四 、 郭 巨 図 の 展 開 三 、 老 莱 子 図 に つ い て 一 、 新 出 北 魏 石 床 の 孝 子 伝 図 二 、 董 黯 図 の 出 現 陽 明 本 孝 子 伝 の 引 用 を 加 え る 。 石 床 の 孝 子 伝 図 、 董 黯 、 老 莱 子 、 郭 巨 図 を 紹 介 、 な 意 義 を 有 す る も の で あ る 。 小 稿 は 、 そ の よ う な 新 察出 は 、 今 後 の 孝 子 伝 、 孝 子 伝 図 研 究 に お い て 、 決 定 的 存 の 陽 明 本 孝 子 伝 の 直 接 引 用 と し か え ら れ な い こ と 国 ︶ 、 驚 き は 倍 加 し た 。 ま た 、 上 記 の 題 記 は 、 日 本 伝 て い な い と え ら れ た か ら ︵ 董 黯 図 三 例 は 全 て 在 米 た か ら で あ る 。 し か も 董 黯 図 は 、 も は や 中 国 に は 残 っ と い う 題 記 を 持 つ 、 孝 子 伝 図 の 董 黯 図 に 外 な ら な か っ る の 王は 寄奇 、 ︶ 日 殺 三 生牲 ︶ 、 猶 為 不 孝 氏 蔵 北 魏 石 床 を 一 見 し て 仰 天 し た 。 そ こ に 描 か れ て い す る 目 的 だ っ た が 、 深 圳 博 物 館 に 展 示 さ れ て い る 、 呉 会 い で あ る 。 そ の 訪 問 は 、 呉 氏 蒐 集 の 孝 子 伝 図 を 拝 見 深 圳 の 呉 強 華 氏 の 許 へ と 赴 い た 。 呉 氏 と の 始 め て の 出 中 国 社 会 科 学 院 古 研 究 所 の 趙 超 教 授 の 紹 介 に よ り 、 二 〇 一 二 ︵ 平 成 二 十 四 ︶ 年 三 月 の 北 京 大 学 遊 学 時 、 呉 強 華 氏 蔵 新 出 北 魏 石 床 の 孝 子 伝 図 に つ い て 黒 田 彰 134 以 下 、 極 め て 貴 重 な 、 本 石 床 の 孝 子 伝 図 を 解 説 し よ う と す 蒙 の 必 修 書 と さ れ 、 六 朝 末 に 十 種 以 上 も 出 現 し た 。 も っ た 孝 子 伝 図 は 、 こ れ ま で 管 見 に 入 っ て い な い 。 小 稿 は げ た 孝 子 伝 ・ 孝 子 図 な ど と 題 す る 書 が 、 孝 経 と 共 に 童 135 け る 事 実 と 言 う こ と が 出 来 よ う が 、 本 石 床 の よ う な 題 記 を 持 の た め に 孝 行 の 教 化 が 徹 底 さ れ 、 孝 行 の 実 践 例 を 掲 て 、 陽 明 本 孝 子 伝 と 孝 子 伝 図 と の 密 接 な 関 わ り を 、 確 証 付 家 族 制 度 が 極 め て 古 く か ら 発 達 し た 中 国 で は 、 そ の 維 が 、 本 石 床 の 孝 子 伝 図 の 研 究 的 価 値 を 、 図 抜 け て 高 い も の 孝 子 伝 図 に は 、 文 字 部 な い 、 董 黯 図 が 描 か れ て い た こ と で あ る 。 ま た 、 そ れ ら の 用 し て い る と 見 ら れ る 点 で あ る 。 こ の こ と は 、 一 方 に お い 二 種 の 内 の 、 陽 明 本 孝 子 伝 の 本 文 を 、 そ の 二 つ の 題 記 が 引 と し て い る の は 後 述 、 日 本 に の み 残 さ れ た 、 完 本 古 孝 子 伝 治 氏 は か つ て 、 格 並 に 清 家 本 と の 関 係 に つ い て 係 始 る 、 後 に め 文 述 つ に 学 す い 、 る て 孝 的 、 、 子 な 日 簡 伝 価 本 単 図 値 に に の を の 触 出 み れ 典 明 伝 て と し 存 お な た す く っ 名 る こ た 論 完 と 孝 文 本 に 子 古 し 伝 陽 孝 た と 明 子 い 、 本 伝 。 孝 子 孝 二 伝 子 種 図 伝 に の の 関 関 性 す の 冒 頭 に お い て 、 西 野 貞 ︵ 榜 題 二 、 題 記 二 ︶ が 存 し て い る 図 の 研 究 上 、 看 過 し 難 い 重 要 な 点 が 多 々 含 ま れ て い る 。 例 面 と 、 老 莱 子 、 董 黯 図 ︶ 。 本 石 床 の 孝 子 伝 図 に は 、 孝 子 伝 在 っ し た て も い の た④ と 。 し 本 て 石 、 床 テ の キ 孝 ス 子 ト 伝 と 図 し の て 内 の 容 孝 を 子 説 伝 明 、 す 二 る 十 に 四 当 孝 た が り 存 、 っ た も の と え ば 本 石 床 の そ れ を 一 見 し て 驚 い た の は 、 遺 例 の 非 常 に 少 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について 三 つ の 孝 子 伝 の 物 語 を 図 像 化 し た も の で あ る ︵ 郭 巨 図 が 二 な 孝 子 伝 図 と 認 め ら れ 、 そ れ は 、 当 時 よ く 知 ら れ て い た 、 そ の 発 掘 、 発 見 え が ら 相 れ 次 る い が で 、 い ま る た 。 、 と そ こ れ ろ ら で の 、 図 本 像 の 化 典 拠 本 さ と が れ な あ た 数 多 の 孝 子 伝 図 、 二 十 四 孝 図 に は 当 然 、 そ れ ら の 面 の 画 像 が 描 か れ て い る が 、 そ の 内 の 四 面 は 、 極 め て 貴 重 石 床 の 囲 屛 部 に は 、 墓 主 を 始 め と す る 馬 、 牛 車 等 、 全 十 二 伝 が 図 数 に 多 代 く わ 残 っ り て 、 、 唐 二 代 十 を 四 境 孝 と 図 し が て 盛 宋 ん 、 に 遼 制 ・ 作 金 さ 代 れ 以 続 降 け③ は 、 、 現 孝 在 子 れ る も の で 、 原 石 の 所 蔵 者 は 、 深 圳 の 呉 強 華 氏 で あ る 。 本 ︵ 二 〇 一 二 年 ︶ 。 そ の 石 床 は 、 北 魏 時 代 末 期 の 制 作 と 見 ら こ の 度 、 深 圳 博 物 館 に 一 点 の 新 出 石 棺 床 が 出 展 さ れ た 北 た 後 壁 孝 漢 1 子 武 層 伝 氏 ︶ 図 祠 の を 画 孝 始 象 子 め 石 伝 と ︵ 図 し 武 以 て① 梁 下② 、 祠 、 和 第 後 林 一 漢 格 、 、 爾 三 北 後 、 魏 漢 二 を 壁 石 中 画 2 心 墓 層 と ︵ ︶ す 中 に る 室 描 優 西 か 品 、 れ 一 中 国 に お け る 孝 子 伝 図 、 二 十 四 孝 図 は 、 世 界 的 に 有 名 な る も の で あ る 。 ト の 全 面 的 に 散 逸 し て い る 事 実 が 、 そ の 察 の 決 定 的 な 障 の 内 容 を 、 具 体 的 に 察 し よ う と す る 時 、 孝 子 伝 の テ キ ス る 。 し か し 、 こ こ に 問 題 が 一 つ あ っ て 、 そ れ ら の 孝 子 伝 図 孝 子 伝 図 ⑴ る 、 孝 子 伝 図 の 制 作 が 盛 行 を 見 た こ と は 、 前 述 の 通 り で あ 石 2 層 ︶ に 描 か れ た 孝 子 伝 図 以 下 、 後 漢 、 北 魏 を 中 心 と す 孝 子 伝 図 ⑵ キ ス ト に 基 づ き 、 後 漢 武 氏 祠 画 象 石 ︵ 武 梁 祠 第 一 、 三 、 二 方 、 中 国 に お い て は 、 幼 学 と し て 広 く 流 布 し た 孝 子 伝 の テ と 伝 が と 出 称 来 す る⑧ る じ 。 ︶ て 両 、 陽 孝 辛 明 子 う 本 伝 じ の は て 方 、 そ が 共 の 、 通 在 古 の り 態 祖 し を 本 日 よ か の く ら 姿 保 出 を っ た 、 て も 窺 い の い る⑨ と 知 。 思 る 一 わ こ れ る が 、 墓 主 墓 主 ︶ ︶ 女 男 孝 子 伝 図 ⑶ ︵ 陽 明 本 孝 子 伝 と 橋 本 清 家 本 孝 子 伝 。 以 下 、 両 孝 子 逸 が を 、 免 シ れ ル た ク 完 ロ 本 ー の ド 古 の 孝 東 子 端 伝 に が 位 二 置 種 す 、 る 今 日 日 本 ま に で は 伝 、 存 奇 し 跡 て 的 お に り⑦ 散 孝 子 伝 図 ⑷ 牛車 馬 図一 呉強華氏蔵北魏石床概念図㈠ れ 、 全 十 二 面 に 、 て 縦 三 面 に 区 切 ら 板 は 、 匡 郭 に よ っ い だ も の で 、 各 石 石 板 を 、 金 属 で 繫 板 二 枚 の 計 四 枚 の 各 一 枚 、 縦 棒 に 石 上 下 の 横 棒 に 石 板 ︵ い る 構 。 え 即 ︶ ち 字 、 型 の 的 な 様 式 を 有 し て 魏 期 石 棺 床 の 典 型 本 石 棺 床 は 、 北 れ が た 、 逸 そ 文 れ を ら 通 の じ 古 て 孝 し 子 か 伝 、 は そ 現 の 在 内 、 容 全 を て 窺 散 う 逸 術 し が 、 な 諸 い⑥ 書 。 に と 引 こ 用 ろ さ 本 孝 子 伝 の 本 文 を 、 主 と し て 用 い る こ と と す る 。 え る 孝 子 伝 が 制 作 さ れ 、 幼 学 と し て 盛 ん に 享 受 さ れ て い た そ こ で 、 小 稿 に お い て 本 石 床 の 孝 子 伝 図 の 解 読 を 試 け み 陽 る 明 に 当 た っ て は 、 日 本 伝 存 の 完 本 古 孝 子 伝 二 種 、 取 り お と い 述 て べ 或 は ら は 古 れ 南 く た 宋 、 こ の 劉 と 兵 向 が 燹 孝 あ に 子 る⑤ 佚 。 わ 伝図 ︶ 、 西 れ 蕭 野 た 広 氏 も 済 の の 孝 言 が 子 の 多 伝 如 い 以 く か 下 、 と 、 中 十 国 え 種 大 る を 陸 越 に ず 、 孝 子 伝 テ キ ス ト の 散 逸 に よ る 所 が 大 き い と 言 え よ う 。 現 在 、 そ の 解 明 が 十 全 に 進 ん で い な い こ と は 、 何 よ り も ま 一 、 三 、 二 石 2 層 に 描 か れ た 孝 子 伝 図 の 研 究 を 見 て も な お 晁 伝 存 武 の ・ 記 陳 録 振 は 孫 南 ら 宋 の の 博 捜 樵 家 の に 通 も 志 見 略 ら を れ 下 て 限 い と ぬ し よ 、 う 稍 で 後 、 の 此 等 の 書 が 盛 行 し た こ と は 種 々 の 資 料 か ら 偲 ば れ る が 、 一 旦 、 姿 を 隠 し て 清 代 の 乾 隆 五 十 一 ︵ 一 七 八 六 ︶ 年 、 黄 易 碍 と な っ て い る 点 で あ る 。 例 え ば 宋 代 に 発 見 さ れ 、 そ の 後 に よ る 再 発 見 を 経 、 千 年 に 近 い 研 究 を 擁 す る 、 武 梁 祠 第 136 表 一 節 37 烏 24 由 14 8 1 宗 三 舜 序 高 女 董 両 黯 31 柴 21 勝 州 孝 劉 之 義 2 許 44 士 董 子 眉 38 孜 25 敬 伝 張 宣 15 間 申 永 陳 9 編 尺 生 32 敷 目 22 寔 丁 3 魯 45 蘭 刑 39 義 26 謝 16 45 申 士 孟 弘 陽 10 渠 仁 微 慈 明 33 威 朱 4 烏 明 27 23 40 伯 44 禽 子 王 朱 17 1 1 ︵ 堅 百 曹 祥 以 年 蔡 上 41 34 28 ︵ 順 5 郭 、 李 蔣 姜 以 18 下 善 詩 上 毛 12 巨 巻 、 義 王 ︶ 42 35 29 上 巨 6 羊 伯 叔 巻 19 尉 原 谷 奇 先 ︶ 欧 尚 13 雄 老 7 43 36 20 莱 魏 東 曾 30 仲 之 陽 帰 参 顔 13 老 莱 子 37 董 黯 墓 主 墓 主 ︶ ︶ 女 孝 子 伝 図 ⑷ ⑶ ⑵ ⑴ 5 5 13 37 郭 郭 老 董 巨 巨 莱 黯 子之 ︶ 5 郭 巨 男 ア 数 字 は 、 表 一 に よ る 陽 明 本 の 目 次 番 号 ︶ 。 5 郭 巨 馬 図二 呉強華氏蔵北魏石床概念図㈡ と い う も の で あ り か っ て 、 配 列 さ れ る 137 ︵ 女 性 墓 主 ︶ へ と 向 左 の 外 側 か ら 中 心 性 墓 主 ︶ へ 、 次 い で 、 の 外 側 か ら 中 心 ︵ 男 ︵ 表 一 ︶ に 従 い 、 右 存 の 両 孝 子 伝 の 編 目 図 の 順 序 は 、 日 本 伝 に 配 さ れ た 諸 孝 子 伝 る も の で 、 そ の 周 囲 墓 主 肖 像 を 中 心 と す 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について 像 は 、 何 よ り も ま ず 中 心 と す る 石 床 の 図 て 榜 題 が あ っ て 、 そ れ ぞ れ 次 の 三 つ の 孝 子 伝 の 物 語 を 、 図 す る よ う に 、 図 一 に お け る 本 石 床 の 孝 子 伝 図 ⑴ | ⑷ に は 全 成 る も の で 、 孝 子 名 に よ る そ の 編 目 を 、 表 一 に 示 す 。 後 述 存 す る こ と を 明 ら か に さ れ て い る 。 そ の 原 理 と は 、 北 魏 を に 描 か れ た 孝 子 伝 図 の 配 列 に つ い て 、 極 め て 重 要 な 原 理 が を 例 と し て | け る 葬 具 の 図 像 と 機 能 | 石 棺 床 囲 屛 の 墓 主 肖 像 と 孝 子 伝 図 と 題 す る 論 を 著 し 、 北 朝 期 の 石 棺 床 囲 屛 い る ︶ 。 