツカメラに劣ると
査 ῒ新製品ῌ 量産品の信頼性ΐ の不合格率約 40̮
いわれていた信頼性はῌ 輸出検査に振動῎衝撃試
が半減したことにも現れている ῒ図 9῍ 参照ΐ῍ 日
験 ῒ1960ῌ 1967 年改正ΐ が導入された῍ 企業努力
本カメラはῌ ユῐザῐにわたる前の静態的な品質
や輸出検査などによりῌ 海外での故障は半減しῌ
のうえにῌ ユῐザῐが使用する動態的な品質とし
多大の経費がかかるアフタῐサῐビス問題解決の
ての耐久性や信頼性が格段に向上したといえる῍
基本的一役を果たした ῍ またῌ 温湿度試験器や
一方ῌ ミノルタと西独῎ライツ社 ῒ現῎ライカ
振動῎衝撃試験装置が市販されはじめῌ 各メῐ
社ῌ 1972 年ΐ や 京 セ ラ と 西 独 ῎ ツ ア イ ス 財 団
カῐが事前チェック体制ができῌ 製品や包装῎梱
ῒ1974 年ΐ と提携の成果としてῌ ライカ CL ῒ日本
包方法の改良に役立った῍ たとえばῌ 製品包装に
名ライツ῎ミノルタ CLῌ 1973 年ΐῌ コンタック
発砲スチロῐルをῌ パレット梱包による輸送に変
ス- RTS ῒ1975 年ΐ が発売されῌ 両機とも日本製
64ΐ
更したことなどがある῍ さらにῌ ベトナム特需で
であった῍ 前述の JCII 形式検査が半減した 1976
の ῔高温多湿による故障῕ を教訓に温湿度試験
年にはῌ 信頼性も含めてドイツカメラを追い抜
ῒ1973 年ΐ に導入された῍ 振動῎衝撃試験につぐ
きῌ 世界に日本製カメラが高品質であることが認
められたといえよう῍
64ΐ
振動῎衝撃に関する検査基準は 1960 年から実施され
ていたがῌ 海外での輸送途中のトラブルがあった῍ その
῍3῎
ため検査基準を改正しῌ 新しい振動衝撃試験 ῒ1967 年ΐῌ
ῌ
温湿度試験 ῒ1973 年ΐ が導入された῍ その間ῌ 検査協会
と業界とで開いた研究会ῌ 委員会はῌ 4 年間で 20 数回に
輸出検査実施の影響
粗悪品輸出の排除効果 ῌ
先述の図 7. の
ようにῌ 事前に全数選別をしないと合格しなかっ
及んだという῍ 検査協会[ 1984 年] ῌ 236ῑ238 ペῐジに
よる῍ なおῌ ミノルタではῌ 人間宇宙船 ῒアポロ 8 号ΐ
用露出計῎ミノルタスペῐスメῐタῐ ῒ1968 年ΐ の
65ΐ
温度プラス 40̮からマイナス 5̮までの機能保持範囲
NASA の要求スペックが信頼性向上の大きな動機になっ
を規定する検査基準の追加改正が行われた῍ 検査協会
た῍
[ 1984 年] ῌ 238 ペῐジによる῍
̮ῌ῍῎̮
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῐ竹内ῑ
図 10.
輸出検査の受検社数と不合格率 ῐ1949̮1989 年ῑ
40
35
30
件
数 25
不
合 20
格
率 15
ῌ
10
5
0
0
10
20
30
40
50
60
70
出所 ῎ JCII ῒ日本カメラの歴史 ῐ続ῑΐ῍
JCII ῒ輸出検査実績表ΐ などにより作成῍
図 11.
年
日本機械輸出組合による輸出協定機関 ῐ1955̮1997 年度ῑ
カメラは機械類で 1 番長い輸出協定であった῍
期
間
注 ῎ 写真機以下は日本機械輸出組合による輸出協定῍
出所 ῎ 竹内淳一郎 ῔日本カメラの輸出戦略῕ 国際ビジネス研究学会報告論文ῌ 1999 年῍
原典 ῎ 日本機械輸出組合 ῔日機械輸出組合 25 年の記録῕ῌ 1977 年῍
日本機械輸出組合 ῔日機械輸出組合 30 年史῕ ῐ財ῑ 通商産業調査会ῌ 1982 年῍
日本機械輸出組合 ῔日機械輸出組合 40 年史῕ ῐ財ῑ 通商産業調査会ῌ 1993 年῍
公正取引委員会 ῔公正取引委員会年次報告 ῐ独占禁止法白書ῑ῕ ῐ財ῑ 構成取引協会ῌ 1989῏1997 年など
により作成῍
̮ῌ῍῎̮
経済科学研究所
第 33 号 ῑ2003ῒ
紀要
たと思われる῍ これは輸出検査の粗悪品の排除効
レ῏ムの一因となった῍ 輸出検査の品質水準は国
果があったといえる῍
際信用保持ため一定レベル以下の粗悪品の輸出防
῍
品質管理導入ῌ推進のインセンティブ ῍
企業はῌ 輸出検査に合格しないと輸出ができない
止が主なねらいでありῌ ユ῏ザ῏要求品質とは必
ずしも一致しない῍
῍
という強制検査のためῌ 品質管理ミナ῏受講ῌ 輸
規制期間の長期化 ῍
生糸 ῑ1895ῐ1998
出検査の受検体制も含め品質管理体系の整備ῌ 積
年ῒ が 103 年 と 最 も 長 くῌ 絹 織 物 ῑ1905 ῐ 97
極的な TQC への取り組みなど品質管理による品
年ῒῌ 花筵 ῑ1905ῐ80 年ῒῌ 食料缶詰 ῑ1911ῐ97
質向上のインセンティブになった῍ またῌ 検査協
年ῒῌ 人絹織物 ῑ1933ῐ97 年ῒῌ 緑茶῎人造真珠
会を通じてῌ 輸出検査デ῏タや検査員から検査規
ῑ1936ῐ97 年ῒῌ 綿織物 ῑ1936ῐ94 年ῒῌ 電球῎
格や業界情報は自社レベル把握や商品企画のいい
鉛筆 ῑ1936ῐ91 年ῒῌ 毛織物 ῑ1940ῐ94 年ῒῌ 自
情報であった ῍
転車 ῑ1936ῐ89 年ῒ の軽工業が目立つ῍
66ῒ
῎
海外評価の維持向上 ῍
輸出検査制度の副
またῌ 軽機械ではまたῌ 双眼鏡 ῑ1948ῐ94 年ῒ
次的効果ともいえるがῌ 標準化の積極的な推進ῌ
の 46 年 が 最 長 でῌ 時 計 ῑ1948 ῐ 91 年ῒῌ カ メ
QC の導入ῌ 高生産性の維持῎向上ῌ 海外販売網
ラ῎交換レンズ ῑ1948ῐ89 年ῒῌ ミシン ῑ1948ῐ
の整備などが相互補完的に作用したことであろ
74 年ῒ の順であった ῑ図 11. 参照ῒ῍
う῍
検査機関はῌ 検査員ῌ 検査設備ῌ 建物などの面
῏
不合格率の低下 ῍
不合格率の低下はῌ 生
産技術の改良ῌ 官民一体の製品῎部品の規格化῎
から輸出検査依存体質になりやすくῌ 規制の長期
化を助長したともいえよう῍
῎
標準化などの結果である῍
ῐ
限界企業の退出 ῍
受検貨物の滞貨 ῍
大量生産品はとくに工
受検会社数と検査不合
程品質の良否が重要である῍ 輸出検査は輸出され
格率との関連を見るとῌ 大手メ῏カ῏の新製品開
る貨物のみに着目して品質保証を確保しようとし
発力や生産技術改善の努力と中小メ῏カ῏の生産
ているためῌ 滞貨が生じ大きな生産阻害となる῍
῏
数や技術的῎品質的な劣位などからῌ 結果的に輸
検査基準の技術進歩への法対応の遅れ ῍
出検査が参入障壁となりῌ 中小企業の退出を促進
技術進歩への検査基準の対応が後追いになりがち
したといえよう ῑ図 10. 参照ῒ῍
でる῍ とくに検査基準にない新製品はῌ 業界の合
ῑ
アウトサイダ῎輸出数量の把握 ῍
強制検
査のためῌ 輸出検査デ῏タは員外者 ῑアウトサイ
意など時間がかかりῌ タイミングよく輸出ができ
ないこともある῍
ῐ
67ῒ
ダ῏ῒ の輸出数量が間接的 ではあるがῌ はやく
把握できた῍
重複検査 ῍
検査基準より高い社内基準を
もつメ῏カ῏にとってはῌ 人件費や検査手数料な
どの検査費用がコストアップ要因になった῍
῏4ῐ
ῌ
輸出検査の限界
検査基準と要求品質との不一致 ῍
ῌ
海外バ
イヤ῏の要求品質とはῌ 必ずしも一致せず輸出ク
むすびに
日本カメラがῌ 高品質製品になった理由の一つ
にῌ 輸出検査制度がある῍ この制度の目的はῌ 粗
66ῒ
初期の外観検査はῌ 主に官能検査のため協会検査員の
悪品の輸出を防止しῌ 輸出品の声価の維持向上を
クセによる判定のバラツキもあった῍ 主な理由はῌ 出身
図ることである῍ 日本政府は過去約 100 年にわた
メ῏カ῏での経験からのようでῌ かえって改善のヒント
りῌ 粗 悪 品 輸 出 の 防 止 の た めῌ 生 糸 検 査 所 法
になったともいえる῍
ῑ1895ῐ1911 年ῒῌ 輸出絹織物取締法 ῑ1927ῐ
