071-22 無窮 (22)

﹁ほんとうにそっくりですね﹂
住職はボストンバッグを持ってくれた。見れば見るほど野崎と瓜二つだった。
﹁どうぞお気になさらず。長旅お疲れ様でした。さあ、どうぞ﹂
﹁遠山です。このたびは一連の事件に関しお騒がせして申し訳ありません﹂
遠山は深く頭を下げた。
﹁いいえ、世話になっているのはこちらです﹂
﹁私たちは一卵性の双子なんです。康弘が常日頃お世話になりまして﹂
野崎本人かと見紛うほど似ている。遠山がそう思いながら軽く会釈をすると、住職は朗らかな笑顔を見せた。
﹁いらっしゃい。お待ちしていました﹂
薄蒼い午後の光を受け、陽炎のように揺らめいた。
次に目を開けたのは砂利を踏む足音が近付いてきた時だった。黒い法会を纏った背の高い僧侶が歩いてくる。白い足袋が
かび上がる不自然な色合いに遠山はしばし目を奪われていたが、目の奥を引っ張られるような痛みを感じて瞼を閉じた。
音が木霊のように聴こえてくる。目を凝らすと無数の風車が回っているのが見えた。モノトーンの無機質な世界に突如浮
はまだ早い時刻だ。一泊分のボストンバッグを足元へ下ろし、遠山はドアを閉めた。耳を澄ますとカラカラという乾いた
が見えた。空は不気味に暗く、紫鼠の薄雲が幾重にも織り成している。人っ子一人いない。時刻は午後三時過ぎ、閉門に
ツの上から二の腕をさすった。駐車場へ車を停めて運転席を降り、背中と腰を充分に伸ばす。前方に厳かな佇まいの山門
直した。初夏の近付く下北半島はそこが霊場であることを差し引いてもやけに肌寒く感じられ、遠山はジャガーの中でシャ
腰痛、頭痛、極めつけは空腹だった。それでも公共交通機関を使い余計な時間を拘束されるよりははるかにマシだと思い
東京から七時間半かけて東北自動車道を北上したあとに残ったのは、信じられない倦怠感と眼精疲労、それに肩こりと
二〇一七年、六月中旬。
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﹁案外、本人かもしれませんよ。一人二役﹂
住職は蠱惑的な笑みを見せた。人を惹き付ける魅力があるのは野崎と同じだった。
﹁あなたは青龍に護られていますね﹂
さらりと言うが、遠山は内心驚いた。
﹁お帰りを待つ方は、今日はその青龍の傍で眠ると良いでしょう﹂
その言葉に、昨夜宮城と話したことを思い出した。
﹁明日、恐山へ行ってくる﹂
﹁どこだって？﹂
宮城はフライパンを宙へ浮かせたまま振り返った。遠山は食卓へ頬杖を突いたままその姿を眺めている。
﹁恐山。野崎の弟が呪詛を祓うらしい﹂
﹁呪詛？恐山って、下北半島か？﹂
宮城はフライパンを置き火を止めた。不安そうな表情を隠さない。
﹁呪詛って何だよ？村地のことを言っているのか？また何かあったのか？﹂
﹁いや﹂
﹁手を見せて﹂
携帯へ受信したメールのことは宮城には伝えていない。今後もそのことについては一切話さないつもりだった。遠山が
おとなしく右手を差し出すと、宮城はそれを両手で包み、注意深く観察した。
﹁異状は見受けられない。さっきの検査でも数値は正常だった﹂
﹁何もないよ。ただ、一度治ったと思った傷が癌化したのもあるし、ここらで一度正式に祓ってもらったほうがいいよ
うな気がしてな。野崎とそんな話になり、たまたま弟が恐山菩提寺の住職をやっていると聞いて行く気になったのさ﹂
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タイプＲ・コンヴァ ―
ティブル。加速性能四・二秒／一〇〇ｋｍｈ。最高時速三〇〇ｋｍ／ｈ。オプショ
ジャガー・Ｆ ‐
ンで宮城は八速ＡＴではなく六速ＭＴを選んでいる。なおかつ左ハンドルだった。車好きなら誰もが振り返る一級品だ。
﹁それなら俺の車を使ってくれ。昨日メンテナンスから戻って来たばかりだ。タイヤは四本とも新品に替えてある﹂
宮城は、仕方ない奴だというように微笑んだ。
﹁だから、お前は心配しなくていい﹂
同業者でも騙されるポーカーフェイスだった。
たことはやっておこうと思っただけだ﹂
﹁手のこともあるし、捜査本部が立っても俺は陣頭指揮にはならない。今は比較的動きやすい立場にあるから、気にかかっ
﹁どうして急に？﹂
﹁ないよ﹂
﹁何かあったんだろ？﹂
﹁ん？﹂
﹁なあ、テツ﹂
宮城がこちらを見つめている。遠山は構わず箸をつけた。
﹁いただきます﹂
よそう。今日の晩飯は遠山のリクエスト通り麻婆豆腐と青椒肉絲だった。宮城の作る中華は絶品なのだ。
宮城は呆れたというように肩をすくめたが何も言わず、しばらく無言のまま料理を皿へ盛り付けた。遠山は茶碗に飯を
﹁そうだよ﹂
﹁まさか、車で行くのか？﹂
﹁大丈夫だ。明日行って、明後日の夕方までに戻る﹂
﹁俺は今身動きが取れない﹂
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遠山は密かに胸が躍った。
﹁いいのか？﹂
﹁テツだからだよ。腕前は信用している。ただ、高速を行くならつまらないかもしれないな。何なら赤灯を乗せて突っ
走るとか﹂
軽くウィンクする。その顔に、遠山はいつもながら見惚れてしまうのだった。
﹁お前さあ、大学んときからそんな感じだったっけ？﹂
宮城といると、どうしても学生時代の口調に戻ってしまうのが不思議だった。
﹁何をいまさら﹂
青椒肉絲を少量白飯の上に乗せながら、宮城は片方の眉を器用に上げて笑った。
﹁俺は変わらないよ。それはテツがいちばんよく知っているだろう？﹂
妖艶な笑みを浮かべられるとどぎまぎする。
﹁やばい。飯どころではなくなる。まずは食わせてくれ。続きはそれからだ﹂
宮城は茶碗を持ったまま笑い出した 677

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