ま た 、 日 本 伝 存 の 両 孝 子 伝 は 、 共 に 四 十 五 条 か ら 近 時 、 林 聖 智 ︵ LIN Sheng-chih 牛車 像 化 し た も の で あ る こ と が 判 明 す る ︵ 孝 子 名 の 上 の ア ラ ビ ︶ 氏 は 、 北 朝 時 代 に お ⑴ | ⑷ の 通 し 番 号 を 付 す 。 空 白 部 に は 、 侍 者 等 が 描 か れ て 本 石 床 の 図 像 の 概 要 を 、 図 一 に 示 そ う ︵ 孝 子 伝 図 に 、 仮 に 線 刻 、 浅 彫 り の 墓 主 、 孝 子 伝 図 等 の 図 像 が 描 か れ て い る 。 な る だ ろ う 。 れ 、 改 め て 本 石 床 の 図 像 概 要 を 示 し 直 せ ば 、 図 二 の 如 く に そ こ で 、 図 一 の 孝 子 伝 図 ⑴ | ⑷ に 、 上 記 三 名 の 孝 子 名 を 入 の で 応 、 あ 、 る 林 。 氏 と の こ 言 ろ わ で れ 、 る 図 原 四 理 に を お 充 け た る し 、 て 唯 い 一 る の こ 例 と 外 が は 知 、 ら 左 れ 矢 る 印 の 図 の 順 と す る 。 か う 左 矢 印 ② は 、 37 ︵ 董 黯 ︶ 、 13 ︵ 老 莱 子 ︶ と な っ て 、 一 と な り ︵ A B に つ い て は 、 後 述 ︶ 、 さ ら に 女 性 の 墓 主 へ 向 そ の 順 序 は 、 図 四 の よ う に な る で あ ろ う 。 即 ち 、 ま ず 男 性 床 の 図 二 に お け る 、 孝 子 伝 図 の 配 列 に 関 し 確 認 し て み る と 、 ② の 順 に 並 べ ら れ る と い う こ と に な る 。 こ の こ と を 、 本 石 順 王 高 序 以 奇寄 い ︶ は 下 図 両 、 ︵ 親 宜 本 37 に 的 石 ︶ 孝 に 床 と 行 、 に 入 を 図 描 れ 尽 二 か 替 く の れ え し 左 た た た か 孝 も 老 ら 子 の 莱 37 伝 と 子 董 図 思 図 黯 を わ ︵ 、 解 れ 13 13 説 る ︶ 老 し の を 莱 よ で 、 子 う あ 親 、 。 る 不 5 解 。 孝 郭 説 者 巨 の の そ の よ う な 不 都 合 を 嫌 い 、 そ の 事 態 を 避 け る た め に 、 年 の を 上 げ る こ と が 出 来 る で あ ろ う 。 つ ま り 本 石 床 の 制 作 者 は 、 の 墓 主 へ 向 か う 右 矢 印 ① は 、 5 ︵ 郭 巨 ︶ 、 5 ︵ 郭 巨 ︶ っ て 、 ま ず 右 の 矢 印 ① の 順 に 並 べ ら れ 、 次 い で 、 左 の 矢 印 不 孝 王 寄 の 榜 題 が あ る ︶ が 来 て し ま う と い う 、 不 都 合 孝 子 伝 図 の 配 列 は 、 表 一 に お け る 両 孝 子 伝 編 目 の 順 序 に 従 中 心 ② ① 図三 ち 、 石 床 に 描 か れ た 諸 図 三 の 如 く で あ る 。 即 く 概 念 図 化 し て 示 せ ば 、 配 列 順 序 を 、 孝子伝図配列概念図㈢ 床 に お け る 孝 子 か 伝 り 図 易 の 今 、 氏 の 言 わ れ る 、 石 確 認 し た こ と が あ る 。 指 摘 さ れ た 原 理 を 、 再 も あ る ︶ 、 私 も 林 氏 の 主 像 に 代 え ら れ る こ と ︵ 馬 と 牛 車 の 図 が 両 墓 中 ン 37 13 心 5 5 ・ ア ト キ ン ズ 美 術 館 蔵 ② ① 北 斉 図四 呉強華氏蔵北魏石床孝子伝図配 石 列概念図㈣ 床 の そ 酷 奇寄 れ に 墓 に 林 こ が と ︶ れ 似 図 た 、 主 従 氏 の 存 い ︵ 、 37 の っ の 逆 す う 37 後 す 例 親 董 直 た 言 転 る 、 ↓ 述 る え 不 黯 接 場 わ に こ 順 13 、 ば 孝 図 の 合 れ 関 と 序 に ネ 本 者 に 左 、 る し で の は ル 図 の 描 隣 女 原 て あ 逆 、 ソ に 王 か り 性 理 は る 転 、 。 138 辺 。 因 語 曰 黯 母 、 汝 年 食 過 完 七 十 麁鹿 ︶ 衣 、 薄 家 、 又 而 我 。 子 顔 与 色 人 乃 得 悪 怡 。 悦 董薫 ︻ ︶ 黯 陽 家 明 本 至 ︼ 孝 。 雖 与 王 奇 並 居 、 二 母 不 数 相 見 。 忽 会 籬 も 併 せ 示 す 。 そ れ ぞ れ ︵ ︶ 内 に 、 書 き 下 し 文 を 添 え た ︶ 。 殺 之 、 取 佳 完 十 斤 、 精 米 一 斗 熟 而 薦 之 。 日 中 又 殺 肥 羊 母 顔 色 惨 々 、 長 跪 問 母 曰 、 何 所 不 和 。 母 曰 、 老 人 言 多 食 、 導 児 不 孝 。 黯 在 田 中 、 忽 然 心 痛 、 馳 奔 而 還 。 又 見 謂 母 曰 、 児 已 問 黯 母 。 其 云 、 日 々 食 三 斗 。 阿 母 自 不 能 如 此 何 。 答 曰 、 我 雖 図五 呉強華氏蔵北魏石床(董黯図) 逆 。 又 応 治 剪 、 令 労 孝 子 助 朕 除 患 。 賜 金 百 斤 、 加 其 孝 139 之 鳥 嘆 悲 曰 鳴 、 。 敬 或 謝 上 孝 黯 子 臂 、 董薫 ︶ 黯 或 。 上 朕 頭 寡 辺 徳 。 統 監 荷 司 万 具 機 如 。 状 而 奏 今 王 凶 。 人 々 勃 聞 司 母 見 。 縛 黯 。 承 応 天 当 士 備 、 死 忘 。 行 挙 己 声聞 力 哭︶ 、 。 既 目 得 中 傷 出 讐 血 身 。 。 飛 甘 鳥 翳 日 、 、 甘 禽 監 乃 請 以 向 墓 別 母 。 監 司 許 之 。 至 墓 啓 母 曰 、 王 奇 横 苦 阿 天 也 能 。 。 食 黯 、 至 母 推 奇 八 盤 家 十 擲 而 地 奇 亡 。 頭 。 故 、 葬 孝 以 送 経 祭 礼 云 母 畢 、 墓 、 雖 。 乃 日 須 嘆 用 曰 三 監 、 牲 養 司 到 母 、 縛 讐 猶 黯 不 為 。 共 不 々 戴 孝 若 佳 不 完 尽 十 者 斤 、 、 我 精 当 米 用 一 鉾 斗 刺 熟 母 而 心 薦 、 之 。 用曲 ︶ 戟 鉤 語 母 母 頭 曰 。 、 得 食 此 此 言 令 終 尽 不 。 一 頭 。 佳 完 十 斤 、 精 米 一 斗 熟 而 薦 之 。 夕 又 殺 肥 猪 一 頭 。 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について 過 矣 。 黯 已 知 之 。 於 是 王 奇 日 殺 三 牲 、 旦 起 取 肥 牛 一 頭 ば 、 次 の 通 り で あ る ︵ 参 往 黯 母 家 、 罵 云 、 何 故 讒 言 我 不 孝 也 。 又 以 脚 蹴 之 。 帰 ま で に 、 橋 本 孝 子 伝 の 本 文 を 董 黯 図 の 典 拠 と な っ た 、 陽 明 本 孝 子 伝 37 董 黯 の 本 文 を 示 せ 過 七 十 、 顔 色 怡 悦 。 猶 其 子 与 人 悪 故 耳 。 奇 大 怒 。 即 ま ず 図 五 に 掲 げ る の は 、 本 石 床 の 董 黯 図 で あ る 。 そ し て 、 奇 従 外 帰 。 其 母 語 奇 曰 、 汝 不 孝 也 。 吾 問 見 董 黯 母 、 年 二 不 孝 、 多 与 人 恐 。 懼 罹 其 罪 。 是 以 枯 悴 耳 。 於 是 各 還 。 不 吾 憂 故 耳 。 王 奇 母 曰 、 吾 家 雖 富 食 魚 又 嗜 饌 、 吾 子 と 。 答 え て 曰 わ く 、 し 我 。 吾 し を く し 完 て を 憂 食 え し し 麁 め 衣 ざ 薄 る し 故 と の 雖 み も 、 黯 已 に 之 を 知 る 。 是 に 於 い て 王 奇 日 に 三 牲 を 殺 す 。 旦 所 か 和 な ら ざ る と 。 母 曰 わ く 、 老 人 の 言 過 ち 多 し と 。 色 惨 々 た る を 見 て 、 長 跪 し て 母 に 問 い て 曰 わ く 、 何 の に 在 り 、 忽 然 と し て 心 痛 み 、 馳 奔 し て 還 る 。 又 母 の 顔 ら 食 す る こ と 能 わ ず し て 、 児 が 不 孝 を 導 う と 。 黯 田 中 母 に 問 う 。 其 れ の 云 わ く 、 日 々 三 斗 を 食 す と 。 阿 母 自 っ て 之 を 蹴 る 。 帰 り て 母 に 謂 い て 曰 わ く 、 児 已 に 黯 が 云 わ く 、 何 の 故 に 我 が 不 孝 を 讒 言 す る や と 。 又 脚 を 以 の み と 。 奇 大 に 怒 る 。 即 ち 黯 が 母 の 家 に 往 き 、 罵 り て 過 ぐ れ ど も 、 顔 色 怡 悦 す 。 猶 其 の 子 人 の 与 に 悪 く 、 汝 不 孝 な り 。 吾 董 黯 が 母 を 問 見 す る に 、 年 七 き 十 故 を 於 い て 各 還 る 。 奇 外 よ り 帰 る 。 其 の 母 奇 に 語 り て 曰 わ と 。 王 奇 が 母 曰 わ く 、 吾 家 富 み 魚 を 食 し 又 饌 を 嗜 む と 我 が 子 人 の 与 に 悪 謝 す 。 朕 寡 徳 に し て 万 機 を 統 べ 荷 う 。 而 れ ど も 今 凶 人 王 に 奏 す 。 王 之 を 聞 き て 嘆 じ て 曰 わ く 、 孝 子 董 黯 を 敬 の 臂 に 上 り 、 或 い は 頭 辺 に 上 る 。 監 司 具 に 状 の 如 く に 中 よ り 出 血 す 。 飛 鳥 日 を 翳 い 、 禽 鳥 悲 鳴 す 。 或 い は 黯 甘 ん ず 。 応 当 に 死 に 備 う べ し と 。 声 を 挙 げ て 哭 く 。 目 と を 得 た り 。 な れ ど 、 己 が 力 を 行 う を 忘 れ 、 既 に 讐 身 を 傷 す る こ て 曰 わ く 、 王 奇 横 ん こ と を 以 っ て す 。 監 司 之 を 許 す 。 墓 に 至 り 母 に 啓 し 司 到 り て 黯 を 縛 す 。 黯 乃 ち 請 う に 墓 に 向 か い 母 に 別 れ わ 黯 く と く の 、 能 、 母 日 わ 八 に ず 母 十 三 し が に 牲 て 讐 し の 、 、 て 養 盤 共 亡 を を に す 用 推 天 。 う し を 葬 と て 戴 送 雖 地 か の も に ず 礼 、 擲 と 畢 猶 つ 。 り 不 。 、 孝 故 ち 乃 と に 奇 ち 為 孝 が 嘆 す 経 家 じ な に に て り 云 至 曰 と わ 。 っ て 母 が 頭 を 鉤 く べ し と 。 此 の 言 を 得 て 終 に 食 す る こ に 甘 ん じ 、 監 司 に 縛 せ ら れ ん こ と に に 阿 母 を 苦 し む 。 黯 天 を 承 く る 士 り 奇 の 頭 を り 、 以 っ て 母 の 墓 に 祭 る 。 須 に し て 監 の 罪 に 罹 る を 懼 る 。 是 を 以 っ て 枯 悴 す る の み と 。 是 に 雖 も 、 吾 が 子 不 孝 に し て 、 多 く 人 の 与 に 恐 れ ら る 。 其 く さ ざ ら ば 、 我 当 に 鉾 を 用 っ て 母 が 心 を 刺 し 、 戟 を 用 又 因 り し て 。 黯 顔 が 色 母 乃 に ち 語 怡 り 悦 て を 曰 得 わ る く こ 、 と 汝 此 年 く 七 の 十 如 に き 過 は ぎ 何 、 ぞ 家 や も 母 に 語 り て 曰 わ く 、 此 れ を 食 し 尽 く さ し め ん 。 若 し 尽 二 母 相 い 見 る こ と 数 な ら ず 。 忽 ち に 籬 辺 に 会 す 。 き 完 十 斤 、 精 米 一 斗 熟 し て 之 を 薦 む 。 夕 に 又 肥 猪 一 ち 頭 を 殺 す 。 佳 き 完 十 斤 、 精 米 一 斗 熟 し て 之 を 薦 む 。 ︵ 名 董 也 黯 。 家 し く し て 至 孝 な り 。 王 奇 と 並 び 居 る と 雖 も 、 精 米 一 斗 熟 し て 之 を 薦 む 。 日 中 又 肥 羊 一 頭 を 殺 す 。 佳 に 起 き 肥 牛 一 頭 を 取 り て 之 を 殺 し 、 佳 き 完 十 斤 を 取 り 、 140 し と 。 時 に 、 王 奇 が 母 、 子 に 語 り て 曰 わ く 、 吾 家 富 む 六 ︶ 。 そ の 題 記 は 、 い て 曰 わ く 、 阿 嬢 何 の 患 い 有 る や と 。 母 曰 わ く 、 事 無 さ て 、 本 図 の 上 部 に は 、 二 行 の 題 記 が 記 さ れ て い る ︵ 図 141 と し て 心 痛 む 。 奔 り て 家 に 還 り 、 母 の 顔 色 を 見 る 。 問 な り 。 王 奇 は 不 孝 な り 。 時 に 、 黯 田 中 に 在 り て 、 忽 然 二 母 並 び に 存 す 。 一 は 弟 王 奇 の 母 な り 。 董 黯 は 孝 有 る ︵ 董 黯 家 し て の 原 姿 を 失 う ︶ 。 橋 本 の そ れ に は 、 大 き な 省 略 、 改 変 が 加 え ら れ 、 董 黯 譚 と と し て は 、 両 孝 子 伝 の そ れ が 唯 一 の も の で あ る ︵ ま た 、 幾 つ か の 逸 文 が 残 さ れ て い る が 、 孝 子 伝 に 記 さ れ た 董 黯 譚 し く し て 至 孝 な り 。 其 の 早 く 没 す る な り 。 今 君 畢 孝 敵 後 子 、 、 致 不 黯 孝 戴 至 、 天 奇 朕 。 家 可 則 、 助 奏 以 恤︶血 具 其 。 状 頭 則 、 祭 賜 曰四 母 ︶ 以 、 墓 金 朕 。 百 以 官 斤 寡寛 司 ︶ 也 徳 聞 。 、 之 統︶ 曰 荷 、 万 機 母 。 与 転 度 載 、 刺 与 母 黯 頸 之 。 