ジャズバー・ジャズクラブと称される場合もあるが基本的に 同一なものとして見なす。クラブとは区別する。 1−4 研究の構成と方法 2章において地域の空間変遷を文献や既存資料により明ら かにする。横浜の都市構造の変遷をインフラ、土地利用、地 区計画、港湾開発などの点から追う。その上で、関東大震災 〜第二次世界大戦までを戦前期、終戦後の接収時期(1945〜 1959(山下公園返還))を戦後復興期、それ以後を都市計画期 以後として区分けし、作図を行った。3章において音楽空間 の変遷を行うために把握文献資料および実地調査により把握 し、2章との関係を明らかにする。4章において民間主体の イベントであるジャズプロに関し、開催目的や現在の動向を 把握するために報告書やイベント関係者へのヒアリングによ って実態を把握し、近年の音楽空間と地域の関係を明らかに する。5章では、地域と音楽空間における2・3章で把握し た従来の関係と4章で把握した近年の関係とのつながりを明 らかにし、総合的な考察をする。 1−5 音楽におけるジャズの位置づけ 音楽ジャンルの中で、現代の日本においてはメジャーなも のとは言えないが、世間的に認識されている点で一般性があ り、各地で音楽イベントとして行われている。 一般的に 1900 年頃にニューオリンズに起源とされる。当初 はクラブやバー等での娯楽的要素が強かったが、禁酒法解除 後、音楽的にも文化的にも発展した。以後世界的にも広がり、 各地でフェスティバル等も行われるようになった。 日本でも各地でジャズイベントが行われており、屋内ホー ル型、野外ステージ型、地域回遊型などの形態に分類出来る。 2章 横浜の都市構造の変化 2−1 昭和初期と中期の都市構造の変容 昭和初期には都市としての骨格は出来ていたが、戦争によ る市街地焼失と米軍接収により都市形成が遅れる。また本牧 臨海部で埋め立てによる空間的変化が激しい。関内・関外地 区は鉄道交通が早い段階から敷設され現在に至る。 2−2 近年における都市構造の変容 六大事業などを契機にみなとみらい地区埋立事業が行われ る。また市電が 1972 年に廃止となり、新たな鉄道路線敷設 されている。みなとみらい地区は開発が進む他、防火建築を 活かす取り組みなど関内・関外は地区計画や景観計画が行わ れている。本牧は 1978 年に土地区画整理事業の指定地域と なっている。 都市構造の変化に伴う音楽空間の変容と 持続性に関する研究 — 横浜におけるジャズの事例を対象にして — A study on the Modification of the Music Space Accomopanied by the Change of Urban Structure - A case study of jazz in Yokohama時空間デザインプログラム 11_01051 安藤 皓央 Akio Ando 指導教員 真野 洋介 Adviser Yosuke Mano 1章 はじめに 1−1 背景と目的 音楽とまちの関係は民族音楽や宗教音楽に限らず、その地 域の状勢や流行などの文化面を踏まえた上で一種草の根的に 関係してきたものが存在する。一方近年、イベントの実態は 様々であるが地域活性化を目的とした音楽イベントが増え、 新たに音楽とまちの関係が出来てきている。しかし、地域音 楽文化の持続を目的としながらも、実状は特設されたイベン トスペースやホールを使っている。 ここで、地域の空間変化と音楽空間には関係があり、非日 常的な意味での音楽空間であるイベントと地域の空間変遷の 関係においても相互的関係があるのではないかと考えられる。 そこで、本研究では音楽におけるジャズを一種のケースス タディとして、戦前からジャズと地域の関連性をもち、回遊 型イベントの横濱 JAZZ PROMENADE(以下ジャズプロと する)が行われている横浜を対象地とする。そして、対象地 に存在するジャズ喫茶といった音楽空間の変遷や、イベント の実態を空間的視点から明らかにすることで音楽文化の持続 性について考察する。 1−2 研究の位置づけ ジャズの可能性への研究や横浜の空間構造の変容に関する 既往研究はあるが、本研究では横浜における地域面での空間 構造の変化を踏まえた上で、ジャズを取り巻く空間的な変化 などについて分析を行う点で独自性があるといえる。 1−3 用語の定義 ◆音楽空間:再生や演奏が来場者へ聴かせる目的で行われる 場のことを示す。