蓮田の祝い行事 ~おやすの産着祝いを中心に~

蓮田の祝い行事 ~おやすの産着祝いを中心に~
立ち(うぶだち)の祝い」という行事があり、それが江戸
句」ともいわれます。桃の節句では、母方の祖父母や近親
ー はじめに ー
炊いた 赤飯 は、特に妊婦と胎児
時代になって「七夜」だけが残り、この日を名付けの披露
者が、雛人形を贈ります。雛人形は女の子の身代わりになっ
祝い事の多くは、子供の成長、親の長寿などの子孫繁栄
に良いと信じられていました。
として「お七夜」と呼ぶようになり、行事が庶民の間にも
て病気や災いを引き受けてくれると言われ、飾り始めは節
が祝われますが、この他にも農作業に係わる年中行事の中
なお、絹地の帯は帯祝いの当
広まったようです。
分が終わった 2 月上旬頃で、しまうのは 3 月 3 日が終わっ
日だけ使用して出産後の産着に
③お宮参り:赤ちゃんが生ま
たらすぐ行ないます。これは「早くしまわないとお嫁に行
仕立てるもので、普段は白木綿
れてから男の子は 31 日目、女
くのが遅くなる」という言い伝えのためです。
の子は 32 日目までの間に氏神
菖蒲の節句には、江戸時代以降、
様(地域の神様)の氏子となり、
身を守る「鎧」や「兜」、また「武
でも祝い事が営まれます。
今回は、蓮田市文化財展示館も開館5周年を迎えたこと
の帯を巻きました。
もあり、市内に残された「祝い事」に関する古文書、民具
写真 1:お七夜の命名風景 (昭和 57 年)
(
『埼玉の民俗写真集』より掲載)
② お七夜(おしちや):産まれ
などをご紹介しながら、どのような祝い事が行われていた
のか振り返ってみたいと思います。
《 祝い事の種類》
た日を含めて 7 日目に行う、名づけの行事。昔は、医療・
認めてもらう行事であったも
衛生・栄養事情が良くなかったため、新生児が 7 日目を
のが、子供の誕生を祝い、長寿と健康を祈る行事という
が描かれた幟や鯉のぼりを立てて
写真 2:お宮参りの風景
者人形」を飾り、家紋や武者など
迎えることなく亡くなってしまうことも多かったので、
意味が強くなったものと言われています。初めて赤ちゃ
男子の成長や立身出世を願ってお
前述のとおり、祝い事には子供の成長、親の長寿などの
7 日目のお七夜は赤ちゃんの無事な成長を確かめる大切
んが氏神に参拝することから「初宮詣(はつみやもうで)
」
祝いをするようになりました。鯉
子孫繁栄が祝われますが、前述の他にも年中行事の中には
な節目でもあり、この日に正式に命名するようになりま
とも呼ばれています。赤ちゃんは祖母が抱きます。これ
のぼりなどは、母方の祖父母や近
子孫繁栄につながる結婚式や家の新築祝いなど様々なもの
した。枕元には尾頭つきの鯛をのせたお膳を置き、一緒
は母親の「産の忌」明けがまだなので、氏神との対面が
親者が贈ります。いずれの節句も
があります。今回は前者を中心にご紹介します。
に「産まれたばかりの柔らかい頭が早く固まり、しっか
許されていないからとされています。
一夜飾りは避けます。桃の節句の
りするように」との願いをこめた石をのせます。
ミニコラム【お宮参りの時期】
場合、雨の日に飾り付けをすると良縁に恵まれるといわれ
平安時代には、貴族の間で子どもが生まれた日を「初
お宮参りは、両家の祖父母が遠方のため、夫婦のみで行ったり、生
ています。地方によっては、神社にお参りをし、祝詞をあ
夜」
、3 日目を「三夜」、5 日目を「五夜」、7 日目を「七
後 30 日あたりで母子の体調良く、お天気のいい日を選び、母子の健
げていただくところもあります。
夜」、9 日目を「九夜」といって、奇数日に出産を祝う「産
康を第一に考えて行われています。
なお、「節句」という言葉ですが、正式には、神様にお
ミニコラム【へその緒】
④お食初め(おくいぞめ):生後 100 日から 120 日目の離
供えをしてお祀りをする節目の日という意味で「節供」が
【 こどもの祝い行事 】
① 帯祝い(おびいわい):「着帯祝い」ともいい、妊娠 5
カ月目の戌の日に、安産を願って腹帯を巻くお祝いです。
いぬ 戌の日に着けるのは、犬が多産でお産が軽いことにあやか
る願いが込められています。帯祝いに使う帯を「岩田帯」
ももか はしはじめ はしそろえ
と呼び、岩田帯は母体の冷えを防ぐと共に、母親としての
母親と胎児の生命をつなぐ「へその緒」は、出産後、桐の箱に入
自覚を促す意味も込められていたようです。
れて大切にとっておきます。記念・お守りの意味もありますが、昔は、
にきん いっきん
「子供が大病をした時に煎じて飲ませると助かる」といわれている地
昔は絹地の紅白二筋と白木綿一筋で、実家の親が直接嫁
域もありました。
ぎ先へ米や小豆と共に届けていました。また、この小豆で
写真 4:初節句の風景 (昭和 29 年)
(『はすだの今昔写真展』より掲載) 乳期に行われ、「百日の祝い」、「箸初め」、「箸揃え」など
古来使われてきましたが、江戸時代末期から明治時代にか
