翻訳通訳論 2008.06.11

通訳翻訳論 2008.06.18
日本の翻訳通訳史(3)
明治・大正から昭和へ
児童文学の翻訳
戦争と通訳者
戦後の復興と通訳者
おまけ「現代における固有名詞翻訳をめぐる問題」
明治のことば 文明開化と日本語
 講談社学術文庫 齋藤 毅 著
 文明開化により急激に流入し
た欧米文化は、それまでの日
本に存在しなかった思想、制
度等をもたらした。明治の先人
たちはこれらに伴う概念をい
かに吸収し、自国語として表
現したか。「社会」「個人」「保
険」「銀行」「主義」「自由」等々、
その後欠くべからざる語となる
新しいことばを中心に、それら
の誕生、定着の過程を豊富な
資料をもとに精細に分析する。
明治大正翻訳ワンダーランド
新潮新書 鴻巣 友季子
 驚愕! 感嘆! 唖然! 恐
るべし、明治大正の翻訳界。
『小公子』『鉄仮面』『復活』『フ
ランダースの犬』『人形の家』
『美貌の友』『オペラの怪人』
……いまも読み継がれる名作
はいかにして日本語となった
のか。森田思軒の苦心から黒
岩涙香の荒業まで、内田魯庵
の熱意から若松賤子の身体感
覚まで、島村抱月の見識から
佐々木邦のいたずらまで、現
代の人気翻訳家が秘密のワン
ダーランドに特別ご招待。
明治期の翻訳文学(純文学)
坪内逍遥(1859―1935) シェイクスピア
森鴎外(1862-1922) リルケ、ドストエフス
キーなど
二葉亭四迷(1864-1909) ツルゲーネフ
尾崎紅葉(1868-1903)グリム、モリエール、
ゾラ
小栗風葉(1875-1926) モーパッサン
上田敏(1874-1916) フランス象徴詩
明治期の翻訳文学(大衆文学・児童書)
黒岩涙香
若松賤子
森田思軒
日高柿軒
島村抱月
『鉄仮面』
『小公子』
『探偵ユーベル』
『フランダースの犬』
『人形の家』
庶民への翻訳文学の浸透
最古の『ピーター・ラビット』の翻訳
 2007年5月に「ピーター・ラビット」の最も古い他国語
への翻訳が日本で発見された。
 1906年(明治39年11月、12月)発行 日本農業雑
誌 2巻 3号、4号に掲載。
 作者ベアトリクス・ポターの名はなく、松川二郎の名で
「悪戯な小兎」の題名となっている。
 『ピーターラビットのおはなし』は1902年、イギリスの
フレデリィック・ウォーン社から出版されベストセラー
になった。松川二郎氏の発表はわずか4年後のこと。
若松賤子 翻訳 『小公子』
 明治の初期に言文一致による
翻訳を行い、翻訳児童文学ひ
いては児童を対象にした口語
体表現様式を開拓し、児童文
学の近代化に寄与した。その
訳文は森田思軒や坪内逍遥
などによって激賞された。
 1892年前編 女学雑誌社
1897年全編 博文館
若松賤子 翻訳 『小公子』 冒頭
セドリツクには誰(たれ)も云ふて聞せる人が有ま
せんかつたから、何も知らないでゐたのでした。
おとつさんは、イギリス人だつたと云ふこと丈は、
おつかさんに聞ゐて、知つてゐましたが、おとつ
さんの没したのは、極く少さいうちでしたから、よく
記臆して居ませんで、たゞ大きな人で、眼が浅黄
色で、頬髯が長くつて、時々肩へ乗せて坐敷中を
連れ廻られたことの面白かつたこと丈しか、ハツ
キリとは記臆てゐませんかつた。おとつさんがお
なくなりなさつてからは、おつかさんに余りおとつ
さんのことを云ぬ方が好と云ことは子供ごヽろに
も分りました。
①
②
③
ん③ ち①
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④
