天正本太平記の性格

長坂:天 正本太平記の性格
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天
正
本
太
平
記
の
﹁太 平 記 ﹂ の 、特 に諸 本 研 究 が ﹃平 家﹂ の場 合 程 深 化 を 見 せ てお ら
ず 研 究 状 況も 比 較 的 不活 発 で あ る こと は 、 ﹃平 家 ﹄ の例 えば 延 慶 本 .長
性
格
管長
坂
成
行
④
いる が 、 肝 心 の天 正 本 が 未 刊 のた め 写 真 に 拠 ら ね ば な ら な い (﹃参 考
太 平 記 ﹂ でお お よ そ の目 処 は つく が 正 確 は 期 し 難 い) と い う物 理的 悪
⑤
条 件 の故 か 、 そ の検 証 には 未 だ し の所 があ る 。 旧稿 で私 は天 正本 の記
録 的 側 面 に注 目 し、 そ の依 拠 資 料 を 探 る こと か ら 成 立 圏を 佐 々木 導 誉
父 子 ・二条 良 基 の線 に求 め た の であ る が 、少 し く 性 急 な結 論 に走 り過
⑥
ぎ たよ う であ る。 小 稿 で は天 正本 の い ま 一つの側 面 、 即 ち 鈴木 氏 の謂
門 本 ・源 平盛 衰 記 等 増 補 系 諸 本 の活 気 に満 ち た 研 究 動 向 を 引 き 合 い に
①
出 す ま で も な い。 そ の最 大 の 理由 と し ては 、 ﹃太 平 記 ﹂ の場 合 本 文 の
う 。 確 か に天 正 本 の類 を 除 い て は、 四 十 巻 全 体 に亘 って注 目す べき 本
そ の性 格 を検 討 す る 。 そ の際 あ く ま で 天 正本 独 自 の表 現 世 界 の解 明 と
を 借 り る な らば 通 俗 的 な拝 情 性 ・物 語性 の増 加 と いう 点 に主 眼 を 置 き
ゆ れ が 小 さ く 、 問 題 にす べき 箇 所 が多 く な いと いう こと が挙 げ られ よ
文 傾 向 を 有 す る 伝 本 は 少 な い。 と は言 え小 さ い乍 らも 存 す る本 文 異 同
な く 、む し ろ本 文 の共 通 部 分 に 目 を向 け る こと に よ って ﹃太 平 記 ﹂ を
②
捉 え ると い う方 法 論 上 の新 し い視 点 も 提言 さ れ て いる 。 そ う し た 動 向
評 語 は 一つの話 を ま と め る 働 き を 持 ち 、著 述 者 が そ の話 を提 示 し た意
説 話 文 学 にお い て そ の話 末 評 語 が問 題 にさ れ る のと 同様 、軍 記 の文 末
つ の章 段 の末 尾 に来 る結 び の文 に、 特 定 の傾 向 が 見 え る こと で あ る。
一、 文 末 表 現 の特 徴
い う こと を 目 標 に し 、 成 立 論 への短 絡 は な る べく避 け た い。
が ﹁太 平 記 ﹂ の性 格 、或 い は成 立 ・変 容 を 探 る た め の手 懸 り を与 え て
く れ る こと も ま た事 実 であ る。 例 えば 京 大 本 系 統 の 伝本 に み る特 異 な
人 名 表 記 ・巻 分 割 のあ り方 、前 田家 本 ・米 沢 本 等 の 独自 異 文 の問 題 な
は確 実 に存 在 し 、 か つ重 要 で あ る と 認 識 し は す る も の の、 私 と し ては
図 ・態 度 を 述 べるも のと し て重 要 であ る。 勿 論 、 話 材 と 文末 評 語 と の
ど は 検 討 に値 す る。 近 時 ま た 、諸 本 間 の差 異ば か り に 注 目 す る ので は
先 ず 諸 本 の実 態 ・性 格 を 微 視 的 に 検 討 す る と いう いさ さ か オ ー ソ ド ッ
間 に不 整 合 と 認 め得 るも の が存 す る場 合 も あ ろう が 、 そ の場 合 には そ
天 正 本 を 通 読 し て行 った 際 、 ま ず 気 付 く こと は 、 一つの話 或 い は 一
ク スな方 法 で作 業 を積 み 重 ね てお き た く 思 う 。
う し た不 整 合 が生 じ た 理由 、 即 ち 著 述者 と我 々享 受 者 と の間 の視 点 の
﹃太 平 記﹂ 諸 本 の中 で 最 も 特 異 な 伝 本 であ る 天 正 本 の類 に つい て は
③
鈴 木 登 美 恵 氏 の 先 駆 的 業 績 が あ り 、 そ の性 格 に 一応 の見 通 し は つい て
受 理)
*国 文 学研 究室(1978年9月30日
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ず れ が 問 わ れ る べき で 、 いず れ に せ よ 文 末 評 語 は そ の長 短 にか かわ ら
ず 無 視 し難 い 。
◎
レ 。 理 リ ヤ 、 カ ヲ モ 入 ズ シ テ 天 地 ヲ動 シ 、 目 二見 ヘ ヌ 鬼 神 ヲ モ 哀
紀 貫 之 ガ 古今 ノ序 二書 タ リ シ詞 ノ未 更 二思 知 レ ツ \聞 人 モ袖 ヲゾ
⑧
ヌラ サ レケ ル。 (﹃新 校 本 ﹂ 29 頁相 当 )
ト 思 ハ セ 、 男 女 ノ 中 ヲ モ 和 ゲ 、 武 キ 物 ノ 夫 ノ 心 ヲ 慰 ル ハ認 也 、 卜
働
寵 姫 に つい て 、 西 園寺 実 兼 の女藤 原 禧 子 には 寵 愛 な く 、 帝 は専 ら 阿 野
例 えば 巻 一 ﹁立 后 の事 付三 位 殿 御 局 の事﹂ の章 段 で、 後 醍 醐 天 皇 の
廉 子 を 愛 し た と す る 。 た め に廉 子 は権 を 振 い准 后 にま で 至 り 評 定 雑 訴
二条 為 明 の拷 問 の具 体 的 様 相 は ﹁六 波 羅 ノ小 壼 一
こ 以 下中 略 し た箇 所
傍 線 部 分 は そ れ ぞ れ に天 正本 の文 末 表 現 の特徴 を端 的 に示 し て い る。
え よ う 。 換 言 す れ ば それ だ け 他 本 よ りも 著 述 者 の意 識 が 前 面 に 押 し 出
