中国内モンゴルの砂漠化の原因と対策 JIRIGALA 2009 .4 .11 1 1 内モンゴルと砂漠化 内モンゴルの位置と範囲 面積:118.3万k㎡ 人口:3000万人 気候:寒冷乾燥強風 2 内モンゴルの砂漠化の状況 中国にある12個砂漠の中で8か所が内モンゴル にあり、砂漠面積は42.08万 k㎡で、内モンゴル総面 積の35.6%を占め、毎年0.8万k㎡ 速度で砂漠が拡大 しています(1999年)。 3 2 内モンゴルの農牧環境の変動 モンゴル人は自分の国を失ってから、今まで 150年間にわたり侵略や虐殺を受け、何千万 人の中国人が内モンゴル地域に移住しました。 その結果、草原が農地又は炭鉱に転用され、 生産生活様式も変化させられ、モンゴル族は 遊牧民として生きていく道がなくなった。それに 生態環境も余儀なく変動されたとも言えよう。 4 内モンゴルの社会的変容 1634年にモンゴルの最後の大ハンーリンダン・フトゥクト・ハ ンがシラタラで亡くなって、モンゴル族は自分の国を失い 、満 州民族との連邦制がとられた。 1860年ごろに「清朝変容」してから、モンゴル地域は満州 民族と漢民族による侵入略奪の対象となった。(連邦の失敗) 1911年に独立宣言していたモンゴル(ゴビ砂漠の南と北を 含めたモンゴル地域)は、1912年から中国軍閥の横領を受 けた。 1945年に世界二次大戦が終わり、ゴビ砂漠の北のモンゴ ルはやっと独立した国として世界的に認められたが、ゴビ南の モンゴルは中国の領土内に取り残されてしまった。 1947年に「内モンゴル自治政府」が成立され、1949年に 中華人民共和国が成立すると、中国の省レベルの「内モンゴ ル自治区」となりモンゴル民族の自治権力はまったくありませ ん。(自治の失敗) 5 内モンゴル・ホルチン地域の農牧形式の変容 清朝政府、中国軍閥政府、中国共産党政府は内 モンゴルに対してまったく同じ政策を取った。すな わち、移民開拓、資源略奪政策である。この結果、 この地域の農牧形式も変化を余儀なくされた。 遊牧地 遊牧 遊牧民 放牧地 定牧 牧民 禁牧+飼料地 舎飼+農耕 農民 砂漠+耕地 農耕+出稼ぎ 生態移民 6 内モンゴルの自然環境の変動 生態移民の増加~草原が砂漠化 され、牧畜業は持続出来なくなっ た 飼養頭数が環境収容量をはるかに越たこ とで、牧草は根まで食い尽くされ、その結果 ヤギは同類の毛を食すようになったと言う 7 故郷の思い出ーホルチン沙地 砂漠化の進行により家が 砂に埋められている 禁牧され囲いの中に閉じ込められた ホルチン牛(もうすぐ倒れるそうだ) 8 開墾され、穴があけ続けられる内モンゴル草原 次々に開墾される内モンゴル草原 開発により草原に開削された大穴 「退耕還林、還草」とは農耕をやめて、 森林、草原に戻させること 「西部大開発」とは西部に豊富に埋蔵され ている原料とエネルギー資源を開発し、 消費地である東部沿岸地に送ること 9 3 内モンゴルの砂漠化の根本的原因 過放牧、過耕作、過伐採は砂漠化の原因 であると普遍的に認識されている。砂漠化の 最も進行している内モンゴル草原が砂漠化し た原因と過程を検討したところ、この地域の 人口増加は極めて顕著であり、また草原開墾 や家畜の頭数とエネルギー開発のスピードに は驚くべきものがあった。 10 内モンゴルの人口と民族構成 2400 2200 漢族 モンゴル族 満族 総人口 2000 1800 人口(万人) 1600 1400 1200 1000 800 600 400 200 0 1947 1952 1957 1962 1971 1976 1981 1986 1991 1996 2001 2006 年 今までの100年間に内モンゴルは相当の領域を失ったことを別にしても、現在の 内モンゴル自治区の範囲内だけでは人口の80%以上が侵入した中国人によって 占められ、モンゴル人は自分の土地であるのに15%しかいない。 11 1911~1979年まで内モンゴルの人口推移 1800 1600 1400 万人 1200 1000 モンゴル族 漢族 800 600 400 200 0 1911 1949 1979 年 1911年から現在までモンゴル人は70万人から400万人(ただし1割以上が民 族変更した中国人)となり、これに対して中国人は70万人から2000万人以上 となりました。 