DtoD 2012 No.1 「傾聴真話」 - 東京慈恵会医科大学 外科学講座

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医療 のための発信 を共に
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大木隆生 が自身を語るとき、必ず生 い立ちに遡る。海外を転 々とした小中学生時代を「不幸な幼少期」と言 い、
その経験から “安らぎの地 " を切望するようになつたという。東京慈恵会医科大学 ( 以下、慈恵医大) に入学 し
た1 8 歳の大木は、同大を本拠地と定め、「自分は慈恵医大 から離れない」と心に決めるが、奇しくも血管外科
を専攻した大木は手技をきわめるため、再び海外へ飛ぶしかなかつた。アメリカで血管外科医として研鑽をつ
づけ高 い地位と収入を得るようになるも、大木の心は満たされない。そして4 3 歳のとき、慈恵医大 に血管外科学
教授兼外科全体のチェアマンとして呼び戻された大木は
こ、トキメキと安らぎの地をつくろう」。大木
}まつた。大木隆生が求める安らぎの地とは
こからは、何 が生まれているのか。
取材 : 中 村敬彦
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│ メI 豪
撮影 : 木 内博
加 者 が 自 由 に発言 でき 、 活 気 あ る意 見 を やり 取 り す
る場 にした いです 。 でも 、 遅 刻 は厳 禁 、 き ち ん と し
た身 な り や 、 正 し い日本 語 の使 い方 な ど 、 規律 や礼
節 も 大 事 に し て いま す ﹂
大木 、
が統 括 責 任 者 ︵
チ ェア マン︶ にな る以前 、 メ
イ ンの カ ン フ ァ レ ン スは週 に 一度 、 月 曜 夕 方 に実 施
され て いた 。 大半 の スタ ッフが 病 棟 業 務 や外 来 に追
﹁スタ ッフが 参 加 し や す い早 朝 開 催 にし て から 参 加
わ れ 、 参 加 者 は Ю名 前 後 だ った と いう。
朝 7時 、﹁ド ッ﹂ と笑 い声 が あ ふ れ る。 外 科 学 講 座
笑いに満ちた早朝 カンフアレンス
の大 教 室 で行 わ れ る早朝 カ ン フ ァ レ ン ス の い つも の
者 は ∞∼ 0
7名 です から 、 当 時 と く ら べ ても 外 科 のイ
ンプ レ ッシ ョンはず いぶ ん変 わ った と思 いま す ﹂
光 景 だ 。 外 科 学 講 座 全 体 を任 され て いる大 本 は カ ン
フ ァ レ ン スで、自 分 の専 門分 野だ け でな く 、慈 恵 医
大 パ ー テ ィだ った 。 大 木 が 前 に出 て スピ ー チ を す
た。 そ の実 践 例が 、 第 一金 曜 日 の月 例 チ ェア マンタ
食 会 や、年 2 回 のゴ ルフ コンペ ″大 木杯 ″ であ り 、
メキ と安 ら ぎ のあ る村 社 会 ク を つく ろう と決 めま し
﹁帰 国 す る に際 し僕 は、″家 族 以外 は敵 ″ と いう 殺 伐
と し た 米 国 を 反面 教 師 と し て、外 科 学 講 座 に ″ト キ
大木 は取材 中、何度 も ﹁
村 社会 ﹂ と いう言葉 を 回
る。率 直 な 言 葉 で外 科 学 講 座 の発 展 を語 った かと思
の視 点 が あ る か﹂ を常 に確 認 し て いる点 。 経済 現象
年 に3度 の O Bと 現役 と の懇 親会 、 昇 給 人 事 のたび
にし、 アメリ カ社会 のベ ー スをなす弱肉 強食 と徹底
金曜日の夜、
第一
大木は必ず新橋に
な ど も 例 に挙 げ て展 開 さ れ る大木 の話 が 、 スタ ッフ