母 母 。 即問 爾 悶︶ 即 絶 曰 、 、 遂 若 命 不 終 喫 也 尽 。 、 時 当 母 以 年 鋒 八 突 十 汝 。 胸 葬 腹 礼 。 喜 、 実 過 千 金 也 。 王 奇 聞 之 、 大 忿 殺 三 生 作 食 、 一 日 三 董 黯 譚 は 古 く 晋 、 虞 預 の 会 稽 典 録 に 引 か れ た も の ら し く 、 朕 寡 徳 を 以 っ て 、 万 機 を 統 べ 荷 え り 。 今 、 孝 子 孝 を 致 っ て 母 の 墓 に 祭 る 。 官 司 之 を 聞 き て 曰 わ く 、 す る な り ︶ す 、 朕 助 け 恤 ぶ べ し と 。 則 ち 賜 う に 金 百 斤 を 以 っ て と の 敵 、 天 を 戴 か ず と 。 則 ち 具 状 を 奏 す る に 、 曰 わ く 、 勃 り 逆 ら う 。 又 応 に 治 剪 し 、 孝 子 の 朕 が 患 い を 除 く を に 其 の 罪 に 離 る こ と を 恐 れ 、 寝 食 安 か ら ず 。 日 夜 愁 い と 雖 も 寧 き こ と 無 し 。 汝 人 の た め に 悪 ま る 。 而 し て 常 母 曰 、 無 事 。 於 時 、 王 奇 母 語 子 曰 、 吾 家 富 而 無 寧 。 汝 然 痛 心 、 奔 還 于 家 、 見 母 顔 色 。 問 曰 、 阿 嬢 有 何 患 耶 。 之 母 。 董 黯 有 孝 也 。 王 奇 不 孝 也 。 於 時 、 黯 在 田 中 。 忽 刺 す 。 母 即 ち 悶 絶 し 、 遂 に 命 終 す る な り 。 時 に 母 年 八 に 鋒 を 以 っ て 汝 が 胸 腹 を 突 か ん と 。 転 た 母 の 頸 を 載 り 与 う 。 爾 し て 即 ち 曰 わ く 、 若 し 喫 し 尽 く さ ざ ら ば 、 当 大 安 に 心 忿 の り 喜 て び 三 、 実 生牲 ︶ を に 殺 千 し 金 食 に と 過 作 ぐ し る 、 な 一 り 日 と 三 。 度 王 、 奇 黯 之 の を 母 聞 に き 、 十 な り 。 葬 礼 畢 り て 後 、 黯 奇 が 家 に 至 り 、 其 の 母 頭 と を 君 以 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について 董 ︻ 孝 助 黯 名 く 家 橋 に る 本 加 こ 至 ︼ う と 孝 る を 也 な 労 。 り わ し 其 。 ︶ む べ 早 し 没 と 也 。 。 金 二 百 母 斤 並 を 存 賜 。 う 一 て 者 、 弟 其 王 の 奇 者 与 人 而 悪 無 。 憂 而 。 常 為 恐 人 離 無 其 悪 罪 。 、 内 寝 則 食 有 不 孝 安 、 。 外 日 則 夜 有 為 義 愁 。 。 安 董 心 黯 之 母 悪 ま る る 無 し 。 内 に は 則 ち 孝 有 り 、 外 に は 則 ち 義 有 り 。 を 為 す 。 董 黯 が 母 は し け れ ど も 憂 い 無 し 。 人 の 為 に 題 記 の 後 半 、 猶 為 不 幸 的 な 意 義 を 有 す る も の と 言 う こ と が 出 来 る 。 取 り て 、 こ の 度 の 本 石 床 の 出 現 は 、 孝 子 伝 図 の 研 究 の 句 は 、 陽 明 本 に お け 上 る け 、 、 、 画 本 期 巨 図 の 題 記 に つ い て も 指 摘 出 来 る の だ が 、 そ の 意 味 に お い れ ば な ら な い の で あ る 。 同 じ こ と は 後 述 す る 、 本 石 床 の 郭 い ら れ て い た こ と を 確 証 す る 、 極 め て 貴 重 な 資 料 と し な け 子 伝 ︵ の 祖 本 ︶ が 北 魏 末 期 以 前 、 孝 子 伝 図 の 出 典 と し て 用 確 認 さ れ た こ と が な い 。 従 っ て 、 本 図 の 題 記 は 、 陽 明 本 孝 孝 子 伝 図 に 直 接 、 引 用 さ れ て い る こ と は 、 こ れ ま で 一 度 も 非 常 に 重 要 で 、 本 図 の 題 記 の 如 く 、 陽 明 本 孝 子 伝 の 本 文 が の 表 記 は ま た 、 本 図 の 題 記 は 、 三 橋 生 本 の と 傍 綴 線 る 部 に が 、 見 興 え 味 る 深 ︶ 。 い こ こ の と 事 に 実 、 は 三 、 生 え る 三 種 の 牲 牛 、 羊 、 ぶ た の こ と 。 そ の 三 牲 を 、 あ る ︵ 三 牲 は 、 太 牢 の こ と で 、 天 子 な ど が 社 稷 の 祭 り に 供 ま 、 陽 明 本 孝 子 伝 の 本 文 中 の 傍 線 部 に 見 出 だ さ れ る こ と で る 。 そ し て 、 何 よ り 注 目 さ れ る の は 、 本 図 の 題 記 が そ の ま あ 経 い と 者 が 多 お と 本 る 引 こ を 不 正 与 い さ 図 。 用 と 思 除 し ︵ 人 て れ 日 に ち れ は で え ︵ く 恐 、 る に 在 亡 ず 親 、 は ば 特 孝 図 王 傍 三 り び 、 に 本 な 、 に 経 。 奇 線 牲 て 、 醜 事 五 懼 石 い 陽 ︶ う の 部 の 争 下 、 床 点 明 在 紀 罹 母 を 養 え と 衆 る は 以 が 本 、 者 孝 が 引 を ば 為 前 確 に 醜 行 其 息 い 用 則 り に は 画 罪 に 認 お 而 章 面 子 た う ち て 在 、 溯 さ け 争 に 左 の も と 兵 乱 り 上 ろ れ る 則 上 と 行 の 雖 せ る て に に う る 孝 兵 げ 言 状 に も ら れ 争 居 王 こ と 経 奇 ら っ を 外 、 る ば わ り と 同 の に れ て 心 な 猶 。 則 ず て の が 時 引 該 た い 配 ら 不 三 ち 。 驕 家 ま に 用 当 不 る し ず 孝 つ 刑 上 ら 屋 た 、 が す 孝 の て 、 と の せ に ず 及 、 陽 、 る 者 も 、 さ 為 者 ら 居 、 び 判 明 決 た の 、 、 ら す 除 れ り 下 明 本 し め 条 王 吾 に な か 、 て と そ す の て で 件 奇 子 董 り ざ 醜 驕 為 の る そ 故 あ 、 の 不 黯 ︶ れ 屋 れ り の の の る 内 行 孝 譚 ば 衆 ば て で 孝 な こ 三 状 、 に 上 に 則 乱 、 坐 す 、 屛 風 を 背 に し た 、 王 奇 の 母 を 描 き 、 画 面 右 に 、 図六 董黯図題記 と す る も の で あ る こ と が 知 ら れ 三 牲 之 養 、 猶 為 不 孝 。 と 判 読 生 さ 猶 れ 為 、 不 王 孝 寄奇 ︶ が 董 黯 譚 に お 所 か ら 、 本 図 は 、 董 黯 譚 を 内 容 け る 、 も う 一 方 の 立 役 者 で あ る 亡 、 為 下 而 乱 則 刑 、 在 醜 而 争 則 兵 。 三 者 不 除 、 雖 日 用 章 を の 取 事 、 っ 故 た 孝 親 も 経 者 の 云 、 だ 、 居 が 雖 上 、 日 不 そ 用 驕 も 、 そ 三 為 も 牲 下 陽 養 不 明 、 乱 本 猶 、 の 為 在 そ 不 醜 れ 孝 不 は 争 孝 也 。 経 居 、 上 紀 而 孝 驕 行 則 王 寄 日 殺 三 142 併 せ 掲 げ 、 簡 単 な 説 明 を 加 え よ う 。 ま ず 図 七 は 、 ミ ネ ア ポ こ こ で 、 上 記 ⑴ ⑵ ⑶ の 董 黯 図 を 、 図 七 、 図 八 、 図 九 と し て ⑶ ネ ル ソ ン ・ ア ト キ ン ズ 美 術 館 蔵 北 斉 石 床 ⑵ ミ ネ ア ポ リ ス 美 術 館 蔵 北 魏 石 棺 ⑴ ボ ス ト ン 美 術 館 蔵 北 魏 石 室 董 黯 図 と し て 、 次 の よ う な も の が あ る 。 ど の よ う に な っ て い る の だ ろ う か 。 こ れ ま で 管 見 に 入 っ た さ て 、 本 図 の 図 柄 と 他 の 董 黯 図 の そ れ と の 関 係 は 、 一 体 図七 143 被 っ て い な い 。 詰 め 寄 る 王 奇 を 制 止 す る 如 く で あ る 。 そ の 母 は 、 頭 に 何 も 現 し た も の で あ ろ う 。 対 す る 母 は 、 掌 を 王 奇 の 方 に 向 け 、 が っ て い る の は 、 王 奇 の 怒 り の 激 し さ を ダ イ ナ ミ ッ ク に 表 開 い て 、 口 を 尖 ら せ て い る 。 そ の 左 右 の 袂 が 上 方 へ 舞 い 上 喫 本 右 据 え 之 事 手 ら 森 を れ と に 剣 る 見 引 の 。 え く 柄 王 る 、 に 奇 会 懸 ︶ 。 稽 け は 冠 典 、 足 を 録 母 を 被 の を 踏 っ 董 威 み た 黯 圧 張 王 譚 、 り 奇 に 脅 、 は 、 迫 左 、 す 手 眉 寄 る で ⋮ を 体 腰 寄 ⋮ で の 抜 せ あ 剣 、 刀 る を 眼 脅 ︵ 握 を 抑︶ 敦 っ 見 令 煌 て 、 ミネアポリス美術館蔵北魏石棺 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について 向 か い 合 っ て お り 、 母 の 前 に は 、 に 盛 っ た 三 牲 の 料 理 が こ と が よ く か る 。 郭 巨 の 家 は 草 葺 ら し い 。 母 と 王 奇 と は 莱 子 の 家 ︵ 軒 瓦 が な い ︶ 、 郭 巨 の 家 と 較 べ て 見 る と 、 そ の か れ 、 大 き く 立 派 で 、 如 何 に も 金 持 風 で あ る 。 本 石 床 の 老 に 立 つ 王 奇 を 描 い て い る 。 王 奇 の 家 は 、 屋 根 の 軒 瓦 ま で 描 図八 図九 ボストン美術館蔵北魏石室 ネルソン・アトキンズ美術館蔵北斉石床 144 面 右 端 、 家 の 側 面 に は 、 董 黯 が 立 っ て い る 。 母 は 何 も 被 ら が 描 か れ る 。 右 の 屋 内 に は 、 董 黯 の 母 が 左 向 き に 坐 し 、 画 た も の な の で 、 例 え ば 図 七 の よ う に 、 当 図 の 右 半 の み を 図 床 の 董 黯 図 は 、 図 八 左 半 に 該 当 す る 図 五 の 一 面 だ け を 描 い の 構 図 の 殆 ど 一 致 し て い る こ と が 知 ら れ よ う 。 ま た 、 本 石 即 ち 、 王 奇 の 家 の 図 柄 に 該 当 し 、 且 つ 、 両 図 に お け る 全 体 と こ ろ で 、 当 図 を 見 る と 、 本 石 床 の 董 黯 図 は 、 当 図 の 左 半 、 面 左 端 に 、 右 を 向 い て 立 っ て い る 女 性 は 、 侍 女 で あ ろ う 。 双 髻 で 、 眉 を 八 字 に 寄 せ て 、 怒 り の 表 情 を 見 せ て い る 。 画 倚 り 掛 か る よ う に 立 っ て い る の が 王 奇 で あ る 。 王 奇 の 頭 も い 器 に 盛 ら れ て い る の が 三 牲 で あ ろ う 。 母 に 向 か い 、 柱 に と 、 好 対 照 を な し て い る こ と に 注 意 し よ う 。 母 の 前 の 四 角 一 方 の 董 黯 の 母 が 、 ふ っ く ら と 穏 や か に 描 か れ て い る こ と 団 扇 で 、 顔 を 隠 そ う と し て い る 。 王 奇 の 母 は 渋 面 を 作 り 、 左 の 屋 内 に は 、 王 奇 の 母 が 右 を 向 い て 坐 り 、 左 手 に 持 っ た ず ︵ 髪 を 頭 頂 で 結 わ え る か ︶ 、 董 黯 の 髪 は 双 髻 に 描 か れ る 。 の で あ る 。 母 の 前 に 据 え ら れ て い る の が 、 三 牲 の 料 理 で あ 馬 が 描 か れ て い る 。 そ れ ら は 、 王 奇 の 家 の 豊 か さ を 示 す も 奇 で あ る 。 そ の 右 に は 、 正 面 を 向 い た 従 者 及 び 、 飾 ら れ た 母 に 対 し 、 腰 に 剣 を 帯 び 、 足 を 端 の 後 向 き の 侍 女 は 双 髻 で 、 右 手 に 団 扇 を 持 っ て い る ︶ 。 る 。 そ の 両 側 に 、 母 の 方 を 向 い た 、 二 人 の 侍 女 が 立 つ ︵ 左 に 杖 を 持 ち 、 左 手 の 掌 を 上 に 向 け た 老 女 が 、 王 奇 の 母 で あ た そ し で て あ 、 る 本 。 石 床 の の 登 董 場 黯 人 図 物 に は 最 、 も ま 近 ず い 垂 の 帳 が の 、 前 そ に の 坐 間 る に 、 描 右 か 手 れ 黯 が 描 か れ て い る ︵ 董 黯 の 下 に 、 二 人 の 狩 人 を 添 え る か ︶ 。 ︵ 共 に 双 髻 ︶ と な る 。 を 捧 げ る 董 黯 、 ま た 、 料 理 を 運 ぶ 、 左 向 き の 二 人 の 侍 女 董 黯 の 母 、 そ の 母 に 向 か っ て 、 左 向 き に あ が 題 る 、 が 。 監 あ 司 る の ︵ ︶ 登 刺 、 場 人 ︶ は 物 に 、 は 乞 母 、 う の 左 て 没 か 、 後 ら 最 、 、 後 王 右 の 奇 を 墓 の 向 参 首 い を を て し 墓 屋 て に 内 い 供 に る え 坐 場 た す 面 董 る で 黯 145 え て 立 つ の が 、 息 子 の 王 に は 、 墓 に 向 か い 右 向 き に 跪 く 董 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について 上 に 跪 き 、 食 事 簾 が 巻 き 上 げ て あ る ︶ 、 左 に 王 奇 の 家 と い う 、 二 つ の 家 屋 か 複 雑 な も の と な っ て お り 、 右 に 董 黯 の 家 ︵ 正 面 と 側 面 に 、 図 董 八 は 晏黯 ︶ 母 、 供 ボ 王 ス 寄奇 ト ︶ 母 ン 語 美 時 術 館 ︶ 。 