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イスラエル旅行準備会
第二回(5月23日)
イスラエル全史
レビ記26章27‐42節
1.
2.
3.
4.
5.
6.
主がアブラハムに約束の地を与えられる。
モーセの時代、イスラエルが民となった。
約束の地の相続
神に背くため、離散。
離散の地における悲惨。
主が土地を思い出す。
申命記30章1‐6節
1. 主が離散の民を帰還させる。
2. 彼らの心が立ち返る。
二回の離散
バビロン捕囚(紀元前586‐538年)
ローマによる神殿破壊(紀元70年)
異邦人の時
「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆ
る国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるま
で、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。
(ルカ21:24) 」
再臨によって完成する帰還
「そのとき、人の子のしるしが天に現われます。
すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、
人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に
乗って来るのを見るのです。
人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いた
ちを遣わします。すると御使いたちは、天の果て
から果てまで、四方からその選びの民を集めま
す。(マタイ24:30-31)」
イスラエルの歴史は神の壮大な計画
族長時代(紀元前17‐19世紀)
神がアブラハムを選び、カナンの地を約束。
イサクを選ぶ。(イシュマエルはアラブ人)
ヤコブを選び、十二人の息子。
→ エジプトに下る。
この時代とそれ以前:カナン時代の遺跡
エリコ、ダン、メギド・・・
出エジプト時代(1445-1405B.C.)
族長時代が「約束の時代」であったが、出
エジプトは「イスラエルの民の誕生」。
神との契約(シナイ山)
十戒を始めとする律法
神の幕屋における礼拝
ヨシュアから士師時代(11世紀辺り)
約束の地を相続するものの、主の前に悪
を行ない、異邦人から虐げられた時代。
士師によって救われ、解放と安息。
王国時代(統一国家)
サウルから始まるが、ダビデによって国が
統一する。
エルサレムが都 → 永遠に続く
ソロモンによって国の繁栄
神殿建設 → 第一神殿時代(バビロン捕囚まで)
この時期の遺跡
• メギド、ハツォル、西壁トンネル・・・
南北王朝時代
ソロモンの死後、ユダの王レハブアムから
北イスラエル十部族が分離。
北イスラエルは722年アッシリヤ捕囚
南ユダは586年バビロン捕囚
数々の遺跡
ヒゼキヤのトンネル、ダンの金の子牛祭壇・・・
帰還の民
バビロンからの帰還民、エルサレムを再建
総督ゼルバベル → 神殿(エズラ記)
総督ネヘミヤ → 城壁
この時から「異邦人の時」と言える
メディヤ・ペルシヤ
ギリシヤ
ローマ
この神殿から紀元70年までを「第二神殿時
代」と呼ぶ。
中間期
マラキ書(400年頃)から主の聖誕までの
期間。
主にダニエル書、外典「マカバイ記」に記載。
ギリシヤが四分割
プトレマイオス(エジプト)とセレウコス(シリヤ)
の興亡
シリヤの王アンティオコス・エピファネスによる
ユダヤ人のヘレニズム化
ハスモン朝(142-63年)
マカバイ家の勇猛な戦い
ハヌカー(164年)宮清め、神殿奉献
大祭司また王として、律法を基にして君臨。
学者エズラから始まり、マカバイ家に受け
継がれた律法敬虔運動が、後にパリサイ
派となっていく。
ローマ支配(63B.C.-313A.D.)
ハスモン朝がローマによって倒れ、ユダヤ
はローマ属国に。
ハスモンの王の娘婿だったヘロデが、ロー
マからユダヤ人の王に任命(37B.C.)。
建築に才能を発揮。第二神殿を大幅改築。
キリストの誕生(4-6B.C.)
