閉 校 記 念 誌 - 大崎市

閉 校 記 念 誌
大崎市立中山小学校
閉校記念誌
大崎市立中山小学校
1
2
3
4
あいさつ
目 次
大崎市長 伊藤 康志
…6
大崎市教育委員会 教育長 矢内 諭
…6
大崎市立中山小学校 校長 手代 耕司
…7
大崎市立中山小学校父母教師会 会長 小野寺誠一
…8
中山地区コミュニティー連絡協議会 会長 上野 更二
…8
中山小学校校歌
…9
中山小学校 校長 紹介
…10
中山小学校 父母教師会 会長 紹介
…12
学校・地域の概要
…14
学校の沿革
…16
寄稿文
思い出 中山小学校第14代校長 小林 昭夫
…20
地域の人々の心に 中山小学校第15代校長 髙橋 靖明
…20
閉校を惜しんで 中山小学校第16代校長 鈴木 勝也
…21
古代米栽培とスキー 中山小学校第18代校長 斎藤 重雄
…21
あったかい輪 中山小学校歴代教頭 宮田 尚夫
…22
「心のふるさと,中山小学校」 中山小学校歴代教頭 門脇 恵
…22
中山小学校 中山小学校歴代教諭 柏葉 昭
…23
「イーハトーブの小学校」 中山小学校歴代教諭 鹿股 輝雄
…23
「ありがとう中山小学校」 中山小学校歴代教諭 狩野くみ子
…24
旧校舎から新校舎まで 中山小学校歴代教諭 安倍 桂子
…24
中山小学校閉校に寄せて 中山小学校歴代教諭 髙橋喜美子
…25
思い出 中山小学校歴代教諭 菊地 淳一
…25
第二の母校中山小,故郷中山 中山小学校歴代教諭 星川真由美
…26
思い出 鳴子小学校中山分校卒業生 小野寺三男
…27
学校に先生方に感謝 中山小学校卒業生 遊佐 守
…27
「中山小学校の思い出」 中山小学校卒業生 上野 健夫
…28
栄えあれ中山小学校 中山小学校卒業生 加藤 素行
…28
中山小学校が大好きです!! 中山小学校卒業生 遠藤 浩幸
…29
中山小学校,今までありがとうございました!
中山小学校卒業生 矢萩 郁美
…29
写真で綴る中山小学校 昭和30年代∼ …30
写真で綴る中山小学校 平成25年度 …36
平成25年度中山小学校在校生 寄せ書き
…38
分教場時代の沿革 …40
中山小学校校章及び由来,校旗
…43
編集後記 …44
5
閉校にあたって
舞台となった出羽仙台街道中山越は,いにしえへと
誘ってくれる…。
歴史と文化,自然に恵まれたこの地で,さまざま
大崎市長 伊 藤 康 志
な実践を積み重ね,生き生きとした子供たちを育て
てまいりました。
明治19年,岩出山学区簡易科中山小学校として開
しかし,大きな社会の変化によって少子化が進み,
校以来,学区の皆様とともに歩んできた大崎市立中
児童数が激減する中で,より望ましい環境や学力育
山小学校が,このたび閉校することになりました。
成を図る方策を模索したとき,残念ではありますが,
中山地区の教育の中心としての役割を果たしてき
平成26年度より鳴子小学校へ統合するとの結論に至
た128年にわたる歴史を振り返るとき,卒業生の皆
りました。関係者の方々にとって,大変辛い選択で
様や保護者の方々をはじめ,勤務された教職員の
あったと存じますが,現在と未来の中山の子供たち
方々,地域の皆様におかれましても,感慨深いこと
のために,このように御決断いただきましたことに
と存じます。
心から敬意を表します。
5年ほど前,当時の5年生と6年生が手づくりで
この学びやで培われたものは,卒業生や地域の皆
作成した「中山平パンフレット」のすばらしいでき
様のそれぞれの胸に深く刻み込まれ,次代の子供た
ばえに驚き,大崎市の観光パンフレットに採用した
ちの心に受け継がれていくものと確信しております。
ところ,大きな反響を呼び,本市のPRに大きく貢
結びに,これまで中山小学校のために多大な御尽
献していただきました。
力を賜りました地元の皆様をはじめ,同窓生並びに
学校の目の前には景勝鳴子峡に注ぐ清流が流れ, 本校にゆかりのある方々に心から感謝を申し上げま
近くにはゲンジボタル・ヘイケボタルの群舞が見ら
すとともに,本記念誌の編集に当たられた各位の御
れる全国でも珍しいホタルの生息地があります。約
労苦に対し,感謝と賞賛を贈り,あいさつといたし
360年前につくられたかんがい用水「穴堰」は,今
ます。
も中山の耕土を潤し,松尾芭蕉の「奥のほそ道」の
大崎市立中山小学校の閉校にあたって
大崎市教育委員会 教育長
矢 内 諭
平成24年第4回大崎市議会定例会において,
「大
崎市立学校の設置に関する条例の一部を改正する条
例」が審議され,平成24年12月11日,中山小学校を
廃止することが正式に決定されました。
顧みれば本校は昭和34年に開設され,以来幾多の
人材を輩出してまいりました。地域に愛され,支え
られた学校を実際に閉校するということは,多くの
方々にとって,そう簡単に受け入れられるものでは
なかったはずです。中山小学校の保護者の皆さまの