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④
『フランダースの犬』 明治の翻訳
1908年 日高柿軒訳
「清(きよし)と斑(ぶち)は世に頼る蔭なき寂しい身の
上である。ふたりは兄弟よりも親しい間柄で、清はフ
ランスとベルギイの境を流るるミウスの川岸に沿った
田舎町アーデンスの生まれで、斑はベルギイの片田
舎フランダース州の産である。
……小屋の主は貧乏なよぼよぼした老人で、
徳爺さんといふのである。
固有名詞を分かりやすくするため日本名に。
「豪傑訳」と「翻案小説」
明治・大正時代の大衆小説の翻訳には原書に
忠実でないものも多くあった。
ストーリーや結末の改竄、省略や補足など、オリ
ジナルを無視した翻訳は「豪傑訳」と呼ばれた。
外国の小説にヒントを得た創作もあり、これらを
「翻案小説」と呼ぶ。
故意に翻訳臭(欧文脈)を用いた文体で創作さ
れた作品も出てきた。
翻訳文学による国語の変化
 社会、政治、経済、自然科学などに用いられる語の大幅
な増加
 かつての漢文脈にかわる欧文脈の登場
中浜万次郎の英会話教科書にみられるように最初は英
文も「訓読」しようとした。
 英文訓読では、一語一語を対応する日本語の単語に置
き換える直訳法を採る。
 主語、指示語、人称代名詞、数量詞などが従来の日本
文にくらべて大幅に増える。
「私は私の手の中にひとつのリンゴを持つ」的直訳
大正から昭和へ
明治時代から引き続き、外国文学の翻訳が盛ん
に行われた。
昭和初期までにいわゆる「世界の名作」と呼ば
れる作品はほとんど翻訳されている。
外国の推理小説、探偵小説、児童文学の翻訳
により、翻訳文学が庶民に歓迎される。
翻訳文学の影響を受け、推理小説や怪奇小説
を発表する作家が出てきた。
戦争と通訳者
戦争、紛争時には従軍通訳者が必要。
軍による強制的な徴用など、他律的に通訳者と
して使われる例と、自律的に(自ら志願して)通
訳者となる例。
二つの文化、二つの祖国の狭間で悩むことも。
渡辺潔(『アンクル・ジョンとよばれた男』)と
時実弘(『幻影の大連』)に描かれた通訳者の姿
は「通訳」という業務範囲にとどまらない。
戦争と通訳者
『アンクル・ジョンとよばれた男』
リアム・ノーラン著、菅野和憲訳
広島で牧師として働いていた渡辺潔は、
香港捕虜収容所の通訳として召集され
た。そこで彼が目にしたのは、人間とし
ての尊厳を剥ぎ取られ、劣悪な環境の
中で十分な治療を受けられずに死を待
つ捕虜たちの姿だった…。祖国と敵国
との間で苦悶しながらも、潔は仲間の
協力を得て、捕虜たちに医療品を届け
る決意をする。それはクリスチャンとし
て聖書のことばに従い、自分のできる
小さなことから平和をつくりだそうとする
決意でもあった。
戦争と通訳者 時実弘著『幻影の大連』
関東局中国語通訳生の記録
著者は昭和16年から敗戦の引
き上げ時期まで中国の大連で
関東局中国語通訳生(警察通
訳)を務めた。この記録によると、
大連には中国語・ロシア語の通
訳生が駐在していた。著者は
主に現地中国人からの情報収
集、中国八路軍との交渉、大連
在住日本人の保護などの仕事
をしていたことがわかる。
戦争と通訳者 (山崎豊子『二つの祖国』)
ロスアンゼルスに生まれた天羽賢治は、大
学を日本で過ごした後、ロスアンゼルスの加
州新報で日米両国の文化を理解した新聞記
者として手腕を発揮する。新聞記者として脂
が乗ってきた最中に日米開戦となる。日系人
であるが故に家族全員がマンザナール強制
