愛媛大学工学部 電気電子工学科 2007年度応用通信工学 都築准教授第6回講座 電波は誰のもの?? ~無線通信の礎を築いた先人たち~ 無線電信から 次世代移動通信まで この資料において次のマークにはリンク を張っています。 1 ★:インターネット(国、大学又は準ずる団体) ■:インターネット(企業又は団体) ▲:インターネット(個人) ◆:Wikipedia ●:本資料内 株式会社NTTドコモ四国 泉岡 恒世 目次 2 1. 序章・・・「塔」 2. 無線前史(夜明け前) 3. 無線通信の夜明け 4. 波長(周波数)の違い 5. 電波利用のルール化(国際) 6. 電波利用のルール化(国内) 7. 電波利用のルール化(その後) 8. 国際無線通信の移り変り 9. 波長は更に短く(八木アンテナの発明) 10. 波長は更に短く(テレビジョンの発明) 11. 波長は更に短く(マイクロ波通信の発達) 12. 波長は更に短く(衛星通信) 13. 無線通信の本領・・・「移動通信」 14. 携帯電話の発展 15. 電波は限りある資源 16. これからの移動通信 17. まとめ(その1) 18. まとめ(その2) 参考資料1~7 参考文献 リンク集 1 序章・・・「塔」 皆さんは、この 「塔」を知っていま すか? また、どの様な 目的で作られたと 思いますか? ◆Wikipedia ■GoogleMap 画像提供:■あじこじ九州 http://www.ajkj.jp ▲写真 3 2 無線前史(夜明け前) *1 テレ・コミュニケーション (tele-communication) とは・・・ *2 一般には「電気通信」、本来は「遠隔地間の通信」をいう。 ■Tele-communicationの由来 4 人間の声が到達、また目視できる距離は、物理的に限 られている。それを超える距離間を通信するためには、視 聴覚の補助、媒体を輸送する手段、「情報」を媒体に載せ る工夫などが必要である。(★五感通信、◆触覚通信(袋競り)) テレ・コミュニケーションとは、その「技術」と言える。 電気通信が発明されるまでの間は、太鼓・半鐘・ほら貝 ・笛(音)や*3◆伝書鳩・◆*3飛脚(紙)、◆のろし通信・◆腕木伝信 *4 ★潮流信号、▲写真・旗振り通信(光) などが利用されていた。( )内は媒体 *1 tele:prefix (「遠く」の意) 例:tele-vision (光景)、tele-phone (音)、tele-graph[gram] (記録) 、tele-scope (鏡) *2 通信:人 の意思を他人に表示し、又は事実を通知すること。*3 ★信書通信 (郵便)の前身、現在でも「手紙文化」として継承されている。 (近いものに◆電報がある。) *4 ●電信(tele-graph)の原形といわれている。 *4 大阪・堂島で■米取引に利用されていた。 3 無線通信の夜明け 5 1864年(元治1) マクスウェル(英)が電磁波の存在を予言 1835年(天保6) モールス(米)が★モールス符号を用いた■電信機を発明 1888年(明治21) ヘルツ(独)が電磁波の存在を実証 1890年(明治23) ブランリー(仏)が◆コヒーラ現象を発表 1895年(明治28) マルコーニ(伊)が無線電信機を発明 *1 1897年(明治30) 松代 松之助(逓信省電気試験所)が国産無線電信機 を開発し、★通信実験に成功(★電気通信大学60年史2、★初期の無線通信機) 1899年(明治32) 日本海軍が無線電信の研究に着手し、1901年(明治34) に三四式無線電信機を開発、1902年(明治35)に★三六式無線電信機を完 成し、日露戦争で■歴史的な成果を挙げた。(▲日本無線史の落穂拾い的考察) 1901年(明治34) マルコーニ(伊)が大西洋横断無線電信実験に成功 1908年(明治41) 逓信省が★国内に始めて無線局(陸上4局、船舶10局)を 設置し、国際航路の船舶との通信を開始した。 (★電気通信大学60年史3) *1 逓信省電気試験所:明治18年に設置された逓信省の付属研究機関。現存する以下の3研究機関の前身 ①★(独)情報通信研究機構 (旧郵政省 電波研究所)、②■日本電信電話株式会社情報流通基盤総合研究所 (旧日本電信電話公社電気通信研究所)、③★(独)産業技術総合研究所 (旧 ★国立研究所電子技術総合研究所) 4 波長(周波数)の違い ヘルツの実験 6m(50MHz)~0.7m(430MHz)程度 マルコーニの実験 7.5m(40MHz)~6000m(50kHz)程度 国内最初の公衆通信用無線局 300m(1MHz)・600m(500kHz)・1600m (187.5kHz) マルコーニが最初に通信実験を成功させた距離は、わずか2.4km(40MHz) だった。1901年、大西洋横断(3000km程度)通信実験(夜間)に成功したとき に使用した波長は366m (820kHz)とされているが、実際には高調波(短波帯) だったのではないか、と言われている。 * 幾多の研究から長距離通信には長波が適していることが分かり、その後 は長波通信が主流となった。 しかし、アマチュア無線家の貢献もあり、短波が小電力でも電離層反射 により長距離通信が可能であることが分かり、その後は短波通信の時代が 訪れたのである。 6 * 超長波(VLF)から超短波(VHF)までの電波伝搬は、★電離層の影響を受ける。中波は昼間 に発生するD層により減衰し、 地表波伝搬が支配的であるが、長波は、昼間はD層、夜間はE層に反射し、遠距離に伝搬する。 5 電波利用のルール化(国際) 7 船舶は世界の隅々まで・・・ 航空機が実用化されるまで海外に渡航する手段は船舶のみであ った。船舶は陸上との通信手段を無線通信に頼っており、世界中を 往来することから国際的な取り決め(周波数・通信方法の統一など) が必要であった。 電波はどこまでも・・・ 空間に輻射された電波は、通信相手に届くもの以外は他の通信に とって妨げであることから、混信を防止するための国際的な取り決め (電波の質など)必要であった。 できたのが「国際無線電信連合」・・・ 1908年(明治41)「国際無線電信連合」がベルリン(独)で創設された。 その後、万国電信連合(1865年(元治1)創設)と統合し、1932年(昭和7 年) 「★国際電気通信連合(★ITU)」として発足した。本部:ジュネーブ(ス) * この国際機関は、現在も無線通信を含む電気通信の国際的な調 整や標準化を行っている。 * 軍需を除く。 6 電波利用のルール化(国内) 8 電信法の制定 (有線)電信については1879年(明治12)、ペテルスブルグ(露)で 締結された「万国電信条約」に加盟し、1900年3月(明治33)に「電 信法」を制定した。 無線電信を「電信法」に準用 *1 明治33年10月、無線電信に「電信法」を準用し、政府が管掌 する(私設を認めない。)と定めた。 国内法を制定 1908年(明治41)「国際無線電信連合」がベルリン(独)で創設さ れ、同時に「国際無線電信条約」が発効し、日本もこれに併せて 「★無線電報規則」ほかの国内法令を制定し、同時に国内初とな る無線局(陸上4局、船舶10局)を設置し、国際航路の船舶との 通信を開始した。 *2(同時に無線電信従事者の養成も開始した。) *1 政府管掌の経緯:●海軍が無線電信機を兵器として開発中であり、混信を恐れたことから逓信省に申入れたと言われ ている。