PowerPoint プレゼンテーション

情報・史料学概説
情報技術発展史 その2
第1世代から「第5世代」、そして、現代へ
2008年度
林晋担当
ver2008/05/12
2015/9/30
1
コンピュータの世代論

1980年代にコンピュータを5世代に分類するの
が流行った。



第1世代: 真空管(CPU)・水銀遅延線(音を使うメモリ)
第2世代:トランジスタ(CPU) ・コアメモリ(磁気を使うメモリ)
第3世代: IC (CPU)・メモリもIC(ただし、第3.5世代?)



第4世代:MPU (一個のIC がコンピュータ本体)になる。


MPU: 今のPCのCPU, Intel Core 2 などのこと。
第5世代: 1982-1992年に、未来の知的マシン「第5世代コン
ピュータ」を日本が作るとした、国家プロジェクトがあった。


2015/9/30
IC: Integrated Circuit, トランジスタを集積(密度を高めて一体化)したもの。
現在も同じ。つまりCPU、メモリの基本は第3世代以後変化していない。
世界的に流行るが、失敗。それから世代論が流行らなくなった?
バブル景気 1986年12月-1991年2月
2
第1と第2世代: UNIVAC, IBM


第1世代はENIAC, EDVAC の時代のコ
ンピュータ。UIVAC(現 UNISYS)が最初
に商業化。IBMも参入。
第2世代までは、UNIVAC が優位。1955
年頃に逆転し、第2世代から第3世代で
IBMの覇権が確立される。
2015/9/30
3
第3世代:メインフレームの時代


「メインフレームの時代」は、広い意味では第1-3
世代、狭い意味では第3世代の時代のことを言
う。
メイン・フレームを定義したといわれる IBM 360
が登場したのが 1963 年、このころから、PC の
時代に突入する1980年代までがメイン・フレー
ムの最盛期。
2015/9/30
4
事務機としてのコンピュータ:
Mauchly と Eckert のその後




ENIAC-EDVAC のプロジェクトは、電子技術者
と論理学者の対立、商業主義とアカデミズムの
対立により崩壊したが、コンピュータを商品化し
たかった Mauchly と Eckert は、ペンシルバニア
大学を去り、コンピュータを事務機にするための
会社を設立する。
彼らのコンピュータの名前は UNIVAC
Universal Automatic Computer
その後、会社の名前にもなった。今のUNISYS。
一時は、コンピュータの代名詞になった名前で
あり、IBMの好敵手だった。
2015/9/30
5
コンピュータ以前の office の情報化



コンピュータ以前にも、OA (Office Automation)
は、あった。UNIVAC が目指したのは、それを
コンピュータで高速に実行できるようにすること
だった。
UNIVAC, IBM の話をする前に、少し、それに
触れる。
またまた、出てくる Babbage と Babbage の経済
学書!
2015/9/30
6
手形交換所 Clearing House


Babbage が数表計算のために階差機関を作ろうとしてい
た1820年代には、事務所とは数名の事務員で運用する
ものだった。例:当時最大の生命保険会社 Equitable
Society of London は8名の事務員が羽ペンと紙だけで
仕事をしていた。
しかし、例外としてロンドンの手形交換所では、de Prony
的なチーム計算で運営されていた。これを見た Babbage
は、これが de Prony と同じ“頭脳労働の分業化”である
ことを認識したらしいという:Economy of Machinery and
Manufacture Chapter 13 に London の Clearing House の
記述があり、その合理性が分析されている。
2015/9/30
7
Hollerith Accounting machine
(会計機械)




コンピュータ以前のオフィス自動化の花形は、
accounting machine, tabulator などと呼ばれる、
会計・統計用の機械だった。ただし、ほとんどア
メリカ中心。
その嚆矢が、IBM の創設者、Herman Hollerith
の、 Hollerith machine。
会計機械 accounting machine, 統計機械、
tabulator とは、様々な情報の集計、分類などの
統計計算を自動的に行うための機械。
会計機械の黎明期には、さまざまな機械や方式
が工夫されたが1890年の米国国勢調査で、こ
の機械が採用され、以後主流となる。
2015/9/30
8
会計機械からコンピュータへ



会計機械は、最初、特殊用途ごとに別の専用機械が作
られていた。後には、ENIAC と同様、ケーブルの配線を
変えるなどして、「汎用会計機」が作られる。
しかし、それはあくまで会計用の機械であり、後に、より
汎用のコンピュータに置き換わる運命にあった。
最初の近代社会ともいえるアメリカ社会では、コンピュー
タ登場以前から、こういう機械が普及していた。これが
UNIVAC 登場の下地となっていることに注意。
2015/9/30
9
最初の「会計・統計用」コンピュータ
UNIVAC



