転写因子 ERR が介する iPS 細胞初期化のメカニズム

iPS 細胞へのリプログラミングに特有の細胞内代謝変動を発見
~一時的な酸素消費と ATP 産生がリプログラミング前駆細胞に起こることで iPS 細胞初期
化を促進する~
ポイント
・リプログラミングにおいて、転写因子 ERRα および ERRγ は一過的に誘導される
・ERRα/γ が介する一過的な酸化的リン酸化上昇(OxPhos-burst)は iPS 細胞化に必須
・OxPhos-burst が起こる細胞分画(Sca1-/CD34-)は 50 倍の iPS 細胞作製効率
概要
この研究ではマウスおよびヒト細胞からの iPS 細胞作製におけるエッセンシャルな遺伝子
および細胞機能を発見することによって、そのエッセンシャルな遺伝子および細胞機能を
担う細胞分画の分取に成功した。分画された細胞群から iPS 細胞を高効率で作製すること
が可能であり iPS 細胞作製技術の向上に貢献し、またメカニズムの解明による作製におけ
る安全性を高めることへの貢献が期待される。
なお、この研究の詳細は、米国科学誌 Cell Stem Cell 誌に 2015 年 4 月 9 日(米国東部時
間)にオンライン掲載された。
転写因子 ERR が介する iPS 細胞初期化のメカニズム
研究の社会的背景
先進的再生医療の実現に向け、わが国では臨床治験が始まった。しかし iPS 細胞による
医療を社会へ波及させるためには、臨床現場での経験的な治験に加え、科学的知見を基盤と
する安全性の向上と評価が必要と考えられている。
iPS 細胞は成人の多くの細胞から作製することができる万能細胞であり、iPS 細胞が高効
率で作製できることは、医療用の細胞調整におけるコストダウンに繋がり有用である。我々
は脂肪組織由来の間葉系幹細胞から高効率で作製できる方法を開発してきた(Sugii & Kida
ら PNAS.2010, Nat.Protoc.2011)
。一方で、安全性の高い方法で iPS 細胞を作製すること
も重要であり、作製効率向上と安全性評価の基盤となるリプログラミング過程における分
子メカニズムの解明を研究対象としてきた。
研究の経緯
iPS 細胞への初期化過程において、DNA 損傷や DNA 変異、
エピジェネティクスの変化、
遺伝子発現の変化など様々な現象が引き起こされることが知られている。以前に我々は、
iPS 細胞とその材料となる細胞の間に生じている、DNA メチル化の変化(Lister,ら Nature
2011)と細胞内代謝の変換(Panopoulos ら Cell.Report 2013)を明らかにしてきた。しか
し、どのようにして DNA メチル化の変化や細胞内代謝が変動していくのか、リプログラミ
ング過程の分子メカニズムや責任遺伝子が同定されていない。
本研究では、まったく予期できなかった細胞内代謝の変動と遺伝子発現の変化を解明し、エ
ピジェネティクスの変化を伴うリプログラミング機構の詳細を明らかにすることを目的と
して研究を行ってきた。
研究内容
細胞内のエネルギー代謝は、様々な細胞外環境に順応し、特異的な細胞内代謝の変化を誘導
することで細胞分化を制御している。本研究は、細胞内のエネルギー代謝に着目し、iPS 細
胞誘導過程における細胞内代謝の変化とその制御遺伝子の同定を試みたものである。リプ
ログラミング過程の細胞を用いて bioenergetic アッセイを行い、細胞内の解糖系レベルと
酸化的リン酸化レベルの測定、ATP 産生能を測定した。同時に、初期化過程におけるステ
ロイドホルモンレセプター遺伝子群のプロファイルを行い、リプログラミング時に特異的
に発現するステロイドホルモンレセプターを 5 個同定した。iPS/ES 細胞は、強い増殖能の
ために、解糖系代謝が強く働いており、ミトコンドリアを利用する酸化的リン酸化は抑制さ
れている。しかし、驚いたことに体細胞リプログラミングでは、強い解糖系の誘導と同時に、
酸化的リン酸化(oxidative phosphorylation: OxPhos)の一時的な上昇(OxPhos -burst)
が認められた(図 1)
。
図 1