みならず,卒業生の皆さまや地域にお住まいの皆さ
まが,中山小学校に通っている子供たちの将来を考
えに考え抜いて出していただいたこの結論に最大級
の敬意を表させていただきます。
日本は,世界にも例を見ない少子高齢社会に突入
して久しく,「成熟社会」と言ってしまえば聞こえ
は良いのですが,若者が少なくなって生産年齢人口
が激減しているという現実があります。また,都市
部に「ヒト・モノ・カネ」が集中し,どこかいびつ
な社会になりつつあると感じるのは,私だけではな
いと思います。
12
6
ここ大崎市も同様の傾向が顕著になり,市内中心
部の一部の学校を除き,子供たちの数は減少する一
方です。このような中,大崎市教育委員会は,子供
たちにより良い教育環境を整備するという,大切な
使命の下,中山小学校を閉校し鳴子小学校との統合
を推進するという学校再編方針を示させていただき
ました。
再編するにあたり,これまで地域と共に歩み続け
てきた学校や慣れ親しんできた校名がなくなること
には大変な寂しさを感じることと存じます。しかし
ながら,少子化による子供の数の著しい減少やます
ますグローバル化する時代に生きなければならない
子どもたちの将来を考えるとき,学校再編は避けて
通ることはできません。
子供たちも地域の皆さまもこれまで連綿と受け継
がれてきた中山小学校の歴史や伝統を受け継ぎ,新
しい鳴子小学校の歴史づくりに邁進してほしいと願
っています。
結びに,閉校にあたり,これまで永きにわたり中
山小学校を支えてこられました地域の皆さまに心か
ら敬意と感謝を申し上げまして,閉校記念誌に寄せ
る言葉といたします。
閉校に寄せて
大崎市立中山小学校 第23代校長 手 代 耕 司
中山小学校は昭和34年,鳴子町立中山小学校として開校
しました。校歌は当時の職員一同が作詞したものです。
「しぶきをあげてほとばしる さかんなる大谷の流れ」の
歌詞からも,当時の児童,保護者,職員,地域みんなの大
きな喜び,躍動が感じられます。
以来,幾多の人材を輩出してきましたが,今年度をもって,55年の歴史に幕を閉じることにな
りました。閉校については,PTA,地域,学校懇話会等でここ数年,話し合いが続けられてき
ました。明治19年以来128年間も地域に存在した学校が,そして自分たちの母校がなくなることに
ついて,皆が口々に「さみしい」と言っておられました。
学校を閉じることについては様々な意見がありましたが,最終的には,中山の子供たちに様々
な経験を積ませ,多くの子供たちと切磋琢磨させることにより,より大きな成長を期待するとい
う道をとりました。保護者,地域にとっては苦渋の決断でありました。 「竹に上下の節あり」といいますが,冬に雪が降り積もっても折れそうで折れないのは,竹に
節があるからと,人生の節の大切さを説いた禅の教えだそうです。中山の子供たちにも,今回の
事を一つの節として,より強く,逞しく育ってほしいと願っています。
中山小学校は長年,地域の皆様に支えられ教育活動を行ってきた学校でもあります。地域の自
然を教材とし,地域の人々から学び,教えられ,様々なことを身につけてきました。 これまで長年,学校への御協力,御支援をいただきました地域の皆様方に心からお礼を申し上
げます。また,これまで御支援,御指導を賜りました,大崎市,大崎市教育委員会に感謝を申し
上げます。
7
ひとつの学校が閉校すること
の時です。娘が今3年生で閉校を迎える事に運命的
なものを感じ,最後の中山小学校に携われる事をと
小野寺 誠 一 ても嬉しく誇りに思っております。
地域の方々に長年親しまれてきた中山小学校が閉
ひとつの学校が閉校するのはとても寂しいことで
校するという事は,中山平地区にとって大きな節目
す。私は5才の時に山形県からこの中山平に引っ越
になります。これからの中山平地区の発展を心から
して来ました。その時の同級生が10人,今この地に
残るのは私ひとりだけです。私が通った中山保育園, お祈りし,またいつかこの地に中山小学校が開設さ
れることを祈っております。『本当に長い間ご苦労
鳴子中学校はもうありません。そして中山小学校が
様。沢山の想い出をありがとう中山小学校。』
閉校すると,鳴子で通ったすべての学舎が無くなっ
最後になりましたが,中山小学校創立からご尽力
てしまいます。本当に寂しい限りです。
頂きました皆様に心から感謝申し上げます。
今現在の校舎が完成したのは,私が小学校3年生
大崎市立中山小学校父母教師会 会長
中山小学校閉校によせて
中山地区コミュニティー連絡協議会 会長
上 野 更 二
中山小学校は,明治19年11月岩出山学区簡易科中
山小学校として「宿」に開校後,昭和22年4月鳴子
町立鳴子小学校中山分校と改称し,昭和34年4月鳴
子町立中山小学校として独立しました。
独立時の児童数は208名で,大勢の子供たちは元
