東京大学READ(障害と経済)公開講座 「ベーシック・インカムの課題と可能性」2009.07.04 万人に基本所得を与えられるか? ベーシック・インカム構想の実験経済学的検討 公立はこだて未来大学 川越 敏司 1 ベーシック・インカムとは • 老若男女を問わず、各個人に無条件で 一定額 の所得を保証する所得保障制度 • 各個人は、この保証所得額以上の所得を得よう と労働して対価を得ると、そこにだけ所得税が課 される • 一人月額8万円をベーシック・インカムとし、それ 以外の所得に50%のフラットな所得税を課せば 現行の日本の経済・財政状態でも実現可能(小 沢, 2002) 2 ベーシック・インカム導入のネライ ① 保証所得分は労働しなくて済むので、労働需給 が緩和され、ワークシェアリングが進む ② 余暇の時間を十分持てることで、全人格的発達 の機会がより多く得られる ③ 所得保障を「家計」ではなく「個人」を基準にす ることにより、家計の中の権力関係に支配され ている女性、子ども、老人、障害者たちを自律さ せ、その人間としての権利と尊厳を尊重できる 3 経済分析の必要性 • BIが労働意欲に与えるミクロ的側面の分析 ① モラル・ハザード(①と②に関して) • • • 誰にでも分け隔てなくベーシック・インカムが支払われるなら、 労働するインセンティブが失われてしまう? 生産性が落ちると税収が減り、BIは財政的に維持できなくな る? BIは最善の制度なのか? ② 逆選抜(③に関して) • • • 子どもを増やせばそれだけ「家計」にとって総所得が増えるの で、家計には子沢山になろうというインセンティブが働くかも? スウェーデンのように児童手当が手厚い国では、十分な数の 子どもをもうければ、児童手当だけで一家が生活可能。 みんなが畑作りより子作りに励むと、誰も労働しなくなるので、 BIは財政的に維持できなくなる?また、女性の自立につなが 4 らない? 研究の背景 • なぜ実験経済学なのか? – 「ベーシック・インカム実験に向けて」と題する誌上討論 (Basic Income Studies, 2006年) – 負の所得税の場合の様な実験的検討の必要性 • 実験提案例 – 「余生を勝ち取る("Win for Life")」(ベルギー)というくじ をベーシック・インカムの社会実験の代用として使用 (Peeters and Marx, 2006) – コントロールされた実験室実験によって、直接的にベー シック・インカムの労働供給に与える効果を測定すべき (Noguera and Wispelaere, 2006) 5 研究の目的 • モラル・ハザードに関して – フィールド実験の特徴も併せ持つ実験室実験によって ベーシック・インカムが労働供給に与える影響を調べ る – 同値な負の所得税との比較を行ない、労働インセン ティブに与える効果に差異があるかどうかを調べる • 逆選抜に関して – 主体は労働市場に参入して自立した生活をするの か、婚姻関係に入って子どもを産み、ベーシック・イン カムだけで生活するようになるのか、結婚市場と労働 市場への参入を考慮した進化ゲームによる分析を行 なう 6 モラル・ハザード • 負の所得税(NIT) – ある一定の所得額以上の場合は税金を取られるが、 逆にその所得以下の場合は、負の所得税(つまり、補 助金)が課される • ベーシック・インカム(BI) – 所得額に関係なく、ある一定額が基本所得として与え られ、それ以上の勤労所得に所得税が課される • 仮説 – BIの場合は労働に応じて獲得所得が増加するのに対 し、NITの場合、所得が増加すれば支給される負の所 得税額が減少するので、NITの方がBIより労働意欲 を減退させる傾向がある 7 モラル・ハザード • 負の所得税(NIT) – 獲得所得Yについて、ターゲット所得Gと所得税率Tに 対して、税引き後所得Zは以下のようになる。 Y T (G Y ) if Y G Z Y T (Y G) if Y G • ベーシック・インカム(BI) – 無条件に支給される所得gと所得税率tに対して、税引 き後所得Zは以下のようになる。 