いう の では な く 、 著 述 者 自 ら が 何 ら か の評 価 ・解 釈 を 下 し て いる と言
の所 、 一つの事 象 を 記 し て そ のま ま 放 り出 し解 釈 は享 受 者 に任 せ る と
事 象 に対 す る著 述 者 の態 度 を 表 出 す る 。 この天 正本 のあ り 方 は 、 結 局
は聴 衆 が 登 場 し 、 そ の 人 の感 想 ・行 動 を 記 す こと によ ってあ る現 象 ・
古 態 本 であ る神 田本 ・玄 玖本 には 欠 け る 。個 ・◎ で は見 物 の 人、 或 い
正本 は囚 で ﹁其 有 様 見 モ誠 二恐 シ ヤ ナ﹂ と 説 明 を付 加 し て い る。 囚 は
に 丁寧 な叙 述 が あ り そ の 恐 し さ は説 明 を 要 さ な い。 にも か かわ ら ず 天
にも 介 入 し た と いう 。 そ の後 に 次 の詞章 が 来 て こ の章 段 を 結 ぶ。
い か が せ ん 、 傾 城 傾 国 の乱 れ 、今 に あ り ぬと 覚 え て、 あ さ ま し か
⑦
(﹃新 校 本﹂ 11 頁 )
り し事 ども な り 。
これ は前 述 の事 象 に対 す る著 述 者 の論 評 の表 出 で あ る 。著 述者 は廉 子
の如 き 存 在 、 ひ い て は廉 子 の身 勝 手 な 行動 を 黙 認 す る 後 醍 醐 の態 度 が
い う事 実 を 叙 す る のみ で も著 述 者 の意 図 、 即 ち廉 子 への批 判 的姿 勢 は
国 の乱 れを 誘 発す る と み て ﹁あ さ ま し﹂ と言 う 。 二 姫 の対 照的 状 況 と
読 み取 り得 る にも か か わ ら ず 、著 述 者 は自 己 の態 度 を わざ わざ 文 字 と
それ では こう し た 文 末 表 現 に如 何 な る意 識 が顕 れ て いる のか 。個 ・
さ れ て いる 。
倒 等 が そ の典 型 であ る 。 圖 では 二条 為 明 に対 す る 拷 問 の凄 絶 さを 予 想
﹁も 理な り と 覚 え た り﹂ と あ る。 天 正本 も ◎ で ﹁理 リ
し 見 物 人 が そ れ を 見 る に堪 え ず 面を お おう と いう 。 働 の部 分 、神 田本
・玄 玖 本 に は
ヤ﹂ と し な が ら も 、 右 に 掲 げ た説 話 全 体 を 歌 の徳 に よ って拷 問 を ま ぬ
か れ た感 動 的 な話 と し てま と め あげ て いる 。 ﹁聞 人﹂ の ﹁袖 ヲゾ ヌラ﹂
し た も の は感 動 の涙 で あ ろ う。 そ の他 天 正 本 は 全体 を 通 じ てく 悲 し V
・︿哀 れ﹀ ・︿ 涙 ﹀ な ど悲 哀 ・感 傷 的 情 調 を 強 調す る文 末 表 現 が 極 め
(中 略) 此 嵜 (注 、 思 キ ヤ 我 シキ 嶋 ノ道 ナ ラデ 浮 世 ノ事 ヲ問 ル ベ
栄 シ テ中 納 言 国 光 トゾ 申 ケ ル。 哀 ニヤ サ シ カ リ シ事 共 ト テ、 聞 人
サ テ阿 新 殿 ハ、 無 レ慈 成 人 シ テ南 朝 ノ君 二仕 テ、 日野 ノ 一跡 ヲ光
て多 い。 例 えば 巻 二 ﹁資 朝謙 獄 井阿 新 翔 事﹂ の末 尾 は次 のよ う に結 ぶ。
シ ト ハ) ノ感 二依 テ 、拷 問 ノ責 ヲ止 ケ ル六 波 羅 ノ心 ノ中 コ ソ優 ケ
壺 二炭 ノ (中 略 )。 是 四重 五逆 ノ罪 人 ノ焦 熱 大 焦 熱 ノ炎 二 身 ヲ焦
個
ル、牛 頭 馬 頭 ノ呵 責 二逢 覧 二角 ゾ ト 覚 テ、 見 物 ヲ面 ヲゾ 掩 ケ ル。
問 シテ 沙 汰 二及 バ ン ト ス。 其 有 様 見 モ誠 二恐 シ ヤ ナ。 六 波 羅 ノ小
注 進 ス ベ シト テ、 六 波 ラ ノ検 断 糟 谷 ノ刑 部 左 衛 門 尉 ヲ承 テ既 二拷
為 明 卿 ノ事 二於 テ ハ、 先 六 波 羅 ニテ尋 問 シ ニ、白 状 ア ラ バ関 東 へ
議 参 加 の嫌 疑 で六 波 羅 に逮 捕 さ れ た 二条 為 明 に つい て次 の よ う に記 す 。
巻 二か ら 例 を 引 く 。 ﹁東 使 上 洛 円 観 文 観 等 召 捕 事 ﹂ にお い て 倒 幕 密
本 では 顕 著 な 一定 の志 向 を 見 せ てく る。
は 批 判 的 言 辞 に限 る) は最 小 限 にと ど ま る よ う で あ る が 、 そ れ が天 正
し て前 面 に押 し出 す 。古 態 と され る本 文 で は こう し た文 末 評 語 (
多く
要
第7号
紀
大 学
良
奈
長坂:天 正本太平記の性格
13
ウ ルホ
せ る。 師 直 方 の追討 を受 け た 塩冶 は 出雲 に の がれ んと す る も 、途 中 妻
高 師 直 が 、 そ の妻 を奪 い取 る た め 、 理 不尽 にも 塩 冶 に謀 叛 の汚 名 を 着
は殺 され 塩冶 も 自 害 し て終 わ る と いう惨 劇 は周 知 であ る。 一連 の高 師
(﹃新 校 本 ﹂ 43頁 相 当 )
父 資 朝 の仇 を 討 った 少 年 阿 新 の智 力 と 行 動 を 聴 衆 と 共 に ﹁哀 ニヤ サ シ
モ袖 ヲゾ 濡 リケ ル。
カ リ シ事﹂ と 称 え て いる 。 同 じ く 巻 二 ﹁俊 基 朝 臣 諜 裁 事 ﹂ か ら 同 様 の
。日数 二命 ノ近 ク ヲ想 像 コソ痛 ハシケ レ。
表 現 を 列 挙 し てお く 。
八 幡 六 郎 が判 官 の次 男 を 修 行 者 に 托 す る こと )
ニア テ諸 共 二鍔 本 マデ貫 キ テ抱 付 テゾ 死 ニケ ル。
(
口謝頁)
ト テ 空 キ 人 二取 付 タ ル ヲ 、 山 城 守 心 ツ ヨ ク 掻 懐 テ 、太 刀 ノ柄 ヲ垣
ノ 血 ヲ 淋 テ ツ ト 突 通 セ バ 、 ア ト 云 音 へ出 二聞 テ 、 薄 絹 ノ 下 二臥 給
1 似
フ 。 五 二成 ル少 キ 人 、 太 刀 ノ 影 二驚 テ 、 ワ ット 泣 テ ﹁母 御 ナ フ﹂
