高性能ポリマー材料を応用した人工臓器・医療デバイス

●人工臓器 ─ 最近の進歩
高性能ポリマー材料を応用した人工臓器・医療デバイス
東京大学大学院工学系研究科マテリアル工学専攻
石原 一彦
Kazuhiko ISHIHARA
1.
プラスチック,なかでも高性能なスーパーエンジニアリン
はじめに
グプラスチックは,これからの人工臓器・医療デバイス材
超高齢社会となり,運動器の障害を持つ人口の割合も増
加してきている。高齢者にとって,運動器の障害は日常生
活を大きく制限するばかりでなく,生活の質を高く維持す
料として極めて有望である。
2.
ることが困難になり,他の器官の障害の一因ともなりうる。
スーパーエンジニアリングプラスチックとは
プラスチックは,大別するとポリエチレンやポリ塩化ビ
したがって,運動器の障害を起こさない予防医療と,障害
ニルなどの汎用プラスチックと,これらに比較して高性能
が起きた際に一刻も早く解消するための臨床医療を,より
なエンジニアリングプラスチックに分けられる。医療用途
発展させることが不可欠である。そのためには,人工臓器
にも利用されている汎用プラスチックは,ポリマー構造の
の進化が強く求められる。特に運動器系人工臓器は,体重
主鎖が炭素原子間の単結合で形成されているために,耐熱
を支え,円滑な運動を長期間にわたり続けられる性能を持
性や耐摩耗性などの点で金属材料に比較して劣り,その代
たねばならない。特に,人工臓器と生体組織との界面,人
替をすることはできない。これに対して,エンジニアリン
工臓器を構成している材料間の界面は,人工臓器の性能・
グプラスチックと呼ばれる一連の材料は,一般環境におい
寿命を決定する部分であり,この界面における材料の重要
て金属材料を代替できる特徴を有しており,その性能とし
性は特に高い。
ては,100℃以上の耐熱性,50 MPa 以上の引っ張り強度を
すでに,運動器系人工臓器は,金属,セラミックスおよ
持ち,さらに耐衝撃性や耐クリープ性,耐薬品性などにも
びポリマー系のそれぞれの材料特性を活かしつつ組み合わ
優れている。さらに,150℃以上の高温にも耐えうるプラ
せることで臨床にも広く応用されてきている。しかしなが
スチックも製造されており,これをスーパーエンジニアリ
ら,長期間の臨床使用において界面における問題が生じる
ングプラスチックと呼んでいる。この中でも,ポリエーテ
ことは否めない。より性能を高め,より患者の負担を低減
ルエーテルケトン(PEEK)は長期耐熱性で 250℃と高い性
させるためには,材料学的見地からの研究が必要となる。
能を示し,低い吸水量,良好な耐疲労特性も合わせて,医
また,近年話題となっている 3 次元造形技術を取り込み,
療用途として期待されている材料である。また,PEEK を
将来的には患者の疾患部位のコンピュータ断層撮影(CT)
炭素繊維でさらに強化した複合材料も製造されている。
イメージデータより,形状を患者に合わせた人工臓器の製
造も可能となることを考えると,積層による造形が容易な
3.
スーパーエンジニアリングプラスチックを応用
した人工臓器
プラスチック材料の有用性はさらに高まると予想できる。
特に,金属やセラミックスを代替できるエンジニアリング
PEEK の人工臓器としての応用は,骨置換,骨固定,人工
関節,あるいは歯科インプラントなど硬組織を対象として
■ 著者連絡先
東京大学大学院工学系研究科マテリアル工学専攻
(〒 113-8656 東京都文京区本郷 7-3-1)
E-mail. [email protected]
おり,一部有効性が認められて臨床使用に進んでいる。
PEEK は熱的性質や力学的性質が優れている。この辺りの
情報は,Kur tz らによる優れた総説があるのでそちらを参
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考にしていただきたい 1) 。表面・界面における特性,特に
用するために,そのバルク特性に着目した。そこで,表面
生体親和性や潤滑性に関しては未解決の課題も残ってい
に硬組織との親和性を高める目的で,HA の被覆を検討し
る。いくつかの例について示したい。
ている 5) 。イットリア含有ジルコニア(YSZ)の中間コー
全椎間板置換術は,比較的新しい背骨の再建技術である。
ティング層を PEEK 基材と HA コーティング / 基板界面の
第 1 世代の人工椎間板は,主に人工股関節全置換術で使用
劣化を防止するために適用している。これは,HA 堆積後
された材料の組み合わせで作られていた。Kraft らは,頸椎
の熱処理中に,PEEK に対する熱の効果を遮蔽するためで