67ῒ
検査協会の輸出合格数量ῌ工業会統計の輸出数量῔ア
ウトサイダ῏輸出数量῍
1944 年ῒῌ 重要輸出品取締法 ῑ1936ῐ1948 年ῒῌ
ΐ῍῎ῌΐ
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῒ竹内ΐ
輸出検査法 ῒ1948ῐ1997 年ΐ などに基づきῌ 戦
̮検査
略的輸出品の品質規制を行ってきた῍ この海外で
会ῌ 1959 年῍
の事例は少なくῌ 一部の発展途上国が重要な農産
[ 6]
物などῌ また先進国ではῌ スイス ῒ1962ῐ1991
第 2 次大戦後ῌ 輸出産業に急発展した日本カメ
ラはῌ ῔模倣῕ῌ ῔安かろう悪かろう῕ といわれてい
日本貿易研究会 ̮戦後日本の貿易 20 年史̮ 通商産
[ 9]
機械工学研究会 ̮日本の機械工業ῑその現状と展
業調査会ῌ 1967 年῍
望̮ 通商産業研究会ῌ 1969 年῍
[ 10]
[ 11] 通商産業省工業品検査所 ̮工業品検査所 20 年史̮
秀文堂ῌ 1973 年῍
力や量産体制を確立した῍ またῌ 販路の拡大とア
フタ῏サ῏ビスのため海外販売網はῌ 1960 年代
[ 12] 日本機械輸出組合 ̮日本機械輸出組合 25 年の記
録̮ 同組合ῌ 1977 年῍
に欧州ῌ 1970 年代に北米ῌ アジアでῌ 日本メ῏
カ῏による直販体制を確立した῍ このようにして
日本写真機工業会 ̮戦後日本カメラ発展史̮ 東興
社ῌ 1971 年῍
その結果ῌ 日本カメラはῌ 1960 年代に機械῎
光学技術を基盤に電子技術を導入により製品開発
西謙一 ̮輸出検査と商事仲裁̮ 港出版社ῌ 1963
[ 8]
たことをῌ 輸出検査デ῏タとアメリカで有名な
CU テスト結果に基づき検証した῍
品質と輸
年῍
た῍ その後ῌ 日本カメラはῌ 模範としていたドイ
ツカメラを数量や金額ῌ さらに品質でも追い越し
通商産業省工業品検査所監修 ̮検査
出̮ ῒ各号ΐ 工業品検査研究会ῌ 1959ῐ62 年῍
[ 7]
年ΐ やフランスが時計に導入したことがあった῍
品質と輸出̮ 第 11 号ῌ 工業品検査研究
[ 13] 通商産業省貿易局検査デザイン課 ̮輸出検査 20
年の歩み̮ アイガ῏孔版ῌ 1978 年῍
日本カメラはῌ 1962 年に生産ῌ 1967 年に輸出ῌ
1976 年に品質でῌ 名実ともにドイツカメラを追
[ 14] ῒ財ΐ 日本機械デザインセンタ῏ ̮ῒ財ΐ 日本機械
い抜いたことが検証できた῍ したがってῌ 輸出検
デザインセンタ῏ 20 年史̮ 同センタ῏ῌ 1979
査法の指定解除の時期 ῒ1989 年ΐ はῌ 約 10 年早
年῍
[ 15] 日本写真機工業会 ̮日本の写真産業̮ 各年ῌ 同工
めてもよかったともいえる῍
業会ῌ 1979 年῍
この成果の主たる担い手はῌ たゆまぬ自助努力
をした日本のカメラῌ レンズの関連産業と輸出検
[ 16] 日本機械輸出組合 ̮日本機械輸出組合 30 年史̮
査など輸出振興策を実行した日本政府 ῒJCII を含
むΐ であった῍ 両者の相互補完的な関係はῌ 戦後
ῒ財ΐ 通商産業調査会ῌ 1982 年῍
[ 17] 日本機械工業連合会 ̮戦後機械工業発展史̮ 同連
合会ῌ 1982 年῍
初期から 1970 年代にかけてῌ 世界のユ῏ザ῏や
[ 18] ῒ財ΐ 日本写真光学機器検査協会 ̮世界の日本カメ
ディラ῏などを味方にしたともいえよう῍
ῒ産業学会会員ΐ
ラ̮ ῒ輸出産業のあゆみῌ 改訂増補版ΐῌ 1984 年῍
[ 19] 高崎仁良 ῔最近のカメラ産業の動向ῌῌ輸出構造
参考文献
[ 1]
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[ 2]
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の転換と多角化の推進῕ ̮経済論叢̮ῌ 1984 年 5
月ῌ 133ῐ135 ペ῏ジ῍
1949 年῍
[ 20] 森田道也 ῔戦略と革新ῌῌカメラ 6 社の事例研
究῕ ̮組織科学̮ ῒ11- 1ΐῌ 1985 年῍
合作社ῌ 1953 年῍
[ 3]
商工行政史刊行会 ̮商工行政史 ῒ上῎中῎下巻ΐ̮
[ 4]
通商産業省通商局通商調査課 ̮日本貿易の展開̮
[ 21] 竹田志郎 ̮国際マ῏ケッティング̮ 同文館出版ῌ
1985 年῍
同刊行会ῌ 1954ῐ55 年῍
[ 22] 日本写真機工業会 ̮日本カメラ工業史̮ 同会ῌ
1987 年῍
戦後 10 年の歩みから̮ 商工出版社ῌ 1956 年῍
[ 5]
恵下湧 ῔悪かろう
安かろう
の実態をつく ῒ3ΐ῕
[ 23] 公正取引委員会 ̮公正取引委員会年次報告̮ ῒ財ΐ
̮ῌ῍ῌ̮
経済科学研究所
第 33 号 ῑ2003ῒ
紀要
メラにおける輸出マ῏ケッティング史῔ ῕経済論
公正取引協会ῌ 1989ῐ1997 年῍
[ 24] 軽機械センタ῏運営協議会 ῕軽機械センタ῏開設
叢̮ 第 158 巻 4 号ῌ 1996 年῍
[ 34] 通商産業省製品評価技術センタ῏ ῕繊維製品検査
25 年の歩み̮ 同協議会ῌ 1989 年῍
[ 25] 日本機械輸出組合 ῕日本機械輸出組合 40 年史̮
[ 26] 小宮隆太郎 ῕研究シリ῏ズ 18
所のあゆみ̮ 同センタ῏ῌ 1996 年῍
[ 35] 小宮山康二 ΐ輸出検査法及び輸出品デザイン法の
ῑ財ῒ 通商産業調査会ῌ 1993 年῍
廃止について῔ ῕貿易実務ダイジェスト̮ 日本関税
機械工業におけ
協会ῌ 1997 年 6 月῍
る日本の比較優位ῌῌ産業組織と技術進歩ῌῌ̮
[ 36] 竹内淳一郎 ῕戦後日本カメラ産業の発展と輸出検
通商産業研究所ῌ 1994 年῍
査制度 ῑ1996 年度ῒ̮ 大阪市立大学大学院経済学
[ 27] 大平哲夫 ΐ日本カメラ産業における国際マ῏ケ
ティング戦略の展開῔ ῕星陵台論集̮ 27 巻 1 号ῌ
研究科修士論文ῌ 1997 年῍
[ 37] 竹内淳一郎 ῑ1998ῒ ΐカメラ῎フイルムのデファ
神戸商科大学ῌ 1994 年῍
クトスタンダ῏ド῔ ῕大阪の産業記念物̮ ῑ21 号ῒῌ
[ 28] 産業学会 ῕戦後日本産業史̮ 東洋経済新報社ῌ
産業考古学会ῌ 1998 年῍
1995 年῍
[ 29] 小倉敏布 ῕写真レンズの基礎と発展̮ 朝日ソノラ
[ 38] 竹内淳一郎 ῕日本カメラの輸出戦略̮ 中国῎山東
大学報告論文ῌ 1998 年῍
マῌ 1995 年῍
[ 30] 小倉敏布 ΐ写真レンズの戦後 50 年῔ ῕カメラレ
クラッシックカメラ専科 NO. 35
ビュ῏
[ 39] 竹内淳一郎 ῕日本カメラの輸出戦略̮ 国際ビジネ
ス研究学会論文ῌ 1999 年῍
日本
[ 40] 竹内淳一郎 ΐ西陣織物会所に輸出検査の原型を求
のカメラ 50 年̮ 朝日ソノラマῌ 1995 年῍
めて῔ ῕耕芸
[ 31] 白松正 ΐ戦後 50 年の日本カメラの歩み῔ ῕カメラ
レビュ῏
クラッシックカメラ専科 NO. 35
第 43 回
年῍
日
[ 41] 竹内淳一郎 ΐ日本の双眼鏡と輸出検査῔ ῕大阪の産
本のカメラ 50 年̮ 朝日ソノラマῌ 1995 年῍
[ 32] 白松正 ΐカメラ考古学
第 5 号̮ ῑ財ῒ 西陣織物会館ῌ 1999
業記念物̮ ῑ23 号ῒῌ 産業考古学会ῌ 2000 年῍
35ῌ一眼レフ
[ 42] 竹内淳一郎 ΐ日本の軽工業と輸出検査制度῔ ῕産業
の進展 ῑ῍ῒ῔ ῕写真工業̮ῌ 1996 年῍
[ 33] イムティアズ῎ホセイン῎モヒウディン ΐ日本カ
学会研究年報 2000̮ ῑ16 号ῒῌ 産業学会ῌ 2001
年῍
̮ῌ῎῍̮
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῏竹内ῐ
付図 1.