室内に限らず屋外を含み、日常面に対し非 日常面にイベントが位置すると考える。 ◆横浜:文化や行政で中心の中区臨海部と西区の一部を示す。 ◆ジャズ喫茶:営業時ジャズが再生・演奏される店舗である。 戦前 (1920 年代 1945) ーチャブ屋で流れるジャズー 3章 音楽空間の変遷 3−1 横浜でのジャズの経緯 ジャズに関しては 1925 年伊勢佐木町での公演が最初とな 戦後復興期 (1945 1960 年代 ) ークラブで演奏されるジャズー 横浜で最も初期に出来たジャズ喫茶「ちぐさ」 開店時期はジャズ喫茶はちぐさ含め2件。 音楽喫茶も合計で6店舗ほどだった。 (現在はちぐさ以外残っていない) 都市計画期 (1960 年代以降 ) ージャズ喫茶やオープンスペースで楽しむジャズー 都市計画により、みなとみらい地区は埋立事業が 行われた。その後商業施設などが入ってくる。 戦後接収により、米軍の娯楽の場所 としてクラブが発生。将校など階級 によってわかれたようだが、基本に 日本人は演奏者や従業者を除き出入 禁止だった。 だがこの状況がこの地区にジャズを 浸透させる契機になったといえる。 チャブ屋に影響される形で クラブが関内付近に広まり それと同時期に音楽喫茶も できる。 (1930 年頃) 関内・関外地区は戦後防火建築 などの整備が行われたが接収の 影響もあり複雑な地区計画。 現在はエリア毎に地区計画が 組まれている。 現在唯一残るクラブ 「クリフサイド・クラブ」 対象地での 音楽空間の 中心が関内 方面へ 本牧 (十二天) 大丸谷 明治期より外国人居留地に住む外国人が訪れる 場所としてチャブ屋があり、そのため船来音楽 のジャズ等が館内で流されていた。 演奏という実践の場がク ラブなのに対し、貴重な レコード音源を聴き勉強 する場が「ちぐさ」とい ったジャズ喫茶であった。 本牧の地から本格的な 場を求め野毛へ移った 「ドルフィー」 接収でも一部の チャブ屋は残った。 本牧地区の土地返還は遅く、市電の廃止により アクセスも悪くなり地域の中心から遠のく。 京浜東北線 みなとみらい線 京浜急行 クラブ 元外国人居留地 みなとみらい地区 市電 市営地下鉄 音楽喫茶 米軍接収地 チャブ屋街 関内・関外地区 [ 図1] 横浜における都市構造と音楽空間の変容 ※右上図点線内の詳細かつ近年の 変容を示したもが [ 図 3] る。その後外国人向けのクラブ音楽として流れていたものに 影響される形でジャズ喫茶などが出来る。戦後店舗がなくな るが、接収による米軍向けの音楽としてジャズが盛り上がっ たのがきっかけとなり再び広がる。1980 年本牧ジャズ祭り開 催が開催され、以後市内他地域でも同様のイベントが開催さ れ、ジャズプロが開催される。 3−2 横浜での音楽空間の変化 昭和初期ダンスホール的意味を兼ねたのは本牧地区にあっ たチャブ屋といわれる娼婦館であり、影響される形で関内地 区にダンスホールが出来、同時期ジャズ喫茶が登場。その後 米軍による接収の関係でクラブが出来るが、戦後復興の過程 でクラブや接収を逃れていたチャブ屋はその後減少し無くな る。近年になりジャズ喫茶は増加傾向にあるほか、ホールな ども増え、みなとみらい地区におけるオープンスペースや、 馬車道・元町・伊勢佐木地区などでのストリート演奏など行 われている。 3−3 小結 音楽空間としてチャブ屋からクラブへ、そしてジャズ喫茶 といった流れがある。これは一部の限られた人々の娯楽であ った大衆性を獲得したことを示していると考えられるのでは か。関内地区へ新規店舗が増えた理由などもオフィスなどの 空間的な空きが出来たからではないかと考えられる。戦前、 戦後に限らずだが、横浜の海岸線と公共交通、特に鉄道路線 の影響は大きいと考えられる。 4章 イベントと組織の関係 4−1 イベントの開催経緯 ジャズプロは横濱 JAZZ 協会という市内のジャズ関係者が 集まった市民団体 1991 年に出来、その一年後に外託団体で ある横浜市の文化振興財団(現芸術文化振興財団)が設立し た。1993 年から始まり 2014 年で 22 回目を迎えている。 ジャズ協会発足においては既存店舗のオーナーが中心とな り、それまでジャズ喫茶「ちぐさ」オーナーのような地域の ジャズ文化に関係を持つ人々が集まり設立された。 4−2 イベントの実態 イベントでの運営構造は[図2]のようになっており、初回か らの来場者や会場・ステージ数の変遷は[表1], [表 2]に示し た通りとなっている。