取 直 シ 、 雪 ヨ リ モ 清 ク 花 ヨ リ モ妙 ナ ル 女 房 ノ 胸 ノ 下 ヲ 切 崎 二、 紅
(
口 鰯 ・謝頁 )
◎
塩 冶 ガ 一族 二山 城 守 宗 村 ト申 ケ ル者 、 内 へ走 リ 入 テ持 タ ル太 刀 ヲ
十字中略i
ド モ 、 落 ル泪 二目 モ闇 レ テ 、 只 個 然 ト シ テ 居 タ リ ケ ル 。 (
約百五
ニ セ ン ト ア キ レ迷 ヘ ル有 様 ヲ 見 ル ニ、 其 シ モ 武 ク 勇 メ ル者 共 ナ レ
ヤ カ ニ シ ホ レ佗 タ ル女 房 ノ通 夜 ノ涙 ニ シ ヅ ミ テ 、 サ ラ ズ 共 我 ト 消
個
ヌ ト 見 ユ ル ケ シ キ ナ ルガ 、 膝 ノ傍 二 二 人 ノ 子 ヲ 掻 寄 テ 、 是 ヤ 如 何
囚ー
ト ヲ 差 殺 シ テ 腹 ヲ 切 ラ ン ト テ 、 家 ノ内 二走 入 テ 是 ヲ 見 ル ニ、 ア テ
角 テ追 手 ハ次 第 二勢 重 ル。 矢 種 モ既 二尽 ケ レ バ、 先 女性 ト少 キ子
播 磨 国蔭 山 で師 直 方 の桃 井 直 常 の軍 に追 到 され た塩 冶 判 官 の妻 の 一
⑩
行 は窮 地 に立 つ。 少 しく 長 文 だ が玄 玖 本 を 引 い てお く 。
の表 現 態 度 の み に係 る。
直 兄弟 横 暴 説 話 の 一つと し て捉 え る べき であ ろう し 、 或 いは 塩冶 判 官
⑨
を 宮 方 に 引 き 込む 動 き が あ った と か の議 論 は す べ て措 き 、 以 下天 正本
。行 合 人 二間 レ之 、 泪 ヲ袖 ノシ ルベ ニテ程 無 鎌 倉 ニゾ 着 ケ ル。
シ ホラ
・互 二袖 ヲ顔 二押 当 テ 物 モ 不 レ言 ケ ル 主 従 ノ 心 ノ中 推 量 セ ラ レ テ 哀
也一
。
(﹃新 校 本 ﹂ 44 ・4
5頁 相 当 )
・主 従 ノ泥 ト 云乍 哀 レ ニ覚 ケ レ バ、 見 物 毎 二推 ナ ベ テ袖 ヲ濡 ヌ ハ無
リケリ。
こ の章 段 は 日野 俊 基 の 刑 死 と いう 話 材 ゆ え 、 生 者 と 死 者 の別 離 の悲
し み が 表 現 さ れ る のは 当 然 だ が 、 天 正本 は他 本 を 上 回 って︿ 涙 ﹀ ・
︿ 哀 V を 強 調 し てお り 注 目 す べき で あ る 。 こ のよ う に天 正 本 の著 述 者
の意 識 は 、 個 人 に対 す る 同情 ・感 傷 、 或 いは 感 動 な ど専 ら 私 的 な 心 情
の レベ ルに終 始 し 、 例 えば 時 勢 批 判 ・政 道 批 判 と い った 公 的 な 或 いは
高 次 な 問題 に は至 ら な い。 この こと は 天 正本 が ﹁見 物 ﹂・﹁聞 人﹂ な ど
の所 謂 享 受 者 、 恐 ら く は そ れ ほ ど 高 尚 で は な い大 衆 的 聴衆 と の交 渉 を
基 盤 に形 成 さ れ た で あ ろ う こと を予 想 さ せ る 。
二、 悲 劇 的 場 面 に お け る増 補
前 節 で天 正 本 の文 末 表 現 に は感 傷 的 情 調を 志 向 す る 傾向 が あ る と 述
べた が 、 これ と 通 じ る現 象 を 挙 げ て お き た い。 小 題 に ﹁増 補 ﹂ と し た
が 、 これ は ﹁記 事 量 の増 加 ﹂ と 換 言 し た方 が 正確 で あ る。 即 ち 記事 の
子 供 を 殺 さ ん と 家 の中 に入 った も の のそ の哀 れ な姿 に為 す 術 を 知 ら な
事 態 は いよ いよ 急 追 し 塩 冶 の 郎 党 は 最期 を 覚 悟 す る。 郎 党 は女 房 ・
﹃太 平 記 ﹂ にお け る典 型 的 な悲 劇 的 場 面 の 一つに巻 二十 一 ﹁塩 冶 判
い。 そ こ で八 幡 の六 郎 は 塩 冶 の三 歳 にな る 次 男 を と あ る辻 堂 の修 行 者
多 少 の みを 問 題 にし てお り 、 記 事 の新 旧 は 問 わ な い。
官 識 死 の事﹂ が あ る。 思 わ ぬき っかけ か ら塩 冶 高 貞 の妻 に横 恋 慕 し た
14
第7号
要
学 紀
大
良
奈
ドデ ,
ぞ ノ ガ レ ヌ物 故 二、 敵 二見 苦 シ キ 有 様 ミ ヘテ 後 、 ウ キ 名 ヲ 流
④ -⋮⋮
サ ン モ心 ウ シ。 早 グ 、我 ヲ失 テ心 安 ク 自 害 セ ヨ、 ナ ド ヤ 是 ホ ド マ
に托 す 。 そ の後 塩冶 の 一族 の山 城 守 宗 村 が 心 強 く し て塩 冶 の女 房 と 長
男 を 刺 殺 し 、自 ら も 刃 に貫 か れ る 。 惨 劇 の最 も ク ライ マ ック スと も 言
と 女 房 を 刺 殺 す 。 以 上 が 玄 玖 本 の◎ に相 当 す る。 玄 玖 本 の叙 述 では 山
是 ホ ド ノ御 定 ヲ奉 ルベ シト ハ存 ゼ ズ 、不 覚 ノ行 跡 ヲ バ御 免 候 へ。
刀 を 取 り 直 し て、
と 迫 る。 女 房 の強 い態 度 に動 か さ れ 、 山 城 守 は涙 を 押 え て立 上 がり 太
ヲ タ ベ。
と 山 城 守 の決 意 を 促 す が彼 は 動 か な い。 ついに女 房 は
ド デ毛
◎
行 ベキ 苔 ノ下 、何 ノ時 カ バ劣 ベキ 、 其儀 ナ ラ バカ ナ シ、 刀
。
デ ニ云 甲 斐 無 ク ハ行 跡 ゾ 、 ト ク く
究 極 的 な筋 の流 れ と し ては 玄 玖 本 と 同 じ で あ る が 、 天 正 本 は 右 掲 場
う べき場 面を 玄 玖本 は 殆 ん ど 筋書 き 的 に 簡 潔 に 叙 す る 。
面 、約 千 九 百 余 字 を費 や し て詳 述 す る 。 最 も 目 立 つこと は 殺 す 側 (山
城 守 宗 村 ) と 殺 さ れ る側 (女 房) と の葛藤 が両 者 の対 話 に よ って構 成
さ れ て おり 、抜 き さ し な ら な い状 況 に 追 い込 ま れ た 人 問 の心 情 の交 錯
を 巧 み に描 く こと であ る。 更 に 玄 玖本 で は中 略部 分 に在 る 次 男 を修 行
⑪