ペンシルバニア大学を飛び出したMauchly と Eckert は、
1946年、彼らのコンピュータを、事務機として使うという
構想を実現するため、Electronic Control Company ECR
を設立。
やがて、ECRは、当時の事務機メーカの一つ、レミント
ン・ランドの計算機部門になる。
1951年ころには、システムの開発は波に乗り始め、1953
年にはUNIVAC で大統領選の趨勢を予想するというテ
レビでのデモンストレーションも行われる。これは米国大
衆に強くアピールし、UNIVAC はコンピュータの代名詞
となる
2015/9/30
10
IBMの参入




これに危機感を持ったのがIBM。
当時まだ統計機械メーカだった、IBM はコン
ピュータの開発を決意し、701(1952), 702(1953),
605(1953) という三つのコンピュータの開発を開
始する。
IBM の機械は、最初、UNIVAC に対し、技術的
な欠点が多く、IBM がUNIVAC を超えたのは
1955 年だった。
IBMの制覇により時代は、1960-70年代の本当
の意味でのメインフレームの時代に突入する。
2015/9/30
11
第3世代の代表的マシン:
IBM System/360 (1963年)




CPU に IC を採用。
一台のマシンでなく、小型機から大型機までの
色々な機種からなるコンピュータの family。
最大の特徴は Compatibility: family のどの機
械でも、原則的に同じソフトが走り、同じ周辺機
器が使える。
ソフトや I/O device (プリンタ, display,
keyboard,…)を family 全体で共有すれば、ソフト
開発のコストなどを全体として低減できる。(すく
なくともユーザーは。)
2015/9/30
12
第4世代へ: Intel 4004




個人用のコンピュータという意味のPCは、原理的には
ハードウェアの方式には関係ない。しかし、経済的理由
などにより、その出現は、ひとつのチップにコンピュータ
の心臓部(CPU)が全部収まるマイクロプロセッサ
(Microprocessor)の出現によって可能となった。
現在のPCの CPU Intel Core 2 などの先祖最初の
microprocessor は Intel 社 4004。
その開発は日本の電卓メーカビジコンの依頼からはじ
まった。
ビジコンの技術者嶋正利が深くかかわったといわれてお
り、嶋は、その業績で京都賞を受賞。しかし、Eniac のと
きと同様、Intel 関係者と嶋の話は対立している…。
2015/9/30
13
Alto system 1978年頃





すべての PC, Workstation の直接の祖先。
Xerox 社の Palo Alto Research Center, 通称
Xerox PARCで開発。
Mouse, Bitmap display, Network と、現代的PC
のすべての要素を持っていた。当時の普通のコ
ンピュータとは全然違った!
現在のEthernet の原型となる Alto Aloha
Network でつながっていた。
Xerox STAR 1981

2015/9/30
Alto の商用版。高かった。遅かった。売れなかった。
14
IBM PC




1981年。IBM がPC業界に参入する。ビジネス用
としての PC。
アーキテクチャを open にしたのも幸いして、爆
発的に売れ、これが PC の defacto standard とな
る。(そして、現在も、その子孫が市場を 支配し
ている。)
IBM/PCのOS として採用されたのが、MS-DOS。
作成はMicrosoft社にまかされた。これが 現在
の Microsoft 社の繁栄の基礎となった。
2015/9/30
15
Apple と Macintosh


一方、Apple 社は、Alto に影響され、Lisa という
PC を1983年に開発。現在の PC と同様、Alto と、
ほぼ同じ機能を備えていたが、1万ドルもして、
かつ、遅かった。Star と同じ運命を辿る。
その後、1984年に Macintosh を発表。一体型で
ディスプレイこそ小さかったが、2,500ドル!しかも、
十分早く、かつ、デザインがよかった。爆発的人
気!ただし、office の仕事には必ずしも向かな
かった。
2015/9/30
16
Windows





