かなであん No.266

ざいごう 浄土真宗本願寺派 慈雲山龍溪寺 奏庵
2015.5.20 発行
kanadean
No. 266
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同じ家族生活を信心とともに送
教えは異議(異なった理解)
親鸞聖人・関東伝道八〇〇年 られるお姿は多くの直門弟を生み
生みやすいものです。その中には
非僧非俗の歩み ました。その方々がリーダーとなっ
我が子善鸞もおり、親子義絶事
て同朋とともに聞法した寺院は
件にもなりました。善鸞が自分
二十四輩とよばれ、今もお念仏
だけは親である親鸞から特別の
臨終まつことなし
来迎たのむことなし
信心の定まるとき
「往生」の方法を聞いていると
相続が盛んです。 いうようなことを匂わせて、民衆
そんな親鸞も62歳の頃京に戻
往生また定まるなり
られます。当時の平均寿命をはる
かに過ぎた年齢ですから、非僧
を惑わせ混乱を生んだことを悲
それ惟れば、聖人は承安3年の
非俗の生活を十分生きたという
で次々と亡くなっていく関東の
春、皇太后宮大進、有範卿の息男
として日野の里に誕生しましまし
けり。
御年9歳のとき出離生死の志を
発して、慈円慈鎮和尚を訪らい、
台嶺に登りて四教円融の義を学び
給う。
然りといえども、機教相応の教
旨明め難ければ、29歳にして山
をで 源空聖の門に入りて専修念
仏の蘊奥を極め給えり。
御年35歳の春、専修念仏停止
に連座して北越に流謫の身となれ
るも、勅免を蒙りては、関東に行
化して 有縁を導き給えり。
晩年洛都に帰りては あまたの
聖教を撰述して化を有縁の同行に
垂れ、なかんずく「顕浄土真実教
行証文類」を著して浄土真宗の宗
義を定め、末代濁世の凡惑に真実
の教法を顕示し給う……
(表白より抜粋)
感慨をもって帰る決心をされた
念仏の仲間(同朋)たちの臨終
しんだ義絶でした。そして、飢餓
往生に対しては、 のではないかとも推察できます。 『故法然聖人は「浄土宗の人
しかし、その後関東では、直
接に教えを請うことができなくなっ
は愚者になりて往生す」と候ひ
て、教え、特に「往生」の問題に
しことを、たしかにうけたまは
ついて混乱が起り、念仏者の代表
り候ひしうへに、ものもおぼえ
たちが、はるばる京へ親鸞聖人
ぬあさましきひとびとのまゐり
をたずねたり、手紙にしたため
たるを御覧じては、「往生必定
て疑問を問う門弟と親鸞との書
すべし」とて、笑ませたまひしを、
簡(御消息)が現存していて、そ
みまゐらせ候ひき』……、 のお手紙では、師なきあと、門
法然上人が「浄土の教えを仰ぐ
弟たちが各々の勝手な教義理解
人は、我が身の愚かさに気づい
で門徒たちを惑わせる事態が生
て往生するのである」と仰せに
じていたことがわかります。 なっていたのを確かにお聞きし
ましたし、学問もなく素朴な人
門弟のひとり、聖人より40
歳若い唯円は「歎異抄」を著す
達の集まりをご覧になっては、
るにあたりこう記しています。
「間違いなく往生するであろう」
一室の行者のなかに、信心 とほほえまれていたのを拝見しま
異なることなからんために、
した。と、「よきひと」と仰い
* * * なくなく筆を染めてこれを だ師のお言葉を感慨深く伝え書
親鸞聖人は、心身ともに最も
しるす。なづけて「歎異抄」
き送られておられます。 充実していた20年間を北関東
において、僧でもなく俗でもな
自己の愚かさに対する深い目
といふべし。 覚めが、自己に縛られ、とらわ
そして同朋には、「布施の多少に
い「非僧非俗」の念仏生活と伝
よって、大きな仏と成ったり、小
れから解放される道です。そこに
