15 年度「比較経済史」第8回講義 Resume 近代資本主義と宗教意識ー“ウエバー・テーゼ”を巡って 2015/05/02 (はじめに) イギリスの市民革命(1642-49,1688)の原因は、直接には、国王の独占・特許の乱発と議会を無視した課税 である。構図的には国王を支持する社会の上層階級、貴族等富裕階級からなる「王党派」と新興地主(ジ エントリー)、独立自営農民(ヨーマン)、独立手工業者・マニュファクチャー経営者等い中産者層からな る「議会派」の対立だったが、宗教的には国教会(アングリカン)対新教(ピューリタン)の対立であった。 近代資本主義が成長を遂げていった時代はルネサンスと宗教改革の時代であった。特に、カルバン派系の プロテスタンティズムの浸透した地域の経済発展が顕著な事から、プロテスタンティズムと資本主義の発 展には密接な関係があるのではないかということがヨーロッパの歴史家の間で旧くから指摘にされて来 た。この問題に1つの回答を与えたのが M.ウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精 神」(1904 ~ 05 年)という論文である。 【キリスト教関係年表】 402:イノケンチウス1世ローマ教会発足,590:大教皇グレゴリウス1世即位,756:ピピン北イタリアの旧東ロ ーマ帝国領を教皇に寄進,800:カール大帝ローマで戴冠式,962:神聖ローマ帝国オットー大帝ローマで戴冠 式 [ルネサンス:14 世紀から 16 世紀にかけて,イタリアをはじめとして,ヨーロッパ各地に生起]。 [イタリアで宗教改革始まりヨーロッパ各地に拡大] 1517:ルターの 95 ヶ条(神ロ),1531:ルターによる宗教改革始まる(神ロ),1534:首長令発布(ローマ教会から 独立しイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)を設立,1541:ジュネーブでカルバンの宗教改革(仏),1549:国教統 一令(英),1559:信 教統一令(英),1562-98:ユグノー戦争(仏),1598:ナントの勅令により信仰の自由(仏) ,1618-48:30 年戦争,1642-49:ピューリタン革命(英),1688:名誉革命(英),1689:信教自由令(英) * 1620:ピルグリムファーザーズの北米移住 1.「資本主義の精神」の二つの系譜 最初に「資本主義の精神」に着目した W.ゾンバルトによると、①冒険、投機、非合理主義的な利潤追求、 あるいは泥棒的精神といった系譜、②慎重、計算、合理主義、市民的精神といった系譜があり、資本主義 の初期には①がリードし、後期には②がリードするという。 2.“ウエーバー・テーゼ”とは宗教改革の結果生まれたプロテスタンティズムの倫理、中でもカルバン派 の「職業」観念が資本主義精神の形成に対して決定的な促進的役割を果たした。中世ヨーロッパの教会法 では利子付き貸し付けをすることは禁止されていたが、カルバン派カルバニズムはそれを是認した。これ が従来の経済慣習に大きな影響を与えた。さらに彼等は勤勉・節約・質素を生活心情とし、‘富(利潤)’ は隣人愛の結果であり、神から祝福された結果だと、積極的に受け入れた。その典型として B.フランク リン(1706-90)を上げている。 3.“ウエーバー・テーゼ”への批判 以上のような考えに対して、W.ゾムバルトは、それなら利子を取って貸し付けをしていたのはユダヤ人 の方が先であり、ユダヤ人の経済活動の方がより重要だとしているし、ウエーバーのいう合理的精神の方 も彼等の方が早かった。また、A.ファンファーニなどはむしろカトリスズム自体が近代資本主義を生む力 があったとしている。彼等は一様に資本主義の発展とプロテスタンティズムの関連を否定しいる。ウエー バーは「単因説」・「原因一元論」であるに対し批判者の多くは「複因説」・「多元論起源論」を取る者が 多い。 4.ウエーバーの考える資本主義の《精神》 講義は『岩波経済学小辞典』に従って、資本主義の特徴を、①労働力の商品化、②商品生産、③生産の 無政府制であり、もっとも重要なのは‘労働力の商品化’であるとしている。ウエーバーの考えもこれに 近い。資本主義社会において“利潤”の発生は「価値法則」の下で説明される必要がある。