かわら版(フォートウェイン市日本人コミュニティ広報誌 - 高岡市民病院

Japanese Community Newsletter
Vol. 39
January 2014
Fort Wayne, Indiana
KAWARA -BAN
T.Tamura
260-918-3767
謹賀新年
Happy New Year!
明けましておめでとうございます。
今年は午年。駿馬のように元気で走り抜け皆様にとって飛躍の年となることを祈っております。
厳寒が予測された今冬ですが 予報通りの展開です。Fort Wayne はホワイトクリスマスに続いて
ホワイトお正月。元旦は小雪、そして 5 日は一日中雪、上の写真は 5 日に撮ったものです。6 日の朝は快晴
となりましたが北極圏の冷気が渦巻き気温はドンドン下がって我が家の温度計は華氏マイナス 29 度(摂氏
マイナス34度)の世界。体感温度は華氏マイナス 40 度との報道でした。約100年前 1918 年
の最低気温の記録 華氏マイナス 24 度(摂氏マイナス 31 度)に並ぶ超低温環境です。下の写真は 6 日の
Blowing snow。郡,市が Snow Emergency 警報を出し
たため官公庁、学校、企業も休みとなりました。
Winter storm の備えで土曜日の夕方にはスーパーの
食料品の棚が空っぽになっているものが多く有りま
た。生鮮野菜、パン、水などはわかりますが肉では
鶏肉だけが売り切れでした。油の少ない鶏肉が健康
的と人気なんでしょうね。意外なところへの影響では週給が基本のインディアナでは給料の支払日が後ろに
ずれるという事も起こっています。7 日の火曜日は最高気温もマイナス華氏 1-2 度という厳しさでした。
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姉妹都市
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医療交流
高岡市民病院と Parkview Hospital との交流は予定通り
10 月 7 日より一週間行われました。医療保険を含む
医療制度の全般的な情報交換から 専門的な話まで
多岐にわたる情報交換が行われました。高岡・Parkview
で用意されたパワーポイントは 40 本を超え膨大な情報を
整理し発表された Parkview 関係者の皆さん,高岡市民病院
の皆さんに改めて敬意を表します。
市長表敬:右から市長、遠山副院長、岡野看護師長、高桑研修医
Fort Wayne の姉妹都市活動は高岡との提携が初めてで 36 年の 歴史があります。その後ドイツ、ポーランド,
中国とも交流の 輪が広がりました。本格的な医療分野での交流は初めてで 専門性が高く専門用語も多い中
うまく交流が運営できるか心配もしましたが結果は大成功でした。成功の裏にある日本の人材の層の厚さを
実感する機会にもなりました。
姉妹都市委員会委員長 Mr.Tom Herr(右端)副委員長
Ms.Dorothy Kittaka(左から二人目)を表敬
Parkview CEC Mr.Mike Packnett(中央), 医師長 Dr. Ray Dusman(左)
に歓迎式前に別室で高岡・高橋市長からの新書を手交
使節団到着の晩に開催された歓迎会は Parkview で開催。
姉妹都市委員、Parkview 関係者で約 40 人が集いました
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今回の医療交流で高岡市が選んだ団長は高岡市民病院の遠山副院長ですがお医者さんで遠山先生
のようにタレント性があって医療知識も豊富な人材がパッと派遣できるところが まづ凄いと思います。
東京や大阪などのような大都会ならいざしらず人口 18 万人規模の高岡市にこのような人材がいるという
事は いかに日本の人材の層が厚いかを物語っているように思います。
趣味も多彩でスキューバ・ダイビング、スキー、登山、米国でヘリコプターの
操縦免許を取得しているなど 趣味で地球の海の底から空中まで制覇していま
す。
ヘリコプター操縦席で記念
ショパンのノクターンを弾く通訳の潤子さん
、
また今回通訳をして下った方は日本人が 一人、アメリカ人が 一人
日系アメリカ人 が一人の 3 人でした。メインの通訳は日本人の
潤子 Rutkowski さんでしたが事前に専門用語などをしっかり勉強いた
だいだけではなく理論的にしっかり構成された正確な通訳に Parkview
の幹部の方々も大変驚かれ彼女の通訳起用に謝辞がありました。
これも優秀な人材の層の厚さを感じさせるものでした。
交流最終日の夕食会は Parkview の
お医者さんの 自宅で行われました.