に開催 す る祝 賀会 、年 一度 の医 局 旅 行 で す 。 人 が 集
した合 理化 は日本 人 にはな じまな いと断言 す る。
大 す べ て の外 科 学 の手 術 計 画 に ついて問 題点 を 指 摘
﹁た かが カ ン フ ァ レ ン ス、 さ れ ど カ ン フ ァ レ ン ス。
う機 会 が な いと、 秩 序 も ウ ェ ット な 村 社 会 も形 成 さ
終身 雇 用な ど により村 社会 が 成立 し て いた高度成
﹁
外 科 に魅 力 を 感 じ
良 け れば 若 い人 も
催 。 現 在 は、 外 科 学 講 座 の結 束 を 示 す シ ンボ リ ック
軽 に集 う 会 と し て 始 ま り 、 関 ヵ月 一度 も 休 ま ず 開
チ ェア マ ンタ食 会 は、 学 生 や医 局 員 と 大 木 とが 気
自 分がが んば る こと で会 社が良 くなり、 ひ いて
く ﹃
たとし ても、組織 に対 す る帰 属意識 も仲間意 識も強
長期 のサ ラリ ー マンは、忙 しくとも、給料が安 か っ
すべての村人に存在価値が ある
会 場 は、 大 木 が 放 つ熱 に包 ま れ て いた。
誘 う。 そ し て、最 後 はま わり の人 への感 謝 の言 葉 。
う と、 ムード メー カ ー の医 局 員 を話 題 にし て笑 いを
え る雰 囲気 づ くり
外 科 って い いな﹄ と 思 って も ら
学 生 や 研修 医 から ﹃
の気 持 ち を 引 き込 む。
が 大 切 です。
れま せ ん﹂
る 一方 、集 ま りが
村社会 には無駄が多 いよう に感 じるが 、 たとえば
は社会が良 く な る﹄ と い った熱 い精神を持 ち合 わせ
つい先 日 、 開催 は ” 回 H を 迎 え 、幸 運 にも我 々取
でき の悪 い村 人が いる から収 穫能力 の高 い村人が や
な集 ま り にな って いる。 これ ま で累 計 す る と延 べ 1
面 白 く な さ そ う﹄
材 陣 は記念 す べき会 への同 席 を許 さ れ た 。 さす が に
り甲斐 を持 って仕事が でき る のだ と大木 は笑 う。
悪 くボ ソボ ソ話 し
と敬 遠 され て しま
”回H は普 段 と様 相が 違 い、 場所 も い つも の新 橋 か
﹁
すべて の村 人 に存在価 値が あ るのです。
て いたと思 います﹂
う。 カ ンファ レン
ら銀 座 に移 し 、参 加 者 1 5 0名 と ひ と き わ 賑 や かな
7 0 0名 が 参 加 し て いる そ うだ 。
スを よ り多 く の参
外科は
て いた ら ﹃
全 体 の雰 囲 気 が
し、 あ る いは激励 す る。 中 でも印 象 的 な のが 、﹁
患者
E|l,r #
■DTO HD 4
日 2人ず つ交 代 で診 療 し て いま す 。 僕 も若 い医師 の
教育 と モチ ベ ー シ ョン維持 のた め、 大 学 の仕 事 の合
い間 を見 つけ て ほ ぼ毎 日、 顔 を出 し て いま す ﹂
通 常 、 下 肢 静 脈 瘤 手 術 は 2泊 3 日程 度 の入 院が 必
要だ が 、 同 クリ ニ ック では保 険 適 用 にな った レーザ
ー を 用 いて日帰 り手 術 を実 施 。 レーザ ー治 療 を行 っ
て いる施 設 が 少 な い現 状 も あ るが 、 銀 座 の地 の利 、
マス コミ の力 も手 伝 い、外 来 予約 は 7 ヵ月 先 ま で埋
まり 、 開設 1年 足 らず で新 患 数 3 0 0 0名 、 下肢 静
脈瘤 手 術 1 0 0 0件 を突破 し た と いう から 驚 く 。
﹁下 肢 静 脈 瘤 は、 脚 の痛 み や む く み を 主 訴 と し、 中
高 年 の女 性 に患 者 が 多 い疾 患 です 。 通 常 の手 術 で す
