「井上円了哲学塾レポート」 塾生登録番号 7700160012 東洋大学文学部

「井上円了哲学塾レポート」
塾生登録番号 7700160012
東洋大学文学部教育学科
関 翔平
1.はじめに
私が井上円了哲学塾を知ったのは、大学 1 年の春であった。この時点で「面白そうだな」
とは思っていたものの、土曜の講義と被るという理由を付け、どこかで遠慮していた。大
学 2 年になって、土曜日には講義を入れなくても済む時間割になった。しかし、週に一度
のサークルのために、またも諦める自分がいた。大学 3 年の春、進路について悩んでいた。
1 年次から学校教員の道を目指していたが、いざ課程を進めるにつれ、学校教員の仕事を甘
く見ていたこと、学校教員は若者と関わる“仕事”であることという現実を理解し始めた
頃だ。私は情けなくなった。教育や社会学、心理学に興味があり、将来は中学校の先生に
なりたい、そのために学科を選んだのに、結局リタイアすることになるのかと。
私は大学 3 年の春になってようやく進路について真剣に考えたのだ。いや、今まで決し
て何も考えていなかった訳ではない。しかし、いざ時が進んで怖気づいてしまったという
からには、少なからずの驕りや思慮の浅はかさがあったのだろう。そんな風に自分を分析
し始めたとき、友人 K と友人 Y からこの井上円了哲学塾 4 期生に応募するという話を聞い
た。一度は応募しようとしていたこと、今になって進路についてまた考えることになった
こと、そんな思いが巡り、大学 3 年だけ、自分を見つめなおす年にしよう、自分のやりた
いことは何だろうと考えられる年にしようと決め、様々な人の意見を聞けて且つ、自分の
意見も深められるよう井上円了哲学塾 4 期生の応募に至った。
2.自分にない意見について考えた
第 1 回・牧村学長の講義終わりに、塾生からの「学長は車が通らず、無人の横断歩道で
赤信号なら渡るか」という問いがあった。もし私に聞かれていたら「渡らない」と答える
つもりでいた。理由は、中学時代の体育教員であり部活動の顧問でもあり、尊敬していた M
先生が「誰も見ていない無人の横断歩道を待つか渡るかで人格が問われる」ようなことを
授業前の待ち時間で言っていて、その話を気の合う幼馴染と“M 先生の教え”と面白おかし
く、しかし、お互いそれを信じて中学卒業後も生きてきたからだ。そんな理由で、聞かれ
た訳でもないのに堂々と私は胸を張って席に座っていた。しかし、講義第 1 回にして、早
速衝撃が走った。学長は、
「車が通らず、無人なら渡ります」と答えた。
M 先生のように、人の前に立つ大人は皆渡らないだろうと私は決めつけていた。しかし、
学長は濁すことなく「渡る」と言った。これは、学長の“渡ること”に対して驚嘆したの
ではない。私の世界があまりに狭すぎたことに気づき、そして、昔から聞いて育った“渡
らない”以外の答えについて、中学卒業から今まで全く考えることがなかったことに驚嘆
したのだ。
「なぜ、渡らないのか」そのことについて考え始めたのが、自分にとっての哲学塾のス
タートであったと、これまでを振り返ってみた今こそ思われる。この問いに対しては、次
のように考えた。M 先生から詳しく話を聞いた覚えはないが(もしかしたらあるかもしれな
いが)、信号に従うから社会が成り立つのであり、誰かが見ているから守るのでなく、誰か
が見ていなくても守るのが当たり前であることを M 先生は伝えたかったのだと、私は解釈
した。
一方で、
“渡らない”という意見になる場合、車の通らない道路を前にしたとき、信号機
はその意味を成すのかという考えや、渡っても何らリスクのない横断歩道を前にして無意
味に待つ姿から、時間が勿体無いといった考えが思い浮かんだ。その上で、私は待ちたい。
信号を待つことは美徳に見られるが、それ以上に特に何も生まれず、むしろ自分の生きる
時間が刻々と過ぎていると考えると、まぁ無駄である。ましてや、中学生に「信号は守る
ように」と言っている訳ではないので、安全面に関しても、もう心配される問題ではなく
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なってくる。ましてや、見つかったから厳しい罰則が下される訳でもない。しかし、それ
