ダウンロード - 障害とアートの相談室

は じ めに
近年、障害 のある 人 の 多様 な 表現 が 各地 で 紹介 されるようになりました。
奈良の障害のある人の表現活動の現状について
社会 で の 関心 や 評価 が 高 まってきていることを 実感 する 機会 も 増 えてい
ます 。しかし 、こうした 表現 について 、美術史的 にこれまでにない 、つまり
奈良県 で は 障 害 者 福祉施 設 や 市民 団体、行 政 など が 主体 と な り 、障害
美術 の“ 外側 ”にある 特別 な 表現 といった 視点 で 語 られることが 少 なくあ
の あ る 人 の ア ート 活 動 を サ ポ ート し 、発 表 の 機 会 を つ く っ て き ま し た 。
りません 。ただ 、こういった 語 り 口 だけでは 、作品を 語 り 切 ることはできな
2 011年度 から は 、奈良県 が 主催 す る「 奈 良 県 障 害 者 芸 術 祭 HAPPY SPOT
いのではないでしょうか 。
NARA」がはじまり、コンセプトに 基 づいた 作品展示 や 商店街 や 寺社 などで
私 たちは「 芸術文化 を 通 して 幸福 で 豊 かな 生活 を 営 むことは 、すべての 人
地域 や 市民 を 巻 き 込 み 表現 をシェア する 機会 をつくっています。定期的 な
の 権利 である 」という 考 えのもと 、さまざまな 活動 に 取 り 組 んできました 。
発表 の 場 ができ 、それを 目標 に 作品制作 をする 人 が 増 えました 。また 、国内
アート と い う も の が「 作 品 」だ け で は な く 、作 者 の 存 在 そ のも の や 行 為 、
外 で 活躍 するアーティストが 福祉施設 などで 共同制作 をしたり 、障害 のある
人間 の 関 わり 合 いのなかにあるものとしてとらえられないか 。またアート
アーティストが 学 校 を 訪 れ 生徒 たちと 交流 したりするなど 、奈良 県全体 で
と い う 切 り 口 で 見 た と き に 、障 害 や 福 祉 に 対 す る 思 い 込 みや 価 値 観 を
福祉 の 枠 を 超えた 文化芸術 による地域活性化 が 起 こっています 。
変 え 、一人 ひとりの 人間 がもっている 豊 かさや 可能性 に 気 づくことができ
2014 年秋、奈良 にて「 障害 とアートの 相談室 」を 開設、この 取り 組 みから、
る のではないかと 考 えています 。
相談窓口 や 研修、発表 の 基盤 が 整 いました 。相談室 が 各地 の 活動 をつ なぐ
アートの 見方 は 自由 です。自由 な 表現 に 対 して 、受 け 止 める 側 ももっと
ネットワークの ハブの 機能 を 担 い 、障害 のある 当事者 や 福 祉施設 で 働 く 職
自由 でよいのではないでしょうか。それぞれが 真摯 に 表現を 楽 しむことが 、
員 や 家族 の 意識 も 変 わりつつあります 。また 美術 や 教育、NPO など の 市民
人間 としての 感性 や 想像力、主体的 に 生 きる力を 育 むことにつながります 。
団体 が 障害 のある 人 たちの 表現活動 に 参画 することにより 、より 開 かれた
そのことが 地域 の 豊 かな 文化 をつくり 、その 豊 かな 社会 がふたたびユニー
状況 が 生 み 出 されています。障害 のある人 の 表現 が 、いまを 生きる 同 時 代
ク な 表 現 者 を 育 て て い く −文 化 の 良 き 循環 を つ く る こ と が 大切 で す 。
の 表 現 として 、奈良 における 芸術 文 化 の 活性化 も 担 っています 。
アートを 見 ていると 、自分 がそれまでもっていた 考 え 方 とは 別 の 感覚 を 見 つ
けることもあります 。そのような 見方 は 、新 しい 自分 を 発見 することにも
つながるのではないでしょうか 。
奈良県
本書 では 奈良県内 の 障害 のある 作家、10 人 の 表現 を 紹介 します 。周囲と
の 関 わりによって 作品 を 制作 している 人、存在 と 表現 が 限 りなく 近 い 人 な
ど 、個性的 な 人 たちが 登場 します 。作品 や 表現 の 多 くは 日々 の 生活 に 流 れ
る 豊 かな 時間 のなかから 生 まれるということが 、創作 の 風景 からも 伝 わる
京都府
奈良県 は 東大寺、法隆寺、平城宮跡 など、特 に 日本
のなかでも最古の歴史的遺産が各地に点在し、国内
兵庫県
三重県
外 からの 観光客 が 多 い 観光都市 として 知 られてい
ます。また 墨 や 筆 などの 伝 統 産 業、ニット、靴下 な
どの 繊維産業 が 盛んなところです。大阪 や 京都 など
大阪府
でしょう 。あたたかさを 感 じるか 、クールな 印象 か、美 醜 を 超 えた 語 り 得 ぬ
周辺都市 のベッドタウンとして 人口 増加地域 があ
奈良県
りますが、地理的 な 条件 から 都市機能 が 北部、中部
に集中し、南部 の山間地域との 格差が大きいのが 特
徴 です。奈良国立博物館 や 奈良県立万葉文化館 な
ものか − 自分 と 地 続 きな“ 何 か ”を 感 じる かもしれません 。あ な た なり
の「 もうひ とつ の 見 方 」で 、お 楽 しみください 。
滋賀県
ど、歴史的 な 視点、古美術 や 文化財 などの 紹介 に 重
和歌山県
きが置かれていますが、近年では市民が主体となっ
て 寺社 などの 観光地 や 商店街 を 舞台 に 社会資源 を
活用 したコミュニティアートプロジェクトを 行 うな
一般財団法人 たんぽぽ の 家
ど、奈良独自 の 芸術文化活動が 発展しています。
表 現 が 生 ま れ る場 と 見 る視 点
岡部太郎、森下静香 [ 一般財団法人たんぽぽの家 ]
障 害 の あ る 人 の 芸 術 文 化 活 動 は、日 本 で は 特 に
しかし 一方 で 、分野 を 横断し 、専門家 と 市民 の 垣根 を
んな意味深き混ぜものが削ぎ 落とされているような
としていたときのほうが何も考えなくてすんだかも
1990 年代 に 入って 大 きな 展覧会 が 開催 され、注目 が
越境 するからこそ、生 まれてくるような 知 や 美 のあり
気がする。
しれない。全く 大丈夫 ではないけれど、今日も 生き
集 まってきました 。もちろん、それまでも 個々の 福祉
方 があるとも 考 えらます。
中川眞,
『 アートの 力 』,和泉書院,2013 年,p.1
ている。薄 明りのなかの 揺れ 動く営 みにも、当事者
施設や作業所、養護学校などで 芸術文化活動 は行われ
いま、障害 のある人の 表 現 が 生 まれる 場 では、一様
てきましたが、美術 として 評価される 作品や 活動はわ
には 括ることのできない 考えや 活動 があり、担 い 手 が
例 えば 、閑 散 と し た 商 店 街 を 会 場 にし て 障 害 の
す。そんな「 おかしみ 」を伝えていきたい
ずかでした。1990 年代以降、美術館 での 障害 のある人
います。美術 で 語られる 背景 とは 別 の、もうひとつの
ある 人 の 関 わる アートプロジェクトを 実施 している
新澤克憲,
「 ハーモニーが『 新・幻聴妄想 かるた 』を 完成。
『 2 匹目 の
の 作品 による 展覧会、2000 年代以降 には 地域 での 障
物語 やありよう、可能性 を 知 ることで、改 めて 作品自
と 、夕食 の におい 漂 う 路 上 で 、ふと 不 安 に 思 うこと
害 のある人 も 参加 するコミュニティアートプロジェク
体を違った 視点 から見直すことができるのではないで
があります 。こ の 作品 はここにあるべきなのだろう
トが 行 われるようになり、いまでは 全国 の 多くの 福祉
しょうか。そこから、これまでとは 異なる 何かを 受 け 取
か 。自分 たちは 一体何 のために 何 をやっているのだ
施設 やアトリエ、個人 の 活動 から、魅力的 な 作品や 活
ることができるかもしれません 。
ろうか 。それぞれの 人 がそれぞれの 理由 で 行 き 交 う
