Literature and the Arts I-1 June 11, 2012 #8 ロマン主義の時代について: 「ロマン主義時代」は、1798 年から 1832 年または 1836 年までとするのが一般的である。 1798 年は、この時代を代表する詩人ウィリアム・ワーズワスと S. T. コウルリッジの共著 『抒情民謡集』(Lyrical Ballads)が出版された年である。1832 年は「選挙法改正法案」 が議会で可決された年で、1836 年はヴィクトリア女王が即位(‐1901)する前年にあたる。 この時代はまた、「革命の時代」と呼ばれるほど、政治的にも変動の多い時代であった。 アメリカの独立(1776)に始まり、フランス革命(1789)が続く。1822 年にはギリシャ独 立宣言が行われる。ロマン主義時代を代表する詩人、ウィリアム・ブレイク、ワーズワス、 コウルリッジらは、これらの市民革命に思想・心情的に共鳴した。またバイロンや シェリ ーらは、これらの革命に共鳴するだけでなく、積極的に関わった。また、産業革命が進行 したのも「ロマン主義時代」のことである。さらに、18 世紀から盛んになった探検航海が 植民地主義を増大させ、未知なる領域への探求心が強まるのもこの時期である。 ロマン主義について ロマン主義は、啓蒙主義への烈しい反発があり、政治的には、アメリカやフランスにおけ る革命から強い影響を受けた。この時代の作品に共通してみられる特徴は自我の尊重とそ の拡大である。また無限なるものや超越的なもの、遠い過去や死への憧憬の念もその特徴 である。こうした特徴はロマン主義の詩人たちやその読者の想像力を刺激するものであっ た。 『抒情民謡集』の「序文」でワーズワースは、詩とは「力強い感情が自然に溢れ出たもの」 であるべきこと主張した。ロマン主義時代の詩人にとって「自然」とは、たんに森や小川 を指すのではなく、創造的な力を意味した。また「想像力」とは単に空想に耽ることでは なく、人間の魂が自然の中に存在する宇宙の神秘を見出す能力をさした。 William Wordsworth ウィリアム・ワーズワース (1770-1850) イギリスの代表的なロマン派詩人、桂冠詩人。 母は 8 歳のときに、父は 13 歳のときに亡くなり、孤独な少年時代を送るが、湖水地方の自 然の美しさが彼の心の慰めとなった。1787 年、ケンブリッジ大学に入学。1790 年、フラン スに渡り、フランス革命の熱狂のなかで革命を支持した。また、フランス人であるアネッ ト・ヴァロンと恋に落ち、彼女はワーズワースの娘を 1792 年に出産するが、ワーズワース は経済的理由などからイギリスへと一人で帰国する。1795 年、もう一人のロマン派の詩人、 サミュエル・テイラー・コールリッジと出逢い、意気投合して親友となる。ワーズワース とコールリッジは『抒情詩集(Lyrical Ballads)』を共同で著し、出版する。英国ロマン 主義運動において、画期となる作品集であった。その後『プレリュード』と題される自伝 的作品を書き、『ルーシー詩篇』を含む多数の詩を書く。 TO THE CUCKOO O BLITHE New-comer! I have おお、陽気な訪問者よ! 確かに汝だ heard, 汝の歌を聞き、わたしは喜びにみたさ I hear thee and rejoice. れる O Cuckoo! shall I call the Bird, おお、郭公よ! 汝が鳥であろうはず Or but a wandering Voice? はない 彷徨える聖なる声ではないのか? While I am lying on the grass Thy twofold shout I hear, みどりなす草のうえに横たわって From hill to hill it seems to pass, 二重のさけび声をわたしは聞く 丘から丘へとその歌は通り過ぎる At once far off, and near. ひとたびは遠く、ひとたびは近く Though babbling only to the Vale, ただ谷間へとあどけなくも呼びかける Of sunshine and of flowers, が Thou bringest unto me a tale 太陽の光にみち、花々のかおりにみち Of visionary hours. 汝はわたしに、かの秘密の物語をかた る Thrice welcome, darling of the 地上を離れた想像の時をもたらす Spring! Even yet thou art to me みたび歓迎の言葉を、春の寵児よ! No bird, but an invisible thing, わたしにとって、汝はまさに A voice, a mystery; 鳥ではなく、不可視の存在である その霊妙な声は神秘の精髄である My Heart Leaps Up My heart leaps up when I behold A rainbow in the sky: So was it when my life began; So is it now I am a man; So be it when I shall grow old, Or let me die! The Child is father of the Man; And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety. To A Skylark UP with me! up with me into the clouds! For thy song, Lark, is strong; Up with