*2 無線電信従事者の養成機関:明治40~★逓信官吏練習所 (後の旧郵政大学校)、大正7~★社団法人電信協 会 無線電信講習所 (後の国立大学法人 電気通信大学)など 7 電波利用のルール化(その後) 9 タイタニック号の悲劇 1912年(明治45)に起きた「◆タイタニック号遭難事故」を教訓とし、 1914年(大正3) 「★海上における人命の安全のための国際条約 (ロンドン条約)」が採択され、救命艇の数、無線電信の義務付けと 国際遭難周波数500kHzの24時間聴取などが決められた。 一部私設を認める「無線電信法」の制定 1915年(大正4)日本では、ロンドン条約の採択を受け無線局の 開設を船主に認めるなど一部私設を容認した「★無線電信法」を制 定した。(政府管掌は変わらず) 現行憲法下における「電波法」の制定 無線電信法は、第二次世界大戦の敗戦後の1950年(昭和25)ま で続き、日本国憲法下において1950年6月1日(昭和25) 「★電波法 」が施行され、現在に至っている。(電波を広く国民に開放した。) 適用除外:「★自衛隊法第112条」、「★電波法の特例に関する法律」 「★日米地位協定」(日米安全保障条約関連) 8 国際無線通信の移り変り 続々と建設された(超)長波による国際通信用の無線通信施設(■日本の国際通信事始め) 無線電信は、波長が長い電波ほど長距離通信に有利なことが明らかになってから逓信省 や海軍省は、大正初期から昭和初期にかけて日本のあちこちに「●無線通信施設」を建設し た。 *1 周波数の不足(長波の波数は、世界で134波のみ) (超)長波による電波は、遠くまで届くことから世界的に波数が逼迫し、また国際調整も不調 に終わったことから、波長獲得の必要性により大電力の送信所建設に迫られた。しかし、国 は財政の窮乏から、1925年(大正14)国策会社「日本無線電信株式会社」を作り、対処した。 長波から短波へ *2 短波が、長波と比較して小電力でも伝搬距離が伸びることが解り、電離層の存在が明ら かになるとともに長距離通信の主流は短波へと移った。(現在における(超)長波の利用例:★標準 電波・◆特殊通信) 無線電話などの登場 欧米では、昭和に入り長距離無線電話が実用化されたことから、国内でも1932年(昭和7) 「国際電話株式会社」が設立され、1937年(昭和12) ころには世界各国と国際電話が可能に なった。また、戦後は印刷電信(★テレックスなど)も登場した。 短波通信の終焉 国際通信は戦後、逓信省から国策会社「国際電信電話株式会社(KDD)」に移行された。当 時の短波通信は58回線で始めたが、1965年(昭和40)ころには極限に近い約300回線に達し た。しかし短波通信は電波伝搬が不安定であることから、その後「●海底同軸通信ケーブル 」や「通信衛星」に主役の座を明け渡し、静かに国際通信媒体としての役目を終えた。 10 *1 長距離通信に適した波長は8,000m~30,000m (37.5kHz~10kHz)であり、この範囲で混信を受けないで使用できる波数は134個であった。 1波が占有する帯域は約200Hzである。) *2 後に国際電話会社と合併して国際電気通信会社となる。昭和22に解体。■電気興業■日本電業工作 9 波長は更に短く(八木アンテナの発明) 敵が利用した数奇な歴史・・・「★八木・宇田アンテナの発明」 11 1924年(大正13)、東北帝国大学の「◆八木 秀次」教授は、学生から卒業実 験「単巻コイルの固有波長の測定」の最中に測定用メータの振れがおかしい、 と相談を受けたことに着目し、「指向性アンテナ」を発明した。その後同大学の 宇田 新太郎講師とともに実用化研究を進め、1929年(昭和4)年に仙台と大鷹 森の間、約20kmの通信(約660MHz)に成功した。 この発明は日本国内ではあまり注目されず、後に1942年(昭和17)、日本軍 がシンガポールを占領した際、ごみ焼却場から「ニューマン・ノート▲日本無線史の落穂 拾い的考察」と呼ばれるレーダに関する技術資料を発見したことにより、再び注目 を集めた。