気に動き回り活気にあふれていました。学校の周り
の自然は子供たちに最高の遊び場でした。
冬になると,学校の裏山はスキー場になり休み時
間に繰り返し練習したものでした。校庭や周りの自
然を利用しクロスカントリーの練習もしました。冬
休みに入ると練習は特に熱が入り当時毎年行われて
いた「東北少年スキー大会」の入賞を目指したもの
でした。
春になると,真っ白の世界から一気に木の葉が芽
吹き学校は新緑に包まれました。校庭の雪は消え,
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心待ちにしていた野球の練習開始です。
待ちに待った夏休みになると,いや夏休み前から
学校の前の川で泳ぎ,解禁日前の水泳ぎが見つかっ
てよく廊下に立たされたものでした。家の手伝いも
そこそこに野球と水泳で遊び,真っ黒になって夏休
みは終わりました。
秋になると,どこに行っても自然の恵みが豊富に
ありました。栗・ぐみ・くわご・あけび・そぞの
み・ばらいちご等でおやつに十分でした。
時は昭和から平成に移り,誰もが予想しなかった
少子化が始まり児童数がみるみる減り始めました。
独立時に在学していた当時に比べると,とても想像
出来ないことです。地域の皆さんが存続を目指し話
合いを持ち知恵を出し合いましたが,残念ながら今
日の日を迎えることになってしまいました。
小学校がなくなっても地域の「絆」を大切にし,
中山平の末長い発展を心から願っています。
9
中山小学校 校長 紹介
10
初代
大沼 紋哉校長
第2代
渡辺 孝校長
第3代
遊佐 強校長
第4代
髙野 政雄校長
(昭和34年4月∼37年3月)
(昭和37年4月∼39年3月)
(昭和39年4月∼41年3月)
(昭和41年4月∼43年3月)
第5代
高橋 長成校長
第6代
加藤 進校長
第7代
高橋 明郎校長
第8代
矢内 昭一校長
(昭和43年4月∼44年9月)
(昭和44年10月∼47年3月)
(昭和47年4月∼49年3月)
(昭和49年4月∼52年3月)
第9代
菅原 宏正校長
第10代
岩渕 信校長
第11代
齋藤敬次郎校長
第12代
三浦 蕃校長
(昭和52年4月∼55年3月)
(昭和55年4月∼58年3月)
(昭和58年4月∼60年3月)
(昭和60年4月∼61年3月)
第13代
奥山 忠雄校長
第14代
小林 昭夫校長
第15代
髙橋 靖明校長
第16代
鈴木 勝也校長
(昭和61年4月∼63年10月)
(昭和63年10月∼平成3年3月)
(平成3年4月∼6年3月)
(平成6年4月∼8年3月)
第17代
伊東 眞也校長
第18代
斎 重雄校長
第19代
三浦 武彦校長
第20代
岸 澄夫校長
(平成8年4月∼10年3月)
(平成10年4月∼12年3月)
(平成12年4月∼15年3月)
(平成15年4月∼18年3月)
第21代
上野多紀子校長
第22代
小松 康男校長
第23代
手代 耕司校長
(平成18年4月∼20年3月)
(平成20年4月∼23年3月)
(平成23年4月∼26年3月)
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中山小学校 父母教師会 会長 紹介
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初代
佐藤 與作会長
第2代
菊地 盛一会長
第3代
遠藤庄三郎会長
第4代
中鉢 虎夫会長
(昭和34年4月∼38年3月)
(昭和38年4月∼41年3月)
(昭和41年4月∼43年3月)
(昭和43年4月∼46年3月)
第5・7代
飛鳥 文男会長
第6代
中鉢 房男会長
第8代
鈴木 誠治会長
第9代
上野 郁夫会長
(昭和46年4月∼48年3月)
(昭和51年4月∼53年3月)
(昭和48年4月∼51年3月)
(昭和53年4月∼55年3月)
(昭和55年4月∼58年3月)
第10代
鈴木 誠会長
第11代
上野 勝会長
第12代
遊佐 守会長
第13代
遊佐 一郎会長
(昭和58年4月∼59年3月)
(昭和59年4月∼62年3月)
(昭和62年4月∼平成6年3月)
(平成6年4月∼8年3月)
第14代
佐藤 建夫会長
第15代
遊佐 正俊会長
第16代
遊佐 孝志会長
第17代
中鉢 秋彦会長
(平成8年4月∼10年3月)
(平成10年4月∼15年3月)
(平成15年4月∼18年3月)
(平成18年4月∼19年3月)
第18代
上野 俊一会長
第19代
今野 由美会長
第20代
横谷 知恵会長
第21代
遊佐 敏信会長
(平成19年4月∼20年3月)
(平成20年4月∼22年3月)
(平成22年4月∼23年3月)
(平成23年4月∼25年3月)
第22代
小野寺誠一会長
(平成25年4月∼26年3月)
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