者 に托 す こと が 、天 正 本 で はす べて の惨 劇 が終 った 後 に 位 置 す る 。 以
下 、 天 正 本 を たど る。
で あ る 女 房 を 殺 す こと を 余 儀無 く さ れ 、 そ の こと に逡 巡 す る 山 城守 と 、
城 守 宗 村 及 び 女 房 の感 情 ・意 志 は 全 く 不 明 と いう 他 な い。 天 正 本 は 主
終 日終 夜 の 心労 に御 姿 いと ゴ面 疲 て 、暮 行 秋 の女 郎花 の霜 野 に枯
彼 の優 柔 さ を ④ ・◎ の如 き 強 い言 葉 で責 め る武 人 の妻 ら し い女 房 と の
囚 の部 分 、 打 ち し お れ た女 房 の姿 を 天 正本 は次 の よ う に 形容 す る 。
て残 れ る に、 あ だ を き し た る白 露 の風 を 待 問 の 心地 し て 、 己 と消
天 正本 は山 城 守 ・女 房 の そ れみ\ の側 の 心 にゆ れ に ま で 入 り こ ん で叙
や り 取 り を対 話 で 以 て描 く 。 玄 玖本 が事 実 経 過 のみ を 記 す のに対 し 、
歌 語 を 援 用 し た 流 麗 な 文 体 で美 文 化 を は か って お り 、 こ れ は 天 正本 全
述 す る。
も 失 ぬ べき
体 を 通 じ て みえ る傾 向 であ る。 女 房 がわ が子 を 抱 き 寄 せ荘 然 と す る様
ら れ る の だ が 、 こ こ でも 天 正本 の叙 述 は 詳 細 で あ る。 母 女 房 の死 骸 に
弓 矢 ノ家 二生 サ セ 玉 テ ハ、 櫨 裸 ノ中 ヨリ 弓 ノ本 末 ヲ知 ト コソ申 伝
惨 劇 は 更 に続 く 。 玄 玖本 の㈲ に見 る如 く 塩 冶 の子 は山 城 守 の手 で斬
を 玄 玖 本 は ﹁アキ レ迷 ヘ ル有 様 ﹂ (
ー
B) と 傍 観 的 に 記 す が 、 天 正 本 は
(
女 房 の発 言 を 引 き 、 潔 い死 への覚 悟 と 子 に対 す る 不 欄 さ を 述 べさ せ
取 り す がり 悶 え泣 く 七 歳 の若 君 に向 か って山 城 守 は
女 房 と 子 供 に 刃 を 向 け る こと が 出 来 な か った 若 党 共 に 対 し 山 城 守 宗
る 。 即 ち 女 房 の心 情 に ま で 入 り こん で の叙 述 であ る 。
と 武 士 の子 と し て の決 意 を 促 す。 幼 少 な がら 自 ら の不覚 を恥 じ若 君 は
タ レ、 早 々御 腹 召 テ母 御 ノ御 伴 申 サ セ玉 へ。
メ御 台 ヲ指 殺 奉 ラ ント 走 懸﹂ る が 、 や は り岩 木 の身 な ら ね ば 女 房 を 討
村 は ﹁云 甲 斐 ナ キ 人 々 ノ有 様 哉﹂ と 恥 し め 、 自 ら ﹁大 ノ太 刀 ヲ打 ソ バ
小 鞘 巻 を 抜 き 我 腹 に 指 し 当 てる。 山 城 守 は
痛 ハシ ノ御 事 ヤ 、 若 君 成 人 シ玉 ハゴ 一家 ノ主 ト 仰 レテ 、 一国 ノ諸
つこと が 出 来 ず 、 太 刀を 拗 って歎 く。
ア バ レ弓 矢 ト ル身 程 心憂 物 ハ ヨ モア ラ ジ 、名 ヲ惜 ミ 、家 ヲ 思 ズ ハ
大 名 仰 冊 キ 奉 リ 、 我 等 ガ末 ノ子 孫 マデ、 共 二栄 花 ヲ待 ベ キ ニ、思
外 二玉 鉾 ノ道 辺 ノ草 葉 ノ露 諸 共 二消 給 テ、 埋 レ ン名 ヲ後 ノ世 二流
ρ
是 程 イ タ ハシキ 事 ヲ バ見 聞 ジ 物 ヲ
これ に対 し女 房 は
、
長坂:天 正本太平記 の性格
15
サ ン事 コ ソ悲 ケ レ 。 何 二母 上 ノ御 心 苦 思 召 ヲ キ ツ ラ ン 。 ト ク く
ま じ 、 これ に御 隠 れ 候 へ﹂ と 申 し て 、 主上 と忠 顕 朝 臣 と を ば 、 舟
追 ひ奉 る 舟 に てぞ あ り け る 。 船 頭 これ を 見 て、 ﹁かく ては 叶 ひ候
城 守 の心 の動 き を 丹 念 に叙 述 す る。
玄 玖 本 と は違 い 、天 正本 は若 君 を 殺 さ ね ば な ら な い辛 い 立場 に あ る山
と 言 い つ つ若 君 と共 に 己 が 刃 に指 貫 か れ る。 い とも 簡 単 に若 君 を 殺 す
り け る 。 さ る 程 に 追 手 (約 二十 字中 略) こ こ か し こ捜 し け れ ど も
◎
見 出 し 奉 ら ず 。 ﹁さ ては こ の舟 には召 さ れざ り け る。 若 し 怪 し き
た る俵 を 取 積 ん で、 水 手 、 梶 取 そ の上 に 立隻 び て 、櫓 を ぞ 押 し た
底 に や ど し 進 ら せ て 、 そ の上 にあ ひ も のと て 、乾 し た る魚 の入 り
個
追 著 進 テ 、御 供 セ ン。
悲 劇 の主 人公 の 心情 に密 着 し て叙 述 す る天 正本 の表 現 方 法 は 、 恐 ら
舟 や 通 り つる﹂ と 問 ひけ れ ば 、 船 頭 、 ﹁
今 夜 の卯 剋 ば かり こそ 、
千 波 の湊 を 出 で候 ひ つる船 に、 京 上蕩 か と覚 え候 ひ て 、冠 と や ら
く 机 上 の製 作 の み で は成 ら な か った で あ ろ う。 単 な る事 実 経 過 よ りも 、
感 傷 性 に富 ん だ哀 話 の方 に よ り興 味 を 示 し た で あ ろ う享 受 者 の好 尚 を 、
⑫
何 ら か の形 で反 映 し て い る よ う に 思 う 。 天 正本 に は ﹁ア ハレ﹂・﹁早
ん 着 た る 人 と 、 立 鳥 帽 子 着 た る 人と 二 人乗 ら せ給 ひ て候 ひぬ ら
◎
ん﹂ と 申 し け れ ば 、 ﹁さ て は 疑 ひも なき こと な り 。 は や 舟 を 押 せ﹂
﹂ ・﹁痛 ハシ ノ御 事 ヤ ﹂ (点 線 部 ) 等 、 説 経 を は じ め 語
々 ﹂・﹁ト ク く
と て (下 略 )
追 手 に 追 い つか れ 後 醍 醐 は 危 機 に陥 るが 、船 頭 の巧 み な機 転 によ って
(﹃新 校 本 ﹂ m ・m頁 )