このノートに「YAGI array」という単語を見つけた日本軍の技術将校 は、その意味がわからずニューマンに尋ねたところ、「あなたは本当にこの言 葉の意味が分からないのか。「YAGI」はこのアンテナを発明した日本人だ」と 言われ、絶句したと言われている。 (▲太平洋戦争レーダー史) 当時、奇襲攻撃を得意とする日本海軍では、敵前で電波を出すなど闇夜に 提灯を燈すに等しく、レーダは必要ないとの考え根強かったが、気付いた時に は既に遅く、広島に投下された「◆原子爆弾」にも使用され、日本を敗戦へと追 い込んだ。しかし、今日ではテレビアンテナをはじめ、広く利用されている。 * 八木は戦後、「独創」を重視し、多くの研究者や学者を世に送り出した。 *1 湯川 秀樹(理論物理学・中性子論)、江崎 玲於奈(半導体の研究・トンネルダイオード)、西澤 潤一(半導体の研究)など 10 波長は更に短く(テレビジョンの発明) 12 将来、必ずや人々に幸せをもたらすであろう夢の機械を創り出 す・・・・・・・・「テレビジョンの発明」 ■NHK ★日本無線史の落穂拾い的考察 1924年(大正13)、浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)の助教 授に就任した「◆高柳 健次郎」は、テレビジョンの研究を開始し、1926 年(大正15)、ブラウン管による電送・受像に初めて成功した。送像側 に「◆ニプコー円盤(機械式)」、受像側にブラウン管(電子式)を用い、 「イ」の字を送受像に成功する。 高柳は予てから電子式が必須であると唱えたことから、1933年(昭 和8)撮像管「アイコノスコープ(■NHK技研)」が発明され、その原形が 完成した。 実用テレビ放送は1953年(昭和28)、日本放送協会(NHK)が東京に おいて開始(102~108MHz)し、続いて民間放送会社もできた。 また、1960年(昭和35)にカラー放送を開始した。その後、テレビは発 展を続け、1984年(昭和59)に衛星放送、1989年(平成元)に世界で始 めて衛星によるアナログ・ハイビジョンの定時実験放送を開始した。 2000年(平成12) 衛星放送はアナログからデジタルに移行を開始し、 2003年(平成15)からは「★地上デジタル放送」が開始された。 なお、地上アナログ放送は、2011年7月(平成23) に終了する予定であ る。 11 波長は更に短く(マイクロ波通信の発達) 通信量の増加 昭和に入って加入電話の増加などにより通信量が伸びるにつれ、より 多くの情報を送れる超短波帯を利用した、新しい通信方式が求められた。 無線多重(搬送)方式の開発 1940年(昭和15)、逓信省は本州と北海道の間(61km)で日本最初の超 短波多重電話通信回線(75MHz,6チャネル)を開通させた。 日本を覆うマイクロ波通信網の完成 1953年(昭和28)、日本放送協会(NHK)は東京-名古屋-大阪間の国内 初の長距離テレビ中継回線を開通させた。続いて翌昭和29年、日本電信 電話公社も同区間の電話中継回線を開通させ、1964年(昭和39)、北は 北海道稚内から南は沖縄県那覇に及ぶ日本縦断のマイクロ波通信網が 完成させた。 離島を結ぶマイクロ波回線 マイクロ波は、見通し外になると電波が著しく減衰して通信が途絶する が、そもそも日本本土から見通しのない奄美大島や沖縄本島との通信は、 「山岳回折利得」を利用した「見通し外通信技術」が使われた。 * 13 * 山岳回折利得:電波が山岳の尾根(リッジ)において回折する際、再放射される★山岳回折波により、★地上回折波のみと比較して発 生する利得のこと。超短波帯以上においては数10dBに達することがある。見通し外通信には、他に★対流圏散乱通信などがある。 12 波長は更に短く(衛星通信) 人工衛星の誕生 1957年(昭和32)、旧ソ連が人類最初に人工衛星(スプートニク1号)の打上げ に成功し、1960年(昭和35)にはアメリカ(NASA)が通信衛星(エコー1号)を打上 げ、通信実験を行った。 * 商業衛星の登場(★静止衛星及び★周回衛星) 国際通信サービス(固定通信) 1965年(昭和40)から国際機関である「国際電気通信衛星機構(★ITSO、 旧INTELSAT)」により提供されたが、現在は民間会社の「インテルサット社 (米)」が行っている。(■国際専用線サービス) 国際移動通信サービス(移動通信) 1979年(昭和54)から国際機関である「国際海事衛星機構(★IMSO、旧 INMARSAT)」により提供されたが、現在は民間会社の「インマルサット社 (英)」が行っている。 (■インマルサット・サービス) その他の衛星通信サービス 国外衛星を使うものに「イリジウム(■KDDI)」、国内衛星を使うものに 「JCSAT(■JSAT)」、「SUPERBIRD(■宇宙通信)」、「N-STAR(■NTTドコモ)」 などがある。( )内は提供会社名 14 * C帯(6GHz帯(アップリンク)/4GHz帯(ダウンリンク))、Ku帯(14GHz帯(アップリンク)/12GHz帯(ダウンリンク))、Ka帯(30GHz 帯(アップリンク)/20GHz帯(ダウンリンク) 13 無線通信の本領・・・「移動通信」 移動通信のはじまり 陸地から遠く離れた船舶が、航行の安全や陸地との連絡を確保する目的か ら移動通信は始まった。 技術の発展 その後、無線電話(★TYK式無線電話機)の実用化や★真空管の発明などに より自動車や航空機にも搭載されるようになった。また携帯型無線機も登場 した。 戦後、半導体の発明により●小型化・省電力化が更に進み、電池の発達とと もに携帯型無線機は小型化の一途をたどったが、◆アマチュア無線や◆CB (市民バンド)無線などを除き一般人には縁遠く、誰でも使える公衆通信サー ビスは、1987年(昭和62)に開始した携帯電話の登場を待たねばならなかった。 (▲太平洋戦争レーダー史、 ▲旧日本軍無線通信資料館、 ★艦上攻撃機「天山」無線設備設置例、★一式空三号無線帰投方位測定機装 備例、▲日本無線史の落穂拾い的考察7 、▲日本無線史の落穂拾い的考察14、 ▲日本無線史の落穂拾い的考察15) ◆航海練習船「日本丸」 ■日本航空旅客機「JA8078」 ★無線局免許 ★無線局免許 15 高い周波数の開発とデジタル化 長距離通信(衛星経由を除く。)の必要がある船舶や航空機は、短波など波 長の長い電波を使用する必要があるが、比較的短距離の通信は、●波長の 短い超短波以上の電波を使用することにより多くの人が、多くの情報を送れ るようになった。 また、デジタル技術も周波数の有効利用に貢献し、現在に おいて移動通信は輝かしい発展を遂げた。 14 携帯電話の発展 16 無線呼出(■ポケットベル)サービスの誕生◆ 1968年(昭和43)、日本電信電話公社がサービスを開始した。(周波数は150MHz、後 に250MHz帯に変更)当初の加入者数は約5,000であった。(昭和62から新規事業者が 参入、NTTドコモは2007年3月(平成19)にサービスを終了、残るは2社のみ) 自動車電話の誕生■歴史展示スクエア 1979年(昭和54)、日本電信電話公社がサービスを開始し、1988年(昭和63)からは電 気通信の自由化により新規事業者(NCC)が参入した。(周波数は800MHz帯、後に1.5G Hz,1.7GHz,2GHz,(2.5GHz帯:国内は未割当)を追加)当初の加入者数は約1,600であっ た。 また、当初料金は概ね、保証金20万円、基本料金3万円、通話料金昼間4.5秒/1 0円 (160km超)であり、現在と比較して高額だった。 