とも言われ、一生食べ物に困らないことを願った祝いで、
けて「節句」が広く用いられるようになりました。
平安時代から行われていたようです。産まれた子どもが初
ミニコラム 【桃の節句】
めて大人と同じものを食べ
桃の節句には、白酒、ひなあられ、菱餅を供え、お祝いの膳にはち
るという成長の節目のお祝
らし寿司、蛤のお吸い物など用意します。端午の節句には、ちまき、
ひしもち はまぐり
年中行事の中で行われるお祝い
麦げんき
饅 ・ げ
頭が ん う
んの り
も 和の
のえ酢
ど物の
き ・ 物
・ 油 ・
小揚 い
小
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5
月
5
日
4
月
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桃
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節節
句句
初
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草
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紅
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月
1
日
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・
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職
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月
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日
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参
り
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月
・
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正
月
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月
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2
月
3
日
司揚赤
げ飯
・ ・
豆ス
腐ミ
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なリ
り ・
寿油
ばワけ
シん
・ ち
夕ん
飯汁
は ・
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年飯
越 ・
そイ
1
1月
月第
1 2
5 月
日曜
日
1
月
7
日
1
月
1
日
名
称
月
日
)
小ア
麦ン
饅ビ
頭ン
・ 餅
赤
飯
手紅柏
打白餅
ち餅 ・
う
ち
ど ま
ん き
お
菓
子
赤
飯
赤
飯
・
紅
白
饅
頭
ア桜甘雛
ン 餅酒 あ
ビ ・ ・ ら
ン 菱草れ
餅餅餅
子どもの誕生・成長お祝い表
長寿のお祝い表
(
(
茶
寿
満
7
9
才
満
7
6
才
満
6
9
才
満
6
5
才
満
6
0
才
年
齢
)
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七
夜
帯
祝
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誕
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満
1
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白 卒 米 半 傘 喜 古 緑 還 名
寿 寿 寿 寿 寿 寿 希 寿 暦 称
(
満
1
1
1
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満
1
1
7
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1
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0
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満
1
1
9
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1
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1
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1