収容所に入れられ、大きな屈辱を味わう。
日本人として生きるべきか、それともアメリカ人としてアメリカに忠
誠を尽くすべきか悩んだ末、語学兵に志願し太平洋戦線へ向か
う。日本が敗戦した後、賢治は進駐米軍の言語モニターとして極
東軍事裁判に臨む。モニターという責任の重圧と家庭不和が重
なり、心も体も衰弱し、判決後に拳銃自殺を遂げる。
通訳の歴史
近現代における通訳の歴史
日本生産性本部の視察団派遣
世界の同時通訳の歴史
日本の同時通訳-アポロ宇宙船の月面着陸
近現代の通訳の歴史
日本では第二次世界大戦後に通訳の需要が飛
躍的に伸びてきた
 極東国際軍事裁判(東京裁判)
 山崎豊子の『二つの祖国』:米軍将校となった日系人が極
東軍事裁判で同時通訳のモニターを担当
 進駐軍との折衝
 アメリカ進駐軍のために通訳を行う人材が集められた
 アメリカ大使館勤務にあった西山千氏も
 日本生産性本部の代表団派遣随行同時通訳者
 村松増美 『私も英語が話せなかった』
東京裁判の通訳
 東京裁判では通訳者が通訳訓練を受けた専
門家ではなく、また、被告と同じ国籍の日本人、
しかも外務省職員が多くいたこと、さらに通訳
の正確さを確認する日系米人のモニター、及
び、翻・通訳に関する異議の裁定を行う米軍
人の言語裁定官がいた、という特徴がある。
本研究の目的はまずこの三層構造の通訳手
続きが採用された。
映画「明日への遺言」
映画「明日への遺言」
 第二次世界大戦のB級戦犯として、その責任
を裁判で問われた男・岡田資(たすく)中将の、
心打つ人間性に焦点をあてた『明日への遺
言』(2008年3月1日(土)公開)。
 裁判は、同時通訳を耳で聞きながら進行され
る。イヤホン内の通訳の声は、観客には一切
聴こえないのだが、本当に2名の同時通訳者
により行われた。
戦後の復興
日本生産性本部の視察団派遣
 1957年、日本はアメリカの産業界視察のために大型
代表団を派遣
 日本国内で日英通訳を行なう人材を募集
 通訳者はアメリカの国務省で通訳訓練を受けた
 当時、日英両国語間では語順が違いすぎるため同時通
訳は無理だとの主張
 1951年ごろ、西山千氏が進駐軍でウィスパリング形式の同
時通訳をしていた
 生産性本部で通訳を行なった通訳者が帰国後に日本
で初の通訳者養成学校を設立
世界の同時通訳の歴史
同時通訳の始まり
 1926年、IBMが同時通訳装置を開発
 1927年、ジュネーブの国連会議で初めての同時通訳
 1928年から、旧ソ連においてコミンテルン(共産党国
際組織)で利用
 1935年、当時のレニングラードで開催した国際生理学
会でパブロフの演説が英仏伊独語に同時通訳
 1945年、ニュールンベルグ裁判、極東国際軍事裁判
 現在国連では公用語である英語、フランス語、スペイン
語、中国語、ロシア語、アラビア語の同時通訳
アポロ宇宙飛行の通訳
NHKで7号から17号まで四年間にわたって放送
 米国で育った西山千氏が担当
 最初は同時通訳は出演者だけに聞こえていた
 その後、同時通訳者の声をそのまま放送
 アポロ8号から通訳者が画面に出るように
視聴者から同時通訳をしている機械翻訳装置はど
んなものかという問い合わせがあったため
 このアポロの同時通訳によって日本国中に通
訳者の存在が知られることになった
西山千 『同時通訳おもしろ話』
講談社 2004年
●有名人のうっかり英語
●アームストロングの小さな
一歩
●井深さんのゆで卵
●ライシャワー大使の歴史授
業
●佐藤栄作総理の「善処」