と、 入 院 のた め数 日 間家 を 空 けな ければ な ら な い の
で、 症 状 は我 慢 の範 囲 と自 ら 言 い聞 かせ て、 “年 以
上 も スカ ー ト を は かず に辛 抱 し て いる方 も多 く見 受
ば かり 、 良 い仕 事 を し て互 いを 認 め合 う 。 そ う し た
気 兼 ね のな い コミ ュ ニテ ィの中 で、 相 手 を おも ん
権 、 予算 権 を強 化 す るな ど し、 外 科 学 講 座 の統 治 機
大 本 は 3 つの講 座 の代 表 で あ る チ ェア マ ン の人 事
た寄 り合 い所 帯 で、 運営 上 支 障 が 多 か った と 聞 く 。
笑と
さん は、 笑 顔 で銀ブ ラを し て帰 り ま す ︵
って み よ う かし ら﹄ と殺 到 し た。 治 療 を終 え た患 者
そ う し た患 者 さ んが 日帰 り 手 術 の存 在 を知 り 、﹃
や
けま す 。
心 のきず な が 仕 事 にど れ ほ ど の励 み にな る か。 損 得
彼 が帰 国 した ころ は、 外 科 医 局 が ゴ ルフ コンペ な
0 に及 ぶ 関 連病 院 の運 営 が スムーズ
材 リ ク ルー ト や 3
構 を 改革 、 現在 は ﹁節 度 と バ ラ ン スと愛 情 ﹂ を持 ち
ク村 長 と し て講 座 運 営 にあ た って いる 結 果 、 人
。
″
感 じ て いた。
定 内 では あ ったが 、 心 な い噂 に彼 は 一抹 の淋 し さ を
け る う ち に、 う れ し そ うな 表 情 に陰 りが 見 え た。 想
﹁クリ ニック の盛 況 を 見 て ﹃
大木 は 開業 医 ま が いの こ
患 者 思 い、 医 局 員 思 いの大 木 。 し かし、 話 を つづ
0年 以 上前 から 中 止 と な
ど言 語道 断 で、 医 局 旅 行 は 1
にな り 、 医 局 から 理 不尽 な 人事 も 排 除 さ れ た 。
勘 定 抜 き の村 社 会 は無 限 大 のパ ワーを 生 みま す ﹂
って いた ら し い。
﹁人 と人 の つな が り を 築 く には、 最 初 は 忍 耐 も 必 要
はゴ ー ルで はな く、 通 過 地 点 。﹃
村 社会 ﹄ の復 興 は、
せ る仲 間 同 士 にな れ る。 し かし僕 が考 え る ﹃
村社会 ﹄
事態 に直面 し、十分 な 日当が出 せるバ イト先 を自 ら
ルが 違う。 医局員急増 の結 果、 ア ルバ イト先不足 の
大木が 医局員 たち に向 け る愛 情 の大 き さは スケー
を解 いてま わ る わ け にも い かず ︱︱ 。 仕 方 あ り ま せ
兼 客 寄 せパ ンダ にす ぎ ま せ ん。
一人 ひ とり に、 誤 解
手 術 を手 が け て も いま すが 、 ボ ラ ンテ ィア。 指導 医
ま す 。 僕 は メデ ィア に出 て クリ ニ ック の広 告 塔 を し
と を し て金 儲 け を し て いる﹄ と 一部が ぎ わ ついて い
構 成 員 の総 幸 福 度 を 上げ る と と も に 一見 遠 ま わり に
の力 で つく ろうと、 下肢静 脈瘤 の レーザ ー治療 を行
ん ね 。 僕 の中 で は、 医 局員 Ю名 と看 護 師 3名 の生 活
銀座七丁目にクリニツク開設
見 え ま す が 組 織 を活 性 化 し生 産 性 を上げ る た め の基
を確 保 す る ことが で き た の で良 し と し て いま す ﹂
です 。心 の違 和 感 を乗 り 越 え て こそ、 腹 を割 って話
盤 づ くり に つな が る と信 じ て いま す﹂
銀座 七丁ロ クリ ニック﹂を開設 したと聞 いた。