カメラ῍レンズの輸出検査不合格率と合格 ῏輸出ῐ 数 ῏1954ΐ1989 年度ῐ
出所 ῎ JCII ῑ輸出検査実績表ῒ により作成ῌ
ΐῌ῎῍ΐ
経済科学研究所
付図 2.
テ
ス
ト
掲
載
機
種
数
ῌ
不
合
格
率
῍
テ
ス
ト
機
種
数
ῌ
不
合
格
率
῍
テ
ス
ト
機
種
数
ῌ
不
合
格
率
῍
テ
ス
ト
機
種
数
ῌ
不
合
格
率
῍
ῌ
紀要
第 33 号 ῐ2003ῑ
米国 CU の評価 ῐ1945ῒ1989 年ῑ
スチルカメラ
輸出検査合格率年ῌ
輸出検査合格率年ῌ
輸出検査合格率年ῌ
輸出検査合格率年ῌ
注 ῎ ῐ1ῑ CU 評価はῌ A῎ Excel+VGΐ100῏70 点ῌ B῎ G+Fΐ69῏40 点ῌ C῎ P+Vΐ39 点῔0 点ῌ NAΐ0 点 ῎ Not
Acceptable と区分した῍ Ac῎ Acceptable (Ex῎ Excellent. VG῎ Very Good. G῎ Good. F῎ Fair. P῎ Poor.
V῎ Variable).
ῐ2ῑ 国名はῌ ブランド名及び取扱業者から推定῍
出所 ῎ “CONSUMER REPORTS” 1945- 1989, VOL. 10- 54 より作成῍
ῒῌ῎῍ῒ
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῑ竹内ῒ
付表 1.
西暦
海外販売会社の設立年度 ῑ半角英文字 ῏ 支店῎駐在員事務所ῌ 全角英文字 ῏ 直接販売現地法人ῒ
欧
州
第三地域
北米
北米
カナダ
海外販売網設立の推移 ῑ1945̮1989 年ῒ
西独
スイス
蘭
1945 ̮
̮
̮
46
47
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50
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56 K
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57 KY
m
c
58 a・f KY
59 M・H
ky
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S
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KY・H N
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63
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64 MT
f・k・O
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75
KY
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78
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99
̮
ベルギῐ スエῐデン オῐストリῐ スペイン
̮
伊
仏
英
̮
フィンランド デンマῐク ノルウェῐ
̮
̮
計
ブラジル
西暦
ῐ ス ト シンガポῐル 香港
パナマ オラリア
̮
2
F
1
1
1
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̮
2
3
2
1
2
2
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H
̮
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̮・MT
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KY
KY
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M
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A・M MT・H
A
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4
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3
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2
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C
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M
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C
MT
KY
MT
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F
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1945
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68
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74
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96
97
98
99
注 A῏ 旭光学ῌ C῏ キャノンῌ Ch῏ チノンῌ F῏ 富士写真フィルムῌ K῏ コニカῌ KY῏ 京セラヤシカῌ M῏ ミノルタῌ N῏ ニコンῌ O オリンパスῌ R῏ リコῌῌ T῏ タム
ロンῌ Sg῏ シグマ῍ H῏ ホンダῌ MT῏ 松下電器ῌ S῏ ソニῐ῍
̮印はカメラの輸入自由化時期῍ ただしῌ 1963 年以前に自由化した国は時期が不明なため 1945 年とした῍
出所῏ 竹内淳一郎 ῑ1998ῒ ῕日本カメラの輸出戦略̮ 中国῎山東大学報告論文( 1998. 12. 22) にῌ 竹田志郎 ΐ日本企業の国際マῐケティング῔ 同文館ῌ 1985 年を追加して作成῍
原典῏ JCIA 編 ΐ日本カメラ工業史ῌῌ日本写真機工業会 30 年のあゆみ῔ 同協会ῌ 1987 年より作成῍
̮ῌ῎῍̮
経済科学研究所
付表 2.
紀要
第 33 号 ῒ2003ΐ
日本機械輸出組合の輸出協定と経緯 ῒ1945̮1992 年ΐ
輸出協定設定と実施の推移
西暦 輸出 広告
D・M 修理
総 商標 意匠 L/C 西暦
カメラ輸出の主な動き ῐ太字ῑ
価格 綱領 系列 防止 保証 数量 金額 届出 制限 決済
1945
1945
46
46
47
47 カメラ公定価格撤廃 10 月῍
48
48 輸出品取締法制定 ῐ施行 49.1.1ῑῌ カメラ指定品目῍
49
49 為替レ῏ト単一化 360 円῍ カメラ業界自主検査開始῍
50
50 感材公定価格撤廃 4 月ῌ 朝鮮動乱勃発ῌ 第 1 回フォトキナ ῐ独ケルンῑ῍
51
51
52
52 輸出検査法制定 ῐ施行 53.8.1ῑ
53
53 JCIA 発足ῌ カメラ三連協議会発足ῌ アサヒフレックスῘ発売῍
54
54 JCII による輸出検査開始ῌ ジェトロ発足ῌ NY 光学機器展ῌ ライカ M3 発表῍
55
55 N῎Y カメラセンタ῏開所 ῐ第 1 回カメラショウῑ῍
56
56 第 5 回フォトキナῌ 日本初参加῍
57
57
58 ῌ 米国・カナダほか 4 カ国
58 輸出価格自主規制ῌ カメラ月販発足ῌ 写真卸業会発足῍
JMDC へ移管ῌῑ
59 ῍ 米国価格点数制
59 意匠制限ῌ 日本機械デザイン C ῐJMDCῑ 設立῎輸出品デザイン法施行῍
11 カ国
60
60 カメラの輸入自由化ῌ 第一回日本カメラショウ東京高島屋で開催῍
ῒ
61 ῎ 米国 11 カ国
61 カメラ῎8 ミリ EE を含め輸入自由化ῌ ヤシカが欧州で直販体制開始῍
ΐ 英国
62
62 日本カラῐラボ協会発足ῌ 写真卸業会がῌ 写真特約店連合会となる῍
63 ῏ 米国 13 カ国
63 写真機材 ῐカラ῏フィルム等除ῑ 輸入自由化ῌ NY で MPDFA ショウ῍
῔ 米国
64
64 東京オリンピック開催῍
῕ カナダ・香港
65 ῐ 米国 14 カ国
65 不況カルテル῍
ῑ
ῑ スペイン ̮ 英国・スペイン ̮ スペイン
66
66 不況カルテル打切りῌ リコ῏業界初 ῒ台湾理光ΐ 設立ῌ ベトナム特需活発῍
̮ 米国 ̮ 米国
67
67 写真機第 1 次資本自由化第 1 種 ῐ50̮ῑῌ 公取委景品提供制限告示῍
̮ フランス ̮ フランス
̮ フランス
68
68 カラ῏フィルム自由化経団連より迫られる῍
69
69 第 2 次資本自由化 ῒ映画用機械等ΐ῍
廃止
70
70 第 3 次資本自由化 ῒ露出計῎レンズ等ΐῌ 日本万博開催ῌ ミノルタ全米直販体制開始῍
71
71 円変動相場制 ῐ円 1̮῕308 円ῑῌ ツアイス῎イコン社ῌ カメラから撤退῍
72
72 日米通商協議 ῐカラ῏フィルム等関税率 10̮引き下げ合意ῑ῍
̮
73
73 貿易管理令輸出抑制処置 ῐ2῔8 月ῑ῍
価格協定に 1 本化
74
74 カメラ内需不振ῌ ロ῏ライシンガポ῏ル 3ῌ800 万̮ペ῏ゼル会長辞任῍
75
75 ロ῏ライシンガポ῏ル工場 3ῌ000 人解雇῍
76
76
77
77
78
78
79
79
80
80
̮ オῐストラリア・南ア削除
81
81 ロ῏ライ倒産ῌ ソニ῏ ῒマビカΐ 発表῍
82
82
83
83
84
84
85
85 ミノルタ̮- 7000 発売῍
86
86
ῖ 35LS 最低価格条項から削除
87
87
ῗ 8 ミリ撮影機削除
88
88 メῐカῐ希望価格と実勢価格との乖離公取委より指摘῍
規制廃止
89
89 日米構造委ῌ カメラ内外価格差指摘῍ カメラ輸出検査法指定廃止 ῐ12.13ῑ῍
90
90 消費税施行ῌ 物品税廃止῍
91
91
92
92 カメラ῎レンズ輸出デザイン法指定廃止 ῐ430ῑ῍
93
93
94
94
95
95
96
96
97
97 輸出検査法ῌ 輸出デザイン法廃止 ῐ4.9ῑ῍
98
98 蚕糸業法ῌ 真珠殖産事業法廃止 ῐ12.31ῑ῍
99
99
出所 ῏ 竹内淳一郎 ῒ1998ΐ ̮日本カメラの輸出戦略̮ 中国῎山東大学報告論文ῌ 1998 年῍
原典 ῏ JCIA 編 ῔日本カメラ工業史ῌῌ日本写真機工業会 30 年のあゆみ῕ 同協会ῌ 1987 年῍
日本機械輸出組合 ̮日本機械輸出組合 25 年の記録̮ῌ 1977 年῍
日本機械輸出組合 ̮日本機械輸出組合 30 年史̮ ῒ財ΐ 通商産業調査会ῌ 1982 年῍
日本機械輸出組合 ̮日本機械輸出組合 40 年史̮ ῒ財ΐ 通商産業調査会ῌ 1993 年などにより作成῍
̮ῌ῎῍̮
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῑ竹内ῒ
付表 3.