才
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1
1
2
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1
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紀
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・
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大
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餅 ・ ん飯
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千
歳
飴
名
称
時
期
お
せ
ち
料
理
・
お
雑
煮
柏餅を供えます。お祝いの膳に決まりはありません。
「しっかりご飯を食べて、
⑦初山(はつやま)
:前年の初山以降に生まれた赤ちゃんが、
健やかに育ってほしい。」
7 月 1 日の山開きの日等に富士塚の上の浅間大神にお参り
との願いをこめて子ども用
の茶碗、箸などをそろえ、
3
月
3
日
(
7
月
1
4
日
前
後
端子
五午 ど
節の も
句節の
句日
)
9
月
第
3
月
曜
日
浅
間
様
・
初
山
(
七
五夕
節
句
)
9
月
9
日
月
1 第
0 2
月土
1 曜
4 日
)
日
(
1
1
月
1
5
日
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日
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三
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七
五
三
かしわもち
いです。
行
事
食
写真 3:お食い初めの風景 (昭和 53 年)
(
『埼玉の民俗写真集』より掲載)
することで、健康に育つよう願う民俗行事です。「初山」
は群馬・栃木・茨城・千葉県の一部、埼玉県の東部地区(旧
箸で食事する一人前の人として扱います。
比企・入間郡東部を含む)に現在も残っています。
食べるものに困らないように「百日の一粒食い」といっ
蓮田の初山は、東3丁目の愛宕神社に現在も 7 月 1 日
て、ごはん粒をひとつ口に入れたり、尾頭つきの鯛などを
に多くの人々が訪れて
食べさせる真似をします。
います。お参りした赤
また、「歯がため」といって、丈夫な歯が生えるように、
ちゃんは、おでこに魔
お膳にきれいな青い石をのせます。
除けの御朱印を押して
⑤初正月:産まれて初めてのお正月に祝う行事で、母方の
もらい、近所や親戚に
祖父母や近親者が男の子には破魔弓、女の子には羽子板を
神社で貰ったうちわや
贈ります。破魔弓・羽子板には魔除けの意味があり、子孫
お札を配ります。うち
繁栄を祈るものです。子どもに対してのお祝いですが、子
わは 2 枚 1 組の場合が多く、それぞれ海と山で遊ぶ男の
どもは家の跡継ぎでもあり、父方の家の繁栄を祝う意味も
子と女の子の絵が描かれています。配るものは他の地域で
あったようです。
は、アメや旗、でんでん太鼓などもあります。
⑥初節句:女の子は産まれて初めての 3 月 3 日、男の子は
⑧初誕生:満 1 歳に行われ、「餅誕生」とも言われ、餅を
産まれて初めての 5 月 5 日に行なわれます。女の子の節句
つき、近親者などを招いて宴を開いて祝います。力のある
たんご しょうぶ
は「桃の節句」、男の子の節句は「端午の節句」「菖蒲の節
写真5:初山の風景 ( 平成 14 年 )
(蓮田市東 愛宕神社) 健康な子に育つようにと紅白の一升餅を背負わせて歩かせ
るしきたりがあり、西日本では「物選び」といって、筆や
福徳の仏」として知られ、13 番目の菩薩であることから、
ミニコラム【近年生まれたお祝い『緑寿(りょくじゅ)』
】
ミニコラム【まだまだある長寿のお祝い】
本、そろばん、財布などを並べた中からどれを手に取るか
13 のつく日に 13 才になった子どもがお参りし、知恵と福
長寿が一般化してきた現在、還暦の際にはまだまだ現役世代であり、
「緑寿」のように長寿が一般化してきた現在、ご紹介した祝い事以外
で子どもの将来を占うところが各地にあります。背負わせ
徳を授かる風習が生まれました。この頃は、男女共に精神
仕事盛りの方も多くいます。2002 年、日本百貨店協会が数え年 66 歳
にもまだまだあります。112 歳まで長生きされるのは珍しいとされる
「珍
た餅は後で切って、小さな紅白餅と一緒にお招きしたお客
的にも肉体的にも子どもから大人へと変化する大切な節目
で「緑寿」と呼びませんかと提案しました。現在は 65 歳から年金支
寿(ちんじゅ)」、
