第5講 日ソ国交回復 2007年11月30日 はじめに 日露・日ソ・日ロ関係の150年(戦争の1 00年と平和の150年) 50年周期説 1855年ー日露通好条約150年、 1905年-日露戦争(ポーツマス)100年、 1955年ー国交回復交渉 50年 2007年? それとも16・17年周期か? 1941年 中立条約 1956年 共同宣言 1973年 田中首相訪ソ 1991年 ゴルバチョフ訪日 2007年 平和条約は可能か? 1・ ソ連と日本 スターリンと日本(日露戦争のトラウマ) 1932年・満州事変ー30年代の屈辱(ゾルゲ) 1941年4月、中立条約(松岡、東郷) スターリンの対日観 日本敗北は必至、しかし日本と戦わない、国境 線変更ありうるー外務省ロゾフスキー次官メモ4 1年12月、44年1月マイスキー・メモ) 2・日本敗戦・暗闘から冷戦へ 44年までに対日参戦決意、 45年 ヤルタ密約(ル-ズベルトと千島引渡) 四月トルーマン政権(反ソ)、ドイツ敗北、核開発 核戦争とソ連参戦、 8月スターリンのジレンマ(170万赤軍無意味) 10月までにスターリンは同盟破棄・孤立主義 12月モスクワ外相会議、ソ連は東欧覇権重視 日本は米国の単独占領、朝鮮は信託統治。 3 サンフランシスコの積み残し 朝鮮戦争勃発(6月)ー53年7月休戦 熱戦と冷戦、国内対立(保守と革新) 51年9月サンフランシスコ単独講和 (国内冷戦、講和論争、南原と吉田、二人 の茂の戦い) 未完の課題としての日ソ・日中関係 日中、日韓・朝国交回復との関連 4 日ソ交渉の舞台裏 54年10月、毛沢東とフルシチョフ、北京で 同盟再定義、日本を再建に巻き込む 55年(昭和30)1月 鳩山邸 ドムニツキー の訪問、(2月北朝鮮も南日声明) ロンドン交渉で、二島示唆(55年8月) 保守合同・鳩山・吉田(池田)と交渉 第1次モスクワ交渉(56年8月)、 重光全権の登場 ダレスの介入ー沖縄とのリンケージ 5 交渉経過 北方領土と下田武三局長 アデナウワー方式、しかし二島確認 9月29日、松本・グロムイコ書簡(「領 土問題を含む平和条約交渉継続」 鳩山総理訪ソ 河野・フルシチョフ会談(公開95年) 署名式、フルシチョフ欠席、松本全権 の機転(往復書簡公開) 6 ソ連側の事情 フルシチョフ党第一書記、 ブルガーニン首相 ミコヤン副首相、シェピロフ外相(グロムイコ) スターリン批判の逆風(2月25日) 北朝鮮問題、毛沢東の金日成追い落とし工作 の挫折(9月23日ミコヤン、奉徳懐元帥―平壌 訪問の失敗、 10月19日、ポーランド緊迫、ハンガリー介入へ 10月30日、ソ連共産党、各国共産党の対等を 宣言(劉少奇、鄧小平訪ソ) 7 歴史的意義 日本の本格的国際社会への復帰―国連 日ソ・日ロ間の交流回復(条約無し) ―日米関係と同義 日中関係への伏線(ミコヤン発言) 日朝問題とも関連 しかし岸内閣は親米へ 六〇年安保で歯舞色丹も無効
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