科学者が見つけた「人を惹きつける」 文章方程式 ― 第

科学者が見つけた「人を惹きつける」
文章方程式
― 第10章 「静寂」の名文方程式 ―
静岡大学 教育学部
総合科学教育課程 総合科学専攻
3021-6030
望月 麻紗樹
目次
堀 辰雄
①四文字勝負
②流行キーワード連発
③限定表現禁止
高田 宏
①目線転換
②色・光で表現
③三文字勝負
④完全同化
和辻 哲郎
①無機質で情緒
②漢和対比
③抑制表現
堀 辰雄に見る方程式 ①四文字勝負
それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵
を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木陰に身を横たえていたものだっ
た。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく
私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、緑だけ茜を帯びた入道雲のむくむくした
塊に覆われている地平線の方を眺めやっていたのものだった。
―『風たちぬ』より
◇最初の四文字で勝負!!
「それらの」は何の情報も含んでいない。
⇒読者の想像に任される。
※この段階で、読者の意識を現実から乖離させる。
一方で、「一面に薄の生い茂った草原の中」という一文で、映画のワンシーンの
ような、寂寥感のある風景をイメージさせる。
また、「お前」という二人称を用いることにより、読者を登場人物である「私」の視
点に立たせ、更に現実世界から隔絶させる。
堀 辰雄に見る方程式 ②流行キーワード連発
それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵
を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木陰に身を横たえていたものだっ
た。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく
私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、緑だけ茜を帯びた入道雲のむくむくした
塊に覆われている地平線の方を眺めやっていたのものだった。
―『風たちぬ』より
◇大はやりのキーワード群
避暑地の一流リゾートホテルのパンフレットにでも載っていそうなキーワードの
数々。
⇒イメージが容易でありながら、現実感に薄い。
※読者がより想像の世界に没入しやすい仕掛け。
更に「眺めやっていた」という行動は、意識しての結果ではなく、茫洋としたもの
を感じさせる。
堀 辰雄に見る方程式 ③限定表現禁止
それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵
を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木陰に身を横たえていたものだっ
た。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく
私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、緑だけ茜を帯びた入道雲のむくむくした
塊に覆われている地平線の方を眺めやっていたのものだった。
―『風たちぬ』より
◇限定してはいけない
「眺めやっていた」という表現からは、そこはかとない投げやりな気分が感じら
れる。
⇒明確な意識の表現を避けている。
また、どうかするとそんな風の余りらしいものが、私の足もとでも二つ三つの落葉を他
の落葉の上にさらさらと弱い音を立てながら移している・・・・・・。
―『風たちぬ』より
限定的な情報を与えないことにより、読者の想像を掻き立てる。
⇒読者個人の思い出と同化させる。
高田 宏に見る方程式 ①目線転換
縄文杉の下の一夜は、ほんとうに時計のいらない時が流れていた。星が光りだし、赤
い月が上ってやがて黄色から銀色に輝きだし、空のへりに明るみが見えはじめるとまも
なく朝焼けに変り、鳥たちが一斉に鳴きはじめる。それが、時間というものだった。
―『木に会う』より
◇目線を移す
「時計のいらない時」
⇒日常とは異なる“時間”を示唆。物理的な時間から、読者を解き放つ。
「星が光り」、「月が上って」、「朝焼けに変り」、「鳥たちが一斉に鳴きはじめる」
⇒誰もが知っている自然現象を、改めてクローズアップする。
※日常生活で“無視”している事柄に目線を移させ、精神的な時間の流れ(「時
計のいらない時」)を意識させる。
高田 宏に見る方程式 ②色・光で表現
縄文杉の下の一夜は、ほんとうに時計のいらない時が流れていた。星が光りだし、赤