Steinway のピアノ が あって潤子さん
はショパンのノクタ ーンを弾きまし
た。このピアノの 持ち主のお医者
さんがこのピアノでこれほどいい
音色を出してくれたのは潤子さんが
初めてと感激, 潤子さんも Steinway
のピアノが弾けて感激、感激の協奏曲となりました.看護師の岡野純代さん
も Jazz Piano をご披露、日本の伝統文化以外の分野での日本人の造詣の深さをご披露する機会にもなった晩とな り
ました。
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日本の医療・米国の医療
今回の交流に同行しての興味深いところを拾ってみました。
日本では見られない地平線。Parkview Medical センターの屋上ヘリポートからは 360 度この地平線が見えます。
大雑把な印象としては日本は国民皆保険と介護保険を
柱に、高齢化対応のきめ細かなケアが。アメリカは
広大な地域をカバーする必要があるからでしょうか
Parkview のような地域の中核病院では機動力とコン
ピューターを駆使した効率的仕組みが構築されてい
るとの印象です。
日本のきめ細かな介護の現状をプレゼンする岡野さん
病院経営
病院経営には大きな違いが有ることが分かりました。
日本では病院は営利企業ではありません。医療費は国によってきめ細かに決められていますのでどの病院で治療を
受けても治療費は同じです。
アメリカでは治療費は自由裁量。病院によって治療費は大きく異なりま
すので保険会社が治療費を値切る交渉を病院としたりもします。普通の
企業経営なみの営業努力と実績が病院の評価となり経営の安定につなが
りますので 病院の宣伝広告は当たり前ですが 日本では医療法で不特
定多数の人を対象とした宣伝は禁止されています。医療は専門性も高く
生命にかかわるサービスであり不当広告によって受けて側(患者)が不適
当なサービスを受けた場合の被害が甚大であることが宣伝規制の背景に
あるようです。2013 年の 9 月に規制が緩和された様ですが患者擁護の基
本的考えは変わってないようです。
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保険制度
日本はご存知の通り国民皆保険。そして治療費は国の
定めによりどこで受けても同じ。自己負担も少ない事
から 患者は 軽症でも大病院に集まる傾向があります。大病院は常に混雑し
病院がサロン化したり 重篤な患者への影響が懸念
されたり国家全体で見た時の医療費が膨張するという
問題が起こっています。
日本の医療保険別加入者数
米国は医療保険が高いため医療保険に入っていない人が
15-16%=約 4600 万人に及び 日本とは逆に重症になって
から病院に運び込まれるため、高額の先端医療を施さな
くてはならないケースも多くなります。無保険だからと
治療拒否は出来ないので 無保険ではあるけれども高額
な最先端医療を伴うケースが多く病院の経営を圧迫する要員の一つにもなります。
65 歳以上のシニアには国の保険制度であるメディケアが
適用されますが。この保険で病院に支払われる治療費では
最近の高額化した医療費のコストを割っています。従い米国
の病院を健全な形で経営するためには 普通の医療保険に
加入している患者の医療費収入ででトータルの収支バランス
をとらなくてはならないという事になり 結果として高い
医療費、高い保険料という仕組みの要因の一つにもなって
います。
米国の病院の 保険別コストカバー率
米国市民の平均寿命 78 才に対し日本人の平均寿命が 82 才
と永いのはこの国民皆保険制度は無視できません。この
仕組みの弱点を補うべくシニアへの運動指導、医療費自
己負担増による通院回数を減らす試み、在宅診療・介護の
サポート体制の構築などいろいろ検討されていますが これら試行錯誤が日本の医療・保険制度の健全運営へとつながる
よう祈りたいですね。 超高齢化社会の日本の試行錯誤が高齢化の進む国々の保険制度や医療システムの良い見本になる
と良いなと願っています。
オバマケアは高い保険料が払いきれない中・低所得者層の保険加入を支援するもので重症になる前の治療で国全体の医療
費削減も狙いの一つです。今後どう効果が出るのか興味深いですが 州のかかわりが多いため州によって大分支援の中身
が違うようです。たまたまカルフォルニアの Covered California と呼ばれるオバマケアの内容を調べる機会がありました。
オバマケアの対象になっている保険プランの種類も多く deductible(免責)の額が$1000 のプランがあるのに対し他州では
$4000-6000 の免責のところもあります。免責がこんなに大きくては保険加入も義務とはいえ二の足を踏む人も出てくる
のではないかと思います。
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Kaizen-改善