西暦
和暦
1947
S 22
1948
23
制限付き民間貿易が許可されῌ 貿易の急拡大しῌ 品質問題発生
輸出品取締法制定 ῑ7.1ῒῌ
品質基準 ΐ日本輸出規格
1949
24
日本カメラの輸出検査の動き
ῑM ῏ 明治ῌ T ῏ 大正ῌ S ῏ 昭和ῌ H ῏ 平成ῒ
日本カメラ輸出検査関係
携帯写真機 JES 輸 39῔ 制定
輸出品取締施行規則制定されῌ 光学関係指定 ῑ携帯写真機ῌ 顕微鏡ῌ
望遠鏡ῌ 16 ミリ映写機等ῒ῍ 光学精機工業会ῌ 写真機部会で自主検査開始
監査のため商工省に機械器具検査所設立
1951
26
輸出品取締法に検査機関῎検査員の登録ῌ 設備の指定が追加
1952
27
輸出入取締法制定
1953
28
輸出最低基準ῌ 写真関係 JIS ῑB7107- 53 輸出カメラῌ B7108- 53ῒ 制定 ῑ3.28ῒ
1954
29
指定検査機関ῌ ῑ財ῒ 日本写真機検査協会設立ῌ
1955
30
輸出品取締法による PX 等向け検査開始
1956
31
輸写真関係 JIS ῑB 7107- 56 輸出カメラῌ 7108- 56ῒ 改正
1957
32
輸出品取締法廃止ῌ 新たに輸出検査法制定
輸出品取締法大幅改正 ῑ4.1ῒ
携帯写真機の輸出検査開始 ῑ8.1ῒ
1958
33
輸出検査法施行῍ 日本写真機検査協会ῌ 指定検査機関に
1959
34
日本機械デザインセンタῐ設立 ῑ8.ῒῌ 輸出品デザイン法施行 ῑ10.ῒ
1960
35
輸出品デザイン法による意匠の第 2 次認定業務開始 ῑ1.1ῒ
輸出検査の基準等の改正 ῑ振動῎衝撃試験開始῍ 8.11ῒ
1964
39
ロットによる輸検手数料還付制度実施 ῑ5.1ῒ῍ 外国人向免税カメラ検査開始
1967
42
振動῎衝撃試験改正 ῑ2.20ῒ῍ 調整型輸検手数料還付制度実施 ῑ7.1ῒ
1969
44
写真機等の温湿度試験器設置 ῑ3.ῒ
1973
48
耐候試験追加 ῑ6.ῒ
1978
53
フラシュガンの指定品目廃止῍ ベイリンググレア自動測定機設置
1981
56
経費負担および奨励金交付の規程の改正 ῑ還付金の増額ῒ
1982
57
カメラ内部振動によるフイルム面上の画面ブレ量測定装置設置
1984
59
輸出検査開始 30 周年῍ レンズ特性総合測定装置設置
1985
60
経団連よりカメラ等の輸出検査廃止要望 ῑ4.ῒ
8 ミリ撮影機῎映写機の指定品目除外 ῑ12.ῒ
1988
1989
63
カメラ等の輸出検査除外決定 ῑ1.ῒ
H 1 レンズῌ エレクトロフラッシュῌ 露出計の指定品目除外 ῑ2.ῒ
カメラῌ 同ボディの指定品目除外 ῑ12.13ῒ
1992
4
写真関係の輸出デザイン法の指定品目除外
1997
9
輸出検査ῌ 輸出品デザイン法ῌ 輸出入取締法廃止 ῑ4.9ῒ
出所 ῏ JCII ΐ世界の日本カメラ῔ῌ JCIA ΐ日本カメラ工業史῔ῌ 通産省工業品検査所 ΐ検査῔ により作成῍
῕ῌ῎῍῕
経済科学研究所
付表 4.
法律
等級῎標準ῑ基準等の省令
省令の制定日
基準制定日
準拠の規程
外観
光学部品
その他
組立て
材料
構造および機能
ファインダῐῌ 距離計
距離計の両視界の中心のずれ
距離計の像の合致
左右
上下
シンクロナイザῐの絶縁抵抗
セルフタイマῐ
起動
露出計
交換レンズῌ 附属品取付け部等
解像力
中心
周辺
画面の照度 F1.4̮F.No
ΐ開口効率῔ F1.4̮F.No̮F2.0
F2.0̮F.No̮F3.5
F.No̮F3.5
補助的距離目盛の誤差
画面の寸法
光のもれ 直射日光ῌ 6 方向
ファインダῐの視野
画面各辺
内面反射
画面のケラレ
露出計との連動性
画面の間隔
シンクロナイザῐの遅延時間 X 接点
F 接点
M 接点
FP 接点
シンクロナイザῐの接触効率 レンズシャッタῐ
フォカルプレῐンシャッタῐ
シャッタῐの露出時間 1/ 200 秒̮
ΐレンズシャッタῌ῔
その他
ΐフォカルプレῐンシャッタῐ῔ 1/ 200̮
その他
フォῐカルプレῐンシャッタῐの露出むら
電気露出計の誤差
F ナンバῌ
各絞り
最大口径
耐振動性
毎分 250 回ῌ 落下試験
耐久性 ΐ反復操作῔
本体
シャッタῌ
同調発光機構の接点ῌ 切片
その他
紀要
第 33 号 ΐ2003῔
カメラ輸出検査基準の推移比較表 ΐ主な改正点῔
輸出品取締法
輸出検査法
通産省令第 3 号
1958.1.31
JIS 7107- 56
1956.3.28
1953.4.6
JIS 7107- 53
1953.3.28
輸出検査法
通産省令第 88 号
1960.8.11
輸出検査基準の省令
1960.8.11
ῖ
ῖ
ῖ
̮
ῖ
ῖ
ῖ
̮
ῖ
ῖ
ῖ
ῖ
̮
̮
̮
̮
10 メグオῐム以上
7ῒ15 秒 以内に作動
̮
̮
1῏000/ d 以上
500/ d 以上
̮
17̮
20̮
23̮
̮
公称画面の 90̮以上
1 分間
実画面の 80̮以上
ῖ
ῖ
̮
̮
ῖ
ῖ
ῖ
ῖ
55̮以上
60̮以上
῕100̮ῌ ̮50̮
̮50̮
῕100̮ῌ ̮50̮
̮50̮
̮50̮
̮
̮5 以内
̮5 以内
̮
1῏000 回
3῏100 回
100 回
̮
0ῒ̮2 ディオプトリῐ
著しくズレないこと
1῎5 分以内
3῎0 分以内
7 メグオῐム以上
7ῒ15 秒 以内に作動
̮
̮
1῏200/ d 以上
700/ d 以上
̮
20̮
24̮ ΐF4῔
28̮ ΐF4῔
̮
0ῒ̮2 ディオプトリῐ
20̮以内
1῎5 分以内
2῎0 分以内
7 メグオῐム以上
6ῒ15 秒 以内に作動
目盛全長の 4̮以下
互換性を有すること
1῏200/ d 以上
500/ d 以上 ΐズῐム 400/ d 以上῔
20̮ ΐズῐム 16̮῔
24̮ ΐズῐム 20̮῔
28̮ ΐズῐム 24̮῔
28̮ ΐズῐム 24̮῔
F5.6 以内
24̮0῎6̮36̮0῎6ῌ
2 分間
実画面の 80̮以上
ῖ
ῖ
ῖ
ῖ
全開前 1msῌ 全開後 1/ 2ms
4̮2ms
18̮5ms
7ῒ15 ミリセカンド以下
40̮以上 ΐx 接点῔ῌ 60̮ ΐFῌ M 接点῔
40̮以上 ΐx 接点῔ῌ 60̮ ΐFP 接点῔
῕50̮ῌ ̮30̮ ΐ1/ 125 秒῔
῕80̮ῌ ̮40̮
῕40̮ῌ ̮30̮
῕50̮ῌ ̮40̮
̮30̮
̮1 段階以内
̮ ΐF̮5῔ ̮以内 ΐズῐム̮ ΐF̮5῔ ̮῔
῕5̮以内ῌ ̮ ΐF῕5῔ ̮
振幅 4ῌῌ 5 分間
1῏000 回
最短ῌ 最長 各 500 回
ῖ
ῖ
1 分間
実画面の 80̮以上
ῖ
ῖ
̮
̮
なし
4̮2ms
18̮5ms
7ῒ15 ミリセカンド以下
55̮以上
῕50̮ῌ ̮30̮ ΐ1/ 100 秒>῔
῕80̮ῌ ̮40̮
῕40̮ῌ ̮30̮
῕80̮ῌ ̮40̮
̮30̮
̮
̮ ΐF῕5῔ ̮以内
̮ ΐF῕5῔ ̮以内
振幅 2ῌῌ 5 分間
1῏000 回
3῏000 回
1῏000 回
̮
注 ῏ ῖ ῏ 規定あり῍ ̮規定なし῍
出所 ῏ ῍JIS B 7107 ΐ1953῔ 輸出写真機῍
῎JIS B 7107- 1956 輸出カメラ῍
῏輸出検査の基準等を定める省令の一部を改定する省令 ΐ通産省令弟 8 号῔ により作成῍
̮ῌ῍῍̮
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῏竹内ῐ
付表 5.
