南山手の「バブーシュカ」

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南山手の「バブーシュカ」
クリスティーナ・シェルビニナ(1879~1966)
(久保田満氏撮影)
旧グラバー住宅のダイニングルームには大きな木
ア人船長のシェルビニンと結婚して一男一女の母
製のディナーテーブルがある。
これは、
南山手に住ん
となった。クリスティーナは長い間ウラジオストクに
でいたクリスティーナ・シェルビニナ(Christina
住んでいたが、夫の死を機に長崎へもどり実家の
Scher binina)女史の死後、
グラバー園に寄贈され
南山手22番館に居を構えた。
たものである。
ロシア正教の信者だったクリスティーナは、長崎
クリスティーナの父は、明治 2 年(1869)頃に来
を訪れるロシア人たちを家で接待し、彼等から「南
崎したアフリカ系英国人、リチャード・フォード
山手のバブーシュカ」として慕われた。昭和 41年
(Richard Ford)で、母は日本人女性の沢チワ。
(1966)に亡くなったときは、多くのロシア人や日本
フォードは荷揚業や仲買業を営み、雨のドンドン
人が葬儀に参列したという。現在は坂本国際墓地
坂沿いの南山手 22 番地に洋風住宅を建てた。
で両親と並んで永眠している。
フォードは明治 36 年(1903)に他界し、坂本国際
旧グラバー住宅のディナーテーブルを見ると、ロ
墓地に埋葬された。妻チワは昭和10年(1935)に亡
シアの家庭料理を楽しむ在りし日のロシア人たちが
くなり、夫のとなりに葬られた。
目に浮かぶ。
一人娘のクリスティーナは幼児期からウラジオス
2013 年 8 月
トクの学校で学んだ。卒業後もその地に残り、ロシ
※バブーシュカ:女性が頭を覆うスカーフの事。
転じてロシアでは老夫人や祖母の事を親しみを込めてバブーシュカと呼ぶ。