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ロト・オ l リ ナ シ ア ン の レ ヴ ア ン ト 起 源 説 の
検討のためには、北レヴアント内陸部(北シ
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リア、ュ l フラテス河中流域)のワディ・ハラ l
ル 一 六 R辺 跡 か ら 採 取 さ れ た 石 叫 ん 以 料 と 放 射
性炭ぷ年代値を扱う
細は、日ハ包。戸、山E 2 白N
〔一回参照)。次に、市ルート沿いの拡散仮説、
特に背付き細ゐ器のアフリカ起源説を検討す
るために、ケニア南東部のムトングウェ追跡
において 府 位 的 に 検 出 さ れ た 石 器 群 を 扱 う ( 計
細は、門脇一 心 一四 a参照)。
二 一 ワ デ ィ ・ ハ ラl ル 一 六 R 遺 跡 小 型 尖 頭
器 を 伴 う 北 ル lト 拡 散 説 の 再 検 討
本 追 跡 は 、 二 O O八 年 か ら 二 O 一一年まで
ユl フ ラ テ ス 河 中 流 域 で 行 わ れ た シ リ ア ・ 円
本 合 同 考 古 学 訓査の一以として発見・調大同さ
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れた (Z55E2
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者も参加したこ
山
の 調 査 で は 、 二O一
M × 一つ い川の 秘 凹 の 踏 査 に
よって一 二五O 地 点 以 上 の 造 物 散 布 や 近 仙 を 記
録 し た 。 ワ デ ィ ・ ハ ラ ! ル 一 六R辺 跡 は 、 ユ ー
る。それぞれの地点で表面採集と試国を行い、
フ ラ テ ス 一 川 支 流 の ワ デ ィ ・ ハ ラ l ルの丙山芹に
位 同 す る 問 地 遺 跡 で あ る ( 凶2)。 二 つ の 石 器
集 中 部 が 発 見 さ れ 、 一 つ は 一 O m ×一 C m、
も う 一 つ は 一 O m ×五 mほ ど の 範 聞 に 分 布 す
K A 4グ ル ー プ が 第 一 に 考 慮 さ れ る べ き で あ り 、 そ の 出
現 年 代 が プ ロ ト ・ オl リ ナ シ ア ン と 比 較 さ れ る べ き で あ
うとするなら、北方ではなく南方の前期アハマリアンや
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ア キ ル 岩除 第 一 ハ
、
一O 層、ウチュアズリ制桔blc層
ケパラ洞目前三1凹ユニット)とは区別される。北克の
前期アハマリアンの尖凶器はサイズが大きく幅広で、二
次加 て の度合いがより大きい。また、同誌打面石枚の比
率が高く、対方向の剥附によって製作された石刃の 誌端
部形態は尖一肌状の比平が低い。したがって、もしプロト
.オ l リ ナ シ ア ン の 石 器 技 術 の 起 源 を レ ヴ ア ン ト に 探 ろ
類 似 す る 一 方 で 、 北 方 の 前 期 ア ハ マ リ ア ン ( ク サ l ル・
跡灯、ラジヤマ泣跡群、アブ・ノシユラ泣跡群など)に
アンの一部、刊に巾方の前期アハマリアン(ポーカー遺
ア キ ル 第 四 則 グ ル ー プ (KA4グループ)と定北した(悶
4)。 こ の K A 4グ ル ー プ の 石 器 技 術 は 、 前 期 ア ハ マ リ
O 府(第四期)
の比較では、クサ l ル・アキル岩除第九1 一
・
の七時併に最も類似するため、両者をまとめてクサ l ル
設打一山刈錐状石核からの尖一問状細石刃の製作)について
もプロト・オlリナシアンと制似する。レヴアント内で
ワ デ ィ ・ ハ ラ l ル一六R泣 跡 か ら 出 土 し た わ 出 資 料 に
は、小型尖川…器が含まれ(図3 の5)、 そ の 他 の 石 山 器
種 ( 端 削 器 や 彫 器 、 凶3 の114) や 剥 汁 剥 雌 技 術 ( 単
下点以上のわ出標本を得た。
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(流ワ デ ィ・ハラールの 阿 J
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る ( 図4)0
この市方の前期アハマリアンに対してこれまで報告さ
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ル16R遺跡遠景
図 2 ワディ・ハラ
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L, 3: 端削出
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ル16R遺跡から発掘された石器
図3 ワディ・ハラ
理明
の関係に対する従来説と新説
従 来 はプ 口ト ・ オー リナシア ン文 化 上り も市 い IIt!~1 に 前期プハマリアン文 化 が充生
した と考え られて お り (左側1
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木の点線の比較)、技術 l
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新が レウァ ン