二眼レフのブランドと会社名一覧表 ῏1946ῑ1956 年ῐ
JCII 受検会社
会社
ブランド
A
B
発売
1
Accuraflex
1950
2
Airesflex Y1
1951
価格
15῏000
発売時の会社名
ヤル῎光学 ῏アイレスの前身ῐ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
アイレス写真機製作所
ῒ
ῒ
ῒ
ῒ
ῌ
1954- 64
1952
20,000
アルファカメラ製作所
ῒ
1954
17῏000
八陽光学工業
ῒ
ῒ
1954- 54
5
Amiflex
1953
9῏500
関東光学
ῒ
ῒ
1954- 54
ῌ
ῌ
ῒ
6
Arucaflex
7
Autoflex A
1955
15῏800
常盤精機
ῒ
ῒ
8
Beautyflex
1950
12῏000
太陽堂光機
ῒ
ῒ
1947
美光堂製作所
ῒ
1951
常盤精機
ῌ
11
Cosmoflex
1952
18῏600
アルファカメラ製作所
ῒ
12
Conpanion
1953
16῏000
タチバナ商会
ῒ
13
Crownflex
1953
12῏500
小林精工
ῒ
ῒ
14
Crystarflex 45
1954
18῏000
クリスタ῎光機
ῒ
ῒ
D
15
Dorimaflex
1952
11῏500
三和商会῍東京光機
ῒ
16
Dorisflex
1954
6῏000
ドリスカメラ
ῒ
E
17
Eicaflex
1954
16῏000
エイカカメラ製作所
ῒ
18
Elegaflex
1953
19῏000
日東写真/ 東洋光機
ῒ
19
Elicaflex
1951
18῏000
エリカ光機
ῒ
20
Elmoflexῌ
1946
21῏040
エルモ
ῒ
I
期間
Alfaflex
Bioflex
H
ῌ
Alpenflex῍s
Bikor- flex
G
1996
3
9
F
ῌ
4
10
C
JCIA 会員 JCII 受検
1947- 56 1954- 57 1958 1964 1989
ῌ
ῒ
ῒ
1954- 65
1954- 57
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
1954- 55
ῒ
1954- 59
ῒ
1956- 56
ῒ
21
Elizaflex
1952
14῏000
光洋光機
ῒ
22
Firstflex Pῌ
1950
6῏800
常盤精機
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
23
Fujicaflex Automat
1954
65῏000
富士写真フィルム
ῒ
ῒ
ῒ
ῒ
ῒ
ῒ
1954-
24
Geltoflex
1952
東亜光学
ῒ
25
Gnoflex
1955
武蔵製作所
ῒ
26
Graceflexῌ
1951
12῏000
木川光学
ῒ
東郷堂産業 ῏光機ῐ
ῒ
ῒ
ῒ
10῏000
東郷堂産業 ῏光機ῐ
ῌ
ῌ
ῌ
カフ精工
ῒ
ミズホ光機
ῒ
磯川光機
ῒ
27
Hacoflex
1955
28
Hobiflex῎
1955
29
Honestflex
1953
30
Honortflex
1955
31
Isocaflex
1952
17῏000
ῒ
1955- 56
1954- 61
ῌ
ῌ
ῌ
ῒ
ῌ
1954- 56
J
K
L
M
32
Kalloflex Automatῌ 1954
32῏000
興和光機製作所
ῒ
ῒ
ῒ
33
Koniflexῌ
1952
47῏000
小西六写真工業
ῒ
ῒ
ῒ
ῒ
ῒ
34
Laconflex
1965
9῏800
信濃光機
ῒ
ῒ
35
Larkflex
1953
14῏500
東洋光機
ῒ
36
Laurelflex
1951
32῏000
東京光学機械
ῒ
ῒ
ῒ
ῒ
37
Leadaflex
1953
新興商会
ῒ
38
Lusterflex S
1955
ラスタ῎光機
ῒ
ῒ
39
Lyraflex
1953
勝間光学
ῒ
ῒ
40
Maguniflex
41
Malcaflex
1952
16῏500
武蔵製作所
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
42
Mamiyaflex Junior
1948
19῏000
マミヤ光機製作所
῏現ῌ マミヤ῍オ῎ピ῎ῐ
ῒ
ῒ
ῒ
ῒ
ῒ
ῒ
1954-
43
Mananflex A῍
1955
8῏000
三和写真用品 ῏大阪ῐ
ῒ
15῏000
ῌ
ῌ
ῒ
1954- 79
ῒ
1954-
1954- 89
1956- 56
ῒ
ῑῌ῍῎ῑ
経済科学研究所
N
O
P
44
Manonflex
1955
45
Marioflex A
1954
16῏500
紀要
第 33 号 ῑ2003ῒ
三和写真用品 ῑ大阪ῒ
ῌ
ῌ
大城光学
̮
̮
46
Masmyflex῍
1951
高川 ῑマスミ῏ῒ 光機製作所
̮
47
Mericaflex῍
1953
メリカカメラ
̮
48
Middiflex
1953
15῏000
音羽光機製作所
̮
49
Mikonoflex
1962
7῏300
小島光学精機製作所
̮
50
Minoltaflex῍
1950
29῏700
千代田光学精工
̮
51
Minoriflexῌ
1950
12῏600
六和商事
̮
52
Monadeflex
1953
8῏950
隆美製作所
̮
53
Nikkenflexῌ
1951
13῏000
54
Nikkenflex JA
1951
55
Ofunaflex
1953
30῏000
56
Oriflex
1960
8῏950
日本光研製作所
̮
共進カメラ
̮
大船光学機械製作所
̮
オリエンタル写真工業
̮
̮
̮
ῌ
ῌ
̮
̮
̮
̮
̮
1955- 55
オリンパス光学工業
̮
̮
̮
̮
̮
̮
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
25῏000
栗林写真機械製作所
̮
̮
̮
̮
ῌ
ῌ
Olympusflex B῍
1953
43῏000
Osiroflex
1955
8῏800
59
Petriflex
1953
60
Photocaflex
1956
14῏500
日本フォトサ῏ビス
̮
61
Pigeonflex῏
1955
10῏500
エンド῏写真用品
̮
̮
62
Primoflexῌ
1950
24῏000
東京光学機械
ῌ
ῌ
63
Princeflex῍
1956
17῏000
東洋精機光学
̮
̮
プリンスカメラ
̮
ス῏パ῏写真用品
̮
64
Prince Junior
1955
9῏500
Qeenflex
1950
19῏500
R
66
Raemoflex
1955
67
Ricohflex model῎
1950
5῏800
68
Ripeflex
1953
14῏500
69
Rolleiflex
70
Ruvinaflex
1952
8῏000
昭栄産業
71
Silverflex Model S
1953
8῏500
日本光機
̮
̮
72
Sorigorflex
1955
常盤精機
ῌ
73
Superflex B
1950
美光堂製作所
74
Topcoflex
1950
75
Toyocaflexῌ
1954
7῏800
76
Tsubasaflex
1951
ῌ
1954-
1954- 68
大城光学
57
58
ῌ
1954- 67
̮
65
T
ῌ
̮
Q
S
ῌ
1954ῌ
1954- 78
ῌ
ῌ
ῌ
1955- 55
̮
̮
̮
̮
̮
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
東京光学機械
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
東郷堂産業 ῑ光機ῒ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
11῏400
木川光学
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
小林精工
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
3῏000
銀鈴光機
̮
ῌ
理研光学工業
̮
ライプ光学
̮
ῌ
19῏500
̮
1954-
̮
̮
1954- 56
U
V
W
77
Veriflex
1954
78
Vesterflex
1954
79
Wagoflex
1952
23῏000
ワルツ商会
̮
̮
̮
80
Walzflex
1955
10῏000
ワルツ商会
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
81
Wardflex
1954
大陽堂光機
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
82
Welmyflex
1950
13῏000
大成光機
̮
̮
̮
