Presentación de PowerPoint

2017年第1期5課2月4日
2017年第1期5課
バプテスマと聖霊の満たし
2月4日
「盗人が来る
のは、盗んだり、
殺したり、滅ぼし
たりするために
ほかならない。
わたしがきたのは、
羊に命を得させ、
豊かに得させる
ためである。」
(ヨハネによる
福音書10:10)
2017年第1期5課
バプテスマと聖霊の満たし
2月4日
「盗人が来る
のは、盗んだり、
殺したり、滅ぼし
たりするために
ほかならない。
わたしがきたのは、
羊に命を得させ、
豊かに得させる
ためである。」
(ヨハネによる
福音書10:10)
2017年第1期5課
バプテスマと聖霊の満たし
2月4日
「盗人が来る
のは、盗んだり、
殺したり、滅ぼし
たりするために
ほかならない。
わたしがきたのは、
羊に命を得させ、
豊かに得させる
ためである。」
(ヨハネによる
福音書10:10)
私たちは聖霊のバプテスマについて、また信者たちがどの
ように聖霊に満たされたかを、新訳聖書から学ぶことが で
きます。どのような条件を満たせば、このバプテスマを受
け、聖霊に満たされるれるのでしょうか。 その 結果はなん
でしょうか。
「わたしは悔い改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、
わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによって
おまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。」 (マタイ 3:11)
ヨハネのバプテスマ(水)とイエス様のバプテスマ(聖霊と
火)は互いに補足しあっています。水のバプテスマ (改
心)は通常聖霊のバプテスマの前に来ます。しかし 聖霊の
バプテスマが最初に来る時もあります。
「わたしは悔い改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたし
のあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値う
ちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろ
う。」
(マタイ 3:11)
聖霊を受けることとバプテスマはセットになっていま
す。これらは私たちの新生をしらせるものです。
バプテスマによって、わたしたちはキリストと一体と
なり、イエス様から聖霊を与えられ、その力のうちに
生き、よき知らせを宣べ伝えることができるように
なります。
一方聖霊のバプテスマは信者たちを結びつける経験
です。「わたしたちは、、、一つの御霊によって、
一つのからだとなるようにバプテスマを受
け、、、」 (1 コリント 12:13)
水が人を変えるのではない。それは神様によって
私たちが贖われたことの外的現れに過ぎません。
聖霊は私たちの生活を変えてくださいます。聖霊
はあなたの生活をどのようにかえたでしょうか。.
「弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに待たされていた。」 (使徒行伝13:52)
聖霊のバプテスマは私たちの生活におけるたえざる経験でなければ
なりません。わたしたちは日々聖霊に満たされなければなりません。
わたしたちは自分の意思を神様に委ね、神様に導いていただかなければ
なりません。新約聖書は日常的に、または時おり聖霊に満たされた人々
の記述がたくさんあります。
エリサベツ
ザカリア
(ルカ 1:41)
(ルカ 1:67)
ペテロ
ステパノ(使徒行
(使徒行伝 4:8)
伝 6:5; 7:55)
バルナバ
パウロ
(使徒行伝 11:24)
(使徒行伝 13:9)
謙虚に自分の意思を神様に委ね、自分の生活を神様におまかせして
導いていただく時、聖霊は日々あなたを満たしてくださいます。
聖霊のバプテスマを受けるにはどのような条件を満たさなければならないでしょうか。
改心 (使徒行伝 2:37-38)
1
信仰 (ガラテヤ 3:14)
2
3
持続 (ルカ 11:8-10, 13)
服従 (使徒行伝 5:32)
4
5
清くないことをすべて捨て去る (ユダ 18-21)
1 罪を悔い、心と思いを全く変えていただきた
2
3
4
5
いとのぞむこと
神様の約束を信じ、神様に信頼すること
神様の祝福を受けることができ、神様に近
ずくことができるように、絶えず祈り求める
神様の御心に従い、信仰をあらわす
罪を全くすてる
あなたがたのうちに働きかけて、その願い
を起こさせ、かつ実現に至らせるのはかみ
であって、それは神のよしとされるところ
だからである。」 (ピリピ 2:13)
神様がわたしたちを
助けて、これらの条
件を満たさせてくだ
さる時、私たちの生
涯は聖霊の内住をう
けて、紛れもなく
改変します。
自己中心の人
聖霊に支配された人
罪深く、神様を不快にさ
せることを望む
霊的なこと、神様が喜ばれる
ことを望む
罪深い感情に支配されて
いる
聖霊に支配されている
自由を悪用し、罪の虜に
なる
罪の束縛から自由で、キリスト
にある自由に召されている
神様の御心に不服従
神様の御心に従う
自堕落
自己犠牲をする
罪の実を生じる
御霊の実を生じる
許しの必要を認めず、自分
を誇っている
許しの必要を認め、イエス様が
なさってくださったことを
褒め称える。
「あなたがたのうちに働きかけて、
その願いを起こせ、かつ実現に至らせ
るのは神であって、それは神のよしと
されるところだからである。」
(ピリピ 2:13)
私たちは自分の力で、罪を楽しむ生活から、
神聖を楽しむ生活に変えることはでき
ません。私たちが好むものや望むものは、
変えられなければなりません。
聖霊を受ける条件を満たす助けをしてくだ
さるのは神様です。神様はまた改変した
生活という結果をもたらしてくださるの
です。
神様は私たちの協力なしにはこの仕事を
することはできません。私たちは自分の
意思を神様に委ねなければなりません。
E.G.W. (Nuestra elevada vocación, 28 de mayo)
「聖霊は私たちの暗闇を照らし、無知を教え、さまざま
な必要を助けてくださいます。しかし思いは絶えず
神様を追い求めていなければなりません。もし世的な
ものが心に入ってくるのをゆるし、祈る思いがなく
なり、力と知恵の源である神様と交わることを望ま
なくなるなら、聖霊はわたしたちの心にはおられなく
なるでしょう。キリストの宗教は罪の許し以上のもの
です。それは罪が許され、そこに聖霊が満ちあふれる
ことを意味します。心は神様の光に照らされ、自己は
なくなり、キリストがそこに住まわれるのです。教会
員たちにこのことがなされるとき、教会は生きた、
活動的な教会になります。