でも私は渡らずにいようと思った。理由は、自分のペースを保つためと、疲労状態にある
時の不意な事故を防ぎたいという思いからだ。
まず、何でもかんでも渡ってしまって、それでもって車が通っていたら待つという使い
分けが、ちょっとしたことに拘りたがる私には難しいと感じた。また、これを見つめ直し
たとき、私の場合見られているから、評価されるからやるのではなく、ルーティン・ワー
クのような意味を込めて、自分というペースのために待とうと考えた。
また、もう一つの自己防衛の面に関しては、
「渡る派」、
「渡らない派」に共通し、異なる
ことを考え、導いた。共通することは目の前に横断歩道と信号機があり、それを認識する
己がいることである。異なることは、認識する己のベースが渡る派なら“信号を前にした
とき、常に隙を見て渡ろうと考えていること”であり、渡らない派には、
“どんな場面でも
待つ”が基軸とされているものと考えた。そう考えたとき、渡る派のまま生きるというこ
とは、少なからず、渡らない派よりも不注意によって事故に遭う確率が高まるのではない
か、という結論に至った。
また、考えを巡らせる中で、
「緊急の場合はどうするか」という問いも生まれた。これに
は、渡る派はどうするこうするも、渡ることが基本とされた大まかな軸とされているため、
特に問題はない。しかし、渡らない派はどうなるか。これについては、私の中では、答え
が出なかった。いや、出てきてはいるのだが、自分の経験の浅さから答えに対し、モザイ
ク・マスクをかけてしまっているのである。例えば、自分の責任で何かに急ぐことになっ
た場合、そのよう状況を作ってしまった自分を落ち着かせるために、私は待とうと思った。
しかし、私の責任の関与なんかよりも自分以外の他人のために急がなくてはならない場合、
その場合に限り、渡らなくてはならないのだろうか。大げさに、他人の生死に関わる急ぎ
の場合、どんな理由であれ、私は渡るのだろうか。天皇を乗せた車でも、救急車でもない
私は、それでも渡らないのだろうか。私の考えとしてまとまったのではあるのだが、新た
に現れる未知の領域。この領域に踏み入るマスターキーは経験にあると身に染みて感じた
し、スペアキーはより自分を知ること、他者の意見を知ることだと考えた。
3.グループワークを通じて成長を感じたこと
哲学塾では、各回においてほぼ毎回、グループワークが行われる。講師の方の話から、考
えたことを各グループでディスカッションし、意見をまとめ、発表する作業である。私は、
講義ではグループワークには参加する方であったし、意見もそれなりに述べていたつもり
でいた。しかし、哲学塾ではそれが当たり前であり、塾生全員がまとめ役を経験し各メン
バーの意見をまとめることや、短い時間で実際に模造紙にまとめる作業、限られた時間で
プレゼンテーションを行うことが求められていた。
今までの、ただ学科の講義を受けていた私なら、自分からまとめ役を引き受けることは
しなかったし、周りに積極的な学生がいないから仕方なくまとめ役になるといった消去法
感覚で、形だけのまとめ役をこなしていた。しかし、哲学塾塾生の姿勢は、全員が積極的
なのは前提であり、皆が一人ひとりの意見に本気で耳を傾け、それに対しての遠慮のない
反論や、疑問を投げかけ、それについて班員でまた語り合うというものであった。
はじめは慣れず、ディスカッションの時間になると構えることがあったが、回を重ねる
ごとに、自然と流れがわかり、ディスカッションに対する抗体が出来上がってきた。意見
を述べ、不自然な点があれば指摘を受けることも勿論あった。それでも、受け入れること
が出来るようになった。そして、何より自分で成長できたと思ったことは、第 9 回グルー
プワークの時間に行われた、スタディツアーの企画をするワークショップだった。哲学塾
課程中盤にして、ようやく、自主的にまとめ役に挙手することができ、自らグループ代表
の発表をすることもできた。もちろん、意見をまとめることや、発表することも簡単では
なかった。しかし、今までにグループワークで様々な塾生と組ませていただき、その経験
の中で得たものを使いきれていたとは思わないが、少なくとも使おうとできたから、まと