世田谷 でこころの 病 とともに 過 ごす人 たち の 日々
動 が 生 まれています。また、活動 を 行 うことが 障害 の
ここでは、私 たちが 障害 のある人 の 表 現を考え、社
まちかど で 、この 小 さな 表現 に 込 められた 力 と 価値
を 自らの 言葉 と 絵 で 綴 った「 新・幻聴妄想 かるた 」を
ど じ ょ う 』か ?『世 紀 の 大 傑 作 』か ? 」,
『 精 神 看 護 2014 年 7 月号
(通常号 )
( Vol.17 No.4 )』,医学書院,2014 年,p.35
ある 人 の 生 きがいとなり、生活 の 質を 向上 させること
会 に 伝 える 活 動を 行 うに あたり、価値観 の 軸を 示 し
がどれだけ 伝 わるだ ろうか 。そんなとき に 励 まされ
製作した NPO「 ハ ー モ ニ ー 」。代 表 の 新 澤 克 憲 さ ん
につながること、ひいては 社会参加や 仕事 づくりにつ
てくれた 6 つの 文章 を 紹介します。それらの 文章 を 手
るの が、本書 です 。一見、場違 いと 思 われる 状況 にこ
は 、彼 らの 病 そのものではなく 、病 すら 呑 み 込 んでい
ながるということが、認識されつつあります。
がかりにして、障害 のある人の 表現 と 向き合うとき、ま
そ 、アート をもち 込 む 。こ れまで あ っ た 見 方 で は な
く「生活 」に 着目 しました 。
「 彼 らは 24 時間 365 日間、
こ のように 、この 25 年間 ほどで 障害 のある 人 の 芸
た 表現 が 生 まれる場を考えるときに、新たな 思考 や 解
く 、その 状 況 で 起 こる 感 情 に 素 直 に なる 。さまざま
ずっと 患者 でいるわけではなく 、むしろ 生活者 とし
術文化活動 を行 う 環境 は 飛躍的 に 増 え、社会的 に 高
釈 の 仕方、そして 自分たちの 活動 の 行く先 についての
な 人 が 自由 に 価値 づける 。権威 にすがらずオルタナ
て の お も し ろ さ を 伝 え た か っ た 」そ う で す 。障害 の
い 評価 も 生 まれています。しかし、その 障害 のある 人
確認 を 行ってきました。それらの 文章 とともに、私 た
ティブ で あるこ と 。周 縁 が 変 わるこ と で 、中 心 も 変
ある 人 の 表現活動 は 、表現行為 の 結果 としての 作品
の 表現 や 作品 に 接 する 側、見 る 側 の 多くは、もしかし
ち 自身 の 考え方 や 実践 をふりかえり、私 たち 自身 のも
わっていく 。そもそも 中心 という 概念 そのも の がな
が 注目されがちですが 、存在 そのものや 生活 のなか
たら 従来 の 固定的 な 見方、一方的 な 見方 で 見 ている
うひとつの 見方 について 考えていきたいと 思 います。
くな って い く 。オル タ ナ ティブ こ そ が 本 質 であるか
にこそ 、人間 の 存在 の 不思議 さや 本質 というものが
のではないでしょうか。
もしれません 。誰 かの 表現 に 対 して 敬意 をはらいな
的確 に 提示 されることがあります 。福祉施設 や 教育
私 たちは 、これまで 障害 のある人 の 表 現 や 作 品 に
がらも 、創 造 的 に 読 み 違 えたり 、積 極 的 に これまで
現場 な ど 、人 と 向 き 合 い 、人 に 寄 り 添 う 職場 に い る
にない 使 い 方 をしていく 。そんなことがあってもい
と 、ある 瞬間 に 思 いもよらなかった 創造性 が 生 まれ
触 れ 、その 生 まれる 現場 を 訪 れるたび に 、作品 の 背景
には 、障害 のある 人 の 内発的 な 成長 を 促 す 場 の 力 や
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のつらさや人としての 魅力 が 潜んでいると思うので
アートの存在意義
いのです 。それはアートによってそれまで 気 づくこ
る 瞬間 に 出 く わ し ま す 。それら の 多 く は 、か た ち に
関係性 の 豊 かさがあることを 実感 してきました 。ま
私はアートの現代的な存在意義は、アートのために
とさえな かった「 声 なき 声 」を 聴 い た 人 の 特権 で あ
残 ることはなく 、その 場 に 居合 わせた 人 たちの 記憶
た 、作品 が 紹介、展示 され 、美術 として 社会 のなかに
囲い込まれた場所ではなく、アートとは縁のなさそう
り 、そ の 人 なりの やり 方 で 次 の 誰 かへ バトンを 渡 す
のなかにしか 留 まらないことがほとんどです 。かた
出 ていくときに 、その 現場 にある 魅力 や 関係性、豊 か
な場所にこそ見いだされると考えている。そもそも
責任 があるからです 。その 過程 でアート に かけられ
ちとしての 輪郭 や 強度 はなく 、儚 いものかもしれま
さがそぎ 落 とされ 、美 術 という 枠 組 みから 見 ること
アートは社会生活の様々な断面に寄り添い、日本に
た「 意味深 き 混 ぜ 物 」が 多様 であるほど 、豊 かな 文化
せんが 、それらを 留 めることで 、その 場 にいなかった
で 、特別 な 作品 として 語 られることに 疑問をもってき
おいても、ハイアート(高級芸術 )が席巻する以前 の
が 生 まれるのだと 思 います 。
第三者 と も 共有 す る こ と が で き ま す 。そ し て 、私 た
ました 。それは 、福祉 という 制度 のなかで 、障害 のあ
社会では、日々の暮らしのなかに アートは根づいて
ちの 終 わりのない 日常 における 価値転換 が 起 こるの
る 人 たち の 生活 や 権利 が 守られ 保護 される 一方 で 、
いた。しかも、いわゆるアートを発祥させたヨーロッ
どうしてもサービス の 受 け 手 として 受 動的 な 存 在 に
パ においても、アートは美に奉仕するだけではなく、
です 。障害 のある 人 の「 存在 と 生活 のアート 」の 第一
ならざるをえない 構造 と 通じる 部分 があるのではな
日常の雑多な願いや祈り、欲望や救い、果ては呪いな
いでしょうか。もちろん 社会 のなかで 制度は必要 であ
どと密接につながっていた。いまのスマートで小綺麗
時々の症状に一喜一憂しながらも、日々の暮らしは
したりしなかったりするものなのです 。人 がどんな
り 、専門性 があるからこそ、できることがあります 。
な美術館やホールを見ていると、アートに付随するそ
容赦 なく やってきます。むしろ、強い 薬の力で朦朧
状況 にあっても 、たとえその 人 の 存在 がすでに なく
生活と暮らしのなかから生まれる表現
発見者 は 、常 に 一緒 に い る 家族 や 職員 で す 。逆 に 言
えば 、そういった 身近 にいる 人 の 感度 によって 成立
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なってしまったとしても 、生 の「 おかしみ 」を 味 わう
ゆれ、支援する側と支援される側が入れ替わるような
は 、一段高 いスペースでゴロゴロしている 星子 さん
品 となって 出 てくるために 、さまざまな 人 の 関 わり
手段 はいくらでもあるのです 。
反転 の 経験 ……。人 と 人 との 関係 が 濃密 に 表 れるケ
も 接客 していると 考 えられています 。星子 さんとい
が ある 。絵 を 描 く 仲間 や 絵 の 具 や アトリエ を 用意 す
アの 現場 では 、資格 を 取得 しさえすれば 専門家 に な
う 存在 がいて 、星子 さんに 会 いにやってくる 人 がい
る 人、傍 らで 見 守 る 人。絵 の 展 示 に 関 わ る 学芸員 や
れるの ではなく 、専門的知識 や 技術 を 棚上 げできる
るからです 。その 人 がそこに 存在 することが 新 しい
ボランティアがいる 。その 場所 に 見 に 来 る 人 がいて 、
ケア における専門性
