「論文の要約」 許 智香 1.目次・章構成 序章 第 1 節 課題と争点 第 2 節 研究史検討 第 3 節 本稿の構成 第Ⅰ部 「辞」から「概念」へ―西周(1829〜1897 年)と Philosophy の翻訳 第 1 章 西周の思想遍歴 はじめに 第 1 節 先行研究の検討―「徂徠学」という問題 第 2 節 創立当時の養老館(1786 年) 第 3 節 西周と養老館 第 2 章 名詞の記録と法的力―西周の「性法」と「Philosophy」の翻訳 はじめに 第 1 節 オランダ留学とその背景 第 2 節 regt と「原権」 、 「性法」 第 3 節 Philosophy の翻訳をめぐる研究状況と「尚白劄記」 第 4 節 全体として与えられるテキスト 第 5 節 全体としての概念 第 6 節 コント部の翻訳と「哲学」 おわりに 第 3 章 翻訳の実際―「百学連環」 (1870 年)を例に はじめに 第 1 節 「百学連環」と「明治五年学制」 第 2 節 「真理」を知るもの 第 3 節 science と art から「学」と「術」へ 第 4 節 学問分類というものが隠しているもの 第 5 節 儒者、そして「行為遂行性」 (performativity)としての翻訳 おわりに 第Ⅱ部 概念の定着―制度としての「哲学」 第 1 章 「哲学」の定着をめぐる歴史的状況 はじめに 第 1 節 「理学」という言葉の問題 第 2 節 「「哲学」とはなにか」と問うこと 第 3 節 東京大学と「哲学」 第 4 節 東京大学哲学科と「哲学史」の思想 おわりに 第 2 章 井上哲次郎らの『哲学字彙』 (1881 年)に関する考察―哲学関連漢字翻訳語の問題 はじめに 1 第 1 節 井上哲次郎における「漢字」と翻訳―『国語改良異見』 (1900 年)を中心に 第 2 節 井上哲次郎『訂増英華字典』 (1883 年~)と『哲学字彙』 (1881 年)との関係 第 3 節 原語へ戻る道のない漢字語―『哲学字彙』の構図 第 4 節 記号としての訳語(1)―音韻情報の欠如 第 5 節 記号としての訳語(2)―概念の一対一の対応関係 第 6 節 「清国音符」というもの―音訳漢字の新たな系譜 おわりに 【付記】 『哲学字彙』の漢文注釈 補論 1 井上円了と朝鮮巡講、その歴史的位置について はじめに 第 1 節 「哲学館」の設立およびその拡張過程における全国巡講 第 2 節 「哲学堂」建立と全国巡講 第 3 節 井上円了の朝鮮巡講―長谷川総督との会話 第 4 節 「朝鮮巡講」における講演の内容 おわりに 補論 2 大正期哲学を植民地朝鮮の西洋哲学受容から考える―大正期における安倍能成の西洋 哲学研究、そして京城帝国大学における「哲学、哲学史第一講座」を中心に はじめに 第 1 節 東京帝国大学在学時期の安倍能成(1906〜1909 年) 第 2 節 ルドルフ・オイケン Rudolf Christoph Eucken(1846〜1926)の受容 第 3 節 安倍能成と岩波書店―大正アカデミズム哲学をめぐる社会的背景 第 4 節 安倍能成と京城帝国大学(1926〜1940 年) 第 5 節 安倍能成の「哲学、哲学史第一講座」 おわりに 終章 2.全体の要旨 本論文は、近代日本における「Philosophy」の翻訳に関する研究である。そのなかでもとくに、 二つの時期を主な研究の対象とする。まず、一つ目は、Philosophy を漢字語「哲学」にはじめて翻 訳したことで知られる西周(1829〜1897 年)の経験に注目する。ここではかれが西洋の概念を翻 訳する過程で書きあげた文章を取りあげ、以前には見られない新たな「学」という概念のなかで 「哲学」をどのように位置づけようとしたのか、そして、実際にかれが西洋の概念を翻訳する際に どのような文献を読んでいたのかに注目し、他の概念との関連性も視野に入れながら、 「哲学」の翻 訳過程について考察していく。二つ目は、西周の次の世代に当たる時期である。