純国産の乗用車、トヨペットクラウンRS型の開発

"トヨタ自動車では、1950年頃からショックアブ
ソーバーやサスペンション、エンジンマウンティン
グの振動防止など、乗用車に関する基礎研究の成果
がではじめていた。また長谷川龍雄ら航空技術者の
入社によって強度計算法を研究し、自動車各部の強
度の測定にも成功していた。こうした技術の進歩と
輸入制限の緩和という社会状況にあわせ、1952年1
月からすべての部品を新しく設計した本格的な乗用
車の開発をはじめた。一方、日産、いすず、日野で
は乗用車の性能を向上するため、海外自動車メー
カーから技術導入を図っていた。日本の自動車メー
カーは先進メーカーとの提携を選ぶ企業と独自開発
の道を選ぶ企業の2つに分かれていった。 "
純国産の乗用車、トヨペットクラウンRS型の開発 トヨタ自動車株式会社
"1952年7月、第13回国会参議院運輸委員会では、戦
後の日本の自動車産業をどう位置づけるかについて
議論が展開された。乗用車を作るべきとする乗用車
国産化論者と、国産車はトラックに限り、乗用車は
輸入すべきとする国産分業論者の二者が大論争を闘
わせた。分業論者は、外車輸入業者、タクシー業者
と運輸省が中心となっていた。 輸入業者の梁瀬長太
郎(自動車輸入販売のヤナセ自動車創業者)は「プ
レス技術に代表される大量生産技術の発達した外国
と、ハンマーによる手作業に依存する国産車とでは
競争しても意味がない」と論じた。これに対し、当
時トヨタ自動車社長の石田退三は、6時間にもおよ
ぶ国産車擁護論で反論したといわれている。 "
純国産の乗用車、トヨペットクラウンRS型の開発 トヨタ自動車株式会社
"―― ユーザーの声を反映した仕様 当時常務であっ
た豊田英二(豊田喜一郎のいとこ)は、製造現場を
よく知っているものが開発にあたるべきと考え、新
型乗用車の開発責任者に車体工場次長の中村健也を
指名した。中村は、同じ開発チームの長谷川龍雄と
ともに、販売店やタクシー会社など全国のユーザー
を訪ね歩き、現場の要望を聞いてまわった。その結
果、定員6人、両側に開く観音開きのドアを採用す
ること、乗用車専用のシャーシを開発し、ボディは
本格的プレス加工を社内で行うことに決めた。 "
純国産の乗用車、トヨペットクラウンRS型の開発 トヨタ自動車株式会社
"初代クラウンを開発した頃の乗用車の主な需要はタ
クシーだった。当時のタクシーには運転手の他に助
手がいて、乗客を乗せる時に助手が車から降りてド
アを開けていた。助手がドアを開けるのに楽だとい
うタクシー会社の要望に応え、観音開きのドアが採
用された。 最も重視したのは、乗り心地と運転性能
であった。そのため40台もの試作の後、社内でも採
用するかどうか意見が分かれていたダブル・ウィッ
シュボーン型の独立懸架(サスペンション)が前輪
に採用された。 "
純国産の乗用車、トヨペットクラウンRS型の開発 トヨタ自動車株式会社
一方、エンジン担当の安藤恒男は、高性能エンジン
の開発をめざした。安藤が開発し
たOHV1,453cc、48馬力のR型エンジンは、規定馬力
が出た後も、信頼性の向上、振動騒音の防止、アフ
ターサービスの利便性を考え、再設計が繰り返され
た。また本格的な国産乗用車にふさわしいものとす
るため、カーラジオなどの電装品の開発も同時に行
われた。
純国産の乗用車、トヨペットクラウンRS型の開発 トヨタ自動車株式会社
数々の開発で成果をあげたトヨタ自動車は、大量生
産で優位に立つアメリカ車との競争に勝つため、量
産体制を目指した。1953年には、生産設備近代化五
カ年計画「第二期計画」がスタート。流れ作業を実
現する最低必要台数として月産3,000台という生産目
標が決められた。この計画に基づき、乗用車ボディ
の内製化と量産化設備の拡充に力を入れるため、高
性能のプレス機械やアルゴン溶接などの最新鋭の溶
接技術を導入した。その中には独自に開発した機械
もあった。新型乗用車の開発担当者である中村健也
が自らアーク溶接機を開発。車体工場の武本道一ら
は、アメリカ製の半自動溶接機を参考に自動溶接機
を開発し、手作業による溶接の剥がれ問題を解決し
た。その他、鋳造、鍛造(たんぞう)、機械などの
各工場でも精度や能率を向上させるための機械設備
を次々と新設、増設していった。
純国産の乗用車、トヨペットクラウンRS型の開発 トヨタ自動車株式会社
1955年に発売されたトヨペットクラウンは、戦後初
めての本格的国産乗用車として高く評価され、日本
の自動車工業を発展させる出発点となった。
純国産の乗用車、トヨペットクラウンRS型の開発 トヨタ自動車株式会社
"―― かんばん方式の導入 1955年以降、生産台数が
急激に増加すると、生産管理が大きな問題となっ
た。価格を押さえながらも高品質な製品を作り出す
ためには、生産ラインの無駄を徹底して省き、コス
トダウンに努めなければならない。 「かんばん方
式」はこうした背景のもとに生まれた。 トヨタ自動
車では、すでに、創業者の豊田喜一郎が、1938年の
挙母工場の建設にあたり、必要なものを必要なとき
に、必要なだけ生産するジャスト・イン・タイム生
産を発表し、これを具体化する道具として1960年代
に「かんばん方式」が考案された。"
純国産の乗用車、トヨペットクラウンRS型の開発 トヨタ自動車株式会社
「かんばん方式」は、当時本社工場長であった大野
耐一らが開発した生産管理方式である。製造ライン
のある場所で部品が使われると、部品についている
「かんばん」と呼ばれるカードを持って部品工場に
取りに行く。部品工場では、引き取られた部品を同
じ数だけすばやく作り、元の場所に補充する。必要
なものを必要なだけ取り揃えて生産することを基本
理念としている。この「かんばん方式」を含むトヨ
タ生産方式は世界中に普及し、製造業のビジネスモ
デルとして、世界に認められている。
純国産の乗用車、トヨペットクラウンRS型の開発 トヨタ自動車株式会社
"初代クラウンが発売された時、市場の反響は大き
かった。当初の製品は部品の損傷などで走行できな
くなることも何度かあった。組立上のミスや設計上
のミスもあったが、大部分は製作上のミスだった。
しかし、中村が謝ると、お客様の方が「小さな傷
だ、すぐ直る」と慰めてくれた。 当時はクラウンを
盛り上げ、育てるという雰囲気があり、国をあげて
クラウンを応援しているような状況だった。 "
純国産の乗用車、トヨペットクラウンRS型の開発 トヨタ自動車株式会社
"1956年4月には、朝日新聞社の記者とカメラマンが
クラウンデラックスでロンドンに向けて出発。ヨー
ロッパ大陸とアジア大陸の砂漠や険しい山道など約
5万キロを走り切り、その年の12月30日に東京に到
着した。この挑戦は、自動車の国産技術が確立した
ことを象徴するできごととして記録された。 "
純国産の乗用車、トヨペットクラウンRS型の開発 トヨタ自動車株式会社