ということが 必要 です。人間 の 生 きることを 支 える 、
関 わ り を 生 み 、存在 す る こ と が 仕事 に な る 。既存 の
交流 が 生 まれる 。一人 ひとりが 関 わりをもっている
そして 幸福 をかたちづくっていく 福祉 の 現場、ケアの
はたらき 方 を 揺 さぶるような 、オルタナティブな 関
場所 が 生 まれてくる 。その 場所 を 栗原 さんは 、イヴァ
ケアの専門性は専門性としては特殊である。なぜな
現場 だからこそ、人 として、人 に 関 わるという 当 たり
わり 合 いや 存在 のありようが 障害 のある 人 の 生 きる
ン・イリイチが 呼 んだ「 ホーム 」になぞらえました 。
ら、それは職業を超える職業であらざるをえないか
前 のことを 心 に 留 めておきたいのです 。
場 から 生 まれています 。
このようなホームが 社会 のなか にたくさんできてい
らである。ここで「 聖職 」と言いたいのではない。そ
く こ と こ そ が 、私 た ち が めざ す べ き 社 会 の あ り 方
うではなくて、専門家というあり方にとどまってい
だ と 考 え ま す 。し か し 、必 ず し も ホ ー ム だ け を 肯定
障害は人と人との関わりのなかにある
ホーム
ほうへそのひとの 状況を変えてゆくということが、
そして「 世間 」ということでは、星子が暮らせる条件
イリイチは、もともとカトリックのお坊さんでした。
つまりそのひと自身の問題、その特異性の前で、状況
は、世間が単純にならないこと、思い詰めて一つの
に応じてみずからの専門的知識や技能を棚上げにす
方向へ走り出さないことである。星子は見えない、
たら、その専門性がなりたたないのである。言いかえ
ると、ケアにおいては、相手にとってほんとうに良い
率 化 や 地 球 規 模 で の 情 報 化 がど ん ど ん 進 む 一 方、
右 肩 上 が り に 成 長 だけをめざしていくことはで き
ないいまの 社会 のなかで 、障害 のある 人 とともにつ
ていることを指摘し、それをくい止めようとしたり、
くるホームの 側 から 、市場 に 対 して 提案 できること
ることができるということが、その専門性として要
しゃべらない分だけ、空気に敏感でささくれ立った
医療問題についても、病院が巨大化していくことに
がたくさんあると 思 うのです 。おたがいに 相互依存
求されるのである。
心やおためごかしに身体反応を起こす。星子の居場
よって人間の命を養う場所が市場の方に吸い取られ
できるようなコミュニティのあり 方、子 どもや 障害
鷲田清一,
『 思考 のエシックス ― 反・方法主義論 』,ナカニシヤ 出版,
所には静謐ではない穏やかさ、騒然ではなく雑然、
ている、と批判しました。
のある 人、高齢者、女性 など 多様 な 能力、個性 をもつ
2007 年,p.243
熱気ではなく澱まぬ活気が求められる。
イリイチ が、インド の ガ ン ジ ー の 簡 素 な 小 屋 に
人 の 力 を 生 か す よ う な は た ら き 方、大 量生 産、大 量
最首悟,
「 今 を 生 きるいのちに 寄 り 添 う 」,
『 市民 の 意見 No.146 』,
行ったとき、自分のなかに癒されるものを感じたと
消 費、大量破棄 と は 異 な る も の づ く り の あ り 方。そ
市民 の 意見 30 の 会・東京,2014 年,p.14
いいます。自分が解放されるものを小屋から感じた
して 、いま 全国各地 で 障害 のある 人 のアートを 基点
のです。イリイチは、それを「 ホーム 」と呼びます。イ
としホームが 生 まれ 、地域 において 人 が 豊 かに 生 き
障害 のある 人 のケアの 現場、高齢者 のケアの 現場、
そのようなケアの 現場 で 、いわゆる 専門職 の 人 しか 使
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(中略 )著書のなかで社会全体が学校化しようとし
し 、市場 を 否定 す る つ も り は あ り ま せ ん 。経済 の 効
わないような 言葉 だけで 話 す 人 を 見 ると、違和感 を 感
星 子 さん が 通 い 、はたらく 、横 浜 の 地 域 作 業 所 カ
リイチは基地問題を抱えた沖縄や、公害病患者のい
ることを 助 ける アートの 役割、価値 を 提案 していま
じ る こ と が あ り ま す 。も っ と い つ も の 、自分 た ち が
プ カ プ は 、高齢化 が 進 む 団地 の な か に あ り 、喫茶 や
る水俣にも行っています。人々がつながりを持ち、
す 。そ こ で は 、障害 の あ る 人 は 援助 を 受 け る だ け の
生活 で 使 うような 日常 の 言葉 で 話 したらいいのに 、
創作活動 が で き る アトリエを 運営 し て い ま す 。と き
分断された世界にさわやかな関係を築いていくとい
存在 ではなく 、ア ートを 通 して 社会 を 変 える 役割 を
担 っている のです 。
と 。食事 の 場面 で 使 われる「 摂食 」や「 嚥下 」という 言
には 店先 でバザーを 開 くこともあり 、そのコミュニ
うところに、ホームを見出していきます。
葉。生活 の 状況 を 聞 き 取 りまとめていくことを 表 す
ティになくてはならない 場所 です 。所長 である 鈴木
栗原彬,
「 市民社会 とアート 」,
『 アートは 社会 の 未来 への 投資 ― ト
「 アセスメント 」という 言葉。生活 に 根 ざした 言葉 と
励滋 さんは 、障害 を「 差異 があることよりも 、差異 が
は 異 なる「 福祉用語 」です 。時間 や 量 ではかられ 提供
あることで 差 し 障 りがあったり 被害 を 受 けたりする
ヨタ・エイブルアート・フォーラム 総合 セッション 講演録 』,トヨ
タ 自動車株式会社/ エイブル・アート・ジャパン ,2003 年,p.62
鑑賞
される 公的 な 福祉 サービスが 制度 で 保障 されること
こ と 」と 言 い ま す 。障害 は 個人 に 付随 す る も の で は
で 、生活 が 安定 できることは 望 ましい 。けれども 、人
な く 、関係 に あ る 。だ か ら 障害者 と い う 人 が い る の
1996 年 から 7 年 間 に わた り、全 国 34 都 市 63 回 に
言葉が視覚にとってかわるなどと言いたいのではあ
が 人 として 生 きていくことを 支 えるためには 、どれ
で は な く 、誰 も が 当事者 で あ る と 。喫茶 で あ る カ プ
わ たって 開催 されたトヨタ・エイブルアート・フォー
りません。主観であることを素直に受け入れ、ありの
だけ 制度 が 充実 しても 、必 ず 制度 から 漏 れ 落 ちるも
カプには 、いろいろな 人 が 訪 れ 、はたらき 方 にとらわ
ラム の 、総 括 のトークセッションで の 栗 原彬 さん の
ままに感じたことを言葉にするだけです。たった一人
のもある。人と人が対するなかで生まれる葛藤や心の
れ な い 、さまざまな 接 客 が 行 わ れ て い ま す 。そ こ で
言葉 です 。障害 のある 人 の 表現 がかたちをとって 作
で絵と向き合う場合とは、また違った出会いになる
7
と思います。もちろん徹底した主観的な感覚表現を
そこで 発見 されてきたことは 、視覚 に 障害 のある 人
頼りにしますので、異なるパートナーと言葉を交わ
も 美術 を 鑑賞 し 楽 し む こ と が で き る と い う こ と で
せば、同一の美術作品であってもまた違った印象を
す 。さらには 、目 の 見 えない 人 に 言葉 で 伝 えようとす
受けると思います。しかし、それもコミュニケーショ
るときに 、見 える 人 もまたこれまでとは 違 った 見方
ンの本質です。たった一度、言葉を交わしただけで
で 美術 を 鑑賞 し 、違 った 方法 で 楽 しむことができる
その美術作品のすべてを感じることなどとてもでき
ということ 。誰 かと 見 ることで 新 しいコミュニケー
ません。百者百様の感じ方が存在し、それは百通りの