トヨタ自動車の生産方式から生まれた Lean management の
考えは Fort Wayne の大学でも社会人向講座に組み込まれ
色々の分野の方々が学んでいます。Lean とは贅肉を取ると
いう意味があります。トヨタの効率的生産方式を MIT(マサ
チュセッツ工科大学が研究し体系化したものです。トヨタの
生産方式は現場の経験・工夫の積み重ね、考えて工夫する
ことの意識を浸透することで出来上がってきたものと思い
ますが今やアメリカでは学問になっています。
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Parkview の Lean Management のリーダー達とパチリ。
Lean management には Kaizen という日本語がそのまま使われて
います。その他に Genba(現場)、Kanban(カンン),Heijunka
(平準化)、Muda(ムダ),Mieruka(見える化),Poka-yoke(ポカヨケ)など
の日本 語も登場します。
教室で学ぶ効率的経営は病院経営にも浸透し Parkview はチームを
作って非常に熱心に Lean management を推進されています。日本
では Lean management は学問からではなく現場での創意と工夫で
行われていると思いますので各会社や組織によって工夫の仕方は
STEPPS の現状を報告する遠山副院長
違っています。従って米国における病院の Lean management と
日本の病院を単純比較するのは難しいものがあります。 Parkview の方々が高岡市民病院を訪れた際には意外なところに
Lean management を見出す可能性があります。
Parkview は今年の 10 月か 11 月ごろに高岡市民病院を訪れ交流の予定です。
その機会に Lean management の元祖であるトヨタ 自動車の見学と
ミーティングがトヨタ社のご好意で組まれる予定になっています。
何か新たな発見があるといいですね。
左のロゴは Parkviewwのロゴをモチーフにした Lean Management チーム
のものです。ダイアモンドの四隅に Lean management で改善を目指すターゲットが
記されています。
医師養成 高t高岡市民病院から派遣された高桑研修医は研修医として
2 年目になります。研修医とはいってもライセンス的には
国家試験に受かった段階で既にお医者さんで現場で計画的に経験を積み
完全に自立した医師になります。
日本では大学の医学部で 6 年間の勉強をして医師免許取得の国家試験を受け
ます。その後一般治療的な研修を指導医のもと 2 年間以上積みます。更に
専門医として 4-6 年を研修を受けて独り立ちの医者になります。べいこ
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米国では普通の大学を卒業した後(専攻は何でもよいが特定の
サイエンス関係の単位は必要)にメディカスクールで 4 年間勉強し
MD degree をとって Residency として病院現場で研修しますがこの間
に二つの国家試験にパスしなくてはなりません。
専門分野によっては residency の期間は 3-5 年、更に専門性の高い分野
では 1-3 年のトレーニングが求められ、一人前のお医者さんになるため
には日米共に 10 年以上の専門分野での勉強と経験が求められます。
Resident の指導者、救急外科の先生方
今回の交流で救急外科を垣間見ることが出来ましたが そこに働くお医者さんはその勤務システムも大変で医学生、
研修医から独り立ちのお医者さんになった後も体力と気力、そして最新医療を吸収するための継続的勉強など大変な努力
と経験が求められている職業と認識しました。
スナップ
カルテへの音声入力装置
↓
↓
↑
ヘリコプターは二人の病人を
運べます。医者と看護師も
同乗できる用に設計されています。
↓ 間違いを防止の色別の管理
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↑ 救急外科病棟で
↑ 交流最終日に Parkview ならびに姉妹都市から記念品贈呈
全てのプログラムを消化、アメリカの庶民生活を垣間見る一コマ ↓→
以上紹介したもの意外にも専門的分野で急性心臓病、脳関係、広域医療などのセッションもあり大変充実した交流でした。お疲れ様でしたした。
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JSS 便り
ありがとうございました。
下記の会社・組織から JSS にご寄付をいただきました。
The Chapman Fund
Fort Wayne Metals
Industrial Suppliers Co., Ltd.