道の日々を送られ、その民衆と
さな仏と成る」と主張する人々
安心して生きる道が開けていくの
を強くい戒めてもいます。 です。 合掌 編 集 後 記
奏庵法座 《心が澄みわたる言葉》 日本にまた新たな世界遺産が生まれよ
降誕会 うとしている。今度は「明治日本の産
業革命遺産」として、日本各地に遺さ
愚禿(ぐとく)が心は れた23資産全体で登録されるそうだ
日 時
内は愚にして が、そのうちの7施設について、韓国
5月26日(火)
外は賢なり から、朝鮮人の不当な強制労働があっ
午前11時より 親鸞
た「恨み」の場所に「価値」を持たせ
るのは……と阻止行動があがっている。
■京都の本山本願寺も多くの世界遺産
「真宗宗歌」
良いところを見せよう、
となった建物を所有している。それら
正信偈 賢く思われたい……そんな
は、本願寺に関係する者だけではなく、
法 話
気持ちから、私たちは必要
門前に暮らす人々や京の街を通りすが
住職 以上に自分を飾り、知識の
る人々の風景の中に当たり前に身近に
ご文章拝読
あるところを見せびらかそ
あったもので、本山奉職時代の京都の
厳しい暑さの夏には、高い天井の下で
「恩徳讃」
うとします。 涼む人達に混じって子供が自由に這っ
∼*∼
しかし、それは自らの中
て遊んだ阿弥陀堂も含まれている。■
おとき 身が乏しく、自信のない証
拝観料が必要な観光寺院ではなく、門
拠。自信がないゆえに、外
信徒や地域の人々のためにいつも門が
日本人の好きな人物トップ
を飾ることで、自分を守ろ
開かれていて、そこに国宝や重要文化
財が「さりげなく」あり続けてきた。
テンには、常に親鸞聖人が入っ
うとするのです。 それは信仰の場であったことはもちろ
ておられます。浄土真宗の門
それに対して、自分の信
ん、千年の都の人々の国宝とともにあ
信徒の域を超えて人々を惹き
じる道をしっかり歩む人は、
る日暮らしを「あたりまえどすえ」と
つけるのは、僧でも俗でもな
外を飾り立て自分を守る必
する文化の高さのおかげもあったと思
く信心に生きて貫かれたダイ
要はありません。不要な知
う。■貴重な自然や歴史的なものを世
界共通の財産として大切にしていこう
ナミックなご生涯に力づけら
識を自慢することもありま
とするのは人類の英智だと思う。たと
れ、宗教家としてより、偉大
せん。そのため、人から見
えそれがその時代の国々の力関係や争
な思想家としての「親鸞フア
ると、むしろ愚かな人のよ
いの結果であってもだ。あのマチュピ
ン」が多いからでしょう。 うに見えることさえあるの
チュだって、繁栄があって滅びるまで、
5月は親鸞誕生の月「降誕
です。 誰が誰に何をしたかは確かではないが、
その時代にそこに適した独特の文化を
会」の集いです。どうぞお参
育み、そこには資本家、技術者、職人、
り下さい。
ご報告 計画しておりました「北
関東・親鸞聖人・ご旧跡を
訪ねるバス旅行」は参加希
望が少なくツアーが成り立
ちませんでしたので、残念
ですが中止とさせていただ
きます。 労働力を必要とし、そのどれが欠けて
も存在しなかったものだ。■世界遺産
を付加価値にするのではない。本願寺
が世界遺産になった時のご門主は、「信
仰の場として親しまれ大切にされてき
た本願寺が、単なる歴史になってしま
わぬよう」とかえって危惧されたお気
持ちを思う。この世界に完全な「善」
のみで存在したものはない。しかし、
そのものが存在した「力」となったも
のの負の部分も含めて未来永劫に問い
続けていくことも英知だ。それに値す
るものをして「人類共通の遺産」にし
ていかなければならない。再び過ちを
犯さないためにも……。Norimaru