畑特任教授の論文がScientific Reportsに掲載

癌に強いマウスの作製に成功
神奈川歯科大学大学院
特任教授(特別教授)
口腔科学講座(口腔難治疾患研究センター)
畑
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隆一郎
我々の体内にある口腔癌抑制分子 BRAK の発
見:
最近我々は種々のがんに抵抗性を示すマウスの作
製に成功したので、これまでの研究のいきさつを
含めて記述する.
日本において国民の 1/2 が癌に罹患し, 1/3 癌が原因で死亡する. その治療に
かかる費用も年間3兆円を超えようとしている. 現在の薬物療法は癌で悪さを
する分子を見つけてその分子の発現や活性を抑える薬(抗癌剤)を見つけて治
療するする方法(分子標的法)が主流である. しかし, 癌で増加する分子も
我々の身体を構成している正常細胞の生理機能発現に重要な分子である場合が
多く,抗癌剤がしばしば正常な細胞の機能を抑えてしまい, そのために強い副作
用を生じる. 我々は副作用のない癌の抑制法を見いだすために, 逆転の発想を
して, 身体の中には癌の増殖を抑制する分子が存在することを仮定し, その抑
制分子があるために癌が発生しないが, 抑制分子の量が何かのきっかけで低下
すると癌が発生する可能性を考えた. そこで癌の増殖過程で発現が低下する分
子を探索し, 生体内で口腔癌の抑制作用を示す分子の BRAK を見いだした.
BRAK は最初に BReast And Kidney(乳房と腎臓)で発現が見いだされたタ
ンパク質なので BRAK とよばれていたが, のちに正常細胞であればどの細胞で
も合成される白血球を呼び集める性質を持つ分子ファミリーの一つであるので,
その分子の化学構造から CXCL14 とよばれている. この研究は小澤重幸講師
(顎顔面外科学講座)が大学院生の時に行い, 彼の学位(博士)論文となった
( Ozawa S. et al., Biochem. Biophys. Res. Commun. 2006).
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BRAK を多く発現するトランスジェニック(Tg)マウスは種々の移植癌の増殖
を阻害する:
BRAK が口腔癌以外の癌の抑制作用があるかどうかを調べるために, 野生型マ
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ウス(Wt,普通のハツカネズミ)に BRAK 遺伝子をさらに導入して Wt の 10 倍量
の BRAK を発現するように遺伝子を改変したトランスジェニック(Tg)マウス
を作製した. Tg マウスは普通に成長し, 2年経っても Wt と差がなかった. し
かし, 悪性黒色種細胞や肺癌細胞を皮下に移植すると Tg マウスでは Wt マウス
より癌の増殖が抑制され, BRAK の癌増殖抑制作用は口腔癌だけにとどまらない
ことが判明した.
この研究は居作和人講師(口腔科学講座)の学位論文となった(Izukuri K.,
Suzuki K. et al., Transgenic Res. 2010).
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多段階癌抑制分子としての BRAK:
一つの細胞が癌化して臨床的に癌と診断されるまでには多くの遺伝子(DNA)
の変異やタンパク質の変化が必要であり, 10年ほどの時間がかかることが知
られている(癌の多段階発癌). 癌に血管が出来るのを抑えて, 癌への栄養供給
を阻害する薬が現在抗癌剤として良く使用されている. しかし, 最近, 実際の臨
床例でこれらの抗がん剤が癌の増殖は抑えるが, 患者の寿命は延命されない症
例が判明し問題となった. 原因を調べてみるとこの薬は確かに患者の原発巣の
癌の増殖は抑えるが, 転移や浸潤を逆に促進し, 結果として癌は小さくなるが,
患者の寿命は延長されないことが判明した. この結果からも癌の増殖と浸潤•転
移が異なった機構で起こることがわかる.
そこで, BRAKTg マウスについて, 大腸癌の発癌系, 癌の増殖, 肺への転移につ
いてそれぞれ調べると, 3つのすべての段階を抑制した. 図に悪性黒色種細胞
の肺への転移抑制効果についての例を示した. さらに Wt マウスが 50%死亡す
る条件でも 100%の Tg マウスが生存し, BRAK は寿命の延長作用も示すことが
明らかになった.
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この研究は
ハンガ
リーの首都
ブダペ
ストで開催
された
「国際癌免
疫治療
学会」で最優秀演題賞に選ばれ, また, ネイチャー社のオンラインジャーナル
Scientific Reports の 2015 年 3 月 13 日号に掲載された(Hata, Izukuri,
Kato, Sasaki et al., Scientific Reports, 5,Article number 9083. DOI:
10.1038/srep0983. http://www.nature.com/srep/index.html).
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副作用のない癌の分子標的予防法の開発に向けて:
BRAK は正常細胞で合成されており, Tg マウスは2年間飼育しても異常を示さ
ない. また, マウスとヒトの BRAK の構造や存在量はほとんどおなじであり(実
際に Tg マウスの作製にはヒトの BRAK 遺伝子を導入している),
健康人でも
BRAK を常に Tg マウスと同じ位高い発現をしているヒトが存在したので, BRAK
を高発現してもヒトに大きな副作用はないと考えられる. それ故 BRAK は今後の
副作用のない新しい癌の分子標的治療法, さらに癌にならないための予防法
(分子標的予防法)開発に有望な標的分子と考えられる.
私は神奈川歯科大学に赴任して以来『横須賀から世界へ情報の発信を』をモッ
トーとして研究を行い, 若い人達を指導してきた. 今後, ヒトに応用するため
に, 我々の身体の BRAK の合成を上げる薬の開発と BRAK の癌抑制のしくみ
を明らかにし, 世界に発信するとともに, この過程で若い人達に研究する心を
伝えてゆきたい.
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