「ハッピーエンドの作り方」 塾生登録番号 7700160001 東洋大学社会

「ハッピーエンドの作り方」
塾生登録番号 7700160001
東洋大学社会学部第 2 部社会学科
宮脇 悠太
私は去年の 9 月から今に至るまで、自分の成長を実感したり、とりわけ考え方が変わっ
たりしたという意識は、今はまだない。このレポートを作成している今日も、私はやらな
ければならないことをこなし、やりたいと思ったことに対して真正面から向き合っている
だけである。しかし、それが私にとっての最大の哲学であり、自己の基軸であると思う。
私が哲学塾で得たものは、自分以外の誰かの持つ考えに触れる経験である。それは学生
であれ、社会人の方であれ、ご講演なさった先生方であれ、自分以外の誰かの考えに触れ
ることには変わりない。今年から、
「レクチャーを受ける場」ではないという触れ込みで生
まれ変わった哲学塾を、私はまさにその触れ込みどおりに堪能することができた。
全ての回に出席できたわけではないので飛び飛びにはなってしまうが、出席できた回に
ついて順番に書いていく。第 1 回の竹村先生と第2回の山口先生の講演では井上円了とい
う人物を通して先生方の考えを聞き、哲学について塾生同士で考えを交換した上で各々が
持っている基軸であったり考え方であったりを知ることができた。第4回の長谷川先生の
講演では、原子力発電について言いにくいながらも塾生同士が絶妙な安牌を探り合って意
見を出し合い、そのやりとりの中で一人一人の思いの片鱗を見ることができた。第6回の
ミラー先生の回は迷い、苦しんだ先に答えがあるということを大切にしている自分にとっ
て、非常に共感できる内容だった。第7回のフィールドワークは b-lab を訪れ、そこに通
う学生達の様子を見て職員の方から設立の経緯を聞き、子供の抱える問題が社会的に対し
てどのような影響を与えているか、どういった思いが青少年の育成環境の整備に繋がって
いるのかを考えるきっかけになった。第 11 回の藤尾先生の講義のグループワークでは、他
の人たちがどのような目線で人を見ているかということがわかり、非常に興味深かった。
第 12 回の北脇先生の回は、塾生の発想力が試される場だったように思う。様々な問題が渦
巻くテーマの中で、各塾生たちのアイデアに触れることができた。そして、私が参加した
最後の、13 回目の福川先生の講演では、これまでの哲学塾の総まとめとなるマクロな視点
の見解を福川先生から聞けただけでなく、塾生ひとりひとりの持つ正直な思いを一挙に聞
くことができた。
冒頭にも記載したが、私は去年の 9 月から今に至るまで、自分の成長を実感したり、と
りわけ考え方が変わったりしたという意識は、今はまだない。しかし、確実に言えること
は、この哲学塾を取り巻く人たちひとりひとりの意見や思いを聞いたことで、もしかする
と私がこれから何かを考える際に新しい視点が生まれるかもしれない。そのとき初めて、
私は自分自身が哲学塾に入った意味を見出せるのであろう。
私は映画サークルで 4 年間活動してきた。単に映画サークルというと活動のイメージが
中々つきにくいかもしれないが、主に自主映画の制作を行ってきた。4 年間のうちに自分が
脚本を書いて監督を務めた作品も何本かある。起承転結、山があって、谷があって、物語
は綺麗に収束する。それを意識して物語を書き続けてきたせいか、自分の生きる基軸にも
その経験は大きく影響してきた。
映画制作は脚本家、あるいは監督の持つ物語の基軸に、いかに周りの意見をぶれずに取
り入れるかが重要になってくる。例えば、恋愛映画における主人公とヒロインのセリフの
やりとりであったり、その場のシチュエーションであったり、脚本家や監督が絶対に描き
たい部分を生かすために周りの意見を取り入れ、クオリティの向上を目指す。周りのスタ
ッフに求めることは、自分に無い視点からいかに元もとあるものをより良くするかであっ
て、その範囲から逸脱してしまえば、それは本当の意味でその監督が描きたい作品ではな
くなってしまう。これは、日常生活にも当てはめることができる。自分の信念や、自分の
目的が分からなければ、成り行きだけで日々が過ぎていくことになる。
「あのときこうして
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いれば」とか、
「本当はこんなつもりじゃなかった」のように私たちがときに後悔すること
は、自分の気持ちと向き合い、ぶれない自己の基軸を持たないが故に誘発されるとも考え
られる。
私にとって、自分の生きる基軸は物語を紡ぐことである。そして、自分が死ぬ瞬間に最
高のハッピーエンドを迎えて完結させることが、私が 4 年間の大学生活の中で辿り着いた
今も変わらぬ信念だ。それが私の行動指針になっている。
物語、それも長編ともなれば当然様々な絵になるシーンが必要になってくる。ここでの
必要なシーンは、目標とイコールである。目標を持って、それに向かって邁進していくこ
とは、自分の人生をハッピーエンドで締めくくるためのひとつの伏線になる。
その一方で、悲しいことやどうにもならないようなこともまた、ひとつの伏線には違い
ない。ミラー先生の講演で「もっと困れ」というフレーズが印象的であったが、悩んだり、
迷ったり、自分の幸せと向き合うことから逃げていては、その人の物語は至極平坦なもの
になるかもしれない。それが幸せだといわれればそれで構いはしないのだが、自分の幸せ
と向き合わずに見て見ぬ振りをすることは、一度しかない人生を演出するには勿体無い展
開の仕方だと私は考える。それらの困難や迷いを、その先の感動的なシーンに繋げること
ができれば、物語は一気に盛り上がりを見せる。
私の最も好きな作家である伊坂幸太郎の小説「モダンタイムス」に登場する作家の井坂
好太郎という登場人物が主人公に投げかけたセリフに以下のようなものがある。
「・・・人ってのは毎日毎日、必死に生きているわけだ。つまらない仕事をしたり、誰
かと言い合いしたり。そういう取るに足らない出来事の積み重ねで、生活が、人生が、出
来上がってる。だろ。もしそいつの一生を要約するとしたら、そういった日々の変わらな
い日常は省かれる。結婚だとか離婚だとか、出産だとか転職だとか、そういったトピック
は残るにしても、日々の生活は削られる。地味で、くだらないからだ。でもって、
『だれそ
れ氏はこれこれこういう人生を送った』なんて要約される。でもな、本当にそいつにとっ
て大事なのは、要約して消えた日々の出来事だよ。子供が生まれた後のオムツ替えやら立
ち食いソバ屋での昼食だ。それこそが人生ってわけだ。つまり・・・」
この投げかけに対して、主人公は「人生は要約できない?」と聞き返し、井坂は「ザッ
ツライト」と答えている。井坂の言葉をそのまま飲み込めば、要約できないほどに全ての
行動が伏線になって複雑に絡みついているということである。私はこの井坂の言葉が深く、
自分の物語を紡ぐという基軸に深く関わっていると感じている。些細な気持ちの変化や毎
日の行動もそれらは重要な物語のワンシーンであることに変わりはない。
私たちはひとりひとり、一生をかけて自分の人生を紡ぐ脚本兼監督であると私は考える。
そして、別の人の人生のスタッフや、演者にも成り得る。そういった関係の中で、私たち
はお互いの人生という作品を切磋琢磨して作り上げていくのかもしれない。自分自身の人
生を幸せに演出すること、私の持つその自己の基軸を哲学塾で得た他の人の意見や考えに
支えられる日が来ることを私は期待しているのである。
以上、
*参考文献
・伊坂幸太郎『モダンタイムス』
(講談社、2008 年)
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