う ﹁
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5
﹁開設 には先 輩 OBの協力 を仰 ぎ 、医局 員 0
1人が 毎
前 の外 科 学 講 座 は 3 つの講 座 を 無 理 矢 理合 体 さ せ
回回目団
trusty
青戸事件を大きなきっかけに
当時︶ の医
20 02年 に慈 恵医大 附属青 戸病院 ︵
師 3人が腹 腔鏡下手術 で前立腺が ん患者 を死亡 させ
青 戸病 院事件 ﹂はまだ
たとされて いる、 いわ ゆる ﹁
記憶 に新 し い。大木が アメリ カから呼び 戻 され た の
も、事 件後 の慈恵 医大 の落ち込 みが 関与 して いる。
﹁
青 戸病 院事 件 を機 に慈 恵 医大 は英知 を結集 し、国
内 でも先進 的な医療安全 に対す る取 り組 みを始 めま
した。今 では、慈 恵 の医療者 に腹腔 鏡 へのア レ ルギ
ーはな く、安全 に自信 を持 って いる ので、むしろ他
施 設 より積 極的 に手が け て いる。慈恵 医大 では、腹
腔鏡 は学会 認定 を受 けても、院内 の実技 テ スト を通
らな いと手 術 をさせてもらえな いと い った厳格 な ル
ー ルが でき た のです﹂
事件 により自浄 作用が 働 き、病院全体 の安全 基準
を高 めたと言 う のだ 。
﹁
僕 の知 る限 り、 国内 で腹腔 鏡 の技 術 認定 を独 自 で
行 う医療機 関 は当 院だ け でし ょう﹂
トキ メキ こそ イ ン センテイブ
世界 で指折り の腕 を有 する、大木 のアメリカ在住
時 の肩 書 は外科教授 で年 収 は約 1億 円。 実力主義 の
アメリ カで成功を手 にした大木だが仕事 に対す るイ
ンセ ンテ ィブが、 す べて金 に換算 され る社会 を否定
﹃
村社会 ﹄は、
人が人を呼ぶ良循 環 に入り、
間もなく成層圏を突破して
無重力 の水平飛行 に入るでしまフ。
HDTCID 6
す る。
会 を 、退 任 時 には退 任 パ ー テ ィを 開 く 。 さま ざ ま な
れ る 社 長 賞 穴 笑 ︶。 ま た、 医 局 員 が 昇 格 し た ら 祝 賀
ゴ ルフの緊張 感 に耐 えなが ら ス コアを伸ば す道程 と
経験 す る。僕 は、外科手術 を上達 させる過程 には、
金 銭 で は得 ら れな いきず な を つく る ﹁
手段 ﹂ とし
﹁
今 の僕 ら にはボ ーナ スや時 間外 手当 を含 め、 お金
ンテ ィブ は、強 いて一
言えば 、より良 い手 術、研究 開
て、 プ ラ イ ス レ スの イ ンセ ンテ ィブ を設 け る。金 銭
一
も っと言 えば 、 ス コアの良 し悪 し に関係 なく、
腹 人分日精神 、自 己責任、ダ メージ コント ロー ル、
発、後進 の育成 などを通 し て、切磋琢磨 す る こと で
的 満 足 で は心 の満 足 を得 ら れ な いと悟 った 大 木 だ か
生懸命ゴ ルフに取り組 んで いると、ゴ ルフは手術 で
行事 が 、 ト キ メキ を も たら し てく れま す ﹂
し ょう か。米国式 の、食 う か食 われる かの競争 とは
ら こそ、 お金 で は買 えな いプ ラ イ ス レ スの真 の価 値
合併 症 を起 こし てしま った とき に似 た敗北感 を、誰
のイ ンセ ンテ ィブ はありま せん。講座 にあ るイ ンセ
違 います。 そ の結果が、海外留 学 や昇進 人事 に影響
を知 る のだ ろう 。
手術では汗をかかな い
こう した機会 はそうありま せん﹂
てく れます。安 心、安全が 徹底 された現代社会 で、
にも迷惑 を かけず に感 じさ せてくれ、人を謙虚 にし
相通ず るも のが あ ると考 え て います。