ユダヤ人から拒まれる
主の預言通り、紀元70年エルサレム神殿破壊
中間期を知るお薦めの資料
マンガ「聖書時代の古代帝国」
いのちのことば社
福音書と使徒行伝の背景は、
中間期を知ると良い。(第三回
準備会は「新約聖書の舞台)
ユダヤ反乱(66‐74年)
第一資料はヨセフスの「ユダヤ戦記」
ユダヤ人がヘロデの統治にも反発、ローマ
の直轄下に入ったがそれにも反発、つい
に66年カイサリヤでユダヤ人殺害がきっか
けにユダヤ反乱軍が動く。
70年にティトスがエルサレムを破壊
残党が死海ほとりのマサダ要塞に篭城
ローマのイスラエル非ユダヤ化
地名ユダヤを「シリア・パレスチナ」に改名
第二次ユダヤ反乱(バル・コクバの戦い
132年)の鎮圧後、ユダヤ人を完全追放
エルサレムの中にも偶像を建てる
ユダヤ教の発展
主がしばしばパリサイ派と対立しておられ
た律法解釈は、口伝律法「ミシュナ」。
ミシュナの文書化、さらにそのミシュナの解
釈が「タルムード」
神殿礼拝に代わって、シナゴーグ(会堂)
でラビによる礼拝が始まる → 現代ユダ
ヤ教の始まり
ティベリヤにサンヘドリン(議会)
ビザンチン時代(313‐636年)
ローマ帝国が、皇帝コンスタンティヌスの
改宗によりキリスト教が国教に。
母ヘレナの巡礼。ゆかりの地に教会堂と
修道院を建築。→今見る教会の多くがギリシヤ正教
イスラムの支配(636-1099年)
632年にムハンマドの死、3年後アラブ人
がこの地を支配
カリフ(回教太守)がダマスコから支配
ユダヤ人は生存権は認められた
十字軍(1099‐1291年)
イスラム教徒からの聖地奪還運動
イスラム教徒とユダヤ人をすべて虐殺
→ムスリムとユダヤ人のキリスト教に対する否定的反応の
主な原因は十字軍
十字軍の城壁跡なども見ることができる。
映画「キングダム・オブ・ヘブン」
反ユダヤ主義
歴史的には欧州キリスト教における、「キリ
スト殺し」という考え
制度的には13世紀から。キリスト教徒との
交際禁止、職業自由の剥奪、スペインでの
強制改宗、カトリックの異端審問、ゲットー
と呼ばれるユダヤ人隔離居住区
イスラム圏では保護民として二流市民にと
どまった。 → 今の反ユダヤ主義の多く
がイスラムによる「反イスラエル主義」
マムルーク朝(1291‐1516年)
エジプトから始まったイスラム勢力
イスラエルは荒廃、ユダヤ人居住者は貧
困にあえぐ
オスマントルコ(1517‐1917年)
最盛期時のスレイマン壮麗王により、ユダ
ヤ人生活が向上。今のエルサレム城壁は
この時のもの。
ユダヤ人の多くがツァファトに移住。
半ばから国力を失い、パレスチナは不在
地主による貧農の耕作。土地税が木一本
につき課税されたので、節税対策として木
を抜き、不毛と湿地の地へと変化。
欧州からシオニズム胎動(18世紀)
フランス革命と啓蒙運動により、ユダヤ人
差別制度の多くが撤廃
しかし根強く残る反ユダヤ主義。
ロシアのポグロム
フランスのドレフェス事件。
→ テオドールがユダヤ人国家提唱。
欧州とロシアの、社会主義的理想を掲げ
た若者たちがパレスチナで農地開墾
オスマントルコ後期
欧米列強が中東への影響力
イギリスとフランス
聖書考古学の発展
迫害によって、アリヤー(祖国帰還)の波が
起こる。
生活改善(通信・交通・幹線道路)
エルサレム新市街
ヘブル語の復活(ベン・ヤフーダ)
英国委任統治(1918-1948年)
英軍アレンビーがメギドでトルコ軍に勝利。
(映画:「アラビアのロレンス」)
国際連盟が英国にパレスチナの委任統治
1917年、バルフォアによるユダヤ民族郷
土宣言。
ユダヤ人とアラブ人に自治を認める
離散民の援助による発展。ユダヤ機関。
ユダヤ人社会の近代化、国となる基盤。
アラブ民族主義とホロコースト
パレスチナの中ではアラブ人による暴動の
頻発。確執が始まる。
欧州では、ドイツのナチスによるホロコース
ト。ところが英国はアラブを気にしてユダヤ
人に厳しい移民制限をかける。
ユダヤ人による自衛と反英闘争が始まる
