﹁ シ ロ ウ 様 が 、 僕 を そ こ ま で ・ ・ ・ ・ 。 知 ら な く て ご め ん な さ い ﹂ ﹁ い い ん だ よ 。 き み が 私 の 自 由 に な る わ け が な い こ と は 充 分 判 っ て い る ﹂ 最近、昔を振り返ることが多くなってね、と露木は言った。目線が遠くを彷徨う。同僚たちがこちらの様子をさりげな く伺っている。 ﹁ 先 日 き み に 再 会 し た 晩 、 飼 い 猫 が 死 ん で し ま っ て ね ﹂ 佐竹は咄嗟の言葉が出てこなかった。 露木は何とも言えない表情を浮かべている。悲しさではなく、それはどこか安堵にも似た様相だった。 ﹁ 娘 が 八 つ の 時 に 買 い 与 え た ん だ 。 頭 の 良 い 猫 で ね 。 十 七 年 も 生 き る と は 思 わ な か っ た 。 晩 年 は ず っ と 私 が 面 倒 を 見 て いた。寝る時も一緒だったんだよ。家庭内別居からもう十数年・・・・。私は家に金を入れるだけの存在。誰とも口を利 かなくなった私をチロルだけは待っていてくれた。必ず。あの晩も﹂ 真っ白なタビーに艶やかなアンダーコート。オッドアイだ。白狐のような面立ちをしてこちらを見ている。露木の横を するりと通り抜けていった。佐竹にはそれが見えるのだった。 ﹁ す ま ん ・ ・ ・ ・ 。 ど う し て き み に こ ん な 話 を ﹂ ﹁ い い え 、 嬉 し い で す 。 今 も き っ と 傍 で 見 守 っ て く れ て い ま す よ ﹂ 月並みな慰めを口にした。できるだけ軽々しく聞こえるように。情けは無用。 膝 の 上 に ふ わ り と し た 温 か さ を 感 じ た 。ち ら り と 目 を や る と 白 猫 が 座 っ て い る 。佐 竹 は 指 先 で 喉 元 を 軽 く 掻 い て や っ た 。 猫は気持ちよさそうに目を閉じている。 さあ、もう行きなさい。 額を親指の腹で撫でてやると白猫の幻影は消えた。露木はふと辺りを見回す仕草をした。 ﹁ ど う な さ い ま し た ? ﹂ ﹁ い や ・ ・ ・ ・ チ ロ ル が 見 え た 気 が し た の だ が ・ ・ ・ ・ 。 そ ん な は ず は な い な ﹂ 698 ﹁ 事 故 と は ? ﹂ 向けている。佐竹は悟られないようにその人影に目を凝らした。恐ろしく痩せた背中。濡れそぼっているように見える。 佐竹は露木を冷静に見遣った。左側の窓に二十ミリ機関砲が見える。その横に黒い人影が動いた。露木は海の方へ顔を ﹁ あ る 事 故 が き っ か け で 、 私 は 船 を 降 り た の だ ﹂ ところが、肝心な話をあっさり切り出したのは意外にも露木のほうだった。 を遣う。さっさと仕留めてしまいたいのに。冷静な仮面の下に刑事の本能が滾る。 大型巡視船には何度も同船したことがあるが、まったく無知のふりをするのも楽ではなかった。ボロが出ないように気 ﹁ 巡 視 船 が こ ん な に 大 き い な ん て 思 い ま せ ん で し た ﹂ 遠隔放水銃、赤外線捜索監視装置、ヘリの飛行甲板などを見て回ったあと、露木は佐竹を操舵室へ案内した。 笑い出しそうになったが堪えた。露木が出てくる。佐竹は煙草を揉み消し、肩を並べて歩き出した。 ひとっ走りしてきてからでもいいぞ﹄ ﹃ 任 意 同 行 と し て 身 柄 を 確 保 し た あ と は 速 や か に 倉 沢 の 部 下 が 引 き 継 ぐ 。 お 前 は 県 警 へ 戻 っ て こ い 。 何 な ら ポ ル シ ェ で 慎重な津山ならではだ。佐竹は無言でいる。 ﹃ お 前 が 巡 視 船 内 部 へ 入 っ て か ら 十 五 分 で 辻 村 た ち を 入 れ る 。 目 的 は 身 柄 確 保 。 絶 対 に 挑 発 す る な ﹄ に備え応援を頼んでいるはずだ。