光と電子の 振る舞い

第
1章
光と電子の
振る舞い
SECTION
1
光化学とは
光と物質の関わり合い
本書で光化学の説明を行うにあたり、最初に光化学とは何かについての説明
から始めたいと思います。
光化学とは、光と物質の関わりに関する学問であり、物質に光を照射した時
に物質により光が吸収され励起状態が生成し、その後、物質がどのような振る
舞いをするのかについて研究する学問です。私たちの周りを見渡すと、自然界
においては、地球上の生態系を成り立たせている植物の光合成を始め、動物の
持つ網膜が光を感じる仕組みや生物発光、
大気圏で起こるオゾン層の形成など、
光と物質に関わる現象は数限りなくあります。また、
環境問題などにおいても、
光化学スモッグなど光化学との関わりが深いのです。一方で、人類は産業界に
おいても光化学を大いに利用してきました。印刷や塗料などに使われる染料・
顔料、各種のディスプレイやパソコン・スマートフォンの中枢部品を作る際に
使われるフォトレジスト、光ディスク、コピー機(電子写真)など現代の社会
を支えている技術がいくつもあげられます。また、近年ではより高性能で便利
な製品を作るため、あるいは人類の抱える社会問題を解決するため、人工光合
成、有機 EL、光触媒、量子ドット、各種のセンサーなどの新しい技術が考え
出され、研究が活発に行われています。
また、光化学に対する知を深め、より優れた技術や製品を生み出していくた
めには、光が照射される物質だけではなく光源の改良も必要になります。光源
については、レーザーが発明され、その性能の向上が行われてきました。
光化学を学ぶためには、まず分子における電子の状態を知る必要がありま
す。そこで本書では量子化学の考え方を説明し、次に分子と光との相互作用に
ついて知るところからスタートします。そして、光によって高いエネルギー状
態になった分子がその後どのような振る舞いをとるのか、いくつかの基本現象
を説明し、基礎的な理論をつかんでいただきたいと思います。それから、光化
学が自然界のどのような現象に現れているのか、また、産業界ではどのように
応用されているのかについて説明を進めていきます。
2
第1章 光と電子の振る舞い
光と物質の関わり合いについて研究する学問
光の吸収
項間交差
発光
熱的失活
エネルギー移動
反応
・
・
・
光
電子
原子核
自然界で見られる光化学
光合成
オゾン層
生物発光
・
・
・
産業界で幅広く利用される光化学
染料、顔料
フォトレジスト
電子写真
光触媒
・
・
・
光化学と私たちの関わり合い
3
SECTION
2
光と物質の相互作用
物質に光を照射した時に起こる様々な現象
この章では光化学を理解するために必要な基礎として、光や電子が持つ波動
や粒子としての性質や、原子や分子の中の電子がどのような軌道やエネルギー
を持っているのかについて話を進めていきます。それに先立ち、まずは、物体に
光を照射した時に起こる現象にはどのような種類があるのか、みていきましょう。
図1にその現象をまとめてみました。まずは、照射した光(入射光)は物体
の表面で一部が反射(反射光)
、散乱(散乱光)し、残りが物体の内部に入っ
ていきます。散乱した光には入射光と同じ波長で散乱するレイリー散乱と、入
射光とは僅かに波長を変えて散乱するラマン散乱があります。特にラマン散乱
はその物質固有の性質であり、これに着目することによりその物体についての
情報を得ることができるため分析にも活用されています。また、物体の内部に
入った光には、物質の屈折率に応じて光が進む方向が変わる屈折という現象が
起こります。光の屈折は、
雨上がりの空に見える虹などでなじみ深い現象です。
また、物体内部では、光の吸収が起こります。例えば、色素などの物質が内部
に含まれる場合、光の吸収が可視光線の一部において起こることにより色がつ
いて見えます。光の吸収が起こるということは、光のエネルギーを物質が受け
取っているということですので、物質はエネルギーが高まった状態に変化しま
す。この状態を励起状態といいます。励起状態になった物質は、次にどのよう
になるのでしょうか? エネルギーが高まった状態は不安定な状態なので、図
2 のように物質はすぐに余分なエネルギーを放出し安定な状態に戻ろうとしま
す。この状態を基底状態といいます。この時、光の形でエネルギーを放出する
のが発光という現象です。発光にはどのような励起状態から光を放出するかに
より、蛍光とりん光の 2 種類があります。光ではなく熱の形でエネルギーを放
出することもあります。また、吸収されなかった光は、そのまま物体を通過し
物体の外に出ていきます。
このうち本書では、光化学の現象として、光の吸収と励起状態の生成、励起
状態から起こる発光やその他の現象について説明を行なっていきます。
4
第1章 光と電子の振る舞い
反射光
散乱
(レイリー散乱、ラマン散乱)
入射光
光吸収→発光(蛍光・りん光)
透過光
図 1 物質に光が入射された時に起こる現象
高エネルギー状態
(励起状態)
光を吸収
光を放出
低エネルギー状態
(基底状態)
励起
発光
図 2 励起と発光
5
SECTION
3
光の正体は何か?
光の粒子性
皆さんは「光の正体は何か?」と質問された時なんと答えますか? 多く方
は「光は波の一種です」と答えるのではないでしょうか? この答えはある面
では正しいのですが、本書のテーマである光と物質の関わり合い(相互作用)を
考えるとき、光=波とだけ考えていると、うまく説明できない現象があります。
19 世紀末、ドイツの物理学者レーナルトは、電圧をかけた金属板に光をあ
てると、金属表面から光電子が放出される光電効果の研究をしていた時、次の
ことに気づきました。①光電子の放出は、照射した光の振動数がある値より高
い場合にだけ起こる。②光の強さは一定のまま光の振動数だけを高くすると、
光電子の数は同じまま、光電子一つあたりのエネルギーが大きくなる。③照射
する光の振動数は一定で、照射する光を強くすると、光電子一つあたりのエネ
ルギーは同じまま、放出される光電子の数が増える――。この現象は光を波と
して考えていると説明できません。なぜなら、光が波であるならば、光の強さ
を大きくした時に出てくる光電子の一つあたりのエネルギーも同時に大きくな
るはずだからです。
この光電効果は当時の物理学の知識では完全に理解することができません
でしたが、1905 年にアインシュタインが光量子説を唱えることにより理解で
きるようになりました。それは、
①光は光子という多数の粒子の流れからなる。
②それぞれの粒子は光の振動数に比例したエネルギーを持つ――、というもの
です。この説によれば、金属表面に光を照射した時、光子が金属表面近くにあ
る電子にぶつかり、持っていたエネルギーを電子に渡します。エネルギーを受
け取った電子は金属表面から飛び出しますが、金属内部からの束縛を脱するた
めに受け取ったエネルギーの一部を使い、残ったエネルギーが飛び出した光電
子のエネルギーとなります。光の強さは光子の数に比例していると考えると、
光りの強さを強くすると光子にぶつかる電子が増えるため、光電子も増えたと
説明できます。このように光電効果の現象を解明することにより、光が粒子の
ような性質も併せ持つことが明らかになりました。
6