静止状態にある宇宙ステーションは、共同開発すれ ば開発に参加した各国が共有できる。 しかし、宇宙ステーションへ、人や物資を運ぶため のロケットなどの輸送系機器は、人間の生命に関わ るため、各国が独自に保有することが決められてい た。 さらに国産100%の技術で開発した場合のみ、ほか の国の衛星を打ち上げることができる決まりになっ ていた。それまで、わが国では通信衛星を打ち上げ るロケットは、外国の技術を導入して開発していた ため、世界の衛星打ち上げビジネスには進出できな かった。 世界をみるとミサイルも兼ねて輸送系機器を造るこ とができる国が多い。日本ではこれらの国とは異な り、戦争や防衛などの需要に頼らずに開発しなけれ ばならなかった。世界に通用するビジネスとならな ければ日本の航空宇宙産業の未来はない。そのた め、純粋な国産の技術による輸送系機器の開発が 急がれた。 H-Ⅰロケットは、液体酸素、液体水素を燃料として いるため、無害である。燃料が液体酸素、液体水素 に代わったのは、このH-Ⅰロケットからであるが、こ の開発で問題となったのは温度であった。 燃料は液体のままで打ち上げなければ燃料とし て役に立たない。少しでも温度が上昇すれば、液体 燃料は蒸発して気化してしまう。 燃料を液体の状態で保つため、冷蔵庫のような機 能を維持する断熱材を苦労の末に開発し、この 問題を克服した。 また、H-Ⅰロケットは非常に高性能で、軌道修正が できた。さらにエンジンを止めて再び着火する、再着 火が可能であった。この再着火ができないと、何段 ものロケットが必要となるが、H-Ⅰロケットでは2段 目が再着火できるため、ロケットは2段でよかった。 さらにその次世代となるH-Ⅱはこれを1段にした。 H-Ⅱの1段エンジンは、スペースシャトルと同様の エンジンであり、性能は非常に高い。 特に、液体水素を使うロケットは、部品単位で高度 な技術が要求され、三菱重工業の長崎研究所で 最終試験を行うまで、失敗の連続であった。 1994年、国産技術の基盤となる「H-Ⅱロケット」1号 機の打ち上げに成功した。続けて6回連続で打ち上 げに成功したが、8号機は失敗に終わった。今まで 正しいと思い実施してきたことすべてが疑われ、一 から見直しを行った。 設計から組立まで、すべての過程を念入りに調べた 結果、見直しでは一切妥協せず、部品の材質を変 えたり、部品の形を変えた。外見は同じに見える が、見直しには600日程度かかっている。 失敗の大きな原因はエンジンにあった。打ち上げに 失敗したエンジンを回収したところ、エンジンの性能 をぎりぎりまで追求したため、いろいろな無理を生じ ていたことがわかった。 性能の限界にあわせた設計ではなく、エンジン以外 の稼働部分のレベルをあげるよう方向転換を図っ た。 この経験を次の開発へつなげていった結果、2001 年、H-ⅡAロケットの打ち上げに成功した。 H-ⅡAでは、大きな衛星を運ぶために、横側にこれ までより少し大きなタンクをつけたものを開発してい る。 現在でも4~5トンくらいの衛星を積むことができる が、この技術により、7.5トンくらいまで打ち上げが可 能となる。さらに積載量を向上するための方法を検 討中である。 H-ⅡAの次なる課題は、再使用できる「宇宙往還技 術試験機」の開発である。ロケットは使い捨てとなっ ても、有人飛行を実現するという大きな目標につな がっている。 有人飛行のためには、H-ⅡAでは加速度が高すぎ るという問題がある。加速度が高いと有人飛行には 向かない。さらに加速が一定でないという問題もあ る。たとえばジェットコースターは2G程度の加速度で も、その加速は一定である。ロケットは砂利道を走 行するように振動が大きい。人間は、一定の加速に は比較的強いが、その力が不安定になると弱い。 外国の有人ロケットでは、すでに振動が起きない設 計を行っている。スロットルでエンジンの力を絞り、 一定の推力でロケットが進む仕組みだ。ロケットは 燃料を積んでいる、積んでいる燃料を使用すれば、 その分、機体が軽くなる、軽くなれば、加速度は自 然に上がってしまう、当然の理論だ。しかし、エンジ ンの推力を限界の100ではなく、70まで絞ることがで きれば、燃料の量に影響されることなく、加速度を 一定に保つことができる。三菱重工業も、この技術 を保有しているが、まだ実用化されていない。 さらに、有人飛行を実現するためには、安全性を確 保するために、エンジンに万一のことが起きても飛 行できるよう、メインシステムの故障時に稼動する 冗長系システムの開発も欠かせない。有人飛行を 実現するためには、越えなければいけないハードル は、まだ残されている。 国際市場でロケットを売るためには、コストダウンが 求められた。 H-Ⅰの開発により克服した技術をもとに、新たにHⅡの開発では、それまで2段であったロケットを1段 にすることで、コストダウンに成功した。 H-Ⅱの開発は、1985年頃から約10年かかっている が、その間に、為替レートは大きく変化した。それは 予想をはるかに越えていた。開発当初は1ドル 250 ~300円程度であり、 1ドル250円を想定して勝負で きるロケットを造ろうとした。しかし、1990年以降の 急激な円高により、1ドル100円台となり、完成したと きには、すでに価格的に販売できるロケットではな くなっていた。開発コストは日本円で150億円で あったが、1ドル200円なら世界で闘えるロケットも、 1ドル150円となると、とても競争はできなかった。 次なるH-ⅡAの開発にあたっては、H-Ⅱのコストを さらに半分にすることを目指した。たとえ1ドル100円 でも世界で競争できるロケットを造った。H-ⅡAの開 発コストは75~80億円といわれるが、1ドル100円で 換算しても、自信をもって他国のロケットに勝てる価 格である。 たとえば、コスト削減のために、人手がかかる作 業はできるかぎり減らした。 部品点数を減らすために、釘が2ケ所いるところをボ ルトで締めるなど代替方法を工夫した。 コスト削減のためには大量生産も有効な手段であ る。打ち上げ数が減少しているとはいえ、アメリカや ヨーロッパでは年間10機程度は打ち上げている。日 本でも同様のペースで打ち上げできれば、コストダ ウンが可能になる。 現在、日本では年間6~8機を生産できる能力があ り、将来的には現在より多く打ち上げる予定であ る。
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