ドキシサイクリンによる Yamanka4 因子の強制発現系(2nd generation DOX-
inducible)マウス胎児線維芽細胞(MEF)によるリプログラミング法を用いて細胞内代謝
の変化を測定した。pH 微変化(ECAR: extra cellular acidification rate)を横軸に、酸素
分圧変化(OCR: oxygen consumption rate)を縦軸に、時系列データをプロットすると、
誘導後 2-4 日において一過的に OCR が上昇(OxPhos-burst)していることがわかった。
さらに、これら細胞内代謝の変化は、ヒト細胞でも同様に起こっており、またステロイドホ
ルモンレセプター遺伝子 ERR(estrogen-related nuclear receptor)に依存していることが
分かった。そして、その機能阻害においては細胞内代謝の変換が遮断され、iPS 細胞の誘導
が完全に阻害された。さらに、強 ERR 発現細胞分画を分取する細胞表面抗原(Sca1-/CD34-)
を見出し、それを指標に細胞を分取することで iPS 細胞の作製効率を飛躍的に上昇させる
ことに成功した(図 2)
。
図 2 Sca1 および CD34 による細胞分画とその後の iPS 細胞作製効率を測定した。DN:
double negative 分画から非常に高い割合で iPS 細胞が作製できることが分かった。
今後の予定
iPS 細胞誘導は、細胞内に多大な変化を及ぼすことで細胞の運命を変更するものである。本
研究から、細胞加工過程に特有の細胞内代謝の変化が生ずることがわかった。このような大
きな変化が DNA メチル化をはじめとするエピジェネティクスの変動に伝達されていくこ
ともわかっており、iPS 細胞誘導過程で生じる DNA 変異などの様々な変化のメカニズムと
解決法が今後明らかにされていくと考えられる。
先進的再生医療のための細胞加工技術は iPS 細胞作製のみならず、ダイレクトリプログラ
ミングなども今後想定されている。このような細胞加工に生じる様々な異常を評価するこ
とが今後の細胞医療に必要であり、我々は細胞加工技術の開発と並行し科学的知見の蓄積
も進めていく予定である。
問い合わせ
国立研究開発法人 産業技術総合研究所
創薬基盤研究部門
主任研究員 木田 泰之 e-mail: y-kida アット aist.go.jp
用語の説明
◆ リプログラミング
分化した細胞の状態を未熟な状態へと逆戻りさせたり、発生プログラムをやり直したりす
ることである。特に、人為的な操作を加えることにより、細胞の状態を初期化させることを
いう。この過程では、核の記憶(エピジェネティクな修飾など)がリセットされる。
◆ 転写因子
ゲノム DNA に結合し、遺伝子発現を制御する蛋白質の総称である。
◆ ERRα/ERRγ
Estrogen-related receptor(エストロゲン受容体様核内受容体)のことである。ステロイド
ホルモンレセプター(核内受容体ファミリー)のひとつである ERR には α/β/γ があり、
ERRα/γ は骨格筋や心臓などで発現がみられる。
◆ 酸化的リン酸化(OxPhos)
電子伝達系に共役しておこる酸素を要求するリン化反応(ATP 合成反応)であり、ミトコ
ンドリア膜で起こる。グルコース(糖)の解糖反応や脂肪酸からの β 酸化反応からの ATP
合成反応回路の一つである。
◆ iPS 細胞/yamanaka4 因子
iPS 細胞(induced pluripotent stem cell:人工多能性幹細胞)は京都大学山中伸弥教授に
よって開発された細胞加工技術によって作製されるもの人体には存在しない細胞である。
方法は、体細胞に Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc(Yamanaka 4 因子と呼ばれる転写因子)を
導入するものであり、作製された iPS 細胞は様々な組織細胞へ分化することができる多能
性を有する。
◆ OXPHOS-burst
一過的な酸化的リン酸化の上昇
◆ Sca1
