山口 ・ ス ペ イ ン ナ バ ラの会 が 講 演 会

1 第6787号 2017年(平成29年)3月11日㈯
山口・スペイ ン ナバラの会 が 講 演 会
ガルエさんとルビオさん 多民族国家・スペインを語る
山 口 市 に 約 5 年 間 居 住 会 場 は 県 政 資 料 館︵ 滝 町 ビ オ さ ん = ビ ジ ャ ビ シ オ
し た ス ペ イ ン 出 身 の ホ ル 1︶。演題は﹁多民族国家 サ 市 出 身 で、 ガ ル エ さ ん
ヘ・ ガ ル エ さ ん が、 今 月 ス ペ イ ン ﹂ で、 ① 世 界 に と 同 じ く マ ド リ ー ド 自 治
い っ ぱ い で 県 外 に 転 居 す 開 か れ た 国 ス ペ イ ン ② 独 体 大 東 ア ジ ア 研 究 科 卒。
る。 そ こ で、 山 口・ ス ペ 裁 政 権 が 終 わ り、 民 主 化 フ ラ ン ス と 日 本 へ の 留 学
年 か ら 現 在 経 験 が あ り、 英 語 翻 訳・
︵平
︶年8月か
37 までの社会的変容③政府 スペイン語教師の有資格
イ ン ナ バ ラ の 会︵ 小 林 真 が 始 ま っ た
人 会 長、 ☎ 0 9 0
8 3 8 9︶ は、 同 の 移 民 政 策 ④ 移 民・ 多 民 者。
26
ンテナをそろえて初め
じ く ス ペ イ ン 出 身 の 県 国 族 社 会 を 代 表 す る ホ ル ヘ ら県国際交流員。
14
て ス タ ー ト で す。 で
は、発信してみます。
空気の中を伝わっ
て、 遠 く 日 本 の 裏 側 ま
で自分の電波が届くと
い う 事 が、 頭 で は わ か
っ て い て も、 や っ ぱ り
不 思 議 で、 ロ マ ン が あ
り ま す ね。 ま た、 近 年
い た、 無 線 機 の 格 好 良 さ 例 も あ り ま す。 世 界 が
に憧れたのが始めたきっ 滅ぶまで使える趣味を
か け で し た。 と は い え、 こ れ か ら も 楽 し み た
﹁CQ CQ CQ
始 め る に は 国 家 資 格 が 必 い。
要 で す。 そ れ に 合 格 し、 こ ち ら は J K 4 G X P
許 可 を 受 け た 無 線 機 や ア どうぞ﹂
県下最古の日本製仏像
置されている。
した跡も残る。
・1
衣紋には虫食いを補修
あ ら わ に な っ て お り、
像 ﹂ が、 客 仏 と し て 安 だ っ た が、 今 は 素 地 が
仏 像﹁ 木 造 薬 師 如 来 坐 ㌢。 肉 身 は 漆 地 に 金 箔
し て は 県 内 最 古 と な る 造 り で、 高 さ は
の 脇 堂 に は、 日 本 製 と て い る。 カ ヤ 材 の 一 木
陶弘政が開基した同寺 寺の本尊だと伝えられ
陣 に も な っ た 正 護 寺。 っ て 廃 寺 と な っ た 光 明
平安時代初期の作
明 治 初 め の﹁ 脱 隊 騒
動 ﹂ の 際、 脱 隊 兵 の 本 で、 も と は こ の 地 に あ
指定有形文化財にも指定されている。
正 護 寺 に あ る﹁ 木 造 薬 師 如 来 坐 像 ﹂ は、 県
内 に あ る 日 本 製 仏 像 と し て は 最 古 の も の。 県
陶
47
際 交 流 員 の マ リ ア・ ル ビ の 故 郷 フ エ ン ラ ブ ラ ダ 市
オさんとガルエさんによ の紹介⑤ホルヘとマリア
の 生 活 、 に つ い て 話 す。
る 共 同 講 演 会 を 企 画 し の 異 文 化 の 経 験・ 日 本 で
た。聴講は無料。
開 催 日 時 は 日︵ 土 ︶午 プロフィルは次の通り。
ガルエさん=ベネズエ
後 2 時 か ら 4 時 ま で で、
ラや英国等5カ国の在住
業 後、 ス ペ イ ン の マ ド リ
ード自治体大で英語学科
及び東アジア研究学科の
学 士 号 を 取 得。 マ ド リ ー
ド市にて外国語塾を立ち
上 げ た 後 来 日 し、 3 年 間
県 国 際 交 流 員 と し て、 そ
の 後 県 立 大 に 勤 務。 ▽ ル
教えて! あなたのハマリもの
空を飛び交う誰かの思い=信号
に、新しい出会いが待っている
ロ ー テ ク で あ り な が ら、 今 も な お さ ま ざ ま な