そのたために は、使用価値それ自体が価値増殖(=利潤)を生むという特殊な商品が存在しなければならない。その商品 とは“労働力商品”である⇒ K.マルクス『資本論』参照のこと。 1)経済的功利主義(=合理的経営) ウエーバーは、批判者があげる経済活動は<近代>資本主義に独自な物ではない。単なる営利を目的とした 経済活動なら古代ローマにも存在した。ウエーバーは近代資本主義の特徴は自由な労働組織を基礎とする 合理的経営(伝統主義からの解放)が行われてるか否かである。自由な労働力を前提として初めて費用の計 算が合理的に行われ、利潤の追求が合理なものとなる。それはマニュファクチャー経営において初めて現 れるのであるが、ウエーバーは都市の特権商人や特権マニュファクチャではなく、ギルドや特権・独占と 結びつかない小生産者の発展の中から出現するものを基本線とした(A.スミスも「農業の末裔としての工 業」の発展を基本線としている)。 2)前期的資本 産業資本による合理的な経営に基づいた近代資本主義と区別する意味で、研究史上それ以前の単に営利を 目的とした資本を「前期的資本」と呼ぶ場合があることを以前の講義で指摘しておいた。それは交通事情 の悪さなどによって遠隔地間貿易等において偶然に価格差が発生しそれが利潤となる。出来るだけ安く大 量に買いたたき出来るだけ高く売りつける。そこには欺瞞・商略等略奪行為とスレスレである。中世ヨー ロッパの対アジア・アフリカとの貿易を見よ。こうした経済活動は独占を求めしばしば政治と癒着する傾 向にある。時に近代産業資本の発展を抑圧し独占を図る傾向にあり、こうした資本から近代資本主義は生 まれない。⇒ゾンバルトは逆に「前期的資本」の役割を積極的に評価している。 3)二重道徳 前近代社会での経済活動においては二重道徳の存在が指摘されている。つまり「外と内」とでは道徳規準 が違うのである。仲間内(共同体)の内部では利潤は目的としないが、外部では無制限の営利追求が許容 された。プロテスタントは「外と内」この二重道徳を廃し「公正価格」と「適正利潤」の考え方をもたら したとされる。⇒ユダヤ教の場合は二重道徳 4)資本家・労働者双方における倫理的資質 勤勉と正直。資本家は労働者を公正な賃金で雇用し、福祉の向上に気を配る。その為には利潤を増やし資 本を増強することが不可欠である。他方労働者も労働意欲を発揮し自分に与えられた仕事をきちんとこな -1- す。こういう倫理的資質こそが近代資本主義には不可欠なのである。R.オーエンの「ラナーク工場」にお ける経営を見よ! 5)禁欲(Askese) 単なる欲望の禁圧ではなく、神の救いを確実なものにしようとする宗教的動機に基づく精神的・肉体的訓 練を意味する。『フランクリン自伝』に見える「生活の自己点検表」はまさにそれである。中世の教会で は僧侶はこういう修行を自らに課したが、プロテスタントは世俗内においてこれを実践した。こういう中 産階級の勤勉・正直・世俗内の禁欲こそ資本主義に適合した精神である。 6)神のお召しになった「職業」(Berufe & Colling)→「天職」 プロテスタントの場合「職業」は神から与えられた「天職」として捉えられており、与えられた仕事に励 むことは神の心に沿うことになる。結果として生産力は上昇し、社会的分業も進行する(局地的市場圏の 成立と発展)。この中から中産的生産者層の両極分解(資本家-賃労働者)が進み、資本主義的経営が成 立する。こうした職業倫理はまさに生産力の体系としての資本主義に適合したものであった。 7)‘伝統社会’との決別 共同体・地域社会からの伝統・慣習等を払拭して、神の前に平等な個人(=市民社会)を中心とした新しい 社会ルール(⇒プロテスタンティズムの倫理に基づくルール)の確立 5.経済学者の資本主義観 ウエーバーは資本主義を神の意向に即した社会体制と捉えている節もある。但し彼自身限定しているよう に、ウエーバーが取り上げたのは資本主義成立期の「プロテスタンティズムの倫理」であって、それ以前 とそれ以後を考察から除外している。資本主義が発展して行くと自由競争の段階から再び大企業・金融機 関による独占が始まる。経済学者の資本主義観を 2 ~ 3 紹介しておく。 1)スミスは分業・交換に基づく「商業社会」は分配の不平等はあるものの「初期未開社会」と比較すれば 誰もが豊かな生活を享受出来るとした。