●コンラッドの「どっこいしょ」
●女王陛下も間違う
●2つの祖国
●命がけのリスニング
●西山名人の日本語勉強法
鳥飼玖美子 『歴史を変えた誤訳』
新潮文庫 2004年
原爆投下は、たった一語の誤訳
が原因だった―。突き付けられ
たポツダム宣言に対し、熟慮の
末に鈴木貫太郎首相が会見で
発した「黙殺」という言葉。この
日本語は、はたして何と英訳さ
れたのか。ignore(無視する)、
それともreject(拒否する)だっ
たのか?佐藤・ニクソン会談での
「善処します」や、中曽根「不沈
空母」発言など。世界の歴史を
かえてしまった誤訳の真相に迫
る。
現代における通訳・翻訳
 現代における通訳事情は、
講義の第2回~第7回で説明済みです。
 多言語化、国際化
 英語の翻訳通訳市場の拡大
 細分化、専門化
 業態の多様化
 通訳市場の形成
おまけ 今でもある固有名詞の翻訳の問題
 アニメの登場人物などは現在でも異なる名前を付け
られることがある
 とくに名前の音自体に意味がある場合は音訳が適切
でない場合も
 たとえば、ドラえもんの登場人物は以下のとおり
のび太:康夫または大雄
スネ夫:小夫
ジャイアン:胖虎
ドラえもん
ピカチュウ
「多啦A梦」 と「皮卡丘」
ドラえもんの名前
 《哆啦A夢》(日語:ドラえもん),港译《多啦A夢》,
舊譯《叮噹》、《小叮噹》、《机器猫》等,此漫畫主人
翁是一隻來自22世紀的機械貓,名为哆啦A梦。
日本でも時代による変遷
こぶた
コプタ
ピグレット
ポケモンの海外問題
 日本以外でポケットモンスターと呼ばない理由
 海外の一部の国で商標登録されていた事や、英語圏
(特にアメリカ合衆国)においては、「ポケット」は男性
器の隠語でもあるため、「ポケットの化け物」では子
供の遊ぶ健全なゲームのタイトルとしては不適切で
あると言う判断から、日本国外ではタイトルの省略形
「ポケモン(POKÉMON)」を採用した。なおÉの上の
アクセント記号はこのEが黙字でなく発音をもつEであ
ることを表す。
書き換えられたカード(卍とハーケンクロイツ)
再び、ドラえもんの名前……
 「哆啦A夢」:「DORAEMON」音の重要性?
ドラ猫、ドラ焼き……
なぜ「ドラえもん」なのか
連想されるもの
 「機器猫」
猫型ロボット
「小叮噹」って?
ドラえもんがもしも中国で生まれていたら
さらに、
固有名詞の翻訳が生んだ新たな問題
のび太、またの名は
野比康夫
中国で
「のび太」が
大人になって総理
になった、
と話題に……
形式が意味である場合
意味と形式のどちらも保存することは不可能
実例:
 アジアの「てつじん」政治家
哲人/鉄人
 我が社の「きょうさい組合」
共済/恐妻
説明することは可能
形式だけ示すことは可能(意味は伝わらない)
翻訳と受け手の関係
翻訳には理想的な翻訳や模範的な翻訳は存
在しない。
ある時代の、ある社会の、ある読者にとって、
より望ましい翻訳が存在するだけである
翻訳は読み手によって評価される
児童書、とくにアニメやマンガの翻訳において
説明や注釈を加えることは望ましくない
原作の力が言語あるいは翻訳における制約を
超えて読み手に訴えることが重要
アニメキャラクターの名前をどう訳しますか?
どうしてそのように訳そうと思いますか?
音を保存する
ドラえもん
ピカチュウ
DORAEMON 哆啦A夢
PIKACHU 皮卡丘
意味内容を伝える
ドラえもん
Piglet
ROBO-CAT 機器猫
コブタ
小猪
新しい名前をつける
ドラえもん
鉄腕アトム
小叮噹
Astroboy