me, up with me into the clouds! Singing, singing, With clouds and sky about thee ringing, Lift me, guide me till I find That spot which seems so to thy mind! I have walked through wildernesses dreary And to-day my heart is weary; Had I now the wings of a Faery, Up to thee would I fly. There is madness about thee, and joy divine In that song of thine; Lift me, guide me high and high To thy banqueting-place in the sky. Joyous as morning Thou art laughing and scorning; Thou hast a nest for thy love and thy rest, And, though little troubled with sloth, Drunken Lark! thou would'st be loth To be such a traveller as I. Happy, happy Liver, With a soul as strong as a mountain river Pouring out praise to the Almighty Giver, Joy and jollity be with us both! Alas! my journey, rugged and uneven, Through prickly moors or dusty ways must wind; But hearing thee, or others of thy kind, As full of gladness and as free of heaven, I, with my fate contented, will plod on, And hope for higher raptures, when life's day is done. 著作 『ワーズワース詩集』 岩波文庫(田部 重治 訳) 『対訳 ワーズワス詩集』 岩波文庫(山内 久明 訳) 『ワーズワース詩集』 彌生書房(前川 俊一 訳) 『抒情歌謡集―リリカル・バラッズ』 大修館書店(宮下 忠二 訳) Samuel Taylor Coleridgeサミュエル・テイラー・コールリッジ(1772 - 1834) イギリスの ロマン派詩人、批評家、哲学者。<コールリッジの生涯> デヴォンシャーの教区牧師の息子として、3 人兄弟の末子に生まれた。気まぐれで怒りっ ぽく、空想壁のある少年だったという。 ロンドンの慈善学校を経てケンブリッジ大学に 入学するが、中退。 1797 年、ワーズワース兄妹と出会い、詩人としての才能を開花さ、ウィリアム・ワーズ ワースとの共著『抒情歌謡集』を発表した。その後、『老水夫の歌(The Ancient Mariner)』 『クーブラ・カーン(Kubla Khan)』など数々の作品を生み出している。『クーブラカー ン』においては、作者自身が麻薬による陶酔状態のなかで見た幻覚を、目覚めてから急い で文章にしたものであると述べているが、実際には首尾一貫した構成と構想を備えている。 Kubla Khan (抜粋) In Xanadu did Cublai Can build a stately Palace, emcompassing sixteene miles of plaine ground with a wall, wherein are fertile Meddowes, pleasant Springs, delightful Streames, and all sorts of beasts of chase and game, and in the middest thereof a sumptuous house of pleasure. ザナドゥに怱必烈は周囲石壁を以って繞らせる十六哩の平原を構え、 その中に壮大なる王宮を建立す。 そこには豊饒なる草原あり、 美わしき泉あり、川あり、 その他あらゆる種類の狩獵に供する鳥獣住み、 中央には壮麗なる歓楽の宮あり。 『老水夫の歌(The Ancient Mariner)』の内容: 港を出た船には老水夫が乗り込んでいた。彼はかつて霧の中で船に寄ってきたアホウドリ を射殺し呪いを受けていた。その船はやがて嵐で南極へと流されてしまう。老水夫は結婚 式に向かう三人の客のひとりを呼び止め、自分の辿ってきた航海のことを語る。船は太平 洋へ入り赤道へと近づくが、呪いのために全く進まなくなってしまう。老水夫は罪のしる しとして、首にアホウドリの死骸を架けられる。船は「死」と「死中の生」と出会い、老 水夫以外の乗組員は次々と死んでいく。ただひとり残された老水夫は、目にした水蛇の美 しさを讃えたことで、呪いから解放される。船はやがて港へと戻り、老水夫は自らの経験 をもとにすべての生き物を愛し敬うことを説いてまわる。 “Water, water, every where, And all the boards did shrink;” “Water, water, every where, Nor any drop to drink.” The Rime of the Ancient Mariner: in Seven Parts (ll.119-122) 著作『S.T.