セルビア・ボイボジナ自治 州におけるハンガリー人の

セルビア・ボイボジナ自治州
におけるハンガリー人の
少数民族問題
~民族主義から民主主義への
移行のなかで~
総合政策学部2年 江崎史恵
研究手法
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1、ボイボジナ自治州の民族構成や歴史的特
徴やハンガリー民族への民族浄化政策の説明
2、ミロシェビッチのセルビア民族主義の発
展の要因と背景の検証
3、セルビア民族主義の限界と問題点、転換
の可能性の提示
4、ハンガリー人の自治を回復するためのア
プローチの提示
ボイボジナ自治州とは
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セルビアの二つの自治州→コソボ、ボイボジナ
第一次大戦後ハンガリー帝国からユーゴへ割譲
1991年以降の民族浄化政策
ボイボジナ自治州で14%→ハンガリー人
現在でも40万人居住
ハンガリー国境近くの都市では絶対多数
旧ユーゴスラビアの民族構成
セルビア人
クロアチア人
ムスリム人
アルバニア人
スロベニア人
マケドニア人
ユーゴ人
モンテネグロ人
ハンガリー人
その他
ボイボジナ自治州の民族構成
セルビア人
ハンガリー人
ユーゴ人
クロアチア人
スロバキア人
モンテネグロ人
ルーマニア人
ジプシー
その他
セルビア人とハンガリー人の
人口比率の推移
80
60
セルビア人口
比率
ハンガリー人
口比率
40
20
1990
2000
1970
1980
1960
1940
1950
1920
1930
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ハンガリー民族の苦難の歴史
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1990年 セルビア議会はボイボジナの自治権
を除去し、教育、政治参加など諸権利剥奪
1991年 セルビア語が唯一の公用語とされる
ハンガリー人→「脱退論者」と批難
1993年 クロアチアから10万人のセルビア難
民流入
1995年 ボスニアから12万人以上のセルビア
難民流入
→4万人のハンガリー人が追い出される
コソボ紛争では、同胞討ちの悲劇も
セルビア民族主義発展の経緯
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チトー→労働者自主管理制度、多民族共存
経済政策の失敗→対外債務200億ドル
セルビア復興、経済基盤維持のための民族主義
債務危機 2000%以上のハイパー、インフレ
旧ユーゴ解体→セルビア軍事介入
国際、地域機関による軍事的、経済的制裁
残った新ユーゴのなかで更なる民族主義
セルビア民族主義の限界と
可能性
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<経済的側面>
民主主義を欠いた市
場の開放
国連からの経済制裁
→ハイパー、インフレ
民主主義実現、平和
的経済発展の必要性
EU加盟も照準に定め
るハンガリーを母国と
する人々の可能性
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<国際社会からの孤
立>
身勝手な軍事介入に
より信頼喪失
ユーゴと欧州の橋渡
しとしてのハンガリー
人の可能性
コソボの独立が話し
合われる前の信頼醸
成
ハンガリー・マイノリティーの
自治権獲得のために
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まずは複数の公用語、多言語表記達成の努力
トランシルバニア→教育法の改正を見本に
セルビア政府、ハンガリー政府との平和的話し合い
民族問題を軍事で解決するのは極力避ける。
人道的、国際平和的観点からだけではなく、
セルビア側の、自治権承認に対するインセンティ
ブやそれに伴う合理的利益を引き出すかたちで、
国民が乖離しないように話し合いを進めていく。