12 内モンゴルの耕地面積と家畜頭数の推移 900 12000 800 600 8000 500 6000 400 300 4000 家畜頭数(万頭) 700 耕地面積(万ha) 10000 耕地面積 家畜頭数 200 2000 100 0 0 1947 1952 1957 1962 1967 1972 1977 1982 1987 1992 1997 2002 年 内モンゴルは寒冷、乾燥、強風地区で、殆どのところは農耕に適さない。それ にもかかわらず内モンゴルで草原開墾、農耕化が進められつつある。耕地面積 は1947年の400万haから820万haまで増加し、家畜も1000万頭から1億1000 万頭に増えました。 13 内モンゴルの木材生産量の推移 700 木材(万m3) 650 600 550 500 450 400 350 : 300 250 200 150 100 50 0 1945 1950 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010 内モンゴルは中国の最大の木材生産基地と自慢され、1949年から 2007年まで合計1.5億㎥の木材を供給し国家に貢献したという。 14 内モンゴルで開発される露天掘りと汚染工場 内モンゴル・フルンボイル草原に開削された 扎賚諾尔(ジャライノール)炭坑 内モンゴル烏海市の エネルギー開発区 15 1600 35000 1400 30000 発電量(億kwh) 石炭(万t) 20000 800 15000 200 0 石炭(万t) 1200 1952 1957 1965 1970 1975 1978 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 発電量(億kw) 内モンゴルの年間発電総量と石炭生産量の推移 25000 1000 600 400 10000 5000 0 年 16 内モンゴルが砂漠化した根本的原因 17 4 内モンゴルの砂漠化防止対策 中国の領土になった内モンゴルは、爆発的に増 加する中国の人口ストレスを解消する受け皿となり、 また13億中国人の食を支え、中国の「経済発展」が 必要とする大量のエネルギー物質と原料を提供す るためにモンゴル族の文化と人権と草原が全て奉 献させられたのである。これまでに明らかにした内 モンゴル草原の砂漠化の根本的原因を基にして、 内モンゴルの砂漠化防止対策を農地環境工学の面 から提起して見たい。 18 ①ホルチン沙地域内に建設された数多くの農業水利施設の 役割を再評価し、川の断流が生じないシステム的な河川管 理対策を実施する。 ホルチン沙地における河川水系と主な農業水利施設 19 ②餌になるトウモロコシの単作を止めて、柔軟な食糧 生産体制を見直し、最終的に環境に優しいナムクタ リヤ農耕をその一環として普及させる。 塩類アルカリ土壌が発生する原因 20 ③草原環境の収容量を重視し、五畜のバランスを見ながら、草 原に対して破壊力が大きいとされるヤギを始めとして小型家畜 の頭数を大きく減らす。 7000 6000 5000 牛 馬 駱駝 羊 山羊 万頭 4000 3000 2000 1000 19 47 19 50 19 53 19 56 19 59 19 62 19 65 19 68 19 71 19 74 19 77 19 80 19 83 19 86 19 89 19 92 19 95 19 98 20 01 20 04 20 07 0 年 内モンゴルの家畜(五畜)の構成変化 21 ④自然環境を破壊する炭鉱、汚染工場を追放し環境 に優しい企業を導入する。 22 5 展 望 内モンゴルの砂漠化防止対策を幾つか提起 したが、この成否は中国政府次第だと思われ る。 もし移住させた漢民族を元の地域に戻させ、 資源の略奪を停止することが可能ならば、内 モンゴル草原は自ら回復できるのである。 伝統を守ることは地球を守ることになると言 われるように、モンゴル族は自分の伝統文化 を生かして、人類財産であるモンゴル草原を見 事に修復できると確信している。 23
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