蔵 当 北 図 魏 の 石 図 室 柄 の は 董 、 黯 図 図 七 で に あ 較 る べ ︵ て 題 聊 記 で 寄奇 て ︶ 、 描 か は 面 れ 、 た 董 ︶ 。 、 黯 当 言 の 図 わ 家 は ば 、 、 三 連 は の 、 董 王 の 黯 奇 順 図 の に で 家 左 あ ︵ か る 不 ら ︵ 孝 見 榜 王 る 題 寄 べ き 不 の も 孝 榜 の 王 居 ︶ 、 董 黯 ︵ 左 ︶ と そ の 母 ︵ 右 ︶ が 対 坐 す る 場 面 を 描 く 。 リ ス 美 術 館 蔵 北 魏 石 棺 の 董 黯 図 で ︵ 題 記 に 貴 重 と す べ き で あ る 。 図 九 は 、 ネ ル ソ ン ・ ア ト キ ン ズ っ 美 像 化 す る 例 も 、 十 術 館 蔵 北 斉 石 床 の 全 四 石 中 、 正 面 左 石 板 の 三 面 全 て を 孝 子 董 与 黯 ︶ 犢独 ︶ あ り 得 た こ と を 示 唆 し て い る 点 、 非 常 本 石 床 、 董 黯 図 の 三 牲 、 ⑵ が 当 図 左 下 に 見 え る 三 牲 の 図 像 ⑴本石床 ⑵当図 図十 三牲図像 図 の 榜 題 、 は 、 陽 明 本 孝 子 伝 を 典 拠 と す る も の だ が 、 一 方 に お い て 当 王 寄 日 殺 三 生 、 猶 為 不 孝 六 る 王 が 。 奇 明 ︶ 、 そ な ら の ど か こ の で と よ あ に り る 関 リ 。 し ア さ て ル て は な 、 、 点 本 例 、 石 え 当 床 ば 図 の 前 に 董 述 先 黯 、 行 図 本 す は 石 る 、 床 も 当 の の 図 題 と に 記 思 較 ︵ わ べ 図 れ て 王 奇 や 三 牲 の 象 徴 表 現 な ど 、 互 い に 酷 似 す る 点 の 多 い こ と と い う 、 基 本 的 な 構 図 を 同 じ く す る こ と に 加 え 、 帯 剣 す る て い な い も の の 、 両 図 は 、 料 理 を 挟 ん で 向 き 合 う 母 と 王 奇 傍 証 す る 。 本 石 床 の 董 黯 図 に は 、 侍 女 、 従 者 等 こ そ 描 か れ と 指 摘 さ れ た 例 に 該 当 し 、 両 図 が 董 黯 図 に 違 い な い こ と を こ と で あ ろ う 。 図 十 に 、 両 者 を 併 せ 掲 げ よ う 。 図 十 の ⑴ が と 記 さ れ た 三 牲 ︵ 牛 、 羊 、 王 奇 日 殺 三 牲 ︶ が 、 共 に 図 像 化 さ れ て い る こ か 説 と な 話 が 小 を 道 熟 る 具 知 の が す で 、 る あ 孝 も る 子 の た に る は 特 、 徴 孝 を 行 象 親 徴 子 的 の に 身 巧 辺 み に に あ し る め わ す ず す べ き は 、 例 え ば 陽 明 本 孝 子 伝 の 本 文 に 、 い る 。 さ て 、 本 石 床 の 董 黯 図 と 当 図 と の 比 較 に お い て 注 目 は 顎 を 突 き 出 し 、 そ の 傲 然 と し た 態 度 が 巧 み に 表 現 さ れ て と 諦 め で 、 非 難 の 言 葉 も な い か の 様 子 で あ る 。 ま た 、 王 奇 と 眼 を 吊 り 上 げ て 、 疲 れ 痩 せ た 表 情 に 描 か れ て い る 。 呆 れ い る の に 対 し 、 こ ち ら の 王 奇 の 母 の 方 は 、 口 を 尖 ら せ 、 眉 る 。 子 伝 図 の 特 色 の 一 つ と し て 、 も の で あ る 。 こ れ ら は か つ て 長 廣 敏 雄 氏 が 、 南 北 朝 期 の 孝 料 理 が 、 特 別 な 三 牲 に 外 な ら な い こ と を 象 徴 的 に 表 現 し た り 返 っ て い る ︶ を 描 い た も の で 、 共 に 母 の 前 に 据 え ら れ た あ る ︶ で あ る 。 ⑵ は 、 左 に 牛 、 中 央 に 羊 、 右 に 羊 ︵ 巻 き 角 が あ る ︶ 、 中 央 が 牛 ︵ 角 が あ る ︶ 、 右 が で あ る 。 図 十 の ⑴ は 、 の 董 黯 の 母 が 、 ふ っ く ら と 穏 や か な 表 情 に 描 か れ て に 三 牲 の 首 を 盛 っ た も の で ︵ 引 ︵ 、 っ 牙 左 繰 が が 146 ︹ 題 記 ︺ 董 黯 黯 ︹ 母 題 記 ︺ 奇 母 王 左 黯 奇 奇 母 の 家 ︶ 董 右 黯 黯 の 家 ︶ 黯 母 董 奇 黯 黯 母 の 家 ︶ 王 奇 奇 の 家 ︶ 奇 母 王 奇 奇 の 家 ︶ 図 七 表 二 董 黯 図 場 面 一 覧 左 か ら 、 ル ソ ン ・ ア ト キ ン ズ 美 術 館 蔵 北 斉 石 床 の 董 黯 図 を 、 例 え ば の 位 置 を 確 認 し て お く 。 今 仮 に 、 場 面 数 の 最 も 多 い 、 ⑶ ネ 纏 め る こ と に よ っ て 、 改 め て 、 董 黯 の 図 像 に お け る 、 本 図 ⑶ ︵ 図 七 | 図 九 ︶ に つ い て 、 述 べ た こ と を 整 理 し 、 一 覧 に 以 上 、 本 図 ︵ 図 五 ︶ を 含 め て 、 管 見 に 入 っ た 董 黯 図 ⑴ | ま ず そ こ に 、 蔵 北 魏 石 床 の 董 永 図 の こ と を 差 し 、 そ の 題 記 か ら の 矢 印 は 出 来 る 。 表 中 の 矢 印 は 、 諸 図 中 に お け る 対 応 関 係 を 示 す 旧 。 要 な 登 場 人 物 に よ り 、 表 二 の よ う な 一 覧 に 、 纏 め る こ と が 図 七 | 図 九 ま た 、 本 図 は 、 上 記 の 三 つ の 場 面 及 び 、 そ の 主 図 八 黯 の 墓 参 ︶ 図 九 本 図 図 五 ︶ 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について 但 し 、 表 八 に お け る 、 最 上 段 の 董 永 図 と は 、 C. T. Loo 147 董 永 図 ︶ 的 価 値 の 高 さ を 示 す の で あ る 。 と い う 三 つ の 場 面 に よ っ て 、 構 成 さ れ る も の と え る と 、 本 石 床 の 原 典 性 、 先 行 性 を 窺 う こ と が 出 来 、 本 石 床 の 資 料 が ま た 、 本 石 床 の 如 き 題 記 か ら 出 た も の ら し い 点 を 見 て も 、 ㈢ 董 黯 の 母 の 墓 ︵ ㈡ 王 奇 の 家 ︵ ︶ 不 孝 王 寄 ㈠ 董 黯 の 家 ︵ ︶ ︶ 次 に 、 図 十 一 と し て 、 本 石 床 の 老 莱 子 図 を 掲 げ る 。 老 莱 三 れ る で あ ろ う 。 左 の 奇 の 家 の 場 面 を 、 描 い た も の に 外 な ら な い こ と が 知 ら ︵ 図 五 ︶ は 正 し く 、 図 九 中 央 の 奇 の 家 ︵ ㈡ ︶ ま た 、 図 八 ︵ と の ︶ 、 図 左 の 右 一 が 場 入 面 れ 替 の わ 多 っ い て お こ り と 、 が 加 え か て る 、 。 ㈢ そ 董 し 黯 て の 、 母 本 の 図 墓 例 え ば 図 八 か ら 見 る と 、 ㈠ 黯 の 家 ︵ ︶ と ㈡ 奇 の 家 ︵ ︶ て 、 さ ら に 図 九 ネ ル ソ ン ・ ア ト キ ン ズ 美 術 館 蔵 北 斉 石 床 は 、 て い る ︶ と 、 王 奇 の 家 と の 二 場 面 を 一 図 に し た も の で あ っ し 、 図 七 と 比 較 す れ ば 、 家 の 中 の 黯 と 母 の 左 右 が 逆 に な っ 嬰 児 と 作 り 、 自 家 戯 れ て 以 っ て 親 の 心 を 悦 ば し む 。 図十一 呉強華氏蔵北魏石床(老莱子図) 斑 図 八 ボ ス ト ン 美 術 館 蔵 北 魏 石 室 の 董 黯 図 は 、 董 黯 の 家 ︵ 但 ︵ 楚 人 老 莱 之 は 至 孝 な り 。 年 九 十 、 猶 母 在 り 。 常 に て は 、 董 黯 の 家 に お け る 出 来 事 を 描 い た も の で あ り 、 ま た 、 為 嬰 児 身 。 高 道 兼 備 、 天 下 称 仁 。 わ す も の で あ る 。 表 八 を 見 る と 、 例 え ば 図 七 は 、 場 面 と し 題 記 を 誤 用 ま た 、 転 用 し た 可 能 性 が 、 極 め て 高 い こ と を 表 わ な い こ と な ど か ら え て 、 図 七 の 題 記 は 、 そ の 董 永 図 の 莱 曰 取 至 、 漿 孝老 水 ︶ 、 母 、 奉 在 失 事 言 脚 二 不 倒 親 称 地 。 老 、 晨 、 方 昏 衣 作 定 不 嬰 省 純絶 純児 、 素︶ 啼 供 、 、 謹 此 以 弥 之 悦 懃 謂 。 也 母 戯 。 之 倒 賛 懐 親 曰 。 前 、 故 、 老 礼 と 記 さ れ る も の と 酷 似 し て お り 、 か 永 、 の 一 字 し か 違 棺 と の あ 孝 董 っ 孝 黯て 子 子 ︶ 董 図 、 董 黯の そ 永 ︶ 与 題 の 与 記 題 に 記 犢独 ︶ 犢独 ︶、 は 居 居 、 図 七 ミ ネ ア ポ リ ス 美 術 館 蔵 北 魏 石 自 楚 家 人 戯 老 以 莱 悦 之 親 者 心 至 。 孝 着 也 。 斑班 ︶ 蘭 年 之 九 衣 十 而 、 坐 猶 下 竹 母 馬 在 。 。 為 常 作 母 嬰 上 児 堂 、 ︻ 陽 明 本 ︼ ば 、 次 の 通 り で あ る ︵ 橋 本 も 併 せ 掲 げ る ︶ 。 子 図 の 出 典 と な っ た 、 陽 明 本 孝 子 伝 13 老 莱 之子 ︶ の 本 文 を 示 せ 148 か ら 、 嘆 亥 は 、 嘆 き 咽 ぶ 意 味 と な り 、 老 子 嘆 亥 で 、 老 莱 子 は 、 嘆 な い し 、 と 二 記 ︶ さ 老 、 れ 子 嘆 て ︶ い 亥 る 。 の 老 略 子 か と は 思 、 わ 老 れ 莱 、 子 亥 の こ は と 、 で 咽 あ ぶ る こ 。 と だ 149 人 が 同 時 に 驚 き 、 反 応 し た こ と を 示 し て い る の で あ ろ う 。 よ う に 右 手 を 上 げ て い る の は 、 老 莱 子 の 突 然 の 転 倒 に 、 二 や は り 蹉 い て 倒 れ た と 所 と 見 た 方 が 良 い 。 母 が 共 に 同 じ 坐 っ て い る よ う に 見 え る が 、 右 手 を 地 面 に 突 い て い る の で 、 る 。 画 面 左 下 の 右 向 き の 人 物 が 、 老 莱 子 で あ る 。 老 莱 子 は 、 ろ て 左 母 う 、 、 在 ︵ そ 母 堂 後 れ が 述 は 右 と 、 、 ︶ 表 。 あ 座 母 る ︶ 敷 は 。 ︵ 、 堂 何 母 旧 段 の 蔵 両 か 背 北 孝 高 後 子 く に 魏 伝 な は 石 床 ︶ っ 、 屛 の を た 題 表 屋 風 が 記 わ 内 描 に す に か 、 も 坐 れ 老 の っ て 莱 で て い 子 あ い C. T. Loo 為 母 之 母 懐 上 堂 取 漿 水 、 失 脚 倒 地 、 方 嬰 児 啼 、 以 悦 本 図 は 、 例 え ば 陽 明 本 孝 子 伝 に 、 老 莱 子 が 、 本 石 床 な に ぶ 母 ︵ 而 着 老 ︻ の り 倒 。 存 老 啼 斑 莱 橋 老 ︶ れ 或 す 莱 。 蘭 之云 ︶ て い 。 之 声 之 者 本 莱 啼 は 爰 は 如 衣 楚 ︼ 子 く 図 に 楚 嬰 、 人 。 母 莱 人 児 乗 也 左 声 に 、 な 。 竹 。 端 嬰 供 斑 り 悦 馬 性 、 遊 至 児 す 蘭 。 や 孝 の る の 性 母 や 如 為 衣 至 之 。 也 下 し め を 孝 心 或 。 寄 。 に 着 な 也 為 年 り に 漿 、 り 。 供 九 十 母 題 竹 。 母 而 の を 馬 年 記 猶 心 堂 に 九 が 漿 を 上 乗 十 あ に 堂 母 悦 っ り に 上 存 ば て て し 、 。 し し て ︵ 倒 爰 む 、 に 猶 図 階 莱 る 階 遊 十 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について や や 左 を 向 い て 坐 る 、 老 莱 子 の 母 を 描 く ︵ が 向 か っ て と あ る の が 参 と な る ︶ 。 本 図 ︵ 図 十 一 ︶ は 、 画 面 中 央 に 、 嬰 児 の 身 と 為 る 。 高 道 兼 備 し 、 天 下 仁 を 称 す と 。 ︶ に 定 省 し 、 供 謹 弥 蔵 嘆 北 い 魏 た 石 と 棺 い の う 老 こ 莱 と 子 ら 図 し の い 題 ︵ 記 後 に 述 、 す る 老 、 莱 来︶ ミ 子 ネ 年 ア 受 ポ 百 リ 歳 ス 哭 美 悶 術 館 が 自 ら も 年 老 い 、 親 は な お 年 高 い こ と を 、 喉 を 詰 ま ら せ て 懃 ろ な り 。 戯 れ て 親 の 前 に 倒 れ 、 謂 な り 。 賛 に 曰 わ く 、 老 莱 至 孝 、 二 親 に 奉 事 す 。 