1954- 61
ῌ
ῌ
1954- 72
X
Y
ῌ
̮
83
Yanmerflex
1954
84
Yashimaflex
1953
15῏000
八州光学精機 ῑ現ῌ 京セラῒ
̮
̮
̮
̮
̮
̮
85
Yashicaflex ῑBῒ
1953
15῏000
八州光学精機
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
ῌ
Z
86
Zenobiaflex
1953
19῏500
第一光学
̮
̮
23
86
合計
会社数
70
34
平均̮ 16῏704
1954ῌ
1954- 55
18
11
8
7
注 ῎ ῌ印はῌ 1 社が 2 ブランド以上を発売している会社を示す῍
出所 ῎ JCII ΐ日本カメラの歴史 ῑ続ῒ῔ῌ 神戸カメラミュ῏ジアム ΐカメラの博物館第 1 回ῐ第 4 回῔ῌ JCIA ΐ戦後日本カメラ発展史῔ により作成῍
῕῍῎ῌ῕
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῎竹内῏
付表 6.ῌ
発
米国 CU 評価 “Best Buyΐΐ”, “Not Acceptableῑ” 一覧表 ῎1945ῐ1974 年῏
行
西暦 和暦 月 VOL 評価
ῑ
カメラの種類
ブランド名
原産地
本体価格
米国取扱業者 ῎日本の現メ῍カ῍名῏
1947 S22
6
12
Speed- O- matic Camera
米
1949
7
14
ΐΐ プレス ῎4x5῏
BUSCH PRESSMAN D
米
349.10 Busch Precision camera Corp.
7
14
ΐΐ プレス ῎4x5῏
7
14
1951
1957
24
26
32
インスタント
12.95 New Yorkvia Gimbel’s
MERIDIAN 45 B
米
376.40 Meridian Instruments Co.
ῑ
プレス ῎2 1/ 4x3 1/ 4῏
WATSON MINITURE PRESS
米
209.08 Burke & James
ῑ
プレス ῎2 1/ 4x3 1/ 4῏
PRINTEX
7
14
11
16
ΐΐ 二眼レフ ῎高価格῏
ROLLEICORD῍
西独
11
16
ΐΐ 二眼レフ ῎低価格῏
RICOHFLEX῍B
日本
11
22
ΐῒ 35 ミリレンズシャッタ῍ OLYMPUS 35- S
日本
11
22
ΐῒ 35 ミリレンズシャッタ῍ MINOLTA A2
日本
69.95 FR Corp. ῎ミノルタ῏
11
22
ΐῒ 35 ミリレンズシャッタ῍ RICO H500
日本
69.95 Riken Optical Industries Ltd.῎リコ῍῏
米
194.53 Printex Products
w/ c 159.30 Carl Zeiss, Inc.,
w/ c 47.45 Importing & Distributing Corp.
῎リコ῍῏
Corp.
69.95 Brockway Camera
῎オリンパス光学工業῏
11
22
ῑ
35 ミリレンズシャッタ῍ DEJUR D- 3
米
59.95 Dejur- Ansco corp.
11
22
ῑ
35 ミリレンズシャッタ῍ ROYAL SUPER CAT.2403M 1W/ 2Y
米
59.95 Burke & James, Inc.
ῑ
二眼レフ
1958
33
7
23
1959
34
12
24
12
24
25
ΐΐ 35 ミリレンズシャッタ῍ KODAK AUTOMATIC 35
ΐΐ 16 ミリ
ῑ
16 ミリ
YASICA- MAT
日本
75.50 Yasima OpticalInd.co.
SEARS TOWER CAT. No. 016
日本
29.50 Sears, Roeback ῎マミヤῌオ῍ピ῍῏
MAMIYA AUTOMATIC 16
日本
69.95 Caprod ltd. ῎マミヤῌオ῍ピ῍῏
1960
35
11
11
25
ΐΐ 35 ミリレンズシャッタ῍ AIRES VISCOUNT
日本
69.95 Kalimar, Inc. ῎アイレス写真機製作所῏
1961
36
11
26
ΐΐ 35 ミリ一眼レフ
日本
159.95 Allied Impex Corp. ῎ミランダカメラ῏
7
26
ῑ
35 ミリレンズシャッタ῍ AIRES PENTA 35
日本
89.95 Kalimar, Inc. ῎アイレス写真機製作所῏
7
26
ῑ
35 ミリレンズシャッタ῍ AIRES PENTA 35 with bilt- in
日本
110.00 Kalimar, Inc. ῎アイレス写真機製作所῏
MIRANDA D with 50/ 1.9
1962
37
11
27
ΐῒ インスタント
1963
38
11
28
ΐῒ 35 ミリレンズシャッタ῍ MINOLTA AL
11
28
11
30
1965
40
1966
41
1967
1968
42
43
ῑ
POLAROID 850
35 ミリレンズシャッタ῍ B & H CANON CANONET 2.8
ΐῒ ハ῍フサイズ
OLYMPUS PEN- EE
11
31
ΐῒ インスタント
POLAROID SWINGER 20
11
31
ΐῒ ラピッドシステム
MINOLTA 24 RAPID
11
32
ΐΐ インスタマチック
11
32
米
米
日本
90.00 Eastman Kodak Co.
139.95 Polaroid Corp.
79.95 Minolta Corp. ῎ミノルタ῏
日本
99.95 Bell & Howell Co. ῎キャノン῏
日本
inc.
49.95 Scopas/ Olympus,
῎オリンパス光学工業῏
米
日本
19.95 Polaroid Corp.
79.90 Minolta Corp. ῎ミノルタ῏
REVERE 504
?
9.45 3M co.
ῑ
ボックス
BRUMBERGER THUNDERBIRD
?
1.98 Brumberger co., Inc.
ῑ
ボックス
BRUMBERGER FLASHFLEX
11
32
11
33
ΐῒ 二眼レフ
11
33
11
33
?
YASICA MAT- 124
日本
ΐῒ 二眼レフ
YASICA D
日本
ΐῒ インスタント
POLAROID APPEALING 230
米
4.95 Brumberger co.,Inc.
99.95 Yashica, Inc. ῎京セラ῏
59.95 Yashica, Inc. ῎京セラ῏
99.95 Polaroid Corp.
11
33
ΐῒ インスタント
POLAROID APPEALING 210
米
49.95 Polaroid Corp.
1969
44
11
34
ΐῒ インスタント
POLAROID COLORPACKῌ
米
29.95 Polaroid Corp.
1971
46
11
36
ΐῒ 35 ミリレンズシャッタ῍ KONICA AUTO S2
日本
w/ c 125.00 Konica Camera Corp. ῎コニカ῏
11
36
ΐῒ 35 ミリレンズシャッタ῍ MINOLTA HI- MATIC 7S
日本
w/ c 110.00 Minolta Corp. ῎ミノルタ῏
11
47
ΐῒ 35 ミリ一眼レフ
日本
w/ c 340.00 Konica Camera Corp. ῎コニカ῏
8
37
ΐΐ 35 ミリレンズシャッタ῍ BELL & HOWELL AUTO 35 REFLEX 日本
1972
47
KONICA AUTOREFLEX with 52/ 1.8
176.00 Bell & Howell Co. ῎キャノン῏
with 50/ 1.8 & Case
1974
49
1
39
1
39
ΐΐ インスタマチック
ῑ
インスタマチック
SEARS 126X CAT.No.7840
香港
IMPERIAL 900
香港
ῐῌ῍ῌῐ
11.00 Sears Roeback
8.00 Imperial Camera Corp.
経済科学研究所
付表 6.ῌ
発
紀要
第 33 号 ῐ2003ῑ
米国 CU 評価 “Best Buy̮̮”, “Not Acceptableΐ” 一覧表 ῐ1975ῒ1989 年ῑ
行
西暦 和暦 月 VOL 評価
カメラの種類
̮̮ 35 ミリ一眼レフ
ブランド名
1975
50
11
40
1976
51
6
41
11
41
̮̮ 110 ῐポケットインスタマチックῑ MINOLTA POKET AP 270
日本
11
41
̮̮ 110 ῐポッケトインスタマチックῑ MINOLTA POKET AP 250
日本
11
41
̮̮ 35 ミリ一眼レフ
OLYMPUS OM- 1 with 50/ 1.8
日本
11
41
̮̮ インスタマチック
KODAK T INSTAMATIC 18
米国
1977
1978
1979
52
53
54
ΐ
OLYMPUS OM- 1 with 50/ 1.8
原産地
110 ῐポケットインスタマチックῑ PRINZ 303
日本
?
