企業家論 ④ マイケル・デル

企業家論 ⑨
小倉昌男
ヤマト運輸(14万人以上の社員数)の事業内容:
宅急便・クロネコメール便を中心とした一般消費
者・企業向け小口貨物輸送サービス事業
樋口徹
1
小倉昌男の年表
1919年
小倉康臣(中学中退)が大和運輸㈱を創立(トラック4台;国内に登録さ
れていたトラックは204台)
1924年
12月13日渋谷区代々木生まれ(大和運輸の創業者の康臣の次男)
1927年
康臣が万国自動車運輸会議に日本代表として出席(小口貨物の積み
合わせ運送の仕組みを知り、帰国後に関東一円に「ヤマト便」を展開)
1943年
東京大学経済学部商学科入学(大和運輸就職を意識・勤労動員)
1944年
福岡・久留米の第一予備士官学校(陸軍)に入学、砲兵中退に配属
(大和運輸は百貨店配送業務を禁じられ、日本通運との合併や軍に吸
収されかけていたが、終戦を迎える)
1947年
テニス部の部費や生活費捻出のために、人工甘味料サッカリン密造
(東工大生が製造を指揮、部員が工員として働き、昌男は調達と販売
担当)
1948年
緑化成を設立後、大和運輸に入社(駐留米軍の引き上げ荷物担当)し
たが、結核で入院(1953年に復職⇒キリスト教徒に)
1954年
静岡運輸への出向(裏側;荷主とドライバーが結託し、ドライバーが運
賃を横領⇒運行記録計を設置、「安全第一、能率第二」;非番返上禁
止)
2
小倉昌男の年表(続き)
1956年
結婚し、出向解除。百貨店配送業務でのスト決行(三越等の優良顧客
相手にスト決行される。康臣「迷惑をかけるかもしれない。要求に屈し
たら配送料金が上がるので、そちらの方がご迷惑になる。」)
1957年
康臣がアイランド・ヴァン・ラインズ社と業務提携(親子猫のロゴ;「お客
様の荷物をていねいに運ぶ」)⇒康臣「クロネコマーク」採用。
昌男が百貨店部長時代に、有楽町そごうの配送業務独占に失敗(康
臣「一社で独占すると、労働組合が強気になる。」)
1959年
路線トラック部門の営業部長就任(積み残しが多く、管理者のサラリー
マン化;残業しない;文書での指示待ち⇒路線トラック部門の赤字脱却
を目指す;近距離小口貨物中心から長距離大口貨物偏重への転換)
1960年
大阪-東京の長距離便運航開始(「箱根の山にはお化けがいる。決し
て超えてはいない」と反対する康臣を説得してから、先行事業者の
反対にあって、大阪-小田原間の路線免許取得に数年かかった)
1961年
昌男取締役に就任(大口の新規顧客獲得に乗り出す。その時の合言
葉は「煙突を目指せ」であった。しかし、売り上げは増えたが、収益率
は低下した。その理由は大口は割引運賃が適用される一方で、設備
投資が必要であったからである。それなのに、手間のかかる小口を切
り、大口に集中いようとした。=戦略の間違い)
3
小倉昌男の年表(続き)
1965年
トレーラーシステムの採用(牽引するトラックとトレーラーの切り離しが
可能になった。空いているトレーラーに荷物を積み込んで置き、トラック
が到着したら、牽引してきたトレーラーと交換;効率的になる)
1967年
乗り継ぎ制を本格化(大阪-東京間を一人の運転手が往復すると3日
かかるが、浜松で乗り継げば一日で帰宅できる) ※コンテナ船就航
1971年
46歳の時に二代目社長に就任(康臣が車椅子生活になったのが切っ
掛け)。大口貨物に偏重していたので、経営状態は悪かった。
1973年
第一次石油ショック(大口貨物の荷動きが急速に鈍化)⇒リストラ
(視察先のマンハッタンで宅配を行っているUPS(ユナイテッド・パーセ
ル・サービス)の姿を見て、日本でも十分に需要が生まれると確信)
1975年
小口重視の指令を出す(単価は大口より小口の方が高い)。小口の切
り捨てを長年行ってきたので、社内では猛反対。1975年度の売上高経