そこでは、 Philosophy の訳語として「哲学」がすでに定着し、東京大学の学科名として選ばれた時期である 1870 年代から、井上哲次郎の『哲学字彙』 (1881 年)という字典が出版される 1880 年代を中心に、 制度としての「哲学」の定着について論じる。 このように本論文は、とくに西洋の学術概念の漢字語への翻訳という課題に取り組むわけだが、 とりわけ、次の二点を中心に考察を行っていく。一つは、翻訳という実践行為の性格であり、もう 一つは、植民地との関連性である。翻訳という実践行為については、それが「西洋化」 「近代化」で 2 はすまされない、漢字概念の変容や西洋的学術知の優位性を構築することに至る様相を検討し、次 いで東京大学・帝国大学における学科編成、なかんずく「理学」から「哲学」への変化に「東洋哲 学」の立ち上げが伴っていた事情を明らかにする。そして、かかる学術語・翻訳語が植民地朝鮮、 とくに京城帝国大学で具体的にどのように導入され、その学術界にどのような波紋を投げかけるこ とになるのかを検討する。 3.各章の要約 第Ⅰ部「 「辞」から「概念」へ―西周(1829〜1897 年)と Philosophy の翻訳」では、西周に 注目し、かれの Philosophy の翻訳過程を明らかにする。ところが、 「翻訳過程」といっても、今ま での論じ方とは少し異なる点に注意を促したい。たとえば、西周の Philosophy の翻訳過程を概論 的に説いているものをみると、その叙述は、大体次のような順序でなされている。①西周に関する 簡略な紹介、②オランダ留学の際に示した「西洋の性理の学」への関心を指摘する、③「哲学」と 表現する前の他の翻訳語を挙げる、④「哲学」という用語を使った最初の文章『百一新論』と「哲 学」が登場する文脈について説明する、⑤その意義の指摘、となる。本論文では、このような分析 枠を止揚しようとするものである。まず第 1 章では、西周の思想遍歴に注目する。これまで主に朱 子学への批判、および徂徠学への志向より説明されてきた部分について、その問題を指摘したあと、 西が通っていた津和野藩の「養老館」における教学の形成過程を辿る。創立当時より、西周が身を 置いた時期までの長い期間を視野に入れながら、西の思想遍歴が単に朱子学への批判だけでは説明 できないことを指摘する。また、亀井茲監の藩政改革によって国学が養老館の理念として掲げられ た時期に西が養老館に入学していることや、その時期における具体的な教師などを取りあげ、西の 青年期を具体的に再現する。 第 2 章では、Philosophy の翻訳過程を問う既存の研究が、実際の「哲学」という概念が出現する 文脈に集中してきたのに対し、多少異なる方向から問題にアプローチする。すなわち、西周の「名 詞」への記録という経験そのものを考える。具体的には、Philosophy を、それまでは存在しなかっ た名詞として記録する経験自体を、かれが生前行った翻訳作業のなかから論ずる。そのためにまず、 西周の翻訳作業の原点といえるかれのオランダ経験に遡る。その際にかれが持ち帰った講義筆記の 翻訳物である『性法説約』を取りあげ、西洋概念を特定の名詞に記録することで、 「性」という既存 の概念に何が起こったのかを明らかにする。続いて、西の「尚白劄記」を取りあげ、かれが西洋の 概念を理解する際に「理」という概念が前提になっていたことを明らかにする。そして最後に、 「哲 学」という翻訳語と関連して、以上の「性」 「理」のバリエーションを「生性発蘊」より確認するこ とで、 「哲学」という翻訳語の文脈について新たな考察を試みる。 第 3 章では、西の「百学連環」を取りあげる。 「百学連環」は、かれが 1870 年に開いた私塾「育 英舎」で行った講義である。これまで「百学連環」については、それが多くの西洋概念の翻訳語を 含んでいることから、国語学の分野において「明治期の訳語」の研究対象とされてきた。