の 全 椎 間 板 置 換 術 で 使 用 す る た め,新 し い 材 料 と し て
ある。HA が堆積する前に PEEK 表面をプラズマ照射によ
PEEK に着目し,PEEK 間の荷重界面を評価した 2)
。ボー
り活性化することで,コーティング層の接着強度を有意に
ルとソケットの組み合わせの慴動面を有する PEEK 荷重界
増加させることができた。マイクロ波と熱水アニール処理
面は,標準的な製造方法を用いて調製された。摩耗試験は
は,従来のアニールに必要とされる高温にすることなく
ウシ胎児血清を媒体として 37℃で行い,屈伸,横曲げ,お
HA 結晶を形成することに有効であった。堆積した HA 層
よ び 軸 回 転 に 対 応 す る 3 つ の 運 動 を 検 討 し た。PEEK/
は非晶質であることが示された。電子顕微鏡および X 線回
PEEK 界面の摩耗率は,一般的に人工股関節材料として利
折による微細構造と組成の分析より,堆積した YSZ 層が成
用されている超高分子量ポリエチレン(UHMWPE)とコバ
長方向に沿って配向する柱状結晶粒を示した。HA 被覆層
ルトクロム合金で形成される界面よりもかなり大きかっ
は,基盤となる YSZ 結晶層と同様の柱状結晶微細構造を示
た。これは初期の曲面の間隙の大きさに依存した。PEEK
した。おそらく YSZ 結晶層が HA の粒子形成のための核生
表面は,間隔の大小にかかわらず有為な劣化を示し,微細
成部位を提供することによって,結晶化のための活性化エ
な凹凸が生じた。インプラント材料として PEEK は優れた
ネルギーを下げ,加熱時 HA 層の形成における効果が観察
特性を示すにもかかわらず,頸椎の全椎間板置換術のため
されたと考えられた。
の人工椎間板には,摩耗率の観点から PEEK をそのまま使
用するには十分に注意を払わねばならないと結論してい
る。
炭 素 繊 維 強 化 ポ リ エ ー テ ル エ ー テ ル ケ ト ン(CFR/
このように,PEEK 表面の摩耗の低減や骨組織との親和
性を高めるための HA 処理は,複雑な反応系を必要とする。
4.
光技術による PEEK 表面の改質
PEEK)は優れた機械的性質を示すとともに,金属材料では
茂呂らは人工股関節の大きな問題である慴動面での材料
問題となるイオンの溶出を起こさない点で,金属材料の代
摩耗を抑制し,摩耗粉が引き金となる生体反応を阻止する
替 と し て 硬 組 織 補 綴 物 へ の 利 用 が 検 討 さ れ て い る。
には,関節摺動面を形成する UHMWPE の表面に生体親和
Nakahara らは,CFR/PEEK 人工股関節の生体内固定方法
型ポリマーのグラフト層を形成させることが効果的である
を骨組織で評価した。すなわち,最大 52 週間までの移植と
ことを示した 6) 。特に,超親水性表面を形成しうる 2- メタ
骨セメント使用の有無を含めて CFR/PEEK 人工股関節用
クリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)ポリ
の X 線造影および組織学的な研究を行っている 3) 。この際,
マーのグラフト層形成により摩耗が著しく低減することを
CFR/PEEK カップやステムは動物の CT のデータに基づい
見いだし,これが水を媒体とする流体潤滑機構であること
て精密に製造された。大腿骨側では,骨セメントを使用し
を示した。さらに,この技術(Aquala ®)を搭載した長寿命
ないすべてのステムで,骨組織の伸展により,骨セメント
型人工股関節の臨床使用に成功している 7),8) 。この際,表
と骨組織の界面および骨セメントとステムの界面で隙間な
面に活性基のない UHMWPE に MPC をグラフト重合する
く安定した固定がなされていた。寛骨臼側において,骨セ
ために光技術を応用し,光ラジカル発生剤として芳香族ケ
メントを使用しないカップのうち 40%は骨組織による固
トンであるベンゾフェノンを表面に固着させている。ベン
定を示した。これらの結果は,骨セメント使用の有無にか
ゾフェノンは光を吸収し,ケトン基が分解してラジカルを
かわらず CFR/PEEK のステムが良好に機能することを示
生じ,これがモノマーである MPC の重合を開始させる。
している。荷重条件下であっても骨セメントを使用しない
Kyomoto らは,PEEK の化学構造に着目し,新しい光反
固 定 を ヒ ド ロ キ シ ア パ タ イ ト(HA)コ ー テ ィ ン グ し た
応系を発見した 9) 。PEEK は,図 1 に示すように分子中に