Z g (1 t )Y • T=tかつTG=gとすれば、両者は同値 8 モラル・ハザード YとZの関係 110 100 Y Z 90 80 Z 70 60 50 40 30 20 10 0 0 8 16 24 32 40 48 56 64 72 80 88 96 Y 獲得所得Yと税引き後所得Zとの関係 9 モラル・ハザード実験 • 労働の課題:2桁と1桁の自然数の掛け算 – 課題は十分に集中力を要する「労働」として設定 – 1問4秒以内に解答する条件で、1セット25問をランダ ムに出題、各条件で5セット実施 – 事前の予備実験では、理系学生で平均60点 • 制度なし条件(条件A)と制度あり条件(条件B)を 交互に、A-B-Aという順序で実施(ABA計画法) • 一方のグループは負の所得税、他のグループは ベーシック・インカム( 1グループ30名)を経験 • 制度なし条件は、ベーシック・インカムでgなしの 場合にあたる 10 度数 負の所得税 50 45 40 35 30 25 20 15 10 5 0 条件A1 条件B 条件A2 10 20 30 40 50 60 70 80 90 100 階級 → ベーシック・インカムが労働 意欲を抑制していた ベーシック・インカム 度数 ベーシック・インカム条件で は、条件BからA2への変化 で、労働量の分布が右にシ フトしている 45 40 35 30 25 20 15 10 5 0 条件A1 条件B 条件A2 10 20 30 40 50 60 70 80 90 100 11 階級 逆選抜 • 研究の目的 – 婚姻して家計に入り、BIのみで生活するか(M タイプの行動)、婚姻せずに熟練労働に就き、 自立した生活を続ける(Bタイプの行動)、どち らが社会において支配的になるか? – ただし、婚姻市場でどちらのタイプと出会える かは、ランダムに決まる – このような不確実性(逆選抜状況)に直面する 時、個人はMタイプとBタイプのどちらの行動 を選ぶか? 12 逆選抜 • 2種類のタイプが、最初に婚姻市場でランダム・ マッチ、その後労働市場に参入 – Mタイプ • 結婚してベーシック・インカムBIを受領すればそれでよいと考 える – Bタイプ • 訓練を受けて熟練労働に就き、BI以上を稼ぐ • 非熟練労働には両方のタイプが均等な時間だけ 就くことができる(この俸給はBIに加算済み) • 熟練労働に就くことで得られる追加所得をT、そ の就職率をp (0≦p≦1)、その訓練コストをcとす る。(このTからはすでに所得税を差し引き済み)13 逆選抜 • Mタイプ同士が出会った場合 – 必ず婚姻し、平均q人の子どもを出産する 。 – 婚姻した場合、出産した子ども一人につき追 加的コストgがかかる。 – 平均q人の子どもに対してこの家計が受け取 れるBIの平均はqBIであり、その一定割合a (0≦a≦1)を両親の一人ひとりが子育てや一家 の生活のために利用する 14 逆選抜 • Bタイプ同士が出会った場合 – 互いに婚姻はせず、訓練を受けて熟練労働に就く努 力をする。 – それぞれ就職率pのもとで熟練労働に就き、追加的所 得Tを受け取る – 熟練労働に就くために必要な訓練上のコストは-c • MタイプとBタイプが出会った場合 – 婚姻は成立せず、MはBIのみを受け取り、Bは熟練労 働市場に参入する 15 逆選抜 2 M B 1 M B BI+aqBI-gq BI+aqBI-gq BI BI+pT-c BI BI+pT-c BI+pT-c BI+pT-c 16 モデルの均衡 • (aBI-g)q>pT-cならばMタイプがESS • pT>cならばBタイプがESS • pT<cかつ (aBI-g)q<pT-c の場合、ESSは 混合戦略 – 人口中にMタイプとBタイプが混在し、人口中 にMタイプが占める割合は次のようになる c pT ( g aBI)q 17 比較静学 • 就職して得られる追加所得の期待値pTを訓練コ ストcが上回るほど、Mタイプの割合は増加 • BIやgを一定とすると、平均出生数qは上昇して 人口全体が増え、それだけ就職率pは下がるの で、この条件は成り立ちやすくなる。このことがさ らにMタイプを増加させていく • Mタイプが増加すると、熟練労働に就くBタイプの 数が減って社会全体の生産力が下がり、BIの値 自体を減少させる必要性が生じる • 長期的には、人口の上昇は国家による直接・間 接の介入によって一定に落ち着く可能性はある 18 おわりに • 同値な負の所得税と比較すると、ベーシック・インカ ムは労働インセンティブを抑制する可能性がある • 実験で恣意的に与えた限界税率などの制度的パラ メータに関して、最適所得税の枠組みで再度検討す る余地あり • ベーシック・インカムの導入は、必ずしも個人の自立 を促す制度なのではなく、自発的に婚姻関係に入る タイプが増加し、抑圧的な家族関係が再生産される 側面もある • 結婚市場と労働市場への参入のタイミングに関し て、マッチング理論を用いたより厳密な定式化が必 要 19
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