コールリッジ詩集』 誠美堂 S.T.コールリッジ (著), 野上 憲男 (翻訳) George Gordon Byron, Baronジョージ・ゴードン・バイロン( 1788 – 1824) ロンドンに生まれ、2 歳の時に スコットランドの アバディーンに移ったが、1798 年に第 5 代バイロン男爵が亡くなったため、第 6 代バイロン卿となり、父祖の地ノッティンガムへ 移った。 翌年ロンドンに出て ハーロー校をへて 1805 年に ケンブリッジ大学に入学したが、 放埒な日々を過ごした。詩集『懶惰の日々』(Hours of idleness, 1807 年)を出版し、諷 刺詩『イギリス詩人とスコットランド批評家』(English Bards and Scotch reviewers, 1809 年)を出版し。1808 年にケンブリッジを去り、1811 年まで ポルトガル、スペイン、ギリシ ャなどを旅した。この年旅行の成果である『チャイルド・ハロルドの巡礼』1・2 巻(Childe Harold's Pilgrimage, 1812 年)を出版、生の倦怠と憧憬を盛った詩風と異国情緒が時代の 好尚に投じ、大評判になった。その間社交界の寵児として恋に憂き身をやつした後、1815 年にアナベラ・ミルバンクと結婚した。だが翌年に別居し、イギリスを去りジュネーブ、ヴ ェネツィア、ピサ、ジェノヴァなどに滞在し、退廃した生活を続ける。冷笑と機知に満ち た『ドン・ジュアン』(1819-24 年)がこの期の代表作である。ギリシャ独立戦争に参加す るために 1824 年 ミソロンギに上陸したが、熱病にかかって同地で死んだ。 From Childe Harold’s Pilgrimage, Canto IV (1818) And here the buzz of eager nations ran, In murmured pity, or loud-roared applause, As man was slaughtered by his fellow man. And wherefore slaughtered? wherefore, but because Such were the bloody Circus' genial laws, And the imperial pleasure. —— Wherefore not? l.139~ What matters where we fall to fill the maws Of worms —— on battle-plains or listed spot? Both are but theatres —— where the chief actors rot. 『貴公子ハロルドの巡礼』第 4 巻 [抜粋]訳:笠原順路 139~ ここだ、諸国民の熱狂したどよめきが、時に憐れみの呟きとなって、 時に拍手喝采となって走ったのは。 人間が、おなじ仲間の人間に殺されるのを見たからだが、 しかし、なぜ殺されねばならぬのか。なぜ。それは、 流血の舞台となるというのが、この場所のそもそもの掟だからだ。 また皇帝の御意でもあってみれば、悪い理由などあろうはずもない。 死ぬ場所がどこであろうと、それが何だ。戦場でも、 闘技場でも、蛆虫の腹に納まるのに代わりはない。 どちらも、劇場。主役は舞台で腐ってゆく役者。 John Keatsジョン・キーツ(1795 - 1821) ロンドンにて馬丁の長男として生まれる。幼くして、父を落馬事故で亡くした。母はまも なく再婚したが、再婚相手とはすぐに別れ、子供たちをつれてキーツの祖母と同居するよ うになる。キーツが 15 歳の時に母を 結核で失う。その後 19 歳まで外科助手として働くが、 親方とうまくゆかず、地方病院の学生となることができた。このころ、詩作に傾倒しはじ める。 1817年 、処女詩集『詩集』( Poems by John Keats )を出版した。1818 年、スコットラ ンドを旅行した時にファニー・ブーロン( Fanny Brawne )と知り合い翌年婚約を交わす。 同年、彼は 4 巻 4 千行にも及ぶ寓意叙事詩『エンディミオン』( Endymion )を出版した が、評論誌、雑誌から激しく批判される。気落ちした彼は、スコットランドと アイルラン ドへ旅行に出かけた。このときの体験は彼を精神的に成長させたといわれている。旅行中、 ジョン自身も結核の兆候を示したので、旅行を短縮して帰郷した。ジョンの病状も悪化し、 医者の勧めでイギリスの冷たい空気をさけ、イタリアで療養することになった。1819年 に は、『秋に寄せて』( To Autumn )、『ギリシャの古壺のオード』( Ode on a Grecian Urn ) などの代表的オード( Ode )が次々と発表された。病状は好転せず、彼はファニーとの結 婚を諦める。友人たちの手厚い看護もむなしく、ジョンは 1821 年 2 月 23 日、25 歳の若さ で死去。彼の遺言により、墓石には"Here lies one whose name was writ in water."「そ の名を水に書かれし者ここに眠る」と彫られている。 