晨 昏 在 り て は 言 に 老 を 称 せ ず 、 衣 は 純 素 な ら ず と は 、 此 の 以 水 蘭 っ を の て 取 衣 り を 母 、 着 の 失 て 懐 脚 竹 し 馬 を て に 悦 地 坐 ば に 下 し 倒 す む れ 。 。 、 故 方 母 に に の 礼 嬰 為 に 児 め 曰 の に わ 啼 堂 く を に 、 作 上 し り 母 、 漿 図十二 老莱子 図題記 参 ⑼ ネ ル ソ ン ・ ア ト キ ン ズ 美 術 館 蔵 北 斉 石 床 に 坐 る 、 老 莱 子 の は 、 来莱 ︶ 子 和 林 格 爾 来莱 ︶後 子 漢 母 壁 画 老 墓 の 来莱 ︶ 子 老 莱 子 下 図 で ︶ 。 あ 当 る 図 ︵ は 榜 、 題 、 物 左 の か 中 ら 、 母 と 、 そ の 下 に 、 激 し く 傷 ん で い る が 、 ⑻ 鄧 県 彩 色 画 象 ⑺ 洛 陽 古 代 芸 術 館 蔵 北 魏 石 床 柄 を 持 っ た 老 莱 子 図 が 、 武 梁 祠 第 一 石 に も 見 え る 。 図 十 四 ⑹ ⑸ 和 泉 市 久 保 旧 惣 蔵 記 北 念 魏 美 石 術 床 館 蔵 北 魏 石 床 C. T. Loo と し て 今 、 そ の 内 か ら ⑵ 、 ⑶ 、 ⑷ 、 ⑻ 、 ⑼ の 五 図 を 、 転 倒 す る 姿 が 可 笑 し か っ た の で あ ろ う 。 当 図 と 殆 ど 同 じ 図 い て 、 二 人 は 談 笑 す る 如 く で あ る 。 食 事 を 運 ぶ 老 莱 子 の 、 ⑷ ミ ネ ア ポ リ ス 美 術 館 蔵 北 魏 石 棺 は 両 手 を 上 げ な が ら 、 拱 手 す る 母 の 方 ︵ 左 ︶ へ 振 り 向 い て ⑶ 和 林 格 爾 後 漢 壁 画 墓 ん ず で 、 粟 米 を 煮 た ス ー プ 重 湯 。 流 動 性 の 老 人 食 ︶ 。 ⑵ 後 漢 武 氏 祠 画 象 石 ︵ 前 石 室 七 石 ︶ の は 、 取 漿 水 こ と を 描 い た も の で あ ろ う ︵ 漿 は 、 こ ⑴ 後 漢 武 氏 祠 画 象 石 ︵ 武 梁 祠 一 石 ︶ る ︶ 。 そ の 左 に 、 幾 つ も の 食 器 の 載 っ た が 描 か れ て い る よ う な も の が あ る 。 鳩 杖 を 突 く ︵ 老 莱 子 自 身 も 、 高 齢 で あ る こ と を 表 わ し て い く の 図 像 が 残 さ れ る 。 管 見 に 入 っ た 老 莱 子 図 と し て 、 次 の で ︵ 後 世 の 二 十 四 孝 図 に も 勿 論 、 継 承 さ れ て い る ︶ 、 数 多 っ て い る 。 老 莱 子 は 、 山 形 が 三 つ あ る 巾 を 被 り 、 左 手 に は こ と を 、 示 す も の で あ る 。 は 進 賢 冠 を 被 り 、 母 は を 被 孝 子 伝 図 に お け る 老 莱 子 図 は 、 有 名 な も の で あ っ た よ う 幔 幕 が 垂 れ て い る の は 、 お そ ら く そ こ が 、 前 述 の 堂 で あ る 触 れ よ う 。 向 き ︶ 。 母 の 坐 る 座 に は 、 屛 風 が 廻 ら さ れ 、 母 の 上 に の 玩 具 が 描 か れ て い る こ と で あ る 。 こ の こ と は ま た 、 後 で も し れ な い 。 面 白 い の は 、 老 莱 子 の 右 手 の 下 に 、 雛 鳥 の 車 色 彩 の 豊 か な こ と で 、 幼 子 着 で あ ろ う ︶ 、 子 供 の 被 り 物 か 孝 子 伝 に 、 着 斑 蘭 之 衣 に 、 蹉 い て 倒 れ よ う と す る 老 莱 子 を 描 い た も の で あ る ︵ 左 座 の 上 に 坐 る 、 老 莱 子 の い る 。 当 図 ︵ 図 十 三 ︶ は 、 画 面 の 左 に 、 横 側 が 台 形 を し た 莱 子 図 、 図 十 五 以 下 の 三 点 が 、 六 朝 期 の 老 莱 子 図 と な っ て 母 を 描 き ︵ 右 向 き ︶ 、 画 面 の 右 な ど と さ れ る よ う に ︵ 斑 蘭 は 、 母 は 髷 を 結 っ て い る 。 老 莱 子 も 、 小 さ な 山 形 が 沢 山 付 い た 、 と 記 さ れ る 場 面 を 、 図 像 化 し た も の で あ る 。 子 石 の 前 □老 ︶ 莱 石 子 室 七 母 石 に ︶ 、 描 当 か 図 れ 及 た び も 、 の 図 で 十 ︵ 四 榜 の 題 二 、 点 右 が か 漢 ら 代 、 の 老 老 莱 図 十 三 | 図 十 七 と し て 掲 げ る 。 図 十 三 は 、 後 漢 武 氏 祠 画 象 耳 覆 い の あ る 帽 子 を 被 っ て い る 。 或 い は 、 そ れ は 、 陽 明 本 は 巾 を 被 り 、 150 図十三 後漢武氏祠画象石(前石室七石) 図十四 151 和林格爾後漢壁画墓 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について 図十五 ミネアポリス美術館蔵北魏石棺 図十六 鄧県彩色画象 152 な 変 化 を 認 め る こ と が 出 来 る 。 図十七 ネルソン・アトキンズ 美術館蔵北斉石床 こ と は 、 先 に 触 れ た 。 当 図 の 題 記 の よ う に 、 老 莱 子 の 年 齢 と す る 題 記 が あ り 、 本 図 ︵ 図 十 一 ︶ の 題 記 と 関 わ り が あ る 153 図 老 十 来莱 五 ︶ 子 に 年 は 受 、 百 歳 哭 悶 十 五 に 戻 そ う 。 の 思 い 切 っ た 象 徴 化 を 、 進 め た 結 果 と え ら れ る 。 話 を 図 居 る だ け の 図 像 に な っ て し ま う 。 ㈢ も b と 同 様 、 老 莱 子 図 ︵ 堂 ︶ を 描 か ず 、 従 っ て 、 老 莱 子 の 両 親 は 、 牀 や 坐 の 上 に 思 わ れ 、 老 莱 子 を 老 人 と し て 、 リ ア ル に 描 く も の で あ る 物 。 本 図 ︵ 図 十 一 ︶ も 、 こ の 特 徴 を 有 し て い る 。 ㈢ は 、 動 き を 見 せ な い も の が 多 い 。 ㈡ は 、 ㈠ b に 対 す る 、 反 動 と 時 代 の 老 莱 子 図 を 見 る と 、 部 的 に は 上 記 の よ う な 、 顕 著 し た も の で 、 b に は 、 両 親 も 立 像 ︵ 坐 像 ︶ 風 に 象 徴 化 さ れ 、 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について な 構 図 は 漢 代 以 来 、 そ の 後 も 変 化 す る こ と は な い が 、 六 朝 上 の 両 親 の 前 に 、 老 莱 子 を 描 く と い う 、 老 莱 子 図 の 基 本 的 動 き を 見 せ る a と 、 見 せ な い b が あ る 。 b は 、 a を 象 徴 化 ㈠ は 、 老 莱 子 を 童 子 形 に 描 く も の だ が 、 そ の 老 莱 子 に は 、 表 現 さ れ る こ と 等 を 、 直 ち に 看 て 取 る こ と が 出 来 よ う 。 堂 し や 来 ネ て 図 子 ア 、 十 年 ポ 四 受 リ 物 な 百 ス ︵ ど 歳 美 術 堂 の ︶ 漢 哭 館 が 代 悶 蔵 描 図 ︶ 北 か 像 。 魏 れ に 当 石 な 較 図 棺 い べ を の こ 、 一 老 と 当 見 莱 や 図 す 子 、 の れ 図 老 大 ば で 莱 き 、 あ 子 く 例 る が 異 え ︵ 童 な ば 題 子 る 図 記 形 点 十 に と 三 老 ㈢ ㈡ 老 物 莱 ︵ 子 堂 を ︶ 老 を 人 描 形 か と な す い る ︵ ︵ ⑷ ⑼ ⑸ 、 ⑺ 本 ⑼ 図 ︶ ︶ b 老 莱 子 に 動 き が な い ︵ ⑸ ⑺ ︶ a 老 莱 子 に 動 き が あ る ︵ ⑷ ⑹ ⑻ ︶ ㈠ 老 莱 子 を 童 子 形 と す る ろ う と し て 、 蹉 い た 所 で あ ろ う と 思 わ れ る 。 図 十 五 は 、 ミ 勿 論 、 堂 を 描 い た も の で 、 お そ ら く 老 莱 子 が 、 堂 の 階 を 上 子 図 の 上 記 遺 品 番 号 を 添 え る ︶ 。 今 、 次 の 三 点 か ら 捉 え て み た い ︵ そ の 特 徴 を 有 す る 、 老 莱 蹉 き 倒 れ る 老 莱 子 が 描 か れ て い た も の ら し い 。 そ の 物 は さ て 、 六 朝 期 の 老 莱 子 図 に お け る 、 部 的 な 変 化 を 仮 に の 老 莱 子 図 を 掲 げ た も の で あ る 。 画 面 詩 選 ︶ と 解 釈 す る 例 が 出 現 す る の で あ る 。 次 い で 、 図 十 六 四 孝 図 に お い て 、 老 莱 子 の 動 き を 、 戯 舞 ︵ 全 相 二 十 四 孝 六 朝 期 の こ の よ う な 老 莱 子 描 写 を 受 け て 実 際 、 後 世 の 二 十 母 も 手 を 打 っ て 、 拍 子 を 取 っ て い る よ う で あ る 。 そ し て 、 る よ う に も 、 見 え る こ と で あ ろ う ︵ 図 十 六 参 照 ︶ 。 当 図 の そ の 老 莱 子 の 動 作 が 、 見 方 に よ れ ば 、 優 雅 に 舞 い 遊 ん で い れ た 、 図 像 表 現 の 一 変 形 に 過 ぎ な い も の だ が 、 面 白 い の は 、 そ の 老 莱 子 の 格 好 は 結 局 、 失 脚 倒 地 ︵ 陽 明 本 ︶ と 記 さ よ う に 見 え る 、 不 思 議 な 格 好 を し て い る 。 動 き に 富 ん だ 、 の 方 へ 振 り 向 き な が ら 、 恰 も 左 の 方 向 へ 跳 び 上 が っ て い る に 印 象 的 で あ る 。 一 方 、 そ の 老 莱 子 の 姿 勢 を 見 る と 、 ば 図 十 五 や 図 十 六 に 較 べ て 、 人 物 等 が よ り リ ア ル に 描 か れ 物 を 描 か な い こ と な ど 、 象 徴 化 の 特 徴 を 持 ち つ つ 、 例 え 左 へ と 向 け て い る 。 当 図 は 、 北 斉 の も の と さ れ て い る が 、 を 結 っ て い る ら し く 、 両 手 と 左 膝 を 突 い て 、 顔 を 正 面 や や 子 は 、 老 人 形 で あ る が 、 面 白 い こ と に 、 極 め て 小 さ な 双 で 結 い 、 左 手 に 食 器 を 持 っ て 、 左 向 き に 坐 っ て い る 。 老 莱 の つ あ か る ら 巾 、 を や 冠 や り 下 、 寄 右 り 膝 に を 描 立 か て れ て た 、 母 右 は 向 、 き 上 に げ 坐 た っ 髪 て を い リ る ボ 。 ン そ て い る 。 莱 子 ︵ 左 向 き ︶ 、 そ の 上 の 画 面 中 央 左 寄 り に 、 術 館 蔵 北 斉 石 床 の 老 莱 子 図 で あ る 。 当 図 は 、 画 面 左 下 に 老 の 優 美 さ が 濃 く 漂 う 。 図 十 七 は 、 ネ ル ソ ン ・ ア ト キ ン ズ 美 は 、 鄧 県 彩 色 画 象 物 ︵ 堂 ︶ は 、 描 か れ て い な い 。 は 、 山 形 の 二 母 を 描 い 莱 子 に 付 い て 走 る か の よ う な 、 雛 鳥 の 車 ︵ 後 述 ︶ が 、 非 母 常 を 、 直 ち に 図 像 化 し た も の で あ る こ と が 知 ら れ よ う 。 老 る 。 当 図 や 図 十 五 に は 、 漢 代 の 図 像 と は 一 味 違 う 、 六 朝 風 子 の 突 然 の 転 倒 に 、 二 人 が 同 時 に 驚 い た こ と を 表 わ し て い 例 え ば 陽 明 本 孝 子 伝 の 賛 に 、 為 嬰 児 身 と 記 さ れ る 部 に 、 手 を 打 つ 如 く 両 手 を 広 げ て い る の は 、 食 事 を 運 ぶ 老 莱 本 、 背 後 へ と 流 れ て い る に 。 結 う は 、 、 童 拱 子 手 形 し に 、 描 母 か は れ 合 、 掌 そ す れ る は 。 、 り 、 母 は 、 上 げ た 髪 を リ ボ ン で 結 い 、 そ の リ ボ ン の 端 が 二 老 莱 子 を 描 い た も の で あ る ︵ 左 向 き ︶ 。 階 に 突 い て い る 。 老 莱 子 は 、 膝 か ら 下 の 両 足 を 天 へ 母 上 が げ 共 、 く 描 か れ た 階 の 上 で 、 左 手 に 食 器 を 捧 げ て 転 倒 し 、 右 手 を っ て 、 そ の 端 を 棚 引 か せ て い る 。 老 莱 子 は 、 堂 よ り 一 段 低 そ の 老 莱 子 は 、 髪 を 双 上 半 身 を も た げ て 、 顔 を 両 親 の 方 へ 向 け て い る 。 は 、 進 賢 冠 を 被 は 、 七 十 歳 と す る も の が 多 い 。 当 図 は 、 画 面 の 右 に 、 牀 の を 百 歳 と す る の は 珍 し く 、 両 孝 子 伝 で は 九 十 歳 、 一 般 的 に が 描 か れ る ︵ は 双 進 賢 を 冠 結 を う 被 。 り 右 、 向 母 き は ︶ 上 。 げ た 母 髪 は を 、 リ 亭 ボ ン 風 で の 結 堂 の 右 に 、 老 莱 子 の 上 に 坐 る 、 老 莱 子 の 母 ︵ 左 向 き ︶ 、 画 面 の 左 に 、 童 形 の に 坐 す が 、 母 ︵ 左 向 き ︶ 、 左 に 、 童 子 形 の 老 莱 子 154 伝 ︵ 初 学 記 十 七 所 引 ︶ に 、 ⑴本図 ⑵図十五 ⑶当図 図十八 雛鳥の車 生 し ︵ 善 む 、 郭 哉 。 