CFR/PEEK インプラントを用いて達成できたことが示さ
芳香族ケトン構造を有している。すなわち,この表面に光
れている。詳細に関しては,本誌 40 巻に掲載された中原ら
照射をすることでベンゾフェノンなどの低分子化合物を使
の総説を参考いただきたい 4)
。
用することなく,光ラジカルを発生させることが可能と考
Rabiei らも PEEK を脊椎修復インプラント材料として利
えた。そこで,PEEK 基板を MPC モノマー水溶液中に浸漬
202
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図1
ポリエーテルエーテルケトンの化学構造
し,光照射すると予想通りに表面に対応する MPC ポリマー
グラフト層が生成することが明らかとなった。MPC モノ
マー濃度,反応温度,あるいは光照射時間に依存するが,
約 100 〜 200 nm の厚さで MPC ポリマーグラフト層が形成
することが示されている。この表面の水濡れ性は約 10 度
となり,未処理の PEEK の 90 度から著しく減少し,超親水
図2
性となることが認められた。これに伴い,pin-on-flat によ
MPC ポリマー処理をした PEEK をライナーとして使用し
た人工股関節の耐久試験
り測定された動的摩擦係数も 0.17 から 0.01 以下となり,高
スチックとした全く新しい軽量の人工股関節も開発でき
潤滑表面が得られた。
さらに Kyomoto らは,光照射により PEEK 基材表面にラ
ジカルが発生していることを電子スピン共鳴スペクトル測
定により確認するとともに,グラフト重合に与える様々な
る。
おわりに
5.
パラメータを検討し,表面特性の改良に有効な条件を求め
新しい医療材料として,金属やセラミックスを代替でき
た 10) 。その結果,光照射は 45 〜 90 分間で十分であること
るスーパーエンジニアリングプラスチックにかかる期待は
が判り,またこの処理は CFR/PEEK 基材に対しても有効
大きい。2013 年 4 月に Kur tz を組織委員長として第 1 回国
であることが示されている。すなわち,基材にかかわらず,
際 PEEK 会議がフィラデルフィアで開催され,多くの研究
表面に MPC ポリマーのグラフト層が形成されることが,
が紹介された。今後は,バルク特性の向上とともに,表面
特性の変化につながっていると結論された。特に CFR/
処理法の開発が不可欠である。また,整形外科領域のみな
PEEK では未処理基材の動的摩擦係数が 0.35 と極めて高い
らず,軟組織や血液も対象とする応用が進められる。最後
にもかかわらず,MPC ポリマーのグラフト層形成により
に紹介した光グラフト重合を利用すると,簡便な方法で
0.01 程度まで劇的に低下することが見いだされている。人
オールプラスチック製の人工臓器を創製することもできる。
工股関節シミュレーターを用いて,通常の歩行と同じ荷重
事実,MPCポリマーで処理した PEEKを利用して循環器系
パターンのもと PEEK 基材の摩耗(骨頭側は Co-Cr-Mo 合
医療デバイスを開発するための基礎研究も進んでいる 11) 。
金:直径 26 mm を使用)について検討したところ,図 2 に
患者個人にフィットした人工臓器を 3次元造形技術により
示すような結果となった。MPC ポリマーで処理すること
創り出し,さらに軽量かつ多機能な人工臓器は,高齢者に対
により 300 万回までの試験では明らかに摩耗量が減少する
しても人工臓器導入後の負担の軽減につながる。これらの
ことがわかった。この結果は,超親水性の発現,低摩擦係
点からも PEEK は医療材料改革の一端を担う基盤材料とし
数の実現に対応する結果である。CFR/PEEK を利用した
て世界中で注目を集めている。
場合には基材自体の強度がさらに高くなるために,より高
い摩耗特性を示すことが明らかとなっている。これらのこ
とから,UHMWPE に比較して力学特性の高い PEEK を基
材とした人工股関節カップの実現が期待できる。PEEK を
本稿の著者には規定された COI はない。
文
利用するとライナー部分を薄くすることができるために,
大骨頭径の人工股関節も可能となる。これは人工股関節の
臨床上の問題となっている脱臼を低減できることを意味す
る。さらに,スーパーエンジニアリングプラスチックであ
る PEEK の特性を活かすことで,カップ,ステムともプラ
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