「イザヤの預言とクリスマス」マタイの福音書1章18∼23節 はじめに. 今年

December 08, 2012, 15:50 イザヤ預言とクリスマス
2012.12.9. 泉キリスト教会アドベント礼拝
「イザヤの預言とクリスマス」マタイの福音書1章18∼23節
はじめに.
今年も、イエス・キリストのご誕生をお祝いするクリスマスが、間近かに迫って
きました。感謝なことに、この教会には、少子化の傾向の著しいこの国の教会の中
にあっては比較的多くの子どもたちが親たちと共に集っています。私たちは、これ
らの子どもたち一人々々に幸せな将来があるようにと、祈り願わずにはおれませ
ん。ところで、私たちは自分の子どもが生れてくる前から、子どもの幸せを願いな
がら、子どもの名前をあれこれ考えるものです。
しかし、ここでヨセフの場合は、深刻な問題が持ち上がって来ていて、子どもの
名付けどころではなかったのでした。ヨセフは、自分の妻マリヤに不倫があったの
ではないか、という疑いを持つようになっていたのです。不倫によるのではなく,
聖霊(神の御霊)によって、自分の妻マリヤが身重になっていたなどということが
ヨセフにはわかるはずもありませんでした。
ヨセフがそのことで、悩み苦しんでいたときに、神さまは御使いを遣わして,彼
に語りかけて下さいました。
→20∼21節
「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。
その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。」"
と仰せになったのでした。そうして、24∼25節に記されてあるように、ヨセフ
は、眠りから覚めて後、主の御使いに命じられたとおりにして、いいなずけの妻マ
リヤを迎え入れ、やがて生まれて来た子どもにイエスという名をつけたのです。
:21
新改訳聖書はマタイの福音書の著者マタイが、私たち読者たちのために、22∼23
節の説明を付け加えたと解釈して、翻訳しています。すなわちマタイが、
このすべての出来事は、
主が預言者を通して言われたことが成就するためであった。
:23「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエル
と呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
との説明を付け加えたとしています。しかし、この部分も、御使いがヨセフに話
した説明の続きと解釈することも可能です。
今朝はこの22∼23節のみことばを中心にして学び、キリストご誕生というクリス
マスの出来事とその恵みをご一緒に改めて深く味あわせていただきたく存じており
ます。
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December 08, 2012, 15:50 イザヤ預言とクリスマス
(一)このすべての出来事は、
主が預言者を通して言われたことが成就するためであった。(→22節)
Matt. 1:22
touvto de« o¢lon ge÷gonen iºna plhrwqhØv to\ rJhqe«n uJpo\ kuri÷ou dia» touv
profh/tou le÷gontoß:
o¢lon oloß ADJECTIVE n. s. nom. noDegree whole, all
ge÷gonen ginomai VERB 3rd s. pf. act. ind. to become, be, come to pass
plhrwqhØv plhrow VERB 3rd s. aor. pass. subj. to fulfill、成就する
rJhqe«n eipon VERB aor. pass. pt. n. s. nom. to say
profh/tou profhthß NOUN m. s. gen. prophet
le÷gontoß legw VERB pre. act. pt. m. s. gen. to say
旧約聖書には、救い主キリストについて預言をした預言者が何人も登場して参り
ますが、ここでは23節に記されている「見よ、処女がみごもっている。そして男の
子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」との預言をしたのはイザヤであり
ました。
マタイは、イザヤ書7章14節後半において預言されていたことが、聖霊によって
身重になり、やがて男の子を産むことになっているマリヤによって成就されてい
る、という驚くべき事実をヤコブに告げ、また私たちにも知らせているのです。
イエス・キリストさまがお生まれになる700年以上も前に預言者イザヤが、こ
のことを預言し、文書に書き記していたのです。
イザヤは、この預言が近き将来に成就される二人の王(すなわち北王国イスラエ
ルの王ペカとシリヤの王レツィン)に対する裁きが速やかに行われることのしるし
としての男の子の誕生であるだけでなく、来るべき救い主キリストのご誕生につい
ての預言であることをどれほどはっきりと自覚していたかは明かではありません。
しかし、神さまは、聖霊によってこのことをイザヤに語らせ、預言させておられた
のです。
(二)「見よ、処女がみごもっている。
そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
Matt. 1:23
i˙dou\ hJ parqe÷noß e˙n gastri« eºxei kai« te÷xetai ui˚o/n,
kai« kale÷sousin to\ o¡noma aujtouv !Emmanouh/l,
2
December 08, 2012, 15:50 イザヤ預言とクリスマス
o¢ e˙stin meqermhneuo/menon meq! hJmw"n oJ qeo/ß.