また、 「学 術」という概念のもとで西洋の諸学問をまとめている点から、 「統一科学」への試み、あるいは「諸 学の体系的摂取」という評価がなされてきた。しかし本論文では、 「百学連環」を、近代的訳語の出 現や近代的学問の様相を確認することができる資料として考える以前に、かれが具体的に何をもと にして「百学連環」を構想したかを明らかにする。その上で、西周にとって「学術」とはどのよう なものだったかについて考察する。西周が翻訳した Philosophy とは、抽象的なものではなかった。 それは、具体的な制度、具体的な西洋学術のなかにあるシステムとしての学であった。 「百学連環」 3 でかれが構想した「学術」という概念について、その様相をさらに具体的に検討する。 第Ⅱ部「概念の定着―制度としての「哲学」 」では、西周の後の世代を軸にしながら、概念が 定着していく様子について考察する。ここでいう「制度」とは、単なる学科制度のみならず、他の 言語との関係、また当時「哲学」という名のもとに形成された言説の場や教科内容までも含むもの である。そのため第 1 章では、東京大学という近代的学術システムを中心に、以下の諸問題につい て検討する。①「理学」という言葉との関係、②『哲学会雑誌』における「哲学とはなにか」とい う問いの反復、③学制編制の具体的な内容、④「哲学史」という問題である。帝国大学の専攻科目 名に「哲学」が選ばれたことが、その訳語の定着に決定的であったという指摘は、これまでの研究 においても多くなされている。第 1 章では、他の言語との関係、 「哲学」に関する問いの構造、哲 学史に含まれた思想といった問題を、近代的学術制度と関連づけてより具体的に論じる。 制度としての「哲学」を問う際にもう一つ欠かせないのは、字典という要素である。1881 年、東 京大学の先輩後輩の関係であった井上哲次郎・和田垣謙三・有賀長雄が編纂した『哲学字彙』は、 「哲学」という学術名を公表した最初の学術字典であった。第 2 章では、明治日本における哲学関 連の漢字翻訳語という問題を、制度としての「哲学」の定着過程のなかで考察するために、まず井 上哲次郎の言語観を取りあげる。井上哲次郎は、西洋概念を漢字語に置き換えたり、そのように置 き換えられたものを集めたりする作業を恣意的に行ったわけではない。かれは、漢字というものに ついて深い自覚をもって考察を続けた人物である。その自覚とは、漢字を中国という「外部」のも のに位置づけると同時に、国字のなかでの役割を模索するものであった。こうした自覚のもとで井 上が、19 世紀後半に漢字翻訳語を肯定し、それを活用して字典を編纂したという事実は、それ以降 の漢字翻訳語の行路を考えると、大きな意味を持つといわざるを得ない。とくに、当時刊行された 他の字典と比べて、概念の説明がほとんどなく、アルファベットの見出し語と、漢文注釈から遠く 離れた新たな漢字語が、綺麗な一対一の対称関係を見せている『哲学字彙』は、 「西洋」という目標 地点の分明さ、そしてそれに向かう新たな日本という当時の状況を物語っているということを明ら かにする。 補論では、明治日本で具体的に生成された学知としての「哲学」が、植民地朝鮮とどのような関 連性をもつのかについて具体的に考える。補論 1 では、これまで日本思想史の分野に閉じ込められ てきた井上円了という人物を取りあげ、朝鮮巡講活動を、かれの「哲学」認識と関連づけて考察す る。井上円了は、東京大学哲学科の機関誌『哲学会雑誌』の初期の編集および刊行を担った人物で もある。そして、東京大学を卒業した後に私立「哲学館」を設立し、全国を回りながら修身教育活 動に奮闘する。外地としての朝鮮もその対象であった。とくに補論1では、日露戦争以後、かれが 朝鮮で行った講演に注目する。かれの修身教育活動から、 「哲学堂」の拡張事業を下敷きに帝国主義 と国家主義を支える近代的「哲学」概念が窺える契機を読みとっていくことにする。 