佐竹の受令機には津山からの指示が聴こえてきた。 いつ買ったものかも覚えていないほどだ。若干湿り気がある。その佐竹の前を同僚と倉沢の部下が素通りしていく。確保 露木が会計を済ませる間、佐竹は外で煙草に火を点けた。箱は持ち歩いてはいるが滅多に吸わない。今持っているのも ﹁ そ う だ な 。 じ ゃ あ 、 行 こ う か ﹂ ﹁ 船 が 見 た い で す ﹂ やれやれ、と肩をすくめる。佐竹は同情するような笑みを浮かべ露木を見遣った。 699 ﹁ 海 洋 訓 練 に 出 て い た 時 だ っ た 。 船 底 が 座 礁 し 、 私 た ち 全 員 が 海 へ 投 げ 出 さ れ た 。 直 前 、 私 は 必 死 の 思 い で 救 助 ボ ー ト を投げた。訓練生たちは皆そこへ掴まり無事だった。一人を除いて﹂ 事故で片付けるのか。 ﹁ 事 故 は 十 六 年 前 に 起 き た 。 あ れ か ら 必 死 で そ の 一 人 を 探 し て き た が 、 未 だ 見 つ か っ て い な い ﹂ 視界の隅で人影が動いた。ゆっくりとこちらへ歩いて来る。全身ずぶ濡れで、首があらぬ方向へ曲がっていた。 あれは死者だ。露木が彼を忘れられるはずはない。常に背後にいるのだから。 露木の言っていることは嘘だ。助けられなかったのではない。見殺しにしたのだ。 ずぶ濡れの人影はまさに露木の肩へ手を触れようとしていたが、佐竹の目の前で瞬時に掻き消えた。複数の革の靴音が 近付いて来る。三人、いや、四、五人はいる。 操舵室の扉が勢いよく開いた。県警の辻村、特殊犯の橋爪、それに警視庁の数名だった。橋爪が進み出る。 ﹁ 露 木 次 長 。 た っ た 今 お 話 し に な っ た 件 で 伺 い た い こ と が あ り ま す 。 警 視 庁 ま で ご 同 行 願 い ま す ﹂ エンブレムを見せる。露木は何が起こったのか把握できない様子で佐竹へ目を向けた。 佐竹は昂然と顔を上げ、ジャケットの内ポケットからエンブレムを覗かせた。 ﹁ き み は ・ ・ ・ ・ 刑 事 だ っ た の か ﹂ ﹁ 神 奈 川 県 警 察 本 部 ・ 特 捜 部 の 佐 竹 で す 。 貴 方 を マ ー ク し て い ま し た ﹂ ﹁ そ う か ・ ・ ・ ・ ﹂ 罵るでも、睨みつけるでもなく、露木は薄っすらと微笑んだ。 ﹁ 何 故 だ ろ う 。 き み に な ら 何 で も 話 し た く な っ て し ま う 。 不 思 議 だ な ﹂ 佐竹は今や婀娜っぽい笑みを掻き消し、冷徹なまでに無表情だった。 被疑者は皆同じことを言う。脳みそを毒でやられたように何でも喋ってしまう、と。 自白剤。ブタ箱経験者たちは佐竹をそう呼び恐れた。最初の頃は賢吾がよく言っていたものだった。 700 を考えていた。 露木の奴、ちびったか、などと言い首を傾げた。佐竹は辻村の様子を無表情で見つめながら、先ほどの黒い人影のこと ﹁ 何 だ 、 水 浸 し じ ゃ な い か ﹂ ようとして脚を止めた。床を見て顔をしかめる。 露木は肩を落とし、橋爪たち警視庁組に付き添われ操舵室を出ていった。辻村がそれを目で見送り、佐竹へ近付いて来 吾さん﹂へと変わっていくのはそう遠くなかった。 て く れ た 、 参 事 官 が ﹁ よ く や っ た ﹂ と 言 っ て く れ た・・・・ 。 参 事 官 と い う 呼 び 名 か ら い つ し か ﹁ 朝 倉 さ ん ﹂、 そ し て ﹁ 賢 そ れ ま で 不 気 味 だ と 思 っ て い た 彼 岸 花 が 好 き に な っ た の は 、賢 吾 の そ の 一 言 の お か げ だ っ た 。参 事 官 が 僕 を 麗 し い と 言 っ そう。麗しき曼珠沙華 僕は、毒の花ですか? 惑わされるのさ。その隙にお前は花柱を伸ばし、相手の神経中枢に毒を注ぐ 701
© Copyright 2024 ExpyDoc