ションが 生 まれること 、さらには 美術館 という 空間
真実なのです。百人の言葉が百通りの美術作品を見
が「 なんとなく 高尚 な 場 で 静 かに 過 ごさなければな
せてくれると思います。
らない 」といった 偏見 ではなく 、誰 もが 楽 しんでいい
塩瀬隆之,
「 五感 を 総動員 してありのままに 」,
『 百聞 は 一見をし の
パブリック な 空 間 で あ る こ と な ど 、そ の 活動 は た く
ぐ !? − 視覚 に 障害 の あ る 人 と の 言葉 による 美術鑑賞 ハンドブッ
さ ん の 可能性 を 示 し ま し た 。私 たち は 障 害 に も 、美
ク 』,エイブル・アート・ジャパン ,2005 年,p.44
術 にも 思 い 込 みや 偏見 をもっているかもしれません。
し か し 、出会 っ て み る と 、い と も 簡単 に 自分 の な か
今夜僕 は 散歩 にでかける
に 自分 が 線 をひいて 世界 を 狭 くしてしまっているこ
星 は 見 えているだろうか
とに 気 づくことがあります 。人 が 表現 することは 自
そう 思 うだけで 心 があたたかくなる
由 なことで 、それを 受 け 取 る 方 も 自由 に 受 け 取 って
いい 。誰 かと 見 る 美 術 鑑 賞 はそのことを 教 えてくれ
山梨県立科学館 で 長 く 学芸員 として 携 わり 、星 や
EVERYDAY
WOR K I NG
EN V I R ONMEN T
PHOTO: HIDEAKI HAMADA
る 、ひとつの 方法 ではないでしょうか 。
宇宙 の 魅力 を さ ま ざ ま な か た ち で 伝 えてき た 高橋
真理子 さんに 教 えてもらった 詩 です 。この 科学館 の
ここで 紹介 した 文章 は 、作品 を 見 ることとは 一見
プラ ネタリウ ムを 拠 点 に 活動 す る「 星 の 語 り 部 」と
関係 の な い よ う に 思 え る も の も あ る か も し れ ま せ
いうボランティア グループの な か に は 、多 く の 目 の
ん 。しかし 、見 ることは 見 ることに 留 まらず 、表現 す
見 えない 人 や 見 えにくい 人 が 参加 しており 、そのな
ることであり 、自 ら 主体的 に 関 わっていくことであ
か の 1人 の 全盲 の 方 が 書 い た も の で す 。私 が 普段見
ると 思 います 。だからこそ 、作品 の 前 に 立 つとき 、多
えていると 思 い 込 んでいるけれども 見 えていないも
様 な 見方 で 、また 自分 の 言葉 で 語 っていいのです 。見
のがたくさんあること 、視覚的 には 見 えていないか
ることは 受 け 身 の 行為 でも 、ある 一定 の 愛好家 や 専
も し れ な い が 、そ の 人 は も っ と 深 く 星 を 感 じ 、心 か
門 家 のものでもありません 。そして 見方 や 感 じ 方 が
ら 楽 しん で い る こ と に 、胸 が 熱 く な り ま し た 。そ し
人間関係 や 場 を つくり 、文化 をつくっていくことに
て 、自分 のなかにある 世界 が 広 がったら 私 にももっ
つな が り ま す 。
「 も う ひ と つ 」で あ る こ と は 、主流 だ
と 見 えるものがあるかもしれないと 思 えました 。
けではないいくつもの 道 を 示 すことであり 、オルタ
「 視覚 に 障害 の あ る 人 と の 言葉 に よ る 美術鑑賞 」
ナティブであることであり 、固定 された 見方 をずら
は 、市民 グループ に よ る 自主的 な 活動 と し て 、ま た
すことであり 、そこから 新 しい 価値 が 生 まれてくる
美術館 の 教育普及活動 の 一環 として 取 り 組 まれ 、特
のです 。あらためて 、自分 なりの 、もうひとつの 見方
に 2000 年代 に 入 ってから 各地 で 広 がってきました 。
で 見 てみませんか 。
撮 影 協 力:社 会 福 祉 法 人 青 葉 仁 会 あ お は に の 家 / 社 会 福 祉 法 人 在 友 会 フ レ ン ズ
ま き ば あ ぐ り アトリ エ 創 佳 舎 / 社 会 福 祉 法 人 わた ぼ うし の 会 た ん ぽ ぽ の 家 アート
センター HAN A
8
古谷秀男
28 | H I D E O F U R U T A N I
34 | K O J I Y A M A Z A K I
山﨑康史
山野将志
38 | M A S A S H I Y A M A N O
44 | J U R I I T O
48 | Y U F U J I T A
伊藤 樹里
藤田雄
52 | D A I S U K E W A K A S U G I
56 | R E I K O S A W A I
若杦大 介
澤井玲衣子
60 | M A Y U M I N A K A M U R A
中村真由美
66 | C H I E K O T A K A D A
髙田千惠子
70 | A T S U K O T A K E D A
武田佳子
の 順 を 基 本 として 記載 し て い ま す 。
※作品 は 、タイトル 、制作年、素材、サイズ( 縦×横 )
HIDEO
F U R U TA N I
古谷秀男
1941年生まれ。社会福祉法人大和会 大和高原太陽 の 家
に 所属。2005年頃 から 開拓移民 として 33 年過 ごしたブ
ラジルの 記憶 を 描 く 。ブラジルの 風景、農場 での 生活、ま
た 空想 の 世界を 表現 する 。職員 がたまたま 持っていたキ
ラキラしたラメ 入 りのペンを 使用し 、仕事 のあいまに 楽
しみながら 描 いている 。人 を 喜 ばせるのが 好 きで、昼下
がりに はハーモニカ 、夕方 には 口笛 で 鳥 の 鳴 きまねをし
て 、時折、本物 のホトトギスやカラスが 鳴 き 返 すという 。
[ 主な出展歴・受賞歴 ]
2008 年 エイブル・アート 近畿 2008 ひと・アート・まち奈良「GOOD JOB!!『働くこ
( 奈良県文化会館/奈良 )
と、遊ぶこと、生きること 』
」
( 芦屋市立美術博物館/兵庫 )
2011 年 「 アートピクニック − 美術 をたのしむ 」
2014 年 「奈良県障害者芸術祭 HAPPY SPOT NAR A 2013 - 2014『 HAPPY SPOT
(奈良県文化会館/奈良 )
TOUR ! 』」
上:タイトルなし/ 2007 年
ペン、紙
265 × 373mm
28
HIDEO
F U R U TA NI
下:タイトルなし/制作年不明
ペン、紙
274 × 382mm
29
タイトル なし/制作年不明
ペン、紙
279 × 396mm
30
HIDEO
F U R U TA NI
31
ペン、紙
上:タイトル なし/ 2006 年
ペン、紙
268 × 379mm
267 × 380mm
タイトル なし/ 2007 年
32
HIDEO
F U R U TA NI
下:タイトル なし/制作年不明
ペン、紙
272 × 379mm
33
K O JI
YA M A Z A K I
山﨑康史
1981年生まれ。小学 6 年生 の 頃 より 自宅 で 絵画 に 打ち 込
み はじ め る。油 彩 や 水 彩 で 、画 面 全 体 を 極 細 の 筆 で 何
度 も 塗 り重 ねるオリジナルの画風で描く。モチーフは、身
近な素材 で 季節 の 果物 や 家 の 庭 などがあり、また 自然 を
テーマに 動物 や 植物 も 数多 く 描 いている。1998年 より、
数々 のコンクールで 賞を 取 り、高 い 評価 を 受 けるように
なった。膨大 な 時間 と 手間 をかけた 作品 は、宝物 として
大切 に 扱 っている。
[ 主な出展歴・受賞歴 ]
1998 年 第 11 回上野 の 森美術館「日本の自然を 描く展 」 入選
2000 年 一 枚の繪「第 16 回全国日曜画家コンクール 」 銅賞
2003 年 第 16 回上野 の 森美術館「日本の自然を描く展 」 フジテレビ賞
2010 年 「山﨑康史・個展 」
