憲法第17条

憲法第17条
数字17の意味
憲法の制定にあたり、どうして17という数字を用いたの
であろうか。陰陽思想によると数字にも陰と陽があり、陽
数の最高9に対して陰数の最高が8で、合計すると17とな
る。聖徳太子は陰陽思想にも精通していたというから、根
本法典としての憲法制定にさいし陰と陽の極を合わせた17
という数字を用いたものであろう。のちにつくられた貞永
式目の51ヵ条は17の3倍であり、禁中並公家諸法度が17ヵ条
からなっているのはこれにならったものと思われる。
笠原一男 『詳説日本史研究』 53頁
憲法十七条は604(推古天皇12)年に、聖徳太子みずからが起
草して制定したといわれる。憲法とはいっても、今日のそれと
は異なり、主として官吏である豪族に与えた政治的・道徳的訓
戒ともいうべきものである。制裁条項は含んでいないが、法意
識の未発達な時代につくられたものであるから、成文法のはじ
めとみなしてもよいであろう。その内容は和を尊ぶべきこと
(第1条)、仏教を信ずべきこと(第2条)、天皇に服従すべき
こと(第3条)にはじまり、為政者として公平な政治を行なう
ための具体的な心得をさとしている。そこには儒教や仏教の思
想が強く現れており、賞罰の適正を論じたところなどには中国
の法家の思想もみられる。しかし、それらの根底に流れる観念
は強い国家意識である。君・臣・民のあるべき姿を指名し、国
家の進むべき道が、格調のある文章によって示されているので
ある。
笠原一男 『詳説日本史研究』 52~53頁