従来 説Jの2
巾で も、北レヴ アント J
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・ オーリナ
トからヨーロ ッパへ折、
散 したとい う説の 1
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、 前期 アハマ リア ンの
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tとは断定 できな い。 一 方 、プ ロ 卜・
ンアン と形態や製作技術が川なるため 、その y目
オ ーリナシ アンに傾 似 した形態や製 作技術 を示ナイ i器群は 、 i~可レヴアン ト地方の 千[際
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j則アノ、マ リア ン) や北 レグァントの KI¥4グノレーフ であ る
。 また、それら
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(王仰1 r 新 設 j の, \I~ 似の比較) 、 ヨーロツパの プ ロ 卜・オーリナ シアンよ り ら 年代が
ムト ング ウ ェ 遺 跡 |背 付 き 細 石 器 を 伴う 南 ルl ト拡
言
一
本 遺 跡 は ケ ニ ア の 東 海 岸 、 モ ン パ サ 市の 南 四 川 に 位 置
す る 開 地 遺 跡 であ る (
凶5)。 遺 跡 が 立 地 す る 海 岸 段丘
は ジ ユラ紀 の頁 岩 を 法 挫 と し 、 そ の 上 を 更 新 世 の 堆 積
物 (
) が従 っている 。 調査は 名 占 屋 大 学東
厚 さ 約 三十 m
ア フリ カ 考 古 学 調 査 隊 (
代 表 、 大 参 義 一氏 ) に よ っ て
一九七 五年か ら始め、与れ、 一九八九 年 ま で に 七 回 の 現 地
調 査 が 行 わ れ た (図6)。 そ の 結 果 、 八OOm×ぺO O
、 全 調査シー ズ ン
mの純闘内に 約七O の遺跡が発 見さ れ
の遺跡 報 行 書 が 英 文 で 出 版 さ れ ている(邦 文 で の 調 査概
要 は 大 参二九九一 を 参 照 )C
本 遺 跡 から出土した 石器群 は、技術形 態 学 的 特徴と出
土周位に よっ て三つ の石器イ ンダストリ ー に区分されて
。
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一 、第 二
白
同05∞
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白)
、 第三イ ンダスト リ1)(同
最下部の第一 イ ンダストリ ー は 足 控 岩 直 上 の 砂 隊 属 中 か
ら出土し、 ハン ド アック スや 大邸一
剥川、削器、石核削器
を
、
王 に含む 。 これらの-右器の 表 面 は 磨 耗 し て お り 、 河 川
によ って 流 さ れ て き た 二次 堆 積 物 と 解 釈 さ れ て い る 。 そ
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え ら れ て い た が 、 そ の 恨 拠 の 一 つ で あ っ た プ ロト ・オ l
リ ナ シ ア ン の 西 ア ジ ア 起 源 説 が 成 り 立 たない 可 能 性 が 高
い。この考古 学 的 新 知 見 が 妥 当 な ら ば 、ホモ・サピエ ン
スがヨーロッ パへ 拡 散 し た 要 因 を 商 ア ジ ア で の 技 術 革 新
に求め る シ ナ リ オ が 再 検 討 さ れ な け れ ば な らな い。
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間レウ 7 ン ト
れ た 放 射 性 炭 素 年 代 は 、測 定 誤 起 が 非 常 に 大 き い と い う
問 題 が あ っ た 。大 きな摺一号山一
範闘なので、古い年代値を見
ればプロ ト ・ オ ー リ ナ シ ア ンよ り も 古 い と い え る 一方
で、 そ れ よ り も 新 し い年 代 範 囲 も 多 く 含 ま れ て い た 。 草
者 ら の 調 査 に より 、 南 方 の 前 期 ア ハマリアンに類 似 した
ワデ ィ・ ハラ l ル 一六R の 石 器 群 に 対 し て 、 誤 差 が 非 常
に小さい放射性炭ぷ年代を得ることに成功した 。 その年
代 は 約 二八0 00 1三七000年前(較正年代)であり、
プロ 卜
存 続推定年代(約
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止年代)
/ 四000ol四0000 /三九000年 前 (
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ハラ l ル一 六R 遺 跡 と 非 常 に 類 似 す る 石 器 群 が 出 土 し
た ク サ l ル ・ア キル 岩 陰 第 九1 一O 層 ( 第 四 期 ) に対
し て 得 ら れ た 出 精 度 放 射 性 炭 素 年 代 で あ る 約 三九0 00
、 南方の
1 三四000年 前 (較正 年 代 ) と も 一致する し
