平成 28 年度新規「龍ケ崎市指定文化財」「龍ケ崎市民遺産」を紹介します! 平成 28 年度 新規 「龍ケ崎市指定文化財」「龍ケ崎市民遺産」を紹介します! ■問い合わせ:生涯学習課市民学習推進グループ☎内線 234 龍ケ崎市では、歴史的・文化的に価値がある市の“お宝”を保護し後世に継承していくため、条例に基づ き「市指定文化財」の指定や「市民遺産」の認定を行っています。 このたび、2件の市指定文化財・2件の市民遺産が新たに誕生しましたので、ご紹介します。 市指定文化財 山崎家文書【やまざきけもんじょ】 江戸期に豊田村(現・豊田町)で名主を務めていた山崎家に代々伝わる、 計 4,271 点の古文書群です。近世の情勢を伝える史料として研究が進められ、 市史にも数多く掲載・活用されるなど、高い歴史的価値を持つものです。 特に、安永9年(1780 年)~文化 14 年(1817 年)の 38 年間にわたっ て記された「名主日記」は、豊田村をはじめとした近隣の人々の生活の移り 変わりを知る上で大変興味深いものであり、小貝川の洪水の様子など、龍ケ 崎市ならではの歴史を窺い知ることができる点においても、貴重な存在と なっています。 ※通常は非公開です 4号機関車【よんごうきかんしゃ】 茨城県内最古の私鉄として明治 33 年(1900 年)に開業した龍崎鉄道(現・関東 鉄道竜ヶ崎線)で運行していた、C型タンク蒸気機関車です。 大正 14 年(1925 年)に川崎造船所兵庫工場で製造され、昭和 40 年(1965 年) 12 月に現役を退くまで、約 40 年間にわたり多くの旅客や貨物を運びました。走行 距離は 24 万 8,115km に及びます。 昭和 46 年(1971 年)10 月に廃車となり、観光開発のため沖縄県久米島に売却さ れ分解されて船で運ばれていくことになっていましたが、当時の龍ケ崎市がその歴史 的価値を惜しみ、交渉の末、久米島への発送前に買い戻されました。 その後、姫宮町の児童公園内に展示されていましたが、平成2年(1990 年)の歴史民俗資料館開設に伴い、同 館敷地内に移設されました。 市民遺産 屋代城址5号土塁【やしろじょうしごごうどるい】 15 ~ 16 世紀頃に信濃出身の豪族・屋代氏の一族が構えた城郭の一部で、 「土塁」とは、外敵から城を防御するために造られた土の城壁(土手)の一 種です。屋代城址は龍ケ崎市内でも屈指の大規模遺跡でしたが、ニュータウ ン開発に伴う埋蔵文化財の発掘調査終了後、残念ながらその大部分が消滅し てしまいました。 しかし、この5号土塁は、城が存在していた当時の状態を非常によく留め ていたため、茨城県や市の協議により、破壊せずに城ノ内中学校の敷地内に 保存したという経緯があります。 長さ 50m にも及ぶ大きな土塁は、中世龍ケ崎の雰囲気を今に伝えながら子どもたちの成長をどっしりと見守って います。 ※通常は非公開です 三條實美揮毫「長興学校」扁額及び飯塚古登頌徳碑 【さんじょうさねとみきごうながおきがっこうへんがくおよびいいつかことしょうとくひ】 北文間小学校の前身である長興小学校の校舎は、劣悪な環境で勉強している 子どもたちを不憫に思った故・飯塚古登氏らが奔走して資金を工面し、明治 15 年(1882 年) に現在の北文間小学校敷地内に建てられたという経緯があります。 「長興学校」の木製扁額は、 校舎の完成を祝って当時の太政大臣・三條實美から送られた書を基に作成されたものと考え られます。 飯塚古登氏は、夫の死後に家を支える傍ら、200 人を超える近隣の子どもたちを自宅に招 いて教育を施し、26 人もの孤児を引き取って育てるなど、私財を投げ打って地域のために尽 くした偉人として、今なお尊敬を集める人物です。頌徳碑は、古登氏の功績を後世に伝える べく、北文間地区の有志によって大正5年(1916 年)に小学校の校門前に設置されたものです。 ※「長興学校」扁額は通常は非公開です 平成 29 年2月前半号 - 8 -
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