本体価格
米国取扱業者 ῐ日本の現メ῏カ῏名ῑ
448.00 Ponder & Best, inc.
ῐオリンパス光学工業ῑ
24.00 American International, Inc.
95.00 Minolta Corp. ῐミノルタῑ
75.00 Minolta Corp. ῐミノルタῑ
400.00 Ponder & Best, inc.
ῐオリンパス光学工業ῑ
26.00 Eastman Kodak Co.
11
42
̮̮ 110 ῐポケットインスタマチックῑ MINOLTA POKET AP 270
日本
11
42
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ CANONET 28’s with flash
日本
166.00 CANON U.S.A., Inc. ῐキャノンῑ
95.00 Minolta Corp. ῐミノルタῑ
11
42
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ CANONET G- ῍17
日本
187.00 CANON U.S.A., Inc. ῐキャノンῑ
11
42
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ KONICA AUTO S3
日本
200.00 Konica Camera Corp. ῐコニカῑ
11
42
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ MINOLTA HI- MATIC E
日本
170.00 Minolta Corp. ῐミノルタῑ
11
43
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ CANONET 28 with flash
日本
w/ c 177.00 CANON U.S.A., Inc. ῐキャノンῑ
11
43
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ CANONET G- ῍17
日本
w/ c 200.00 CANON U.S.A., Inc. ῐキャノンῑ
11
43
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ KONICA AUTO S3
日本
w/ c 210.00 Konica Camera Corp. ῐコニカῑ
11
43
̮̮ 110 ῐポケットインスタマチックῑ MINOLTA POKET AP 470
日本
110.00 Minolta Corp. ῐミノルタῑ
11
44
̮̮ 35 ミリ一眼レフ
CANON A1 with 50/ 1.4
日本
699.00 CANON U.S.A., Inc. ῐキャノンῑ
11
44
̮̮ 35 ミリ一眼レフ
OLYMPUS OM2N with 50/ 1.8
日本
608.00 Ponder & Best, inc.
ῐオリンパス光学工業ῑ
11
44
̮̮ 35 ミリ一眼レフ
MINOLTA XG7 with 50/ 1.4
日本
546.00 Minolta Corp. ῐミノルタῑ
1981
56
7
46
̮̮ テレコンバ῏タ῏レンズ
TOKINA 2X
日本
105.00 Tokina Optical Corp. ῐトキナ῏ῑ
1983
58
11
48
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ MINOLTA AFC with flash
日本
228.00 Minolta Corp. ῐミノルタῑ
11
48
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ MAMIYA U with flash
日本
180.00 Bell & Howell Co. ῐマミヤ῍オ῏ピ῏ῑ
11
48
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ OLYMPUS XA with flsh
日本
11
48
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ OLYMPUS XA2 with flsh
11
48
ΐ
ディスク
CONTINENTAL 201A
香港
35.00
11
48
ΐ
ディスク
CONTINENTAL 301
香港
48.00
11
49
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ MINOLTA AFC with flash
日本
219.00 Minolta Corp. ῐミノルタῑ
11
49
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ CHINON 35 with flash
日本
219.00 Chinon America., Inc. ῐチノンῑ
11
49
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ OLYMPUS XA2 with flsh
日本
215.00 Ponder & Best, inc.
ῐオリンパス光学工業ῑ
11
50
̮̮ 35 ミリ一眼レフ用交換レンズ TOKINA SMZ 835 80- 200ῌ
日本
183.00 Tokina Optical Corp. ῐトキナ῏ῑ
11
50
̮̮ 35 ミリ一眼レフ用交換レンズ CANON FD 70- 210ῌ
日本
140.00 CANON U.S.A. Inc. ῐキャノンῑ
11
50
̮̮ 35 ミリ一眼レフ用交換レンズ NIKON Nikkor 80- 200ῌ
日本
350.00 NIKON.,Inc. ῐニコンῑ
11
50
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ MINOLTA Talker
日本
140.00 Minolta Corp. ῐミノルタῑ
11
50
̮̮ 35 ミリ一眼レフ
PENTAX Super Program with F1.7/ 50
日本
225.00 PENTAX Corpῌ ῐ旭光学工業ῑ
11
50
̮̮ 35 ミリ一眼レフ
OLYMPUS OM- 2S with F1.7/ 50
日本
Inc.
350.00 Olympus America
ῐオリンパス光学工業ῑ
11
54
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ FUJI DL- 400 TELE
日本
317.00 FUJI U.S.A., Inc. ῐ富士写真フイルムῑ
11
54
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ NIKON TELE- TOUCH DELUXE
日本
317.00 NIKON., Inc. ῐニコンῑ
1984
1985
59
60
1989 H1
日本
255.00 Ponder & Best, inc.
ῐオリンパス光学工業ῑ
215.00 Ponder & Best, inc.
ῐオリンパス光学工業ῑ
11
54
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ CANON SURE SHOT ZOOM
日本
459.00 CANON U.S.A., Inc. ῐキャノンῑ
11
54
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ CANON SURE SHOT SUPREME
日本
328.00 CANON U.S.A., Inc. ῐキャノンῑ
11
54
̮̮ 35 ミリレンズシャッタ῏ CHINON AUTO 3001῔S300
日本
Chinon America., Inc. ῐチノンῑ
注 ῎ CU 評価記号ῌ
̮̮ Best Buy Product
̮̮ Best Buy’ Gifts
ΐ
Not Acceptable Product ῐCU 記号は῕ῑ
出所 ῎ “CONSUMER REPORTS” 1945-1989, VOL. 10-54 より作成ῌ
ῒῌ῎῍ῒ
日本カメラの品質向上と輸出検査 ῑ竹内ῒ
付表 7.ῌ
米国 CU のカメラ῎レンズテスト機種数 ῑ1945ΐ1969 年ῒ
発 行
西暦 和暦
記 事 名
年
月 VOL
1946 21 11 11 Box Cameras
11 11 Holding
11 11 Twin lens Reflex
11 11 35mm and Bantam
1947 22
6
12 Speed- o- matic Camera
11 12 Cameras (Higher priced camears)
1948 23 11 13 Press Cameras
1949 24
1
14 The Land Cameras
7
14 Press Cameras (4x5)
7
14 Press Cameras (3 1/ 4x4 1/ 4)
7
14 Press Cameras (2 1/ 4x3 1/ 4)
1950 25
8
15 Stereo Cameras
1951 26 11 16 Twin- Lens Reflex (Expensive)
11 16 Twin- Lens Reflex (Low- Priced)
1952 27 11 17 Photographic gift: Camera
1953 28 11 18 Photographic gift: Camera
1954 29 11 19 Photographic gift: Camera
1955 30
20
1956 31 11 21 The Minolta & The Rolleiflex
1957 32
3
22 4 Polaroid Cameras
11 22 35mm Cameras under $90
1958 33
7
23 Twi- Lens Refrex Cameras
9
23 Improvement on a good 35mm
11 23 35mmSLR (Lens shutters)
11 23 35mmSLR (Focal- Plane)
1959 34
1
24 35mm Rangefinder Cameras
7
24 Auto- Exposur Still Cameras
12 24 6x6 cm Models (120 Film)
12 24 4x4 cm Models (127 Film)
12 24 Subu- Minitre Cameras
1960 35
1
25 35mm Cameras under $100
10 25 Auto- Exposure Still Cameras
10 25 Focusing Lens Cameras
10 25 Fixed- Focus Lens Cameras
1961 36
7
26 Focal- Plane Shutter Cameras
7
26 Leaf- Type shutters Cameras
7
26 The Focal- plane Camera Lenses
8
26 Low- Cost Single- Lens Reflex Cameras
1962 37 11 27 35mm Rangefinder Cameras
1963 38 11 28 (35mm Auto- Exposure, $30- $100)
11 28 35mm, Full Manual Control