以 巨 孝 っ は 子 ち て 、 、 共 母 河 富 に に 内 貴 議 供 の 栄 し 養 人 身 て す な 。 言 。 り わ 其 。 く の 時 、 婦 に 今 、 年 此 忽 荒 の 然 る 児 と 。 を し 夫 養 て 妻 わ 一 昼 ば 男 夜 、 子 懃 則 を 作 155 孝 至 真 。 夫 妻 同 心 、 殺 子 養 親 。 天 賜 黄 金 、 遂 感 明 神 。 郭 巨 。 於 是 遂 致 富 貴 、 転 孝 蒸 々 。 賛 曰 、 孝 子 郭 巨 、 純 車 ︶ 。 こ れ は 、 両 孝 子 伝 に は 見 え な い が 、 例 え ば 逸 名 孝 子 仍 其 婦 掘堀 ︶ 地 忽 埋 然 之 生 。 一 忽 男 得 子 金 。 一 釜 共 。 議 々 言 上 、 題 今 云 養 、 此 黄 児 全 、 一 則 釜 廃 、 母 天 供 賜 事 。 た も の で あ る ︵ ⑴ が 本 図 、 ⑵ が 図 十 五 、 ⑶ が 当 図 の 雛 鳥 の 図 十 五 に も 見 え て い た も の で 、 図 十 八 は 、 そ れ を 併 せ 掲 げ 郭 ︻ 巨 陽 者家 明 、養 母本 河︶ ︼ 内 人 也 。 時 年 荒 。 夫 妻 昼 夜 懃 作 、 以 供 養 母 。 と 指 摘 さ れ た 、 雛 鳥 の 車 が 描 か れ て い る 。 こ れ は 、 本 図 や 次 の 通 り で あ る ︵ 橋 本 孝 子 伝 の 本 文 を 併 せ 掲 げ る ︶ 。 形 は 玩 具 ら し く 、 車 輪 が つ い て い る る 。 本 図 の 出 典 と な っ た 、 陽 明 本 孝 子 伝 の 本 文 を 示 せ ば 、 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について 下 隅 の 小 さ な 鳥 形 に つ な が っ て い る こ と で あ る 。 小 鳥 最 後 に 、 図 十 九 と し て 掲 げ る の は 、 本 石 床 の 郭 巨 図 で あ 細 く な が い 紐 の さ き が 握 ら れ て お り 、 そ の 紐 は 画 面 右 さ ら に 注 意 す べ き は 、 老 莱 子 の 地 に つ い た 左 の 手 に は 、 四 図 は 、 当 図 の 先 さ て 、 当 図 の 右 下 を よ く 見 る と 、 長 廣 敏 雄 氏 が か つ て 、 孝 子 伝 図 の 展 開 を 知 る 上 で 、 不 可 欠 の 資 料 と す べ き で あ る 。 館 蔵 北 斉 石 床 等 と 共 に 、 北 魏 後 期 か ら 北 斉 時 代 に 掛 け て の そ れ を 含 む 本 石 床 は 、 例 え ば ⑼ ネ ル ソ ン ・ ア ト キ ン ズ 美 術 愛 ら し い 玩 具 で あ る 。 鳥 が 親 鳥 の 後 に 、 付 い て 歩 く 習 性 の あ る こ と を 象 っ た 、 可 な ど と 見 え 、 両 孝 子 伝 か ら 脱 落 し た 部 見 ︶ 老 に 莱 、 子 ⋮ ⋮ 或 弄 烏 鳥 於 親 側 な の で あ ろ う 。 雛 を な す も の と え ら れ る 。 こ の こ と か ら 、 た か ︶ 、 北 魏 晩 期 の 本 図 と 共 通 す る 画 風 を 持 つ も の で 、 本 ま た 、 列 女 伝 逸 文 ︵ 芸 文 類 聚 二 十 所 引 。 今 本 列 女 伝 に は 不 る 特 徴 を 示 す 点 ︵ 老 莱 子 の 双 は 、 意 図 的 に 小 さ く 描 か れ 老 莱 子 ⋮ ⋮ 弄 雛 鳥 於 親 側 図十九 の 児 を 埋 め ず 。 忽 然 と し て 富 貴 を 得 、 母 を 養 う こ と 又 孝 子 郭 巨 に 賜 う と 。 是 に 於 い て 児 に 因 り て 金 を 獲 、 其 に 金 一 釜 あ り 、 釜 の 上 に 題 し て 云 わ く 、 黄 金 一 釜 、 天 、 共 に 山 中 に 行 き 、 地 を 掘 り て 将 に 児 を 埋 め ん と す 。 底 ら く は 老 養 の 妨 げ 有 ら む と 。 母 を し て 児 を 抱 か し め 、 爰 に 婦 、 一 男 を 生 む 。 巨 云 わ く 、 若 し 之 を 養 わ ば 、 恐 と 懃 々 た り 。 年 に 於 い て 登 ら ず 、 而 し て 人 庶 飢 困 せ り 。 呉強華氏蔵北魏石床(郭巨図A、B) ︵ 郭 巨 は 、 河 内 の 人 な り 。 無 く 母 存 す 。 供 養 す る こ 孝 道 之 至 也 。 不 埋 其 児 。 忽 然 得 富 貴 、 養 母 又 不 乏 。 天 下 聞 之 、 倶 誉 々 上 題 云 、 黄 金 一 釜 、 天 賜 孝 子 郭 巨 。 於 是 因 児 獲 金 、 之 而 郭 ︻ 妨 人 巨 。 庶 者 橋 飢 、 本 母 困 河 ︼ 抱 。 内 児 爰 人 、 婦 也 共 生 。 行 一 山 男 無 中 。 母 、 巨 存 云 。 掘堀 ︶ 地 、 供 将 若 養 埋 養 懃 児 之 々 。 者 。 底 、 於 金 恐 年 一 有 不 釜 老 登 、 養 、 き 哉 、 孝 子 、 富 貴 に し て 身 を 栄 え し む と 。 ︶ わ ん と す 。 天 、 黄 金 を 賜 い 、 遂 に 明 神 を 感 ぜ し む 。 善 純 孝 至 真 な り 。 夫 妻 心 を 同 じ く し て 、 子 を 殺 し 親 を 養 致 し 、 孝 に 転 じ て 蒸 々 た り 。 賛 に 曰 わ く 、 孝 子 郭 巨 、 黄 全 一 釜 、 天 、 郭 巨 に 賜 う と 。 是 に 於 い て 遂 に 富 貴 を む 。 忽 ち に 金 一 釜 を 得 た り 。 釜 の 上 に 題 し て 云 わ く 、 ち 母 に 供 う る 事 を 廃 せ む と 。 仍 り て 地 を 掘 り て 之 を 埋 156 上 平 声 十 一 真 韻 よ り 、 親 が 正 し い こ と か ら 、 巨 は 、 音 通 あ る が 、 例 え ば 母 は 、 賛 に お け る 押 韻 真 、 親 、 神 、 身 の 半 世 紀 以 上 も 前 に 、 西 野 貞 治 氏 が 名 に 論 お 文 い て 陽 、 明 予 本 言 孝 さ 子 れ 伝 て の 性 格 並 に 清 家 本 と の 関 係 に つ い て 157 と そ の ま ま 見 え る こ と で あ る ︵ 巨 、 児 、 母 の 三 字 に 小 異 が 動 か し 難 い 証 拠 で あ り 、 翻 っ て 研 究 を 溯 る な ら 、 今 か ら 賛 曰 、 孝 子 郭 巨 ⋮ ⋮ 殺 子 養 親 お い て 、 陽 明 本 孝 子 伝 が 実 際 、 流 布 し て い た こ と を 示 す 、 お け る 上 掲 、 賛 の 傍 線 部 に 、 と 言 え る で あ ろ う 。 そ し て 、 そ の 事 実 は ま た 、 北 魏 時 代 に 六 ︶ と 同 様 、 こ の 二 題 記 も ま た 、 陽 明 本 孝 子 伝 5 郭 巨 条 に と 記 さ れ て い る 。 注 目 す べ き は 前 述 、 董 黯 図 の 題 記 ︵ 図 は 陽 明 本 に 極 め て 近 い も の で あ っ た こ と を 、 証 明 す る も の い た 孝 子 伝 テ キ ス ト が 、 系 統 的 に 陽 明 本 そ の も の 、 も し く 孝 子 郭 巨 殺 児 ︶ 養 母 ︵ 孝 子 郭 巨 ︵ ︵ 図 二 十 ︶ 、 そ れ ぞ れ 、 ︶ 伝 本 文 の 引 用 が 、 確 認 出 来 る と い う こ と は 、 そ れ が 用 も し は て や 偶 然 の 一 致 な ど で は あ り 得 ず 、 本 石 床 の 制 作 者 の 的 に 述 べ て み よ の う 左 。 上 、 本 図 に は 、 の 右 下 に 、 二 つ の 題 記 が あ り 孝 子 伝 図 三 図 の 題 記 の 内 、 二 図 の 題 記 に ま で 、 陽 明 本 孝 子 と 認 め ら れ る ︶ 。 こ れ は 、 驚 く べ き 事 実 で あ り 、 本 石 床 の く す る た め に 、 そ れ ぞ れ 本 石 床 に お い て 、 改 め ら れ た も の 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について つ つ 、 林 聖 智 説 の 正 し さ を 、 郭 巨 図 に お い て 、 さ ら に 具 体 に よ っ て 、 ま た 、 児 | 子 、 親 | 母 は 、 意 味 を よ り か り 易 な る ︵ 図 二 、 郭 巨 ↓ ︶ 。 今 、 そ の 順 序 で 本 図 を 検 討 し え ば ︵ 図 三 、 図 四 参 照 ︶ 、 右 か ら ↓ と 見 る べ き も の と ⑶ ⑷ ︶ 。 そ し て 、 そ の 二 連 図 の 順 序 は 前 述 、 林 聖 智 説 に 従 墓 主 の 右 の 二 面 を 、 用 し た も の で あ る ︵ 図 一 、 孝 子 伝 図 っ て い て 、 本 石 床 に お け る そ の 位 置 は 、 正 面 右 石 板 の 男 性 一 、 連 続 す る 二 つ の 画 面 を 用 し て 描 か れ た 、 二 連 図 と な 本 石 床 の 郭 巨 図 ︵ 図 十 九 ︶ は 、 本 石 床 の 孝 子 伝 図 中 に 唯 図二十 郭巨図題記 る な り ︶ 乏 し か ら ず 。 天 下 之 を 聞 き 、 倶 に 孝 道 の 至 れ る を 誉 む 内 の 牀 上 に 坐 す 、 郭 巨 の 母 ︵ 左 ︶ と 子 供 ︵ 右 ︶ と が 描 か れ い た も の で あ る 。 図 十 九 左 は 、 画 面 の 右 に 、 郭 巨 ︵ 右 ︶ ⑹ ⑸ ネ ル ソ ン ・ 旧 ア 蔵 ト 北 キ 魏 ン 石 ズ 床 美 術 館 蔵 北 魏 石 棺 C. T. Loo ⑺ 洛 陽 古 代 芸 術 館 蔵 北 魏 石 床 と 妻 ︵ 左 ︶ が 立 っ て お り ︵ 共 に 左 向 き ︶ 、 画 面 の 左 に 、 屋 に 済 ん だ 、 郭 巨 夫 婦 と そ の 母 、 子 供 の 迎 え た 、 大 団 円 を 描 ⑷ 和 泉 市 久 保 惣 記 念 美 術 館 蔵 北 魏 石 床 の 場 面 は 、 天 か ら 授 か っ た 黄 金 に よ っ て 、 子 供 を 殺 さ ず ⑶ ミ ネ ア ポ リ ス 美 術 館 蔵 北 魏 石 棺 で あ る 。 こ れ が 、 郭 巨 図 の 場 面 で あ り 、 そ の 左 に 続 く 、 ⑵ 寧 夏 固 原 北 魏 墓 漆 棺 画 意 ︶ が 描 か れ る 。 天 が 郭 巨 の 孝 を 愛 で 、 郭 巨 に 下 し た 黄 金 ⑴ 江 蘇 徐 州 仏 山 画 象 石 墓 に は 、 掘 り 出 さ れ た 黄 金 一 釜 ︵ 陽 明 本 。 釜 一 杯 の 金 の 次 の 十 一 図 を 上 げ る こ と が 出 来 る 。 は 、 髷 を 結 い 、 郭 巨 は 巾 を 被 る 。 郭 巨 が 目 を 遣 る 、 鋤 の 右 図 像 で あ っ た ら し く 、 管 見 に 入 っ た そ の 遺 品 と し て は 目 下 、 け た 郭 巨 が 、 地 面 に を 掘 っ て い る ︵ 右 向 き ︶ 。 郭 巨 の 妻 孝 子 伝 図 中 、 郭 巨 図 も 、 老 莱 子 図 と 共 に 、 人 気 を 博 し た い る 。 画 面 の 左 に は 、 両 手 に 鋤 を 握 り 、 左 足 を 鋤 の 先 に 懸 赤 子 は 裸 で 、 郭 巨 の 方 ︵ 左 ︶ を 向 い て 、 右 手 を 差 し 述 べ て に は 、 赤 子 を 抱 い た 、 郭 巨 の 妻 が 立 っ て い る ︵ 左 向 き ︶ 。 が 、 子 供 を 生 き 埋 め に し よ う と す る 場 面 で あ る 。 画 面 の 右 郭 巨 図 に お け る 配 列 の 問 題 を 、 少 し 検 討 し て お く 。 る 。 こ こ で は 、 採 用 し な い が 、 そ の 捉 え 方 も 含 め て 以 下 、 く 、 そ の 逆 に 、 プ ロ ロ ー グ を 表 わ す も の と 捉 え る こ と で あ 十 ら な 可 け 能 れ で ば あ 、 る 。 即 二 ち 場 、 面 の の 順 場 序 面 を を 、 、 逆 物 に 語 解 の 釈 大 す 団 る 円 こ で と は も な 、 と こ ろ で 、 図 十 九 右 認 出 来 る 。 る 、 取 り 出 さ れ た 、 黄 金 が 描 か れ て い な い の で 、 も し 林 聖 智 説 に よ で 子 供 に 食 べ 物 を 与 え て い る 所 で あ る 。 は 、 題 記 の 通 り 、 し い 郭 巨 夫 婦 け 重 要 な 題 記 を 持 つ こ と が 、 改 め て こ こ に 再 確 に は 、 で 掘 り い た こ と が 、 今 般 の 呉 強 華 氏 所 蔵 北 魏 石 床 の 出 現 に よ り 、 董 黯 図 ︵ 図 五 ︶ は 、 本 石 床 の そ の よ う な 学 術 的 価 値 に 関 わ 品 で あ る こ と が 、 ま ず 間 違 い な い 。 本 図 ︵ 図 十 九 ︶ 及 び 、 前 述 の よ う に 本 石 床 は 、 極 め て 高 い 学 術 的 価 値 を 有 す る 遺 漸 く 事 実 と し て 証 明 さ れ た こ と に な る 。 