り 物 文 芸 に頻 出 す る詞 句 が 多 用 さ れ 、 文 章 の美 文 化 (傍 線 ◎ )・会 話
文 の多 用 と も 併 せ て 、何 ら か の 口語 り と し て享 受 さ れ た で あ ろ う こと
に 比 す れ ば単 純 な 構 成 で あ る 。
切 り ぬ け る 場 面 で あ る 。 神 田本 も 会 話 を使 って は いるも の の、 天 正 本
を 思 わ せ る。 杉 本 圭 三郎 氏 は ﹁明 徳 記 ﹂ の語 りも の的 詠 嘆 性 に 、 よ り
⑬
下 層 の享 受 者 に迎 えら れ る古 浄 瑠 璃 的 語 りも の への萌 芽 を 見 た が 、天
ま ず 傍 線囚 に相 当 す る 部 分 、 天 正 本 で は
忠 顕 是 ヲミ テ ﹁如 何 セ ン﹂ ト仰 天 セ ラ レケ ルヲ 、船 頭 ﹁サ ノ ミナ
正 本 の悲 劇 的 葛 藤 場 面 にも 同 様 の こ と が言 え る かも し れ な い。 と も あ
れ 、 天 正 本 では 別 離 ・刑 死 ・死 別 な ど の悲 劇 的 状 況 に お け る 記事 量 の
御 騒 ギ 候 ソ。 カ ク テ候 ハン程 ハ何 程 ノ事 力 候 ベ キ﹂ ト愚 シゲ ニ申
テ、
増 加 、 感 傷 的 側 面 の強 調 が 目 に つく こと を 指 摘 し て お く。
塩 冶 判 官 の女 房 と 山 城 守 宗 村 と の葛 藤 場 面 は会 話 形 式 に よ って構 成
分 は大 き な 違 いは な いが ﹁俵 を 取 積 ん で﹂ の次 に 、
シゲ﹂ な 船 頭 と が 対 照 的 で、 いさ さ か 誇 張 さ え も 感 じ ら れ る。 個 の部
章 し 騒 ぐ 千種 忠 顕 と 、 そ れ に対 し 全 く 落 ち着 い て余 裕 た っぷ り の ﹁愚
と あ り 、 忠 顕 と 船 頭 と の対 話 か ら 成 り 立 つ。 し かも 追 手 の船 を 見 て周
さ れ て いた が 、 単 に地 の文 で筋 書 の みを 記 す の で な く 、会 話 の挿 入 に
三、 会 話 によ る 場 面 進 行
よ って場 面 を 進 行 さ せ てゆ く のも 天 正 本 の方 法 の 一つと 言 え よ う 。
﹁恐 ナ ガ ラ御 宥 免 候 へ﹂ ト テ
が 入 る 。 天 皇 を 船 底 にか く し 、 そ の上 に船 頭 が 乗 る ので あ る か ら右 の
巻 七 ﹁前 朝 伯 州 船 上 還 幸 事 ﹂ を 例 にす る。 隠 岐 の御 所 を 脱 出 し た後
醍 醐 天 皇 は 舟 人 の好 意 によ って海 上 への がれ 出 た が 、 しば ら く し て追
の では な く 、 天 正 本 は 場 面 ・状 況 の細 部 を も 丁寧 に 描 写 す る。 追 手 は
程 度 の会 釈 は 当 然 し た であ ろう 。 神 田本 のよ う に 筋書 き のみ を述 べる
筑紫 舟 か 、 商 人 舟 か と 見 れ ば 、 さ も あ ら で隠 岐 判 官 清 高 が主 上 を
手 の舟 が 迫 る 。
16
第7号
船 中 を 探 索 し た が後 醍 醐 を 発見 で き ず 、船 頭 に ◎ の よ う に 尋 問 す る 。
② 道 行 ・名 所 尽 く し的 表 現
陰 モ無 マ \ 二、野 路 部 ノ野 風 吹 シホ ル磯 辺 ノ森 ヲ打 過 テ 、 ナ レ ヌ
・過 ツ ル空 ヲ帰 ミ テ 、末 ハト問 ヘバ梓 弓 、 山 ハ鏡 ト覚 レド モ立 寄 ル
旅 ネ ノ床 ノ山 、見 ルベ キ夢 モイ サ ヤ河 、 小 野 ノ細 道草 分 テ 、 人 目
此 船 頭 騒 ヌ体 ニテ ﹁何 ヲ御 尋 候 ゾ﹂ ト 問 ケ レ バ、 ﹁先 帝 今 宵 丑 刻
こ の部 分 、天 正本 で は逆 に船 頭 の方 か ら先 に質 問 し た 形 を と る 。
二隠 岐 国 ヲ御 迩 有 ル間 、未 ヨ モ海 上 ヲバ 過 サ セ給 ハジ ト テ 追 進 ス
(巻九 ﹁両 六 波 羅 都 落事 ﹂)
ヲ今 ハ忍 ブ 坂 、 ノ ボ レバ下 ル東 路 ヤ、 番 馬 ノ宿 二着 給 ケ ル。
(巻 一 ﹁土 岐 多 治 見 等討 死 事 ﹂)
ノ葉 ノ散 ガ 如 ク片 靡 キ ニ門 前 へ颯 ト 引 テゾ 出 タ リ ケ ル
。寄 手 五 百 余 人 ノ者 共 、 大 勢 ノ真 中 へ乱 入散 々 二被 二切 立 凶、 嵐 二木
㈹様式的な比喩表現
ル也 ﹂ トゾ 答 ケ ル。
追 手 が誰 を捜 し て い る の か よ く知 り な が ら 、 全 く と ぼ け 切 って ﹁騒 ヌ
体 ニテ﹂ たず ね る船 頭 の形 象 は囚 の部 分 と 同様 で あ る 。 更 に 働 に相 当
す る箇 所 は次 の如 く あ る。
ト テ 、 ツ立 挙 リ手 頭 ヲ指 テ ﹁ア レ ニ幽 ニミ ユ ル コ ソ其 ニテ 候﹂ ト
教ケ レバ、
こう し た 美 文 化 は ど のよ う な 効 果 を も た ら す か。 ω の例 は 隠 岐 の御
基 本 的 な筋 の流 れ は神 田本 と 同 じ で あ る が 、天 正本 は会 話を 多 用 し場
後 醍 醐 が窮 地 に追 い こま れ 船 頭 の機 転 に よ って危 機 を 脱 す る と い う
緊 迫 し た 状 況 に相 応 し く な い。 ② は六 波 羅 を 追 わ れ た 滅 亡 間 近 の北 条
で あ る 。 し か る に 天 正本 は ﹁在 明 ノ月 ﹂・﹁梅 ガ 香 ﹂ と いう 歌 語 を 用 い
知 ら ぬ ま ま 追 手 の目 を 恐 れ て彷復 う 心細 さと 緊 張 感 に満 ち て いた は ず
所 を密 か に脱 出 し た 後 醍 醐 天 皇 が深 夜 、港 を 目指 す 場 面 。 港 の方 角 も
面 描 写 に ふく ら みを 持 た せ て い る。 船 頭 の余 り にも 余 裕 に満 ち た態 度
の余 裕 に満 ち た態 度 が み てと れ る。
は や や誇 張 気 味 であ り 、緊 迫 し た こ の場 面 の緊 張 感 を 却 って そ ぐ気 が