11 28 35mm, Limited Manual Control
11 28 35mm, Fixed Focus
11 28 The New Polaroid Cameras
11 28 The New Kodak Instamatic
1964 39
29
1965 40
6
30 (Single- Frame 35mm Cameras)
6
30 Auto- ExpousureῌFocusing
6
30 Auto- ExpousureῌFixed Focus
6
30 Match- NeedleῌFocusing
6
30 Manual
7
30 Olynpus- Pen- F
1966 41
5
31 Law- Cost Instant- Load
1967 42
7
32 Fast Lenses For 35mm Cameras
11 32 (Law- Cost Still Camera)
11 32 Instant- Load Cameras
11 32 Roll Film Cameras
1968 43
33
1969 44
8
34 (Instant- Load Auto- Expousure)
8
34 Focusing Models
8
34 Non- Focusing Models
日 本
Acceptable N.A
A
B
C
D
1
1
1
1
3
3
1
8
2
3
3
1
7
4
3
2
5
11
3
3
1
1
2
6
1
6
1
2
2
3
13
4
2
2
3
1
2
1
1
3
1
3
4
2
1
1
1
1
1
1
2
1
計
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
1
1
0
0
1
0
7
12
2
0
4
10
0
7
2
6
13
0
0
0
9
3
9
1
15
1
2
3
1
1
1
4
1
3
1
3
4
1
2
2
1
4
1
1
1
1
4
2
3
4
1
1
計
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
3
3
0
1
1
0
1
0
1
7
0
2
5
7
0
4
1
1
0
0
2
0
5
1
5
0
4
米国ほか
AC N.A
A-C D
計
3
3
2
2
2
2
5
5
1
1
1
9
3
3
1
1
7
7
3
3
3
2
5
1
1
8
8
1
1
6
6
2
2
2
2
0
0
4
4
6
2
8
0
0
1
1
0
1
1
3
3
0
1
1
2
2
0
0
2
2
5
5
0
0
0
0
2
2
合 計
AC N.A
A-C D
3
2
2
5
1
8
1
3
1
7
3
3
2
1
11
5
7
4
3
2
4
14
18
2
3
9
18
3
11
4
8
13
4
5
14
2
14
1
21
6
7
1
0
0
0
2
2
2
2
0
0
0
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
9
9
2
1
1
4
2
2
4
1
3
4
1
1
0
1
1
0
4
0
1
1
0
0
0
0
3
0
6
2
3
5
1
10
4
4
0
0
13
9
13
11
0
18
9
3
0
5
3
5
3
15
5
1
0
0
5
1
ドイツ
Acceptable N.A
A
B
C
D
7
2
1
1
2
2
3
1
3
3
2
注 ῏ ῑ1ῒ CU 評価はῌ A ῏ EX+VG῔100ῐ70 点ῌ B ῏ G+F῔69ῐ40 点ῌ C ῏ P+V῔39 点>0 点 NA῔0 点と区分した῍ 略号は下記による῍
AC ῏ Acceptable (EX: Excellent. VG: Very Good. G: Good. F: Fair. P: Poor. V: Variable). D: Not Acceptable (N.A)
ῑ2ῒ 国名はῌ ブランド名及び取扱業者から推定῍
出所 ῏ “CONSUMER REPORTS” 1945- 1989, VOL. 10- 54 より作成῍
ΐῌ῎῍ΐ
2
1
1
2
1
計
3
2
2
5
1
9
3
1
7
3
5
1
11
5
7
4
3
0
2
4
16
19
2
3
9
18
3
11
4
9
13
0
4
5
14
4
14
1
21
9
10
2
1
1
6
2
3
5
1
10
4
2
18
11
0
15
5
経済科学研究所
付表 7.ῌ
米国 CU のカメラ῎レンズテスト機種数 ῑ1970ΐ1989 年ῒ
発 行
西暦 和暦
記 事 名
年
月 VOL
1970 45 11 35 35mm Cameras (Lens shutters)
1971 S46 11 36 Polaloid Cameras
1972 47
3
37 Non Reflex 35mm Cameras
8
37 (35mm SLR Cameras)
8
37 Automatic Exposure Contol
8
37 Matchpointer Exposure Contol
1973 48 11 38 (Pocket Cameras)
11 38 Law- Priced Pocket
11 38 Hight- Priced Pocket
1974 49
1
39 Cheap Instant- Load Cameras
3
39 Polaloid SX- 70
11 39 Single- Lens Reflex Cameras
11 39 35mm Wide- Angle Lens
11 39 135mm Telephoto- Angle Lens
1975 50
2
40 Polaloid zip Cameras
1976 51
6
41 (Pockt Cameras)
6
41 Adjustable- Focus Models
6
41 Zone- Focus Models
6
41 Fixed- Focus Models
6
41 Instant- Picture
1977 52
1
42 Low- Priced 35mm Cameras
11 42 (Pocket Cameras)
11 42 Adjustable- Focus Models
11 42 Point- and- Shoot Models
1978 53
2
43 (Instant- Picture Cameras)
2
43 Adjustable- Focus Models
2
43 Fixed- Focus Models
1979 54
9
44 (35mm Single- Lens Reflex)
9
44 35mm SLR Cameas
9
44 Normal Lenses
9
44 Zoom Lenses
1980 55
1
45 Autofocus
11 45 Infrared Beam For Autofocus
1981 56
2
46 (Pocket 110 Cameras)
2
46 Adjustable- Focus Models
2
46 Point- and- Shoot Models
7
46 Tele Converter Lenses
11 46 35mm SLR Cameas
11 46 Normal Lenses
1982 57 11 47 Kodak Disc Cameras
11 47 Four- Eyes Cameras Makers 3D snapshots
1983 58
8
48 Ultraconpact 35mm Cameras
11 48 Disc Cameras
11 48 Minolta CLE 35mm Camera
1984 59
49
1985 60
3
50 Minolta Talker 35mm AF Camera
5
50 35mm single- lens reflex Cameras
5
50 Normal Lenses for SLR’s
5
50 Telephoto zoom Lenses for SLR’s
1986 61
3
51 The Minolta Maxxum (AF SLR’s)
11 51 Autofocus 35mm Cameras
1987 62
52
1988 63
8
53 Disposabl Cameras
11 53 (Compact 35mm Cameras)
11 53 Basic Models
11 53 Dual- and zoom- lenes Models
1989 H1 10 54 Cameras for electronic snapshots
合
第 33 号 ῑ2003ῒ
紀要
日 本
Acceptable N.A
A
B
C
D
4 11
4
5
8
2
11
21
7
3
5
2
1
2
2
3
16
3
6
1
計
5
4
1
1
7
19
0
4
1
0
27
16
15
0
4
1
6
9
12
計
15
ドイツ
Acceptable N.A
A
B
C
D
5
3
4
1
2
4
1
2
1
5
4
3
0
22
1
9
1
4
3
0
0
8
1
1
4
1
19
20
8
5
2
1
14
21
27
4
1
1
9
2
1
27
25
13
4
1
4
4
7
1
26
22
29
8
1
1
22
2
1
0
1
25
21
25
1
24
0
1
17
14
2
17
14
2
1
2
4
1
13
22
21
19
1
2
24
計
195 381 30
比率 ῑ῕ῒ
19῏2 37῏8 3῏0
5
611
2
4
1
1
1
1
1
37
67
9
0
1
7
25
7
25
0
2
0
0
5
2
1
0
6
2
18
1
4
11
15
1
6
2
19
1
4
11
15
1
6
8
19
1
36
29
31
1
6
8
20
1
36
29
31
1
1
0
0
0
3
4
2
18
4
3
10
6
21
4
28
4
0
5
8
4
2
19
4
3
0
5
8
18
9
10
6
22
4
28
0
18
9
0
0
6
2
6
2
6
2
6
2
2
4
1
0
0
1
1
2
1
1
1
2
1
0
0
0
13
0
0
0
1
1
6
11
0
0
0
0
0
0
0
3
0
0
0
1
0
0
30
30
16
5
1
30
30
16
5
1
0
9
15
26
23
29
1
1
29
13
1
0
1
25
21
25
1
27
0
1
0
18
14
2
1
1
13
1
1
6
9
2
3
1
12
9
15
26
23
29
1
1
29
11
1
1
25
21
25
1
27
1
18
14
2
292 999
1
1
2
0
113 272
0
11῏1 26῏8 1῏2 28῏7 98῏3 1῏7 100῏0
注 ῏ ῑ1ῒ CU 評価はῌ A ῏ EX+VG῔100ῐ70 点ῌ B ῏ G+F῔69ῐ40 点ῌ C ῏ P+V῔39 点>0 点 NA῔0 点と区分した῍ 略号は下記による῍
AC : Acceptable (EX : Excellent. VG : Very Good. G : Good. F : Fair. P : Poor. V : Variable). N.A : Not Acceptable.
ῑ2ῒ 国名はῌ ブランド名及び取扱業者から推定῍
出所 ῏ 竹内 ῑ1997ῒ῍
原典 ῏ “CONSUMER REPORTS” 1945- 1989, VOL. 10- 54 より作成῍
ΐῌ῎῍ΐ
計
23
4
5
1
0
0
0
0῏5 60῏1 3῏6 6῏6 0῏9
合 計
AC N.A
A-C D
23
4
5
0
5
2
1
0
1
0
0
0
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
米国ほか
AC N.A
A-C D
計
3
3
4
4
0
17 1ῐ016