To Autumn Season of mists and mellow fruitfulness, Close bosom-friend of the maturing sun; Conspiring with him how to load and bless With fruit the vines that round the thatch-eves run; To bend with apples the moss'd cottage-trees, And fill all fruit with ripeness to the core; To swell the gourd, and plump the hazel shells With a sweet kernel; to set budding more, And still more, later flowers for the bees, Until they think warm days will never cease, For summer has o'er-brimm'd their clammy cells. Who hath not seen thee oft amid thy store? Sometimes whoever seeks abroad may find Thee sitting careless on a granary floor, Thy hair soft-lifted by the winnowing wind; Or on a half-reap'd furrow sound asleep, Drows'd with the fume of poppies, while thy hook Spares the next swath and all its twined flowers: And sometimes like a gleaner thou dost keep Steady thy laden head across a brook; Or by a cyder-press, with patient look, Thou watchest the last oozings hours by hours. Where are the songs of spring? Ay, where are they? Think not of them, thou hast thy music too, While barred clouds bloom the soft-dying day, And touch the stubble-plains with rosy hue; Then in a wailful choir the small gnats mourn Among the river sallows, borne aloft Or sinking as the light wind lives or dies; And full-grown lambs loud bleat from hilly bourn; Hedge-crickets sing; and now with treble soft The red-breat whistles from a garden-croft; And gathering swallows twitter in the skies. 秋に寄す 霧が漂う豊かな実りの季節よ 秋は日の光と手を携えて 恵みの太陽の親密な友よ 生垣を這う葡萄にも実りをもたらす 苔むした庭木に林檎の実を実らせ 一つ残らず熟させてあげる ひょうたんを膨らませ ハシバミの実を太らせ 蕾の生長を少しずつ促して 花が咲いたら蜂たちにゆだねる 蜂たちは巣が蜜でねっとりとするのをみて 暖かい日がずっと続くことを願うだろう 秋がその実りを店先に並べる わざわざ外に探しに行かずとも 秋の実りは倉庫の床に無造作に転がっている 風に吹かれて繊毛をなびかせながら ポピーの香りに咽びながら 秋は盛り上がった畑の畝にも並んでいる 鎌はそれらを刈りきれずに花もろともに残すのだ また時に落穂を拾う人は 林檎搾り器は刻一刻と 頭に収穫を乗せて小川を渡る 林檎の汁を搾っていく 春の歌はどこへいった あの歌はどこだ? 気にかけることはない 秋にも秋の歌がある 千切れ雲は暮れ行く空を彩り 川柳の林には蚋たちが 夕日が大地をバラ色に染める 悲しげなコーラスで歌を歌い 水上を光のように浮き沈みする 藪コオロギも負けじと鳴く 太った羊たちは丘の小川のほとりで啼き 駒鳥は庭の畑で呼び声をあげ すずめは群がり空にさえずる William Blake ウィリアム・ブレイク(1757 - 1827) 1757 年 11 月 28 日、ロンドンの靴下商人ジェイムス・ブレイクとその妻キャサリンとの 間の第 3 子として生まれる。幼少期から絵の才能を示して絵画の学校に入り、彫刻家に弟 子入りした。長じてからは銅版画家、挿絵画家として生計を立てていた。1787 年頃、新 しいレリーフ・エッチングの手法を発明。「幻視者」(Visionary)の異名を持ち、唯理 神ユリゼン(Urizen)やロス(Los)などの神話的登場人物たちが現れる『四人のゾアた ち』『ミルトン』『エルサレム』などの「預言書」と呼ばれる作品群において独自の象徴 的神話体系を構築する。初期においては、神秘思想家スヴェーデンボリの影響も見られた。 詩の中では詩集『無垢と経験のうた』(The Songs of Innocence and of Experience)に 収められた、「虎よ! 虎よ!」(Tyger Tyger)で始まる『虎』(The Tyger)がよく知ら れている。 晩年にはダンテに傾倒、イタリア語を習い、病床で約 100 枚にのぼる『神曲』の挿画(未 完成)を水彩で描いた。ブレイクの「作品」の多くは、言語テクストと視覚テクストから なる「複合芸術」(composite art)である 初期の代表作『無垢と経験の歌』 ブレイク初期の代表作といえば、彩飾本形式の詩集『無垢と経験の歌』 (Songs of Innocence and of Experience)である。