2015年春学期 「経営学入門」 第3回 事実上の標準:映像機器の事例 樋口徹 1 主な映像再生・録画機器の国内出荷動向 他に映像を再生・録画できる機器は? PC、スマホ、ウォークマン、カーナビ、PSなど 2 家庭用VTR誕生前 誕生前Ⅰ (1950年代): 家庭用VTRの細胞期 ( 放送 用VTRの誕生) 誕生前Ⅱ (1960年代): 家庭用VTRの胎芽期 ( 業務 用VTR) 誕生前Ⅲ(1970年代前半) 家庭用VTRの胎児期 ( 試行錯誤 の時期 ) • 放送の 時差 対策 で、映像の磁気記録 技術は、1950年代に 米国で開発された。 • 放送用VTRの小型 化・低価格化が始ま り、業務用に裾野が 拡大した。 • 家庭用市場立ち上げに 向かって製品コンセプト が明確になってきた。 • 家庭用VTRを商品化した • 1956年に AMPEX が、世界初の放送用 VTRの開発に成功し、 1957年にCBSに納入 した。 • 1950年代にAMPEXと 競合していたのが RCA であった。1960 年ごろには米国の放 送用VTR市場のシェ アの1/4を占めた。 • 米国企業(放送用 VTRメーカー)と日本 企業( 家電 メー カー)の闘い。 • 米国勢は 量産 技術が弱く苦戦して いる間に、ソニー、 日本ビクター、松下 電器が商品化に向 けて貢献 企業は大失敗( 故障 や不良品対応)。 • 松下電器 が最初に 家庭用VTRの量産体制を 構築したが、需要は伸び ず大失敗(倒産の危機)。 • 1970年12月ソニー、松下 電器、日本ビクターの間 で統一規格( U規格 ) への合意が成立した。 3 誕生(1970年代中頃) • 家庭用と放送(産業)用のVTRの大きな違いは、 価格・サイズ・安定性・操作性 であった。VTRはテレビと 比較して、部品点数が多く、特に映像を記録する メカ の部分 が鍵となっていた( メカトロ二クス )。 • ソニー が1975年に発売した「 ベータマックス 」が最初にこ れらの家庭用向け市場の必須条件を同時に満たした機種で あったと言える。 • ソニーが「ビデオ元年」と名づけた1976年には 日本ビクター がVHS方式VTRを発表・発売を開始し、家庭用VTR産業にとって 大きな年となった。 • 1976年(「ビデオ元年」)は、「ベータマックス」(ソニー)と「VHS」 (日本ビクター)が 事実上の標準 を目指して、国内外で激 しい規格(フォーマット)間の競争が始まった年であった。 4 日本ビクターの歴史 1927年 The Victor Talking Machine Company(米国)が日本 蓄音 器株式会社設立(生産・販売を行う) 親会社が RCA に吸収合併(東芝電気と三菱商事が資本参加)。 ビクター 1929年 1931年 RCAの技術を導入して、蓄音機・レコードの製造工場(現在の横浜工場) を建設。 1938年 RCAが 日産 コンツェルンに株式を売却(ビクターの犬のマークの国 内使用権買い取り)し、すぐに東京電機(現 東芝 )に売却 1946年 日本興業銀行(現 みずほ 銀行)が親会社になる。高柳健次郎 を技術部長としてビクターに迎え入れ、テレビ開発を再開(後に、世界初 の2ヘッドVTR開発:映像機器分野での土台構築)。 1954年 松下電器産業 と提携開始(支援的意味合いが強い;切磋琢磨) 1960年 レコード部門を分社化(ハードに集中) 1976年 VHSを販売(大成功) 2008年 JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社を設立(2011年に吸収合併) 5 「ミスターVHS」の高野鎮雄(日本ビクター) 1923年 8月28日愛知県生まれ (1992年逝去) 浜松工業高等学校(静岡大学工学部)で精密機械工学を学び卒業 1946年 日本光学工業(現ニコン)から日本ビクターに転職 映写機やフィルムカメラの開発・製造販売などを担当 1953年頃 16ミリカメラや35ミリ映写機などを 放送局 に納入(映像ソフトが 家庭でも観れるようになるのではと考える) 1955年 日本ビクターがVTR研究をスタート。