長唄唄方阪東亀寿旧蔵史料について

(社)東洋音楽学会 東日本支部第 94 回定例研究会 要旨
長唄唄方阪東亀寿旧蔵史料について
前島 美保(京都市立芸術大学)
阪東亀寿は明治後期の長唄の名人阪東小三郎(1846~1907)の脇を勤
めた唄方で、明治から大正期にかけて上方歌舞伎や上方舞の地方として活
躍した。今回紹介する史料は、亀寿自筆による唄(歌)本類、約六十点で、
枕本形態のものと薄物とに大別される。前者には『雑用哥集日カ恵 劇場
用』(雑用歌集控)、『所作日賀恵』(所作控)、『地哥端哥日カ恵』(地歌端
歌控)、『吾妻しらべ』、『糸のしらべ』、『舞地調』の六冊がある。これらは自ら
芝居や舞踊会に出演した際に書き留め、整理していったことが類推されるが、
注目されるのは『雑用哥集日カ恵』で、当時上方の黒御簾で使用されていた
唄を一覧することができる。その整理法も些か興味深い。また、『吾妻しらべ』
や『糸のしらべ』には「山村」、「梅本」(楳茂都)、「陸平様」の記載が散見され
るなど、上方芸界の交流を見て取ることもできる。一方の薄物の唄本は、主に
芝居の所作事の上演時に作成されたものと考えられ、上演年月が特定できる
ものでは明治二十年から大正九年まで、初代市川右團次や初代中村鴈治
郎一座所演のものが目立つ。中には「積恋雪関の扉」(明治三十七年十二
月京都南座)などの浄瑠璃本もあり、これなどはしばしば指摘されてきた「大阪
の囃子方といへば、一人で各種を兼ねる」(『歌舞伎図説』)を裏付ける一例
と言えよう。これまで番付等ではなかなかたどることが難しかった、近代上方の
囃子方の活動の実態を具体的に窺い知ることのできる本史料は、示唆に富
む内容を有していると考えられる。