常利益率は0.07%にまで下がった。宅急便の構想を考え始める。
1976年
1月
宅配便開始(ハブ・アンド・サービスを参考に、ベースと呼ばれる運行
基を設け、その周辺にセンターを設置し、さらにデポを配置;三段階の
配送網を構築、「集荷が第一、配達は第二」⇒酒屋を取次店に)
1979年
三越との決別(ライオンがネコにかまれた)⇒背水の陣で宅急便に
1982年
ヤマト運輸に社名を変更
4
長距離・大口顧客への転換が遅れた原因
関西の
家電
メーカ
関東一円の
「大和便」
100KMの範囲内
(超えたら鉄道貨
物)
戦前
道路事情やトラックの性
能から当然の選択
関東一円の
「大和便」
100KMの範囲内
(超えたら鉄道貨
物)
戦後
道路事情やトラックの性能が向上し、
関西(松下、シャープ、三洋等)で
生産された家電が関東で販売とい
う流れがあった。しかし、東海や関
西への進出が遅れていた。
5
乗り継ぎ制
1日目
東京-大阪
東京-浜松
(大阪)-浜松
夕方から積み込みを開
始し、夜に出発
夕方から積み込みを開
始し、夜に出発
朝方に到着し、仮眠をと 深夜に浜松でトレー
2日目 る。夕方から積み込みを ラーを交換し、早朝に
開始し、夜に出発
東京(大阪)に到着
3日目 朝方に到着し、帰宅
※乗り継ぎ制を導入することによって、仮眠がなくなるので、人件費削減と安
全面での強化につながる。運転手が自宅で睡眠中にトレーラーを活用で
きる。
6
宅配便構想のヒント
①吉野家がメニューを絞り込んで利益が増えた(理想的な会社を
目指すのではなく、取り扱う荷物を絞り込む)
②当時の運輸会社の顧客は企業であり、家庭からの宅配荷物は
相手にされていなかった。国鉄小荷物と郵便小包(6キログラム
を境に重いと国鉄小荷物)が家庭用の宅配荷物を扱っていた
が、親方日の丸(時間もかかり、サービスの質が低かった)
③日本航空が売り出した「ジャルパック(必要なものをパッケージ化
し、だれでも海外に行けるようにした)」をヒントに、主婦が使い
やすいサービスを考えた(荒くれドライバーをどうしようか)。
※宅配貨物の需要は不安定ではないのか?行き先も滅茶苦茶で対応できな
いのではないかと考えたが、日本全国レベルでの宅配貨物の動きを鳥瞰
して成功のイメージをつかんだ。
7
宅配便の基本ポリシーと取扱い個数の推移
1976年1月20日に「電話1本で集荷・1個でも家庭へ集荷・翌日配
達・運賃は安くて明瞭・荷造りが簡単」という『宅急便』が誕生。
[1]需要者の立場になってものを考える。
[2]永続的・発展的システムとして捉える。
[3]他より優れ、かつ均一的なサービスを保つ。
[4]不特定多数の荷主または貨物を対象とする。
[5]徹底した合理化を図る。
初日の取扱個数はわずか11個(発送)であったが、最初の1ヶ月の
取扱個数は8,591個、最初の2ヶ月で3万個を超え、1976年の実
績は約170万個を記録した。
1979年に全国にネットワークを拡張した。翌日配達を基本に、取扱
個数は順調に伸び続け、1980年には3,340万個となった。1981
年には約5,000万個を取り扱い、会社全体の経常利益も前年度
比3.3倍、売上高に占める比率も5%を超え、宅配便を開始して5
年後に採算ラインを超えた(『ヤマト運輸70年史』)。
8
商品開発と取扱個数(ヤマト運輸ホームページから抜粋)
9
ヤマトホールディングスの業績推移
1. バブル崩壊以降の低成長・マイナス成長下でも売上高は
伸び続けた。
2. 一兆円を超える売上高を稼いでいる(09年度の佐川急便
は8873億円)。
3. 売上高営業利益率が5~6%で安定している(09年度の佐川
急便は2.5%)。
10
11
宅配システムのイメージ
支社
主管支店
センター
その他