浜松工業高等学校で教えていた 高柳健次郎が主導(1926年に世界で初めて「イ」の字のテレビ放送と 受信を実現した技術者で、「 テレビ の父」と呼ばれていた)。 1966年 VTR事業部設立(高柳が将来の金の卵と直訴) 1967年 事業部再編し、VTR事業部は業務機器事業部に吸収 1968年 高野は業務機器事業部の次長に就任 1970年 VTR事業部部長就任(不良品が多く、 1972年 VTR開発部門の廃止(技術者は既存の業務用VTRの開発・販売)さ れたが、家庭用VTRの開発を極秘裏に開始 1975年 VHSの試作機開発に成功(オープン戦略の開始) 返品 率50%) 6 VTR機種の重量の変化(日本ビクター製品) ※15kg以上あると、家庭用として普及しづらい。 ※映像ソフトが圧倒的に不足していたので、チューナーが必要(受信し、録画) 7 VTR機種の販売価格(日本ビクター製品) 8 成長期前半(1976-1985年) 「ベータマックス」対「VHS」勃発 • 1970年代後半は、 国内 の家電企業間の規格(フォーマット)競争 ※VHSには、日立製作所・シャープ・三菱電機・松下電器が陣営を形成した) • 1970年代後半には、欧米企業を 巻き込んだ 規格競争に進展 ソニー:米国市場を重視し、1977年ゼニス(米)とOEM供給を契約 日本ビクター:有力欧州企業とOEMあるいは技術導入契約を締結 松下電器:1977年RCAとOEM契約(その後GE、マグナボックスとも) • 1980年代前半には VHS陣営内 での競争が本格化 日本ビクターからOEM供給を受けていた日本の大手家電メーカー (日立:1977年、三菱電機:1978年、シャープ:1979年)が自社生産 に切り替えてきたことに加えて、船井電機などの価格競争力に強 みのある企業参入 • 規格間およびVHS陣営内の競争を通して、性能が飛躍的に向上 日本ビクターは1977年には家庭用初の 倍速 再生、1978年に は家庭用初の ポータブル 式、1979年には録画時間の 3倍 モード、1983年には HiFi音声 の機種を製品化した。 9 成長期後半(1986-1995年) • 国内生産台数は高水準を維持していたが、 金額ベース では急激に減 少(国内生産の平均金額修正値や平均国内出荷額修正値も10年間で激 減) • 競争が激化し、棲み分けが進む 1) 1994年までに 20 社以上が家庭用VTR市場に参入(生産しやすくなった) 2) 1980年代後半にはローエンド製品で価格競争力を有する企業が OEM 供給に加え て、自社ブランドでの販売を強化した。 3)ソニー・松下・ビクターの上位三社が生産台数ベースで90%のシェア(1976年)を誇って いたが、1990年台前半と中頃は 40 %程度 4)革新的ではないが、延長的な機能が拡充した。日本ビクターは1987年にS-VHS、1993年 にW-VHSを開発し、より高画質機種の販売に力を入れた。その他にも、BSチューナー内蔵 VTR、DVD・ハードディスク搭載VTR、デジタルVTRなども製品化されていた。 5)参入企業間で市場の棲み分け(ハイエンド、ミドルクラス中、ローエンド中心) • 1980年代後半から海外生産が本格化した。1980年代後半は 欧米を中心と した 市場 に近い地域での生産の始まったが、1990年代に入ると生産費 用が安い アジア での海外生産が増加した。 10 国内生産金額と国内生産台数の推移 成長期前半 成長期後半 1987年から1991年までは生産台数は維持していたが、生産金額は下落した。 11 成熟期(1996-2000年) • 普及率 の伸びの鈍化(新規に購入する人・未採用者の減少) • 高水準の国内出荷台数( 買い替え と 複数 台所有) (1998年に国内出荷台数のピークを迎え、その後も600万台を 越える水準を維持している) • 国内生産 の衰退 (2000年は国内生産台数がデシピーク(10%)を上回った最後 の年、修正生産金額ベースでは1999年に下回っていた)。 • 売上および収益の悪化 (単調下落傾向にあった国内で生産される機種の平均修正生 産額がこの時期には下げ止まり、2万円前後で推移していた。そ の一方で、1996年から2000年までの5年間で平均国内出荷金額 は37%程度低下し、下落傾向が続いていた; 高級品 を国内 で集約的に生産し、国内外に輸出) • 企業によって差はあるが、国内外の生産拠点の 集約 傾向が 明確化 12 国内出荷の動向 新規需要 買い替え需要+2・3台目 海外生産 の効果 国内生産 の合理化 13 衰退期(2001-) • 代替 製品の台頭 2001年から2004年の4年間でVTRの普及率は3%の微増であっ たが、2002年3月には19%であった DVD 録画再生・再生機の 普及率が2005年3月には49%にまで急上昇した(内閣府ホーム ページの「消費動向調査」)。2001年には販売数量ベースでDVD ソフト (4300万本)がVHSカセット ソフト (2800万本)を超えた。 (日本映像ソフト協会ホームページ)。 • 国内生産から完全撤退 2004年のVTRの国内生産台数が通産省の「機械統計年報」から 外されるに至った。その理由は、国内で生産を続けている企業が 1・2社にまで減ってしまったためである。 • 企業の退出(生き残り?イノベーターのジレンマ?) 1990年前後に40%近くにまで下がっていたソニー・松下・ビク ターの上位三社の国内シェアが2004年までには60%近くにまで 回復している(『日本マーケットシェア事典』)。この背景として参入 企業が1990年代から減少し、2003年には10社にまで半減してい ることが挙げられる(『民生用電子機器データ集』)。 14 レンタル用売上金額の推移 2000年以降急速にビデオカセットが取り扱われなくなった理由は? ・ビデカセットとDVDディスクの両方を維持するのは費用が嵩むから ・DVDディスクの方が、コンパクト、高画質、低価格、耐久性向上 15 販売用売上金額の推移 レーザーディスクは 主にカラオケ用に購 入されていた 販売用の方が、レンタル用より、レーザーディスク、DVD、BDなど当時 の先端の方が売れている理由は? ・業務用や富裕層の高画質へのこだわり(特殊な用途や保存用等) ・レンタル店は様子見をしている(経費削減とリスク回避) 16 日本ビクターの運命は? VHS開発に成功し、V HS陣営形成 VHSが世界標準(互換 性を維持しつつ、機能 を拡張;性能向上) 1990年まで、日本企業 が開発・生産を独占 1990年代後半から、製 品革新の余地縮小、 DVDに対抗して性能拡 張(DVD再生機器増加) 先行するSONY のベータマックス 規格争い 日 本 ビ ク タ ー の 成 功 体 験 D V D へ の 転 換 失 敗 ケ ン ウ ッ ド に 吸 収 合 併 犬 の マ ー ク 消 滅 17 事例:家庭用映像再生・録画機器(VTR・DVD)規格の変遷 ‘70年代前半 ‘70年代後半 1995~2004年 基礎技術 VHS市場確立 DVDに移行 VHS(日本ビ 勝 U規格(ソ 者 ニーが開発) クターが開 発) 松下電器日 本ビクター等 の日本企業 が採用 敗 多様な規格 者 (欧米企業) 放送用で先 行したが家 庭用は失敗 松下電器や GE等国内外 の有力企業 が採用 ベータマック ス(ソニー) 2005~08年 DVD内世代交代 DVD(東芝主導 Blu-ray Disc(ソ で開発) ニー・フィリップ ス) ソフト製造面と 画質面からハ リウッド映画業 界が要望 ソニー・ピク チャーズ、ディズ ニー、20世紀 フォックスが支持 した HiFi-VHS(日本 HD DVD(東芝・ ビクター) NEC) 技術ではリー 後継規格(BD) パラマウント映画 ドしたが、陣 が投入された 等が支持したが、 営作りに失敗 が、DVD主流 08年に東芝撤退
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