その後、Microsoft 社は、Macintosh 用のソフトウェアの
開発を通して、Macintosh の技術を学び、Windows OS
を開発することとになる。
Apple 社はハードウェアとソフトウェア(OS等)の両方を自
社で作ったが、MS はソフトウェアに特化。ハードは多く
の会社が作る IBM PC 仕様の計算機ならば、どれでも
使える。(IBM PC はアーキテクチャが open だったことに
注意!Apple 社は closed の道をとった。)
1995年のWindows 95くらいから Macintosh の優位は揺
らぎ、やがて追い抜かれた。
Windows の first version Windows 1.0 は 1985年11月発
表。
そのころ日本では・・・
2015/9/30
17
日米貿易摩擦



日本経済が敗戦から立ち直り始めた1950年代半ば、日本の安い繊
維製品がアメリカで問題となる。1枚1ドルの日本製ブラウスがスー
パーマーケットで爆発的に売れ、アメリカの繊維業界が大恐慌をき
たした。これが日米繊維摩擦の発端と言われる。
東京オリンピック(1964)も終わり、1970年代になると、日本からの
安く優秀な製品による経済摩擦の主役は、鉄鋼・カラーテレビ、80
年代には自動車・半導体・VTR、そしてスーパーコンピュータへと移
っていく。
基礎研究ただ乗り論も盛んだった。「日本はアメリカが発明したアイ
デアを改善して安く売り自国では本質的に新しいものを発明してい
ない。日本はアメリカの研究にただ乗りしている」という説で、1990
年代ころまでは、日本国内でも常識だったが、日本からノーベル賞
がドンドン出始めたころから、段々聞こえなくなった?
2015/9/30
18
第5世代コンピュータプロジェクト
2007/10/28 の wikipedia 日本語版から


第五世代コンピュータ(だいごせだい-)とは, 通商産業省(現経済産
業省)が1982年に立ち上げた国家プロジェクトの開発目標である.
1992年に終結し, 570億円を費やした.
1980年代に 入り, 日本のコンピュータ産業は輸出も増え, 市場規模
も2兆円まで成長した. 従来, 通産省は1983年ごろまで貿易自由化
対策としてコンピュータ企業への 助成金を出していたが, 既にその
ような直接的な助成金は意義を失っていた. また, 海外からもIBM
互換機を輸出する日本に対して風当たりが強くなっていた 時期でも
ある(IBM産業スパイ事件が起きたのは1982年).

林の注釈: IBM互換機。IBMのメインフレーム用のソフトがそのまま
走るコンピュータ。後で詳しく説明。
19
続き wikipedia



そこで, 次は第四世代と言われていた時代に, あえて更に先の第五
世代コンピュータを開発するプロジェクトを立ち上げ, 日本の独自性
を打ち出そうとした.
この検討が開始されたのが1979年である. 当時, 電子技術総合研
究所(現在の産業技術総合研究所)の淵一博らは述語論理による
プログラミングに強い関心を持っていた. 淵らは独創性を求めるこ
のプロジェクトを絶好の機会として働きかけ, 第五世代コンピュータ
の目標は「述語論理による推論を高速実行する並列推論マシンと
そのオペレーティングシステムを構築する」というものになった.
当初の予定から1年延びた1992年, プロジェクトは上記目標を達成
して完了した.
ところが…
20
第5世代コンピュータプロジェクト
2007/10/28 の wikipedia 英語版から

The Fifth Generation Computer Systems project
(FGCS) was an initiative by Japan's Ministry of
International Trade and Industry, begun in 1982, to create
a "fifth generation computer" (see history of computing
hardware) which was supposed to perform much
calculation utilizing massive parallelism. It was to be the
end result of a massive government/industry research
project in Japan during the 1980s. It aimed to create an
"epoch-making computer" with supercomputer-like
performance and usable artificial intelligence capabilities.
21
続き

Another problem was that existing CPU performance
quickly pushed through the "obvious" barriers that
everyone believed existed in the 1980s, and the value of
parallel computing quickly dropped to the point where it
is today used only in niche situations. Although a number
of workstations of increasing capacity were designed and
built over the project's lifespan, they generally found
themselves soon outperformed by "off the shelf" units
available commercially.
22
続きの続き


By any measure the project was an abject failure. At the end of the
ten year period they had burned through over 50 billion yen and the
program was terminated without having met its goals. The
workstations had no appeal in a market where single-CPU systems
could outrun them, the software systems never worked, and the entire
concept was then made obsolete by the internet.
Ironically, many of the approaches envisioned in the Fifth-Generation
project, such as logic programming distributed over massive
knowledgebases, are re-interpreted in current technologies. …. The
Fifth-Generation project was aimed at solving a problem that is only
now realized by the world at large.
23
どちらが妥当?