臨機 応変能力 、 そし て結果が す べ てと いう点 など、
す るケー スもありますが 、近視 眼的、即物的 イ ンセ
ンテ ィブ ではありま せん。 米国 と違 って教授 の裁量
大木 は かなり のア スリート。学生時代 から柔道 、
心構えを教えてくれるゴルフ
金 以外 のやり甲斐 を感 じら れるも のをバ ラ ンス良 く
で経 済的 な イ ンセ ンテ ィブ を与 えられな い以上、 お
配分 し、 医局員が楽 しく働 ける環境 を つくり た いと
切 に願 って います。
僕 は、手 術 中 に汗 は全然 かきま せん。 運動 して い
﹁
取材 を受 ける機会 の多 い大木 は、 よく相手 に ﹁
汗
は7だ った。
ゴ ルフは仲 間同士が自尊 心 を賭 けて闘 う から面白
﹁
るわ けではなく、立 って手 を動 かして いるだ けだ か
を かかな いのです か﹂と開 かれ るそうだ。
いのです。 人智 の限り を尽 く しても
ら、汗を かく理由が ありま せん ︵
笑と
サ ッカー、 スキー、 テ ニスに熱中 し、現在 は多忙 を
きわ める中、″
大木杯 ´を主 催 す るほどゴ ルフに心酔
す る。教授 に就任 す るとき 、彼 の ハンデ ィキ ャ ップ
外科学講座 で年 1回集 まり、臨床賞 、基礎賞 、教
育賞 を選 出 して、全員 の前 で功績 を称 えます。理屈
無人島 でもらう ノーベ ル賞 より、仲 間 に祝福 さ
は、﹃
コント ロー ルできな い神 の領城が存
は減多 にあ りま せんが 、プ ライド を
高 いので、 僕 は手 術 で緊張 す る こと
ストグ ロスが とれ る数字 よりず っと
率 は、約 ”名が参加す る大木杯 でべ
張感が生 ま れる。手術が成 功 す る確
み合 う。 これら 2 つが 重 な ると、緊
そ の手術 を行 う資格が ある こと。 2 つの条件 が満 た
者 に必要不可欠 な手 術 を行 って いる事実 と、術者が
平常心 を保 って手術 を遂行 す る の に必須な のは、患
﹁一点 のやま し さもな ければ 、緊張 はあり ま せん。
けて いな い証 しだ﹂ と、
一刀両断。
く のは平常心 を失 い緊張 し て いる から。悟 り をひら
拭 いてもらう映像が 写し出 され る。大木 は、﹁
汗を か
だが ド ラ マな ど では、よく外科 医が手術 中 に汗 を
賭 けた大木 杯 では、毎 回、緊張 しま
在 す る 一方 で、プ ライド や意 地が 絡
す﹂
され て いれば 、緊張 などしな いはず。外科 医 は、 も
っと堂 々と手術 を し て いいと思 います﹂
医局 コンペでパ ットを打 つとき の
手 術中 に医局員 の背後 にまわり背中 に手 を置く。
汗 を か いて いたら ﹁
まだまだ修行が足りな い﹂ と大
緊張 感 は、 たまらな いと笑 う。
﹁
真 剣 なゴ ルフ ァーほ ど、空 気が 震
木 は ささやく。
ロロDT● コロD
7
えるような ビリビ リとした緊迫感 を
回回目団
trusty
心の賛肉も削る
贅 肉 が な いのは、 心 も 同様 。
多 く の人 間 が 大木 に対 し てダ イ
ナ ミズ ムあ る いは、
一種 の強 引
さを 感 じ る かも し れ な い。
し かし、 素 顔 の大 本 は シ ャイ
でせん細な 男だ。
己 に かけら れ た、 大 学 、 医 局
贅肉のない体と生活
実 を 言 う と 、多 忙 な 大 木 から ま と ま った時 間 を も
員 、 そ し て患 者 から の期 待 。 応
頭 を 切 って し な け れば な ら な い
ら う の は し ごく困 難 で、 取材 は大 木 に密 着 しな が ら
時 間 を惜 し むよ う に何 も言 わず 、 何 も 気 にせず 、