ご寄付 3 件の合計は 12,000 ドルです。JSS は 501(c)3 に基づく Gift Account を持っていないため
501(c)3 に振り込んでいただき IPFW 内で JSS に振り替えてもらう方法をとりました。
IPFW の
。
JSS では外務省より校舎借料について支援を受けておりましたが
IPFW と賃貸契約のない in-kind(現物支給)に
よるものは校舎借料補助の対象にはならないとして返納を求められ金利を含めて約 3 万ドルの返納を昨年 4 月
に行いました。返納するお金がないので IPFW に立替払いをしてもらい 2014 の 3 月までに返済する約束になって
います。JSS より筆者には 2 万ドルは JSS で何とかするので残額部分の寄付集めをお願いしたいと要請があり
上記各社・組織から協力を得たものです。
校舎補助金の申請はシカゴ領事館の指導通りに行い 添付必要書類も フォートウエイン JSS と全く同じ環境に
ある補習校の協力 を得て作成され 外務省より補助申請承認の通知も受けて補助金交付が始まったもので返納は
納得がいかないと解決に時間がかかりましたが 現在の運営委員会は返納を決定しました。
会計監査院の監査で指摘され 講師謝金でも返納も求められた補習校もあるようです。 補助金を申請したときの
領事たちはなるべく補習校を幅広く支援したいと拡大解釈して判断したのだと思いますが結果的には補習校が苦し
められました。動機は好意でして下さった事ですから仕方ないと思いますが 問題が表面化してからの外務省・
領事館のフォートウエイン JSS への対応は 問題の背景は何も説明せず あたかも補習校が意図的に補助金を騙し
取ろうと企てたと言わんばかりの対応をとられました。権力を笠に力で押し切ろうとした姿勢には当然反発があり
ます。 それが故に解決に時間も掛かり金利負担の問題まで発生しました。外務省・領事館内部にはいろ いろ事情は
あったにしてもその事情を優先課題とするよりもっと補習校の立場にたったやり方は出来なかったのでしょうか。
担当領事のパーゾナリティーの問題なのか外務省・領事館の構造的な問題なのかは分かりませんが 公僕として真摯
に正面から 向き合っていてくれていれば 3 万ドルに占める金利 5000 ドルは少なくとも負担軽減出来たし 領事館
への信頼を損なう事は無かたと 思います。
結果的に JSS とは全く関係のない上記の会社・組織から支援を受ける事で一件落着しましたが
会社・組織のご協力に感謝すると同時にコミュニティーへの深いご理解に敬意を表します。
改めてこれら
IPFW Continuing Study Division では日ごろの JSS サポートに加え 3万ドルの立替払いもしていただいています。
当地に暮らす日本人としてご協力と JSS 支援に心より感謝と敬意を表します。
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JAAI 便り
1 月 4 日、IPFW の Ball Room で新年会が開催されました。この会では各過程の味を持ち寄って
いろいろな家庭の味を
楽しむのが恒例となっています。今年もいろいろな味を楽しみ会話に話しが弾みました。
当日は雪道を運転する天気でしたが年配の方々にもお越しいただけました。
東日本大震災支援
高岡医療使節団の皆さんがお土産にお持ちいただいた 南三陸のご婦人方が復興活動の一環で販売している
折り紙つきワリバシは 当地にある NPO Creative Women of the World で復興支援として販売される事になり
した。この団体は世界のご婦人方の自立や事業支援を行っている組織です。店ははダウンタウン W.Wayne 通り
J.K.O’Dannell’s
アイリッシュパブの隣です。ワリバシは是非
復興支援につながるこちらでお買い求め下さい。
←南三陸ちくちくの会の
皆さんの割り箸。折り紙
の人形はつまようじが
入っています。
The Women of the World
右側のお店です。
→
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姉妹都市委員会からのお知らせ
恒例の Annual Dinner が開催されます。2 月 22 日(土)です。日本の姉妹都市活動は市を中心に予算も
組まれているのが一般的のようですが 米国ではあくまでも市民活動として姉妹都市委員やそれをサポ
ートする会員の寄付で賄われています。勿論、市同士の 活動ですから市から補助がないわけではありま
せんがそれだけでは多様化した運営が仕切れないのです。
姉妹都市委員会の Annual Dinner は Fund Raise の機会として企画されています。姉妹都市の国、日本、
ドイツ、ポーランド、中国の料理が楽しめる趣向になっています。特に今回は IVY TECH の本格的な
Cheff を目指す Culinary Art School と連携して より個性的で本格的なお国料理を味わっていただける
事になっています。
一般的に日本人は内気でこのような会は苦手な傾向がありますが ローカルのコミュニティに参加され
ますと世界が一段と広がります。姉妹都市支援と豊かな時間を過ごす観点からも是非ご参加下さい。
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高岡交換留学生
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体験レポート
毎号 1 件ずつお知らせする第二弾です 厳寒で家に閉じこもりがちな日々 レポートでも読んで高岡、日本の情景
を思い浮かべ楽しんで下さい。Carroll High の Julie Ann HO さんのものです。
Takaoka Trip
The trip to Takaoka, or even Japan in general, was one