10
69
5984
254
(2013年4月1日現在)
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・
支社
主管支店
・ センター
幹線
支線
センター
・ からの
宅配範囲
ヤマト運輸が行ってきたイノベーション
• 大口貨物から小口貨物中心に展開したことから始まる。そ
れらは取扱量を拡大するためのサービス・メニューの充実と
多様な貨物を効率的かつ迅速に取り扱う経営・技術革新に
分けられる。
• 小口貨物はB2CあるいはC2Cの形態であるが、これらのビジ
ネスを展開するには膨大なネットワークが必要となり、その
ネットワークを維持するには大量の貨物が必要となる。
• さらに、時代とともに変化する消費者ニーズおよび潜在的な
消費者ニーズを発見し、サービス・メニューを充実させてき
た。近年では、宅配した家電製品や家具の取り付けなど生
活密着型のサービスにも力を入れ、取扱個数だけでなく付
加価値サービスによる増収も模索している。
12
情報面でのイノベーション
• 取扱個数が増える一方で、重量や取り扱い方が異なる貨物
に加えて、時間指定や代金支払いの有無など、取り扱う貨物
が多様になった。これらを効率的・迅速に取り扱うには、物流
と情報面でのイノベーションが不可欠であった。
• ヤマト運輸の強み(サービスとシステム)
・事業システム(人が生み出し続ける新たなサービス)、
・商品とサービス(宅急便を軸にサービスを多様化する事
業拡大戦略)、
・顧客志向の価格体系(運輸省に対して利用者本位の運
賃体系の働きかけ)、
・輸送・サービスシステム(ハブアンドスポークの輸送ルー
ト構築とSD※導入)、
・情報システム開発(SDを第一に、顧客の要望に応えるシ
ステムの自社開発)。
※SDとはセールスドライバーの略
13
ヤマト運輸の社訓
一、 ヤマトは我なり
ヤマトグループは、お金や設備以上に、「人」が最大の資本となって成り立ってい
る会社です。社員を単なる「人材」ではなく、会社の財産としての「人財」と考え、何
よりも「人を尊重」します。社員一人ひとりの「和」の力、「協力・結束・調和」が、ヤ
マトグループの企業としての力を生み出します。この「自分自身=ヤマトという意
識を持ちなさい」という言葉は、ヤマトグループの全員経営の精神を表しています。
一、 運送行為は委託者の意思の延長と知るべし
ヤマトグループは、運送サービスを通して、お客様(委託者)のこころを受け継ぎ、
責任と誠意とまごころとをもって、迅速かつ正確に運び、お届けすることを事業の
目的のひとつとしています。この言葉は、ヤマトグループの社員一人ひとりが“どう
すれば、お客様にもっと満足していただけるか?”という「興味と熱意」を常に持つ
ことの大切さを示しています。
一、 思想を堅実に礼節を重んずべし
社会生活に欠くことのできない公共性の高いサービスに従事するヤマトグループ
の社員は、一人ひとりが、“いかに社会や生活のお役に立てるか?”ということを、
常に念頭におかなくてはなりません。そのために、「礼節(礼儀と節度)」を重んじ、
社会の一員としてコンプライアンス(法令、企業倫理等の遵守)を実践していきます。
14
ヤマトホールディングスの営業収益
(ヤマトホールディングスのホームページから)
15
B2B、B2C、C2C
• B2B(大口の取引、企業間)
• B2C(小口取引、宅配)
物流
セン
ター
工場
一括
量販店の
物流セン
ター
工場
物流
セン
ター
※トラック一台あれば参入可能
なので、競争は激化しやすい
家
庭
家
庭
家
庭
家
庭
※宅配する場合には、多段階のネット
ワークが必要となる。
※C2C(小口取引、宅配)は集荷と宅配の
ネットワークの構築が必要となる。
16