で他 本 に は 無 い。 軍 記 の道 行文 は、 行 く 手 には 必 ず 悲 劇 が待 ち うけ る
仲 時 一行 が東 国 さ し て落 ち 行 く場 面 、彼 ら が自 害 し た 番場 ま で の道 行
大 学
紀
か す か に見 え る船 を 御 座 船 であ ろ う と教 え追 手 を欺 く。 こ こ にも 船 頭
し な い でも な い。 そう し た欠 陥 はあ るも の の会 話 の使 用 は筋 書 き だ け
と い う状 況 の中 で 、流 離 の人物 の心 情 と 協 和 し つ つ使 用 され 、独 自 の
効 果を 持 つ。 こ こは そ の 一般 的 規 範 に合 致 し ては いる 。 一場 面 と し て
の文 章 の洗 練 度 は 勝 る が 、太 平 記 の筋 の流 れ の中 で見 る時 や や も す れ
ば 冗漫 に な ると い う評 価 上 の褒 財 は 免 れ な い。 とも あれ 天 正 体 の著 述
の修 辞 に対 し て非 常 な興 味 を 示 し た 。 そ し て この現 象 は著 述 者 のみ に
者 は 、 そ の修 辞 が効 果 的 か否 か の価 値 判 断 に 問 題 は在 るも の の、 文 章
(巻 七 ﹁先 帝 船 上 臨 幸 事 ﹂)
係 る の でな く 、 享 受 者 層 の問 題 と も併 せ考 え る 必要 が あ ろ う 。
がある。以下、簡単に分類し例文を示す。
ケ ル有 様 、 何 二比 ヘン方 モ無 ク ⋮ ⋮
夜 二、 垣根 ノ梅 ガ香 袖 鰯 テ 、 ソ コト モ知 セ給 ヌ道 ヲ分 タド ラ セ給
。此 ハニ月 廿 三 夜 ノ事 ナ レ バ、在 明 ノ月 ハ出 カ ネ テ人 里 ミ エヌ暗 キ
ω 歌 語 ・漢 詩 句 を 挿 入 し た 表 現
天 正 本 全 体 に見 ら れ る 顕 著 な 傾 向 の 一つに文 章 の美 文 化 と いう こと
四、 文 章 の美 文 化 な ど
良
か ら は う かが え な い そ の場 の臨 場 感 を 出 し て有 効 であ る。
要
奈
五 、後 日 謹 へ の興味
文 章 表 現 の問 題 で は な いが 天 正本 に は 或 る種 の人物 に 関 す る 後 日 諏
巻二 ﹁
資 朝 諜 裁 井 阿 新 翔 事﹂ で 父資 朝 の仇 を 討 ち 山 伏 の助 力 で命 存
を多 く載 せ る 傾向 が あ る 。
えた阿新は ﹁
無 レ悪 成 人 シ テ 、 南 朝 ノ君 二仕 テ 日野 ノ 一跡 ヲ光 栄 シ テ
⑭
中 納 言 国光 ﹂ に な った と いう 。 ﹃尊 卑 分 豚 ﹂ に拠 れ ば 資 朝 に は 邦 光 な
巻 七 の後 醍 醐 天 皇 隠 岐 脱 出 に 功 のあ った 千 種 忠 顕 に つい ては 次 のよ
る 子 が お り 、 ﹁候 南 朝 中 納 言 云 々﹂ (二、 聯 頁) と 注 さ れ る。
う な後 日 諦 が あ る。
是偏 二忠 顕 ガ官 女懐 妊 シテ 、其 ノ故 二不 慮 ニヲ囲 ヲ遁 出 タリ 。 若
男 子 ナ ラ バ、 必 ズ 是 ヲ家 督 二可 レ立 ト勅 定 アリ ケ ル コ ソ 恭 ケ レ。
マこ
果 シテ 男 子也 シカ バ、成 人 ノ後 朝 庭 二仕 へ、 具 忠 ト申 ケ ル ハ此 人
也。
﹃尊 卑 分 豚 ﹂ は次 の如 く で 、忠 顕 の 子 と し て の具忠 は 確 認 で き な い。
奮心
黙 融
贔薪
誉
蕪∵
同 じ く 後 醍 醐 の 忠 臣 で あ った 万 里 小路 藤 房 は 巻 十 三 ﹁藤 房 発 心 之
事 ﹂ で主 上 に諌 言 の後 出 家 を 遂 げ る が、 天 正本 は彼 の そ の後 を 次 のよ
う に記 す 。
江 湖 遍 参 シ給 シガ 、 何 ナ ル前 世 之 宿 業 ニカ有 ケ ン、土 州 下 向 之 船
中 ニテ、 被 レ侵 二風 波 之 難 一、 帰 泉 シ給 ケ ル コソ哀 ナ レ。
⑮
遁 世 後 の藤 房 に つい て は増 田欣 氏 の好 論 が 指 摘 す る よ う に様 々 な伝 承
が あ ったら し く 、 これ も そ の 一つであ ろ う 。
北 条 氏 の 旧臣 にも 藤 房 に似 た男 が い た。 天 正本 のみ が巻 十 一の末 尾
に 記す 工藤 新 左 衛 門 入 道 であ る。 彼 は北 条 氏 の有 力 な 臣 と し て天 下 に
るも 効 な く ﹁世 中 味 無 ヤ思 ケ ン﹂ 遁 世 し高 野 に籠 も った 。 のち 鎌 倉 全
名 を 知 られ て い た が、 北 条 高 時 の政 道 正 し か ら ざ る を憂 い度 々諌 言 す
滅 の由 を 聞 き 、 そ の焼 跡 に赴 き懐 旧 の涙 を 流 し 遂 に は散 聖道 人 と なり
こ の他 巻 二十 一の塩 冶 判 官 の子 出 雲 殿 の こと 、 巻 三十 七 ﹁畠 山 道 誓
生 涯 を 送 ったと いう 。
関 東 没 落 事 ﹂ の義 深 ・国 煕 の末 路 の こと 等 が 挙 げ ら れ る 。 これ ら後 日
諦 の登 場 人物 は、 いず れ も 政 治 権 力 の中 枢 で勢 力 を 振 い功成 った側 で
は な く 、 ど ち ら かと 言 えば 敗 者 の側 に位 置 す る。 敗 れ た者 に対 す る興
味 だ け でな く 、 志 成 ら な か った 人 々 への同 情 ・好 意 が 後 日潭 採 取 の契
機 と な って いよ う 。 ま た これ ら の後 日課 が史 的 事 実 に合 致 す る か否 か
は確 認 し得 な い こと が多 い。 敗 者 の側 ゆ え記 録 に残 ら な か った と い う
こ とも あ ろう が 、大 部 分 は伝 承的 なも のを 採 用 し て いる た め で あ ろ う。
みら れ 、 そ の痕 跡 を う か が わ せ る 。天 正本 が 後 日調 を 収 集 し て いる と
巻 二十 一の塩 冶 判 官 の子 の話 に は ﹁⋮ ⋮と かや﹂・﹁又 云﹂ 等 の表 現 が