of the greatest things that I had experienced thus far in
my life. The opportunity to be independent and make
decisions for myself was a fantastic way for me to mature
and become more of an adult. I experienced many thing
while I was there and I thoroughly enjoyed my time there
with my new friends.
Even on the first day we got to Takaoka, there were many
events prepared for us so that we would have a good time.
The welcome ceremony helped us to interact with the
Japanese students to initiate our relationship together
Although it was a bit awkward talking to Miki, my hos
sister, at first, I gradually learned that she was just a
fun-loving girl who made everyone excited and happy.
出発準備の一環で交換留学の仲間と日本食体験
I spent almost every day going out and doing various activities with my host family and Miki’s friends.
One big event that occured was the Goin Festival, which was dedicated to a man that was kind to the city’s casters
and craftsmen. I certainly was not expecting to be dressed up in a yukata, a traditional Japanese robe on my second
day there, but it happened and I felt that I fit in with the people. The children’s parade was a sight to see with all of
the adorable faces, and the food there was extremely good. It was certainly different from our Three Rivers’ Festival.
Later that week, Miki and her buddies took me to the beach and we set off fireworks during the night. It felt like
something out of a Japanese drama. Miki did her best to make sure that I enjoyed the time that I spent with her and
she did a splendid job at it.
Takaoka was a very typical city in Japan, excluding big cities such as Tokyo, and though it had its differences, I felt
that it was very similar to Fort Wayne. The geography was rather similar and was a mellow city like Fort Wayne,
with not much going on all the time.
Sightseeing around the city was fun.
I loved exploring the Zuiryuji
Temple since it was a national
treasure and seeing the big Buddha
was incredible. Japan’s coastline
was lined with scenic rocks and
bluffs and the rolling hills that
decorated the countryside made it exceedingly breathtaking. Japan was a beautiful nation, encompassing both
modern life and also keeping old culture ideals alive.
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School life was fun over there, though vastly different from ours. Takaoka Daiichi High School was a private school,
yet it was where the students went when they did not pass their high school entrance exams. Thus, the kids there
were a little silly during class.