い月が上ってやがて黄色から銀色に輝きだし、空のへりに明るみが見えはじめるとまも
なく朝焼けに変り、鳥たちが一斉に鳴きはじめる。それが、時間というものだった。
―『木に会う』より
◇色と光で時間を表現
月は「赤」から「黄色」、そして「銀色」へと変化する。
⇒夜明けが近づくにつれ、美しく変化する。
星が「光りだし」ていた夜は、空に「明るみ」が見え始め、「朝焼け」に変わる。
⇒次第に光度を上げていく、明るさの描写。
※色彩と明度を徐々に変化させていくことで、時間の流れを表す。
高田 宏に見る方程式 ③三文字勝負
縄文杉の下の一夜は、ほんとうに時計のいらない時が流れていた。星が光りだし、赤
い月が上ってやがて黄色から銀色に輝きだし、空のへりに明るみが見えはじめるとまも
なく朝焼けに変り、鳥たちが一斉に鳴きはじめる。それが、時間というものだった。
―『木に会う』より
◇三文字で勝負
「それが、時間というものだった。」
⇒ 「それが」という総括としての言葉を述べることで、「時計のいらない」縄文杉
の下の時が、有無を言わせずに定義される。
※断定することにより、読者を催眠にかける。
高田 宏に見る方程式 ④完全同化
朝の光の中に虫たちが舞った。クモが縄文杉の枝から枝へ糸を張り、その糸がきらめ
いた。小さな風が来て、縄文杉を吹きぬけてゆく。朝露に濡れた無数の葉が光り、私の
頭上に滴が降ってくる。子鹿が近くで草を食べはじめる。森の朝がはじまっていた。
―『木に会う』より
◇完全同化
自然の中へと読者を誘う描写。
「私」の自我は、「無数の葉」の陰に隠れている。
⇒観察者としてではなく、自然に溶け込んだ一人の人間。
※一切の自己主張がない。
◇はじまっていた
過去完了の形で記述。
⇒ここで初めて、朝が訪れて“いた”ことに気付く。
※自然に包まれている感覚・静寂。
和辻 哲郎に見る方程式 ①無機質で情緒
紅葉のなくなったあとの十二月から、新芽の出始める三月末までの間が、京都を取り
巻く山々の静止する時期である。新緑から紅葉まで絶えず色の動きを見ていると、この
静止が何とも言えず安らかで気持ちがよい。
―『埋もれた日本』より
◇無機質な用語で情緒を表現
「紅葉のなくなったあとの十二月」「新芽の出始める三月末」
⇒無味乾燥な説明から逃れ、潤いのある季節感を演出。
「静止する時期」
⇒物理学で用いるような無機質な用語。
※鮮やかな「色の動き」が、きわめて即物的に表現される。
旅行ガイドブックに載っているのもとは一風異なる、哲学者の見た京都。風景を
きちんと叙述しながら、京の情緒といったものを描き出す。
和辻 哲郎に見る方程式 ②漢和対比
紅葉のなくなったあとの十二月から、新芽の出始める三月末までの間が、京都を取り
巻く山々の静止する時期である。新緑から紅葉まで絶えず色の動きを見ていると、この
静止が何とも言えず安らかで気持ちがよい。
―『埋もれた日本』より
◇漢語とやまと言葉の対比
漢語・・・古来中国から伝わった言葉で、漢字を音読するもの。
やまと言葉・・・日本固有の言葉。日本語。(和歌を指す場合もある。)
※漢語はやや改まった感じを与える。
「静止」という漢語と、やまと言葉によるコントラスト。
⇒文章に起伏を設ける。
京の人間にとっては空気のように当たり前の“静けさ”を、改めてクローズアップ
する。
和辻 哲郎に見る方程式 ③抑制表現
これは私には非常な驚きであった。東京では冬の間樹木の姿が目に入らなかったの
である。まれに目に入ると、それはむしろいやな感じを与える。早く春になって新芽が出
るとよいと思う。しかるに京都では、この落ちついた冬の樹木の姿が、一番味がある。
―『埋もれた日本』より
◇抑えた叙述
「いやな感じ」、「早く春になって」
⇒東京の冬景色を切り捨てることにより、京都の相対価値を高める。
「一番味がある」
⇒礼賛するのではなく、ぽつりと自身の評価を述べる。
※最上級の駄目押し・極めつけの表現に通じるものがありながら、たった一言
の静けさが感じられる。
まとめ
静寂・・・物音や人の気配が無く、辺りが静かな様子。
(1)堀 辰雄
ここでは『個人意識に没入することによって現実世界から隔絶』することにより、
「静寂」を得ていると考える。
読者のイメージを膨らませ、かつ個人の経験と同化させていく方法が紹介され
ている。
(2)高田 宏
ここでは『個人意識を排し、世界を見つめる第三者的な視点に立つ』ことにより、
「静寂」を得ていると考える。
場面をミクロからマクロに移動させ、読者の視点を外に持っていく方法が紹介さ
れている。
(3)和辻 哲郎
ここでは『侘び寂びを想起させて、日本人が持つ精神世界に訴えかける』ことに
より、「静寂」を得ていると考える。
無機質で抑えた記述も、侘び寂びを感じさせるものである。また東京と京都の
対比も、そのひとつであると考える。