場 面 で 活 躍 す る﹁ ア マ チ ュ ア 無 線 ﹂ の 魅 力 を、
原田浩司さん︵ 代男性 ︶ に 聞 き ま し た 。
030
18
No.30
75
経 験 あ り。 米 国 の 高 校 卒
ホルヘ・ガルエさん
マリア・ルビオさん
年 前、 勤 め 先 の 先 輩 の 災 害 時 で は、 ツ イ ッ
の車内に取り付けられて ターと併せて活躍した
25
81
−
50
義雄住職。
参拝者も多い﹂と松永
な ど、 全 国 各 地 か ら の
常に一般公開されて
お り﹁ 京 都 府 や 奈 良 県
木造薬師如来坐像
18日
−
当 日 は、 県 政 資 料 館
一の坂
川 沿 い の ︵ 滝 町 1︶ 前 に 集 合。 古
考えよう
エリア・リノベーション
楽 し め る の 坂 川 交 通 交 流 広 場、 山 リ ノ ベ ー シ ョ ン ﹂ に つ い
﹁ 古 地 図 口 御 茶 屋 跡 を 巡 り、 一 の て 考 え る セ ミ ナ ー が、
分 ま で、 県 政 資 料 館
で 街 め ぐ 坂 川 沿 い を 北 上。 藩 庁 門 日
︵ 金 ︶午 後 1 時 半 か ら 3
り と 一 の を 通 り、 県 政 資 料 館︵ 旧 時
坂 川 桜 ウ 県 議 会 議 事 堂 ︶ に 戻 っ て で 開 か れ る。 聴 講 は 無 料
オ ー ク ﹂ か ら は、 ミ ニ コ ン サ ー ト で、 希 望 者 は 主 催 の 県 建
921
8 7 2 2︶
が、 4 月 と 法 話 を 聴 く。 参 加 者 に 築 住 宅 セ ン タ ー︵ ☎0 8
1日
︵ 土 ︶午 前 9 時 か ら 約 は、 昭 ち ゃ ん コ ロ ッ ケ、 3
3 時 間 開 催 さ れ る。 定 員 宝 来 屋 の ケ ー キ、 薩 長 鍋 へ。
934
について講演する。
2 8 1 や﹁ 創 造 的 ま ち づ く り ﹂
−
083
−
。
は 人︵先着︶
される。
参 加 費 は、 ガ イ ド 料、 阪 長 屋 保 全 プ ロ ジ ェ ク
資 料 代、 旅 行 傷 害 保 険 を ト ﹂ に 取 り 組 ん で き た 藤
日︵ 金 ︶午 後 4 時 半 教 授 が、 山 口 市 中 心 部 の
24
ま で に 市 観 光 交 流 課︵ ☎ エ リ ア・ リ ノ ベ ー シ ョ ン
は、
含 み 5 0 0 円。 申 し 込 み 田 忍・ 大 阪 市 立 大 大 学 院
桜満開時の一の坂川
0︶へ。
17
め ぐ り が 門、 菜 香 亭、 龍 福 寺、 一 用 を 捉 え 直 す﹁ エ リ ア・
本 の 桜 並 の ガ イ ド と 共 に、 錦 の 御
地 域 的 な 視 点 か ら、 住
木 と 史 跡 旗 製 作 所 跡、 清 末 藩 長 屋 ま い の 改 修 や 空 き 家 の 活
約 2 0 0 地 図 を 見 な が ら、 萩 往 還
古地図と共にウオーキング
4月1日
17日
40
の﹁ お も て な し ﹂ も 用 意
県建築士会の原田正彦
まちづくり委員長と、
﹁大
−
満開の桜と史跡巡り
60
−
2017年(平成29年)3月11日㈯ 2
サンデー山口
12日当番医 [山口]内科:奥田胃腸科内科(☎083−925−2188)外科:とよた整形外科クリニック(☎083−929−3315)小児科:まつお小児科医院(☎083−924−4970)
[阿東] 医院(☎083−952−0308)
先 祖や家 族 を 思 う7日 間
春のお彼岸
﹁ 暑 さ 寒 さ も 彼 岸 ま で ﹂ と い う よ う に、 3 月 と
9 月 の 季 節 の 節 目 に あ る お 彼 岸。 お 墓 参 り を し
た り、 家 族 に 会 っ た り と 、 彼 岸 入 り か ら の 7 日
け な い 人 も、 先 祖 や 故 人
に思いをはせるととも
に、 墓 石 の 汚 れ や 破 損 な
ど の 悩 み や、 移 転・ 建 て
替 え・ 建 立 な ど を 考 え る
機会にしてみては。
お花、お供えの作法
間 を、 感 謝 や ご 縁 を あ ら た め て 感 じ る 時 間 と し
お彼岸にお供えする花
は、 白 百 合 や 胡 蝶 蘭、 ト
て過ごしてみては?