(たんぽぽの家 アートセンター HANA ギャラリー/奈良 )
《 童夢 》/ 2006 年
油彩、キャンバス
409 × 530mm
34
KO JI
YA M A Z A K I
35
《 果実 》/ 1998 年
水彩、紙
370 × 260mm
36
KOJI
上:
《 チューリップ 》/ 1999 年
水彩、紙
270 × 370mm
YA M A Z A K I
下:
《 庭 》/ 2000 年
水彩、紙
265 × 370mm
37
MASASHI
YA M A N O
山野 将志
1977年生 まれ。社会福祉法人 わたぼうしの 会 たんぽぽの
家 アートセンター HANA に 所属。植物 や 動物・昆虫などの
生命 と 対話 するように 描 く。森 や 空 などの 自然 も 全身 で
感じ取り、力強い線と豊かな色彩を重ねていく。お出かけ
すること、人とおしゃべりすること、
ご飯を食べに行くこと
……、すべてが自分を表現する大切なものとしてつながっ
ている。2006 年 には、オーストラリアに 1ヵ月ほど 滞在 し、
アーティストとして飛躍のときを体験した。
[ 主 な 出 展 歴・受 賞 歴 ]
2001 年 「 かんでんコラボ・アート 21 」 最優秀賞
2006 年 「Verge2006 」
( Brisbane Outsider Art Studio /オーストラリア )
2011 年 「 ヨリコレミドリ 山野 将志展 」
( 髙島屋大阪店・ギャラリー NEXT /大阪 )
《 海 にうかぶ 島 》/ 2009 年
アクリル、紙、パネル
1167 × 910mm
38
MASASHI
YA M A N O
39
《 ジャングルのなか の 碧 い 滝 》/ 2009 年
アクリル、紙、パネル
910 × 1167mm
40
MASASHI
YA M A N O
41
《 バグダッドステーション 》/ 2010 年
アクリル 、紙、パネル
728 × 728 mm
42
MASASHI
《 楽園 の 海 バハカリフォルニア 》/ 2010 年
アクリル 、紙、パネル
653 × 805mm
YA M A N O
43
JURI
ITO
伊藤樹里
1977 年生 まれ。社会 福祉法人 わたぼうしの 会 たんぽぽ
の 家 アートセンタ ー HANA に 所 属。1 日4 回 の ラジ オ 体
操、紅茶 づくり、
「 ニュース 」書 き、薬 のカラや 鉛筆 の 削 り
カス 集 め 、ラジオ 深夜便 を 聞 くこと ……。好 きなこと・
や り た い こ と が 彼女 の 仕事、
「 JURIX WORKS 」で ある。
毎日 の 気 に な る 出来事 や 覚 え た 自慢 の 漢字 を 、と め ど
なくしゃべりながら 書 く。大好きなラジオにまつわるパ
フォーマンスも 各地 で 上演している 。
[ 主な出展歴・受賞歴 ]
2009 年 「Art Link Japan 」
(クリエイティブ・クレイ・ギャラリー/アメリカ )
2011 年 「 アートピクニック − 美術をたのしむ 」
( 芦屋市立美術博物館 /兵庫 )
「SUPERPOSITIVE スーパーポジティブ : 世界 への 愛着 」
(日図 デザイン博
物館/京都 )
2012 年 「 違 って 独特 」
(京畿近代美術館/韓国 )
《JURIX ラジオ 》/ 2012 年
鳥 の 演劇祭 5「 カタルシス 」にて上演
30min
44
JURI
ITO
45
JURIX WORKS
46
JURI
ITO
47
YU
F U JI TA
藤田雄
1971 年生 まれ 。社会福祉法人青葉仁会 に 所属。制作 は
彼 が 安定 するための 方法 でもあり、描くことを 生活 から
切 り 離 すことはできない 。散歩 の 途中 で 手持 ちの 紙 に
描 いたり、パ ジ ャマ に 着替 え な が ら ペ ン を 走 らせた り
と、常 にたくさんの 紙 とペンをもち 歩 いている。好 きな
言葉 や 数字 を 描 き、それをもとにして 言葉 あそびを 楽 し
み、また 描 きだす。そんな 日常 からたくさんの 作品 が 生み
出されている。
[ 主な出展歴・受賞歴 ]
2011 年 「 ポコラート全国公募 」 入選
2014 年 「奈良県障害者芸術祭 HAPPY SPOT NARA 2013 - 2014『HAPPY SPOT
TOUR! 』」
( 奈良県文化会館/奈良 )
「 ポコラート 宣言 2014 」
( 3331 Arts Chiyoda /東京 )
「 ART BRUT JAPAN SCHWEIZ」
(ラガーハウスミュージアム/スイス )
上:
《 タクシー 》/ 2009 -2013年
折り 紙、ボールペン、画用紙
380 × 540mm
48
YU
F U JI TA
下:
《 ヘリコプター 》/ 2009 -2013年
折り紙、ボールペン、画用紙
380 × 540mm
49
上:
《29 のあひるとマンドリル 》/ 2005 年頃
ボールペン、クレヨン、画用紙
下:
《669 のうさぎとぱんだちゃん 》/ 2005 年頃
ボールペン、クレヨン、画用紙
上:
《688 のうさぎとぱんだちゃん 》/ 2005年頃
ボールペン、クレヨン、画用紙
下:
《536 のぱんだちゃんとうさぎ 》/ 2005 年頃
ボールペン、クレヨン、画用紙
381 × 540mm
379 × 538mm
381 × 540mm
380 × 539mm
50
YU
F U JI TA
51
DAISUKE
WAK ASUGI
若杦大介
1980 年生まれ。社会福祉法人青葉仁会に 所属。画集 や 絵
本・図鑑 からモチーフを 選 び、模写 をする。大胆 な 構図 で
モチーフを 描 き 出 したり、モザイクのように 細 かく構成
したりと 独特 の 表現 で 描き 出 す。とてもきれい 好 きな 彼
は、エプロンを 着 け、ゴム 手袋 をはめてパステルを 握 る 。
絵画制作 とは 別 に、日常 のなかでメモ 紙 に 好 きな 言葉 を
絵 と 同 じく 四角 く 整 えられた 字体 で 書 くことにも 夢中
で 取 り 組 んでいる。
[ 主な出展歴・受賞歴 ]
2012 年 「 アートピクニック vol.2 呼吸する美術 」
(芦屋市立美術博物館/兵庫 )
2012 年 「 ビッグ・アイ アートプロジェクト 」 入選
2014 年 「奈良 県 障 害 者 芸 術 祭 HAPPY SPOT NARA 2013 - 2014『 HAPPY SPOT
TOUR ! 』」
(奈良県文化会館/奈良 )
2014 年 「韓・中・日障害者美術交流展 」
(ソウル 市弘 益大学現代美術館/韓国 )
上:
《 カメ 》/ 2013 年
墨、パステル、画用紙
379 × 538mm
52
DAISUKE
WAKASUGI
下:
《 パイナップル 》/ 2014 年
墨、パステル、画用紙
379 × 538mm
53
《 いぬ 》/ 2013 年
墨、パステル、画用紙
《 無題 》/制作年不明
ボールペン 、紙
379 × 539mm
54
DAISUKE
150 × 210mm
WAKASUGI
55
REIKO
SAWAI
澤井玲衣子
1977 年生まれ。社会福祉法人わたぼうしの会たんぽぽの
家 アートセンター HANA に所属。もの静かな佇まいだが、
実 は 好奇心旺盛 な 行動派。買 い 物、掃除 に 洗濯、料理 に
お 稽古 ごとと、プライベートにはいつも 予定 が 入ってお
り、その 充実感 からか、話 しだすと 止 まらないこともあ
る。こうと 決 めたら 揺 るがない 芯 の 強 さをもっていて、
日常 のシーンを 題材 に 描 かれる 画面 には、ためらいのな
い線や色が、静かに強く走る。
[ 主な出展歴・受賞歴 ]
1999 年 「 このアートで元気になる エイブルアート ’
99 」
( 東京都美術館/東京 )
2003 年 「 かんでんコラボ・アート 21 」 最優秀賞
2011 年 「 アートピクニック − 美術をたのしむ 」
( 芦屋市立美術博物館/兵庫 )
《La Tour Eiffel 》/ 2006 年
コンテパステル、透明水彩、紙、パネル
1455 × 890mm
56
REIKO
