奈 文 研 ニ ュ ー スNo.63 奈丈研ギャラリ ー(55) お 堂 が あ り 、 そ こ に 伝 わ っ た も の を、 奈 良 文化 財 研 究 所 で調 査 し てい ま す。 上 の お 経 は、 奥 書 に よ る と 、 南 北 朝 時 代 、 南 朝 の 建 徳2 年(1371) 、 豊 前 国( 福 岡県) の 如法寺 で書 かれてい ます。六 十六 部とあ り ま す か ら 、 日 本 全 国66 ヶ 国 を す べ て 巡 礼 し て、 各 国 に1 部 ず つ 、 法 華 経 を 納 め て 回 っ たの で し ょ う 。 ’ g 141 y1 1佐 7碵5 1 7 ぼ 為kj遊 剔廴だ 哽4 の 近 く に 納 経 堂( 重 要 文 化 財) とい う 小 さ な l f ぎぐ 憚y l こ 叭lt″气 1似 討 七 遐 拡 江 頂 鳥取県 の三徳 山三佛寺 の ものです。投 入堂 難 こ れ ら のお 経 は、 国宝 ・投 入 堂 で 有 名 な 、 坦 妙 法蓮 華 経 、 い わ ゆ る 法華 経 で す 。 廴 鯒4 1 7駈 隻 苳 ・、 くら い小 さ な 字で す。 書い てあ る 内容 は、 J 1f ty M IR ぺ ・ 代l﹁”. ? & ‘、 l ︲ . 心 匹に れい ゛ t 阯 & 夊 7 畩 畆、 ψ4 軛 です。文 字が書 いてあ り ますが、読 めない げ 写 真 を 見 て く だ さ い 。 こ れが 実 物 大 な の J-言 豺 * s ■ * t v ∼ cV、 1 U,n尽 齠 叺 読 ま れない お 経 ①妙 法蓮華 経巻第三 巻末 1 下 の お 経 は 朱 で 書 い てあ り ま す が 、 朱 は 血 を 表 現 し て い ま す。 自 分 の 血 を 朱 に 混 ぜ て 書 く こ と も あ り ま し た。 こ の お 経 に は、 縦 に細 か い シ ワ が 無 数 に 天 っ て お り 、 巻 く と き に力 を 込 め て細 く 巻 い た こ と が わ か り ます 。 また 、 普 通 、 巻 物 は 左 奥 か ら 右 端 に 向 かっ て 巻 い て い く は ず で す が 、 こ の お 経 は 逆 に 、書い た 順 に 、右 端 か ら左 奥 に向 か っ て 巻 い て い ます 。 普 通 、 お 経 は、 端 正 な楷 書 体 で 書 き ます 。 j い っ ぽ う こ れ ら は、 あ と で 読 む こ と は 考 え にL ず、書い て納 めるこ とに意味 があ った ので ’ し ょう 。こ うい うお 経 は、 普 通 は後 世 に 残 ら な い の で す が 、 納 経 堂 とい う、 平 安 時 代 の 小 さ なお 堂 とと もに 残 っ た 貴重 な事 例 で す 。 叭 . 10月21 囗の 鳥 取 県 中 部 地 震 で は、 投 入 堂 を はじ め、 建 物 自 体 は壊 れ ませ んでし た。 山 ︱ 4 − 中 で も丈 夫 に 造っ た 、 昔の 建 築 の すご さが わ か り ます 。 た だし 、 文 殊 堂( 重 要 文 化 財) の 柱 が 立っ て い る 岩盤 が 割 れ てし まい 、 柱 が 浮 い た 被害 が 出 たそ う で す。 迅 速 な 復興 を願 っ ②妙 法蓮華経巻第二 巻首 てい ます。 ( 文 化 遺 産部 吉 川 聡)
© Copyright 2024 ExpyDoc