null

毒性学はナノ産業を阻害するか?
―ナノ毒性学からの期待―
東洋大学生命科学部 教授/生命環境科学研究センター長
柏田祥策
人類の経済活動は,産業革命以降著しく発展してきた。その発展の礎には,化学物質の
生理活性の発見と,先人のたゆまぬ研究開発の歴史があった。無機化学から続いて発展し
てきた有機化学の研究成果によって飛躍的に伸びた食糧生産高や医薬品開発などによって,
世界人口は現在までに 73 億人を数えるまでになり,「人類の成功」は確かなものと思われ
ている。しかし,科学研究の日の当たる「成功の歴史」ばかりが人口に膾炙されるが,日
陰の歴史,すなわち公害や薬害などの負の歴史や遺産にこそ我々は刮目・沈考して,今後
も継続されるべき人類の持続的発展のために,次世代に禍根を残さないように行動すべき
であろう。
ナノマテリアルあるいはナノメカニズムは,国際的には多機能かつ省エネルギーな「夢
の物質・機構」として,また日本経済にとっては経済活性化へのカンフル剤として大きく
期待されている。新規研究開発された化学物質は,その上市前に国内・国際法的に必ず通
過しなければならない事がある。それは人体や生態系に対する安全性試験(毒性試験)で
ある。かつては,法体系の不備による甚大な公害や薬害などが発生した歴史を日本は持っ
ている。未だに法整備が発達していない途上国ではこれらが常態化しているところもある。
薬を多量摂取すると毒作用を示すことについて異論を挟む人はほとんどいない。毒性学
または薬理学に従事している者ならば誰しも知っていなければならない有名な言葉がある。
【全ての物質は有毒である。毒でないものは何もない】。これは,現在のスイスに生まれた
医化学者 Paracelsus(1493-1541)が残した言葉で,現在で言う「用量反応作用」を表現して
いる。一般に,我々が服用している市販薬の外箱にも「用量用法を守って正しくお使い下
さい」と書かれているように,薬物の過剰摂取は人体に悪影響を示す。「過猶不及(過ぎた
るは猶及ばざるが如し)
」である。我々もまたなんとなくそれに気がついている。その一方
で,生態系に対する化学物質のリスク評価の場合,その必要性は認められているものの,
産業界からは産業活動の阻害要因として目の敵にされている様相すらあるのが現状である。
毒性学,とくに私が専攻する生態毒性学の目的は,化学物質の生態系への影響を評価す
ることである。毒性学とは,「生きている生物または生存システムにおける化学物質の有害
作用効果を研究する」学問とされ,その研究成果は,化学物質の社会安全性評価およびリ
スク評価に用いられて人類の健全な持続的発展に貢献している。
本講演では,かつては期待されてはいたが消えて行った化学物質,使用後廃棄される化
学物質などについて,化学物質の影の科学史的な解説を行うとともに,筆者が行っている
銀ナノ粒子,カーボンナノチューブなどの毒性について,それぞれの物理化学的特性から
見られる毒性,生態リスクなどについて紹介する。そしてナノ毒性学の立場からナノマテ
リアル産業に期待することをお伝えしたいと考えています。