日本でも社会党の支持が後退したのは高度経済成長によって労働 者が豊かになったからである。 2)マルクスは資本主義社会は資本家は益々富み労働者は搾取され益々貧困になる。やがて労働者は団結し て資本主義を揚棄するだろうとした。が、一概に否定したのではなく、ポジティブな面、その膨大な生産 力と前近代社会を一掃する「資本の文明化作用」は認めた。 3)ケインズは第1次世界大戦後の資本主義は経済活動を市場にだけ任せておいたら市場メカニズムが利か なくなったとした。国家が財政・金融政策を通じて市場に介入すると同時に社会福祉の充実、公共事業の 推進などで資本主義は生き延びることが可能であるとした。 4)大塚久雄は、元本学教授の竹内啓氏によると資本主義を「良い資本主義」と「悪い資本主義」の2つに 区別しているという。このことはウエーバーにも該当する。プロテスタンに多くの信者を中産的生産者層 の倫理にを背景とした地道な経済活動の中から起こった資本主義を「良い資本主義」(近代資本主義)、前 期的資本がもたらすそれを「悪い資本主義」(ウエーバーによると賤民資本主義)としていると。 6.日本における資本主義の《精神》 小説家の長部は、M.ウエーバーは『ヒンズー教と仏教』(みすず書房)の中で、「13 世紀の初めに創始され た浄土真宗はもっぱら阿弥陀仏に対する敬虔な帰依を重んじ、善行往生を否定した点において、ヨーロッ パのプロテスタンティズムに比することが出来る」と述べていると要約する。ウエーバー学者ではないが 近年ウエーバーに積極的に取り組み、日本の成功も“ウエバー・テーゼ”を適応しようと試みる。 長部以前にも山本七平が『日本資本主義の精神』(1979 年)“ウエバー・テーゼ”を持ち込んだ。山本は 浄土真宗ではなく、石田梅岩の「石門心学」をプロテスタンティズムになぞらえる。他にも、鈴木正三の 「禅宗」などにプロテスタンティズムに似たものを見いだそうとする研究者は多い。 が、小室直樹は「仏教思想から資本主義の精神が生まれない」とし、日本の似非資本主義は近い将来必ず 崩壊する、としている。⇒小室 直樹『日本資本主義崩壊の論理:山本七平“日本学”の預言』(光文社) 参照 経済史の立場からは、資本主義の成立論よりは産業革命論との対比で、速水融(あきら)の「勤勉革命」 論の方に関心を持っているようである。つまり江戸時代の農村社会では、農民はかなり自由に農村を離れ ることができ、衣食住も思いのほか豊かで、平均寿命も延びていった。農民の生産物が武士にすべて搾取 されるのではなく、多くは農民に還元されるシステムでしたので、農民は自分のため、家族のために、生 活面でさまざまな工夫をしていた。この資本節約・労働集約型の働きを「勤勉革命」と名づけた。⇒後日 講義致します。 7.資本主義は公正なものか? スミスは「利己心」が遺憾なく発揮出来れば富は限りなく増大するとしたが、他方でその「利己心」は公 正な第3者の「同感」を得られるものでなければならないと歯止めもかけた。1985 年の「プラザ合意」 以後日本はバブルを経験した。それはもの作りによって富を得る産業資本の時代から、様々な金融商品の 販売と金融投機によって富を得る金融資本(19 世紀末のそれと区別して国際金融資本としよう)時代に入 った。ここでは“徳”も“倫理”も失われた金儲け主義が支配的となる。もしかしたらこれが資本主義の 本性かも知れない。つまり資本主義の範疇は近代的な「産業資本」ではなくて「前期的資本」であるとす れば、ゾンバルトのいう「恋愛と贅沢」が資本主義をもたらしたのかも知れない。 大塚の弟子(?)小室直樹がいうように、正義とか公正という倫理なき日本型資本主義は近い将来崩壊する のかも知れない。この点近年流行の「正義論」をチェックすること。J.ロールズの『正義論』(紀伊國屋 書店)、R.ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』(木鐸社)参照 【参考文献】 M.ウエーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》 』(岩波文庫)、 W.ゾンバルト『恋愛とぜいたくと資本主義』(講談社学術文庫)、 佐伯啓思『 「欲望」と資本主義』(講談社現代新書)、 岩井克人『ベニスの商人の資本論』(ちくま学芸文庫)等 -2-
© Copyright 2024 ExpyDoc