When we, the Carroll students, went to our sister school, Kogei,
it had a slightly stricter atmosphere, although still friendly. Kogei
was special because it was a technical school where students
focused on career paths like engineering, the arts, crafts making,
and similar paths. It was great being able to see kids focus on their
career paths. After seeing this, I believed that the United States
needed more high schools where students could focus on what
they want to do earlier.
Some differences I noted, though already knew previously
was that students stayed mostly on one classroom, save for
a few special classes. Teachers were the ones that moved
around and shared offices with other teachers.
Also, students could only join one club and that clubs ran
year-round, rather than by one season as with sports here.
The schools were different because they were built verticall
rather than horizontally to conserve space. Unlike here in
the States where students are based off of project
presentations, and tests, Japanese students are
judged only test scores and projects are rare, making their
curriculum different from here.
My life with my host family was the part that I loved most. They were always kind and generous towards me,
constantly making sure that I wasn’t hungry or tired. Miki kept telling me to not push myself and to not hold back.
Whenever I went to a store with her family, her dad would always pay for whatever I wanted, even though I insisted
that I could pay myself, because he said that he was my dad as well. Japanese people are very thoughtful about others.
While I was living with them, I noticed a few differences when comparing their lifestyles to mine in the United
States. They washed their clothes every day while my family washed only once a week. Also, they had slippers that
were used only for the bathrooms. Japanese people also primarily shower at night, whilst Americans tend to shower
in the morning or afternoon. The interior of the houses was also different with it being mostly wood on the inside,
and they also have special rooms with tatami mats and sliding doors. Their light switches for rooms were on the
outside, so when I wanted to go to sleep, I had to slip my hand out the door and reach for the light switch, which I
found rather inefficient. They spent a lot of time in front of the TV for family time, although that stood true in the
States as well. Their lifestyles were quite similar to ours, which was to be expected because they were also a modern
society.
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Eating new kinds of food was one of the things that I looked forward to the most on the trip, and it was also one of
the best things that occurred. It was not hard for me to adjust to Japanese food unlike some of the others students
because I was of Asian ethnicity myself, so it was just some minor adjustments in taste.
I loved trying out all of the different kinds of noodles in the cafeteria such as ramen,
Udon and Soba. My favorite being Udon. Sushi over there was very different from
here, as it was fresher, and the native people made it
better. Now I’ll probably never go to a sushi bar
here again. Jokes aside, I got to try many new
foods because my family took me to many
restaurants and we made some traditional
foods ourselves like okonomiyaki, batter
mixed with meat and vegetables, and takoyaki,
Okonomiyaki cooking table
which was octopus in a ball of dough.
Udon ↑
Japanese cuisine was so appetizing and a lot healthier too.
Tokyo was my dream city to visit on my bucket
list; it was such an amazing city with its lights,
fashion, and also traditional aspects. The people
in the city were very nice and courteous when
we needed help finding a place. The railway lines
were very convenient in getting to places and easy
to navigate. We went to many places such as Ginza,
one of the most expensive shopping districts in the
world,
Sky Tree, the tallest tower in the world, and Harajuku, the place for the fashionistas. Disney Sea was also fun to visit
because it was aimed more towards teenagers and adults rather than kids. My favorite place to visit was Ikebukuro
because of the Animate building, which was nine stories of comics, books, CDs, and video games. I also loved
Akihabara because it was the area in Tokyo where the “nerds
and geeks” go, since I love animation, games, and comics.
Though Tokyo was very modern, it still had its traditional
aspects such as Meiji Shrine. When I walked through it and
its surrounding forest, I felt that I was on a nature preserve
rather than in the most populous city in the world. I would
love to go back someday to visit it more thoroughly.
Harajyuku →
Being able to go to Japan was an amazing experience for me to submerge myself into another culture, and I cannot
convey how grateful I am to the Fort Wayne Sister City Exchange Program and Chapman Fund for making this
possible for me. I thoroughly enjoyed everything that I did there and I’m glad that I was able to make bonds
with oeople that I could not form otherwise.
.
次号はもっと暖かくなってからです。