parqe÷noß parqenoß
NOUN f. s. nom. virgin、処女、童貞
→マタイ25:1,7,11、ルカ1:27,使徒21:9,1コリント7:25,28,34,36,37,38、2コリ11:2
→黙示14:4(童貞)
gastri« gasthr NOUN f. s. dat. womb、胎内、子宮
e˙n gastri« eºcein 身重である、妊娠中である
eºxei ecw VERB 3rd s. fut. act. ind. to have
te÷xetai tiktw VERB 3rd s. fut. mid. ind. to bear、産む
kale÷sousin kalew VERB 3rd pl. fut. act. ind. to call
!Emmanouh/l Emmanouhl NOUN m. s. acc. Emmanuel、インマヌエル
meqermhneuo/menon meqermhneuw
meq! meta
VERB pre. pass. pt. n. s. nom. to translate, interpret
PREPOSITION gen. (+gen) with
このマタイの福音書1章23節で、イザヤ書7章14節後半を引用して「処女がみ
ごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」と
書き記しています。
新改訳聖書は、イザヤ書7章14節後半をマタイの福音書1章23節と同じよう
に、
” 見よ。処女がみごもっている。
そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。”
と訳しています。
hDmVlAo
イザヤ書7章14節後半において「処女」と訳されている原文のヘブル語
は、旧約聖書中に7回出てくるが、ほとんどの場合、処女である未婚のおとめにつ
いて用いられているようである。しかし、旧約聖書の中には、処女であることを厳
hDl…wtV;b
格に示す別の語
があり、70回出てくる。それ故、7章14節後半の場合、
既婚の若い女性を指して用いられている可能性があり、「おとめ」と訳すことも間
違いではない。実際、イザヤ書7章14節の前後の文脈から考えて、不信仰な王アハ
ズに与えられた預言のしるしとしての身重の女性は、既婚の若い女性であったと理
解すべきでありましょう。
Is. 7:14b
hDmVlAo hmlo
lEa …wnD;mIo wømVv ta!r!q"w NE;b t®dRlOy"w h!rDh hDmVlAoDh h´…nIh
NOUN c. f. s. maiden 、未婚の女、処女、おとめ,( OT中7回)
創世24:43,出2:8,箴言30:19,詩68:26(25)、雅歌1:3,6:8
h!rDh hrh
ADJECTIVE f. s. conceive
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"t®dRlOy dly VERB qal pt. f. s. child, beget
ta!r!q arq VERB qal pf. 3rd f. s. call、呼ぶ
しかし、同時に、イザヤ書7章14節のこの預言が、身重になっている女性を指す語
hDmVlAo
として
を用いているのは、後になってイエスさまを聖霊によって胎内に宿
す処女を指し示すのに適切であったからではないでしょうか。御霊さま(聖霊)
が、イザヤを導きこの語を選ばせて下さったに違いありません。
そして、この預言はメシヤ(救い主)が処女マリヤから生まれることを預言する
ものであったことを、マタイがマリヤから、またイエス・キリストご自身から教え
られ、その事実を聖霊によって理解して、これをマタイの福音書1章23節に書き記
したのでありましょう。
<参考>七十人訳聖書(古代訳ギリシャ語聖書)は、
hDmVlAo を parqe÷noß(処女)
イザヤ書7章14節の と訳している。
→ペテロの第二の手紙1章20∼21節
それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、
聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
:21
なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、
聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。