最後に補論 2 では、安倍能成を取りあげる。安倍能成は、植民地朝鮮における最初の官立大学で ある京城帝国大学の哲学科教授であった。とくにかれは、本科入学がはじまった 1926 年より 1940 年までの長い間、哲学科の中心人物として「哲学及び哲学史」を教えている。補論 2 では、安倍の 講義において前提になっているものを、大正期におけるかれの哲学関連著作や活動から探る。そこ から「教養主義」と「個人の自由・内面」を主な内容とする大正期のアカデミー哲学の一面を明ら かにし、その植民地との関連性について考察する。とくに、かれが残した講義ノートが主な論証の 対象となる。 4 4.成果のまとめ(結果・考察) 本論文で、哲学自体も含めた哲学の諸概念の翻訳の様相、定着過程を、西周・井上哲次郎・井上 円了・安部能成らの自筆稿本や講義録などを丁寧に精査しつつ、本格的に再検討し、いくつもの新 たな論点を提示したことには、大きな意義がある。とりわけ、本論文の成果として、次の四点を取 りあげたい。 ①西周について、その哲学の翻訳の現場を具体的に示し、今日理解されている西洋哲学概念を前 提に、その翻訳の適否が論じられがちであった研究に重要な問題提起を行った。とりわけ、徂徠学 よりもむしろ朱子学的な概念を手がかりに、その漢字の意味作用を尊重しつつ、西洋哲学概念の理 解に至ろうとした西の格闘を、留学時のノートを通して検討した。 「性」 「理」という概念、あるい は朱子学の体系性に従って「自然法」 「権利」 「真理」などが翻訳的に理解される様相は、これまで 影響関係の指摘にとどまっていた既往の研究に対する重要な問題提起になると思われる。 ②井上哲次郎について、ことに『哲学字彙』を中心にその翻訳の性格を具体的に分析した。 『哲 学字彙』は、明治中期の翻訳の様相を示すものとして知られてきたものの、本格的に分析されるこ とは少なかった。本論文では、それが井上のナショナリズム的な日本語論・漢字認識と密接に関連 したものであることを明確にした。とりわけ、同時代の字典類が、漢字の文脈や意味と「外国語」 の関連に細心の注意を払っていることと対照的に、今や日本語内に構築された漢字によって哲学概 念が翻訳されるに至ったことを論証した意義は大きいと思われる。 ③井上円了について、哲学・仏教学・妖怪学以外に、植民地朝鮮の巡講と関連づけて論じたこと は、本論文の重要な成果である。官学アカデミズムとは一線を画しつつも、哲学館や哲学堂を設 立・建立した井上ほど、哲学と国家イデオロギーの結合を実践的に志向した学者はいないと言って も過言ではない。哲学もまた、植民地支配イデオロギーの一環を構成していたのである。井上円了 の研究において、植民地・帝国・学知という近年の研究動向を踏まえて新たな問題提起ができた。 ④何よりも、自筆稿本や原典などを新たに発掘し、史料批判を行った点がもっとも大きな成果で ある。たとえば、西の残した講義録などについては、むしろその修正の痕跡にこそ、翻訳時の格闘 の様相が存在していることを示した。漢文・英語・オランダ語・朝鮮語などで書かれている史料を 解読・紹介したことの意義も大きい。また、植民地朝鮮における京城帝国大学の哲学・哲学史専攻 の卒業生を調査・追跡し、その全貌をある程度明らかにすることができた。 ひとまず、学術概念の翻訳と伝播に関する事実関係だけを指摘することを越え、そこに含まれている 政治的側面を浮き彫りにしたことが重要な成果として挙げられる。この Philosophy の「哲学」への翻訳 という問題は、近世的帝国の解体、そして、西洋を軸とした知の植民地的状況への編入を表す一つの事例 である。 他にも、西周の修学過程について、これまで述べられてきた徂徠学との関連については再検討が必要 であること、西の『百学連環』について、従来の啓蒙主義的視点とは異なる儒学的・朱子学的前提があっ たことを指摘できたこと、井上哲次郎の『哲学字彙』の特質を明確にし、井上の国語イデオロギーに関わ るこれまでの研究に新たな視点を提示したことなどが、本論文の成果である。 