日本語の Wikipedia と英語の Wikipedia
のどちらが「正しい」判断だろうか?
そもそも、この場合の「正しい」判断とは?
という、重く大きい問題を残して、説明は
先に進む!
当時の時代背景ももう少し説明。
2015/9/30
24
1970年代の日本のコンピュータ産業



現在では, 日本のコンピュータ産業は, 世界的に言えば
ゲーム機以外では陰が薄い. 現在では, 日本のハード
ウェアが世界一だと思っている人はあまりいないだろう.
しかし, 日本のコンピュータが世界一の品質を持ち, ある
いは, 直ぐにそうなり, Toyota の自動車のように, 世界
の市場を席巻するのではないかと思われていた時期が
あった.
1970年代, 日本では富士通・日立, NEC・東芝, 三菱・
沖という電気電子メーカが, メインフレームを生産してい
た.
25
Mighty MITI のコンピュータ政策



富士通・日立のように,最盛期には
“・” をつけてあるのは, 例えば,
このケースの富士通と日立のグループのように,
メーカ
Mighty MITI
がグループを作ってメインフレームを生産していたため.
と呼ばれていた
このグループ作りは, 現在の経済産業省の前進である
通商産業省 (通産省, MITI)の指導によるものだった.
MITI は「傾斜生産」という政策など, 第2次世界大戦 後
の日本の復興に大きな貢献があった.
しかし, その「官民一体」のやり方(実際には「民」は嫌っ
ていたという人も少なくない)は, 雪崩のように安い商品
を輸出してくる日本に危機感をもった米国などから非難
を浴びるようになった.
26
IBM互換路線



コンピュータの場合, 特に問題となったのが MITI が推
進した IBM互換路線.
これは, 要するに今の中国がコピー商品を大量に安く生
産しているようなもので, 独自の設計は控え, IBMのメイ
ンフレームが発表されると, それを買ってきて分解し,同
じ(ような)ものを安く作って売るということをしていた.
大きな理由はユーザがIBMコンピュータの資源を持って
おり, IBMのシェアを切り崩すには, それを使えるように
するしかなかったからといわれる. 今の Apple/Mac のよ
うなもの.
27
独自路線の模索


しかし, 現在は中国が「コピー商品」を非難されているよ
うに, この路線は非難を浴びた.
これに「危機感」を持った通産省の若手官僚たちが, ア
メリカにないものを日本で作り出そうと考え始め,それが
当時の第3世代を二つ飛び越えた第5世代コンピュータ
という発想を呼び,その思惑と, 日本人技術者渕一博が
独自に構想していた従来にない「計算機アーキテク
チャ」の研究計画が合流してFGCS/ICOT が生まれたと
される.
28
1980年代という時代:
Japan As Number One!


1979年, Harvard 大学の Ezra F. Vogel
は, Japan As Number One: Lessons for America
という本を出版し, 21世紀が日本の世紀になると
予言した.
当時, ようやく敗戦の劣等感を克服しつつあった
日本は, これを大歓迎した. そして, この「Japan
as Number One」というフレーズは, 1987年から
のバブル経済で真実味を帯び, 1992年のバブル
崩壊まで続くこととなる.
29
歴史の必然




FGCSを構想した 第5世代コンピュータ研究所長の渕一
博は, 哲学などを好み、技術も歴史観に基づいて考えら
れる、日本の技術者としては、珍しくスケールの大きい
人物だった。
そして、渕は、その科学技術史観から、この「第5世代」
へのプロセスを歴史の必然とみていた.
確かに世代論が, そのまま「進化」により伸張していくの
だったら, 渕の予測は自然だし, 正しかっただろう.
しかし, 1980年代とは, その世代論自体が「解
消」していく時代だったのである.
30
1980年代という時代




1980年代, 特に1985年ころは, 様々な分野で, そ
れまでのパラダイムが崩れていく時代だった.
原因は, 林には, まだ良く分からない.
ここでは現象としてのみ捉えてみる.
そうすると前回・前々回で話したソフトウェア工
学のB. Boehm や S. Kline の非線形モデルの話
とこの話がオーバーラップすることがわかる.
31
二つの線形モデル