携帯電話の発展■ショルダー・ホン、■携帯電話 1987年(昭和62)に携帯電話が誕生し、1994年(平成6)電話機の買取制度を開始(保 証金制度の廃止)、また料金の低廉化が進むに連れて爆発的に普及が進み、2007年1 2月末時点において★1億加入を突破した。(★携帯電話の加入者数の推移、★電気通信サービスの利用状況) 通信方式の変遷 (IMT方式用語 DS:Direct Spread、MC:Multi Carrier、TD:Time Division 、CDMA:Code Division Multiple Access) 第1世代(昭和54~)はアナログ方式(NTT,TACS)、第2世代(平成5~)からはデジタル 方式(PDC,cdmaOne)、第3世代(平成13~)からはIMT方式(DS[W]-CDMA,MC-CDMA [CDMA2000],★TD-CDMA)と変わってきている。(★IMT-2000日本標準規格(ARIB-S TD)) その他の移動無線サービス(利用者が免許を取得する必要がないもの) 上記以外の携帯移動無線サービスは、地上系には★PHS(ドコモは2008.1.7サービ ス終了、ウィルコムなどはサービス中)、また衛星系は●イリジウムなどがある。 15 電波は限りある資源 電波は限りある資源 電波資源は無尽蔵ではない。日増しに需要が高まる中、効率的に使わ なければ、いつかは尽きてしまう。 そのため、電波の監理を行っている国(総務省)は、その使用状況を見な がら、利用者に周波数の移行を促したり、新しい周波数帯や利用技術を 開発し、周波数の再編及び割当を行っている。(●700~900MHz帯の例) 「電波」と「土地」は似ている? 財産の 所有者 財産の 限界 再利用の方法 (技術) 資源開発の方法 法人又個人 (私有) 有限 再開発 (高層化など) 造成・埋立 (広い面積) 国民の共有 (管理者:国) 有限 再編 (デジタル化など) 技術開発 (高い周波数) 土地 電波 17 * * 特定の個人、法人や団体、ましてや国のものではなく、あくまで「日本国民の共有財産」である。 16 これからの移動通信 移動通信の需要は大容量へ 移動通信はモールス電信から始まり、続いて電話が登場した。その後、デ ジタル技術により携帯端末に動画を送ることができるまでに発展してきた。 それに伴って大きい情報を送ることができる●高い周波数への移行を繰り返し、 今後は3.6GHz帯の使用が予定されている。* (新しいサービス形態:仮想移動体通信事業) 今後、移動しながらハイビジョン動画が見られる日もそう遠くないだろう。 これからの移動通信 今後3年程度先までに普及し又は実用化が予定されているものには次のシ ステムなどがある。 広帯域移動無線アクセスシステム(2.5GHz帯)・・・2009年(平成21)ころからサービス 開始予定(★事業者の決定) 第(3.9)4世代移動通信システム・・・(国内規格は未策定、4Gの周波数は★3.6GHz 帯を使用予定)・・・2009年(平成21)以降にサービス開始予定 ■ドコモ携帯電話の高度化、■ド コモSuper 3Gの実証実験を開始 ■Super 3Gの技術動向① ■Super 3Gの技術動向② ■ドコモ第4世代無線アクセス技術 18 また、今後は固定通信との融合が進み、利用者が「移動」と「固定」を意識し (■IPセントレックス(ドコモ)■OFFICEED(ドコモ)) ない、シームレスなIPネットワーク(★Fixed Mobile Convergence)を形成していくであろう。 * 仮想移動体通信事業者 (MVNO):Mobile Virtual Network Operator ■ケータイPC化サービス(日本通信) ■Connect Mail (日本通信) 17 まとめ(その1) 電波は誰のもの?? 日本において電波が通信に利用され始めたのは明治後期であ るが、それから終戦までの約50年間は、一部を除き国と旧日本軍 が電波の使用を独占してきた。