「天寿(てんじゅ)」と呼ばれる 118 歳は「天」の字
さまや、隣近所にも配って食べてもらいます。物選びでは、
とされていました。また、女の子は初めての厄年にあたる
給となり、現役を引退される方も多いことからニーズには合い、由来
を分けると「一一八」
、「太還暦(だいかんれき)」と呼ばれる 60 歳が
サッカーボールや楽器など、並べる物は時代により様々に
ことから、厄落としの意味も込められています。
は「緑緑(66)寿」を簡潔にし、緑寿となりました。
2 周したことを意味するお祝いがありますが、この年齢まで長生きされ
なっています。
⑬成人式:20 歳の学年の1月第2週の月曜日に行われま
方達を招いて盛大にお祝いされるケースが少し前までは多
医学が発達し食糧事情の良い現在と違って、昔は赤ちゃ
す。昔の「元服式」にあたる行事で、子供から大人になっ
く見受けられました。色は紫(紺色)とされています。
んが 1 才の誕生日を無事に迎えることは、とても難しいこ
たことを認める儀式です。元々は男の子が 12 ∼ 16 歳頃
③喜寿(きじゅ)
:77 歳の祝い。「喜」の字の草書体(く
とでした。そのため、赤飯を炊いたり餅をついたりして、
に初めて冠をかぶり、髪形
ずし字)が七十七と読めることに由来しています。色は古
その後の成長を祈る大切なお祝いとされてきました。
や衣服を改める元服の儀式
希と同じく紫(紺色)です。
⑨七五三(しちごさん)
:11 月 15 日に数え年で 3 歳と 5
④傘寿(さんじゅ):80 歳の祝い。
「傘」の略字が八十に
「加冠の儀」からきていま
歳の男の子、3 歳と 7 歳の女の子が晴れ着を着て神社に参
す。女性ならば、長い髪を
似ているところからつけられました。昔は、白砂糖で作っ
ります。成長の大切な時期に氏神様にお参りして守ってい
初めて結い上げる「髪上げ
た太白餅を配る習慣がある地域もあったそうです。色は黄
ただくとともに、神様からも地域社会からも、ひとりの人
の儀」が大人になった証し
間として認められる行事です。
の儀式とされていました。
「冠婚葬祭」の『冠』はこの「加
⑤半寿(はんじゅ):81 歳の祝い。八十一を組み合わせる
公家や武家社会では古くから七五三に関わるいろいろな
冠の儀」の言葉からきています。
と「半」になるところからつけられました。将棋盤の目が
しきたりがありましたが、民間では、幼児の成長に伴い段
写真6: 成人式の風景
(『市勢要覧 72 はすだ』より掲載)
(金茶)とされています。
ばんじゅ
八十一あることから「盤寿」ともいわれています。色は傘
【 長寿の祝い行事】
ることは珍しく、日本では過去に泉重千代さん一人です。
【近世の子供のお祝い事例】
写真8は天保 13(1842) 年 4 月 23
日の「初着」の祝帳です。生まれた
子供は「やす」という名の女の子で
4 月2日の誕生であり、「お宮参り」
の祝儀のものと考えられます。前述
のとおり「お宮参り」は生まれた子
供が初めて産土神にお参りすること
で、蓮田市域でも古くから行われて
いる行事です。前半はいただいた
様々なご祝儀とお産婆さんへのお礼
写真8:「初着の祝帳
(御初着覚帳)」
(石井家文書) 階を追って行う通過儀礼が江戸時代から広く行われるよう
長寿の祝いは、
数え年 61 歳の「還暦」や 70 歳の「古稀」
寿と同じく黄(金茶)です。
になりました。お祝いの意味はそれぞれの年齢で異なり、
など、長寿の祝いと長年の労をねぎらい、よりいっそう
⑥米寿(べいじゅ):88 歳の祝い。
「米」の字を分解する
3 歳は「髪置」といい男女とも髪を伸ばし始めました。大
元気で過ごすことを祈る意味が込められています。また、
と八十八になることからきています。末広がりの八が重な
人への成長の第一歩と考えられていたようです。5 歳は
「袴
近年では医療の進歩による平均寿命のから、新たな祝い
ることでめでたいということもあり、お祝いするようにな
着」といって、男の子に初めて袴を着させて宮参りをする
も提唱されており、ご紹介しながら確認していきます。
りました。「米年」、「こめの字の祝」、
「よねの祝」などと
展示している昭和 48 年度の長寿者名簿では、90 歳以上
儀礼です。この日から子供でもきちんとした服装をする意
① 還暦(かんれき):数え年の 61 歳(満 60 才)の祝い。
もいいます。色は傘寿と同じく黄(金茶)です。
の方が 16 名でしたが、昭和 63 年度では 54 名と 15 年間
味も込められていました。また、この日まで無事に成長で
陰陽五行説で十二支と十
⑦卒寿(そつじゅ):90 歳の祝い。「卒」という字の略字
で 3 倍強に増加しています。また、昭和 48 年度の文章中
きたことを喜び、その後の健やかな成長を願います。7 歳
支の組み合わせが 60 年
の「卆」を分けると九十と読めることからきています。色
には、前年度に古稀を迎えた方が 1,004 名であったのに対
は「帯の祝い」
