【優秀賞】旭川人権擁護委員連合会長賞 支え 鈴木 愛侑莉 人権とは何か

【優秀賞】旭川人権擁護委員連合会長賞
支え
鈴木 愛侑莉
人権とは何か、あまり深くは考えたことがない人が多いだろう。私もその一人だ。これ
を機に基本的人権について考えてみようと思う。
私たちが人間らしく生きていくための基本的な自由と権利がある。それを基本的人権と
いい、誰もが生まれながらに持っているものである。しかし、そんな中に様々な問題やト
ラブル、差別が生じているのが現状だ。今回はそれらの中から二つのことを取り上げてみ
たいと思う。
まず一つは児童虐待についてだ。幼い子どもが好きで、将来はそんな子どもたちと関わ
りを持てる保育士になりたい、という夢を持っている私には、耳を疑う話だ。日々、ニュ
ースなどでそんな話を聞く度、なぜそのようなことをするのか、ひどい話だ、と思うこと
ばかりだ。もちろん虐待は悪いことであって、無くすべきこと。それは誰もがわかってい
るはずのことで、常識だ。それでも無くならないのはなぜなのか。なぜ増え続けているの
か。
自分たちが遊びたいがために、育児放棄に至るという親がいる。周囲からは、育てられ
ないなら産むな、などと批判の声が相次いでいる。
その一方で、虐待をする親の多くは、精神的に何かしらの問題を抱えている。子育てと
いうのは本当に大変なもので、毎日ストレスが溜まっていく。そうして知らぬ間に追い込
まれてしまうのだ。そういう時に大切なのは、周りからの支援なのだ。核家族世帯が増え
ていることも、大きな原因の一つだろう。そして、子どもを預かる施設や保育所が足りて
いないことで、親に余裕が無くなっているのではないだろうか。親同士の交流会などを増
やしたり、心のケアを重視するなど、様々な面での工夫が必要だと考える。子どもにとっ
て、親と暮らすことが一番良いことだと思う。だからこそ、一度親子の間で何か問題が起
きたとしても、いつかまた一緒に暮らせる環境を周りで築くことが大切なのではないか。
人々と助け、支え合い、子どもたちがのびのびと、安心して暮らせるようになったらなと
思う。少子高齢化が進んでいる日本では、虐待を無くすということは大きな課題だ。虐待
により落としてしまう小さな命を守りたい。私はここまで育ててくれた親に、改めて感謝
したいと思う。
そしてもうひとつはいじめについてだ。いじめは、大人の世界でも無くならないものだ
が、学生の私たちにとって、とても身近な問題である。年々、いじめによる自殺が後を絶
たない。なぜいじめは起こるのか、いじめをして何が面白いのか、人が傷つく姿を見て何
が楽しいのか、私には全く理解のできないことだ。大人数でよってたかって嫌がらせをす
る。どれだけ辛く、恐ろしいことか。昨日までずっと一緒に居た、仲の良かった友達まで
もが、自分を裏切り、離れていくのだ。自分もいじめられるのが怖かった、という話をよ
く耳にするが、だからと言っていじめに加わるのは間違ってる。そんな事をするのは、友
達でも何でもない。確かにその気持ちもわかるが、自分がされて嫌な事を目の前で受けて
いる子がいるのだ、助けたいと思わないのだろうか。なぜ自分までもがいじめに走るのだ
ろうか。もし、その子が自殺してしまったとしたら、どうするのだろうか。責任など、取
れるはずがない。どれだけ後悔しても、何も変わらない、何も戻ってはこない、一生十字
架を背負って生きていかなければならない。
いじめを受ける辛さは、受けた人にしかわからない。理由もわからず、次は何をされる
のかと、毎日怯えて過ごさないといけない。
私も、そのような経験がいくつもある。物を隠されたり、靴の中にゴミを入れられたり
と、明らかな嫌がらせを受けた。しかし、みんなから無視されるということはなく、笑顔
で普通に接してくるのだ。わけがわからなくとてつもない恐怖に襲われた。学校にも行き
たくなくなり、休んだこともあった。誰がやったことなのかがわかり、謝られるものの、
許せるはずがない。嫌がらせも終わらず、忘れた頃にまた何かが起きる。何もかも信じら
れなくなり、信頼性など消え、不信感へと変わる。だが、こうして今も私が笑っていられ
るのは、ずっと側で支えてくれた親のおかげだ。
何か問題があるのなら、しっかりと言葉で伝えるべきであって、決して悪質な行動に至
ってはいけない。みんなが平等でなくてはならない。みんな同じなのだ。それを差別する
のは恥ずかしいことだと思う。みんなそれぞれが個性を持っているのだから、それを認め
るべき、認めなくてはいけないのだ。人は一人では生きられない。個人を主張し、周りと
支え合い、平等かつ、平和な社会を作り上げ、誰もが笑顔で暮らせたらいいなと思う。