と の使 命 感 を 持 って いる。 重 い
え る には心 の贅 肉 も削 ら ねば な
取 材 陣 の前 で ワイ シ ャ ツを脱 いで手 術 着 に着 替 え る
使 命 感 に潰 さ れず 表 面 で は物 事
か かわ り ま す が 、 必 要 以 上 の水が あ った から と い っ
行 わ れ た。 彼 は めま ぐ る しく 移動 す る。 カ ンフ ァ レ
大 木 の動 作 を見 つめ て いて奇 妙 さ を感 じ た。 ネ ク タ
を言 い切 り 、 内 面 では物 事 を 言 い切 る こと に躊 躇 し
て、 よ り幸 福 にな れ る で し ょう か ?﹂
ら な い。 そ の行 為 はき わ め て苦
イ を ス ッと ゆる め、輸 っか のま ま首 から 外 し た ので
て いる ので はな かろう か。 大 木 隆 生 を観 察 す れば す
彼 の言 葉 を 傲 慢 だ と捉 え て はな ら な い。 瞬 時 に ア
ン ス ルー ム、 教授 室 、 七 丁 ロ クリ ニ ック、 大 学 病 院
あ る。
る ほ ど 想像 以 上 の スト イ ック さが 感 じら れ た。 いず
ダ ム ・スミ スの労 働 価 値 説 が 思 い浮 かぶ 。 衣 食 が 足
し いだ ろうが 、 人 本 は自 分 が 先
全 部 ほ ど く と、 ま た締 め直 す の に余 分 な 時 間 が か
﹁
れ にし ろ、﹁いけ いけ、 ど ん ど ん﹂ の大木 でな い こと
の手 術 室 や処 置 室 。
か る。 ネ ク タ イ は全 部 こう し て いま す よ 。家 で も こ
り たら 、 そ れ 以上 の過 分 な金 銭 で、自 ら の求 め るト
段 にす ぎ な いと の意だ 。
食 事 、 大木 杯 な ど ﹁
村 社 会 ﹂ の復 興 にお し みな く充
前 述 し た よ う な チ ェア マンタ 食 会 や多 く の後 輩 と の
大木 は、 己 と家 族 とが 衣 食 を足 り て残 った金 銭 を
切 る。
で買 え るト キ メキ は、 この世 に存 在 しな い﹂ と言 い
不 動 産 も 車 も 所 有 し て いな いが 、﹁今 の僕 が 、 お金
キ メキ は買 え な いと人 本 は知 って いる のだ 。 彼 は、
は確 信 でき た 。
大 本 語 録 は多 数 あ るが 、﹁衣 食 足 り たら 、 ト キ メキ
死に金を 生き金に代 えて
のま ま 、 ゆ る めた 状態 で吊 る し て いま す 。
ワイ シ ャ ツのボ タ ンも 飛 び 飛び に留 め ま す。 全 部
留 め る と脱 ぐ とき に面 倒 でし ょう 。 ボ タ ンは、 自 衣
を着 れば 見 えま せ ん。 全 部留 めな く ても 困り ま せ ん
から ︵
笑と
を求 め よ﹂ は決 め の 一節 。 突 き詰 め ると 、 衣食 が 足
日 1食 。 院 内 を移 動 す る際 も常 に資 料 に目 を通 し て
﹁も し、 宝 く じ で Ю億 円 当 た っても 、 す で に衣 食 足
て る。 自 分 には必 要 以 上 の お金 を使 わず 、 残 り を紙
り た 以 上 に得 た お金 はト キ メキを 入 手 す るた め の手
いる。 手 ぶ ら で、 ボ ー っと し て いる暇 は 一瞬 た り と
り て いる僕 の明 日 から の生 活 で変 わ る点 は何 ひ と つ
大 木 の生 活 には 、 ま った く贅 肉 が な い。食事 は 1
も な い。
せ て いる。
くず にも し な い。 生 き た お金 の使 い方 を 実 践 し て見
お金 は水 に似 て いま す 。 所 要量 な ければ 、生 死 に
あり ま せ ん。
身 体 にも 贅 肉 は な く 、 1 日 Ю時 間 以 上 の手 術 を 支