(ハガナー(後のイスラエル国防軍)・イルグン)
国連分割決議と中東戦争の始まり
1947年、国際連合がパレスチナにユダヤ
人とアラブ人、国連管理地区からなる分割
決議案を提出。ユダヤ側は了承、アラブ側
が拒否。
1948年、英国が国連に統治委託を返還、
5月14日ついに、イスラエル国として独立。
24時間もたたぬうちにエジプト、ヨルダン、
シリア、レバノン正規軍が一斉攻撃。
独立戦争(1948‐1949年)
15ヶ月間の戦闘でイスラエルの勝利
ガザ地区がエジプト、西岸(東エルサレム
含む)がトランス・ヨルダンに
住む土地を逃げたアラブ人が大量に難民
化(パレスチナ難民問題)
逃げなかったアラブ人はイスラエル市民権
アラブ諸国にいるユダヤ人も難民化。しか
しイスラエルが吸収。
シナイ作戦(第二次中東戦争 1956年)
スエズ運河に利権を持つイギリスとフラン
スが、国有化を宣言したエジプトに対して、
イスラエルによって攻撃。シナイ砂漠をIDF
が進出。イスラエルの勝利に終わったが、
シナイはすぐに返還。
この戦争で、イギリスとフランスの影響力
がなくなり、代わりに米ソの影響力が強ま
る。
六日戦争(1967年)
•エジプトがシナイ砂漠に進軍、ティラン海峡
を封鎖、ヨルダンと軍事同盟。エジプト・シリ
ア・ヨルダンによって四面楚歌になったイスラ
エルが先制攻撃。
•南部は空軍の攻撃で電撃的勝利、東部はヨ
ルダンから西岸を奪還、北部のゴラン高原は
シリアから奪還。
•東エルサレムをヨルダンから奪還したことに
より、エルサレムの主権を回復!(しかし神殿
の丘はすぐにヨルダンのムスリム当局に移
管。)
•エジプトはガザを放棄、ヨルダンも西岸を放
棄、そのため「誰の国のものでもない土地」を
イスラエルが管理している状態。
•入植地建設を開始。
ヨム・キプール戦争(第四次 73年)
ヨム・キプール(贖罪の日)に、エジプトとシ
リアが両面攻撃。
イスラエルは苦戦を強いられたが勝利。
エジプトのサダト大統領が、数年後、平和
条約を提唱、78年に合意。シナイ半島がエ
ジプトに返還 → エジプトとの戦いの終結、
周辺アラブ諸国との正規戦が終わる。(ヨ
ルダンとは94年に平和条約締結。)
パレスチナ(PLO)との戦い
ゲリラとしてイスラエルを長年悩ます。
ヨルダンにおける「黒い九月」(PLOがヨル
ダン国内でパレスチナ国を作ろうとした。)
追放されたPLOはレバノンに拠点
ガリラヤ平和作戦(82年)
レバノンに侵入、PLOの掃討戦
オスロ合意(1993年)
イスラエル首相ラビンとPLO議長アラファト
が、クリントン大統領仲介によって締結
パレチナの暫定自治
平和と安全を確保しながら、パレスチナ国
家へ移行。
相次ぐ対イスラエルのテロ攻撃と、PLO内の腐
敗によって頓挫。
第二次インティファーダ(2000年9月)
当時のバラク首相の譲歩をアラファトが一
切拒否、シャロン首相の神殿の丘訪問を利
用して武装蜂起。
自爆テロがこの時に頻発。
防護フェンスを作ることによってテロ事件が
激減。
第二次レバノン戦争(2006年7月)
2000年、イスラエルがレバノンを一方的撤
退。
イラン、そしてシリアの支援を受けてシーア
派原理主義ヒズボラが拠点設置。カチュー
シャ・ロケット攻撃開始。
イスラエルが応戦
ガザ戦争(2008‐2009年)
PLOのファタハの力が弱まり、イスラム原
理主義ハマスの台頭。
ガザ地区の入植地とIDFをシャロンがすべ
て撤退させる。
内乱の後ハマスがガザ地区に権力掌握。
エジプトから武器密搬入、ロケットをイスラ
エルに発射攻撃。
イスラエルの応酬
異邦人の完成の時
その他、イラン核開発による戦争危機など
があるが、なぜこうもイスラエルは周囲の
敵に悩まされるのだろうか?
旧約時代のイスラエルも同じだった。
今は、異邦人の救いの完成が近づいてい
る。したがって、神がイスラエルを再び取り
扱い始めておられる。
終わりの日に生きるキリスト者を再確認。
参考文献
駐日イスラエル大使館
出版物 「イスラエルの情報」(pdf.あり)