『土砂災害防止』 [PDFファイル/225KB]

岡山県審査入賞作品
作文中学生の部 優秀賞
(土木部長賞)
「土砂災害防止」
かなたに
な ぎ さ
岡山県 玉野立八浜中学校 1年 金谷 渚沙
僕がなぜ土砂災害防止の作文を選んだかというと僕も台風の被害を受けたからだ。僕が台風の被害を受
けたのは今から5年前、小学校2年生の時だ。そしてこの年には東日本大震災があった。この震災があって
から自然災害に対する関心が日本全国で深まっているころに台風が来た。台風が来たのは9月の初めご
ろ、この日はサッカーの試合があり試合の準備も出来ていた。しかし台風によりその試合は中止になった。
この時台風が僕達の住んでいる地域にどれ程の被害をもたらすのか心配になっていた。僕は初めて来る
台風の事を不安に思ってきた。この日の午後、台風による雨足が強まってきた。それにともない近くの川や
みぞなどの水位が高くなっていた。このままだと(当時)住んでいる家が浸水する危険があった。そのため
電化製品などの物と一緒に弟ととなりのおばぁちゃんの家にひ難をした。そして母と父は当時住んでいた
家の物をおばぁちゃんの家に移し、母と父もおばぁちゃんの家にひ難した。そしてひ難してから 1 時間半く
らい経った時、ひ難していたおばぁちゃんの家のゆか上に水が上がってきた。水位はゆか上 15 センチ程
にまで上がってきた。このままだと危険なので八浜の市民センターへひ難することにした。市民センターに
は家が浸水した人や近所の人などもいた。この日は家の水が引くのを待つために市民センターで夜を過ご
した。次の日、家の状態を見に行くと水は引いていたが、家の中はどろだらけになっており、ゆか下にもま
だ水がたまっていた。この日は水につかってしまった本や電化製品などの処分をした。それから色んな人
の助けを借り、たたみのはりかえ、家具の買いかえ、当時住んでいた家からおばぁちゃんの家への引っこし
など、もとの生活をするためには何週間もかかりとても大変だった。この時に思ったことがいくつかある。ま
ず一つ目は、災害があった時の周りの人、友人、知人の助けがとても大切だったということ。たたみのはりか
えなどの力仕事が知人などの助けで早く出来たり、サッカーの友人がおにぎりを作って届けてくれたりした
時には本当に助かった記憶がある。このように色んな人の助けがあったからこそ今までの暮らしに早く戻れ
たのだと思う。こんな風にお互いが助け合う事が災害からもとの暮らしに戻るために必要な事だと思う。二
つ目はこのようになるかもしれないという事前の予測やひ難が早く出来るようにするための準備など、自分
達の身を自分達で守る事が出来るようにすることが大切だということだ。思う。そして災害に関する知識を身
に付けることやひ難をするときに正しい判断が出来ること、あわててひ難をするのではなく冷静にひ難をす
ることが自分で自分の身を守るために必要な事だと思う。このように災害で受ける被害を最小限にするため
にも、未然に災害がいつおこるかを予測し、正しい判断をすることが出来れば自分の身を自分で守ることが
出来ると思う。三つ目は東日本大震災のことだ。普通の生活が出来るようになったころ、台風による被害が
東日本大震災に比べれば小さな物だったと思うようになった。この震災は地震の直後に津波が来るという
防ぎようのないものだった。津波がおさまっても大きな被害にあっていた。復興をするにはたくさんの年月
や人材が必要になっていた。東日本大震災の復興がなかなか進まない中で僕達も台風による被害にあっ
た。台風の被害から復活するために色々な人が助けに来てくれた時、被災した東北地方にどれだけの助
けが必要になっているのかは僕には想像もつかなかった。今の被災地はだいぶ復興してきてはいるが、ま
たもとの生活をするまでには長い時間がかかると思う。今まで復興の手助けをして来た人達は本気で被災
をした人のためを思っていたという事をとても感じた。東日本大震災に比べて被害の小さかった僕たちは本
当に幸せだと思う。最後に、今も日本の広島や熊本などが地震や土砂災害によって大きな被害を受けてい
る。しかも熊本には僕の親せきもいて、今だに九州地方では余震がおこって、まだいつ余震が来るかわか
らいから不安だということを、熊本にいる親せきも思っていると思う。僕もまたいつ台風による被害を受ける
かがわからないから、毎年台風が日本列島に近づく8月下旬から9月中旬までがとても不安になる。だが、
前に台風の被害を受けたからこそ自然災害についての関心が深まったのだと思う。いつおこるかわからな
い自然災害に関心を持つことが、この災害の多い日本で生きていくために必要なことだと思う。