ル コ キ キ ョ ウ、 ガ ー ベ ラ
お 彼 岸 と は、 春 分 の 日 れ る。 宗 派 を 問 わ ず 多 く な ど、 一 般 的 に は 白 や 淡
と 秋 分 の 日 を 中 日 と し の寺院で施餓鬼供養をは い色の清楚な印象の種類
た、 前 後 3 日 を 含 む 7 日 じ め、 読 経・ 墓 参 り を 中 が 無 難 と さ れ て い る。 特
間 を い う。 古 代 イ ン ド の 心 と し た 仏 事 が 執 り 行 わ に、 菊 や キ キ ョ ウ な ど は
サ ン ス ク リ ッ ト 語﹁ パ ー れ る。 お 彼 岸 に お 墓 参 り 日 持 ち が 良 い た め、 お 墓
ラ ミ タ ー︵ 波 羅 蜜 多 ︶
﹂ をする文化は日本独自の に 供 え る 花 と し て 最 適
の 漢 訳﹁ 彼 の 岸 へ 至 る ﹂ も の で、 春 分 の 日 は﹁ 自 だ。 水 鉢 に き れ い な 水 を
が 語 源 で、 煩 悩 や 迷 い に 然 を た た え、 生 物 を い つ 入 れ、 供 花 の 長 さ を 整
満 ち た こ の 世 を﹁ 此 岸 ﹂ くしむ﹂、秋分の日は﹁祖 え、 お 供 え す る。 お 供 え
と い う の に 対 し、 悟 り の 先 を う や ま い、 な く な っ の 食 べ 物 は﹁ お は ぎ︵ ぼ
世 界・ 仏 の 世 界 が﹁ 彼 た 人 々 を し の ぶ ﹂ と い う た も ち ︶﹂ が 一 般 的 と さ
自分自身の修行
「六波羅蜜」の教え
お彼岸の過ごし方
施餓鬼法要・供養も
具 を 清 め、 お 墓 を き れ い 養 が 行 わ れ る 場 合 が 多
彼岸の期間の7日間は、中日がご先祖さまに
感謝する日、その前後6日間は、人が生きてい
く上で良いことと悪いことをきちんと判断し、
行動するための六つの行い「六波羅蜜」が行え
ているかどうかを見つめ直す期間でもある。1
日に1つずつ意識して実践し、自分自身の日頃
の行いを反省し、正しい行いをするように心が
けたい。
1.布施(分け与える) 4.忍辱 (努力する)
2.持戒(規律を守る) 5.禅定 (心を安定させる)
3.精進(怒りをすてる)6.智慧 (智慧をあらわす)
養になる。
加 す る こ と も、 先 祖 の 供
け で な く、 彼 岸 法 要 に 参
す る 法 会 だ。 お 墓 参 り だ
の霊に福徳を授けようと
縁仏に食物を施して先祖
してくれる子孫のない無
餓 鬼 供 養 は、 餓 鬼 や 供 養
め ら れ た 仏 教 行 事 と い わ 墓 や 納 骨 堂 へ お 参 り に 行 て い る 霊 魂 の こ と で、 施
彼 岸 会 は、 イ ン ド に も に 清 掃 し よ う。 ま た、 普 い。 餓 鬼 と は、 生 前 の 悪
中 国 に も な く、 日 本 で 始 段 は 忙 し く て な か な か お 行 の 報 い と し て 常 に 飢 え
もいう。
む 春 分・ 秋 分 は 彼 岸 と 此
お彼岸の期間に寺院で
岸がもっとも通じやすく
お 彼 岸 で は、 普 段 よ り は、 彼 岸 会・ お 彼 岸 法 要
な る と 考 え ら れ て い た と も 時 間 を か け て 仏 壇 や 仏 や施餓鬼 法要・施餓鬼供
真東から昇って真西に沈
る と さ れ て お り、 太 陽 が る。
岸 は 西 に、 此 岸 は 東 に あ の が 理 由 と も い わ れ て い 気を付ける。
っ た と い う 説 も あ る。 彼 土 ﹂ の 教 え と 結 び つ い た し た 半 紙 の 上 に 置 く よ う
﹁ 日 願 ﹂ が﹁ 彼 岸 ﹂ と な 仏 教 の﹁ 彼 岸 = 極 楽 浄 直 接 置 か ず、 二 つ 折 り に
日 本 の 太 陽 信 仰 か ら き た 然 へ の 信 仰 と 先 祖 供 養 が た も の で も よ い だ ろ う。
岸 ﹂ と 呼 ば れ る。 ま た、 意 味 を も つ こ と か ら、 自 れ る が、 故 人 の 好 き だ っ
サンデー山口
3 2017年(平成29年)3月11日㈯
12日当番医 [吉南]内科:いちょうの木クリニック(☎083−976−8331)よしまつ医院(☎083−987−1777)外科:阿知須共立病院(☎0836−65−2200)
2017年(平成29年)3月11日㈯ 4
サンデー山口
︵ 山口版 ︶
は、朝日・毎日・読売・中国・日経への新聞折り込み
︵ 山口市内全域 ︶、各所への紙面設置、インターネット上での公開
︵
サンデー山口
︶
等の方法によって、みなさまにお届けしています。
http://sunyama.soreccha.jp/