始業式式辞

平成 27 年度 第 1 学期始業式式辞(要旨)
平成 27 年度が始まりました。皆さんはこの年度の目標をもう考えましたか。このような区切りの時には、是非、自
分なりの目標を立ててほしいと思います。
この春、卒業生は素晴らしい実績を残してくれました。国公立大学合格者数が 110 名、また、大阪大学や神
戸大学、九州大学、また岡山大学の薬学部など、従来あまり進学していなかった難関大学にも合格者していま
す。昨年の 3 年生は 6 クラスで、近隣の高校よりもクラス数は少なかったにもかかわらず、です。身近な先輩が
実績を上げたことは、皆さんの大きな自信になると思います。皆さんもしっかり努力して、是非、後に続いてほしいと
思います。そして、今度は皆さんの後輩に自信をプレゼントしてほしい。高松桜井高校も創立から 20 年を過ぎて、
新たな歴史を刻み始めています。
(体育祭のパネル応援と勉強について話しました。 略)
今日は、内村鑑三の『後世への最大遺物』という本について、お話をしようと思います。内村鑑三は明治時代
から大正、昭和にかけてのキリスト教の思想家です。後世への最大遺物というのは、死ぬときに、後の世に何を
残せばよいかということです。死ぬまでにこの世の中を少しでも良くして去りたい。それは誰も異論はないだろう。そう
すれば、何を置いて我々はこの地球を去ろうか、と内村は書いています。
内村は高崎藩士の家に生まれました。小さい頃、頼山陽の詩の、「千載列青史(千年もの長い間歴史に残る
人になりたい)」という句に感動していると言うと、お父さんや友人は大変喜んだ。末頼もしい、というわけです。とこ
ろが、そのあとキリスト教に入信して、それは非常にクリスチャン的でない考えだ、クリスチャンなどは名を残すなどと
いう考えは根こそぎとってしまわねばならぬ、と考えるようになった。しかし、そのあと、内村は考えなおした。それが、
死ぬまでに少しでも世の中をよくして死にたい、ということなのです。
それで、内村は考えます。何を残すか。まず金だ。死ぬときに、金をたくさん寄付しよう。しかし、自分は到底金持
ちになる見込みはない。では、どうするか。事業を残す。たとえば、箱根の山の下を水を流すためのトンネルを作っ
て、芦ノ湖の水を沼津のほうに流し、耕地を大きく増やす箱根疎水。あるいは、淀川の洪水を防ぐために大阪の
天保山を切って太い安治川をこしらえ大阪湾に水を流した河村瑞賢の仕事。その時作られた川が安治川で、安
らけく治まるようにと安治川と名付けられたのです。このような仕事は大変立派なことです。長く人から感謝される。
しかし、事業をするには天の与えた才と社会的な地位が必要である。それがないといくら立派な人でもできない。
金も残せない、事業も残せない。自分一人だけで残せるものは何か。それは思想です。本を書けばよい。文学
者と言ってもいいでしょう。あるいはその思想を教える人になればよい。教育者であります。しかし、文学者も誰でも
できるものではない。また、教育者もむつかしい。世の中に文学者はたくさんいるけれども、文学を教えることができ
る人は少ない。内村はそう書いています。内村は札幌農学校でクラークに植物学を学んでいますが、後年アメリ
カに行きクラークに植物学を学んだというと、クラークが植物学について口を利くとは不思議だ、といって笑われた
そうです。しかし、クラークは聞く者に植物学への興味を引き起こす力はすごいものを持っており、内村は教育者と
してクラークをたいへん高く買っています。
それでは、金もない、事業も残せない、本も書けない、教育者にもなれない、となると、我々は無用の人間とし
て生涯を終わるしかないのでしょうか。内村は誰でも残せるものでないと、完全なる遺物、最大の後世への遺物
ではないと考えます。そして、誰でも残せて、利益ばかりあって、害のない遺物があると言います。それは何か。そ
れは、勇ましい、高尚なる生涯だというのです。
内村はカーライルの例を挙げます。イギリスにカーライルという歴史家がいます。『フランス革命史』という名著を
書いた人ですが、何十年かかかってそれを書いたときに、いつか出版する時があるだろうと思って罫紙に書いてと
っておきました。友人が来てその本の話をしたところ、「今夜一晩貸してくれ」ということになり、その本を貸した。その
友人はジョン・スチュアート・ミルで、カーライルも彼の批評を仰ぎたいと思ったからです。ミルが家でそれを読むと、
今度はミルの友達がきて貸してほしいと言うので、また貸しした。その友人は家に持ち帰ってそれを一生懸命読ん
で、明け方に机の上に広げたまま寝た。翌朝下女が来て、ストーブをつける時にその原稿をたきつけにしてしまっ
た。ミルはそのことを聞いて、どうしようもないので一週間カーライルには黙っていた。しかし、どうも仕方ないからカー
ライルにはそのまま言った。その時カーライルはショックで、十日ばかりぼんやりとして何もしなかったということです。
気の短い男だったので、歴史のことはしばらく放り出してしまったそうです。しかし、カーライルは自分に、「カーライル
よ、汝は愚か者である。汝の書いた『革命史』はそんなに尊いものではない。第一に尊いのは、汝がこの困難をし
のんで再び筆を執ってそれを書き直すことである。それが汝の本当にえらいところである。実にそのことについて失
望するような人間が書いた『革命史』を社会に出しても役に立たぬ。それゆえ、もう一度書き直せ。」といって、自
分で鼓舞した。
カーライルのえらいところは、『革命史』という本のためではなくして、火で焼かれたものを再び書き直したところにあ
る。たとえその本が残っておらずとも、彼は後世への非常の遺物を残したのです。
内村は、自分の信じた主義を真面目に実行するところの精神力、これが大切だと説きます。
われわれは、後世に残すものは何もなくとも、自分がやろうとしていることを一生懸命実行しようとしたと、ああ、あ
の人はこの世に生きている間は真面目なる人生を送った人だと言われるだけのことを、後世の人に残したい、こう
内村は言います。
私も全く同感です。皆さんも年度の初めに当たり、軽佻浮薄な気持ちに流れることなく、しっかりと目標を立てて、
真面目に実行していってほしい、そういう決意を是非持ってほしいと思います。