の こと は悲 劇 好 みと い う点 で前 述 の 悲傷 性 増 加 の傾 向 と 根 を 同 じ くす
いう 事 実 は 、敗 者 への同 情 、言 わば 判官 び いき 的 心 情 に 由 ろ う が 、 こ
あ る いは A ・B ・C の 人物 が混 同 し た の かも し れ な い。 これ ら 二 話 は
るよ う に思 う 。 それ と 共 に 、後 日調 は 一人 の人 物 に関 す る 話 の結 着 を
(三 、 鵬 頁 )
後 醍 醐 に仕 え た 忠 臣 の子 息 の こと を 扱 う 。
一
長坂:天 正本太平記 の性格
17
18
第7号
要
紀
学
良 大
奈
⑯
つけ る こと にな り 、 個 別 的 ま と ま り を 重 視 す る態 度 と 言 え る。 即 ち 、
これ ら の書 き 込 み にも か かわ ら ず 、 古 態諸 本 の中 で は ﹃太 平 記 ﹂ の文
⑳
学 作 品 と し て の内 質 に は殆 んど 変 化 は無 いと い う重 要 な指 摘 があ る 。
係 の記 事 が 多 く 、 西 源 院 本 には 佐 々木 氏 の 記事 が多 いと いう 。 そ し て
に は 前 述 の様 々な 傾 向 の場 合 と 同 様 、 享 受 者 の問 題 を 無 視 でき ま い。
と ころ が 見 て来 た よ う な 天 正 本 の性 格 は作 品 の内 質 の変 化 にも 係 り 、
章 段 末 尾 に評 語 を 付 し て話 を 締 め く く る傾 向 と 相 通 う も のが あ る。 更
話 題 の人 物 のそ の後 が ど う な った か と いう 興 味 は 何 時 の世 も 同 じ こと 、
他 の諸 本 の本 文 異 同 の場 合 と は 決 定 的 に 異 な る。 勿 論 、天 正 本 にも 功
性 ・記 録 性 な ど の側 面 は 、上 層 公 家 と有 力武 家 の交 流 と いう 考 え で 理
木 氏 への資 料 提 供 者 と し て 二条 良 基 周 辺 が 想定 出来 る 。天 正 本 の史 実
の改 訂 に何 ら か の形 で関 与 し て いる と いう こと は あ ろ う。 更 には 佐 々
名 書 き 入 れ 要 求 と いう ﹁家 ﹂ の問 題 が 絡 ん で お り 、佐 々木 京 極 家 が そ
お そ ら く は そ う し た 大 衆 的 次 元 の.要 求 の反 映 でも あ る のだ ろ う 。
六 、天 正 本 の特 異 性
如 上 、 事 実 の指 摘 の み に留 ま るが 天 正 本 の性 格 の 一端 に触 れ 得 たな
ら ば 、 所 期 の目 的 に達 し た こと にな る。
た 伝 本 が 生 じ る余 地 が 存 在 し た こと を 重視 し た い。 ﹃太 平 記 ﹂ は そ の
う が 、 私 と し ては ﹃太 平 記﹂ の本 文 流 動 過 程 の中 に上 述 の傾 向 を 持 っ
章 表 現 の面 でも 全 巻 を 通 じ た顕 著 な 傾 向 が あ る。 こ の傾 向 を 太 平 記 的
⑱
な る も のか ら の逸 脱 ・崩 れ の現 象 と し て規 定 し 去 る こと も 可 能 であ ろ
の場 合 に比 べて質 的 に異 な ると いう 点 にあ る。 天 正 本 は 既 に指 摘 のあ
⑰
る 史 実 性 ・編 年 性 と い った 歴 史 的 事 実 に係 る本 文 異 同 の み でな く 、文
改 訂 と 考 え る の に好 都 合 だ が 妄 想 に過 ぎ な い であ ろう 。 天 正 本 の改 訂
氏 の管 理下 に或 る 種 の芸 能 集 団 的 な存 在 があ ったと す れ ば 、 一次 的 な
あ ろ う 。 従 って天 正 本 の改 訂 は 一次 的 に成 ったも の では な く 、 時 と 人
ど 下 層 階 級 の関 与 が予 想 され 、 更 に は享 受 者 層 の介 在 も 考 慮 す べき で
の文 学 表 現 に係 る問 題 であ る。 そ こに は お そ らく 遁 世 者 ・芸 能 の徒 な
場 面 構 成 と い った性 格 は 、 資 料 ・記 録 等素 材 の問 題 で はな く 、 著 述者
には 還 元 出 来 な い。
解 可 能 と し ても 、 小 稿 で検 討 し た 文章 表 現 面 で の特 徴 は ﹁家 ﹂ の問 題
成 立 当 初 か ら 享 受 期 に至 る ま で、 常 に政 治 権 力 と 強 く 関 わ って来 た作
⑲
品 であ り 、 写 本 と し て伝 わ る 伝 本 の少 な い こと 、 本 文 異 同 の小 さ い こ
さ て、 私 の主 た る関 心 は 上 述 の天 正 本 の本 文 異 同 の様 相 が 他 の諸 本
と 等 の現 象 が そ の こと を よ く 示 し て い ると 思 わ れ る のだ が 、 そう し た
過 程 及 び そ の管 理者 の問 題 は 更 に今 後 の課 題 と し た い。
因 由 の追 究 は 諸 本 研 究 の最 も 重 要 な 課 題 であ り 、 未 だ 全 面 的 な 解 答 を
﹃太 平 記 ﹂ の本 文 異 同 の状 況 の具 体 的 把 握 、 本 文 異 同 発 生 の必 然 的
と非 天 正本 の類 の二 類 に 大 別 す る こと も 可 能 であ ろ う 。
いと言 わ ね ば な る ま い。 換 言 す れば ﹃太 平 記 ﹂ の諸 本 は 、 天 正本 の 類
あ る こと を 強 調 し た 。 他 の諸本 群 と天 正 本 の類 と の懸 隔 は 極 め て大 き
を も 変 化 さ せ る 顕 著 な 傾 向 を持 った伝 本 は、 諸 本 群 の中 で全 く 異質 で
以上 、 天 正 本 のよ う に ﹃太 平 記﹂ 全 巻 に 亘 って文 学 作 品 と し ての質
を 異 にし た 幾 つか の段 階 を 経 て いる と み る べき であ る。 尤 も 、 佐 々木
後 日潭 への興 味 、 何 ら か の 口請 性 を 思 わ せ る美 文 化 、悲 劇 性 強 調 の