SAWAI
57
《 すいれんと 池 》/ 2008 年
コンテパステル、透明水彩、紙、パネル
910 × 910mm
58
REIKO
《Le Musée du Louvre( ルーブル美術館 )》/ 2005 年
カレコンテ、コンテパステル、透明水彩、紙、パステル
1455 × 890mm
SAWAI
59
M AY U M I
N AK A M URA
中村真由美
1985年生まれ。社会福祉法人わたぼうしの 会 たんぽぽの
家アートセンター HANA に所属。自分の目でとらえたもの
を 強 い 筆跡 で 描 ききる。何事 にも 素直 でまっすぐに 邁進
する 姿 が、画面 からもよくわかる。幼 いころから 描 きつ
づけ 愛着 をもつ 動物 や 人物 のイラストは、油彩 の 作者と
は別人のようだ。2004 年より、
たんぽぽの家で過ごすなか
で、考 えや 想 いを 独自 の 表情 や 口 まねで 表現 するように
なった。その記憶は日々の日記に書きつづられている。
[ 主な出展歴・受賞歴 ]
2006 年 大阪府立母子総合医療センターへのパブリックコレクション(大阪 )
2007 年 「Art Link Japan 」
( フロリダ・クラフトマンギャラリー/アメリカ )
2012 年 「違 って 独特 」
(京畿近代美術館/韓国 )
《 プーマ 》/ 2013 年
油彩、キャンバス
606 × 500mm
60
M AY U M I
NAKAMURA
61
《 マゼランペンギン 》/ 2011 年
油彩、キャンバス
530 × 530mm
62
M AY U M I
NAKAMURA
63
動物シリーズ/ 制作年不明
色えんぴつ、ペン、紙
人物シリーズ/制作年不明
色えんぴつ、ペン、紙
58 × 94mm
58 × 94mm
64
M AY U M I
NAKAMURA
65
C HIEKO
TAK AD A
髙田千惠子
1960 年生 まれ 。社会福祉法人在友会 フレンズ まきばあ
ぐり アトリエ 創佳舎 に 所属。2012 年より、フレンズ まき
ばで 生活 をはじめる 以前 は、施設 のことも、世間 のこと
も 知らないことだらけだった。新 たな 環境 の 変化 のなか
で、絵を描く 楽しさに 気 づく。初出品 したコンクール「 か
んでんコラボ・アート 21 」では、審査員特別賞を受賞、独
特 の 文字 と 色彩感覚 で 周囲 を 驚 かせた。気 が 向 いたとき
だけ 描 く、
という独自のペースで制作する表現者である。
[ 主な出展歴・受賞歴 ]
2011 年 「 かんでんコラボ・アート 21」 審査員特別賞
2012 年 「 コラボ・アート 21 」 最優秀賞
2013 年 個展「髙田千惠子展 」
( 天野画廊/大阪 )
2014 年 「韓・中・日障害者美術交流展 」
(ソウル市弘益大学現代美術館/韓国 )
《 冥夢百鬼夜行図 シリーズ 》/ 2014 年
ボールペン、水性 マーカー、カードボード
415 × 272mm
66
CHIEKO
TA K A D A
67
68
CHIEKO
TA K A D A
上:
《 冥夢百鬼夜行図 シリーズ 》/ 2014年
水性マーカー、クレヨン、カードボード
下:
《 冥夢百鬼夜行図シリーズ 》/ 2014 年
クレヨン、カードボード
194 × 430mm
278 × 396mm
69
AT S U K O
TA K E D A
武田佳子
1957年生まれ。社会福祉法人 わたぼうしの 会たんぽぽの
家 アートセンター HANA に 所属。猫 を中心 とした 動物 を
愛し 描 いてきたが、浮世絵 と 出会 い、人間 に 惹 かれはじ
める 。油彩 やパステルなどさまざまな 手法 に 挑戦 し 、墨
の 表現 に 辿 りついた 。瞬発的 に 生 まれる 力強 い 線 は 、息
のあうパートナー の サポートがあってこそ。命あるものを
描き 、自分 の 存在と重 ねあわせることで 、どう 生 きたい
かを 自らに 問 いつづけている 。
[ 主な出展歴・受賞歴 ]
2006 年 「Verge 2006 展 」
( Brisbane Outsider Art Studio/オーストラリア )
2007 年 「Art Link Japan 」
( フロリダ・クラフトマンギャラリー/アメリカ )
2013 年 「小松和子・武田佳子二人展『花は咲きたい 』」
( 髙島屋大阪店・ギャラリー
NEXT /大阪 )
《 ぼくは、ねこだ 》/ 2001年
コンテパステル、紙
380×270mm
70
AT S U KO
TA K E D A
71
《 いのちⅡ 》/ 2004年
顔彩、墨、和紙
2000×830mm
《 女は 愛嬌 》/ 2004年
顔彩、墨、和紙
1400×590mm
72
AT S U KO
TA K E D A
73
《 チャーミングなおおかみくん 》/制作年不明
顔彩、墨、和紙
844 ×597mm
74
AT S U KO
TA K E D A
《 涙 》/ 2006 年
顔彩、墨、和紙
785× 545mm
75
収録作品の魅力と背景について
宮下忠也 [ アートディレクター ]
障害 のある 人 たちの 作品 は 、私 たちを 惹 きつけ
できません 。では 、この 10 名 の 作品 をどのように
いる 姿 を 人 に 見 せません 。言葉 でのコミュニケーション
伊藤 樹里 → p. 44
ます 。一度見 たら 忘 れられないほど 強烈 なインパ
読 み 解 く こ と が で き る で し ょ う か 。そ の 魅 力 と
を 回避 する 彼 にとって 、自分 を 表現 できる 創作 の 時間
伊藤 は、薬 の 殻 や 鉛筆 の 削 りカスなど、自身 の 生活 と
クト の あ る も の 、色 彩 の バ ラ ンス が 絶 妙 な も の 、
背景 について 、これから 簡潔 に 紹介 していきたい
と 空間 は 絶対不可侵領域 であり 、一緒 に 暮 らしている
密接 に 関 わ る「 大切 な も の 」を 集 め 続 け て い ま す 。薬
荒々し いタッチが 印象的 なものや 思 わず 笑 ってし
と 思 います。
両親 でさえ 、彼 が 絵 を 描 いているところを 一度 も 見 た
の 殻 は 、ただのゴミと 思 って 見 ていると 無味無臭 の 、ど
ことがないほどです 。
ちらかというと 冷 たさを 感 じさせるモノに 過 ぎません。
まう ほ ど ユ ニ ー ク な も の 、人 間 の 本 質 を 鋭 く 突
い た も の も あ り ま す 。そ ん な 興味深 い 作品 が 、福
祉 の 現場 からたくさん 生 まれてきているのです 。
し か し 、こ の ち っ ぽ け な 物質 は 、種類 に よ っ て さまざ
まに 異 なる 色 や 形 をもち、半透明 のプラスチックとアル
れて い る こ と で す 。こ の 技法 は 、動物 の 体毛 や 草原 を
ミ 箔 という 材質 のためキラキラと 乱反射 します 。いく
で は 、障害 の あ る 人 た ち の 多 く が 、頭抜 け た 美
表現 する 際 に 用 いられる の はもちろんのこと 、それと
つ か ま と め て 手 に も っ た な ら ば 、カシャ カシャと 小気
術 の 才 の 持 ち 主 な の で し ょ う か 。私 は い く つ も
古谷 秀男 → p.28
は 異 な る は ず の 空 や の っ ぺ り と し た 壁面 に も 使 わ れ
味 よい 乾 いた 音 が 鳴 ります 。
どこか 懐 かしさを 感 じさせる 異国情緒漂 う 景色 のな
ます 。つるっとした 質感 よりもふわっとした 肌触 りへ
このように 、薬 の 殻 をよく 観察 してみるとモノとし
の 福 祉 施 設 や 個 人 を 訪 問 す る な か で 、そ う で は
な く 、彼 ら 彼 女 ら の 属 す る 環 境 が 創 造 性 に 富 ん
かで 、人間 や 動物 たちが 仲良 く 共生 している 姿。それが
の 嗜好性 から 発展 した 描画法 なのでしょうが 、この 触
て の 魅力 が あ り ま す 。し か し そ れ で 、薬 の 殻 が 大切 な