、 J (アブ ・ノ シ ユ ラ 二 遺 跡 ) に 対 し て
前 期 ア ハ マリ ア
得 ら れ た 数 少 な いA M S年 代 値で あ る 約 三九00 0 1
三七0 00 年前(較正午 代 )にも近い 。 いずれもプロ卜・
オl リナ シアン よ り も 若 い 年 代 値 で あ る 。
こ の 結 果 に 基 づ く と 、 ヨ ー ロ yパの プロ ト ・ オ l リナ
シアンの 起 源をレヴアン ト地 方 の 前 期 ア ハ マ リア ンに求
。 つまり、これ
める仮説は再検討されなければな らな い
ま で は アフ リカ あ る い は 西 ア ジ ア で 創 出 さ れ た 石 持 技
術 (
特 に 投 開 用 尖頭器と 考 え ら れ る 革 新 的 技 術 ) を 携 え
たホモ ・サピエンスがヨ ー ロ ッパ へ 拡 散 を 果 た し た と 考
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新説
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図4 前 期 ア ハ マ リ ア ン 文 化 と ブ 口 ト ・ オ ー リ ナ シ ア ン 文 化 の 石 器 技 術 と 年 代
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図 5 ケ二ア東岸部モンパサ周辺の地形図とムトングウエ
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ら 出 土 す る 第 二イ ン ダ
ストリ ー の 数 舟 は 少 な
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二円川町
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小 川 化 し 、 ル ヴ ア ロワ
石枝、ルヴアロワ剥片、
円盤 型 一
心核が含まれる
の が 特 徴 で あ る 。 これ
らの石器群に含まれ る
ハ ン ド ア yク ス の 技 術
形 法学的特徴などから、
山 一イ ン ダ ス ト リ ー は
アシュ l ル 文 化 期 の 中
1後 段 、 第 二インダ スト
リーは同文化期の後段
か ら そ の 「発 展 形 態 の
一様 相 」 と 附 叩 仇 さ れ て
いる (大参 一九 九 ご ‘
そして、本稿に関わる
背付き細石器が含まれる
第三インダス ト リ ーは
、
段E抗 上 川 の 赤 色 砂 田か
ら 出 土 し た ( 同7)。 そ
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品 工
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12 ま、じ北弓円
者F。
什き細石器(幾何学形細
と 後 期 石 器 時 代 (LSA) の 移 行
期に相当することを示す、と調査
者 に よ って 指 摘 さ れ て い る (
大参 一
ン グ ウ ェ 追 跡 の 第 三一
インダス ト リ ー
がアフリカの中期石器時代(
MSA)
るいは 円 盤 型 石 核 か ら 剥 片 を 剥 離
す る プ ロ セ ス で あ る 。 そして-一-つ
日 のプ ロ セ ス で は 、 石 英 を l
治材 と
する 単打 面 右核から剥片や縦長剥
片が剥雄され、その一 部 の 剥 片 か
ら 背 付 き 細 石 器 が 製 作 さ れる。
この様な技術形態学的特徴はムト
ロ セ ス で あ る。 二 つ 目 は 、 同 様 に
頁岩を素材とするが、主に求心方
向 の 剥 離 に よ る ルヴ ア ロ ワ 石 核 あ
剥雌し、その素材に刃潰し加工を
施して背付き細石器を製作するプ
ヴアロ ワ石 核 や 剥 片 、 そ し て 石 刃 ・
綱石川 Nマその 石 核 も 含 ま れ る こ と
であ る 。 よ り 詳 細 に は で 祖 類 の 石
器 製 作 プ ロセ ス が 同 定 さ れ て い る
(円 山
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- 山 口 己 ↓0 5 0己目 ドC CH)0 一つ
は
、 頁 岩 製 の 単打面あるいは 両設
打面石核から細石刃や縦長剥片を
石器と背付き細石刃 )に伴って ル
遺跡の位置
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この I ~l 出;の,)F 色砂!蛍から、背{、「 き細 石 器を 合 L.i、第:3インダストリ ーの 干í 6:~n旬、 11:
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におけ る発掘風景 (
名古屋大学博物館収蔵写真資料)
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図 6 ムトングウェ 遺跡南部のアリ・アブバカル丘陵
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ムトンク ウェ辺跡
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