Sca1(stem cell antigen 1 または Ly6A/E)は細胞表面蛋白質であり、造血幹細胞や様々な
体性組織幹細胞で発現していることが知られている。
◆ CD34
CD34(cluster of differentiation gene 34)は、短鎖膜貫通型リン酸化糖蛋白質である。造
血前駆細胞、血管内皮前駆細胞などで発現していることが知られている。
◆ 間葉系幹細胞
間葉系幹細胞(mesenchymal stem cell:MSC)は、骨髄間質細胞や脂肪間質細胞などに存
在する幹細胞であり、自己複製し、かつ脂肪、軟骨、骨、筋肉に分化することができる能力
を有するものをいう。
◆ DNA 損傷/変異
放射線や紫外線、化学物質、活性酸素種や酸化ストレス等により塩基に傷が生じることであ
り、損傷された DNA は正常な塩基に修復されるが稀に塩基置換(変異)や欠損が起こるこ
ともある。蛋白質をコードするエクソンに DNA 変異が生じた場合、蛋白質が作られないこ
とや、異常なものが作られることもあり、癌化と密接に関わっている。
◆ エピジェネティクス
DNA の塩基配列情報(ジェネティクス)に対して、DNA 配列に規定されない情報をエピジェネティクスと言う。特に、DNA のメチル化や DNA を取り囲むヒストン蛋白質の修飾
(リン酸化、メチル化、アセチル化、ユビキチン化など)を限定して言う場合もある。これ
らの修飾が特異的に認識されることにより、転写を駆動する複合体の活性化や抑制におい
て重要な役割を担っている。DNA の塩基配列だけでは細胞の転写状態を把握できないため、
エピジェネティクス研究が盛んに行われるようになってきた。
◆ 責任遺伝子
ある形質を規定する原因となる遺伝子のことである。
◆ bioenergetics アッセイ
細胞内のエネルギー状態を解析するアッセイの総称。例えば、細胞の酸素消費率やミトコン
ドリアの膜電位を測定することで、ミトコンドリア機能を解析する手法をがある。
◆ ステロイドホルモンレセプター
レチノイン酸などの脂溶性ステロイドホルモンは細胞膜を通過する。このステロイドホル
モンに直接結合する転写因子群をステロイドホルモンレセプター(核内転写因子)スーパー
ファミリーと呼ぶ。ヒトで 48 種あり、様々な組織発生や癌化に関与している。
◆ ES 細胞
胚盤胞の内部細胞魂細胞を取り出して培養した幹細胞を Embryonic stem cell(胚性幹細胞)
の呼ぶ。様々な組織細胞に分化できる多能性を保持したまま恒常的に自己複製を繰り返す
能力をもっている。iPS 細胞は ES 細胞と同等の能力を持つものとして人工的に開発され
た。
◆ ドキシサイクリンに誘導される Yamanaka4 因子の強制発現系(2nd generation DOXinducible)マウス線維芽細胞(MEF)によるリプログラミング法
ドキシサイクリン添加により Yamanaka4 因子の発現を誘導できる iPS 細胞作製系である。
薬剤添加(ドキシサイクリン)によりすべての細胞に同時に Yamanaka4 因子を発現誘導で
きる標準的な手法である。
◆ マウス胎児線維芽細胞
妊娠マウスから胎児(胎生 13.5 日目)マウスを取り出し、脳、脊髄、内蔵を除いて培養し
た細胞集団のことをいう。
◆ 細胞(表面)抗原
細胞表面に存在する分子(表面抗原)のことを指す。この抗原を認識する抗体を用いて特定
細胞の分取が可能となる。
◆ 細胞加工
培養細胞または組織に含まれる細胞を人為的に操作することを言う。加工とは、主に遺伝子
や薬剤などの導入によるリプログラミング、分化のことを指す。再生医療や創薬技術に重要
な細胞を改変する手法である。
◆ ダイレクトリプログラミング
皮膚線維芽細胞などの体細胞を初期化(iPS 細胞化)せずに、直接、他の体細胞(神経、心
筋、軟骨、肝細胞など)へと分化転換を誘導することである。
◆ 細胞医療
損傷または機能障害を有する細胞や組織をターゲットとし、人為的に操作された正常に機
能する細胞(自身もしくは他人の細胞)の移植・投与を行い、機能および形態的な再生を目
指す治療のことをいう。体内でのリプログラミングの誘導による細胞、組織の再生も想定さ
れている。