え る筋 肉 が 備 わ って いた 。
先輩の熱が後進に伝播
全 国的 に外科 離 れが進 む中、大木率 いる外科学講
座 は この5年 間 で入局者 は ∞名超 と、全 国的 にも突
出 した存在 。退 局者 も少な いので、自 然 と外科学講
の日本 の若者 は捨 てたも のではありま せん。彼ら に
く ても、若者 は自 然 に集 まります。医療 に限らず 今
面白 いよ﹄ と言 わなく ても、安 っぱ い勧誘 な どしな
外科 は
先輩 の背 中が熱 く輝 いて いれば 、 わざ わざ ﹃
﹁
謙遜 す る。
す べき教室づ くりを して いるだ けと大木 はあくま で
全体 の士気 も 下が ります﹂
0年後 の医療 に視点 を向 け、す べき医療 を行 い、
1
い った外科 医 のトキ メキは尽きま せん﹂
す。 ゆえ に、も っと良 いも のを つくる、開発 すると
い﹄。 改善 の余 地 はす べて の手術 に残 って いる の で
僕 が常 に言う のは ﹃
完成 された手術 はひと つもな
ラ フト では対処 できな い疾患 はたく さんあり ます。
大動脈瑠 や胸腹 部大動脈瑠 など、 いまだ ステ ントグ
動脈 瑠 に対 す る低侵襲 な手 術が実 現 しま したが弓 部
て います。確 か にステ ントグ ラ フト で胸部 と腹部 大
﹁
世界の大木﹂から ﹁
日本の大木﹂に
同開発 して います し慈恵 オリジ ナ ルの手術 を開発 し
必要 な のは ロー ルモデ ルの存在 な のかも しれな いと
感 じます﹂
大木 のま わり への気遣 いは人 一倍。医局員 、看 護
医 局員 には、外 科 医 はぼ や かず 、ぐ ち を言 うな と
﹁
う人 工血管 を用 いる新技術 が確立 され、大動脈瘤手
血管外科 領域 では近年、﹁ステ ントグ ラ フト﹂と い
﹁
僕が 名前 を覚 え る努 力 は数 秒、 でも、声 を かけら
ま で覚 え、率先 して声 を かける。
外科医のトキメキは尽きない
話 し て いま す。先輩が ﹃
外科医な んで、 や ってら れ
術も低侵襲 で行 われ るよう にな った。新技 術 の登場
れた スタ ッフの モチベー シ ョンは上が るはず です。
座 は発展 し つづ ける。
な いよ﹄ と言 って いたら、誰が外科 に入 ろう と思う
で血管外科分 野 の進 歩 は頭打 ち の感が あ るが︱︱。
社会 的弱者 にこそ、 深く頭 を
政治家だ った祖 父 に ﹃
師、学生 はもち ろん、警備 員 や清掃 スタ ッフの名前
でし ょう か。外科医 こそ、 チー ム医療 のリーダ ー に
﹁
現在 も アメリ カ企業 と ステ ント の新 型 モデ ルを共
引き継 いでも良 いと思 って います﹂
在意義 はあ った でし ょうが 、突破 したあと は誰 か に
力 の水平飛行 に入 るでし ょう。成層圏ま では僕 の存
呼ぶ良循環 に入り、 間もな く成層 圏を突破 し て無 重
慈恵 医大 の外科学講座 の ﹃
村社会﹄ は、人が人 を
下げ な さ い﹄ と教 わりました。
な るべき。 そ の外科医が ぐちを言 って いたら、病院
I 蟷午
し かし、 そう簡単 に ﹁
村 社会 ﹂ は大木 を手 放 さな
い。 大木 の存在 意義 はまさ に ﹁いる﹂ ことな のだ 。
さら に万が 一、 母校 を離れ たとし ても、大木 は日本
から、今 しば ら く離 れる つもり はな いだ ろう。﹁
世界
日本 の大木﹂ にな った のは
の大木 ﹂が 、 わざ わざ ﹁
母校 の外科 学講座 の発展 のみならず 、 日本社会 に漂
■D TCID
う閉塞感 をな んと か打ち払 いた いと決意 し て の結 果
な のだ ろう から。
回回目団
trusty