多少の増減はあるが全体として増加傾 向といえる。 4−3 音楽空間とイベントの関係性 イベントの特徴としては回遊型であり、ヒアリングによる と従来の音楽空間に限らずアクセス面と会場の関係は考慮す 横浜 JAZZ 協会 音楽 プロデューサー 既存店舗 観光局 予算交渉 会場手配 ジャズ喫茶 新規店舗 横浜市 実行委員会 市内他 イベント 実行委員会 評論家 横浜市芸術文化 振興財団 チ会予 ケ場算 ッ・交 ト広渉 配告 備手 配 市民協働推進 グループ 募ボ 集ラ ・ン 手テ 配ィ ア ブッキング 出演料手配 ミュージシャン 市民 参 加 演 奏 の 応 募 ・資金・会場手配 などのハード面を 財団側、プロ奏者 へのブッキングや 全体のプログラム 組みなどのソフト 面を協会側が担当 している。これは 初回から不変。 ・かつてはとある 既存のジャズ喫茶 オーナーが全ての ブッキングを行っ ていた。 ( ) ・図におけえる網 掛部分は結成当初 の協会構成。 [ 表1] ステージ数・会場数の推移 (万人) (ステージ数) (会場数) ステージ数 70 400 16 会場数 60 14 50 12 40 200 30 20 100 10 0 1993 1999 2005 2011 2014 0 10 [ 表2] 来場者数の推移 <凡例> 色の濃淡:以下の年から開催場所になった 第 1 回目 (1993 年 ) 1994 1999 年 ホール 2000 年 2005 年 オープンスペース 2006 年 2011 年 2012 年 ストリート ※白抜きは現在 (2014 年 ) 行われていない ジャズ喫茶 みなとみらい駅 商業施設に併設する オープンスペース 桜木町駅 関内駅 元町中華街駅 横浜市営地下鉄 根岸線 [図3]ジャズプロにおける音楽空間 4−4 小結 各種参加動向の増加からイベント規模は拡大しているとい えるが、ヒアリングなどによるとイベントの拡大と新規ジャ ズ喫茶出店の関連性は必ずしもあるとは言えないようである。 音楽空間に関しては、会場は当初文化施設のものが多かっ たが、都市構造の変化とともに交通機関や商業施設の影響を 受け公共空間へ移行していった。 また商店街単位の他路上演奏イベントへの連携が生まれて いることから、当イベントが日常時における街頭パフォーマ ンスへ繋がるといった音楽空間面への影響は考えられる。 5章 まとめ 2章と3章から音楽空間が一部に限定されたものからが都 市構造の変化を受け、地域を移動し対象地にジャズ文化を根 付かせたことが分かった。 4章から文化の持続などを目的としながらも、イベントで は音楽空間に都市構造の変化により出来た空間やオープンス ペースの利用傾向が強くなっていることが明らかになった。 これらより、イベントにおいて規模拡大はしているが、ホ ールや商業施設に伴うオープンスペースの利用が増えており、 ジャズ喫茶やクラブという地域本来の音楽空間文化の持続と いう目的とは乖離しているのではないか。 一種大衆化の形といえるが、持続性を考えた際には日常的 音楽空間にも注目すべきではないか。 既往研究 (2)小堀玲奈(2011) 『戦後横浜における接収が市街地形成に与えた影響についての研究』 (3)小木戸渉(2009) 『官民恊働による芸術創造拠点の研究 — フィンランド・ヘルシンキ 市と横浜市の事例から —』 参考文献 ・『横濱 JAZZ PROMNADE 報告書』 横濱 JAZZ PROMNADE 実行委員会 ・公益法人横浜市芸術文化振興財団 事業報告書 来場者数 8 ・横浜市政策局政策課『調査季報』 ・横浜市総務局市史編集局『横浜市史2 資料編1 連合軍の横浜占領』1989、『横浜市史 6 4 2 第二巻(上)』1999 2 0 みなとみらい線 (1)細川周平(2007) 『ジャズ喫茶の文化史戦前篇:複製技術時代の音楽鑑賞空間』 国際 日本文化研究センター [ 図2] ジャズプロ運営実態 300 る部分が大きいことが分かった。音楽空間について以前は旧 文化施設を利用していた。近年は増加するジャズ喫茶以外に、 桜木町やみなとみらい地区に出来た商業施設のオープンスペ ースを会場として提供しているのも注目すべきことも明らか になった。[図3] 1993 1999 2005 2011 2014
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