でいるから 、おもしろい 作品 が 数多 く 生 まれてく
キラキラ 輝 くピンクやラベンダー、ターコイズブルーと
感 を 生 み 出 すために 、彼 は 膨大 な 時間 と 手間 をかけま
ものに 変 わるわけではありません 。この 殻 がゴミでは
るの だ と 感 じ て い ま す 。
いった 美 しい 色調 と 、シンメトリックな 構図 で 丁寧 に 描
す 。そ う し て 描 き あ げ ら れ た 作品 は 、彼 と 家族 の 一番
なく 宝物 たる 所以 は 、薬 の 殻 を 収集 するという 行為 に
か れ て い ま す 。画中 の 人物 や 動物 た ち は 多 く の 場合、
の 宝物 です 。
込 め ら れ た 想 い に あ り ま す 。伊藤 は 、さ ま ざ ま な 薬 を
障害 のある 人 たちには 多様性 があります 。一口
に 障 害 と 言 っ て も 、そ の 種 類 や 程 度 は 千 差 万 別
で 、たとえ 同 じ 障害 であっても 現 れ 方 には 大 きな
服用 している 友人 や 家族 たちの 姿 を 想 いながら 、その
男 と 女 が 対 に な る よ う に 配置 さ れ て お り 、ま た 、花 を
人 た ち と の 友情 の 代替物 と し て 薬 の 殻 を 集 め て い る
贈 り 合 う カップル の 姿 が 繰 り 返 し 登 場 す る こ と か ら
も 、作品 のテーマが「 恋愛 」もしくは「 家族 にまつわる
山野 将志 → p. 38
ようなのです 。
物語 」であると 推察 できます 。
大胆 な 筆致、カラフルな 色彩、細部 を 省略 した 簡潔 な
本来 はすぐに 捨 てられてしまうはずの 小 さなモノが
古谷 はかつて、開拓移民 としてブラジルで 農場 の 仕事
表現。まるで 晴 れ た 日 の 青空 を 思 わせ る 、自由 で 伸 び
集積 し 、巨大 な 塊 に な る 。そ の 非日常的 な 光景 を 目 の
当 た り に し た と き 、私 た ち は 圧倒 さ れ ま す 。そ れ は 彼
は 、互 い の 違 い を 認 め 受 け 入 れ る こ と が で き る
に従事していました。その後、
33 年間過ごしたブラジルを
やかな 作風 です 。動物 や 昆虫、植物 を 見 ること 、そして
離 れ 日本 へと 帰国。しばらく 各地 を 転々 としながら、奈
それらに 触 れることが 大好 きな 山野 は 、その 好 きなもの
女 が 収集 するために 費 やした 膨大 な「 時間 」とそこに
の か ど う か が 、生活 の 質 に 大 き く 影響 し ま す 。そ
良の「太陽の家」へと辿り着きました。そして 8 年が経過
たちを 大 きなキャンバスに 、好 きな 色 を 使 って 描 きま
込 め ら れ た「 想 い 」の 強 さ を 、
「 質量 」と し て 見 て い る
れ は 障 害 の あ る 人、福 祉 施 設 職 員 の 双 方 に と っ
したある日、古谷 はおもむろに絵 を 描 き 始 めたのです 。
す 。だからその 楽 しさが 画面 から 元気 に 飛 び 出 してき
からに 他 なりません 。
て 非常 に クリエイティブな 実践 で あ り 、そ の 努力
豊 かな 自然 とゆったりとした 時間 のなかで 交 わされ
て 、見 ている 私 たちを 楽 しく 晴 れやかな 気持 ちにさせ
が 行 わ れ て い る 場所 に 独創的 な 作品 が 生 ま れ る
る 愛 の 詩。それは 、若 き 日々 を 過 ごしたブラジルへの 郷
てくれるのです 。
の で す。
愁 の 念 なのか 、その 地 で 築 いていたという 家族 の 思 い
山野 の 作品 を 時系列 に 並 べて 見 ると 、初期 の 作品 は
藤田 雄 → p. 48
個人差 が あ り ま す 。福祉 の 現場 で は 、そ の よ う な
個 の 多 様 性、つ ま り 個 性 が 強 く 認 識 さ れ る 状 況
下 で 人 と 人 が 密接 に 関 わり 合 っています 。そこで
本書 で 取 り 上 げるのも 、多様 な 価値観 のもとで
モチーフの 形状 がはっきりと 見 て 取 れるほど 具象的 に
藤田 には 、何 でも 自分 のものにしてしまう 力 があり
描 かれているのに 対 し 、近作 は 一見何 が 描 かれている
ま す 。彼 の 手 に か か る と 、誰 が 描 い て も 似 た り よ っ た
のかわからないほど 抽象的 になってきていることがわ
り の は ず の ウルトラマン やドラえもん で さえ 、それ と
山﨑 康史 → p.34
か り ま す 。枚数 を 重 ね る な か で 表現 の 簡略化 が 進 み 、
判別 でき る に も 関 わ ら ず 藤 田 独 自 の キャラクター に
自転車 が 1 台 ポツン と 置 か れ た 庭、道端 に 停 められ
抽象度 が 高くなっているのです 。より 具象的 な 以前 の
生 ま れ 変 わ り ま す 。そし てそ の 能力 をフル に 生 かし、
出 なのでしょうか 。
生 み 出 された 極 めて 独創性 の 高 い 作品 たちです 。
なかには他者との関わりが重要な構成要素と
な っ て い る 作品 や 美術史 か ら 多 く を 学 び 制作 さ
れ た 作 品 も あ り 、障 害 の あ る 人 た ち の 作 品 に 用
76
そ ん な 山 﨑 の 作 品 の 技 巧 的 な 特 徴 は 、画 面 全 体 が
草 や 毛 のような 繊細 なタッチでび っしりと 覆 い 尽 くさ
ている 建設機械。どちらも 人 の 営 みを 感 じさせる 風景
作品 と 、抽象的 な 色合 い の 濃 い 近年 の 作品。そ の ど ち
動物 と 数字 を 掛 け 合 わ せ た 独 特 の スタイル を 生 み 出
い ら れ て き た「 沈 黙 」、
「 秘 密 」、
「 孤 独 」、そ し て
で す が 、そ こ に 人 の 姿 は あ り ま せ ん 。こ の 絵 の 作者 の
らも 、山野 らしい 魅力的 な 作品 です 。
し ま し た 。そ れは 見 たらすぐに 誰 が 描 いたのかがわか
「 独 学 」と い っ た キーワード だ け で は 語 る こ と が
山﨑 は 、普段会話 を 交 わしません 。そして 、絵 を 描 いて
る 、独 創 的 な 作品 です 。
77
絵 の 余白 に はしばしば 文字 が 書 き 込 ま れ て い ま す
楽 に 関 しては 、自身 でピアノを 演奏 するほど 親 しんで
背景 には 、日本語 とは 少 し 違 うけれど 所々解 読可 能 な
され 模写 を 繰 り 返 すうちに 人間 への 関心 を 深 め 、オリ
が 、そのチョイスがまた 絶妙 です 。特 に 好 んでいるのが
おり 、そのことがリズミカルな 画面 構成 に 表 れていま
文字群 が 書 かれています 。そしてそんな 作品 に 、
《 冥夢
ジナルの 作品 にまで 発展 させていったのです 。強 い 眼
「 実験室 」と「 婦人科 医 院 」。ど こ と な く 刺激的 な こ の
す 。風景 も 、実際 に 訪 れ た 場所 を 思 い 出 し な が ら 描 く
百鬼夜行図 》という 障害 のある 人 のアートとしてはあ
差 しでこちらを 見据 える 女性 たちは 、身体障害 をもち
言葉 を 、隷書体 の よ う な 特徴 の あ る 独自 の フォント で
ことが 多 く 、その 場特有 の 空気感 といったものが 感覚
まり 見 ない 種類 のタイトル がつけられています 。
ながら 生 きることと 真摯 に 向 き 合 う 武田 の 姿 に 重 なり
繰 り 返 し 書 き 込 ん で い ま す 。で も よ く 読 ん で み る と 、
的 に 表現 されているかのように 感 じられます 。
髙田 の 創作活動 には 、施設職員 である 小野寺 の 存在
ます 。
「 じっけんしっ 」や「 じゃっけんしっ 」といったように
白 い 画面 に 色鉛筆 や 水彩絵 の 具、墨 の 濃淡 で 描 かれ