5.主な引用文献・参考文献 Noah Webster(1864), An American dictionary of the English language; thoroughly revised and greatly enlarged and improved by Chauncey A. Goodrich and Noah Porter, G.&C.MERRIAM, 1871. 5 西周「生性発蘊」 、1873 年 柴田昌吉、子安峻『附音挿図英和字彙』日就社、1873 年 西周訳『性法説約』 、1879 年 井上哲次郎『西洋哲学講義巻之一』1883 年 井上哲次郎他『哲学字彙』叢書閣、1884 年 哲学会『哲学会雑誌』第 1 冊第 1 号、哲学書院、1887 年 2 月 佐村八郎編纂『井上博士講論集・第壹編』敬業社兌、1894 年 金田謙編『国語改良異見』自治館、1900 年 オイケン『大思想家の人生観』安倍能成訳、東亜堂、1912 年 森田米松・安部能成訳『人及芸術家としてのトルストイ』玄黄社、1914 年 安倍能成著『オイケン』実業之日本社、1915 年 安倍能成著『カントの実践哲学』岩波書店、1924 年 井上哲次郎『岩波講座哲学・明治哲学界の回顧』岩波書店、1932 年 東京帝国大学『東京帝国大学五十年史』1932 年 麻生義輝『西周哲学著作集』岩波書店、1933 年 阿部薫著、 『朝鮮人物選集』民衆時論社出版、1936 年 大久保利謙「西周の歴史観(百学連環に於ける歴史の問題) 」 『帝国学士院紀事』第 2 巻第 2 号、1943 年 申南澈『歴史哲学』 、1948 年 大久保利謙編『西周全集』宗高書房、1960 年 安倍能成『我が生ひ立ち』岩波書店、1966 年 永嶋大典『蘭和・英和辞書発達史』講談社、1970 年 西周「百一新論」 『日本の名著34』中央公論社、1971 年 『日本の名著34 西周・加藤弘之』中央公論社、1972 年 文部省『学制百年史』記述編、1972 年 沖本常吉編『津和野町史』津和野町史刊行会、1976 年 大久保利謙編『幕末和蘭留学関係史料集成』雄松堂書店、1982 年 井上円了選集編集等委員会『井上円了選集』東洋大学、1990 年 長志珠絵 『近代日本と国語ナショナリズム』吉川弘文館、1998 年 丸山眞男・加藤周一『翻訳と日本の近代』岩波新書、1998 年 酒井直樹『過去の声―一八世紀日本の言説における言語の地位』以文社、2002 年 子安宣邦『漢字論―不可避の他者』岩波書店、2003 年 M i c h a e l W i n t l e , A n E c o n o m i c a n d S o cial History of the Netherlands, 18001920: Demographic, Economic and Social Transition, Cambridge University Press, 2003. 桂島宣弘『幕末民衆思想の研究』文理閣、2005 年 齋藤希史『漢文脈の近代―清末=明治の文学圏』名古屋大学出版会、2005 年 齋藤希史『漢文脈と近代日本―もう一つのことばの世界』日本放送出版協会、2007 年 桂島宣弘『自他認識の思想史―日本ナショナリズムの生成と東アジア』有志舎、2008 年 『岩波講座哲学』岩波書店、2009 年 菅原光『西周の政治思想』ぺりかん社、2009 年 柳父章・水野的・長沼美香子編『日本の翻訳論』法政大学出版局、2010 年 6 황호덕・이상현『韓国語의 近代와 二重語字典』影印編 1 巻、2012 年 酒井哲哉・松田利彦編『帝国日本と植民地大学』ゆまに書房、2014 年 齋藤希史『漢字世界の地平』新潮選書、2014 年 7
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