2Pet. 1:20
touvto prw"ton ginw¿skonteß o¢ti pa"sa profhtei÷a grafhvß i˙di÷aß
e˙pilu/sewß ouj gi÷netai:
prw"ton prwtoß ADVERB noDegree first, prominent, former、第一に
ginw¿skonteß ginwskw VERB pre. act. pt. m. pl. nom. to know
profhtei÷a profhteia NOUN f. s. nom. prophecy、預言
grafhvß grafh NOUN f. s. gen. scripture、聖書
i˙di÷aß idioß ADJECTIVE f. s. gen. noDegree one's own、自分の、自分自身の
e˙pilu/sewß epilusiß NOUN f. s. gen. interpretation、解釈:NT中ここ1回
gi÷netai ginomai VERB 3rd s. pre. mid. ind. to become, be、
2Pet. 1:21
ouj ga»r qelh/mati aÓnqrw¿pou hjne÷cqh profhtei÷a pote÷, aÓlla» uJpo\
pneu/matoß aJgi÷ou fero/menoi e˙la¿lhsan aÓpo\ qeouv a‡nqrwpoi.
qelh/mati qelhma NOUN n. s. dat. will、意志
hjne÷cqh ferw VERB 3rd singular. aor. pass. ind. to bring、言葉に出す、もたらす
pote÷ pote ADVERB noDegree once, formerly, ever 、かつて(particle);
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fero/menoi ferw
VERB pre. pass. pt. m. pl. nom. to bring forth、促す、動かす
→NASB 1 : 21b
men moved by the Holy Spirit spoke from God.
e˙la¿lhsan lalew VERB 3rd pl. aor. act. ind. to speak、語る
(三)インマヌエル(神は私たちとともにおられる)の恵み
神の御霊によって処女マリヤからお生まれになった、聖なる神の子イエス・キリ
ストが、私たちに罪からの救いをもたらして下さったのです。そして、またの名を
「インマヌエル」(!Emmanouh/l ヘブル語で、「神は私たちと共におられる」と
いう意味)と呼ばれる御方イエス・キリストが、今も、私たちに罪からの救いをも
たらし、この暗い世に生きる私たちといつもともにいて下さっているのです。
マタイは彼の書いた福音書の終りの28章20節に、「見よ。わたしは、世の終わり
まで、いつも、あなたがたとともにいます。」とのイエスさまのお約束のことばを
書き記しています。
神さまが私たち一人々々ともにいて下さるるので、あなたも私もひとりぽっちで
はないのです。信仰とは孤独ではないことなのです。
神さまが私たち一人々々ともにいて下さるので、あなたも私もひとりで気張る必
要がないのです。信仰とはくつろぐことなのです。
クリスマスの恵みとは、インマヌエルすなわち「神さまが私たちとともにおられ
る」恵みなのです。
<参考>『万軍の主はわれらとともにおられる。』
(詩篇46:7,11 )ヘブル語聖書では 8,12節
Pss. 46:8、12
hDlRs bOqSoÅy yEhølTa …wnDl_bÎ…gVcIm …wnD;mIo twøaDbVx hÎwh"y
bÎ…gVcIm bgcm NOUN common m. s.
stronghold、砦、とりで
むすび.
クリスマスを迎えるに当たり、私どもに罪からの救いを与えて下さった御方の恵
みを、あらためて、深く味わせていただきましょう。そして、インマヌエルの恵み
すなわち「神さまが私たちとともにいて下さる恵み」が、このクリスマスのとき
に、もっともっと、多くの方々に知らされ、もたらされるよう、心をこめ、心をあ
わせて祈り、励もうではありませんか。
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