戦後、日本国憲法が施行された後、 「電波法」が制定され、電波が広く国民に解放されたことにより、文 * 字通り国民全体の利益を向上させるために利用されてきた。 そこで、電波に携わる人や団体は、その趣旨を理解し、国民に解放 された電波を守っていくべきではないでしょうか。 電波は限りある資源 19 電波はその特性上、空間に輻射することから、多くの人が共用す るためには混信を起こさないよう規律を保つ必要がある。しかも需 要は逼迫していることから、管理している国は「電波法」に基づき規 制を行うとともに、常に利用状態を把握し、新周波数の技術開発や 必要に応じて「再編」を行っている。 そこで、電波に携わる人や団 体は、電波を無駄なく効率的に使用していくべきではないでしょうか。 * 電波法第1条 この法律は、電波の公平且つ能率的な利用を確保することによって、公共の福祉を増進することを目的とする。 18 まとめ(その2) 無線通信の礎を築いた先人たち マルコーニ (伊・世界における無線通信の立役者) 松代 松之助 (逓信省・日本における無線電信の先駆者) 木村 駿吉(軍属・実用電信機の開発) 鳥潟 右一・横山 栄太郎・北村 政次郎 (逓信省・世界に先んじた無 線電話機の実用化) 八木 秀次 (学者・指向性アンテナの発明)・・・その他、多くの研究者など 通信工学を学ぶ学生の方へ 20 現在における無線通信の発展は、上に挙げた先人たちのほか、多 くの研究者や技術者の弛まぬ「努力」と「研鑽」の積重ねにより実現し ています。 いま通信工学を学んでいる方は、これからの新しい技術を切り開い て行くこととなりますが、行き詰ったり迷ったりしたときは、少し立ち止 まって先人たちの歩みを振り返ってみてください。そこに現在の難局 を打開するヒントが発見できるのではないでしょうか。 いや、私はそう信じています。 ・・・ご清聴をありがとうございました。 参考資料1 「電信」 「電信」 電信とは・・・ 人の意思を表す文字、数字、記号又は画の系列を、電気的手段によって遠隔地 に伝送し、そこに記録として再現させ、宛先へ届ける仕組み。 使用符号 ( )内は符号の特徴 モールス符号(短点符号・長点符号の組合せ)、現波符号(極性ありの等長符号 の組合せ) 、印刷電信符号(複数単位の等長符号の組合せ)などがある。 方式 [ ]内は欧文の通信速度 *1 モールス(Morse)電信[手送18ボー、機械送13-250ボー] 現波通信(Cable Telegraph System) [手送9ボー 、機械送9ボー] 印刷電信(Printing Telegraph System) [45.5ボー] 写真電信・模写電信(Photograph System, facsimile)[ー] 受信方法 21 音響受信・・・人が聴覚により受信し、受信者の記憶から文字などに復号する。 機械受信・・・機械により紙に印字又はさん孔し、人の記憶若しくは機械により 文字などに復号する。 *1 ボー (Baud):単位パルス長(秒)の逆数。 仏電信公社の技術者 Baudot にちなむ。 参考資料2 「海底通信ケーブル」 「◆海底ケーブル」★海底ケーブルの敷設方法、★世界の主要海底ケーブル 22 電信線 1871年(明治3)、デンマークのGreat Northern Telecom社(大北電信会社) によって「長崎~上海」間と「長崎~ウラジオストック」間の海底電信ケーブ ルが敷設され、日本の国際通信がスタートした。 (2対の銅線) 同軸ケーブル 1964年(昭和39)、神奈川県二宮とグアム間、またハワイを経て米国本土へ 続く、日本最初の国際同軸海底ケーブル「TPC-1(Trans Pacific Cable-1~ 第1太平洋横断ケーブル)」が開通した。 (容量:電話128回線相当) 光ケーブル 1989年(平成元)、千葉県千倉からグアム、ハワイ、米国本土を結ぶ最初の 光海底ケーブル「TPC-3(Trans Pacific Cable-1~第3太平洋横断ケーブ ル)」が完成した。 (容量: 560Mbps) さらなる大容量化に向けて 光ファイバの敷設には多くの資金が必要であることから、限られた芯線を 有効に活用しようと新たな技術が開発されている。 波長多重技術(WDM: Wavelength Division Multiplexing)もその一つであり、今後はGbpsからTbps へと、更なる★大容量化が進むであろう。 参考3 国内の主要な大規模無線通信施設 銚子 (明治41・逓信省~平成8・NTT) (凡例:運用開始時期・所有者~閉鎖時期・所有者) 椎柴送受信所・・・★解説・★地図、小畑受信所・・・★解説 船橋[行田] (大正4・海軍省~昭和20以降、駐留米軍が接収S41返還 後に廃止)・・・★解説・★地図 *1 磐城[原町送信所] (T10・逓信省~S8・日本電信会社)・・・★解説 *3 *1 依佐美 (昭和4・日本電信会社~昭和22・国際通信会社、以降駐留米 軍が接収、H6返還後に廃止)・・・▲解説1、★解説2 *1 小山 (昭和5・日本電信会社~平成15・KDDI)・・・★解説、★送信機、 ★免許 *2 NTT名崎 (昭和7・国際電話会社~気象庁の短波気象通報局として運 用中)・・・ ★解説1 、★解説2、★地図 *3 KDDI八俣 (昭和16・国際通信会社~NHKの短波国際放送所として運 用中)・・・★解説1、★解説2、★地図 23 *1 日本無線電信株式会社(T14~S13) *2 国際電話株式会社(S7~S13) *3 国際電気通信株式会社(*1*2が合併、S13~S22) 参考4 「700~900MHz帯の周波数再編」 24 総務省資料(携帯電話用周波数の利用拡大に関する検討会)から抜粋 参考5 「周波数帯別の使用状況及び今後の割当」 25 総務省資料(携帯電話用周波数の利用拡大に関する検討会)から抜粋 参考6 利用系別の使用周波数の移り変り 総務省資料(電波政策ビジョン)から抜粋 26 参考7 移動無線機の変遷 XTAL OSC:水晶発振器 MOD:位相変調器 IDC: 周波数偏移制御器 MULT:周波数逓倍器 PA:電力 増幅器 ANT SW:アンテナ切替器 MG:電動発電機 送信周波数:12657.5 (kHz)×12 = 151.89 (MHz) 27 移動無線-理論と設計- (編著者:電子通信学会 1972年) から抜粋 参考文献 28 「無線百話」 編者:無線百話編集委員会(クリエイト・クルーズ 1997年) 「電子立国日本を育てた男-八木秀次と独創者たち-」 著者:松尾 博志 (文藝春秋 1992年) 「無線工学ハンドブック」 編者:無線工学ハンドブック編纂委員会 (オーム社 1976年) 「空中線系・電波伝搬の研究」 著者:狩原 真彦(財団法人無線従事者 教育協会 1977年) 「通信工学講座 電信機械Ⅰ」 著者:梶 正明(共立出版 1955年) 「無線通信1」 編者:新しい電波技術編集委員会(丸善 1980年) 「移動無線-理論と設計-」 編著者:社団法人電子通信学会 1972年 リンク集 29 ★総務省の情報通信政策に関するポータルサイト 電波利用ホームページ 無線局情報検索 周波数の割当て・公開 情報通信白書 電波政策ビジョン ★社団法人 電気通信事業者協会(TCA) ★電気通信大学60年史 ★電気通信大学歴史資料館 ★国立科学博物館 産業技術史資料情報センタ 移動通信技術 通信機械技術 ★電波博物館 ■ドコモ歴史展示スクエア ▲横浜旧軍無線通信資料館 ▲太平洋戦争レーダー史 ▲日本無線史の落穂拾い的考察
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