厳 し い制 約 下 にお い ても 天 正 本 のよ う な 性 格 の伝 本 が 生 ま れ た こと は
得 て いな いが 、 本 文 異 同 の相 当 多 く の部 分 は、 ﹃難 太 平 記﹂ に み る よ
重 要である。
う な武 家 の功名 書 き 入 れ 要求 と いう 軍 忠 状 的 要素 に 拠 るも のと いう こ
と は ほ ぼ定 説 化 し て いる 。 例 えば 古 態 本 の中 で も 玄 玖本 に は 赤 松 氏 関
長坂:天 正本太平記 の性格
19
注
の研究 に つい て﹂ (
﹁私学 研修 ﹂ 76号 、 昭 和 52年 11 月) が あ る。
1、 ﹁太 平 記 ﹂ の諸 本 研 究 の現状 ・問 題 点 に つい ては大 森 北 義 ﹁太 平 記 諸本
2
桜井 好 朗 ﹁太 平 記 の歴史 叙 述 ﹂ (
﹁文 学 ﹂ 43巻 5 号、 昭 和 50年 5月 )
天正 本 の類 の増
﹂ (﹁
軍 記 と 語 り 物 ﹂ 2 号、 昭 和 39年 1
2月)、
但 し、 長 谷 川 端 氏 に よ る翻 刻 が 近 く 公 刊 の由 、灰 聞 す る。
同 ﹁天 正本 太 平 記 の考 察﹂ (﹁
中世文学﹂1
2号 、 昭和 42年 5月 )
補 改 訂 の立 場 に つい てー
3、 鈴木 登美 恵 ﹁佐 々木道 誉 を めぐ る太 平 記 の本文 異 同-
4
5、拙 稿 ﹁天 正 本 太 平 記成 立 試 論 ﹂ (
﹁国 語 と 国 文学 ﹂ 53巻 3号 、 昭 和 51年 3
月)
天正 本 の類 と は 天 正本 ・義 輝 本 ・野 尻本 の 三本 を 指 す が 、 小 稿 で は 天 正
す 。 な お 神 田本 欠 巻 の場 合 は 玄 玖 本 に 拠 る 。
﹁新 校 太 平 記 、 上 ・下﹂ (
昭 和 51年 2 月 ・9月 、 思 文 閣 刊 ) の頁数 を 示
6 注 3 の ﹁中 世 文学 ﹂ 12号 の論 文 。
7 、以 下 、 天 正 本 に 対 す る 古 態 本 文 と し ては 神 田本 を 用 い、 高 橋 貞 一校 訂
8
太平記 の歴史学的考察ー ﹂ (
昭和
本 (
彰考 館 蔵 ) に拠 り、 私 に 句 読点 ・濁 点 を 付 す 。
9 岡部周三 ﹃南北朝 の虚像と実像50年 6 月 、雄 山閣 刊 ) 一七 二頁 。
10、 ﹃玄 玖本 太 平 記 日 ﹂ (
昭和4
9年 3 月 、勉 誠 社 刊 ) に 拠 る 。
11、 ﹁塩冶 判 官 諜 死 事 ﹂ の章 段 は 、 そ の後 半 部 分 (
師直 の議 言 に あ い塩 冶 判
死 ) に限 っても 諸 本 に よ る本 文 異 同 甚 だし く 、例 えば 塩 冶 一族 の逃 走経
官 が妻 子 一族 と 共 に 京 を 出 奔 、 山名 時 氏 等 が こ れ を追 撃、 塩 冶 一族 惨
路 の こと 、 記 事 順 序 のこ と等 検 討 す べき 課 題 が多 い。 な お こ の部 分 、諸
本 は玄 玖 本 の類 ・西 源院 本 の類 ・天 正 本 の類 の三類 に大 別 出 来 る 。 問題
の 三歳 の次 男 を修 行 者 (天正 本 では 遊行 ) に托 す こと の記 事 は 、 天 正本
では 母 女房 の死 の後 に位 置 す る (西 源院 本 も 同 じ)。 無 惨 な 女 房 の 死体
の下 か ら辛 く も 助 け出 さ れ る と いう叙 述 は、 玄 玖 本 に 比 べよ り劇 的 と言
う べ き だ ろう 。
親 子 ヲ 失 ヘル如 ク、 泣 悲 ケ ルト カヤ 。 誠 二音 二聞 ダ ニモ 哀也 シ事 ド モ
12、 天正 本 は 惨 劇 の後 に ﹁
其 ノ里 ノ村 女 、邑 老 マデ モ、 此有 様 ヲミ テ、 皆 我
也 。﹂ と あ り 、哀 話 に涙 した であ ろう 人 々 の姿 を彷 彿 さ せ る 。
13、 杉 本 圭 三郎 ﹁﹁明徳 記 ﹂ の位 置 ﹂ (﹁日本 文 学誌 要 ﹂ 16号 、 昭和 41年 11月)
14、 新 訂 増補 国史 大 系 本 に拠 る 。
究 ﹂所 収 、 昭 和 51年 3 月 、角 川書 店 刊 )
15、 増 田 欣 ﹁
藤 房 説 話 の 形 成 と 漢籍 の影 響 ﹂ (﹃﹁太 平 記 ﹂ の 比較 文 学 的 研
関連があろう。
16、 注 5 の旧稿 で指 摘 し た叙 述 の連 続 性 ・記 事 の集 中 化 に 配慮 す る傾 向 と も
17 ・18、 注 3 の ﹁
中世文学﹂1
2号 の論 文 。
和 50年 8 月 )
﹂
19、 拙 稿 ﹁太 平記 の伝 本 に 関 す る基 礎 的 報 告 ﹂ (﹁軍記 研 究 ノー ト﹂ 5号 、 昭
本 文改 訂 の面 か ら の 考 察 1
(
﹁軍 記 と 語 り物 ﹂ 9号 、 昭和 47年 3月 )
20、鈴 木 登美 恵 ﹁
古態 の 太平記 の性格-
脱 稿 後 、初 校 ま でに 、 主 に 天 正本 の合 戦 場 面 の "描 写 性" に ついて論 述 し
(追 記 )
・大 森 北 義
資料 と論 考 ﹂ 所 収 、昭 和 53年 11
﹁天 正 本 太 平 記 の合 戦 記 に つ いて﹂ (
鹿 児島 短期 大 学 研 究紀 要 ﹂
た 次 の 二論 考 が 出 た。
22 号 、昭 和 53年 10月 )
・同 ﹁天 正 本 太 平 記 の 一性 格 ﹂ (﹃中世 文学
月、笠間書院刊)
奈
良 大
学
紀
要
第7号
SomeCharacteristicsof"Tenshobon-Taiheiki"
ShigeyukiNAGASHAKA
Summa町
Insomerespects"Tenshobon-Taiheiki"iscruciallydifferentfromtheother
texts,additionsoftragicqualitiesthroughoutthewholetext,peculiarending
expressionsofsentencesandfrequentusesofseguelstostories.
20