そ の 意 味 に お い て 、 口 を 開 け て お り 、 郭 巨 の 母 は 、 左 手 に 食 器 を 持 っ て 、 右 手 ら さ れ て い る 。 子 供 は 、 産 着 を 着 、 両 足 を 前 へ 投 げ 出 し て 、 こ と を 表 わ し て い る の で あ ろ う 。 屋 内 の 牀 に は 、 屛 風 が 廻 の て い 物 る の ︵ 屋 母 根 は が 右 草 向 葺 き き 、 な 子 の 供 は は 、 左 郭 向 巨 き の ︶ 家 。 が 母 や は は 髷 り を 、 結 う し 。 い 158 黄 金 の 釜 の 添 え ら れ る こ と が 、 一 般 で あ る が 、 省 略 さ れ る 159 え る 。 ⑤ に は 、 の 一 例 を 数 え 、 三 連 図 と す る も の が 、 ① と ⑤ は 共 に 、 郭 巨 夫 婦 の 母 に 対 す る 供 養 を 、 場 面 と す る ⑹ C. T. Loo ⑵ 寧 夏 固 原 北 魏 墓 漆 棺 画 も の で 、 原 則 と し て 登 場 人 物 が 全 員 、 顔 を 旧 蔵 北 魏 石 床 ⑤ ④ ③ ② ① 供 運 道 供 養 搬 掘 行 養 ︵ り ︵ 大 、 プ 団 黄 ロ 円 金 ロ ︶ ー グ ︶ る 遺 品 が 多 い 中 で 、 二 連 図 を 持 つ も の が 、 が 知 ら れ よ う 。 ま た 、 表 四 を 見 る と 、 郭 巨 図 を 一 場 面 と す と ② 道 行 は 、 一 例 し か な く 、 ④ 運 搬 も 、 二 例 に 留 ま る こ と 図 養 ︵ 同 大 様 団 、 円 黄 ︶ 金 が の そ 釜 れ が に 描 次 か ぐ れ ︵ な 中 い で ︶ 。 、 ① ⑸ 供 、 ⑺ 養 の ︵ 二 プ 点 ロ に ロ は ー 、 グ 本 ︶ ず れ も 、 郭 巨 ︵ 夫 婦 ︶ の 行 動 を 、 場 面 化 し た も の で あ る 。 け て 、 郭 巨 図 の 遺 品 毎 の 状 況 を え て み よ う 。 以 下 は い ③ ① | 掘 ⑤ り の 、 番 黄 号 金 で の 示 場 す 面 ︶ 。 を そ 描 し く て も 、 の 表 が 三 、 を 圧 見 倒 れ 的 ば に 、 多 郭 く 巨 、 図 ⑤ は 供 、 両 孝 子 伝 に お け る 郭 巨 の 物 語 を 、 例 え ば 次 の 五 つ の 場 面 に 二 連 、 三 連 と す る 遺 品 が あ る こ と に 、 気 付 く の で あ る 。 今 、 多 い 中 で 、 特 に テ キ ス ト の 筋 の 展 開 を 追 っ て 、 図 像 の 数 を ︵ 夫 婦 ︶ の 、 黄 金 を 掘 り 出 す 場 面 を 、 一 図 に 描 い た も の が 覧 と し て 示 し た も の が 、 表 四 で あ る ︵ 場 面 の 内 容 を 、 上 記 度 は 、 そ れ ぞ れ の 遺 品 毎 に 、 そ の 遺 品 の 有 す る 場 面 を 、 一 る ︶ 。 さ て 、 表 三 は 、 場 面 か ら 遺 品 を 見 た も の な の で 、 今 せ ば 、 表 三 の よ う に な る ︵ 遺 品 名 は 、 上 記 の 遺 品 番 号 に よ 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について 上 記 ⑴ | の 郭 巨 図 を 通 覧 す る と 、 概 し て 伝 図 の 遺 品 と な っ て い る 。 六 朝 時 代 の も の で あ る 。 上 記 は 、 ⑴ の み が 後 漢 の 遺 品 で あ る 外 、 ④ は 、 二 人 で そ れ を 家 へ と 運 ぶ 場 面 で あ る 。 さ て 、 そ れ ら が 、 郭 巨 図 を 象 徴 す る も の で あ る こ と は 、 言 う ま で も な い 。 地 中 か ら 黄 金 の 釜 が 出 現 す る 場 面 で あ っ て 、 そ の 黄 金 の 釜 を 掘 る 郭 巨 ① | ⑤ の 場 面 毎 に 、 当 該 場 面 の あ る 遺 品 を 、 一 覧 と し て 示 ⑼ ⑻ 陝 襄 鄧 ネ 西 陽 県 ル 歴 彩 ソ 家 色 ン 博 沖 画 ・ 物 画 象 ア ト 館 象 キ 蔵 ン 三 墓 ズ は 彩 美 、 四 術 非 孝 館 常 塔 蔵 に 式 北 珍 缶 斉 し 石 い を 床 、 除 唐 く 代 全 の て 孝 が 子 、 る 。 ③ は 、 郭 巨 ︵ 夫 婦 ︶ が 鋤 で 、 地 面 に を 掘 っ て い る と 、 ② は 、 子 供 を 埋 め る た め 、 夫 婦 が 山 中 へ と 向 か う 場 面 で あ か を 、 そ の 場 面 だ け で 判 断 す る こ と は 、 極 め て 難 し く な る 。 こ と も あ る ︵ 後 述 ︶ 。 そ の 場 合 、 そ れ が ① 、 ⑤ ど ち ら な の に 、 次 孝 の 子 題 郭 記 距巨 が ︶ 供 あ 養 る 老 。 母 妻 は 赤 子 を 抱 い て い る ら し い 。 こ の ① 、 ② の 場 面 を 持 つ の は 、 ② 道 行 の 場 面 で あ る 。 画 面 の 右 が 郭 巨 、 左 が 妻 で 、 図 で あ る 。 図 二 十 一 は 、 三 連 図 か ら 成 る 郭 巨 図 で 、 各 場 面 示 す の は 、 ネ ル ソ ン ・ ア ト キ ン ズ 美 術 館 蔵 北 魏 石 棺 の 郭 巨 北 魏 墓 漆 棺 画 に 描 か れ た 郭 巨 図 で あ る 。 ま た 、 図 二 十 二 に で 紹 介 し て お き た い 。 図 二 十 一 に 掲 げ る の は 、 ⑵ 寧 夏 固 原 か れ て い る の が 、 郭 巨 の 母 で 、 右 が 郭 巨 ︵ の 妻 ︶ で あ ろ う 。 グ ︶ に 当 た り 、 郭 巨 の 家 を 描 く 。 題 記 か ら 、 屋 内 の 左 に 描 る 。 ま ず 当 図 な ど に 、 当 時 の 鮮 卑 の 習 俗 を 留 め る 、 大 変 貴 重 な 遺 品 で あ は 、 場 面 と し て は 、 前 述 ① 供 養 ︵ プ ロ ロ ー 上 記 ⑴ | の 内 、 三 連 図 か ら 成 る 、 郭 巨 図 を 二 図 、 こ こ ぐ 、 二 例 目 の 遺 品 を 、 こ こ に 得 た こ と に な る 。 て 、 本 石 床 の 郭 巨 図 ︵ 図 十 九 ︶ は 、 二 連 図 な の で 、 ⑹ に 次 の 三 例 に 及 ん で い る こ と が さ ら に 知 ら れ る の で あ る 。 そ し 本 ⑸ ネ ル ソ ン ・ ア ト キ ン ズ 美 術 館 蔵 北 魏 石 棺 ⑤ 供 養 ⑷ 和 泉 市 久 保 惣 記 念 美 術 館 蔵 北 魏 石 床 大 団 円 ︶ ④ 運 搬 ⑶ ⑷ ⑷ ⑸ ⑸* ⑹ ⑺* 、 本* 図 ③ 掘 り 、 黄 金 ⑴ ⑵ ⑷ ⑸ ⑹ ⑻ ⑼ ② 道 行 ⑵ ① 供 養 プ ロ ロ ー グ ︶ 九 九 年 ︶ 頃 に 制 作 さ れ た も の と 棺 は 、 北 魏 太 和 ︵ 四 七 七 年 | 四 し て い た 、 可 能 性 が 高 い 。 当 漆 面 遺 品 、 本 図 * 黄 金 な し ③ ⑤ ③ ③ ③ ⑤ ③ ③ ③ ⑤ ① ③ ⑤ ⑤ ④ ④ ② ⑤ ⑤ ③ さ れ 、 特 色 と し て 図 像 中 の 服 装 郭 巨 図 場 面 一 覧 場 ⑵ ⑼ ⑻ ⑺ ⑹ ⑸ ⑷ ⑶ ⑵ ⑴ 図 表 三 う 一 面 、 そ の 大 団 円 の 場 面 を 存 の 左 は 失 わ れ て い る が 、 本 来 も の 区 切 り を 表 わ し て い る 。 当 図 見 え る 、 三 角 形 の 山 形 が 、 画 面 左 か ら 続 く も の で あ る 。 図 中 に ↓ 三 連 ↓ の 郭 の 巨 順 図 で ︶ 、 ︵ 八 右 連 始 の ま 舜 り 図 、 の 漆 棺 の 左 上 欄 に 描 か れ て い る 、 当 図 は 、 一 九 八 一 年 に 出 土 し た 、 表 四 遺 郭 巨 図 遺 品 場 面 一 覧 品 場 面 官 相 以 不 将 食 徳得 ︶ 不 脱奪 塚 足 ︶ 私 天 殺 不 賜 子 皇黄 養 徳得 ︶ 与 今金 母 ︶ 一 釜 ︶ 160 図二十一 161 寧夏固原北魏墓漆棺画(郭巨図A―C) 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について 図二十二 ネルソン・アトキンズ美術館蔵北魏石棺(郭巨図A―C) 当 ︵ 郭 る 図 左 巨 。 の ︶ の 右 と 母 に と の ︵ 、 二 左 牀 の と 人 の を 向 上 二 描 き に 場 い ︶ 、 右 面 て 左 膝 が い に を 、 る 、 立 本 ︵ 並 て 図 共 び 、 両 ︵ に 図 、 立 手 十 右 つ で 九 向 、 赤 ︶ き 郭 子 の ︶ 巨 を 。 ︵ 抱 と そ 右 い し ︶ て と て と 坐 に 、 妻 る 、 、 右 に 描 か れ た 、 最 後 の は 、 ⑤ 供 養 ︵ 大 団 円 ︶ の 場 面 で あ 釜 を 棒 に 結 わ え 、 郭 巨 を 先 頭 と し て 、 右 手 に 子 供 を 抱 く の 妻 と 二 人 で 右 肩 、 左 肩 に 、 棒 の 先 を 担 っ て 歩 ん で い る 。 家 へ と 運 ぶ 場 面 で あ る ︵ 共 に 、 右 向 き ︶ 。 夫 婦 は 、 黄 金 の 描 か れ る 、 次 の は 、 ④ 運 搬 の 場 面 で 、 郭 巨 夫 婦 が 黄 金 を 、 の 釜 が あ っ て 、 郭 巨 が そ れ を を 注 視 す る 。 の や や 右 上 に て い る ︵ 共 に 、 左 向 き ︶ 。 鋤 の 左 に は 、 掘 り 出 さ れ た 黄 金 き 、 左 に 、 両 手 に 鋤 を 握 っ た 郭 巨 が 、 鋤 の 先 に 右 足 を 懸 け 黄 金 に 該 当 す る 。 は 、 右 に 、 赤 子 を 抱 い た 郭 巨 の 妻 が 跪 ま す は ず る 舜 、 図 は 三 、 、 連 右 画 図 面 と 足 左 な 側 下 っ に て は 描 い 原 か る 谷 れ ︵ 図 、 ︶ 場 ↓ 、 岩 面 と の や し 順 木 を て ︶ 。 は 当 場 、 図 面 ③ に の 区 お 掘 け 切 り る り 、 、 と 右 中 央 に 描 か れ た 郭 巨 図 で ︵ 榜 題 子 郭 巨 。 左 頭 側 る 金 を は 図 。 の 発 、 釜 見 当 二 が す 図 十 描 る の 二 か 場 み は れ 面 で 、 る で あ ネ 。 あ る ル こ り ︵ ソ の 、 表 ン 鋤 三 ・ が を 参 ア 、 握 照 ト 本 る ︶ キ 図 郭 。 ン ︵ 巨 ズ 図 と は 美 十 、 、 術 九 掘 ③ 館 ︶ り 蔵 出 掘 北 に さ り 魏 該 れ 、 石 当 た 黄 棺 す 黄 金 の 162 小 稿 の 中 国 語 訳 版 が 、 趙 超 、 呉 強 華 氏 永 遠 的 北 朝 深 圳 博 恩 に 、 深 謝 申 し 上 げ た い 。 け れ ば 、 決 し て 成 る こ と は な か っ た 。 い つ も 乍 ら の 教 授 の 学 小 稿 は 、 中 国 社 会 科 学 院 古 研 究 所 の 趙 超 教 授 の 御 慫 慂 が な 搬 出 し て 下 さ っ た 氏 の 御 好 意 が 、 身 に 沁 み て 忘 れ 難 い 。 ま た 、 ら 御 礼 申 し 上 げ た い 。 そ の 際 、 保 管 庫 か ら 石 板 四 枚 を 、 態 々 石 床 原 石 を 見 せ て 下 さ っ た 、 深 圳 の 呉 強 華 氏 に 対 し 、 心 か 二 墓 〇 壁 〇 画 九 孝 年 子 11 伝 月 図 ︶ 輯 参 録 照 ︵ 孝 。 二 子 ま 〇 伝 た 〇 図 、 九 の 和 年 研 林 3 格 月 究 爾 。 ︵ 後 再 汲 漢 版 古 壁 、 書 画 文 院 墓 物 、 の 出 平 孝 版 成 子 社 19 伝 、 図 に つ い て は 、 拙 著 163 中 国 内 蒙 古 自 治 区 文 物 古 研 究 所 、 日 本 幼 学 会 和 林 格 爾 漢 っ の 代 べ た 場 芸 き と 面 術 で に 館 あ え お 蔵 る ら い 北 。 れ て 魏 こ る 、 石 の 。 時 床 こ 本 と の と 図 し よ か の て う ら 黄 に 、 は 金 、 例 、 の 郭 え そ 釜 巨 ば の を 図 当 ケ 、 の 図 ー 描 ⑤ の ス か 供 に な 養 や 当 い ︵ 、 た こ 大 ⑺ る と 団 洛 も も 円 陽 の あ ︶ 古 ら 見 て 、 余 り に も 不 自 然 で 、 や は り ⑤ 供 養 ︵ 大 団 円 ︶ と す ら な い こ と で あ る 。 当 へ 図 と の 向 か を う 、 、 ① 供 の 養 夫 ︵ 婦 プ の ロ 歩 ロ む ー 向 グ き ︶ か と す る こ と は 、 例 え ば る も の で あ る に も 関 わ ら ず 、 黄 金 の 釜 が そ の 中 に 、 見 当 た は 、 当 図 の が 明 ら か に 、 場 面 ⑤ 供 養 ︵ 大 団 円 ︶ に 、 当 た あ る こ と が 、 知 ら れ る の で あ る ︵ 表 四 参 照 ︶ 。 興 味 深 い の れ て い る の で 、 是 非 参 照 さ れ た い 。 ま た 、 そ の 後 、 呉 氏 が 蒐 の 見 事 な 原 石 写 真 、 拓 本 が 上 記 の 趙 超 、 呉 強 華 氏 書 に 収 録 さ 平 床 い 成 脚 る 26 部 郭 年 の 巨 3 孝 図 月 子 に ︶ 伝 つ に 図 い お に て い つ は て い 、 紹 て 拙 介 | 稿 し ︵ た 佛 郭 。 