詩集『無垢の歌』(Songs of Innocence,1789)と『経験の 歌』(Songs of Experience,1794)の合本という形で『無垢と経験の歌』が出版された。 これには「人間の魂の相対立するふたつの状態を示す」 (‘Shewing the Two Contrary States of the Human Soul’)という副題が付けられている。表題にある「無垢」とは堕落以前 の人間の魂の状態を示す語であり、「経験」とは堕落以後の人間の魂の状態を示すが、必 ずしもそう簡単には言い切れない部分がある。 From Milton a Poem (1804) First Milton saw Albion upon the Rock of Ages, Deadly pale outstretchd and snowy cold, storm coverd; A Giant form of perfect beauty outstretchd on the rock In solemn death: the Sea of Time & Space thunderd aloud Against the rock, which was inwrapped with the weeds of death Hovering over the cold bosom, in its vortex Milton bent down To the bosom of death, what was underneath soon seemd above. A cloudy heaven mingled with stormy seas in loudest ruin; But as a wintry globe descends precipitant thro' Beulah bursting, With thunders loud and terrible: so Miltons shadow fell Precipitant loud thundring into the Sea of Time and Space. Then first I saw him in the Zenith as a falling star, Descending perpendicular, swift as the swallow or swift; And on my left foot falling on the tarsus, enterd there; But from my left foot a black cloud redounding spread over Europe. (text: 14:36-50; plates: 14, 15, 29. William Blake, The Complete Poetry and Prose of William Blake, ed. David V. Erdman, Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1982) 『ミルトン ひとつの詩』[抜粋]訳:鈴木雅之 先ずミルトンは時代の岩の上にアルビオンを見た。 死人のように青ざめた顔で長々と横たわり、 雪のように冷たく、嵐に包まれていた。 完璧な美の巨人は岩の上に横たわっていた 荘厳な死の様相で。時代の岩に砕けながら 時空の海は雷鳴をとどろかせていた。 岩は死の海草に覆われており アルビオンの冷たい胸の上を舞いながら、 渦をなすミルトンは 死の胸の方に身をかがめた。 下にあるものがただちに上にあるように見えた。 雲におおわれた空はうなり声をあげて 砕け散る嵐の海と混ざり合った。 しかし荒涼とした球体が破裂しながら まっさかさまにビューラへ 鳴り響く恐ろしい雷とともに落ちるように、 ミルトンの影は落ちた まっさかさまに雷鳴をとどろかせながら 時空の海へ。 そのときはじめて私は天頂にいる彼が流れ星のように まっさかさまに落ちて行くのを見た、 ツバメかアマツバメのように素早く。 そして私の左足にその足根骨に落ち、その中に入った。 しかし私の左足からは黒い雲が湧き起こり ヨーロッパの上に広がった。 The Tiger John Tavener Tiger! Tiger! burning bright In the forests of the night, What immortal hand or eye 虎よ!虎よ!あかあかと、 夜の森に燃えて輝くものよ、 どのような不滅の手と目とが 大胆にもその畏るべき均整美を造りあげたの Dare frame thy fearful symmetry? か! In what distant deeps or skies なんと遥かな深みと高みに Burnt the fire of thine eyes? お前の瞳の炎は照り輝くのか! On what wings dare he aspire? どのようなみ翼のもとで大胆にもそびえ立つの か、 What the hand dare seize the fire? そしてどのような手がその炎を掴むのか! どのような肩、どのような技が And what shoulder and what art お前の心臓の筋肉をねじりあげたのか! Could twist the sinews of thy heart? お前の心臓が鼓動をうちはじめたとき、 And when thy heart began to beat, どのような畏るべき手、畏るべき足が命を吹き What dread hand? And what dread feet? 