、「帯解き」などといいます。子供の着物に
で一回りして元の自分の
は白とされています。
し、昭和 48 年度は 1,070 名と増加したことが記されてい
は着やすくするため付紐がついていましたが、大人と同じ
生まれた干支に戻ること
⑧白寿(はくじゅ)
:99 歳の祝い。白の字は「百」に「一」
ます。これらのことからも年々平均寿命が延びていること
ように帯を締め着物を着ました。また、7 歳は女の子の厄
から「暦が還る」という
足りないことから、あと一歳で百歳になるという意味から
が分かります。
年ともいわれ、昔は医療事情がよくなかったため、7 歳ま
意味で『還暦』と呼ばれ
ほん け
きています。色は卒寿と同じく白です。
また、昭和 63 年度の文中には日本の昭和 62 年の平均
で生きることも大変なことでした。その時期を無事過ぎた
ています。また、「本卦
⑨百寿(ひゃくじゅ・ももじゅ)・上寿(じょうじゅ)
:数
寿命が女性 81.39 歳、男性 75.61 歳で世界最高水準にある
ことに感謝し、その後も健やかに成長することを願った儀
がえり」とも呼ばれます。この年齢に達すると、一族が集
え年 100 歳のお祝い。
「百賀の祝い」ともいいます。もと
とされていますが、その後はさらに伸び、平成 25 年度で
礼です。
まって「生まれ直すこと」を祝い、赤ちゃんの時に着てい
もと上寿は寿命の長いことをさしています。また、100 年
は女性 86.61 歳、
男性 80.21 歳で男性が初めて 80 歳を超え、
七五三という言葉はわりと新しく、「紐落とし」と呼ば
た様な赤い頭巾、ちゃんちゃんこ、座布団を贈って、無病
(1 世紀)を表わす「紀」から「紀寿(きじゅ)
」ともいわ
れていました。これは、3 歳になると付け紐のない着物を
息災を祝福します。色は「赤色」で魔除けに赤ん坊の産着
着せて、初めて帯を買ってもらって締めるところからきた
に着せたことに由来します。
かみおき
はかま
おび いわ
おびと
つけひも
こよみ かえ
写真7: 米寿の祝い風景(昭和 59 年)
(『埼玉の民俗写真集』より掲載)
ひも お
と ほ
言葉です。
②古希(こき)
:70 歳の祝いで、中国の詩人杜甫の「人生
⑩入園・入学・卒業:幼稚園(保育園)
・小学校・中学校・
七十年古来稀なり」という詩に由来します。人生 50 年と
高校・大学への入学・卒業を祝う行事です。卒業は次につ
言われた昔は、70 才まで生きることは稀だったのでしょ
ながる行事であり、入園・入学祝いを贈ることが一般的で
うか。還暦は家族で祝うことが多いですが、古希は親しい
れます。
の品など、後半はお祝いの宴の献立や配った品物などが記
されています。詳しくは展示をご覧ください。
【長寿の祝いの事例 ∼蓮田市長寿者名簿から∼】
女性は 2 年連続世界一、男性も世界 4 位という状況(厚
生労働省調)にあります。
ミニコラム 【昔の長寿の3段階】
− おわりに ー
上寿は長寿を 3 段階の上・中・下に分けたうちの最も上位であり、
蓮田市文化財展示館は、平成 22 年 4 月 1 日に開館し、
下寿は 60 才、中寿は 80 才を言います。
⑪茶寿(ちゃじゅ):「茶」の字のくさかんむりは、旧字で
「十十」で、この下はくずすと「八十八」に分かれること
開館 5 周年を迎え、七五三でいえば 5 歳の誕生日を迎え
たばかりです。開館から様々な取り組みを行ってきました
が、これもひとえに来館者の皆さまの貴重なご意見やボラ
す。それぞれの学校に合わせた贈り物が贈られます。
ミニコラム 「還暦の祝い方」 から 108 歳の祝いとされています。
ンティア学芸員の皆様のご助力によるものです。
⑫十三参り:主に関西(特に京都)を中心に行なわれてい
還暦には「赤いちゃんちゃんこに頭巾、赤い座布団」を贈る習わし
⑫皇寿(こうじゅ)
・川寿(せんじゅ)
・王寿(おうじゅ)
:
今後は国指定史跡黒浜貝塚の整備推進により、新たな機
がありましたが、この「赤」は生命の象徴としての『太陽の色』で、
「皇」は「白」と「王」に分かれ、白は白寿の 99 歳を表わし、
能、様々なニーズにお応えすべく、努力してまいります。
る習慣で、「智恵もらい」、「智恵参り」ともいいます。陰
暦の 3 月 13 日、現在の 4 月 13 日に数えで 13 才になった
こ くうぞう ぼ さつ
男女が虚空蔵菩薩にお参りします。虚空蔵菩薩は「智恵と
魔除け・厄除けの色とされています。現代では医療技術の発達から寿
王は十と二に分けられ、99 と 12 を足して 111 歳となる
命も延び、還暦ではまだまだ現役世代であり、さりげなく祝い、古稀
ことから、川は 111 と似ていることから、王は分解する
から祝うことが多くなっています。
と一十一となることから呼び名がついたといわれます。
参考文献:「伊奈の年中行事と人の一生」、「冠婚葬祭マナー事典」、
「埼
玉の民俗写真集」、
「長寿(ウィキペディア)
」、
「蓮田市史 - 近世資料
編Ⅰ-」、
「蓮田の年中行事と祭り」