教 巨 本 大 図 石 学 | 床 及 文 呉 び 学 強 、 部 華 当 論 氏 石 集 蔵 北 床 脚 98 魏 部 、 石 床 の 郭 巨 図 ③ 、 ④ 、 ⑤ 三 連 か ら 、 ④ 運 搬 を 省 略 し た も の で 魏 石 床 と 共 に 、 当 図 や ⑷ 和 泉 市 久 保 惣 記 念 美 術 館 蔵 北 魏 石 そ れ ぞ れ 該 当 す る 。 従 っ て 、 本 図 は 、 ⑹ 旧 蔵 北 ① 注 ② 年 ︶ Ⅰ 二 2 を 参 照 さ れ た い 。 で あ ろ う 。 付 記 C.T.Loo 物 館 北 朝 石 刻 芸 術 展 ︵ 文 物 出 版 社 、 二 〇 一 六 年 ︶ に 収 録 さ れ 出 は 版 、 、 拙 平 著 成 13 孝 年 子 伝 Ⅱ の 一 研 、 究 二 を ︵ 参 佛 照 教 さ 大 れ 学 た 鷹 い 陵 。 文 化 叢 書 5 、 思 文 閣 古 容 学 庚 社 氏 、 民 漢 国 武 25 梁 祠 一 画 九 像 三 録 六 ︵ 年 ︶ 参 照 。 孝 子 伝 図 に つ い て 古 学 社 専 集 13 、 北 平 燕 京 大 学 る 成 果 の 一 部 で あ る 。 成 | 29 年 門 3 生 月 石 予 床 定 の ︶ 孝 に 子 お 伝 い 図 て | 述 ︵ べ 佛 た 教 の 大 で 学 、 併 文 読 学 を 部 乞 論 い 集 た い に 。 、 よ な 平 お 小 稿 は 、 平 成 二 十 八 年 度 科 学 研 究 費 補 助 金 基 盤 研 究 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について 成 ︵ 29 二 年 面 3 ︶ 月 の 予 連 定 れ の ︶ 、 一 呉 面 氏 の 蔵 出 東 現 魏 | 武 ︵ 定 関 元 西 年 大 学 門 生 国 石 文 床 学 に つ い 、 て 平 成 面 28 ︶ 年 の 3 孝 月 子 伝 ︶ 、 図 蔡 に 順 つ 、 い 丁 て 蘭 | 、 ︵ 韓 佛 伯 教 大 図 学 | 呉 氏 蔵 北 魏 石 床 集 さ れ た 遺 品 に 関 し 、 拙 稿 董 黯 図 | 呉 氏 蔵 北 魏 石 床 、 ︵ 平 二 文 学 部 論 集 本 石 床 と 同 時 に 展 示 さ れ た 、 呉 氏 蔵 北 魏 石 床 脚 部 に 描 か れ て た ︵ 黄 氏 訳 に よ る ︶ 。 小 稿 は 、 そ の 日 本 語 の 原 論 文 で あ る 。 ⑨ 梁 祠 の 孝 子 伝 図 全 十 七 図 の 十 四 図 が 、 陽 明 本 と 一 致 、 対 応 し 、 明 本 孝 子 伝 全 四 十 五 条 の 内 容 を 詳 細 に 検 討 す る と 、 例 え ば 武 成 立 説 を 提 示 さ れ た こ と が あ る ︵ 注 ⑤ 前 掲 論 文 ︶ 。 し か し 、 陽 を 賜 つ て い る に 過 ぎ ぬ 。 そ し て 、 此 の 説 話 で 三 牲 を 羅 列 す 肉 各 一 斤 半 覧 八 六 三 ︶ に と あ る 如 く 、 重 臣 の 母 が 病 篤 く し て 漸 く 二 牲 石 崇 崔 亮 母 疾 、 日 賜 清 酒 粳 米 各 五 升 、 猪 羊 陽 明 本 の 成 立 時 期 に つ い て 、 西 野 貞 治 氏 は か つ て 、 六 朝 末 期 う 所 も 喩 で あ る 事 は 言 う も な い 。 例 え ば 太 康 起 居 注 ︵ 御 出 版 社 、 二 〇 〇 四 年 ︶ 等 の 論 文 も あ る 。 此 の 三 牲 は 王 侯 の 礼 で 庶 人 の な し 能 る 所 で な く 、 孝 経 の 言 図 画 に 画 ︵ 留 意 ︵ さ 中 古 れ 国 与 て 漢 文 い 画 物 る 。 学 会 二 ま 第 〇 た 九 〇 、 届 四 同 年 ・ 氏 会 3 に は 論 ︶ 、 、 文 集 関 関 于 于 上 漢 伯 所 代 奇 収 的 的 、 幾 古 中 種 代 国 古 孝 社 孝 子 会 子 図 を 始 め て 紹 介 し た も の で 、 伯 奇 図 な ど の 孝 子 伝 図 と の 関 わ り じ た こ と が あ る ︵ 注 ② 前 掲 拙 著 Ⅱ 一 3 ︶ 。 詳 し く は 、 そ ち ら を 董 黯 図 並 び に 、 そ の 原 拠 と な っ た 董 黯 譚 つ い て は 、 か つ て 論 董 黯 図 に 見 え る 三 牲 に つ い て 、 西 野 貞 治 氏 は 、 参 照 さ れ た い 。 照 さ れ た い 。 な お 趙 二 超 〇 氏 〇 四 日 年 本 2 流 期 伝 ︶ 的 は 、 両 中 種 国 古 に 代 お ︽ い 孝 て 子 該 伝 書 ︾ ︵ 中 国 典 籍 与 文 化 拠 る ︵ 以 下 も 同 じ ︶ 。 両 孝 子 伝 の 本 文 、 書 き 下 し 文 は 、 注 ⑧ 前 掲 孝 子 伝 注 解 に ⑧ 書 院 両 、 孝 平 子 成 伝 15 の 年 本 ︶ 文 に に そ つ の い 翻 て 刻 は 、 、 注 幼 解 学 、 の 影 会 印 を 孝 収 子 め 伝 た 注 の 解 で ︵ 、 汲 参 古 の 写 真 に 拠 る も の で あ る ︶ 。 も 同 じ 。 ま た 、 後 掲 図 六 な ど 、 本 石 床 の 部 図 も 、 同 氏 提 供 ⑦ 両 孝 子 伝 に つ い て は 、 注 ① 前 掲 拙 著 Ⅰ 一 2 を 参 照 さ れ た い 。 図 五 は 、 呉 強 華 氏 か ら 提 供 さ れ た 、 拓 本 の 写 真 に 拠 る ︵ 以 下 関 連 が 興 味 深 い ︵ 拙 京 稿 都 語 列 文 女 伝 15 図 、 の 平 研 成 20 究 年 | 11 和 月 林 格 参 爾 照 後 漢 ︶ 。 壁 画 墓 の 列 女 伝 図 | 注 ② 前 掲 拙 著 Ⅰ 二 3 方 、 劉 向 が 列 女 伝 を 著 し 、 列 女 伝 図 を 制 作 し て い る 事 実 と の 2 の 、 墓 平 主 成 肖 15 像 年 と 3 孝 月 子 ︶ 伝 図 を 例 と し て | ︵ 美 術 劉 向 作 と は え 難 く 、 六 朝 以 降 の 成 立 と す べ き も の だ が 、 一 ⑥ 著 Ⅰ 古 一 孝 を 子 参 伝 照 に さ つ れ い た て い は 。 、 な 注 お ① 前 劉 掲 向 拙 孝 著 子 Ⅰ 伝図 ︶一 に 1 つ 及 い び て 、 は 注 、 ② 前 前 漢 掲 の 拙 を 参 照 さ れ た 北 い 朝 。 時 代 に お け る 葬 具 の 図 像 と 機 能 | 石 棺 床 52 囲 ・ 屛 林 聖 智 氏 ⑤ て ︵ 人 文 研 究 陽 7 明 ・ 本 6 孝 、 子 昭 伝 和 の 31 性 年 格 7 並 月 に ︶ 清 家 本 と の 関 係 に つ い 稿 頃 に 陽 改 明 編 本 を 孝 受 子 け 伝 た の も 成 の 立 と ︵ 京 都 語 文 西 野 貞 治 氏 え る こ と が 出 14 来 、 る 平 。 成 詳 19 し 年 く 11 は 月 、 ︶ 拙 ③ ④ 二 十 四 孝 に つ い て は 、 同 Ⅰ 二 を そ れ ぞ れ 参 照 さ れ た い 。 部 ら に は 漢 、 代 古 に く 流 漢 行 代 し に た 成 習 立 俗 し 、 、 過 ま 礼 た と 、 の 現 関 行 連 本 か は ら 六 、 朝 陽 斉 明 末 本 、 の 梁 根 初 幹 テ キ ス ト と し て の 孝 子 伝 に つ い て は 、 注 ① 前 掲 拙 著 Ⅰ 一 を 、 漢 代 孝 子 伝 の 流 れ を 受 け た も の で あ る こ と が 確 実 視 さ れ 、 さ と い う も の が あ る ︵ S 七 刻 本 な ど ︶ 。 二 十 四 孝 図 に つ い て は 、 例 え ば 五 代 宋 初 の も の と さ れ る 、 敦 煌 出 土 の 二 十 四 孝 押 座 文 で 、 ま た 、 後 漢 楽 浪 彩 筐 の 孝 子 伝 図 全 四 図 が 全 て 陽 明 本 に は 、 含 和 林 格 爾 後 漢 壁 画 墓 中 室 の 孝 子 伝 図 全 十 二 図 の 十 一 図 も 同 様 注 ① 前 掲 拙 著 Ⅱ 三 を 参 照 さ れ た い 。 ま れ る 等 、 漢 代 孝 子 伝 図 と の 関 係 か ら 、 陽 明 本 の 或 る 部 164 西 野 氏 は 、 明 ら か に さ れ た の で あ る ︵ 同 氏 董 永 伝 説 に つ い 下 に 配 さ れ る こ と の 背 景 に は 、 そ の よ う な 事 実 が あ る こ と を 、 165 董 黯 と 董 永 に は 、 家 系 的 に 深 い 繫 が り が あ っ て 、 二 人 の 図 が 上 の 董 仲 舒 の 説 が あ り ︵ 唐 で 、 あ 崔 る 殷 と す 重 る 修 説 董 が 孝 あ 子 る ︵ 記 董 永 ︶ 、 変 ま 文 た な 、 ど 董 ︶ 。 永 つ に ま は り 、 、 そ い る が 、 董 黯 に は 、 彼 の 有 名 な 董 仲 舒 の 六 世 の 孫 で あ る と す る ス ト ン 美 術 館 蔵 北 魏 石 室 の 董 黯 図 の 上 に は 、 董 永 図 が 描 か れ て の よ う な 興 味 深 い 事 実 を 、 指 摘 さ れ た こ と が あ る 。 例 え ば ⑴ ボ こ の よ う な 関 係 が 生 じ る 理 由 と し て 、 西 野 貞 治 氏 は か つ て 、 次 用 を 裏 付 け る 事 実 と 言 え よ う 。 さ て 、 董 永 図 と 董 黯 図 と の 間 に 、 房 昭 、 和 図 昭 12 二 和 年 十 57 5 二 年 月 は 。 、 に 同 奥 再 氏 村 伊 録 ︶ 古 九 図 拙 良 一 愁 氏 に 眉 拠 支 孝 る 那 子 。 美 伝 術 石 棺 の の 諸 刻 相 画 ︵ み 瓜 す 茄 ず 書 4 、 民 出 版 社 、 一 九 八 八 年 ︶ に 拠 る 。 あ り 得 な い 一 証 と す べ く 、 ま た 、 を め ぐ る 董 永 図 の 題 記 の 転 な け れ ば な ら な い ︶ 。 こ の こ と も 、 そ の 題 記 が 当 図 の も の で は の 郭 巨 図 の 出 土 状 況 が 、 注 目 さ れ 固 よ 原 う 北 。 魏 墓 漆 棺 画 ︵ 寧 夏 人 図 二 十 一 は 、 寧 夏 固 原 博 物 館 図 七 の 題 記 に 、 長 廣 氏 注 さ れ た い 。 前 掲 書 八 章 と あ 頁 る の は 、 明 ら か に お か し い ︵ 母 で こ と で あ り 、 例 え ば ⑴ 江 蘇 徐 州 仏 山 画 象 石 墓 の そ れ な ど 、 今 後 三 連 図 と 見 ら れ る こ と に つ い て は 、 注 ② 前 掲 拙 著 Ⅱ 一 3 を 参 照 平 説 成 が 近 15 あ 時 年 る の 2 ︵ 橋 月 同 本 氏 草 ︶ 。 子 そ 氏 郭 の の 巨 根 論 拠 と 説 の し 話 一 て の つ 、 成 は 郭 立 、 巨 を 郭 の め 巨 実 ぐ 図 在 っ に を 漢 て 疑 代 う 図 、 野 像 興 草 が 味 な 深 7 1 い 、 い 呉強華氏蔵新出北魏石床の孝子伝図について た 、 注 ② 前 掲 拙 著 Ⅰ 二 3 を 参 照 さ れ た い 。 ま た 、 そ の 董 黯 図 が 長 廣 氏 注 前 掲 書 九 章 頁 当 石 床 の 復 元 及 び 、 董 黯 図 に つ い て は 、 林 氏 注 前 掲 論 文 ま 図 版 四 七 に 、 そ れ ぞ れ 拠 る 。 当 図 に は 後 述 す る よ う に 、 董 永 図 と の 混 乱 が あ る ら し い 。 版 社 、 一 九 五 八 年 ︶ 図 版 一 八 、 図 十 七 は 、 長 廣 氏 注 前 掲 書 、 六 、 五 五 、 五 四 に 拠 る 。 真 、 図 十 五 は 、 写 真 、 図 十 六 は 、 鄧 県 彩 色 画 象 墓 ︵ 文 物 出 雄 画 と 氏 ︵ 図 指 上 七 摘 六 海 は さ 朝 人 、 れ 時 民 写 て 代 美 真 い 美 術 に る 術 出 拠 ︵ の 版 る 注 研 社 。 ⑤ 究 、 図 前 一 八 掲 ︵ 九 は 論 美 八 、 文 術 八 中 ︶ 出 年 国 。 版 ︶ 美 社 図 術 、 六 全 昭 、 集 和 図 絵 44 九 画 年 は 編 ︶ 、 19 図 長 石 版 廣 刻 五 敏 線 年 ︶ 7 3 、 図 十 四 は 、 内 蒙 古 自 治 区 文 物 古 研 究 所 提 供 の 写 本 精 選 集 ︵ 中 央 研 究 院 歴 図 十 三 は 、 中 央 研 究 院 歴 語 言 語 研 言 究 研 所 究 、 所 民 所 国 蔵 93 漢 代 二 石 〇 刻 〇 画 四 象 拓 前 掲 拙 著 Ⅱ 一 3 参 照 ︶ 。 と し て 挿 入 し た も の で ︹ あ る ︺ 記 の 間 に 、 こ の よ う な 関 わ り の 生 じ る 理 由 が 判 然 と す る ︵ 注 ② 的 に 用 い て い る の で 、 特 に 不 孝 息 子 の 愚 か さ を 誇 張 し た 部 る の は 、 い わ ば 此 の 説 話 は 、 非 常 に 重 要 な も の で 、 氏 の 指 摘 に よ れ ば 、 董 永 図 と 董 黯 図 の 題 て と 富 、 孝 と 不 孝 を 甚 だ 対 照 人 文 研 究 6 ・ 6 、 昭 和 30 年 7 月 ︶ 。 西 野 氏 の 指 摘 は 、
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