込んだのか! どのような鉄槌が、どのような鎖が、 What the hammer? what the chain? In what furnace was thy brain? What the anvil? What dread grasp Dare its deadly terrors clasp? どのような炉でお前の頭脳を鍛え上げたの か! どのような鉄床(かなとこ)が、どのような鋏(は さみ)が 大胆にもこの死ぬほど怖ろしいものに留め金 When the stars threw down their spears, をかけたのか! And watered heaven with their tears, 星々がその槍を投げおろしたとき、 Did He smile His work to see? 天がその涙に濡れたとき、 Did He who made the lamb make thee? かの方はそのみ手の業を見て微笑まれたか? 仔羊を造られた方がお前をも造られたのか? Tiger! Tiger! burning bright 虎よ!虎よ!あかあかと、 In the forests of the night, 夜の森に燃えて輝くものよ、 What immortal hand or eye どのような不滅の手と目とが、 Dare frame thy fearful symmetry? 大胆にもその畏るべき均整美を造りあげたの か! Percy Bysshe Shelley (パーシー・ビッシュ・シェリー、1792-1822 ) 生涯 サセックス州ウォーナムで富裕な貴族の長男として生まれる。早くからギリシア・ラテン の古典にディドロ、ヴォルテールらの啓蒙思想、ウィリアム・ゴドウィンの『政治的正義』 などを読む。イートン校在学中は反抗的で行動が過激であったために「狂気のシェリー」 というあだ名を付けられた。オックスフォード大学在学中は読書にふけるかたわら詩作を 試みる。1811 年、19 歳の時に『無神論の必要(Necessity of Atheism)』というパンフレ ットを書き、オックスフォードの書店で売り出し、放校となる。同じ年に妹の学友ハリエ ット・ウェストブルック(Harriet Westbrook, 1795-1816)と結婚する。ついでアイルラン ドやウェールズを放浪し、カトリックの解放を訴えたパンフレットを書く。行く先々でイ ギリス官憲が危険思想家シェリーの動きを監視していたと言われている。 妻との不和が深刻になった 1814 年、シェリーはロンドンのウィリアム・ゴドウィン邸に 足しげく通っていた。そこでゴドウィン家の娘メアリと恋に落ちる。このときシェリーに は身重の妻ハリエットと二人の間にできた娘アイアンスがいた。シェリーはメアリを事実 上の妻とし、本妻ハリエットを「霊の妹」として三人仲良く暮らしたいと提案し、ハリエ ットを傷つける。シェリーとメアリは、彼らの道ならぬ恋に激怒するゴドウィンのもとを 離れ、大陸へ駆け落ちした。メアリの妹(但し、血縁関係はない)クレア・クレモントも 同行した。一行は ナポレオン戦争で荒廃したフランスを抜け、スイスのルツェルンへ到達 したが、金に困り、イギリスに帰国した。その後一行はロンドンへ戻り、家を借りて 3 人 で住んだ。2 年後の 1816 年、シェリーとメアリとクレアの 3 人は、スキャンダルまみれ の詩人バイロン卿を頼って再び大陸へ出発した。メアリはバイロンの館で小説『フランケ ンシュタイン(Frankenstein)』の着想を得ている。1816 年 12 月、シェリーの本妻ハリエ ットの遺体がロンドンのハイド・パーク内の湖で発見される。シェリー以外の男の子供を 身篭って入水自殺したらしい。その 20 日後の 12 月 30 日、シェリーとメアリはロンドン の教会で結婚する。1818 年、シェリーはメアリを連れてイタリアに赴き、フィレンツェ、 ピサ、ナポリ、ローマなど各地を転々としながらプラトンの『饗宴』を翻訳し、大作『縛 を解かれたプロメテウス(Prometheus Unbound)』を書き進めた。同年に歿したキーツの死 を哀悼して『アドニス(Adonais)』と『ヘラス(Hellas)』を刊行。1822 年 7 月 8 日、シェ リーは特注で建造させた帆船エアリアル(Ariel)に乗っていたが、ヴィアレッジョ沖で暴 風雨に襲われ、船は沈没し、水死した。上着のポケットにはソフォクレス戯曲集とキーツ の詩集があったという。ローマの墓石の表面にはシェリー生前の愛誦句が刻まれた。 Nothing of him that death fade/But doth suffer a Sea-change/Into something rich and strange(シェークスピア『テンペスト』より) 代表作品 • 思想パンフレット『無神論の必要(The Necessity of Atheism)』(1811 年) • 詩「理想美への讃歌(Hymn to Intellectual Beauty)」(1816 年) • 長詩『西風の賦(Ode to the West Wind)』または『西風に寄せる歌(Ode to the West Wind)』』(1819 年) • 長詩『鎖を解かれたプロメテウス(Prometheus Unbound)』または『縛を解かれた プロミーシュース(Prometheus Unbound)』』(1820 年) • 詩「雲(The Cloud)」(1820 年) • 詩「ひばりに寄せて(To a Skylark)」(1820 年)
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