Linear model

Waterfall model

科学

顧客



基礎研究
開発研究
設計
製造
販売

市場

要求仕様
設計
実装(プログラミング)
検証(テスト)
インストレーション(設
置)
メンテナンス

顧客







32
渕の線形思考





コンピュータが実行すべきことは述語論理あるいはその拡張で記述
できる.(形式的技法と同じ前提.)
その論理をベースにした Prolog という原語がある.
述語論理の実行は遅い.(数学の定理を計算機に証明させることと
思えばよい.) Prolog の実行もあまり速くはない. しかし, 実験してみ
ると, 想像するほど遅くもない.
それならば述語論理に適したハードウェアを作ればよい.それには
並列計算が適しているし, 並列計算はそれに適してる. (当時, 並列
計算は花形! それに適しているという言語が数多く提案されていた.
殆どは渕のケースのProlog のように数学理論ベース.)
これが実現すれば, AI, 自然言語処理などもうまくできるに違いない.
9/30/2015
33
ところが…:Wikipedia History of
Software Engineering

1945 to 1965: The origins


1965 to 1985: The software crisis



どうもソフトがうまくできなくて困る。どうしよう?ソフトウェアを作るための工学
90年代だけ
や科学がないからだ!そういう工学・科学の体系を作ろう!という時代。
1985 to 1989: No silver bullet


コンピュータという機械ができた。兎に角、がんばって、ソフトを作っと
こう、という無手勝流の時代。
異質
数学見たいのとか、論理学みたいのとか、色々考えたけど、どうもうまくいか
ない。ソフト生産には、ばら色の科学技術はないみたいだ・・・、という時代。
1990 to 1999: Information Superhighway
2000 to Present: Lightweight Methodologies

9/30/2015
数学のような重厚な理論や工学体系を作ろうとして失敗したが、軽くやると結
構うまくいくぞ!、という時代。
34
非線形システムとしてのWeb



「渕の線形思考」は, むしろ真っ当であるとさえいえる. し
かし, 80年代のSEを議論を, 全く違う土俵である
Internet/Web による社会変化がかき消してしまったよう
に, 渕の思考もかき消されてしまった.
Wikipedia と, 研究者から読者へ一方な情報の流れが起
きる「線形」の既存辞書との対比. またInternet/Web の動
的ネットワークと Chain-link モデルの構造的類似性から
わかるように, Internet/Web への流れも一種の非線形
ターンであった.
これを象徴するような事実がある.
35
続き


The term fifth generation was intended to convey the
system as being a leap beyond existing machines.
Computers using vacuum tubes were called the first
generation; transistors and diodes, the second; ICs, the
third; and those using microprocessors, the fourth.
Whereas previous computer generations had focused on
increasing the number of logic elements in a single CPU,
the fifth generation, it was widely believed at the time,
would instead turn to massive numbers of CPUs for added
早過ぎたという意味?
performance. 以前配った年表
Opinions about its outcome are divided: Either it was a
complete disaster, or it was ahead of its time.
36
Terry Winograd, そして, Larry Page




渕に衝撃を与え結果として FGCSの種をまいたともいえるのが人工
知能研究者 Winograd。
その Winograd が、1986の Understanding Computers and Cognition:
A New Foundation for Design で, この「非線形ターン」を行った. 最
近の, Shifting viewpoints: Artificial Intelligence and humancomputer interaction, in Artificial Intelligence, 2006では, これを
Rationalistic vs Design
という標語で説明している.
そして, 現在の Web の状況を代表するともいえる Googleの創設者
Larry Page は Winograd の学生であり、Google の発想には
Winograd の影響が見える.
と書いた後で、Winograd さん本人に聞いたら、自分たち二人ともが、
シリコンバレーの精神に影響されているのだと思うとのことだった。
37
真の第5世代?Network




Information super highway
つまり、Internet!
NET でつながれた、PC 群。
これこそが本当の「第5世代コンピュータ」だった
のではないだろうか?
2015/9/30
38
Internet の歴史は?




これは技術史として、凄く面白いけれど、省略!
詳細は情報・史料学非常勤講師の喜多千草先生の 『イ
ンターネットの思想史』 青土社, 2003年を参照。
昨年の喜多先生の特殊講義のテーマがこれだった。
今年は違うみたいだが来年は?
2015/9/30
39
Web 1.0 から Web 2.0 へ?



最近では検索エンジンを中心として、Web の世界が第2
段階(Web 2.0, Web のバーション 2.0)に入ったという意
見が定着した。
ということで、林のイントロは、ここで終わり。
第5世代、Internet, Web など、すべて報告のテーマとし
て面白いので、これをやりたい場合は、林にも相談して
欲しい。特に第5世代は、林が昨年来、調べているのが、
技術史的評価としては最初の試みだろう。これの史料が
沢山ある。
2015/9/30
40