め役も発表も自らこなせたし、一つの成長に繋がったと思う。
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まとめ役では、本質をまず疑い、そこで導き出した答えに対して、我々はどうアプロー
チしていくかという筋道の構成を意識した。その結果、参考にした塾生のやり方通りにで
きたとは思わないが、少なくとも一歩でも近づいたとは思えた。発表については、自称“自
己顕示欲が強い”という方の、発表の際に原稿や発表用模造紙に書かれてない言葉が出て
きてそれでもって説明ができる点や、常に明るく、発表を聞く人の目を見て、周囲の空気
を読むことができる姿勢というものを真似してみた。もちろん全く似せることはできなか
ったが、哲学塾以外の場で「自分も自己顕示をしてやろう」という気になった。
4.哲学塾講義を経て、得たこと
まず得たことは、私以外という存在の考えること、信念を知ることが出来たことである。
そして、それらを認められるようになったことである。当たり前な話だが、入塾前の私は、
よく講義でディスカッションをする際、知らない学生の意見には、あまり耳を傾けない傾
向があった。形としては受け入れ、まぁ上手くまとめに取り入れるといった、その場を一
旦繕うやり方だ。心情としては、自分と似た意見であれば快く受け入れた。一方で、それ
以外は「考え方の違う人なんだなぁ」と敬遠する気持ちがずっとあった。しかし、哲学塾
では、常に笑いが生まれ、回を追うごとに塾生同士の距離が縮まり、その過程にいくつも
のお互いの意見を語り合う場があった。その場に私も参加して、自分の意見を言うと、絶
対に受け入れ、その中で私に対する意見を語ってくれる方々が沢山いた。だからこそ、自
然と私も他の塾生の話を素直に聞けるようになったし、その上で、ディスカッションの際
に他の意見も受け入れ、素直にまとめに進めるようになったと感じる。また、先に述べた
「2.
」のように、他人の意見について、本気で考えられるようになったし、自分の考えを
疑う余裕が生まれた。これも成長であるし、得ることができた能力であると感じた。
つぎに、グループワークでのディスカッションから、他人の考えを素直に受け入れるこ
とに加え、発言する勇気と自信も得た。以前の私は自分の言葉や考えに横槍を入れられる
のが怖くて控えめでいたことがあった。しかし、これも哲学塾のプログラムを進める上で、
塾生の方々、講師の方々、運営の方々が私を受け入れてくれたからこそ、私の意見に怯え
ることはないと余裕を持つことができ、強くなれたと思う。そして哲学塾に携わった方々
と過ごした時間がなかったら、間違いなく成長はなかったと思う。関わってくださった方々
に感謝したい。
5.まとめ ―今後の「私」―
4 ヶ月間の哲学塾講義を通し、なにか大それた能力を得たわけでもなく、めちゃくちゃ社
交的な人間になれたわけでもなく、なにかとんでもないことに気付き、人生が一気に変わ
ったような変化はなかった。しかし、確実に「他人の意見を受け入れる」
「自分の言葉・考
えに自信を持つ」ことができるようにはなったし、その中で「自分の思考を日々疑うこと
を忘れない」という軸を築き始めることができた。
もちろん、まだまだ小さな軸である。しかし、
「私」を疑いながら生活することで、哲学
塾で気付かされたことは、
「私」の中でずっと生きながら、軸が太くなる予感はする。これ
も、哲学塾講義に直結するものである。
時に現実から目を逸らし、自分を疑いたくない日が来ると思う。実際に、これまでの「私」
の人生は、困ったら勢いで何とかしようとし、勝ちも負けもない自分をただ信じていたよ
うであったと今では思える。もちろんそれが悪いわけではない。しかし、良いかと聞かれ
たら、良くないと今の「私」なら思う。何が良くて何が悪いかをただ考える過去であった
が、哲学塾での経験を基に、
“良くない”と思うことに敏感になり、しかし“なぜ良くない
のだろう”と「私」を疑い、
“もう一度見つめ直してくれ俺”と余裕を持って落ち着き、
“じ
ゃあこうしてやる”と素直に生きていきたいと思う。「私」にはそれができると思う。
以上、
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