が 欠 か せ ま せ ん 。彼女 の 作品 の ユ ニーク さ を 評価 し 、
生 きることは 変 わることです 。彼女 は 2014 年 の 高島
あちこち 微妙 におかしなことに 気 づくでしょう 。藤田
る 澤井 の 作品 は 、とても 繊細 で 儚 さを 感 じさせると 同
制作 スペース の 確保 や 画材 の 提供、作品 の 発表 な ど 、
屋 大 阪 店 ギャラリ ー NE XT で の 展覧 会 に 際 し て 、次 の
自身 が 言葉遊 び の 好 きな ユ ー モ ア に 富 ん だ 人物 で あ
時 に 、しなやかさ 、芯 の 強 さがあります 。
活動全般 をサポートしています 。作品 にタイトルをつけ
ような 言葉 を 残 しています 。
り 、その 人柄 そのままのユニークな 作品 です 。
中村 真由美 → p.60
ているのも 彼 です 。
「 いろんな 方 に 支 えていただき 30 年描 いてこれまし
障害 のある 人 たちの 作品 は 、しばしば 小野寺 のよう
た 。体 は 動 きにくくなってきたけど、体 にあった 画材 で
な 理解者 との 共同作業 によって 生 み 出 されます 。しか
描 き 続 けていこうと 思 います。
(中略 )山口百恵 はマイ
クを 置 きましたが 、わたしは 筆 を 置 きません 。」
若杦 大介 → p.52
中村 の 油彩画 を 近 くから 見 ると 、油絵具特有 のこっ
しそれを 発表 する 際 には 、サポートする 人間 がいること
若杦 は 自分 の 表現 スタイルをもっています 。人物 や
てりとした 質感 と 荒々 しい 筆致 が 目 につきます 。赤 や
で作品 の 自律性 が 損 なわれるのではないかという 危惧
動物、貝殻、果物 な ど 、ど の よ う な 対象物 で あ っ て も 、
紺、黒、茶色 などの 濃色 が 入 り 混 じったその 画肌 は 、グ
から 、そのことを 明示 しないケースが 多々見受 けられ
ほとんどすべて 四角形 の 組 み 合 わせとして 描 くのです。
ロテスクなほどの 力強 さに 満 ちています 。しかし 、そこ
ます 。しかし 美術界 においても 、アーティストがたった
ならばどれも 似 たり 寄 ったりのワンパターンになって
か ら 5 、6 歩 後 ろ に 下 が っ た と こ ろ か ら 見 て み る と 、
1 人 で 活動 しているわけではなく、サポートしている 人
しまうかというと 必 ずしもそうではなく 、モチーフの
繊 細 に 描 写 さ れ た 動物 や 草花 の 像 が 鮮 や か に 浮 か び
間がいるものです 。真 に 気 にしなくてはならないのは 、
原形 がかなり 残 ったものから 極度 に 抽象化 されたもの
上 がってきます。彼女 の 作品 と 出会ったとき、見 る 距離
協力者 の 存在 の 有無 ではなく 、障害 のある 表現者 と サ
さ て 、い か が だ っ た で し ょ う か 。こ こ に 記 し た
ま で バリエーション に 富 ん で い ま す 。ま た 、遠目 に は
によって 印象 が 大 きく 異 なることに 驚 きました 。まる
ポートする 側 との 間 にしっかりとした 信頼関係 が 構築
の は 、アート ディレクタ ー と し て 障害 の あ る 人 た
同 じに 見 える 連作 であっても 、些細 な 違 いがあります 。
で 2 枚 の 別 の 絵 です 。
できているかどうかなのです 。
ちの 作品 と 関 わってきた 私 の 見方 です 。きっと 本
その 差異 を 見 つけ 出 すこともまた 、彼 の 絵 の 楽 しみ 方
1 枚 の 絵 のなかに 2 つの 異 なる 顔 を 併 せもつ 中村 で
書 を 手 にした 人 それぞれの 視点 から 、いくつもの
のひとつと 言 えるでしょう 。
す が 、そ の 創作活動 の 総体 は さ ら に 多様 で す 。彼女 の
異 なる 解釈 が 導 き 出 されるでしょう 。さまざまな
か つ て 、画家 ポ ー ル・セ ザ ン ヌ は「 自然 を 円筒、球、
仕事場 では 、イー ゼ ル に 立 てかけられた 描 きかけの 油
武田 佳子 → p.70
円錐 としてとらえなさい 」と 語 りました 。この 言葉 は
彩画 のほかにも 、ポップでキュートなイラスト 、細 かく
武田 はその 長 い 画業 のなかで 、幾度 か 作風 を 変 えて
ピカソに 多大 な 影響 を 与 え 、キュビスム 誕生 の 礎 とな
した 新聞紙 を 貼 り 合 わ せ て つ く ら れ る 丸 み を 帯 び た
い ま す 。は じ め は 油彩画 を 描 い て い ま し た が、脳性 マ
り ま し た 。し か し 、若杦 な ら ば き っ と こ う 言 う に 違 い
動物 の 張 り 子 など 、テイストの 異 なる 仕事 が 同時並行
ヒに 伴 う 二次障害 のため 絵筆 を 操 ることが 難 しくなり
あ り ま せ ん。
「 自然 を 直方体、立方体、四角錐 と し て と
で 展開 されています 。それぞれ 見 た 目 は 異 なるものの 、
コンテを 使 うようになります 。そして 、現在 は 主 に 墨 を
らえなさい 」と 。この 美学 は 、絵画 だけではなく 彼 が 書
人 や 動物 へ 向 け ら れ る 眼差 し の 優 し さ な ど 共通 す る
用 い て 制作 し て い ま す 。画題 も 、か わ い ら し い 黒猫 か
く 文字 にまで 徹底 されています 。
部 分 も 多 く 、1 人 の 人間 が も ち う る 表現 の 幅広 さ を 再
ら 妖怪 や 爬虫類 へと 変 わりました 。武田 はあえてその
確認 させられます 。
ようなモチーフを 描 くことで 、忌 み 嫌 われているもの
視 点 か ら 多 く の こ と が 語 ら れ る な ら ば 、作 品 に
対 する 理解 はより 深 まっていきます 。本稿 がその
一端 を 担 えることを 、嬉 しく 、誇 らしく 思 います 。
たちも 、人間 と 同様 にさまざまなことを 感 じながら 生 き
ている 、ということを 表現 しようとしています 。
澤井 玲衣子 → p.56
78
センスのいい 配色、エッジの 効 いた 線、リズ ムや 間 を
髙田 千惠子 → p.66
彼女 の 代表作 とも 言 えるシリーズ に 、墨 描 きの 女 性
感 じさせる 構図。具体的 なかたちはほとんど 出 てきま
とぼけたような 味 わい のある 表情 をした 人々。でも
像 があります 。互 いを 傷 つけ 合 う 人間 の 本性 を 好 まず
せ ん が 、音楽 や 風景 が テ ー マ と な っ て い ま す。特 に 音
何 を考 えているのかわからないような 怖さもあります 。
人 を 描 かなかったところから 、浮世絵 の 人物像 に 魅了
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もうひとつの見方
- 奈良の障害のある人 たちの 表現 -
発行日:2015 年 3月 31日
発行元:一般財団法人 たんぽぽ の 家
〒 630-8044 奈良市六条西 3-25-4
Tel 0742- 43-7055 Fax 0742- 49 -5501
Email [email protected]
URL http://artsoudan.tanpoponoye.org /
監修:阿部 こずえ 、岡部太 郎、森下静香( 一 般財団法人 たんぽぽの 家 )、宮下忠也
編集 ディレクション & 編集:多田智美( MUESUM )
編集:永江 大( MUESUM )
アートディレクション:原田祐馬( UMA /design farm )
デザイン:西野亮介( UMA/design farm )
撮影:濱田英明( pp.10 -26 )
、藪本 絹美( pp.28-75 )
印刷・製本:株式会社山田写真製版所
*本書 は「 平成 2 6 年度 障害者 の 芸術活動支援 モデル 事業(厚生労 働 省 )」の 一 環 として 制作 しまし た 。